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クイズ【30】
LAST UPDATE 2003-08-07

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【30】出題日時 2002年 5月14日(火)22時00分
 1927年5月27日は、チャールズ=リンドバーグが「スピリット=オヴ=セントルイス号」に乗り、世界で初めて大西洋無着陸単独横断飛行に成功した日です。さて、出発した都市と到着した都市はどこだったでしょうか?

正解者・・・・Kubocchannさん、じゃいママ▽・。・▽さん
ケムンパスさん、kazukoさん →3ptゲット(得点表)

解説と解答

 1927年5月21日は、アメリカ人飛行家チャールズ=リンドバーグが、世界で初めて大西洋無着陸横断飛行に成功した日です。

 彼は、飛行士に憧れてウィスコンシン大学を中退し、飛行学校を卒業、郵便飛行士の仕事に就き、セントルイスとシカゴ間を飛んでいたんです。当時アメリカでは、誰が最初に飛行機で大西洋を横断するかに関心がもたれ、1919年に、ニューヨークの高級ホテル経営者が、2万5000ドルの賞金をかけていたものの、成功した者はまだいませんでした。そこで彼は、故郷セントルイスで出資を得て、「スピリット=オブ=セントルイス」号(200馬力・重量約2.2トン・最高時速217キロの単葉機)を完成させて、この飛行を行ったのです。当時彼は、25歳でした。

 1927年5月20日午前7時52分、ニューヨーク郊外ルーズヴェルト飛行場を飛び立ち、翌21日午後10時24分、5809キロ離れたパリ近郊ル=ブールジェ空港に、無事着陸したんです。ということで、正解はニューヨークからパリでした。

 ところで、発着時刻はそれぞれ現地時間なので、6時間の時差(現在)を計算に入れると、飛行時間は32時間32分だと思ったんですが、kurochanがササッっと集めた資料では、32時間22分から34時間まで幅があり、信用できそうなのは33時間半というものです。

 パリ近郊のル=ブールジェ空港は、10万人もの群衆が押し寄せて大混乱、機体を200メートル近くも担ぎ回ったり、一部をはぎ取ったりの大騒ぎだったようです。また帰国したニューヨークでは、さらに熱狂的な大歓迎を受け、ブロードウェーでの凱旋パレードでは、ビルから5色の紙吹雪が舞い、その量だけで1800トン。その清掃代に1万6000ドルという記録まで残っているそうです。彼は、賞金約2万5000ドル(当時で約5万円)を獲得し、アメリカンドリームの体現者として一夜にしてして世界のヒーローになりました。背が高く、思慮深く、ハンサムだった彼は、「ラッキー=リンディ」「ローン=イーグル(孤独な鷲)」など呼ばれたようです。

 1931年、彼は、飛行機シリウス号に乗り、「空の大使」として、日本も訪れています。夫婦で北海道根室を訪問、茨城、東京、大阪、福岡を回り、中国へ向かっています。このあたりは、インターネットで検索すればいろいろとでてきます。

 しかし、大西洋横断飛行から5年後の1932年3月、彼は2歳弱の息子を誘拐され、2ヶ月後死体で発見されるという悲劇に見舞われます。このニュースも世界に広まりますが、米国ではこの事件を契機に、複数の州にまたがる誘拐を連邦犯罪とし、重罪とする法律(リンドバーグ法)が成立しました。

 1935〜1939年、彼はヨーロッパで過ごしますが、フランスで人工心臓の試作に協力したり、ドイツでナチスから名誉勲章を授けられたりしています。このため、帰国後、第二次世界大戦時に中立を主張した時は、親ナチスとして非難されたりしたようですが、結局は、太平洋戦線で軍顧問として戦闘任務にもついています。戦後、空軍や航空会社の顧問を務めますが、1953年に、回想録「翼よ、あれがパリの灯だ」を出版、翌年ピュリツァー賞を受賞します。映画化もされ、かなり好評だったようです。ちなみに夫人アン=モロー=リンドバーグはエッセー集「海からの贈物」(1955年)などで知られる作家なんですよ。