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クイズ【25】
LAST UPDATE 2002-04-16

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【25】出題日時 2002年 4月12日(金)16時41分37秒
 北京原人の遺骨は多数出てきたので、様々なことが推定されています。さて、では北京原人の平均年齢はどれくらいと考えられているでしょうか?
   あ 10歳くらい  い 14歳くらい  う 18歳くらい  え 25歳くらい

正解者・・・・ともちゃん・ひろりんさん・ケムンパスさん →3ptゲット(得点表)

解説と解答

 kurochanは、高校時代に一時期ですが、「ボイセイ」と呼ばれていたことがあります。世界史の資料集に載っていた「ジンジャントロプス=ボイセイ」という原始人の頭骨の断面図に、僕の頭の形が似ていたからだと思いますが、僕が原始人みたいな存在だったのかもしれません。

 それはともかく、原始人の研究は奥が深く、kurochanも大好きな分野なんですが、ここでは北京原人についてです。北京近郊周口店というところには、幾層にもわたる遺跡があるそうですが、1923年に、その最下層から発見されたのが、北京原人です。学名は「シナントロプス=ペキネンシス」といいます。1928年から本格的な発掘が始まり、合計42体の人骨がぞくぞくと発掘されました。掘り出された化石人骨は北京市内の協和医学院に厳重保管されていたのですが、1937年7月の盧溝橋事件以降、日本軍の侵略が進み、1941年になり日米関係が悪化し、協和医学院を所有していたのがロックフェラー財団であったことから、11月の末頃に、北京原人の化石人骨を、極秘裏に北京市内の米国大使館に運びこんだようです。
 その直後、12月8日に太平洋戦争が勃発、その後、化石人骨は行方不明なんです。日本軍は日米開戦と同時に医学院を接収して化石人骨を押収するんですが、これは石膏でつくられた実物大模型にすぎず、日本の敗戦後、GHQに接収され中国に返還されたようです。
 化石人骨は、米国大使館から秦皇島[シンノウトウ]に運ばれていたという説や、日本か米国に隠されているという説、秦皇島の米軍倉庫を接収した日本軍が知らずに破壊したという説なんかもありますが、真相は不明です。

 そんな北京原人の発掘裏話ですが、行方不明になるまでの間に、様々な研究がなされました。原始人の人骨にしては、珍しく42体も発掘されたのですから、それなりにいろいろなことが推測されています。その中に、平均身長が152センチ程度であったとか、14歳未満で死亡するものは全体の40%程度だっただろうと言う数値があります。ということで、平均寿命は「14歳くらい」、つまり「い」です。

 ちなみに、北京原人は火を使い、かなり明瞭な言葉を喋ったと考えられています。火を使うことで、食べ物が軟らかくなり、大きなあごや歯が必要なくなって、首からあごにかけての筋肉が減少し、口の中も広くなり、舌が動きやすくなり、そのため多様な「鳴き声」を発することができるようになったことが言葉の使用の始まりなようです。恐竜時代のほ乳類は、は虫類の恐竜が動けなくなる夜間に行動したため、音を聞き分ける必要から聴覚が発達し、聴覚に関係する大脳も発達、また直立歩行をするようになって歩行に伴う大脳への刺激が強まり、それが言語を理解し抽象的概念を音声化する頭脳を育てた面も見落とせません。

 ただし、北京原人は「共食い」をしていただろうと考えられています。脳みそを食していた痕跡も見つかっているようです。ここで、補足ですが、いわゆる「食人」の風習は今も残っているそうですが、現代的感覚で単純に「野蛮」と価値判断することには、注意が必要です。というのは、日本にも「爪の垢を煎じて飲め」という言葉があるように、偉大な人物の人体の一部【爪の垢】を体内に取り入れることで、偉大さを獲得する、という感覚があるように、現在も残っている食人の風習は、単に腹が空いたから食べるのではなく、共同体内の偉大な人物が死亡したとき、せめて遺体の一部を口にすることで、その人物のパワーを受け継ごうとするとする意味があるといわれているんですよ。ただし、北京原人は、「命の価値」についての抽象的観念までは、まだ持ち合わせていなかったと言われていますので、やはり腹が空いたから食べていたんでしょうね。