あすなろ理論i-mode版
LASTUPDATE 2001-07-03

ある掲示板で、2001年始め出会った
あすなろさんの言葉が、大きな感動を呼びました。
ここに一部転載させていただきます。
掲示板ですので、当然やりとりはあるわけですが、
他の参加者に関わる部分は削除してあります。

主な内容
人生論 労働・教育 苦い経験 恋愛論  運命論


-------------------------------------------------------------------------------- 人生論 投稿者:あすなろ
 私の人生はいつもこんなふうに順不同なんです。ついでに、また話をさせていただきますが、ここのタイトルが「人生について」ですので、私なりの人生観を述べさせていただきます。ズバリ一言で言えば、人生は二進法だと考えています。「する」か「しない」かの二者択一だと思います。産まれた時から二股の道をどちらか選び、進むことだと考えています。どちらを選んでも後悔はするのですが、少なくても「する」を選べば「しない」を選んだときの後悔よりは自分で納得できます。死ぬ時に、あのときああしておけば良かった、と思いながら死にたくないのです。ま、こんなもんか、で目を瞑りたいのです。若いひとたちは「夢」がないと生きて行けません。老人は「思い出」がないと生きて行けません。だから色々な経験をして年をとり、あんな馬鹿なことをしたなあと「思い出」しながら死にたいと思っています。これが私の人生観です。

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  (この間COPYなし)

--------------------------------------------------------------------------------「苦い経験」 投稿者:あすなろ  投稿日: 2月21日(水)
 私にも言葉の行き違いで友人を無くしたこと苦い経験があります。 特に、手紙とかの文字では曲解されることがあります。このメールに しても文字からの判断ですから、書き手の気持ちを受け手の気持ちが 共通でないと、言葉の意味を正確に把握できないことがあります。 問題なのは、曲解されていることに気が付かない場合です。 会って話している時は相手の表情や仕草で言葉の意味が理解できる ものですが、文字にはなかなか難しい面があります。最近は口語調の 文字表現なのでなおさらでしょう。 そこで、やはり、おかしいなと思ったら何度も確認することではない でしょうか。折角知り合えた人の輪から外れるのは寂しいことです。

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  (この間COPYなし)

-------------------------------------------------------------------------------- ありがとう 投稿者:あすなろ  投稿日: 2月26日(月)10時58分32秒
 皆さん、私の一方的理論について考えて頂き、嬉しく思っています。私も新参者でして、その割に勝手なことを話していますが皆さん暖かく受け入れてくださるので調子に乗っています。また、順不同で申訳ない。私は、事情があり、夜間と土日はここへ来れません。(本当は、その時間が一番来たい時なのですが・・・)でも、可能な限りここへ来て、皆さんとお話したいと思っていますので、今後ともよろしく。虐待死の子供のことですが、それは、生まれてすぐに亡くなった子供も含めて、幸・不幸は同じにあると考えます。生が短いときは、その死と同じくらい、生まれたということが、幸せだったのではないかと考えるようにしています。最期が悲惨なときほどそうだと思い、残された人に対する自戒のメッセージだと考えます。

-------------------------------------------------------------------------------- 一言言上 投稿者:あすなろ  投稿日: 2月27日(火)11時31分22秒
 kurochanさんの労働分配率、解り易いのですが、私の実感を一言。私も長いこと会社におり、重役と言われる管理職でした。ご意見は理解できるのですが、企業規模と業種によって実態は様々です。ご存知のように日本企業の90%は中小企業でして、その中においても格差があります。私は100人規模の会社におりましたが、労働集約型の業種でしたので全売上に対する人件費比率管理が最重要事項でした。そして中小企業の大部分がそうだと思いますが、社長を含めた役員一同は売上減のなかでは、まず初めに減給しそれから下へ移行するわけです。残業を含めた10時間労働のうち1時間半が自分の給与の分で後はサービスというのはちょっと極論かなと思います。会社の運営費用と先行投資・備蓄は必要項目で会社存続の重要課題であると思います。さらに、営業職と現場では業務内容も異なるので単純比較はできず、現場においても個人能力の差による同一業務の処理時間が異るため一概に決め付けられないのです。あれー!つい熱くなり、部分論へ話しを持って行ってしまいました。ゴメンナサイ。でも、ここまで書いたから送ります。失礼しました。

-------------------------------------------------------------------------------- 私見 投稿者:あすなろ  投稿日: 2月28日(水)12時05分35秒
 よく言われますが、人は何の為に働くのか?。パンの為?、生き甲斐?、暇つぶし?、それぞれの理由があり複合的でもあります。私が思いますに、社会参加ということに大きな理由があると思います。参加することに意義が在るのではないでしょうか。身障者はこのことが一番望むことではないでしょうか。定年者も辞めてから気づく人が多いと聞きます。勿論パンの為が一番ですが、それだけだと、働くことが苦痛になるときがあるのではないでしょうか。父親が家族に向かい、お前たちの為に我慢して働いている、というのは悲しいですね。働く期間が長くなるほど社会参加という認識が薄れ、歪んだ欲望達成の手段となるのではないでしょうか。ただし私は男ですので女性は又別の考え方があるのでしょう。はなさんの外国との比較は解りますが、国民性の違いとか、税金の比較とかを考慮に入れないと今の日本ではすぐには行かないのでは。いずれにしろ理想国家は現存しませんし、おもしろいことに、世界中の国はその理想国家を建前とは言え目指しているのですから。部分的に良いところ(たとえば労働時間が短い、休暇が多い、社会保障が充実など)だけを国同士で比較してみても難しいのでは。

-------------------------------------------------------------------------------- だから教育 投稿者:あすなろ  投稿日: 3月 1日(木)12時44分16秒
 皆さんのご意見ごもっとも。私見をもう少し、私は全国の在日米軍基地内にある店を5年程管理していたことがあります。そのときに感じたことを話します。短く言うと語弊があるかもしれませんが、強く感じたのは彼らは占領軍であるとの意識が根底にあるように感じました。個々には愛すべき人達ですが、仕事となると全く別人となります。我々日本人は被占領国民で、彼らは、安保条約で来て守ってやっているとの意識を感じました。つまり今も、ひょっとしたら政治・経済は我々が気付かないだけで占領されているのかもしれません。だから、官を頂点としたピラミッド構造の日本経済が存続しているのでは。私なりの結論は、結局「教育」にあると思います。今の中学生があと5年で選挙権を得、社会に参加できますが、5年・10年、それ以上先の日本をつくる「教育」は非常に大事だと思います。kurochan先生の役割は大変重要です。そして今の日本を変えて行くのは、選挙権を持つ人々です。

-------------------------------------------------------------------------------- なぜかな 投稿者:あすなろ  投稿日: 3月 1日(木)13時05分32秒
 教育の話を出したので、追加です。前々から思っていたのですが、全世界の教科書を何故統一出来ないのかな、と思います。そうすれば知識の共有と歴史の同一認識ができ、誤解や偏見も無くなるのでは。これも理想論かな。

--------------------------------------------------------------------------------コーヒータイム 投稿者:あすなろ  投稿日: 3月 2日(金)11時13分18秒
 kurochanさんの1984は映画か本だと思いますが、言わんとしている意味は解ります。教科書世界統一で、不謹慎なことを考えました。世界人口は60億ですが、学業対象は10億ぐらいとしたら、年に一度世界模擬試験が開催されて、あなたの成績は上から2億3千万番目ですなんて通知されたらひっくり返っちゃうな。それに国同士の平均点が出されて、これもまた、国の格付けみたいになって紛争がおきたりして。

-------------------------------------------------------------------------------- 恋愛論 投稿者:あすなろ  投稿日: 3月12日(月)10時13分58秒
 体調が悪く、少し休憩しておりました。皆さんの趣味のお話を見させて頂きうらやましいです。さて、あすなろ流独論、いよいよ「恋愛論」です。ずばり恋愛とは、病気です。原因は恋愛ウィルスです。このウィルスに感染するのは10代からで(個人差はありますが)上は無制限です。潜伏期間も個別で感染と同時に発病する人から何年もかかる人まで多様です。このウィルスは脳細胞に寄生し、その人間の感情をコントロールします。ワクチンはありません。何万年もの昔から存在するのに、未だ誰も特効薬を開発していません。せいぜい哲学者とか作家とかアーティストなどが解明を試みましたが決定打は出ませんでした。このウィルスは知能を持ち、時代や社会の流れに対応し変化を続けているのです。唯一このウィルスの弱点は時間の経過です。(つづく)

-------------------------------------------------------------------------------- 恋愛論 2 投稿者:あすなろ  投稿日: 3月12日(月)10時37分58秒
 恋愛ウィルスは、他人から非難・攻撃を受けたり、社会的制約を受けると活発に活動を始め、暴走することもあります。初期感染のときによくあります。何度か感染し自然治癒を繰り返すたびに免疫が出来、症状も異なってきます。このウィルスには男性に感染するA型と女性に感染するB型と両方に感染するAB型があります。AB型は同性愛とかで感染例が極少ですので、一般型について述べます。(またまたつづく)

-------------------------------------------------------------------------------- 恋愛論 3 投稿者:あすなろ  投稿日: 3月13日(火)10時54分15秒
 10代の恋愛は相手しか見えず、20代のそれは自分を意識し、30代の恋愛は世間体を気にし40代は遊び心が強く、50代は小春日和のような恋愛で、60代以上は茶飲友達というのが、あくまで一般論的あすなろ理論です。ただ、恋愛と結婚は別なものです。恋愛の終着駅を結婚と思いがちですが、あすなろ理論では別物と考えます。人を好きになるのに理由はありません。だから弁解も必要ありません。必要なのは、誰かを好きになったという自分自身への正直な認識です。無理にこじつけて心を押さえ込む必要がどこにあるのでしょう。傷つくことが怖いのは、相手に自分を認めてもらいたいからとの欲望があるからです。私はサザンの歌が好きなのですが、その中に、「恋」と言う字は「心」が下にあるから「恋」には下心があり、「愛」と言う字は「心」が真中にあるので「愛」は真心だという歌詞が好きです。恋愛ウィルスには学習能力があり、失恋のダメージを受けるたび、この次はうまくやろうと考えるのです。(つづく)

-------------------------------------------------------------------------------- 恋愛論 4 投稿者:あすなろ  投稿日: 3月13日(火)12時51分47秒
 恋愛ウィルスによる症状も色々ありますが、一番困るのが内にこもる症状でしょう。1日中相手のことを考え、食欲もなく勉強もなにも手につかない。初期感染によく見られる症状です。でも、その気持ちは大事にすべきです。治療方法はありません。じっと自分の心をみつめることです。時が必ず解決してくれます。感染回数が増えたり年齢を重ねると、そうした「ときめき」感が薄れてくるのです。これは寂しいことですよねぇ。人生論でも言いましたが、恋愛においても失うものと得るものはイコールなのです。相手の全てを得たいという気持ちは解りますが、同時に失うものも同じぐらいにあるのです。それを得るものだけで、失うのは嫌だというところに、恋愛の苦しみが生じるのだと思います。少し前のCMコピーにあった「少し愛して、長−く愛して」というのは、聞こえは良いのですが無理です。「全部愛して、永久に愛して」というのが恋愛の本質ですが、相手にそれを求めて自分は何を与えるのでしょう。価値観は個々に異なり、得るものと失うものの価値観がイコールでなければ恋愛は成立しません。損した、得したの感情が生じ、苦しむだけです。こんなに尽くしたのにあの人は、とか、あんなにあげたのにあいつは、とか、必ず損得感情が最後に生じます。これは本当の恋愛ではありません。本当の恋愛とは、静かに、綺麗に終わったものを後で振り返って気が付くものです。(少し疲れながらつづく)

-------------------------------------------------------------------------------- 恋愛論 最終項 投稿者:あすなろ  投稿日: 3月14日(水)11時01分19秒
 あすなろ流恋愛論は、もちろん経験から来たもので、独論です。免疫力が弱くて、何度も同じ症状をおこす人もいます。自己愛の強い人にその傾向があるのではないでしょうか。いわゆる恋に恋するというような。人は最終的には自分が一番かわいいと思うように創られていると思います。極端な例ですが愛する人の為に死ななければならない状況になったとしても、そんな自分が好きだからそういう行為を取れるのだと思います。恋愛ウィルスは、その時点で相手に完璧に感染し一生残すのです。(タイタニック) 10代では20歳になることが想像もつかないぐらい遠い先のように思え、20代もまた30歳になることが信じられず30代もしかり、でもなぜか、10代の恋愛は往々にしてまるで明日が無いかのように走り、あせるほど残りの少ない年代ほどじっくり育てようとするのは不思議です。あすなろ流結論です。恋愛はウィルス感染による病気であり、特効薬もなく、どうにもならないものなのです。もし特効薬が見つかれば、そのときは人類が滅びる時だと思います。

-------------------------------------------------------------------------------- 品定めする子供達 投稿者:あすなろ  投稿日: 3月14日(水)11時36分28秒
 大人へのメッセージありがとう。「品定め」確かにありますよね。でも、気がついて欲しいのは、そうやってあなたも大人の「品定め」をしていることを。べつに揚げ足を取るのではなく、物事には見方を変えると同じ事が反対側にもあるのだと思います。あなたは、とても頭が良く感受性の鋭い人なのですね。大人の社会を見て腹立たしいことはずいぶんあるでしょう。そうしたことを理解して、迎合する自分に対しても嫌でしょう。でも、それは認めたくないですよね。昔から「あそこの子とは遊んじゃだめ」というのはありました。おそらく、今以上にひどい、差別的な言葉が自分の親からも、同級生からもあったように記憶しています。そして、自分も他の家で品定めされていることに気がついたこともありました。でもほとんどの親は、皆そうなんですよ。その親が作っている社会もそうなんですよ。それが嫌なら、あなたたちが変えていかなければ。それと、このコーナーもそうですが、人は生まれた環境も、考え方もみんな違い、それぞれの意見がありますよね。自分だけのバリアーを張って、そこから外の世界も人も受け入れないのは、寂しいよ。他の人の意見も聞いてみてください。また書き込みます。

-------------------------------------------------------------------------------- 夢 投稿者:あすなろ  投稿日: 3月16日(金)11時11分45秒
 「夢」について語らせてください。物理的な夢は別にして、夢には「希望」と「願望」の意味合いがあると思います。前にもお話しましたが、不幸の中にあって、いつか来る幸福を「希望」と呼ぶのだと思います。それと、目標を持ち、達成すべく努力することも「夢」と言いますよね。これは「願望」だと思います。そのいずれも先の時間がある人ほど強く大きいものだと思います。だから人間は生きて行かれるのでしょう。だから若い人ほど「夢」を見るのです。若い人が「夢」を持たないことほど辛いものはありません。「夢の時間」というものがあります。遠くにある「夢」ほど生きていく上で充実感を多く味わえ、近くの「夢」は、小さな満足か挫折感の繰り返しとなるでしょう。ほとんどの人はこれです。人間には、個々に与えられた「夢の時間」が決まっており、ほとんどの人はそれに気がつかず無駄遣いしています。最近の若い人にそうした傾向が強いように思えます。例えが悪いかも知れませんが、幕末の新撰組も維新の志士達も皆年若かったと思います。時代が違うという理由だけでは私は納得できません。

-------------------------------------------------------------------------------- 運命論 1 投稿者:あすなろ  投稿日: 3月19日(月)11時15分07秒
 皆さんこんにちわ。いよいよあすなろ流「運命論」を述べさせていただきます。過去に述べました4理論は実はこの「運命論」に包括されているのだと考えます。人はよく、結果から運命を持って来ます。その典型が事故・病気・出会い・別れ等々です。自らの意思で成し得ない出来事が運命だと言われます。内容により「幸運」・「不運」と分け喜び・悲しみます。自分の意思でどうしようもないのに、自分は「不運」だと決め付けてしまうのは滑稽です。どんなに努力しても運が無いから駄目だとか、こんなにやったのに駄目だったのは運がないからだとか、考えるのはやめましょう。人は明日の命を計ることが出来ない以上、毎日を精一杯生きるしかないのだと思います。そして毎日を精一杯生きるために「夢」が必要なのだと思います。挫折したときに運がないとよく言いますが、挫折は夢の実現のための「一休み」だと思います。そこから休みッぱなしになるか、また新たに歩き始めるかはその人の意思で、運とは違います。(つづく)

-------------------------------------------------------------------------------- 運命論 2 投稿者:あすなろ  投稿日: 3月19日(月)11時27分21秒
 宝くじとかギャンブルの当たり外れは、運ではなく単なる「確率」です。これで運の有る・無しを判断するのは間違いです。人々は「運命」というと大部分の人が「不運」を指しますが、あすなろ流では、幸運も不運もイコールです。人は不運だけはよく覚えているものです。(つづく)

------------------------------------------------------------------------------- 運命論 3 投稿者:あすなろ  投稿日: 3月21日(水)10時51分52秒
 宝くじなどは「運」と言われ、「運命」とはなかなか言いません。これは「ツキ」の部類に属するもので、あすなろ流で言う「運命」とは少し違います。あくまで「確率」的に当たった・外れたということで、「運命」とは別物と考えたいのです。では「運命」とは何か、私は字の如く、「命」に関わる事だと考えます。好きな人と出会うことは、新しい命を予見させ、事故・病気は命の消滅を指します。それがいつ起こるのか分からないものだから「運命」なのです。宝くじも当てるだけなら簡単です。全部買えばいいのです。これは「運命」とは言いたくありません。初めに幸運・不運を言いましたが、本当は「運命」に幸・不幸など無いのかもしれません。あとづけでそう言っているだけのことかも知れません。全ての生物は、生と死が既に決まっていてその時代・環境に適合した遺伝子のみが次に引き継がれ続いていくのでしょう。我々の存在自体が、何十万年の時を繋いで残ってきた証しです。明日がわからない以上、今日を精一杯生きるしかないのだと思います。

-------------------------------------------------------------------------------- ロスタイム 投稿者:あすなろ  投稿日: 3月21日(水)11時19分01秒
 あすなろ流理論(理屈?)も予定通り終了しました。勝手な理屈ばかり述べてごめんなさい。皆さんのやさしさと一縷の寂しさに包まれて、あすなろは幸福でした。何より、この部屋にめぐり合えたことは、最大の「幸運」でした。私は入院患者です。2月の初めに病名を宣告されて友人の事務所の近くの病院に入院したのです。入院当初の悲嘆は、TVドラマによくあるパターンでした。友人の事務所でこの部屋にたどり着きました。友人の好意で好きなようにパソコンを使わせてもらい、皆さんと会えました。毎日、夜が怖いです。もうこれで明日が訪れないかもしれないと考えると、涙が止まらず、眠ることが、怖いのです。でも、明日は皆に会えると思えるようになり少しは気が紛れるようになりました。皆さんありがとうございました。あすなろは、皆さんのおかげで、あすなろとしてこの部屋をあとにできます。そろそろ死神審判がロスタイムの残りを気にして、腕時計を見ています。あしたは檜になりたい、あすなろう。