ケータイに関しては、電磁波や交通マナーの問題・通話時間や料金の問題が多く語られてきましたが、いわばモバイルインターネットパソコンとして性犯罪や差別表現へ子どもたちが容易にアクセスできてしまう危険性と、そうした側面を認識せずに「単なる便利な電話」として買い与えたままの親の意識のズレ、心理的依存やリテラシーなどの問題も含めた学校教育の対応の遅れなども指摘されるべき状況です。
さらに私は、都合のよい相手を効率的に選択するシステムが、反差別の仲間づくりという、じっくりと向き合う姿勢を忌避する態度を増幅させる効果をもっているなら、人権教育のあり方にも関わってくる問題だと危惧しています。
ことケータイに関して生徒と話をすると、通話機以上にメール機として重用している子どもたちの不安や揺れる気持ちが様々に伝わってきますが。我々教員は、そして親は、子どもたちを前にしながら、こうした側面を素通りさせてしまっているのではないでしょうか。
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