Essay#1

街に住まう
第1回 〜本物生み出す「心の風景」の力〜





  年前、イタリアの各都市を旅し、中部の山岳都市アッシジを訪れたときのことである。

 初めての街であるにもかかわらず、妙な親近感と懐かしさを覚えたことがあった。それは小

 高い山が一つの街として形成された中世ヨーロッパの典型的な城郭都市であった。山の麓か

 ら中腹にかけて街を取り囲むように城郭が巡らされ、その山の緩やかなツヅラ折れの道に沿

 って街並みが形成された美しい街である。麓ののどかな田園風景を抜けて、少し山を登りか

 けたところにその街のゲート(城門)があった。そのゲートをくぐって街に足を踏み入れた

 途端、そのなつかしい感覚が私の五感を走ったのである。1泊して、夜となく昼となく、そ

 の街を歩き回る中で、その感覚は深まる一方であった。


 

  このときの旅では、ほかにも著名ないくつかの都市を巡り、それぞれに期待以上の感動を

 覚えて帰国したのであるが、この街だけは、特別の想いをもって体感を伴った記憶がよみが

 えってくる。この感覚は一体何なのか・・・・・・。気がかりのまま、日々のあわただしい

 設計活動に追われ、そのことを忘れかけていたころ、仕事で神戸の山手を歩き回る機会があ

 った。そしてその時、この気がかりな感覚の謎が解けたのである。


  神戸は私の生まれた街である。御影で生まれ、多感な中学・高校時代を六甲山の麓で過ご

 した。毎日のように“六甲のお山”を眺めながら、山の中腹にある学校へ文字通り“登校”

 する。下校時は、眼下の街並みを見おろし、大阪湾から和歌山辺りまでの遠景を眺める毎日。

 また、山沿いの建物間を縫うように続く細い路地道、突然現れる階段道・・・・・・。坂の

 ある街がもつ独特の場所やいくつもの風景が、私の中に身体感覚を伴って記憶されていたの

 だ。久しぶりに訪れたこの街を友人と歩きながら、私を包み込んでくれる街の気配を感じた

 時、ふと、あのイタリアの山岳都市の記憶がよみがえった。懐かしいその感覚は、今歩いて

 いる街の風景に違和感なく重なったのである。


  人は誰でも心の風景をもっている。また、みんなで共有できる風景もあるのだ。住まいや

 街づくりを考えるとき、これらの風景にも想いをはせる感性と心のゆとりが、本物の生きた

 住まい、美しい街並みを生み出す力となるのである。





 *(初出:1996年6月6日 毎日新聞  掲載分より 筆者抜粋)


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