江戸後期の建物で間口8間半(17m)、奥行き7間(14m)、延面積268.7uの広大な屋敷である。 通りに面した入口から入ると土間の左右に「こみせ」があり、その奥に「くど」(釜戸)のある土間が続き、広い板敷きの台所がある。 台所の奥に潜戸の付いた跳ね上げ扉がありそのむこうが中庭となっていて納屋、手水(トイレ)、井戸などがあって生活感をただよせている。
明治中期に県会議員であった当主・平五郎は和歌に熱心で、美作地方の歌壇の発展に尽くした。その活動の場となった茶室で「千草舎」(ちぐさのや) と呼ばれていた庵である。
中庭から狭い通路を潜り抜けると二棟の土蔵がある。東側の土蔵(東蔵)は大正期に建てられたもので展示室になっており、西側の土蔵 (西蔵)は昭和初期のものである。 西蔵の前に「「千草舎」があり、その南が巨大な庭石と泉水が配置された庭となっていてる。