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「鶴山城」とは、岡山県津山市にある「津山城」の別名である。
慶長8年(1603年)に美作の国守として入国した森忠政によって築城された平山城である。
忠政は、本能寺にて織田信長とともに戦い最後を遂げた森欄丸の弟であり、6人兄弟の末弟であったが森家を継ぎ徳川秀忠から18万6千5百石を与えられて美作国に入り守護所「院庄」に駐屯した。翌年から
築城にとりかかり12年間をかけて完成させたのが「鶴山城」である。
築城にあったっては数ヶ所の候補地があったが、要塞として最も適合した山岳である「鶴山」が選ばれたことに、今でも
土地の人々がこの城を「鶴山城」と呼び伝えていることへの由来がある。
森氏は元禄10年(1697年)まで続いたがその後、松平家に受け継がれた城は、明治6年までその偉容を誇ったが
陸軍省の管轄下で廃城となり建物は全て取り壊された。
昭和に入って天主閣のみ復元されたが太平洋戦争のおり空爆の標的になるとの理由で再び解体された。
現在は城跡「鶴山公園」として国の史跡指定を受け三ノ丸、二ノ丸、本丸からなる見事な石垣が保存され当時の偉容
を偲ばせている。
また、城跡全域に5000本にも及ぶ桜の木があり県北一の桜の名所となっている。
「鶴山城」にはJR津山駅より歩いて約15分で行ける。かって津山駅には機関庫があり県北の鉄道起点であったが、
地方鉄道が衰退した今では当時の賑わいはすっかり姿を消してしまった。駅前の通りもひっそりとして人の姿もまばらで
人口10万都市の玄関口としては少々淋しい。駅前には
幕末から維新にかけて活躍した儒学者「蓑作阮甫」の像が建っている。
通りを抜けて吉井川を渡り商店街を進むとなだらかな坂道の中程を右手に曲がると「鶴山公園」に入る。
右へと道を辿ると公園の入場口に着き、この場所が大手口で冠木門のあったところである。
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