木村進 | 間寛平 | 船場太郎 |
* | * | * |
室谷信雄 | 池乃めだか | * |
* | * | 由利謙 |
浜裕二 | 泉ひろし | 中山三吉 |
* | 島田一の介 | 井上竜夫 |
菊池大助 | やなぎ浩二 | * |
山中正 | * | 木村明 |
梶原一弘 | 高石太 | 前田国男 |
畑憲一 | 姉川巌 | 大橋一博 |
島木譲二 | うのりういち | 赤川喜久夫 |
(森公平) | 武内正和 | 佐藤武司 |
柳井幸多朗 | 蔵元弘美 | 帯谷孝史 |
* | (真壁一夫) | * |
園みち子 | 中川一美 | 浅香秋恵 |
中嶋恵美子 | * | 高橋和子 |
中尾愛子 | 高勢ぎん子 | 花瀬智子 |
* | 竹田京子 | 南喜代子 |
末成由美 | 大井文子 | * |
* | 藤里美 | |
(山田スミ子) | 楠本見江子 | (中山美保) |
専科 花紀京 原哲男 岡八郎 桑原和男 平参平 (山田スミ子)(中山美保)
ここに至る途中(51年〜55年)の詳しい編成は、一部は吉本新喜劇名場面集などで
見ることが出来るのですが、特番編成の写真が多く、また3つとも網羅していないので
割愛してますが、それらと照らし合わせながらこれを見て思うのが
男性の副座長級の次にある「*」とその次の「*」に囲まれた層が
各組1〜3人形成されていますが、これが後々、更にふくれあがっていきます。
ここが、初期のスター不在で、売れたら卒業で、去る者は追わずの時代なら
考えられないことで、継続所属が当たり前の時期に入っている感がある。(やめるのも恐いかも・・・)
が、たとえば、一時期休演して、てなもんやなどに出演してスターになって戻ってきて
豪華メンバーを形成するといったことも、機能しなくなり
よどみを感じてしまうのです。
室谷信雄の座長昇格までこの体制は続く。
◎57.1〜57.10
室谷信雄が座長昇格する。
新チームの布陣は(きたしら氏の資料による)
室谷信雄/島田一の介・井上竜夫・高石太/菊地大助・山中正・島木譲二・前田国男・赤川喜久夫・武内正和/浅香秋恵・中嶋恵美子・高勢ぎん子/楠本見江子
他に
間寛平/池乃めだか/藤里美
木村進/末成由美
専科 花紀京 原哲男 岡八郎 桑原和男 平参平 船場太郎 山田スミ子 中山美保
◎57.11〜58.3
ここで、理由は読みづらいが、3チームをスクランブルした。
木村進 | 間寛平 | 室谷信雄 |
* | * | * |
島田一の介 | 高石太 | やなぎ浩二 |
池乃めだか | 中山三吉 | 浜裕二 |
由利謙 | 井上竜夫 | 泉ひろし |
* | * | * |
菊池大助 | 柳井幸多朗 | 木村明 |
前田国男 | 赤川喜久夫 | 姉川巌 |
島木譲二 | 蔵元弘美 | 畑憲一 |
武内正和 | 大塚淑夫 | 潮恵司 |
森公平 | 大橋一博 | 梶原一弘 |
うのりういち | 山中正 | 帯谷孝史 |
佐藤武司 | * | * |
中川一美 | 竹田京子 | 南喜代子 |
* | * | 園みち子 |
高勢ぎん子 | 末成由美 | * |
高橋和子 | 藤里美 | |
浅香秋恵 | ||
* | ||
楠本見江子 |
専科 花紀京 原哲男 岡八郎 桑原和男 平参平 船場太郎 山田スミ子 中山美保
(他に、中尾愛子などが随時参加、すでに均等ではなくなり毎回少しいじったようだ。)
チーム間の色の差がますます薄らいできた。
かろうじて、表に出来る、最後のものだと思う。
会社側も3チーム制の効用をついに忘れてしまったかこの体制終了後事件が起こる。
◎58.4〜59.12
この組分けはショッキングだ。
完全3チーム制は終了した。
座長格は木村進、間寛平、室谷信雄。
チーム制は副座長級以下で存続。(資料なく、印象も薄いので表にできない。)
専科の人数が多くなりすぎ、しかもうめだ・ナンバ両花月と京都花月を差別化して
大阪豪華・京都貧弱路線を引き始めたので、3チーム間の競争原理は働かなくなり
笑いを競うより人情劇に走る傾向が顕著になり始めた。
そうなってくると、きちんと再び競争させるような形にすれば良かったのだが
会社側も3チーム制の効用など忘れていた。
◎60.1以降
室谷信雄が声が出なくなり挫折。
それに伴いさらにチーム制が曖昧になり
新喜劇を休んで、代わりに特別企画として
若手漫才コメディを上演することすらあるようになった。
62年の京都閉館はさらに苦しみを生んだ。
木村進改め3代目博多淡海のチームと、それ以外の人々の2チームになり
あぶれる団員も出てきた。
劇の性質も違うので競争も真剣味を欠く。
さらに芸人と客が高齢化しテンポを失った。
チーム制を廃止し、プロデューサー指名制に変わったため
だんだん悪い意味でまじめな劇に変質していった。
もちろんそれ故に人気はがた落ちになった。
全員出演制で、指名されない者は干される形となり
役者の意志で競う余地はなくなった。
平成元年頃全員解雇。
『吉本新喜劇やめよッカナ!キャンペーン』をへて
新生吉本新喜劇を、旧メンバー十数名と、2丁目の若手漫才師多数と新人若干名で結成
その後助っ人だった漫才勢が抜けて、現在に至る。