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時々思いついたことを書きます。楽しんで読んで下さいますと嬉しいです。 |
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8月 9日(日)2020
今日は、長崎に、広島に続いて世界で二番目の原子爆弾が投下された日です!! 75年目です。 私は、アメリカを決して許しません!! この同じことを、毎年のように書いているのですが、100年経とうが、1,000年経とうが、 私は、決して、アメリカという国を決して許しません (勿論、私は存命していませんが、決して許されないのは永遠に!です。 8月6日広島原爆投下で、殆どの若い命が失われた広島1中1年生のご親族の手記「星は見ている」この気持ちは永遠です。)。大勢の人々が 懸命に暮らす都市の真ん中に、想像を絶する殺傷能力のある原子爆弾をその殺傷能力を試すために投下した。決して、 断じて許せることではありません!! 私は、全く、観光以外には、アメリカへ行く必要がありませんので、生涯にわたり、アメリカには、決して、行きません。 原爆投下後の実情の様子が十二分に予想されたにもかかわらず、原爆投下を命令した当時のアメリカ大統領トルーマンは、特別に、決して許しません!! 死刑に処せられて当然と、神の断罪が下って当然と、私は考えています。とんでもない兵器を開発した学者たちも全員、決して許されませんし、許しません。 私は、笑顔でアメリカを語ることは一生しません。私のまことに細やかな信念です。あの世界中が巻き込まれ、いつ終わるとも知れないほどの戦争で、破壊しつくされた第二次世界大戦での太平洋戦争の現状を何とか終結させたいとの思いから命令されて、やむを得なかったでしょう?と 言われてはいますが、実際に、飛行機に乗務して投下の引き金を引いた方々も決して許しません!! (むしろ、ドキュメンタリーなどでは、投下後の成果に満足した様子があり? 眼下で、一瞬にして何十万人もの人々が殺傷されている状況に、正に、悪魔の心境でしょう!) 戦後になっても、後悔や反省、謝罪の言葉など無い様子です。私が、アメリカに出かけないように心がけたところで、何の意味もないのですが、これは、私の本当に細やかな信念です。戦後、原爆による後遺症などの治療を受けるため、また戦争花嫁となってアメリカヘ渡った方、その他多くの日本人がアメリカに出かけ、留学や研究のためにも今に至るまで、能力のある方々が数限りなくアメリカヘ出かけています。やはり、なんといっても、世界をリードする大国ですから、どんどん吸収し、アメリカで多くの職業や地位を得て、しっかり、日本人としてご活躍していただけると、どんなに嬉しいかと期待しています。ただ、単なる物見遊山で出かけ、「楽しかった!!」と話す方も多く、私は、単なる物見遊山で出かけることは絶対に絶対にしません。出来ません! 今までもこれからもアメリカには決して行きません。アメリカは歴史の浅い国ですから、ジャズなどのアメリカ音楽を学び、演奏しようという方々には大変有用でしょうが、私の演奏していたヨーロッパ、特に、ドイツ、オーストリア、時に、イタリア、フランスの音楽にような歴史の長い西洋の音楽を学びたい者には、アメリカは全く興味がありません。勿論、アメリカには研究者などもいて、 素晴らしい研究書を出版されていたりで、文献として読むことは当然ありますが。ただ、すべてを語るのは、楽譜そのものですから。私は、研究者ではなく、合唱曲の演奏家ですから、特に,バッハやモーツァルトの諸作品を演奏するには出来るだけ原典版で演奏することにしていました。バッハやモーツァルトに焦点を当てて演奏し、演奏旅行も、そのゆかりあるほぼすべての教会に限って演奏させていただきました。そして、バッハが活躍していたザクセン地方の特にゆかりある教会で、私達も演奏をさせていただいたライプツィヒやドレスデン、ベルリンなどに展示されていた戦争被害写真を見ると本当に、日本の実情と同様に、戦争のむごたらしさ、虚しさに、言葉で言い得ないほどの人類の愚かさを考えさせられます。でも、今に至るまで、戦争は、果てしなく世界中で繰り返されているのですね・・ 振り返って、改めて、毎年、何度も繰り返される自然災害の残酷な被害に、何とも残念な思いですが、戦後、75年経って、日本は、どことも戦争していないことに心が少し休まります。ただ、本当にしていないかというと、そうではないようです? 自衛隊の海外への派遣などもありますので・・ 定かでなく、危惧しますが、派遣された自衛隊員が戦闘に巻き込まれたなどなどあったのでしょうか? ただ、様々な地域へ派遣されている研究者や救助隊員、国際組織の派遣活動家、様々な会社員など民間人の多くの方々も、テロや戦闘に巻き込まれることが時々あり、大変大変残念に思い、悔しく嘆かれます。中でも、アフガニスタンで、言葉で表現出来ないほど素晴らし い人道的な活動家、お医者様の中村 哲先生のような方が、無知非道な輩に殺傷されるなんてことがあっていいものかと、今もって憤りが沸いてきます。考えるに、地球上ではすべての所で、古今から永遠に、争いが続き、絶える事が無いということです。そうすると、現在、私達の住む日本の平和に、改めて 、心から深く感謝です。ただ、1年中度々、日本のどこかでは、地震や台風、水害など何らかの自然災害が起こり、これも人災かと思いますが、振り返って、私の現状は大変平和でいられることに、改めて、心から感謝し、ず〜っと続きますよう願い、祈っています。どなた様にとっても、人災、自然災害などありませんように、心から祈っています。世界中にパンデミックで蔓延中の新型コロナウィルスの少しでも早い終息を、心から神に祈る日々です。
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8月 6日(木)2020
今日は、広島に、世界で初めて原子爆弾が投下された日です!! 75年目です。 長い今年の梅雨も遅がけながら、漸く明けた様子となる間もなく、新型コロナインフルエンザの蔓延のため、旅行はおろか、外出もままならない鬱陶しい猛暑の夏が続きます。世界的に、ますます猛威を振るい続けている様子で、日本でも、東京、大阪など主要都市を初め、少なかった沖縄でも米軍キャンプを初め、蔓延しつつの様子です。合唱団「コール・まどか」は、6月10日(水)から合唱練習を再開 し、5回ほど練習しました。が、またまた、7月22日(水)から少なくとも月末まで2回、更に、8月前半2回を休団にしたいとの団員達の希望となりました。団員の一人が、このところの東京都の新型コロナ罹患者数の 急速な増加ぶりに、ご家族から「電車に乗って合唱などへ出かけるなら、親子の縁を切りたい」とまで、言われ たとか? 都心に出かけるのではなく、ローカルな電車に、せいぜい20分も乗るかどうか? しかも、週1回水曜日ラッシュ後の午前中の練習ながら、やむなく、休みますとのことで、私も このところの新型コロナの罹患者増を心配していましたから、急遽、月末まで 、さらに団員たちの希望で、8月前半を休団することにしました。ただ、この様子では、一体いつまで休むのかしら?と思案します。本当にこのところの東京都の増加ぶりには大変心配です。さらに、35人くらいで一時増加がストップしたか?に見えた調布市の罹患者数も 、このところ、毎日のように増え、総数60人越えとか? とうとう100人に近づいています??? 東京都全体でも、とうとう 7月25日(土)には、1日の罹患者数が295人までになって、5日連続で、200人越えになってしまっています。そして、月末29日には、とうとう4 00人越え??? どうして、そんなに強力なウィルスが生まれ、計り知れない強力な伝播力で世界中を席巻しているのか?? 世界中の研究者が ワクチンの開発に懸命に取り組んで下さっており、医療関係者が必死で治療に対応して下さっているのに、人類は翻弄され、すっかり負け戦の様子で、本当に残念で残念でなりません。どうすれば良いのか全く分かりませんが、せいぜい、自分でやれることは、 外出時にはマスク着用を忘れずに、やむを得ない時以外は、都心の方には出向かない! 買い物にも頻繁には出かけない! 帰宅後は、しっかり手首なども指・手を良く洗う、うがいもしっかり! ことぐらいでしょうか? 自宅に籠って何をする?? 多少の体操のようなこと? 読書? 新聞、PC、ついTVに目が 行って、運動不足になります。本当に困り果てているのですが、世の中の皆様は如何なのでしょう? ただ、私のようなおばあさんは、日頃からそれほど外出もせず、まあ、 これは普段通りの生活ではあるのですが・・ ただ、学校、幼稚園なども休みが続き、育ち盛りの子供達など、夏休みになっても、どこへも遊びに連れて行ってもらえず、お友達と自由に遊べず、ついついスマホなどで遊んでいるようでは、体の成長にも体調にも精神的にも、大変悪い影響があると思います。何とも残念で可哀そうです。ただ、私が、このところ、残念なのは、全くコンサートなど無くなってしまったことです。私は、チケットを購入して聴く 側ですからまだ良いのですが、フリーの若い演奏家たちは、演奏会が全く行えないと収入の道が閉ざされ、生活に困窮します。個人の演奏家も、オーケストラのメンバーや組織を経営している団体なども。音楽に限らず、演劇など様々な舞台芸術はすべて困窮を極めています。ほか、スポーツなども観客の入場料で成り立っているものは、すべて、めちゃくちゃな有様です。 のんびりしているようにも思える美術館や博物館等々、入場料収入で経営を維持しているところ、楽器や楽譜を売る店舗など、あらゆる職種に多大な損害が出てくるはずです。さらにさらに、すべての飲食店、旅館などなど、観光業や新幹線ならず とも観光バスなど交通機関などは、まったく予想が付かず、失業者も多く出るのではと強く危惧しています。それぞれの生活の保障が大変心配されます。仕方なく、[go toキャンペーン]とかで、補助して、少しでも地方に出かけてもらえるよう対策していますが、どんどん罹患者が増加するのでは?と心配します。この新型ウイルスの伝播力の計り知れない強力さに、人間は 為すすべがない様子です。ただ、世界中の(日本でも)研究機関で、ワクチンの開発に、必死で取り組んでいる様子ですが、完成までには、まだまだ日数がかかりそうで、年内は無理でしょう? たとえ、ワクチンが首尾よく作られたとして、生産能力が十分で、万人に間に合い、さらに、どんな体質の人にも接種出来るのか? 私は大変疑問に思っています。私は、100人中2%?ほどといわれる卵アレルギー体質です。 様々のワクチンは、基本、卵白で、培養されるそうですが、卵アレルギー体質の人でも、安全に摂取できるのでしょうか? 今までのインフルエンザのワクチンも卵白で培養されているそうで、何回か病院などで安全性を確認しましたが、確かな返答がなく、どこへ聴くのが良いのか分かりかねて、私は、インフルエンザの予防注射は、一度も受けたことがありません。安全性を質問しても、頭を傾げて、「え! 卵アレルギーなどあるの?? だったら、やめといたら!」 ? せいぜいこのような反応、返答になって、今まで、一度も接種したことがありません。ただ、左上腕に種痘の跡がありますので、種痘は子供のころに受けて無事だったようです。それ以外に、80歳を越えて数年の今まで、何かのワクチンなど全く受けずに、幸い、大した病気もせず、血圧も 今だ降圧剤を飲まずに済み、まずまず健康で、元気に生きさせていただいてます。私は神に心から感謝と思っています。ただ、些か、悩ましいのは、外食が思うに任せないことです。大変多くの食品には、安価な卵が使われていて、食するには躊躇することが、大変多いことです。 ただ、この頃、大変幸いなことには、かなり多くの食事処では、メニュー に含有アレルギー物質が書き添えてあったり、一覧表なども備えられていて、尋ねると、さっと持って来てくれます。アレルギーといっても、それぞれ様々ですから、大変嬉しいです。 もう可なり以前になりますが、調布市の小学校の給食で、確か、牛乳が使われている?チジミ?という韓国料理を少しお友達から分けてもらって、うっかり食べてしまった少女が 亡くなるという、大変残念で悲しいことがあり、その責任のあり所と対処のしかたの是非が、TVや新聞で頻繁に取り上げられるなど、日本中でも大きく問題になって以来、食物アレルギーに理解が行き届くようになって 来ている様子です。ただ、卵や乳などのアレルギー物質が使われているかいないかはまずまず分かるのですが、じゃあ、含まれてない料理が増えているかというと全く変わらないのが現状です。 なんといっても、卵や乳製品は安価で、それらを使って調理した食品はいずれも美味しく、大変利用されやすい食品ですから、殆どの食品に普通に使われています。レストランなどで外食する時には、卵を使用されていない限られた メニューから 大丈夫そうなものを選ぶので(私は、乳製品は大丈夫です)、どこでも、大抵同じ様な料理を注文することになります。それでも、卵、乳、小麦、さばなど最少のアレルギー物質がメニューに書き添えてある店は本当に有難いです。 また、お弁当・おにぎり・お惣菜・パン・お菓子などに限らず、売られているすべての食品のパッケージに、その食品に使われている材料が添加物に至るまで細かく記入されているのは大変嬉しく、よく確認して購入するようにしています。ただ、アレルギー体質は年齢によって変化すると私は経験から思っています。 生涯で最も体力があったと実感できる20歳過ぎくらいから50歳くらいまでは、少々の事ではアレルギー反応は出ないようで、私も20歳代には親子どんぶりなどを食べても、大量でなく、 また、何度も続けてでなく、たまたま1度くらいなら大丈夫だったようです。もともと、20歳過ぎ の頃からなら、卵を使っていても高温で焼かれて作られたクッキーなどは大丈夫でした。少し湿っぽいカステラやケーキなども、少しなら大丈夫でした。ただ、残念ながら、50歳過ぎて、体力が下り坂になって来たらしい頃から、クッキー1枚でも 体調や気分が些か不安になる事が増えてきて、以来、一切、食べないことにしています。さらに、年齢と共に、 大丈夫だったはずの食品でアレルギー反応が出るようになり、食べられなくなる食品がどんどん増えてきて、大変残念に思っています。まず、海産物(えび、かに、うに、いくら・・)、果物( メロン、桃、柿、サクランボ、ブドウ、びわ・・)。かくて、 皆様が好む、どんなに美味しそうなものでも、私には怪しく思えるものには、絶対に近づかないようにしています。さらに、現在取り合えず大丈夫なものも、決して、 うっかり沢山食べないようにしています。うっかり少し沢山食べると、それまで大丈夫だった食品も、私の場合はアレルギー反応を起こすようになりかねないようです。 そうなると、年齢を追って食べられる食品が、些か数少なくなりつつの私には、寂しく残念になります。もっとも、基本的な主食の食材(米、小麦)は、大丈夫ですし、野菜類(人参・玉ねぎ・ジャガイモ・ほうれん草や小松菜、青ねぎ、にら、インゲン、キャベツ、大根、絹さや、枝豆、豆類ほぼすべて、エリンギ・しいたけ・えのきなどキノコ類、筍、トウガラシやピーマンの類、青じそ、みょうが 、トマト、果物はリンゴ、ミカン、バナナ、スイカ等々)、 そして、牛乳? これもアイスクリームなど時に楽しみですので、一度に沢山カップ1個すべてなど食べず少しずつ取り分けて何回かで頂くようにしています。さらに、海産物で、私にまず大丈夫なのが、海苔やわかめ、昆布などという食材もあります。 となると、よく言われる豪華な海の幸や季節を楽しむ果物は無理でも、なんと楽しい食材が沢山あることでしょう!! 一度、アレルギー反応が見られると、それ以後 は食べられなくなるので、オーバーフロー(over floor)にならない様、常に心がけています。時々、聞かれるニュースで、お米や小麦アレルギーのお子様がいるとか? お母様は本当に大変でしょうが、まずまず成長するに従って、大丈夫になっていくでしょう?と期待しますが、こればかりは、個人差があるので・・・ ただ、私のように、実は、 80才過ぎても元気で、全く心配なく育ちます? はずです? さらに、皆様のような、好きなようにご馳走を食べないからか? こんなに老齢になった現在も、血圧は、常に正常で、今も全く、降圧剤など服用の必要が無いという嬉しい体調です。速く走るのは もう無理ですが、歩くには何不自由なく早く歩けます。可なり長時間歩いても大丈夫です。勿論、階段などくたびれますが・・ 私の家族、家系もこのような体質は、どうやら私だけようです。このことは残念ですが、元気に歩き、動きまわれ、今なお降圧剤も飲まずに、血圧など低め で、至って正常を保っているのは、大変幸せと神に感謝です。すっかり長話になりましたが、今はとにかく、新型コロナインフルエンザの 罹患者が少しでも少なく抑えられ、少しでも早く終息に向かう事を心から願い、祈っています。 なんといっても、ワクチンの開発が急がれます。そして、私は、電車に乗っての外出を極力控えることでしょう? それにしても、時には電車に乗って、少し遠くへ行きたいなあ!!! 四国の祖谷渓など??? 信州の山並みも眺めたい?? 琵琶湖一周なんてことも?? 若狭湾めぐり? 昔子供のころに数年住んでいた舞鶴も懐かしい?? 真っ白に塗られたと聞く白鷺城や雲海に浮かぶ竹田城も?? 気楽にのんびり旅が出来るようになりますように!!!
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6月 24日(水)2020
漸く、先々週10日(水)から、合唱団「コール・まどか」合唱練習の再開です! ただ、まだまだ慎重な方もいて、もうしばらくは、参加見合わせたいとの団員もいます。4月
、5月の丸々2ヶ月間もの初めての長い休団でした。
世界中に蔓延してしまっている「新型コロナウィルスに拠るインフルエンザ」が、日本でも、特に、東京で増大しつつあり、練習会場の調布市文化会館が全館閉鎖になっていたため、
2ヶ月間、止む無く休団しました。この間、3月中は0人だった調布市の新型ウィルス罹患者数が35人までになり、5月25日、国が発動した「緊急事態制限」が解かれてからも、
2名の増加になっています。6月に入ってからは
37名のまま、現在のところ、増加していないので、多少 心が休まります。それにしても、その伝播力の強力さに、心から驚いています。
100年前の「スペイン風邪」をしのぐ程の伝播力で、亡くなられた方の多さやその重症度など、どうなのでしょうかと??
人類は、常に、あらゆる機会に危険にさらされていると思い知らされます。世界中の素晴らしい学者やお医者様達によって様々な研究がなされ、医学が計り知れないほど進歩している
現代のはずですが、広い広い宇宙に浮かぶ無数の星の一つとして、40億年前ほどに誕生したと想像される地球というなんとも魔訶不思議な
水の溢れる衛星に、永遠に理解不可能なありとあらゆる生物が存在し、果てしなく人間は脅かされ、おびえ続けています。
ではあるのですが、やはり、地球上のあらゆる所に侵入し、勝手放題にのさばり続けている人間ほど獰猛な動物もいないということです。
人間は、日頃、大変[ノー天気]に、大変のんびり過ごしていますが、ひとたび、極端な悪性ウィルスなどの出現に出会うと、人間の儚さ、もろさが露呈して、慌てふためく事態になります。
日本国政府が、この緊急事態に多くの今日明日の生活に切羽詰まっている多くの方々を助けるため、多少の足しにと、
全国民一人当たり10万円の給付が決められました。我が家にも「特別定額給付金」の申請の書類が届きました。
9月7日が申請期限です。忘れれずに、申請しようと考えています。年寄り夫婦の我が家には、給付金は全く無用です。
ただ、考えまして、折角の機会、どなたかに差し上げる良いチャンスと考えています。この新型コロナウィルスが蔓延する緊急事態の中、
様々な仕事が休業に追い込まれ、生活に瀕している音楽家の方々が多いはずです。ただ、私から多少援助しようかと考えましても、
ただ差し上げたのでは施しを受けるように感じられ、プライドを傷つけかねませんが、どなたも知る国からの給付金ということで、
養育費など有効に使っていただくようお願いすれば、気持ちよく受け取って
頂けて、私も嬉しく、有効な方法かと考えています。
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5月 30日(土)2020
新型コロナウィルスの蔓延のため、外出もままならず、読書もそうそう続けられず、
家にこもり続けも出来難く、 たまに、友人や知人たち、合唱団の仲間との電話でささやかに気持ちを晴らしているこの2ヶ月余りの日々の様子です。
食糧の買い出しには、数日毎に出かけていますのが、私のこの頃です。漸く、東京都の罹患者数が5月連休後半より、100人を下回り続けて
、このところほぼ10人未満の一桁になり、多少の増減ながら、一桁が続いていて祈る思いで
したが、大変しつっこく、再び、22人とか? 調布市でも、日により、1名ずつ位増えている様子??
罹患なさった方々は、本当にお気の毒ですし、大変残念でしょうが、一日も早いご回復を祈り、私も絶対に罹患しないよう、細心の注意を続けたいと願っています。
毎日のニュースで罹患者数や死者数が少ないと、やはり心が休まり、
とても嬉しい思いです。
何とか、「0」人になりますよう、祈り願っています。
今週月曜日5月25日に、日本政府の緊急事態宣言の解除が報道され、なんとなくほっとするような、
まだ、連日数人でも亡くなる方がいて、東京などでも死者数が0になったわけではなく、
うっかり油断して再びぶり返してきては、この数ヶ月、渾身の思いで、必死で対応して来て下さった医療関係初め、多くの方々に申し訳なく、ささやかに、
私達はせめて自重していく義務があると心しなければと考えます。この数ヶ月毎日、世界の罹患者数をテレビや新聞が報道し続けていて、その
病原ウィルスの強力な伝播力とそのしつっこさに、脅威を感じつつも、長くは家に籠り切れず、たまには、バスに乗って、近場に散歩がてらの外食です。
何とか在宅するようにとの指示が出ていますが、我が家の主は、とてもとても我慢が出来ません?? 幸い
?、多くの皆様が自重して下さっているお蔭で電車は大変空いている様子で、30分ほど、いつもよりほんの少し時間帯をずらして、気持ち少し遅くに職場へ。
一人職場ですので、到着
してしまえば広い部屋に一人で終日過ごし、夕方
いつもよりほんの少し早め?に帰宅するという日課です。お子様のいるご家庭では、家族みんなで在宅など絶対に無理でしょう?? 可哀そうです。
広大なお屋敷住まいなら、屋敷内や庭園の散歩と、例えば、皇居のような広い住まいなら出来ますでしょうが?
普通の庶民は絶対無理です。テレビでは、繰り返し在宅を続けるようにと伝えています。
どこのご家庭も極力我慢して在宅生活を自らに課しているでしょうが、2DKほどのマンションや普通にこじんまりした家、
または、1DK、ワンルームマンションなどでは、何日間もこもり続けるのは無理でしょうと、私には思えます。
かえって不健康で、体調を崩すでしょうと・・? まして、体を動かしたい子供達には、どうしてあげたら良いのでしょう? 大変な難題です???
ところで、世界中に「コロナウイルス」で大変な迷惑をかけ続けて?来ている中国が、
その「コロナウイルス」については、国内では何とか落ち着きをもたらされつつになっている様子?
(実態は、全く不明? 可なり減少しているのかも?? ただ、よく聞くように、第2波、第3波は、どうでしょう?)と思われるまもなく、
挑戦するかの様子に、日本近海、尖閣列島などに戦艦や巡洋艦などの船隊を組んで、何度も接近し、島の間を太平洋の方へ通り抜けて、うろうろしている様子??
ほかに、南の方では南沙諸島やスリランカなどへも航行している様子?? 多くの国々に中国の国力を見せつけ、威嚇する様子に思えます。
自国民にも、現政府の威力を認識させたいとの意思表示と解釈されている様子です。私は、全く個人的な考えながら、
今回の「新型コロナウィルス」の文字通り世界中への蔓延の発生源として、経済的に、またあらゆる社会活動の面から、世界中に計り知れない多大な迷惑をかけ
、計り知れない多くの人々の死亡が増え続けているのですから、先ず、世界中に、何をおいても平身低頭詫びるべきで、
絶対にそのようにする必要があると強く強く思っています。
そして、当分の間は、おとなしく自国に留まっているべきで、中国の無責任さもあって、困り果てさせられている世界中の計り知れない多くの国々に、
自国の力を誇示するようなことは決して許されることではないと考えます。
このように考える人は世界中に計り知れなく多いはずと、私は考えています。
世界中の国々で、考えられないほど数限りなく多い人々が亡くなり、生活の危機に直面し、
先行きの不安に苛まれている方々が想像をはるかに超えて多い現状を真剣に思いやり、その根源である中国が世界の歴史に永遠に記録される
計り知れない多大な責任、その無責任さを、私達は今後永遠に忘れないようにしっかり心し、認識するべきと、私は強く強く主張し続けたいと考えています。
私には、このような論調は新聞初め、TVの解説などでもあまり強く聞かれない様子なのが大変残念です。
さらに、先日のWHOの総会では、議長のエチオピア人テドロス事務局長のすぐ傍らに張り付くように中国代表が座り、
目下、絶対多数の人口を擁する中国は、エチオピアはじめアフリカに膨大な援助経費をつぎ込み、いろいろな方面に大人数の中国人を送り込み、
アフリカ諸国に着々と勢力の浸透を計っている様子とか・・? 貧しさにあえぐアフリカ諸国は、やむなく?、率先して?そのひも付きの援助を受け入れている様子??
それらは、自国を中国に売るに等しいのですが? さらに、ヨーロッパ諸国の零落ぶりは目に余るほどで、アメリカも勿論対抗して、対策をとっている様子ながら、
中国ほど熱心ではない?? 日本もすっかり国力を落としていて、自らの国力回復が先決の現状では、全く心もとない??
このような世界情勢の中、中国が着々とアフリカ諸国へ進出している様子です。
中国国内で、しっかり強権で反対派を抑え込んで、自らの勢力を誇示し続けている中国主席習近平は、その信念の一帯一路の世界制覇を目論んでいる様子です。
先ず、アメリカは些か無関心?で、ヨーロッパ諸国の勢力が信じられないほど弱体化している今日、手薄で、貧しさにあえぐ、アフリカ諸国へ、
有り余る人口の中国人の多くを送り込んで、多額の資金援助と共に、様々な援助をしつつ、しっかり様々な見返りを契約し、勢力の根を張り巡らしつつが現状の様子です。
まあ、アフリカ諸国を中国の植民地化する目論見でしょう? 日本は、ただ、手をこまねいて、見ているしかないような情けない現状の様子です??
地球の反対側? 遠い国?とのんびりしているわけには行かないはずですが・・?
日本には、残念ながら、対抗出来るほどの国力もなく、国民の意識の零落ぶりも目に余り、ただ眺めている状態???
その陰で、医療サポートなど、単身でも親身になって活躍している、素晴らしい日本人の方々もいて下さる様子なのですが・・?
日本もそれなりにサポートしつつ、
経済力でのさばるのでなく、医療面・精神面など本当に親身になって、世話をし続けている日本人の方々がいる様子ですから、
それらの方々の活動がもっと知らされ、中国の宣伝に埋没されないようにと心から願っています。
この強権を振りかざす様子にのさばり続ける中国の覇権はいつまで続くのでしょうか???
香港はもちろん、台湾も飲み込もうと目論んでいるこの中国の強権勢力はいつまで続くのでしょうか?
ただ、中国に対する、かっての思いあがった日本国の暴虐無人な大変申し訳ない振る舞いは、十二分に、日本人は、記憶を新たにするべきと、私は思っています。
決して忘れてはならないことです。1945年第2次世界大戦終結直後の中国総督(台湾総督)蒋介石氏が、
毛沢東率いる中国共産党が勢力を伸ばしてきた強大な台頭により「本国を追われ、台湾に退かざるを得ず」の当時の窮状もあったとはいえ、
「(日本国の)暴に報いるに、徳をもってなす」と言って、疲弊しきっている日本に戦後賠償を全く求めなかったことを深く感謝する気持ちを
決して忘れてはならない義務と感謝が日本人にはあります。今もって、台湾総督蔡英文氏初め、台湾の人々の穏やかな品格に感謝しつつ尊敬の気持ちを持ち続けています。
(また、絶対に忘れてはならないことです。)
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5月 6日(水)2020 ゴールデンウイークももう終わりです。「楽しくのんびり終わり」のはずです。さあ! 風薫る5月!木々の緑も爽やかで、何か心もウキウキする陽気です。 ・・・・・?のはずです! 残念! 今年はそれどころではありません。 昭和、平成、今は令和と長く長く生きてきたおばあさんにとっても、経験のない、寂しい新緑の季節です? 世界中に、時には1国で数十万人、世界中では数百万人を超える犠牲者を出しつつ、正に、パンデミックに蔓延する「新型コロナウィルス」で、外出どころではありません! 桜のお花見もままならず、散歩も人との接触を憚って、人出のまばらなところを、様子を見ながらが現状です。 やむなく電車で出かけるのも、空いてる時間帯にとか思案します。もうこのひと月以上電車に乗らず、新宿にも出かけていません。 演奏会は、全国すべて中止です(チケットの払い戻し通知を受けても、気の毒で返金を請求できません)。日本中(いえ! 世界中???)、全ての演奏会が中止で、 完全に収入の道が閉ざされ、大変大変多くの演奏家たちの生活が窮地に陥っています。 私の知人たちはどうなさっているかと案じます。幼い3人もの子育て中の方もいて、コロナ感染の危惧と生活困窮の二重苦です。 様々なクラシック音楽の分野、すべての 音楽家達、演劇や落語・漫才などすべての芸能人達は決まった組織にきちんと所属しているような、していないようなフリーの状態で働いている方々が大変多く、 演奏会や興行で収入を得ている方々は中止の連続で、収入が全く 無くなっています。このような方たちにこそ、早めにささやかでも救済の手だてがなされるよう、心から強く願っています。 ほかに、多くの様々な商売の方々も勿論です。毎日、心が滅入る 人間社会の混乱をよそに、我が家のそばの大通りの両側では、しばらく前から街路樹の「ハナミズキ」がピンクや白と花盛りで、そろそろ終わりになりつつです。 その根元で、満開を迎える「オオムラサキ」、「コロナウイルス」など何のその、これでもかと、ぎっしり所狭しと群れ咲いています。また、ちょうど今、 あちこちのお宅の 庭でも、私の愛する「モッコウバラ」がいつもと変わらず可愛い黄色や白い花を咲かせてくれていて、そろそろ終わりつつです。 この「モッコウバラ」、我が家のは白花なのですが、実は、どうもどちらかというと「白花」は珍しい様子です。大抵は、黄色の花の様子です。 他に庭では、「日光キスゲ」「あじさい」「ばら」が、茎や枝をしっかり伸ばし、葉が茂ってきています。 すでに、枝先の葉の真ん中に花のつぼみが顔をのぞかせています。もう少しで花の季節を迎えます。 その傍らでは、プランター一杯に「水引草」が今年も所狭しと生えてきています。 秋には、ゴマ粒のような赤い花を一杯つけてくれるはずです。なぜか?私の大好きな花です。 その横で、今年も「オオムラサキ」が、今を盛りと咲いてくれています。 大通りの植栽での群れ咲く「オオムラサキ」ほど、密集して咲く状態ではなく、今年も例年通り、17,8個、華やかな濃いピンクの大輪を咲かせてくれています。 大きな株なのに、街路の植え込みのように密集して咲くには程遠く、花の数が毎年少ないので、なぜかな?と思っていましたが、漸く、合点がいきました。 すぐ傍に、もう40年ほど前でしょうか? 隣の畑の持ち主の農家さんから買受け、我が家の敷地が倍近くに広がりました。 庭もそこそこに広くなり、大好きな美味しい柿も採れると嬉しいなあ!と、 幹回り2pほど、高さ2m足らず?ほどの苗木を調布駅前広場での植木市で購入して植えました 。当時は、駅前広場で、季節毎だったでしょうか?年に何回か植木市や花の市が開かれていました。 私の知識は皆無ながら素晴らしい素質を持った苗木だったようで、ずんずん成長してびっくり、「桃栗3年、柿8年」といわれるように数年待っていると、大きな素晴らしい次郎柿が 実り始めました。甘く大変美味しい柿でした。しかも、食べ盛りの子供3人の5人家族が食べきれないほど実らせてくれました。 盛りには、毎秋800個近く実ったでしょうか? 柿は、私には忘れがたい思い出の、正に、命を支えてくれた果物です。終戦の年、昭和20年秋、私は、母と弟達2人と4人で、 田舎の父の実家にお世話になっていました。田舎ですが、分けていただくわずかな食糧だけでは全く足りず、ひもじい思いで、毎日野草摘み、特にざる一杯の「ヨモギ」摘みに出かけていました (ヨモギが、私達の命を繋いでくれました)。そのような昭和20年の秋、あちこちのどの柿の木も、青空に映える柿色で、それはそれはたわわに実ってくれ、空腹を満たしてくれた大変感謝する 忘れ難い思いの強い果物です。やがて、我が家では子供達も成人し、独立して行きました。その後も柿はどっさり生り続けてくれ、娘が採りにやってきたり送ったり、 友人達や知人に送ったり。やがて、さすがの素晴らしい柿も送るほど実らなくなって来て、自宅用程度になっていました。その頃、ちょうどそれに合わせるように、余りに食べ過ぎたためか、 あれほど好きで食べていた私が、ある日、なんと「柿アレルギー」になってしまいました (本来、アレルギー体質の私は食べ過ぎで、「オーバーフロー?」したようです)。どこかに送るほどの量でもなく、子供たちは独立し、夫はあまり好きではなく、食べるのは私くらいになっていた頃、 それでもそこそこに実ってくれていた大好きな柿を食事代わりに食べていたあるとき、アレルギー症状が現れました。心臓がどきどき、顔には赤い湿疹が現れ、体調に異変が起こって来ましたので、 すぐに 近くの大学付属病院で急患診療を受けました。お医者様も心得た様子で、すぐに、処置をして下さいまして、事なきを得、しばらく 休ませていただいて帰宅出来ました。ただ、以来、大好きな柿を食べられなくなっています。すっかり老木ながら、今も、つやつやした大きな実をひと秋に1個ほど実らせてくれています。それは、 それほど執心しない夫の口に入ります。生来のアレルギー体質で、私は、「過ぎたら、及ばざるが如し?」で、子供のころからの「卵アレルギー」に加えて、年齢とともに、食べられない食品が増えています。 「エビ・カニ」など甲殻類、「イクラ・ウニ」にも、もう数十年近寄らず。メロン、スイカなど瓜類の果物もいつの間にか要注意! こう羅列していると、ある方が言いました。 「それじゃ、食べるものないじゃない!! こんな美味しいものが何も食べられないなんて!!」と。じつは、そんなことないのです! 大事なことは、現在、食べても大丈夫な食品を多く食べ過ぎないことなのです。 ついうっかり沢山食べると、アレルギー症状を引き起こすかもしれないからです。一度、発症すると以後食べられなくなります。ある統計では、 様々な食物アレルギー体質の人は、全人口の2%ほどだそうです。それでも、100人に2人くらいということです。多いのか少ないのか? 私の家族、親姉兄弟、知人など私の周りでは、食物アレルギーの人は、実は、私だけです。 このようにたわわに実らせてくれた柿の木ですが、残念ながら、今は大きくつやつやした実を漸く1個くらいと実を付けなくなってしばらくの大きな柿の木が 生き生きと若葉を茂らせています。反対の傍らには幹に割れ目が出来て枯れかかっている?老木の月桂樹(昔、料理にと植えました)。 少し離れてお隣の庭のこちら側、フェンス際に「きんかん」の大きな木・・・ つい、柿の木の話に柿アレルギーの話しと大変長くなりましたが、このように、「オオムラサキ」の周りに大きな木が並んでいては、地中の栄養も十分には行きわたらず、懸命に頑張っても 、枝一杯の満開の花盛りには出来ないのでしょう? それでも、毎年、華やかな濃いピンクの大輪の花を精一杯咲かせて、楽しませてくれています。 さらに、柿の木と月桂樹の木の間、隣家のフェンス際に,私の大好きな可愛い白薔薇の「モッコウバラ」が植えてあるのですが、これも少々花付きが少ないのです。 が、同じ理由と合点がいっています。でも、いずれもけなげに、時が来れば、しっかり咲いてくれ、本当に楽しませてくれ、心が和みます。 外出制限の今季はなおさら、嬉しさが増しています。今春は春一番も吹いたのか吹かなかったのか? 新型コロナ騒ぎで世界中が大騒ぎで、あまり記憶に残ら無い中、季節は 巡り、既に5月、爽やかな新緑の時期のはずです。 いえ!今、正に爽やかな新緑の季節なんです。残念ながら、この春は、桜をはじめ、様々な春の花々を十分に楽しめず、新緑の香りもどこか遠いような、本当に残念です。 目下、世界中で、[「3密」を避けましょう!]のスローガンが、叫ばれています?? 「密接、密集、密閉」でしょうか? 外出時はマスクを着用し、互いに、2mは間隔を空けて行動しましょう? 店の買い物時、レジで並ぶ時、電車やバスを待つ時、さらに電車に乗っても! 道を歩く時も?? やむなく人の集まる時は窓や扉は開け放っておく! いえいえ、今は、集まれる会場の市民会館や市福祉センターなど集会所の閉鎖が続き、集まりそのものが中止中止、全く出来ないのです。 さらに、5月末まで中止期間延長とか? 罹患者の減少傾向を見定めながら、少しずつ緩和されるような様子ですが・・? 北半球は、今は、これからもしばらく爽やかな新緑の季節です。ただ、猛暑の真夏に 、密閉できず冷房を使えなくなるかも?? 昔のように窓を開け放って、扇風機やうちわでしのぎましょうか? 行水するのもいいですね! さて、この災難は、いつまで続くのでしょう?? 今、世界中で有効なワクチンを作り出そうと懸命に研究されているそうです。ただ、来年になるかもとか?? 世界中の権威ある?学者の方々は、約100年前、日本では「大正時代」のこれも世界中で猛威を振るった「スペイン風邪」の例を引いて、 この騒動は3年は続くでしょうとの事???????(少しでも早い終息の願いを込めて、?の数をラッキーセブンの7個にしておきます ・・・???????)。 その以前には、ウィーンの街中の大通りに建てられたモニュメントが語る「黒死病(ペスト)」や、ジェンナー博士によるワクチンでほぼ治療法がなされている天然痘など、 実は、私の認識では、とっくに人間社会から駆逐されたかと思い込んでいたさまざまの難病が、実は、今も地球上のここかしこで散見されているようです。 ただ、有効な薬も発明され、ほぼ治療法もある様子です。ただ、私のようなアレルギー体質で、使える薬があるような無いような者には、改めて思い知る不安な気持ちが 拭い切れません。さらに、アフリカなどでのエボラ出血熱、エイズなど、目に見えない「ウィルス」と、人間との戦いは果てしがないようです。計らずも、こんどの新型 コロナウィルス流行で、 日頃、私は如何に「のほほんと、のうてんき」に齢80年を越すまで生きてきたかと、改めて認識させられています。本当に神に感謝です!!! 色々話には聞くことがあっても、身近に出会うことが無く、なんと幸せな来し方か?と思い知っています。これからも、身の回りの人々は勿論、日本人、果てはすべての人類がず ぅ〜〜〜っとつつがなくと祈り、願っています。
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4月23日(木)2020
四月です。桜が花吹雪を風に散らせながら、舞い上がり、新学期の始まりです。重たげな新しいランドセルを背負って、可愛い新入生が行き交うのを見られる素敵な嬉しい春です。
ところがところが? 登校はもちろん、入学式も十分には行えない様子とか? 今春はそれどころではなく本当に可哀そうで、なんとも残念です。
新型ウイルスによるインフルエンザの蔓延とか? 地球上の人類は、今のところ、新しい?凶悪なウイルスにやられっぱなしです。地球上の人類のその道の専門家たちがが総出で、あれこれ、必死で対策を捻出していますが、なかなか妙案が出難い様子です。
ただ、手をこまぬいているわけには行きません。人類は、なんとしてでも、この新型コロナウイルスに打ち勝たねばなりません。
私など年寄りは、より慎重に、周りに絶対にご迷惑をかけないように行動することです。
私など全くの専門外もいいとこですから、なんとも全くお手上げで、なすすべもなく、ひたすら、最小限の外出に限り、必ず、せめてものマスクを着用となります。
あとは、帰宅後の手洗い・うがいを
十二分に念入りに。この度の世界中の感染状況は、約100年ほど前のスペイン風邪、それより以前の天然痘、最悪の場合は、さらに以前の黒死病に匹敵するようになるかもとか?????
本当に空言でなく、現実的な様子になりつつで、何んとか少しでも早い終息を心から祈っています。
ウィーンなどヨーロッパの街々のメインストリートには、ところどころに、今も些か不気味なモニュメントが建っています。
中には、ネズミによってもたらされたペスト?の疫病による大量死を悼んでと言われたりしています。
中国では、野生動物を日常的に食している様子で、今回のコロナウィルスも諸説ある中、蝙蝠による伝播ではないかとか???
中国では、200種類ほどもの野生動物が、ごく普通に街で売られているそうです。南の島なども、所によっては、お猿さんも煮て食べている人々がいるとか?????
人間の雑食性は、地球上、最高に恐ろしく、人間は最も獰猛な動物ということになりますかしら?? それにしても、極端に閉鎖的な中国政府の体制固持の様子では、武漢閉鎖解除と伝えられても、大丈夫かしら?と、また、中国国内の他の地域の感染状況は全く伝えられていないので、実態には、大変な不信感と先行きの不安感を拭えません。
さらに、武漢、武漢とばかり言われますが、北京、上海、深圳など、中国全土の他の地域の感染状況など全く不明です??
そのうえ、中国は、アメリカの仕業とか吹聴しかけて、さすがに、立ち消えになった? アメリカでは、目下、全国的に大流行中で、
数10万人を越す感染者とか?? 死者もどんどん増加中?? 特に、生活状況に恵まれないヒスパニックや黒人の方々に蔓延しているとか?? 衛生状態に大変不安のある
中国のような、格段の多人数国家で、もう大丈夫などと、封鎖解除とか??
中国の他の地域への感染についてはどうなって、どのくらいの感染者が発生しているのか、全く不明????? 更なる今後の世界への影響は大丈夫かしら?と不信感が募ります。
抱き合って喜びあっている武漢の人々の写真など報道されますが、体制派の宣伝でしょうと、どうしても安心できません。なんとしてでも、国体を堅持したい体制派の宣伝と思えます。
とはいえ、私達には、日本の現状が切実です。現状以上の広がりをなんとしてでも食い止める必要があります。さて、どうすれば・・?
各家庭でのテレワークといっても、出来る方は、結局ごく限られた人達になる様子で、本当に思案します。
このテレワークも体調維持には不安もある様子。体を動かす必要がある?? こもりっきりでは??? 一方、
一生懸命に対応して下さっている、お医者様や看護師さん達、救急隊員達、その他直接対応して下さっている方々の身の安全も緊急課題です。
しかし、私達全くの素人の出来ることは、必要以上には外出をしない。やむなく、出かけて帰宅したときは、繰り返しうがいをして喉を洗い、指先や指の間、手首までなど手洗いを念入りにすることぐらい・・?
ところで、少し気持ちが楽なのは、今回のインフルエンザは、伝播力は強力の様子ですが、重症になる方が比較的少ないとか?
だから、大丈夫では決してないのですが、少し気持ちが軽くなるような思いです。
しかし、東京でもどんどん増加傾向で、特に、ここ調布市でも、感染者がじわっと増えつつで、ついこの間、3月末頃まで、0人だったのが、この半月ほどで、いつの間にか、1人になり、4人になり5人になって
、日一日と増えて、いつの間にか30人に届きそうな様子です。何とか、増えませんよう祈っています。日本国政府による「緊急事態宣言」が、全国主な各地に、漸く発令され、それに沿って、東京都でも
、調布市でも、緊急時以外の外出禁止など
、より厳しい警告が発令されています
。ここ、調布市では、市の広報スピーカーから、日に何度か外出制限、帰宅時の手洗いなど注意事項が放送されています。ただ、この広報なのですが、風向きにより家々までの距離、窓が締まっているかなどで、なかなか聞こえづらいという難点があります。一方で、このように日本中で、力の限り懸命に対応して下さっているお医者様や看護師さん、その他医療従事者の方々の罹患が伝えられ、何とも残念で、申し訳ない気持ちにもなっています。が、
このpandemic状態の世界では、目下、感染流行中のすべての国が、この「緊急事態宣言」を発令しているかといえば、意外にそうではないようです
??
目下、かってないほど感染者が多くなっているヨーロッパ各国、フランス、ドイツ、イギリスなどは、発令していない様子です???
最大に罹患者が増大し、危機的状況のアメリカなどは、どうなのでしょう?? トランプ大統領は、「山場を越した・・」などと自身の再選も願って、自己の手腕を誇示していますが・・
私は、小池東京都知事が、随分
、国政担当者(総理大臣)に、「緊急事態宣言」の発令を急ぐよう促している様子でしたので、どこの国も同じかと思いましたが、そうではない様子です。
では、なぜ、日本で是非・・となったのか、私にはよく分かりません。
それにしても、医療体制の完備には、国により可なりの差があるようです。
感染者数の多いドイツなどでは、実際の感染者は多いのにかかわらず、死者はさほど出なく(もっとも日本よりは、よほど多いのですが)、医療体制の完備がほかの国とは格段に違って、ベッド数も大変整備されてい
て、さらに1万床の余裕がある様子とか・・ 日本も一丸となって、懸命に対応して下さっている様子ですが、実際に、第一線で患者に対応して下さっている医療従事者に感染者が
可なりの様子で、私にはどうすればより安全に出来るのか??全く思いつきませんが、何とか何とか罹患されませんような体制が一刻も早く整えられ
ますよう心から深く深く祈っています。そして、一刻も早く、終息に向かいますよう、素人は、ひたすら祈っています。
せめて、自分がならないように。迷惑をかけないように。さらに、最近では、様々な業種で休業宣言がなされ、どの業種も先行きの不安をどんどん募らせています。スーパーなど限られた業種以外は、ほぼすべて休業に追いやられ、収入がないのに、家賃などの支払い、ほか借入金の返済は猶予なしで、様々の業種が軒並み困惑しきっている様子です。政府の対応も、少しづつ、事態が進行してきて、国民全員に等しく一人10万円ずつ給付金を配布するよう決まった様子。どのようにして、配布されるのか?? 各自、申し込む様子
とか? その手続きがまた、意外に面倒かも??
出来るだけ簡単な手続きで、本当に必要な方々に、迅速に実現させていただきたいものです。住所登録のない街のホームレスさん達はどうなるのでしょう?? ネットカフェなどが閉鎖され、温かい寝場所が無くなり、まだ寒い夜にどうしているかしら?と案じます。たまに購入しつつ立ち話する、調布駅前で「ビッグイッシュ」を販売している方。四ツ谷駅、新宿バススタなど、都内、全国あちこちで販売している方々は??
と、とても気掛かりです。また、ひっ迫していたマスク不足を解消するため、異業種の会社が急遽生産しているとか?? net販売から始まった様子に大変な争奪戦??? ところで、マスクをそんなに争奪しなくても、我が家では、しっかり洗って繰り返し使っています。ほぼ毎日、使用後は、洗面器に洗剤とハイターやブリーチなどの
消毒を兼ねた漂白液を数滴たらした水の中に、数時間から半日ほど浸してから、よくよく水ですすぎます。決して、もんだりせず、
手でピンと延ばすようにしつつ振り洗いします。綺麗な洗濯機の中に、マスクだけを一枚ずつ入れて、30秒ほど脱水し、形を整えて、埃のかからないところに干します。家の中、窓辺の日当たりの良いところなど。これで、十分ですが、時には、アイロンを当てます。ガーゼや布マスクは別で、普通のマスクの素材の不織布は熱で溶けますので、しっかり、平織の布やハンカチなどであて布をしてアイロンをかけます。これで殺菌も出来、十分に繰り返し使え、我が家ではマスク不足など全くありません。資源の無駄な消費を減らします。(なぜ、パッパと捨てるのでしょう?? 消毒液を噴霧して、袋に入れて持ち帰り、洗って繰り返し使う?? 私は、よい考えと思うのですが・・・ 勿体ない精神の世代です。)
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3月30日(月)2020
今年に入って、早や3ヶ月が過ぎようとしています。目下、世界中が新型コロナウイルスによるインフルエンザで、戦々恐々困り切っています。
外出も侭ならず、マスク不足なども伝えられ、感染者の増大に、世界中の国々が困り果てています。元は、中国湖北省武漢市発症です。
蝙蝠、ねずみ?など、野生動物をいろいろ食する習慣がある様子で、なんと200種類くらいの野生動物が、中国では市販されているとか???
なんでも食べる、食べてしまう様子でびっくりです???
ただ、そこで思い出すのは、第2次世界大戦の末期、太平洋の島々に取り残された敗残日本兵達は、
全く、日本からの食糧補給など望むべくも無く、ネズミはおろか、ゴキブリなど何でも食べたとか??
大変大変残念で心が痛みますが、亡くなった仲間を食することもあったとか??? それぐらい、窮すれば・・となりかね無い様子だったとか??
さらに、日本では、豪華旅客船「ダイヤモンドプリンセス号」の罹患者の増加によるとはいえ、驚くべき伝播力です。
世界中から見れば、まだ、少ないとも言えますが、ちょっと、ヨーロッパ旅行から帰国しただけで、早速、感染者とか?気の毒な気がします。
仕事など、様々な用事、仕事で、やむを得ず海外に出かけたのでしょうが、早速、ウィルスを持って帰国せざるを得ず、本当に困ったものです。
いつまで続くのかと悩ましいことこの上ない日々です。調布でも、初めて、イタリア北部への新婚旅行帰りで調布市役所職員の感染が伝えられました。
調布市民の感染は、今日3月30日現在、依然と0で、この職員は、都内在住で自宅療養とか? 折角の楽しみでしたでしょうが、なんとも可哀そうで仕方ありません。
ところが、アメリカでは、信じられないほどの爆発的患者数になりつつある様子・・?
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12月 26日(木)2019
今年も後数日、何となく名残り惜しいような、毎年の恒例で、どうってこと無い!と。ただ、今年は5月1日をもって、年号が、「令和」と変わり、天皇様が新しくお変わりになって、即位式が行われま
した。
とても感じの良いお方の様子で、そのことは納得ですが、あれから半年余りに渡って、次々と即位に伴う行事が続き、私は、いつまでやっているのかしら?と些か疑問に思っています。
とうとう神武天皇陵とやら?まで、お参りに出向かれた様子??? はっきり言って、その天皇は本当に存在なさったかどうか? その陵も本当なのかどうか???
むしろ、即位に伴う一連の行事(お務め)とはいえ、新しく即位なさった天皇様は、言われるがままに、あっち行ったり、こっち行ったりと何ともお忙しいそうで、どのように考えてなさっているのかしら?と。
勿論、仕方ないとお考えでしょうが、大変な国費を支出して、そんなにまで行うことは、本当に必要な行事なのでしょうか?と疑問に思います
(現代の日本の教育を受けられたはずの若い天皇様ご本人も、???では無いでしょうか? まして、元外交官で、世界を舞台に活動もしていらっしゃっ
て、急に皇室にお入りになって、あまりの激変に精神的に適応障害の様子が今も続いていらっしゃるらしい皇后様はどうかしらと??)大変な国費の浪費のように、私は思います。
20年にも渡って、変わらない総理大臣を支え続けている右翼系?の支持者達。日本は、どこに向かっているでしょうか?と心配になっています。
兎に角、これからの日本が世界に認められ、右左の主張を越えて、本当の意味で、健全に発展していくことを心から強く願っています(それが、大変
難しい・・・・・)。
11月12日(火)2019 {書き始めた日時 8月 24日(土)2019} |
随分前に書き始めてから、なんと3ヶ月になりつつ・・です?? 此処からは、今年8月に書き始めた部分です。{今年(2019)も、8月6日が巡ってきました。さらに、8月9日、日本人は決して忘れてはいけない、又決して忘れられない残酷な記録の日です。私は、決してアメリカを許しません。 ささやかな抵抗ながら、私は、ただの物見遊山のアメリカ旅行には決して行きません。
私の場合、今もって、アメリカに行く必要なことは全くありませんので、アメリカには行ったことも無く、ただの旅行では今後も絶対に行きません。
ただやはり、アメリカは世界をリードし続けている国で現代において、世界の文化の様々な分野で優れています 。第2次世界大戦中から戦後にも大変多くのユダヤ系ドイツ人が移住し、今もって、アメリカ全人口では
ごく少数のユダヤ人達が最上層に位置し、すべてにおいてアメリカ全体をリードし続けている??? 現在のトランプ大統領のトップブレーンにも。アメリカでは、最近、中国系や韓国系の方々も随分多くなっているとか。
いずれも並外れて優秀な能力の持ち主達の様子? 日本の若者達にも期待しているのですが?
日本の若者達は安泰な日本に浸って、余り外国、アメリカなどに行きたがらないとか・・
日本の国力を上げるには、是非とも、どんどん海外に行って、特にアメリカの最先端で研鑽を積み、活躍していただきたいのですが。この80歳を越えて、もうすっかりおばあさんの強い願いで
あり、祈りです。
7月 27日(土)2019 |
もう7月も終わりで、梅雨明け間近の陽気です(梅雨明け? 随分遅れている様子?)。
突然、突発的?に緑内障発作の危険があると言われ、びっくり仰天した昨年3月以来、大学病院など何箇所かの眼科医を訪ね、ネットでも、緑内障・白内障治療についての検索に明け暮れ、季節の変わり目を余り意識しない内に、今年は過ぎて来た様子です。気が付くと、今年ももう半ば過ぎ、7月です。勿論、「令和」になった、時代の移り変わりは、当然ながら意識していますが・・ そう、その白内障です??
昨年3月に、何となく近場で、ちょっとした目のかゆみなどで目薬を処方して頂いていた眼科医院で、いきなり緑内障の恐れを忠告され、そのリスクを避けるため、白内障の手術を是非すべきと言われ、本当に仰天して以来、その真偽の程を知りたくて、個人医院や大学病院など眼科の受診を重ねた結果、緑内障の恐れがあるのは、「本当」と結論付けられ、仕方なく、理解しました。
特に、視力の異常も不自由も無く、たまに感じるかゆみなどのため、目薬を処方して頂いていた位でしたのが、突然、緑内障発作の危険を指摘され、視力がまずまず普通にあり、特段目の異常も感じず、今まで何も忠告もされ無かったのに、何故?? 5ヶ所くらいの眼科を受診した結果、私の眼球の構造が、緑内障発作を起こしやすい構造であることを初めて指摘されました。更に、やはり加齢のためとの事???
何箇所かの眼科を受診して1年を過ぎた今年春頃から、漸く仕方が無いと観念し、手術を受けることにしました。
そこで、今度は、どこで受けるか? 個人医院で日帰り手術も普通になされているとか???
私は、アレルギー体質で、食物や薬など、可なり多くのアレルギー反応の症状のリスクを経験しているので、しっかり対応していただけるようにと、大学病院を受診しました。
その結果、漸く、多少予約待ちもありましたが、6月に左目、先日7月半ばに右目の手術を無事?終えました。
遥か昔の出産入院以来、更に、手術などは、??十年前に虫垂炎を受けて以来、幸いなことに、入院などしたことなく、どうかしら?と思いましたが、
結果は、まあ案ずるより生むが易しの様子です。視力は、担当医の言葉通り、眼鏡は特に要らずで、視力は術前と殆んど変わりなく、裸眼で、0.5くらい
からまずまず1.0くらいのようです。目を細めるともう
少し見える様子す。カルテの私の病名は、「未熟白内障」???となっていました。
初めて見る?聞く?言葉です。調べると、ごく普通の白内障のことのようです。つまりは、「お年、相応・・」ということです。全ては終わりましたので、気分が落ち着いています。
さあ!秋の合唱団「コール・まどか」さんの11回目の演奏会に向け、準備です。
私が、気持ちが落ち着かなく過ごしている間にも、ささやかな庭では、5月には、つつじの「おおむらさき」、6月には、額アジサイが素晴らしく沢山青い花を付けてくれ、
目下は、水引草や日光キスゲが次々花を咲かせてくれています。
両方とも、大変発芽率の高い花で、昨年落ちた種から、今年は沢山芽が育ち、目下、花盛りです。
さらに、昨年6月ごろ?、一枝頂いた大変珍しく、11月頃になっても花瓶の中で白い根を無数に張っていた額アジサイを、
秋深くなって、庭の植木鉢に差しておいたら、
しっかり根付いて、春に芽を出してくれました。ところが、今は、なんと、何故か昨年の青色と違って、華やかな可愛いピンクの花を咲かせてくれてい
ます??????? しかも花びらは額アジサイ風ではあるのですが、そうでも無く???
形状も違って!こんなことがあるのでしょうか??? 自然の妙です!
アジサイという花は、固体差が大変ある様子で、両隣のお宅の花と我が家の花、ご近所の花、それぞれに、全くといってよいほど花の形態が違い、色も様々で、改めてびっくりです。
全く 肥料もやらず、せいぜい水を切らさないようにくらいの手入れで、本当に楽しませてくれています。心から感謝です!! 自然の威力ですね。
5月 4日(土)2019 |
2019年5月1日午前0時をもって、旧元号「平成」から新元号
「令和」になって4日目、些かお祭り騒ぎも少し静まって来た様子ですが、今日は、皇太子でいらっしゃった浩宮様が、
新しく天皇になられて4日目、朝から6回?も1時間おき?に皇居での国民の一般参賀を初めて受けられるため出たり入ったりなさる様子とか? びっくりするほど大勢の方々が集まっている様子??
テレビで観ると物珍しげな外国の方々の姿も?
私の勝手な意見では、一般参賀で忙しく出入りなさっても、身近に直接お目にかかれる訳でなく、しかも
ひしめき合う大変大勢の人々に囲まれて、遥かかなたのガラス
の張られたテラスのお姿を拝見出来るだけです。テレビの画面の方が、余程くっきり拝見できるのに・・・? その場の雰囲気が大切なのでしょうか?
ただ、ご夫婦共にとても感じの良い天皇様、皇后様の様子ですので、国民の一人として、末永くお健やかにと私もお祝い申し上げたいと思っています。
ただ、この素敵なご夫婦を、全く戦争を、戦中戦後の悲惨さを経験していない、一部の懐古主義?(少しずつ台頭しつつある様子)の勝手な主義主張の思想
(私に言わせると、来し方の日本の悲惨な歴史に学ばず、なんとものどかでのう天気な無知な方々)に勝手な方向に動かされることの無いよう、日本が日本国民が平和に大きく発展し、世界に公正な存在価値を強く主張し続けられる時代が続きますよう、私も心から強く強く祈っています。
日本の過去にしっかり思い至り、これからどんどん活躍して頂きたい若い方々が偏った思想に寄らない現実的な本物ー真ーの平和と発展する未来の実現をしっかり思い描いて、世界で広く活躍して下さる社会を築いていただけるよう、心から強く祈願しています。
実は、今日は4月の最後の日です。元号が平成から令和に変わるそうです。元号という年号を使っているのは日本だけだそうです。
世界中には、王室のある国は可なりあるようですが、元号を使うのは日本だけのようです。良し悪しについては、日本国民で意見の分かれるところでしょう??
ところで、4月になって1ヶ月、桜の開花が南から北上し、此処、東京辺りは、3月終わりから4月初め、もう1ヶ月程前に満開を迎え、
風に乗って舞う花吹雪が素晴らしく、舞い散る花びらがとても楽しめます。お隣の2階の屋根を越し、我が家の北隣のマンションの3階ほどにもなる、
高く伸びた、とても太い幹の3本の桜が今年も素晴らしく咲き誇り、我が家の庭には花吹雪が舞い踊っていました。その様子は、毎年の心和む楽しみです。
ただ、我が家からよく見えるのですが、最近通らない50mほど先の道路端に並ぶ6本の桜が何故か、いつの間にか3本になっている様子に漸く気がつき、
「あれ?」と傍まで行ってみました。ここに住み始めてそろそろ40数年。この辺りは、昔から住んでいるお宅が多く、木々も大きいのが見られるのです。
傍まで行ってみると、やはり3本切られて、切り株になっていました。
良く見ると、幹の真ん中が腐っている様子。また、大きくえぐれている様子。道端なので、倒れると危険もあり、已む無く切ったのかなあ?と想像しています。
それにしても、うっすら緑色の花、八重桜、山桜のような花、少しクリームがかった花等々、毎年、そのどれもを、とても楽しみにしていたのですが、
その少し珍しい桜がいずれも切られていて、染井吉野桜と八重桜、山桜のような桜3本だけになっています。木の寿命なのか、少し珍しい桜は多少弱い性質の木だったのか?
染井吉野桜は、それはそれは見事に素晴らしく群れ咲く様が今年も日本国中いたるところで観られますが、緑がかった、またクリーム色の花びらの桜は、
植物園など限られたところでしか見られませんので、大変残念に思って、少し寂しさを感じています。
春は、様々な桜が次々と楽しませてくれますが、それに先駆けて、お正月過ぎから、蝋梅や梅、水仙、花桃、彼岸桜など、うっかり忘れることなく、つぎつぎと花咲き、
今は、オダマキがすっと茎を伸ばし、今年は花も山ほど咲かせてくれています。
ちょっと珍しい白いモッコウばら(黄色はよく見かけますが白は珍しい?)も枝を伸ばして、蕾を開かせ、咲いてくれています。
毎年ながら、自然の勤勉さに凄いなあと教えられる思いです。他にも、水引草や日光キスゲらしい黄色のゆり科の葉が次々伸びて来つつあります。
「ドウダンツツジ」は、親木が枯れて、新たな子の木が1mほどになり、可愛い白いすすらん風の花をびっしり付けてくれています。
地上にも延びる根元には、数センチほどの小さい若芽が沢山伸びて来て、並んでいます。しっかり子孫に受け継いでいて、植物の素晴らしさ、強さを知らされます。
ただ、この頃は、年のせいもあってか?狭い庭なのに手入れが些か面倒になりつつ・・・
でも、土が乾くと私も喉が渇いたように思え、水やりは欠かせません。狭い庭に、それぞれは、ほんの少しずつしか植わっていないのですが・・・
いずれも、本当に勤勉に頃合を見計らって、芽を出し、成長し、花を咲かせてくれます。そうそう、
遥か昔私の父が実家から持ってきてくれ差し木してくれながら、花芽を余りつけてくれなかった「額アジサイ」が、例年に無く、今年は花芽が可なり観られ、開花が大変楽しみです。
大きな木なのに本当に咲いてくれない「おおむらさき」も、昨年より多く
、11ヶ所20数輪ほど咲いてくれています。兎に角、植物は呆れるほど勤勉です。
微妙な季節の変化をびっくりする敏感さで感じ取っている様子で、すごいなあ!!といつもびっくりです。手入れ方法を全く知ら
ず、いい加減な世話しか出来ないのに、よく咲いてくれ、成長してくれます。本当に嬉しいです。
新しい年が始まり、2ヶ月が過ぎ、春です。全く雨が降らず、雪も降らず、からからでしたが、2月に入って早々の水曜日(6日)に、珍しく可なりの雨になりました。
前日は寒く、でもカラカラで、この水曜日(6日)だけ(からからでしたので、)降ってくれて良かったのですが、あいにく、
この日は、「コール・まどか」の週一回の練習日でした。お年の方々のグループですから、ちょっと足元が心配で、天の配剤?に少々恨めしい思いでした。
週末9日(土)には、雪がちらつき、とても寒い1日でした。この日は、朝から夕方まで外出でしたが、予報ほどは、雪も雨も降らず、さすがにダウンコートで出かけ、丁度良かったです。
2月11日は月曜日でしたが、建国記念日とかで、結局3連休
になっていました。ここ調布はこの冬、雪も雨も殆んど降らず、良いのかどうか?
まずまずの陽気が続くこのところ、2月19日(火)は、実は今年最大のスーパームーンが観られるはずでした。残念ながら、曇り空でがっかりでした。
その数日前には、大変くっきりとまん丸に近い?月が観られていたのですが、肝心の19日
(火)は曇り空でした。もう一つ、残念な事がありました。目下、モーツァルトが「ヴェスペレ」(Vesperae)(晩課)という2曲だけ作曲した曲のCDを製作中です
(多分、日本人の演奏CDリリースは初めて?)が、製作打ち合わせの製作会社の方も、楽譜コピー担当者(インフルエンザとか?)も体調を崩され、延び延びになっていることです。
漸く2月18日に打ち合わせる予定だったのですが・・? これらの曲は、丁度10年前2008年3月の混声合唱団「クール・ドゥ・シャンブル」の第6回定演曲でした。
この時、些かの風の吹き回し??のご好意で、お人柄の良いプロの録音技師が、本番録音をして下さいました。ただ、それ以来、CDに作らず、いつかリリース(市販)したいと考えていて、
合唱団も解散し、一つ続けている合唱団は、気楽で忙しく無いので、漸く、リリース準備に取り掛かり、幸いにも、とても素晴らしい録音会社が引き受けてくれることになり、
製作中になっています。
ただ、大変気楽に考えていたブックレット原稿でしたが、書き進むうちに、生涯にわたって、ザルツブルクを去ったモーツァルトの文字通り仕事として完成させた最後の宗教曲で、
その作曲家魂が凝縮されている作品だったことに、漸く気付かされ、大変長文になってしまい、何度も何度も書き直し、丸々2年ほどもかけて
、昨夏漸く、校正を済ませ、仕上げ状態にし、製作会社に原稿を送付しました。ところが、それから、既に7ヶ月を越え、8ヶ月になろうとしています。残念ながら、全く進んでいません??
編集者のご病気、入院などもあって、ますます延び延びになり、一体いつになれば出来上がるのでしょう?と、すっかり呆れる有様になっています。
ただ、日本人の演奏作品として、初めてにして、唯一のリリースでは?と、大切にしたいと考えています。編集者の早いご回復を心から願っています。
ところで、先日、3月初めに誘われて、4日間ほど台湾の台北に行ってきました。全くの観光旅行です。街を散策する以外、全く何の目的も無い旅行でした。
3日目は1日雨で、残念でした。台北は2回目になるのですが、ただ散策して街の様子を知るチャンスでした。1日だけ、一応の名所を観光バスで巡り、後は、ぶらぶら自由に歩き回りました。
街の皆様、若い方も年配の方も、好意的で、大変安全な感じでしたが、やはり外国! 充分に油断禁物と考えます。地下鉄が新しく、しっかりホームドァが完備されていて、感心しました。
滞在したホテルが、街の中心(中山駅)に位置していたためか、お年寄りの姿を殆んど見かけず、日本ほどの混雑振りでは無いながら、生き生きとした若い方々が行き交っていました。
街にたたずむ若者に声かけしてみましたが、先ず日本語は全く通じず、英語も少々の様子でした。尤も、私も複雑な英語は話せませんが、少々話しかけてみました・・?
大きな本屋さんが近くにあり、雨降りでもあって、覗いてみました。デパートの上、広い5階フロァー全部が本屋になっていました。
分野別に、大変沢山並んでいましたが、全て台湾語? 見たことも無い難しそうな漢字がぎっしり並ぶその文字の羅列にびっくり仰天しました。
こんなに沢山で、覚えるのも書くのも難しい文字の並んでいる本を小さい時から学んでいるのかとびっくりしました。
絵本も同じですので。文字の画数も多く、学ぶ方も教える方も大変だなあ?と。中で、音楽書もあり、いずれも漢字?で表記されていて、びっくりしました。
日本のカタカナ、ひらがな、ローマ字表記の有難さを実感し、台湾の子供達など慣れでしょうけれど、
びっくり感心して、学ぶ方は勿論、教える方もつくづく大変なのではと、つい同情する思いです。
丁度、日曜日でもあって、絵本売り場では、お父さんらしい男性が、5歳くらいの男の子に、難しい漢字が並んでいるその絵本を読んで聞かせていました。
どこの国でも見かけますが、ほほえましく、嬉しい光景でした。ただ、可愛い、綺麗な、分かりやすい絵が描かれている絵本なのですが、
いくら絵本でも私には全く分からない文字が並んでいるのです。別の小さい子が、一人しゃがんで一生懸命に声を出して読んでいました??
わあ!読めるんだと?と妙に感心しました。ただ、見たことの無い画数の多い、難しそうな漢字に、教育のご苦労が偲ばれる思いです。
まあ、日本も江戸時代など漢字づくしの文献が多くあり、古事記なども漢字ばかりです。すっかり特殊な本になっていて、私など読めません??
ただ、先日亡くなられたドナルト・キーンさんは、古来の奈良・平安時代などから江戸時代の文献まで読めたそうですから、日本人として、恥ずかしい思いは多少感じますが・・
私も、年取ってきて、暇が出来そうですから、一念発起、少し読めるように精進しますか・・ 平安文学の「かな」の書は、何冊か割と読んだことがあるのですが、
漢字づくしは、読もうと考えもしていませんでした・・ (そうだ! いい考えかも・・・・・)
新しい年が始まり、早や4週間、1月も終わりです。大寒も過ぎて?大雪の便りが毎日聞かれる冬本番の様子ですが、例年通り?東京は毎日からからの晴天続きです。
さほど寒くもなく風もあまり吹かず、外出する時に傘要らずで、とても有り難い?陽気が続いています
。実は、雪を観に行こうかと(些か不謹慎かも?)思いついています。上越新幹線で新潟まで・・
ずっと以前に、飯山線にやはり雪を観に行ったのですが、途中で、電車は動かなくなり、その先へはバスで?になり、
長野市に引き返したことがありました???運行中止になった駅の町の裏通りを、暫く?とうっかり散歩していたら、表通りを進んでいた除雪車が家並みの上を越えて、
凄い勢いで飛ばして来る雪に埋もれさせられそうになって、怖い思いで逃げ出したことがありました。確かに、夕暮れ時で、誰も歩いている様子ではありませんでした・・? うっかりすると雪に埋もれて凍死する恐れを感じました。ただ、人家が多い、街中でしたので、人は全く見かけませんでしたが、あんなに雪を飛ばしていては、人知れず雪に埋もれる場合もあって、危険なのでは?と。) 冬至が過ぎて、一ヶ月
過ぎにもなると日没や夜明けが少しずつ早くなりつつあって、心なしか気持ちは温かく膨らみます?
蝋梅が満開になり、芳香を漂わせ、梅の蕾がピンクに膨らんでいます。
いつもながら、自然は、季節の移ろいにどうしてこんなに敏感に反応し、せっせとそれぞれの営みに励めるのかと深く感心します。
我が家の彼岸桜も少しずつ蕾が膨らみ、ほんの少しピンクになりつつあります。開花までは、まだ1ヶ月はあるはずなのですが・・?
私などは、やらなきゃならないことも時々可なり面倒な気持ちになるのですが、自然の勤勉さに呆れ、つくづく感心します。
ただ、何故か折角毎年咲いていた草花が全く目を出さず消えてしまう事もあり、私の怠慢のせい?と気がかりになることもあります。
植物も生き物ですから上手に世話する必要があるのでしょうが良く分からないこともあって、なかなか充分には出来ず申し訳なく思うことがあります。
兎に角、たゆまず目を配る必要があるのですが、狭い庭にも拘わらず、意外に面倒で、さらに、この頃とても面倒に思うこともあり、
この春先になっても掃除するくらいで放っていて、どうしたものかと思案します。
勿論知識もなく、教えていただける方も皆無です(調布市にある都立神代植物公園に「みどりの相談室?」とかがあり、たまに電話で問い合わせたり出来たのですが、
いつの間にか可なり以前に無くなっています)。
我が家の玄関の下駄箱の上では、大きなガラスの花器に挿した蝋梅の一枝が儚く透き通る八重の薄い黄色がかったクリーム色の花を咲かせています。
蝋梅の「蝋(ろう)」とは素晴らしいネイミングで、本当に蝋細工のような花びらで、なんとも愛らしく大好きな花です。
丁度この時期、梅より一足先に咲き、強い芳香を漂わせます。農協ショップの店先に毎年切り枝が売られますので、一枝買って来ます。
大好きな花ではあるのですが、買ってきて1日,2日は、強い芳香を漂わせます。匂いに敏感な私には、この大好きな花ながら、なんとも恨めしい香りになるんです。
かなり大きい枝ながら1枝なのに、狭くない家中に香りが漂い、寝室まで漂って夜眠れず、気分が悪くなるほどで、なんとも悩ましくなります。
1日も経てば、香りも弱まり、日に日に薄らいでいくので、
暫くの我慢なのです。もう10日以上になるので、香りは殆んど薄らいでしまっていますが。
この花瓶には、たまに水を取り替えるだけで、なんと昨年の6月から「額(がく)アジサイ」を活けっ放しっぱなしにしています。薄むらさき色(昨年6月頃に頂いた時は
、緑色?の花びらでした)の花びらは可憐に咲いてくれています
(咲いているのでしょうか? 兎に角、全く散る気配がありません?)。葉は少し茶っぽくなり、数枚散りましたが、
「額あじさい」の「額?」は、薄紫になり、しっかり付いています。いつになったら茶色になって枯れ落ちるのかしら?と見守っているのですがず〜っと変わらず、
おじいさんの髭の様に沢山出てきた白い根の勢いが少し弱まって来ているように見えます。庭に下ろすべきかと思いつつ、もう少しもう少しと引き伸ばしているうちに、真冬になっています。
さすがに、春先には、庭に植えるべきでしょうと考えています。「ロウバイ」も花が終わったら、時機を観て、庭に植えようと考えています。
上手に植えねばと思うのですが自信が無く、折角の命を無碍にしないようにと願っています。
あと1週間で、今年はお終いです。今年は、どんな一年だったでしょうかと問われても、余り記憶に残っていません???
ただ、私にとっては、猛暑の夏は、些か、命の危険を感じるほどでした。
この頃毎年、夏の暑さは尋常では無いように思います。毎日夜は、特に夏の間は、頭の後頭部を保冷材で冷やしながら、休む状態でした。
そうしないと、翌朝起きた時に頭痛がすることがあるのですね。枕の上に保冷材を2個くらいタオルで包んで乗せ、その上に頭を乗せ、頭さえ冷やして寝れば、翌朝は可なり快調
です。そんなに冷房を効かせなくても、守るのは頭です(と?私は思っていて、毎夜忘れずに実行しています。たまに忘れると、翌朝頭痛がして、失敗です。)
1昨日12月22日(土)は冬至だったようです。この日には、ゆず湯に入り、かぼちゃを食べると良いとか?
ゆずの香りが心を和ませてくれ、甘く煮た(とは限りませんね? ポタージュも、てんぷらも何でも作れます)かぼちゃのビタミンCとビタミンAが冬の寒さに耐える体力の糧になるそうです。
私は、かぼちゃ大好きですので、年中食べています。年末で日暮れがどんどん早くなり、木々の葉がすっかり無くなり、何となく寂しさがつのって来ていたのですが、
冬至を越えると、毎年、私は心が嬉しくなります。なぜかって? これからは、真冬になり寒さも本番になりますが、日中の時間が少しずつ長くなり、
その分、春に近づくんだ!と思うと心が明るくなります??
冬真っ盛りでも、陽光が少しずつ明るくなって行きます。南に行っていた太陽の位置も少しずつ北に移ってきます。
我が家の窓から見える富士山の陰に沈む太陽も忙しげに行ったり来たり、丁度、山頂でのダイヤモンド富士を見られると、人生の幸せ?を感じます。
見過ごしてしまうことが多く、悔しい思いを繰り返しているのですが・・ ところで、今秋?に限らず、いつもではありますが、ちょっと珍しいことがありました。
勿論私にとって・・? ここに住んでもう50年を過ぎつつあるのですが、その間一度も花を咲かせなかった細い幹が10cmも無く、身の丈も2m程の「さざんか」の木が、
なんと、1輪咲かせたのです。
最初、幻か?と思ったほどです。しかも、淡いピンクの花を1輪だけです? 数日後、根元に花びらが散っていました。
さらに少し離れたところで、昨秋、こちらも何十年ぶりかでほんのりピンク色の白い大輪の花を10数輪咲かせてくれた少し丈の大きい、やはり「さざんか」が、
今秋は全く見られず残念に思っていましたが、ふっと気が付くと、地面に散った花びらを見つけました。良く見ると木の陰、目線の陰に咲いていたようで、気が付けず残念でした。
それにしても、なぜか、我が家の庭では花も場所を選ぶのか?
思うように咲いてくれないことが多いです。
他所では、こんなところ?と思うような、肥料も絶対やられていないような狭い隙間に生えている「さざんか」や「あじさい」がこぼれんばかりに咲き誇っているのをしばしば見かけます。
なんとも残念?
あと1週間で、今年はお終いです。今年は、どんな一年だったでしょうかと問われても、余り記憶に残っていません??? ただ、私にとっては、猛暑の夏は、些か、命の危険を感じるほどでした。
この頃毎年、夏の暑さは尋常では無いように思います。毎日夜は、特に夏の間は、頭の後頭部を保冷材で冷やしながら、休む状態でした。そうしないと、翌朝起きた時に頭痛がすることがあるのですね。枕の上に保冷材を2個くらいタオルで包んで乗せ、その上に頭を乗せ、頭さえ冷やして寝れば、翌朝は可なり快調
です。
そんなに冷房を効かせなくても、守るのは頭です(と?私は思っていて、毎夜忘れずに実行しています。たまに忘れると、翌朝頭痛がして、失敗です。)
1昨日12月22日(土)は冬至だったようです。この日には、ゆず湯に入り、かぼちゃを食べると良いとか?
ゆずの香りが心を和ませてくれ、甘く煮た(とは限りませんね? ポタージュも、てんぷらも何でも作れます)かぼちゃのビタミンCとビタミンAが冬の寒さに耐える体力の糧になるそうです。
私は、かぼちゃ大好きですので、年中食べています。年末で日暮れがどんどん早くなり、木々の葉がすっかり無くなり、何となく寂しさがつのって来ていたのですが、冬至を越えると、毎年、私は心が嬉しくなります。なぜかって? これからは、真冬になり寒さも本番になりますが、日中の時間が少しずつ長くなり、その分、春に近づくんだ!と思うと心が明るくなります??
冬真っ盛りでも、陽光が少しずつ明るくなって行きます。南に行っていた太陽の位置も少しずつ北に移ってきます。我が家の窓から見える富士山の陰に沈む太陽も忙しげに行ったり来たり、丁度、山頂でのダイヤモンド富士を見られると、人生の幸せ?を感じます。見過ごしてしまうことが多く、悔しい思いを繰り返しているのですが・・ ところで、今秋?に限らず、いつもではありますが、ちょっと珍しいことがありました。
勿論私にとって・・? ここに住んでもう50年を過ぎつつあるのですが、その間一度も花を咲かせなかった細い幹が10cmも無く、身の丈も2m程の「さざんか」の木が、なんと、1輪咲かせたのです。
最初、幻か?と思ったほどです。しかも、淡いピンクの花を1輪だけです? 数日後、根元に花びらが散っていました。
さらに少し離れたところで、昨秋、こちらも何十年ぶりかでほんのりピンク色の白い大輪の花を10数輪咲かせてくれた少し丈の大きい、やはり「さざんか」が、今秋は全く見られず残念に思っていましたが、ふっと気が付くと、地面に散った花びらを見つけました。良く見ると木の陰、目線の陰に咲いていたようで、気が付けず残念でした。それにしても、なぜか、我が家の庭では花も場所を選ぶのか?
思うように咲いてくれないことが多いです。
他所では、こんなところ?と思うような、肥料も絶対やられていないような狭い隙間に生えている「さざんか」や「あじさい」がこぼれんばかりに咲き誇っているのをしばしば見かけます。
なんとも残念?
あぁ 今年も11月の終わりになってきました。日がぐっと短く、夕方5時頃には、もう日暮れの風情が漂います。
昨日、京王線調布駅前のバスロータリでバスを待っていましたら、周辺で、ご年配の女性が2人、ビニール袋を持って、はさみ?(ごみなどつまむ道具?)を持って、
ぱらぱら散っている落ち葉を一つ一つ拾って袋に詰めていました。
随分まどろっこしい作業なので、竹箒など道具があれば良いのではとその珍しい姿に感心しながら見ていました。
暫く辺りを見渡してから、再び目線の中に入ってきましたら、いつの間にか暫くの間に、袋が可なり一杯になっていました。
私は、その大変まどろっこしい作業にそんなにやる値打ちを感じていませんでしたが、辺りを見渡すと、確かに落ち葉が殆んど無くなり、
すっきり爽やかに感じられました。また、すぐパラパラと落ちるのでしょうが、ほんの暫くでも気持ちが爽やかになって、いいなあと思いつきました。
私にはやる気の出ない作業ではあるのですが・・?
最近?いつの間にか 駅前広場の大きな2本の木の下にベンチが置かれ、お年寄り達が談笑し、お昼食でしょうか?若者がサンドイッチなど口にしていたり、のどかな様子が見られます。
冬本番前の暫くの風景なのでしょう。私は、このところずっとあれこれ読書を楽しんでいます。最も嵌っている事!それは、絵本を見ること!!
絵本といっても、ただの絵本ではありません。絵本作家安野光雅さんの「旅の絵本」(福音館書店)という、世界各国の旅で目にする風景など大変細かく書き込まれています。
目下9巻まで、出版されています(次の出版を待ち望んでいますが、もう90歳を過ぎていらっしゃる様子?次は、ドイツ辺りらしいのですが?)。
説明など文字は、巻末に少し作者なりの解説が追加されているだけです。基本、各ページには文字は全くありません。
ヨーロッパの主な国については出版されているのですが、ドイツや北欧などは出版されていません。南米やオーストラリアなどもありません。
それぞれの国を馬に乗って、また船に乗って巡り、目にするものをびっくりする細かく丁寧な筆致で書かれています。
その細かい細かく書かれている形を一つ一つ見つけて、あれこれ判断するのはとても楽しく、何度見返しても見飽きないです。
顔など細かくなく(目など書かれていないのがいいですね)、簡単な筆致で書かれていながら、それぞれの特徴がしっかり書かれていて、
子供は勿論、男性か女性か、若いか年寄りかまで判断出来、それぞれの微妙な体の描写で作業・行動の内容も判断出来、
止められている自転車のスタンドまで書かれていて、感動するほどです。
時には、左右2ページ見開き一杯に100人以上ほどが表情豊かに書かれていて、画面から、様々な音、音楽、会話まで聞こえて来そう
です。時間を忘れるほど、何とも見飽きない楽しい楽しい絵本です。(少しずつ買い続けて、出版されている9巻全てを買ってしまいました・・)。
もともと、グランマ モーゼや、ブリューゲルの作品のように、ちまちまと細かく日常が書かれている絵が大変気に入っているのですね。
明るさや楽しげな、何気ない日常の表現では、安野さんは、
抜群の素晴らしさと、私はとても気に入っています(喜怒哀楽の表現は全く無いのですが・・)。
猛暑の夏から漸く涼しくなって、暑さ寒さも彼岸までながら、ぶり返す暑さに体調の調整に今秋は少々困っていました。漸く、まずまずの体調になってきています。と思うと、もう10月半ば過ぎです??
夏の間、赤く(なるほど、だから火星というのか?と何となく納得していました)ずぅ〜と輝いて楽しませてくれていた火星の姿が、この秋は雨雲の広がる夜が続き、殆んど見られなくなり、寂しい感じです。
ただ、netでの知識では、11月頃まで一応見られるようだとか? ただ、だんだん輝きが薄らいでいる様子です・・?今夏は、火星のみならず、土星、金星等も見られたらしいのですが、残念ながら、私には、火星以外は、注目が遅れたためか、よく分かりません?
もう、光が薄らいできているようで、特に、あんなに赤く?また金色に輝いていた火星が、この頃の曇天のため見られず、月すらよく見えない様子で、大変寂しく、残念です。暫く前に、大変久しぶりに、うっすら輝く火星を見つけ
られた様子で嬉しかったのでしたが、この何日間も全く見られません。
多分、輝きが薄らいで、もう余り観られなくなっているのでしょう と残念に思っています。特に、今夏は、赤く大きく輝いて観られる時だったようです。土星もそれらしいかな?という感じで
良く分からず
、残念です。金星は、1年の中、意外にしばしば見られますので、又の機会をと楽しみにしています。
この夏以来の数ヶ月余り、猛暑に続く、台風の連続襲来、更に地震と、日本列島は本当に大変でした。
東京、特に調布のこの辺りは、2度ほど、ものすごい雷と稲光、猛烈な驟雨を経験しましたが、さしたる被害もなく、神に感謝です。
ただ、この辺りは、畑も多く、木々も多いのですが、今夏は特に蝉が極端に鳴かず、庭の蝉の穴も1個しか見つかりませんでした。
秋が近づきましても、殆んど虫の声も聴かれません。静かなものです・・・?
周りには、広い畑が広がっていて、調布の中でも、農家さんが多い方かもと思われますが・・?
近隣は、無農薬栽培と東京都からお墨付きをもらっていると聞いているのですが・・・? そういうシールも売店販売の袋に張ってあります???
あたりに広がるキャベツ畑では、大きく丸く巻いて育っています。農家さんには、蝶々は大敵なのでしょう?? 大きく巻いているキャベツ畑で、1週間と開けず、一生懸命に農薬散布です。「え??」と見てみると、なるほど、大きく広がった外葉には虫に食われた穴が沢山見られます。なるほど、出荷して販売するには、虫との闘いですね???
ただ、
私は、どちらかというと、虫に食われた穴のあるキャベツがあれば、よほどひどく無い限り(大抵は、とても綺麗なキャベツが並んでいます)、なるべく、そちらを選んで買うようにしているのですが・・・? 秋になって、救いは、胴が水色のとんぼ(なんという名前か?)が、時々、4、5匹ほど我が家の玄関先で群れていま
した。
とんぼも、余り見かけませんから、嬉しいです。この夏は、何となく、気が向きまして、意外に本を、あれこれ、時に、つい徹夜したりして、読みました。
買ったり、借りたり。そう、初めて、「ちびまるこちゃん」も、調布図書館で借りて、3冊読んで見ました。名前は聞いたことがあっても、テレビも見ず、読んだことも皆無でした。
あまりに有名ですから、少しは垣間見ようと 今更ながらですが・・ さらさらと読めるかなと思っていたのですが、小さい字でぎっしり書いてあったり?さらっとは行きませんでした。
なるほど、よく書かれているなあ!! 次に、長野県上田市にある無言館について、館長の生い立ちや美術館設立の過程など、やはり3冊ほど借りて、読んでみました。
ニュースなどでも知っていたので、以前から関心を持っていたので、様子を知り得ました。一度、訪ねたいと思っているのですが・・・
更に、アメリカ人(日本に帰化なさった?)のドナルド・キーンさんの「私の大事な場所」中央公論新社刊
も借りて読みました。
ただ、驚いたのは、日本が好きで、日本語がお得意とかだそうですが、どんなにお好きでも、日本の古典文学に時代を網羅して取り組み、造詣が大変深い様子に、本当にびっくり!! 私も、平安時代の女性作家の作品など意外にさらさら読めますので、いくらか読みましたが、それ以後の室町だの、江戸時代の様々な作品は、何となく知っているかも??位で、日本文学を専門に研究なさる学者でいらっしゃるとはいえ、素晴らしいより、すごい方に思えます。日本好きが嵩じて、現在96歳とかですが、日本に帰化なさり、日本人をお養子さんになさっているとか??? 世界は広いですから、時には、そのような方もいて下さるのも嬉しいかな?と思いつつ・・・・
今は、最近、大変評判になっている様子の[「経済学者たちの日米開戦」秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く]牧野邦昭著新潮選書を読み始めています。次々と戦後あらゆるところで活躍し、日本をリードしてきた超有名な方々の名前が沢山書かれていて、こんなに凄い方々が集まって、当時の日本の経済事情を調査・議論され、実情が知られていたにも拘わらず、後に、日本は、真珠湾攻撃に突入し、大戦に突き進んでいった事情を、多少は知り得るかと読み始めています。この秋丸機関に集められた方々は、岸信介氏初め、戦後の日本を引っ張って来た方々で、お名前くらいは、私も十分に記憶にある方々が多く、中でも、蝋山政道氏は私の大学の学長でいらっしゃった。お姿を何度か拝見しましたが、小柄なおじいさんで大変穏やかそうなご様子で、話しぶりも静かで、学生に慕われていました。ただ、戦争中から有名な学者でいらっしゃったとは何となく伺っていましたが良く調べもせず、今に至っていて、今頃、漸く少々知る事になっています。まだ、読み始めたばかりで読みやすい文章ですが、さらさら読める程でなく、ただ様々に聞いてきた日米戦争のいきさつを少しでも知り得るかと読んでいます。
連日の猛暑も台風到来で風の向きが変わって来た為か、今朝(16日)の風、空模様、空気は秋を感じさせてくれています。
毎年ながら、毎日続く猛暑があんなに辛かったはずなのに、些かほっとしながらも、少々寂しさも感じます。昨日は、8月15日終戦記念日です。
あの日をはっきり記憶している方がどんどん少なくなっています。
私は、暫く前から、たまたま新聞の書評で目にした「宝島」(HFRO’s ISLAND)真藤順丈作
講談社刊541頁1,850円を、夜中や休む前などに、もう暫く前?から、少しずつ読み進めています。
(この本の題名の意味を、作者の意図を考えています。どこにも書いてない?) 読み進めるのに、いつもの何倍か日数がかかっています。
ページ数が多いことと、出て来る言葉(沖縄言葉?)の理解に時間がかかる、すーっと入ってこない!
第二次世界大戦後、アメリカ政府統治下にあった沖縄の情勢、戦争中には日本本土の防波堤にされて、
表現の可能を遥かに越えた悲惨な事態を経た沖縄、想像を遥かに越えた当時の沖縄の人々の苦悩と奮闘が克明に
(多分?)描かれています
(と思います。私は実情を全く知り得ていません?)戦争直後からの沖縄の悲惨な実情を救おうと、
「戦果アギヤー」と呼ばれた、米軍施設に押し入って生活物資を略奪し、多くの沖縄人に分配して多少なりとも助けて大活躍した人達、孤児達を助けて育てた人達、
植民地にしたいアメリカ政府に猛反対して、日本復帰のため必死で戦った人達の心意気とその活動、授業中の小学校に燃えた米軍飛行機が突如墜落して、児童達が逃げ惑い、
2人ほど可愛い子供が犠牲になった事実(パイロットは無事早く逃げていた由)、
一方で、米軍と様々に関係し、人生をないがしろにされてしまって命を絶った多くの女性達やまだ幼い女の子達、必死で生きる道を探っていた男性達、
更に、その影?で米軍を利用して多額の糧を得ていた人々等など、占領後から1972年日本復帰までを3部に分けて、
克明に(知識の無い私にはそう思える)その時代を生き、呼吸していた実情を物語風に描かれています。541頁の大変読み応えのある内容です。
私には、全く知識の無い沖縄言葉や沖縄の状況、描かれている沢山の人々の様々な関わり合いなど、少々読み進めるのが大変で、少しずつ読んで、
もう読み始めて暫くになるのに読み終われて居ません。さすがに、漸く残り少なくなっていますが、なんとまだ90ページ近くもあります。
まず、沖縄言葉らしいのがすっと入ってこなくて文章の理解に手間取っています。それほど多く無い登場人物の関係、当時の沖縄の人々の感情・行動を咀嚼して理解するのに少々時間がかかる?
ただ、大変良く書かれているように思います。一応、理解出来たように思えるのは、米政府・米軍が占領中(統治下)の沖縄人達の私の想像を遥かに越えた逞しさ!
沖縄人達の日本復帰への並ならぬ熱情!私の余りに浅薄な認識を思い知らされた内容で、確かに、書評にある「圧倒的な傑作で、いつまでも読まれ愛される名作」かも? ただ、日本復帰後
45年を越えても、米軍基地の存在の是非に苦しみ、日本政府も、あれこれ随分保証をしつつも、その必要性は絶対視しており、
かって、橋本大阪知事は、米軍基地を日本全土で分担すれば、沖縄の負担が減ると言いながら、大阪にはそんな土地は無い!と言い切る無責任さ!
日本中のどこも、気の毒と言いながら、全く知らん顔!
命を懸けて奮闘なさった沖縄県知事の翁長知事、支えていた県民達、一方で、日本政府からの多額の利権を当てにする県民達、
結局、アメリカ統治時代と形は変わっても、実質で殆んど変わりの無いところに、沖縄の歴史に刻まれる解決不能の苦悩の深さがある。
私は、2回ほど本島や島々を訪れ、青く明るい海と空を満喫して、のどかで親切な沖縄人(ウチナンチュ)に
出会い、親切に応対して頂きました。もっともそれが彼らの仕事です。
ハイビスカスの真っ赤な花が咲き乱れていました。他の沖縄の花も殆んど赤いようでした。様々な色合いのブーゲンビリアも咲き乱れていまして、とても美しかったです。
砂浜ではご多聞に漏れず、星砂を拾ってきました。いまレッスン室の書棚に、拾ってきた小石と共に飾ってあります。
ただ、勿論仕事として、沖縄の人々の親切に甘んじただけで、じっくり話すこともなく、沖縄の苦悩を垣間見ることは出来ませんでした??
(もちろん、沖縄は、何といっても観光で収入を得たいのですが・・) それだけに、過去から未来へ
延々と続く沖縄の人々の心の裏を慮っています(思いつきの同情は全く禁物です)
連日、東京では猛暑が続きます。先週は台風到来でしたが、東京辺りは、思いのほか、風もそれほどでなく、雨も知れていました。
ところが、神様のいたずらでしょうか、長い日本列島の西の方では、暫く前に豪雨が降り、信じられない災害に襲われたばかりですのに、
またまた、今度は台風の到来です。台風は、大変珍しく、日本海方面や東北方面へ進むいつものコースと違って、神様の気まぐれか西方に円を描くように通り過ぎ、本当に本当に残念でお気の毒に思います。
ダブルパンチ? のどかな東京にいて申し訳ない思いです。
それにしても、全国どこかしこでも、猛暑が続いています。やはり、神様の温かい思し召しを願って、なんとか穏やかに、夏が過ぎますように祈るしかないようです。
今日8月6日は、広島に原爆が投下された日です。私は、親類縁者どんな意味でも、幸せなことに全く被害など受けませんでしたが、せめて
ものと、一生涯、絶対にアメリカを許さないと心に決めています(行動で示す機会にも巡り合わず、勇気も無く、心ひそかに・・) 私には観光以外に全く必要もありませんので、
一生涯、アメリカには、またハワイにも行きません。大変ささやかな、心ひそかな?決心です。もっとも行かなくても、TV、新聞、地図、net その他の刊行物により、
米国事情の可なりのことは分かります。人類史上最悪の行動で、どんな言い訳も許されない極悪非道の罪深い国です。
勿論、人道的な素晴らしい考えの方々も多く、その考えの方々のほうが多い
かもと考えていますが。止めようとする方も可なり居たらしいと伝えられますが、「go!」サインを出した当時の大統領トルーマンを、絶対許しません。
私ならずとも、更に強く、強く考えている方は多いと思います。
さらに、2度も都市の真ん中に投下して、第U次大戦を終結させたんだとその功績を主張する考えもあるようですが、
一方、当時の日本の上層部には、とんでもなく無責任な「一億玉砕」との主張もあったとか?で、
それを早めに終結させて、未然に防いだとの主張もあるそうです。が、当時の日本国民は疲弊しきっていて、そんな余力などありようも無いことは、
アメリカでは、十二分承知していたはずです。なのに、大勢の無実の人々を「むしけら扱い」で町の真ん中に投下させた。(瀬戸内海の海の中でも威力を示せたはず?)
しかも、2回も! 私は、当時小学3年で、田舎の親戚にお世話になっていました。あの日の翌日?の新聞の写真(あったような?)を見ながら、
大人達が、広島に、大変な「新型爆弾が落とされたらしい?」のように話していたのを記憶しています。私は、母と2人の弟達と疎開中でした。
その後間もなく、8月15日、戦争終結の玉音放送です。全天一点の雲も無い真っ青な晴天の日(全国中で同じだった様子?)で、
互いに寄宿していた大人たちも、総勢確か10数人?、当主の叔父やその家族、祖母も、すっかり気が抜けたように、
放送の後、辺りが暗くなってきても、無言でごろごろしていた光景を記憶しています。
悲しいというより、一様にほっとして安堵していた様子で、緊張して、必死で頑張ってきて溜まった疲労がいっぺんにどっと出来てきている様子だったように記憶しています。
私にとっては、むしろ、その後の方がそれは大変でしたが。
2月に入り、明日3日が節分、4日が立春だそうです。豆まきも久しくやらず、煎り豆も戴かず(歯も大事?)、
子供達が小さかった時を懐かしく思い出しています。
今冬も、大雪の便りが、高い山脈に囲まれた東京など以外、九州や四国なども、日本列島を南から回ってくる、
北からの寒気のため、雪に見舞われているとか?
申し訳ないくらい、東京は、毎日晴天続きでした。ただ、実は、東京も、このところ、珍しく、雪に見舞われています。
先週1月22日(月)、23日(火)には、思いがけず、可なりの雪が降りました。
屋根から、庭にどさっとずり落ちてくる雪に、融けた後のぬかるみを思いやっていました。
さらに、昨夜2月1日(木)から、今朝にかけてのさらさら降り続いた雪。
いずれも、我が家の近辺では、TVで、何度も警告されるほど、大したことも無く、まあ、雪を楽しむ程度です。
「あぁ! しばらくぶりの雪だぁ!!」と。
もちろん、うっかり滑って転んで、捻挫や骨折など、絶対にしないよう、わが年齢を考えて、注意百倍,千倍?です。
雪かきの後が凍り付くのに、細心の注意です。
冬至が過ぎて、年が明けますと、少しずつ日が長くなり、実は陽光も心なしか明るく感じられてきます。
毎年1月の花と思っている、はかなげに透き通る蝋梅が、昨年暮れから、早々と咲き始め、梅も咲き競い、陽
の光に照らされ、
冬枯れの木々の中に、ほのかに香り、のどかに暖かく美しいです。
なのですが、実は、私には、およそ関係ないながら、このところ、とても気になっていることです。
アメリカでは、異色の大統領が、驚くような言動を繰り返し、言葉もあらわに、人種差別的発言を公言して憚らない?
様子です。
勿論、多くの方々の非難を浴びつつも、一向に改まらず、むしろ、良く言ってくれたと、アメリカの可なりの人々は、
満足気で、殆んど人気に翳りも見えず、40%ほどの支持を維持している様子とか。人種の違いの偏見の奥の深さを知らされます。
そういう、日本でも、実は、昔から、驚くような差別的行為や、発言が繰り返されてきて、村八分などということもあり、
村はずれで、先祖関連の差別された家柄とか、さしたる理由もなく、遠慮して生活していた人がいたりしていました。
今も、土地土地で、それほど公言されていない?とはいえ、残念ながら、根深く、解決が難しく、払拭しがたい問題なのです。子供のいじめも同じです。
人間社会の解決不可能な問題でしょうか? ただ、世の中全員がということは、決してなく、自分に合う世界が必ずあるので、気にしないで、
堂々と、自信を持って生きることでしょうと考えます。アメリカのように、殺傷事件に発展したり、ヨーロッパでも、
いきなり、大勢の人々を対象の殺傷事件があると、人間とは、やはり、文明が、知的なレベルが、どんなに発達しても、獰猛な動物と同様、
むしろ、この地球上で、最も始末の終えない、獰猛な動物であると、そういうものかと、妙に諦めムードになったり・・・・・
いやいや、私達は、人間である。
知的な、思考力を持った人間である。思いやりと温かい心を、育むことの出来る素敵な生き物なのだと信じて、
少しは、世の中を温かくするよう、自分なりに努力したいと思っているのですが・・
多くの天変地変の度に、多くの人々が、ボランティアとして、食料や、寝袋など、一式持参で駆けつける。
私は、ニュースで知っても、感心し、素晴らしいと思いつつも、一度も行ったことは無い。
まあ、今になると、この年齢の力足らずのおばあさんでは、かえって、足手まといでしょうと。
東日本大震災のような時は、想像を絶する事態の余りの事に、及ばずながら、私なりに思い切った寄付金を送ったり、
でも、他の災害では、やったり、やらなかったり・・
(阪神大震災の時は、勿論、個人で寄付もし、実姉が神戸在住ですので、寝袋持参で、取りあえず駆けつけ、後片付けなど、何度か通いましたが・・
あの時は、全体にまだ若かった私の合唱団でも、チャリティーコンサートを行い、低くない金額(確か、30万円足らず)の皆様の浄財を、
相談の結果、神戸の子供財団に寄付しました。・・
ただ、あの時は、係りの役員さんが、丁寧に集計して、送金してくれたのですが、ごく簡単な1枚の受け取りの領収証?のようなものが届いただけで、
「ありがとう」などお礼の言葉は、全くありませんでした。
先方にしてみれば、それはそれは大変な事態になっているので、寄付金など当たり前で、お礼の一言の必要を思いつきもしないのかもしれませんが、
領収証を送るついでに、ごく簡単に一言でも、「ありがとう」の文字があってしかるべきでは?と、むしろ、不思議に思い、記憶に残っています。
人間力の素晴らしさ?神戸は、とっくに、復興して、以前より町並みが美しくなっています。ただ、私の友人も含め、多くの犠牲者は、忘れません。
東北大震災も同じです。記憶のかなたになる第2次世界大戦
(全く知らない人々が、もう70歳を越えてきている)
を戦った悲惨な日本は勿論、世界中の計り知れない犠牲者が、記憶のかなたに沈められていますが、忘れてはいけない、人種差別の最たる結果でもあるのです。今、アメリカは、ユダヤ人が、勢力を増し、かっての裏返しのような行動を広げているように思えます。
世界は、人間も、動物同様、いえいえ、動物以上に、永遠に争いを続けていくように思えるのですが、私の身の周りは、まずまず穏やかで、感謝すべきでしょうと・・・
問題山積の日本の先行きが、大変気がかりですが・・
ところで、「有難う」という言葉は、世界中に、必ずあります。どんなに大きな声で言ったとしても、全く、損はしません。
それどころか、世界中、どこの国の人々も、それぞれの土地の言葉で、「ありがとう」「thank you」というと、絶対に、笑顔が返ってきます。とても素敵な、大切な言葉で、大事にしたい、すべき言葉です。アフリカでは、小さな子供達まで、
普通に英語を話しています。日本人(私も)は、普通は、なかなか思うように、
英語も話せずにいます(日ごろ、話す機会が皆無で、全く慣れません)。
でも、せめて、(英)[Thank you],(独)[Danke schön],(仏)[Merci beaucouq],(伊)[Grazie mille],(西)[Gracias],(ポ)[Obrigado(又はda)],
(韓)[カムサハムニダ],(中)[謝謝]と、覚えましょうかと、思います。
これだけで、土地土地の人々は、大人も子供も、にっこり、笑顔を返してくれる素敵な言葉です。とても
素敵な笑顔が、ニュースや、ドキュメンタリーでも見られます。トランプさんも、しっかり見ればいいのに・・・・・。
黒い子供達が、眼を輝かせて、英語を話す姿、「ありがとう」という姿、みんな人格があり、存在がある。
(ただ、外国を旅行する時は、にこにこと可愛く近づいてくる子供には、最大に要注意。可愛いけれど、十二分に要注意!!
決して近づかない! 近づけない! 遠目ににっこり・・・も、絡まれるかも??とのこと。
気が付くと、何か無くなっていたり?バッグが開けられていたり・・・ 誰がそのように仕向けたか? 残念ですが、現実です。
でも、やはり、「アリガトウ」「ありがとう」「有難う」は、本当に素晴らしく、大切な言葉です。)unicef, 国境なき医師団、青年協力隊(Jica)など、人種を超えて、今現在も、
世界中で、多くの方々が、多くの方々のために、一生懸命に活動しています。
年が明けました。2018年だそうです。更に、もう少しで、年号も変わって、平成の時代も終わるそうです??
昭和の香りがするとか言われて、昭和生まれの私など、何かすごく古くなってしまったような気持ちにさせられていましたが、間もなく、平成の香りがするなどと言われるようになると、昭和はどういう香りになるのかしらと? もうカビが生えたような香りになるのでしょうか・・?
まあ、わが年齢を考えると、そうかも?と思わないわけでもないのですが? まだ、目も、視力1,2まで見えるし、耳もとても良く聴こえるし・・・?
眼鏡要らずで、楽譜も十分読め、針穴が見えて、糸も通せ、辞書の細かい字も読めるんだけど・・・? いつまでかな??
ところが、私が、昭和生まれの証拠に、今時珍しく? 私は、繕い物が大好きなのです。
繕い物などと言っても、???の方が増えているかも? ボタン付けに始まって、ちょっとした洋服のほつれや穴あき等々。
布切れを切れ目に乗せ、アイロンを当てて、穴の補修をするという方法もあると。
それも、いいかな?と思ったのですが、ちょっとしたほつれは、やはり、糸と針で細かく補修するのも、目立たなく仕上がった出来上がりを楽しめて、嬉しいものです・・・?
実は、この繕い物の方法は、小学6年の時(はるか大昔?)、家庭科の女性の先生に教えていただき、大変面白く、実は気に入って、以来、様々に繕って楽しんできたのです。
ある時、30cm四方ほどの布を持ってくるようにと言われ、それぞれに持参すると、繕い方を教えて下さった。10箇所ほど、大小の丸い穴、かぎ裂き、生地が薄くなっている部分?など、いろいろな傷み方を作り、それぞれに当て布をしたり、糸をくぐらせながら、縦横と埋めて、ほぼ元通りに近く仕上げる方法など。
今に至るまで、自分のものは勿論、夫のコートの繕いなど。お陰で、物持ちが良すぎて、些か、どうかな?と。
第2次世界大戦直後は、食料は貧しく、まして、衣服など本当に乏しく、繕って着続けるしかなかった時代です。私は、お名前は、忘れましたが、そのお顔の様子と共に、綺麗に
繕う方法を教えて下さった貴重な経験に、今に至るまで、心温まる思いで、感謝しています。(この時以来、教えて頂く機会は、全くありませんでした。
更に、誰かに、受け継ぐこともしていません。時代が違って、感覚が違い過ぎている?? でも、ボタン付け位は、どなたでもしているはずですね?当たり前に。)
ただ、今の時代、景気を支えるためには、どんどん消費することも必要なのかも? 大量生産、大量消費? 大量のごみの行き場は???
そういえば、漸く思い出しました・・? 初詣に、まだ行っていませんでした。今年は、何故か、行く気がしないのですね。
昨年暮れに、富岡八幡宮での、陰惨な事件が大きく報道され、大変な収入があり、その使い方についての信じられない争いが続いていたとか?
また、宮司の職を巡っての信じられない争いがあるとの報道に、また、多くの寺社の想像を越えた収入の多さとその使われ方が、多少知らされ、びっくり仰天、
さもありなんと、妙に納得させられ、お参りすることに大変疑問を持つようになっています。家族の安寧を祈って、お参りし、些少のお賽銭を納めてきましたが、
積もり積もれば、莫大な金額になり、それを巡って、一族で争いを続けているとは? 他の寺社も、同じようなことが、珍しく無いとか??
それぞれの寺社の修理や維持の為は当然ですが、折角の心づくしの浄財、社会のために、有効に使うのが、当然でしょうと考えるのですが、
入ってきたものは、何に使っても勝手と、豪遊などとは???
この部分は、
ひと月ほど前、書きかけてそのままになりました。「今年も11月になって来ました。
後2ヶ月で、年が明けます。秋の長雨とは、今秋のことのようです。漸く秋晴れが見られ、何かほっとする思いです。
今秋も株が増え、沢山咲いてくれ、楽しませてくれた、温かく優しい様子の白い「秋明菊」も終わりつつ、
更に、沢山真っ赤な小さい粒々の花を付けてくれた「水引草」も終わりつつ、秋の終わりを感じさせられます。
いずれも、私の大好きな花で、心が膨らみ、満足しています。肥やしは、お米のとぎ汁程しか撒かずなのに、けなげに咲いてくれて、本当に嬉しいです。
そうそう、もう何年も花を付けていなかった「さざんか」が、今日気が付いたのですが、なんと白い花をほころばせ始めています。
突然変異の様子です? 蕾も入れて、今のところ、3輪ほどです。 更に、木の高さ
2m少々の小ぶりの「さざんか」などは、肥やしもやらず、毒蛾予防で、毎年、しっかり剪定して、花の蕾も付きづらいはずで、
昔少し咲いた記憶があるくらいで、全く何十年も花をつけなかったので、びっくりです。いじらしい感じがします
(12/10 その後、気が付いたのですが、昨年秋、長年そばに立つ、全く実をつけない柿の木を高さ1m程に切ってしまったのですが、そのため、大変日当たりが良くなった為かも?
結局、次々と20輪くらい、直径7〜8cm程の大きなほんのりピンク色の素敵な花が咲いてくれ、とても幸せな気分になりました。
)
9月半ばになって、秋ですね。この夏はあまり暑くなく、
残暑も、さほどではなく、残暑に大変弱い私は、気持ちの上でも、助かっています。このところ、蝉の声が全く聴かれなく、これが毎年になるのでしょうか?と心配しつつ、
昨年は、どうだったかな?と思い出そうとしていたのですが、漸く、気が付けば、庭には、蝉の穴が、3つくらいあって、8月10日過ぎ?くらいから、少し聴かれ、油蝉、ミンミン蝉、ひぐらしなど一応聴かれました
。カナカナは、残念でした?
ただ、やはり、いずれも少ないなあと気がかりです。
昔は、蝉の穴が、狭い庭のあちこちに、30個以上ほどは、見られていたものです。当時、空いている穴に、初め、何かしら?と思っていたものです。わが庭では、農薬は全く使わないのですが・・ いつの間にか、激減です。更に、虫の声です。我が家の植栽の中で、幾つかの虫の声が毎夕、聴かれます。
でも、嬉しくなる程度で、昔のように、うるさい感じでは、全くありません。我が家のフェンスの向こうは、農家さんの広いお屋敷の裏手になり、お忙しい様子で、
特に今夏は、背丈を越える雑草が生い茂っています。
そのお陰か、この秋は、なんと、何年ぶりかで、3,40cmほどの細い茶色のへびが我が家の庭を這っていて(多分、マムシでは無いと思います?)、見ていると、するする〜っと
、お隣の雑草の中に消えていきました。
さらに、トカゲ(かがみっちょ)も、時々我が家の庭を散歩してくれています。日本スミレの葉や、くちなしの葉は、大きな蛾の幼虫に食べられ、文字どおり、筋だけになり、可哀想ですが、
どっちを助けるかな?と、葉は、又出てきますので、虫を優先にしました。蛾の幼虫ですが、調べると害の無い蛾とか? どうやら、毎年秋の初めにやってきて、たまごを産み落としている様子です。
すっかり食べつくすとどこかへ移動するようで、姿が見えなくなります。さなぎも無いようですが?無事に蛾になるのでしょうか?
他に、この秋は、嬉しいことがあります。昨年秋、道端に生えていた水引草の種を取って、プランタに撒いておいたのが、沢山生え出て、目下小さな赤い花を咲かせています。
私は、この静かな、おとなしい花が、昔から大好きです。又、今年も、秋明菊が、幾輪もほころんで来ています。狭い庭に、所狭しとあれこれ生え、だんだん窮屈になりつつの様子です。
さらに、もう50年ほど前、私達が、ここに住み始めたころ、私の父が、可愛い花だからと、宝塚市の実家から分けて持って来て、植えてくれた「タマスダレ」、清楚な白い花が、沢山群れ咲いてくれています。
同時期に咲く彼岸花と同種であることをネットで知りました。花の形状は、全く違いますが・・
これも大好きな花です。その父は、もう30年ほど前に亡くなり、花は、生き生き咲き続けてくれています。肥料は、お米の研ぎ汁のおすそ分けだけです。
株が大きくなり、毎日このところ、40輪ほど咲いてくれています。毎日、数えながら、花殻を取るのも楽しみです。
他に、やはり、26年前に、97歳で亡くなった夫の父が、実家から持ってきて植えてくれた1メートルほどの丈だった「ドウダンツツジ」が、
幹周り15センチほど、高さも3メートルほどになり、毎年、何とも可憐が釣鐘形の花を、びっしり咲かせてくれていたのが、数年前から、花が少なくなり、枯れ枝が見られるようになり、
とうとう今年は、殆んど枯れた様子になったので、思い切って伐採していただきました。線虫が入っているとか? 大変残念ですが、広がらないうちにと切っていただきました。
ただ、しっかり1mほどの子供を残してくれています。更に、根が伸び、小さい「子生え」が幾つか出てくれています。木は、老齢になると、どうも「子生え」を生えさせるようです??
素晴らしく咲き誇ってくれた「花桃」も幹の中は空洞になり、皮だけで生き永らえている様子ですが、根元や、幹の途中に、しっかり「子生え」を育て、子孫を残してく
れようとしています。
さらに、こぼれんばかりに毎年咲いてくれる「日向みずき」も、気が付けば、根元に小さな「子生え」が沢山見られます。
更に更に、香りが漂い開花を知らせてくれていた「黄木蓮」も、随分花が少なく、今年は、ほんの少しになっていますが、気が付くと、やはり根元に「子生え」が見られます。
山の木々もこのようにして、生え変わっているのですね。その一生懸命に繫いで行こうとする生命力に、私の心も励まされます。
8月 1日(火)2017
今年も真夏になっています。年の初めから、延々、私の勝手な原稿書きに日数をかけています内に、夏真っ盛りになっています。
で、気が付いたのですが、我が家の周りでは、8月というのに蝉が全く鳴いていません。以前、良く見かけた、蝉の抜け殻や、地上に出てきた地面に空いた穴など全く見かけなくなっています。更に、この近年、9月になっても、虫の声も聴かれません。大変静かです。とんぼは、ずっと以前から、蝶もめったに見られません。キャベツ畑は、年中?大変上手に栽培されていますが、いつの頃からか、あんなにいたモンシロチョウが飛ばなくなっています。ここの住み始めた45年ほど前には、すぐ目の前のキャベツ畑で取ってきた青虫を家の中で育て、沢山羽化させたりしていたのですが・・・ 更に、そういえば、先日、大変珍しく,黄アゲハが、庭木に止まって
いるのを見かけ、嬉しくなりました。暫くして、庭に出るとまだいてくれていました。とても嬉しかったですね。更に、すずめの声も、ムクドリの姿も、さらに更に、カラスさえ姿が見えません???
一時は、ざット数えて、30数羽いて、少し気持ち悪い思いもしましたが・・
その上、ご近所には、年寄りばかりで、子供の姿すら、ちらほらで、子供の声も聴かれません。大変静かで、結構です。でも、本当に大丈夫なのでしょうか?
近辺では、子供は居ないも同然なのですが、夏休みの昆虫採集など、この辺りではまったく出来そうにありません。
以前は、さあ?10数年前?20数年前頃には、庭に蝉の穴が沢山空いていて、うるさくみ〜んみ〜んと?
いえ? じ〜〜じ〜〜だったでしょうか多分こちらでしょう? ミンミンゼミではなく、油蝉だったようです?
近年聞かれなくなり、どっちだったたか記憶が薄れます。
8月半ば過ぎになり、夏も終わりになってきますと、「ほーしつくつく」「ほーしつくつく」と、「つくつくほうし」
少し遅れて、澄んだ響きで、「カナカナ!」と、聞かれて夏の終わりを知らされる様子でしたが、いつの頃からか、もう随分、まったく・・・
更に、9月,秋になっても、虫の声が全く聞かれません。年中、この辺りは、子供の声も聞かれず、
虫の声も聞かれず、街行く人々は、どちらかというと、年配者ばかり?? 周りの環境は、農家さんに囲まれ、
畑が多く、木が生い茂り、雑草は、呆れるほど勢いが良く、うっかり、庭に出ると、蚊の総攻撃を受ける、ある意味自然が豊かなのですが、気が付けば、
ものすごく変な自然環境にになっています。プランターの花などは、綺麗に咲いてくれる
ので、それにまぎれていましたが、
蝉の声も虫の声も聞かれず、童謡の「せみ、せみ、せみせみせみみ〜、
どこにいるのか蝉〜〜」も、「あれマツムシが鳴いている〜〜」も、何年か前から、昔々の歌ということになっています??
どこか所変われば、以前同様に、聴かれるのでしょうか? 私は、無農薬栽培と聞いています近隣の農業は、本当でしょうかと・・
農薬のせいで、強い虫や雑草が生き残って、繁殖、繁茂しているように思えます・・?
我が家の塀の向こうの農家さんの庭は、お忙しいらしく
、屋敷裏でもありか、木は生い茂り、雑草はぎっしり、
雨が降ると、茂ってきている笹がお辞儀をしてきて、フェンスを越え、塀を越え、我が家の庭に垂れ下がり、どうしたものかと思案しています。勝手に切ってよいものかどうか?何より、少々気持ち悪い様子になってきています。中に、
「あやめ」や、「ゆり」の花が、たまに咲くのが嬉しいのですが、ほったらかしで、塀の向こうとはいえ、少々気になっています。一方で、様子を伺っていますと、農家さんも、本当に大変そうです。
後継者不足の様子で、成人のお子様がいても、余り畑で姿を見かけない??
親世代の方々が、腰を曲げつつ、何とか続けている様子です。
若者は、何をなさっているのか? 寂しく、心細い状態が、これからの日本の将来かもと、案じています。
テレビも携帯も、スマホも無く、電話、ラジオすら珍しい時代!日暮れと共に、蛍がふぁ〜ふぁ〜と光り、
鳴き足りないのか日が暮れてもたまに聴かれた蝉の声、「〜〜岩にしみいる蝉の声」と詠まれたのはいつのことでしょうかと、この頃、妙に懐かしく、考えさせられています。
と、ここまで書いて、考えさせられるのが、害虫はしっかり生き残っている?
蚊、毒蛾、蜂、ゴキブリ、蜘蛛、蟻、この頃は、「ひあり」「背赤蜘蛛」とか? ただ、この近所では、蟻も昔ほど居なくなっている様な?蜘蛛?も。
更に全く見かけないのは、モグラです。昔は、畑やちょっとした空き地など、モグラのトンネルが続くらしい土の盛り上がりを見かけ、我が家の庭でも時々見かけました?
さらに、蛇?昔は庭の隅をそろりそろりと這っていたり、ブロック塀の上を這っているのを見かけました? また、蛙です。
今でも、見掛けのよくない私の握りこぶしほどの蛙が、我が家の庭の主のように
、ず〜と住んでいる様子です。私は、全く何もしませんが、大切に思っていて、姿を見かけると、生きていた?とほっとします。
以前、小さな雨蛙が住んでいて、雨模様になると、決まって、「けろけろ」と鳴いて、雨の到来を知らせてくれていたのですが、それもいつの間にか、随分前に聞かれなくなっています。
それでも、ごく稀に、とんぼや背黒せきれいを見かけると、嬉しく、「お大事に!」と言いたくなります。そういえば、突然?近所のお菓子やさんが閉店するらしいのです・・
お子ちゃまなど家族ずれも多く、車で来る方も多く、とてもお客が多い人気の店で、なんで?と思うのですが、10年の契約期限が来たからとか?
この辺りは、古い街道沿いのためか、目の前を、幹線道路が走っていて、集客力は十分の様子です。地主の方々も、強気なのでしょうか?
この同じ道路沿いでも、様々な店が並んでいて、全く変わらず、数十年は継続して営業しているのが、殆んどなのですが??
何故か、その場所の店は、過去にも、もっとも多く代替わりしている様子です。
お菓子屋さんは、大人のみならず、子供にも拘わりますので、地主・営業主共に、営業の利害だけでなく、お客の気持ち、必要も考えてほしいと今回は、特に思います。
近場に、気楽にちょっとケーキなどなど、無添加をうたっている類似の店が全くありませんこともあって残念な気持ちで居るのは、私のみではないと思います。
もっとも、実は、私は、それほどお菓子を買うわけではありません。アレルギーがありますので、買えるお菓子に限りがある事にもよるのですが・・
ちょっと気楽に買える店の少ない近辺、近くに、ちょっとパンやお菓子が、それに夏場、アイスなど買えるのは、何か心楽しかったのですが・・
5月27日(土)2017年
ゴールデンウィークは、記憶のかなたに過ぎ去り、でもまだ、一応5月ですが、陽気は、気温が30度に迫る暑さの日もあったり・・
TVでは、気象予報士さんが、次々入れ替わって出てきて、暑さ対策の警告を伝えています。
私の体感的には、それほどでもないか?と思いつつも、この先、夏に向け、暑さに弱い私は、悩ましい思いです。
まだまだ、夏最中に向け、10度ほどは、上昇の予定?・・・ 今くらいが、丁度いいのだけど・・・
日本は、春夏秋冬があって、四季折々、花々木々が変化して、何とも嬉しく、目も体もリフレッシュされます。
このところ、丁度自転車がいかにも古くなって買い替えの時期になっていましたので乗るのを止め、処分して、専ら、近場は歩くことにしています。
バスに乗って行ける所は、バスを利用しますが(何しろ、実は、私はいつの頃からか?バスは、なんと無料で乗れるのです??なんか申し訳ないような気もしないわけではないのですが、都民の権利を使わせていただいています)。バスも、丁度具合良く乗れないところは、運動もかねて歩いています。
結構速く歩けますので、全然苦にならずにいます。数日前にも、陽気もまずまず、直接行けば、15分ほどのところを回り道して、何年ぶりか、懐かしさを感じつつ、1時間ほどかけて、ゆっくり通ってみました。家並みも変わり、
戸建なのに、3階建てが可なりあるのに時の流れを感じつつ、かってはどうだったかしら?と見渡しながら、楽しみつつ歩いて行きました。
途中、道沿いの車庫の入り口で、屋敷の中ではあるのですが、「さつき」の鉢を沢山並べて、展示即売の様子を見かけました。傍で、少々お年の男性が手入れをしているのを見かけました。売っているわけでもなさそうで?
気軽な私は、声をかけましたら、大変気さくに応対して下さいました。まだまだ綺麗に花盛りの鉢の全ての枝を剪定し、土を掘り起こし、入れ替え、来年のために手入れをしているとのことで、もう40年以上も、お仲間と「さつき」の栽培を手がけているとのこと。今の時期に?といっても、そろそろ終わりのようながら、まだとても綺麗に咲いているのも多いのですが、思い切って手入れをしておかないと来年花
が咲いてくれないのだそうです。何故か、私には判りませんが、植物にはそれぞれの生態系があって、それぞれに合わせて手入れをする必要があるのですね。最近になって、漸く、知ることになり、ご近所を通りすがりに観察していますと、皆様、良くご存知のようで、それぞれに手入れがなされています。一応、花の栽培などが好きで、可なり関心がある
つもりなのですが時間の余裕も無く、特に調べたり研究もせず、狭い庭で、まあ自己流に楽しんでいます。ただ、通りすがりのよそ様の庭など垣間見て、楽しみつつもうらやましい思いをしていますので、手入れの仕方などそれなりに気をつけていましたら、漸く、庭を少し華やかにすることが出来つつのこの頃です。それで、学んだのは、つつじやさつきは、花が終わりそうになると思い切って、剪定すること。私の好きな「木香茨 もっこうばら」も同様にさっさと剪定してしまうことと知り、この数年実行しています。漸く、今年は、可憐な、白い小さな花が沢山咲いてくれ、本当に楽しませてくれました。萎れ始めると、花びらが茶色になり、可哀想なので、思い切ってすっかり剪定してしまいました。剪定しないという説もあるようですが、経験上、思い切って剪定した方が、翌年の花付きがとても良い様子です。「又、来年、お願い!」と気持ちを込めたつもりです?? 同時に、今年はとても沢山花を付けてくれたつつじの仲間「おおむらさき
」も、大々的に剪定しました。庭が寂しくなっていますが、未練がましく、枯れ始めたままおいておくのはかえって可哀想な感じもあり、思い切って剪定した方が、さっぱりします。夏に向け、葉が茂るでしょうし・・ 肥料は、ほとんどやらず、どうしたものかと思案しています。
実は、お米のとぎ汁を撒くくらいで、肥料などに触りたくないという(手などににおいが付く様で)?
心得違いの気持ちもあるのですね・・? それだけに、けなげに生き続けてくれる花や木に感謝して、日々見守っています? ところで、この頃といいますか、ず〜と感心していることを少し。TVで目にするさまざまな番組のテーマソングに、BGM、大河ドラマ
のバックに流れる音楽など、最近、作曲者名に、女性の名前も良くみられ、素敵だなあと、嬉しく聴いています。いろんな分野に、女性の活躍が見られ、頼もしく、
豊かな才能が認められている様子に嬉しい思いです。ず〜っと前にも少し書きましたが、場面場面のBGM、番組内容と全然関係のない曲なのに、番組の内容、雰囲気に、妙に良く合っていて
、こんなにいろいろな曲を良く選ぶことが出来るなあと、びっくりしつつ、大変感心したり、オリジナルの曲も、素敵で、良く書けているなあと感心したりです。勿論男性の作曲の作品も良く、最近では、観るともなしに朝続きで付けっぱなしになっている朝ドラのテーマ曲です。明るく楽しい雰囲気で、さらに、歌い方のうまさです。そして、ミニチュアがちまちまと動く画面の構成が、とても可愛らしく、良く観ると、毛糸やたわしなど、何気ないものをたくみに使って、街中を造形しているのですが、
今は、PCで、何でも自在に構成出来るのですね?
テーマソングを歌う歌手も、ライブは聴いたことが無く、名前くらいは知っているという歌手ですが、
曲の雰囲気に良く合っていて、軽やかな歌い方に、長く活躍されているだけのことはあるなあ?
それほど関心も無かったのですが、朝ドラのオープニングの曲といい、歌手といい、なんて上手なんだろう?と、聴く度に、感心して聞いています。
大河ドラマでも、女性の作曲家で、素晴らしくすてきだなあ!と、嬉しくなります。
一方で、TVで、名前が知られると、地方でもどこでも、妙に持ち上げられる?様子に、些か違和感を持ちます。テレビに出たい、有名になりたい願望?
結局は、やはり、地道にこつこつ働いている方が、世の中の発展には、何より大切で、少しでも、地方を活性化していただける方が、第一です。と願っています。
夜遅くに、若い男女で溢れかえる様子の東京の繁華街に、歩きながらまで、スマホから目が離せられない人々、ふわふわと、浮かれているわけには行かない
。東京1極集中でなく、地方の高齢化が進む日本の現状を、何とかしなくちゃ?どなたかしっかり守ってほしいと、心から、強く願っています。
ただ、私が出来ることは、せめて、折々に寄付するくらいでしょうか?
4月27日(木)2017年
今年もゴールデンウィークがやってきます。毎年、全国で
、騒がれる桜の開花も、ここ東京では、とっくに終わり、目下は、東北?もう北海道でしょうか? この桜は、勿論、ソメイヨシノの開花のことです。
同じ「染井吉野桜」が、日本中を少しずつ北上していきます。日本は、列島と言われるだけに、季節の移ろいも、少しづつ長く楽しめます。
4月半ば頃、季節に、旅をすると、川があれば、必ず?川沿いに桜並木があり、満開の桜並木が、車窓から見られ、さらに、地方の駅を通ると、
多くの場合、殆んど必ず、桜が群れ咲いていて、日本人は、本当に桜好きなんだなあと実感します。「ソメイヨシノ」は、まず、花ビラが呆れるほど群れ咲きます。
どうして?と思うほどです。少し遅れて、咲くのが、枝垂桜です。これも、美しく、大好きな桜です。
他に、白、薄黄色、緑がかった桜などいろいろあり、これらは、「ソメイヨシノ」と違って、花と葉が同時に見られます。
葉の色もさまざまで、これはこれで、私は大好きで、本当に様々あり、何とも嬉しい花々です。更に、葉っぱを食べる、桜餅やお茶にする八重桜というのもあります。
様々な桜は、どこでも見られるわけではありません。ところが、我が家の近く、歩いて、数分の道路沿いに、大きな桜が6本ほど茂っています。
大きくなって、電線にかかり、可なり枝切りされているのが、大変残念です。1本1本、種類が違い、花の色もいろいろです。毎年、季節が巡ってくるのを、大変楽しみにしています。
調布市役所の河津桜、我が家の彼岸桜、そして、お隣の大きな3本のソメイヨシノ桜、そして、近くの6種類の桜(ソメイヨシノを最初に、少しずつ順に開花します)と、
毎年、待ち遠しく、大変嬉しい季節です。それも、そろそろ終わりで、残念ですが・・ ここ調布の今は、みずみずしく茂ってきている街路樹の青葉、ピンクや白の「はなみずき」、
そして、今を盛りに、街路を華やかに彩ってくれつつあるのが、「つつじ」や「さつき」で、濃いピンクに白と大きな花びらの「おおむらさき」でしょうか?
どうしてと思うほど、ぎっしり群れ咲いています。さらに、続いて、小さな赤い花の「さつき」が、これまた、びっくりするほど、群れ咲いてくれます。その勤勉さ?に、圧倒されそうです。
我が家の庭でも、関東ローム層のお陰か? ふかふかした黒土のお陰で、狭い庭に、しっかり季節を読み、次々ささやかな花が咲いてくれます。
目下は、スミレです。紫が濃いの、薄いの、更に白と、小さい植木鉢や小さいプランターに、狭くて気の毒なくらいです。
それに、そろそろ満開になりつつある「モッコウバラ」です。とげの無いバラで、黄色の花が多い?のですが、我が家のは、白花です。
全ての花々は、生き物です。ほんの少しながら、手入れをする必要があります。ささやかながら、世話をしていると、本当に嬉しく、答えてくれます。
うっかり忘れていると、気が付くと、消えて無くなっていたりして、詫びたくなります。
暇を見て、ほんの少し、全くの素人がする世話ですが、でも答えてくれて喜ばせてくれます。
4月
1日(土)2017年
今日から、4月です。早いような、普通のような? とうとう東京は、少々舞ったくらいで、雪が降らず仕舞いで春になってしまうようです。寂しいような、ほっとするような? 雨も
余り降りません。今のところ、少し潤い、庭の草木もほっとしている様子です。勿論、少しは水を撒いたり、水遣りをしているのですが、天から降ってくる恵みには敵いま
せん。
それでも、水仙は、葉を延ばし、今春も、小さな植木鉢一杯に花を咲かせてくれました。ヒアシンスも、しっかり時節を忘れず葉をのばし、花を咲かせてくれています。
昨年沢山花を付けてくれた秋明菊も芽を出し、沢山葉を出してくれています。彼岸桜が、お彼岸の時期を違わずに、一杯花を付けてくれ、もう散り急いでいます。
昨春は、花芽の付きが少なく寂しかったのですが、今春は、華やかになり
、本当に心が温まり、嬉しいです。それがもう殆んど散り、少々残念です。
それにしても、彼岸桜とは素晴らしいネーミングと思います。本当に、ソメイヨシノなどに先駆けて、お彼岸頃にしっかり咲いてくれるのです。
植物は、ものを言うことは勿論無いのですが、その時々に、しっかりメッセージを伝えてくれます。
水をやれば、生き生きと、サボっていると人知れずしおれたり、枯れて無くなったり・・
よく気をつけていないととんでもないことになり、申し訳なく思うことがあります。
ただ、気をつけているつもりでも、いつの間にか、消えてしまっていることもあるのですね・・? 素人には難しい?
それだけに、時期が来て、芽が出て、葉を伸ばすと本当に嬉しいです。更に本当に嬉しく、毎春、桜の開花に合わせるように、我が家の庭では、彼岸桜の他に、庭の主のような木があります。「ハナモモ」です。もう40年ほどになりますでしょうか?
ある花の会?とかに、夫が仕事上已む無く入会して、購入したのが、この「花桃」の木でした。まだ、幹周り5cmほど、丈2m足らずでしたでしょうか?
以来、我が家の庭で、成長し、幹周りが、30cm近くに、丈も3mくらいでしょうか、枝も4〜5m。
しっかり成長し、一時は、花は八重で、濃いピンク色、正に濃い桃色で、これでもかというほど、盛り上がるように咲いてくれ、目を楽しませてくれていました。ただ、困ったのは、花の数だけ?実がなり、庭に落果するのですね? 全く食用にならず、狭い庭に散乱して、いやな思いをしていたのですが、慣れてきていました。
毎年素晴らしく花をつけてくれ続けるのが、とても嬉しくて。ところが、ここ何年も忙しく過ごしている内に。気がついたら、木の幹は、中が空洞になり、殆んど皮のみの状態で、
その皮も、ところどころ無くなり、すっかり老木と化し、根元も、幹も外側の皮のみ、それも大きく隙間があり、???
曲がりくねっているこの可なり大きな木がどうして立っていられるのか???
ところが、以前より数は少なくなっていますが、今年も残っている枝一杯に、八重の濃いピンクの花を沢山付けてくれています。
もし折れては心から残念と昨秋曲がりくねっている幹の下に添え木を地面から立てて差込み、つっかえ棒にしました。
多少安心ですが・・さて?
1月
30日(月)2017年
今年も、早や、1ヶ月が過ぎようとしています。東京辺りは、これからが、冬本番でしょうか? 例年、2月になってくると、この辺りは、漸く雪模様になって来たりの様子です。とはいえ、辺りは、やはり春近しで、近隣には、昔からの農家さんが多く、広い庭の隅で、紅梅、白梅がもう満開を過ぎようとしていて、蝋梅も香りを放って、満開です。毎年、植物の季節感、勤勉さに驚かされます。道を歩いているとどこからとも無く、ふ〜っと香りが漂い、嬉しい気分にさせてくれます。我が家の庭の植木鉢では、水仙が、葉を伸ばしてきています。日本各地からは、雪の知らせが、続きます。雪下ろしの大変さは、想像をはるかに越えている様子です。日本列島、北は勿論、西の中国地方、九州、四国まで、え!と思う地域からまで、雪の便りが聞かれます。
ですが、ここ東京では、北風が吹くことはあるのですが、毎日、遠くに真っ白な富士山を眺めながら、日本晴れの青空に太陽光線がまぶしく、何とも不思議な感じ
がします。山脈に、ぐるりと囲まれ、北からの風を遮る関東地方の地形のお陰のようですが。昔は激しく吹いたと話に良く聞く空っ風も余り感じない日々が続きます。空っ風といえば、目下、アメリカから、何とも不可解な、良く分からない旋風が吹き荒れて来て、世界中?を巻き込んでいます。どなたも、疑心暗鬼、日本もこれからどうなっていくのでしょう?と、政治家の舵取りに期待したい気持ちなのです。でも、私にとって? 勿論、私だけではありませんが、このところ、ちょっといいことがありました。随分、久しぶりに漸く、日本人横綱が生まれたのです。本来。裸でぶつかる格闘技のお相撲は、私は、好きではなく、殆んど見ないのですが、近年、折角、日本人力士がいる以上は、横綱になってくれる方が出てきても良いのでは?と思うようになっていました。
最も横綱に近い実力者は、やはり「稀勢の里」かな?と。
漸く、本当に漸く、横綱昇進です。お相撲のことは全くわかりませんし、テレビでも余り見ないのですが、やはり、心から祝福したい気持ちです。
これから、ますますの精進を楽しみにしています。文字通り、実力の世界!大変でしょうが・・ 実直な、努力家のようですから、がんばってくれそうに思えます。ところで、我が家の1月は、大変珍しく、インフルエンザに、
家族が次々(といっても二人ですが・・?)、初めて見舞われ、体調を整えるのに、意外に日数がかかりました。今冬は、A型とか?私は、熱は
翌日には下がっているのに(といっても、本来発熱することがまず無い体質が、珍しく7度5分ほど。
ただ40度近くなる方もいるとか?)、いつまでも、体調がすっきりせず、食欲も出ず、どうしたものかとぐずぐずして、結局、完治するまで
、10日間くらいかかったでしょうか? 私にとって、もっとも効果的な対処療法は、熱は下がって、すでに無いので、お風呂に長めにつかって、十二分に体を温め、すぐに布団に入って、休むことでした。
この「体を冷まさないように、すぐにお布団に入ること。体を十分温かく保つこと」が、効果があったように思います。
兎に角、インフルエンザの予防注射は、体質のため出来ない(尤も、予防注射をしていても、感染するとか? ただ、高熱予防にはなるそうです?)、タミフルは勿論のこと、殆んど薬というものを飲まない、飲みたくない、アレルギーが気になり、飲めないという厄介な体質の為でもあるのですが、このような対処療法で、大抵は大丈夫ということです。ついでに、いいますと、サプリメントらしき物は、購入したことが無く、一切服用しないこと。サプリメントの代わりに、毎日野菜を、火を通した野菜のあれこれを摂る事が第一と大切にしています。これで、年齢を忘れて、血圧も
、上がらず、身長が、何故か、年々縮むのが大変残念なくらいで、まずまず、大変嬉しい毎日です。神様の思し召しまで、このようにありたいと願っています。などといいますと、どんな年寄りかと思われるでしょうか?
実は、それほどでもないのですよ??? 世の中の通例から言いましても・・?
1月
5日(木)2017年
新しい年が始まりました。もう何回、新しい年を迎えてきたでしょう? 忙しい年末を過ごし、年が改まりますと、何故か気分も改まる感じがします。
その忙しい年末に、急な風の吹き回しで、なんと突然思いついて、3泊4日北九州一体を巡るというツァーに出かけました。羽田発福岡空港往復、後はすべてバスで駆け巡るというツァーでした。ただ、秋から、もろもろ旅行前まで、大変忙しく、体の疲れが積もっている中での思いつき旅行でしたので、
休憩無しで、2時間、バスで、山中を走り続けるツァーは、私には大変つらい思いでした。
ただ、年末の冬枯れの九州の山々は、延々、てっぺんを尖らせて、生い茂る杉山が続き、なだらかな丘陵には、見渡す限りの枯れススキが風になびいている景色は、壮観でした。
手入れ不十分の伸び放題の杉山、杉山・・・・・杉山に、日本の林業の人手不足と、採算の難しさを見せ付けられる思いでした。
季節の良い時期には、放牧などもある様子ですが。昨年の熊本地震のこともあり、おこがましくも思いますが、少しは、旅行も良いのではなどとも思って、出かけました。
突然の地震から、半年、もうごく少しでしたが、ところどころで、青いビニールシートが屋根に被せられているのを見かけました。
別府、湯布院、高千穂峡、阿蘇、長崎、大宰府などを巡ったのですが、いずれの宿泊所でも、地震の後でもあってか、それぞれに、それはそれは一生懸命な気持ちが、
言動共に感じられ、必死で生きている様を実感しました。私など、年齢と共に、食物アレルギーが増えてきた様子で大変面倒なのですが、いずれのホテルでも、急にも拘らず、丁寧に対応していただきました。
阿蘇では、私用を用意し、一つ一つ料理の材料も説明して下さったりで、大変嬉しい思いをしました。
ただ、長崎での自由行動中、たまたま、入った高級?中華料理店では、何故か、ありふれた料理にも、すべてえびの油を、うまみ追加のためとかで使っているとのこと、
びっくり?漸く、唯一、海老の入っていないというコーンクリームスープをオーダーして、頂いたら、何か変な気分になって、良く確認すると、なんとこれには、カニのスープをベースに使っているとか? カニは、大丈夫なはずなのが、気分が悪くなり、急いで、予防の常備薬を飲んだ後、念のため、長崎市民病院へ急患で、お世話になりました。最近、リニューアルされたとかで、とても清潔な綺麗な病院でした。
行った時には、もう殆んど特別の異常がない状態だったのですが、旅先でもあり、お願いして、アレルギー対応の点滴をしていただきました。
その間、若い男性のお医者様初め、看護師さん、病院のスタッフの方々、いずれも、大変丁寧で親切で温かく、おばあさんの心も体も休まりました。
ホテルに帰って、改めて、処方内容を確認しましたら、なんと、アレルギー対応の点滴と思っていたのが、お医者の判断で、必要ないと思われてか?、点滴は、生理食塩水でした。
どうりで短時間でした? 改めて、医は人術と思い知らされ、感謝しています。疲れが溜まっていた上、長時間バスに揺られ続き、気分的にも疲れていた様子でしたが、とても良い経験をしました。
翌日最終日は、大宰府参りでした。雨が激しくなる中でのお参りでしたが、なんと中国からのツァー客で溢れかえっていました。
今は、服装も日本人と見分けがつかず、女性もとても綺麗になって、マナーも特に悪くなく、話し言葉を聞かなければ、日本人と見分けが付きません。
現在は、世界中、服装が全く同じになり、飛行機に乗る日本の空港でも、長時間乗って、飛行機から降り立つヨーロッパの空港でも、顔かたちの違いはあっても、服装は皆同じになってしまっているのが実感です。
つまり、もっとも機能性に優れているということなのでしょう。ただ、デザインも、素材も殆んど同じ様子で、些か、不思議な気がします。
たまに、おしゃれなセーターなど見かけると嬉しくなります。着物姿も本当に嬉しいです。自分では、とても着る気にもならないのですが・・
かくて、漸く、羽田に、無事帰ってきました。翌日から、早速、おせちの準備です。といっても、ほんの少しずつしか作りません。
メインは、「くわい」の煮物です。我が家では、欠かせないおせちです。それに、「栗きんとん」。それぞれ、丁寧なあく抜きから始まります。そして、2017年の新しい年が明けました。
2日は、兄弟の家族揃っての新年会でした。皆、年寄りになりながら、揃って、元気なのが、神に感謝です。私は、年初、さしあたっては、目下、仕上げるべき仕事に かかりきりになるのです。
完成すれば、ひとつ上がりとなります。
11月
21日(月)2016年
11月下旬になって、寒くなってきました。昨日日曜日は、調布市の市民音楽祭でした。恒例の市民文化祭期間で、今年は最終日の催しとなりました。
例年は、10月下旬か、11月初め頃なのですが・・ いつもの会場である市の大ホールが、なかなか確保できなかったとか?
でも、出演団体は多く、大盛況でした。ただ、いつもながらとはいえ、お客様が例年より少なかった様子で、少々残念でした。
出演団体の方は、私の感じたところ、皆様いずれもなかなか熱気溢れて、和気藹々、とても盛り上がっている感じでした。
演奏そのものは、演奏することに意義ありの様子もありました?
私の合唱団、合唱団「コール・まどか」も、いつも通り、出演しました。
私のアレンジですが、思いの他、難しかった様子で、なかなか仕上がらず、少しどうしたものかと思いましたが、
心配した分、団員達が張り切ってくれた様子で、いつも以上に、声も大きく良く出て、とても良い演奏でした。私同様に、若くない方々が、若々しい大きな声でしっかり前も向き(楽譜を殆んど見ず)、「メリー・ウィドゥ・ワルツ」と「芭蕉布」を本当によく
合唱してくれました。
10月
20日(木)2016年
漸く秋らしい陽気になってきた様子です。 今日は、素晴らしい秋晴れ!!
朝、7時頃、ポストに新聞を取りに外へ出ました。西の空、まだ高いところに、白月がかかって、見える全天に雲が見られず
びっくり、続いて、全天が見られるところを観てまわると、東の空には太陽が輝いています。
やはり。一点の雲も無い青空! 南も、東も、北も、西も。正に、全天青空で、
月は西に、日は東に! ??どなたかの俳句の情景とは違いますが、素晴らしい空を見られました。
こんなことは、本当にひさしぶり!! お布団が干せる! 最近嬉しいことが重なっています。
生まれて初めて、フジバカマ(藤袴)ー秋の七草ーを実際に見て確認したのです。
どこで? お隣の庭の片隅、正に、我が家との境のブロック塀の脇に顔を出して、紫がかった薄ピンクの細かい花が群れ咲いています。
観ると、3株くらいはあるでしょうか? 今まで、秋の七草の中で、唯一「藤袴」という花は、どんな花かな?と長年見たいものと考えていました。
藤袴という名前のためか、紫色の花とばかり思っていたのですが、
先日、テレビで、秋の七草について、写されていて、薄ピンクの花を、「藤袴」と紹介していました???
数日前、塀から伸びて咲く可愛い見慣れない花に気がつき、あ! これが藤袴! 漸く、お目にかかれました。
ネットで、間違いないことを確認しました。これで、漸く、秋の七草を、すべて知ることがで出来、とても満足。
この秋、もうひとつ、満足! この夏。庭の小さな植木鉢から、一本伸びてきた茎があり、なんだろうと見ているうちに、
1メートル越えて、私の身長に迫るほどになると、つぼみが出来、黄色のゆりの花のようなものが咲き、
次々、とうとう10輪以上も、大きく美しく咲き続けて、さらに、跡に、なんと種を実らせてくれているのです??
黒い正露丸?、のような種です。合計30個くらいは出来ましたでしょうか?
やはり、ネットで調べますと、間違いなく、キスゲの仲間のようです。
折角の種、何とか発芽させたいものと調べています。
さらに、この秋、嬉しいこと。秋明菊が大変良く咲いてくれ、3株ほどなのですが、20輪以上は、咲かせてくれ、まだつぼみがいくつかあります。
全く世話をせず、辛うじて、毎日、お米の研ぎ汁を撒き、乾燥させないよう気をつけただけなのですが・・
さらに、これまた、世話をしないのに、斑入りが珍しい? ほととぎす草が、今を盛りと咲き競っています。
狭い庭で、たまの草取り、水遣りくらいしか、しない私に、自然は素晴らしいプレゼントを、季節季節にもたらしてくれます。
悔しい思いもしています。折角、頂いた種を撒いて、沢山芽を出し、葉を茂らせてくれた、大好きな日本スミレが、
花を咲かせるまでもなく、見事に軸を残して、葉という葉をすべて食べつくされているのです。
びっくり? 離れて生えているどの株も、食べつくされているのです。
是非、根絶やしさせたいと思う、憎らしい辺りに生えている雑草には、全く触りもしていないのです。
見事に、日本スミレの葉だけです、??? どうやら、赤い胴に黒い毛が沢山生えている蛾?の幼虫の仕業のようです??
見かけたら、必ず摘まんで、殺すのですが、残念ながら、日中は、ごくたまにしか、殆ど見かけないのです。かくてやられっぱなしです。悔しい!!
ただ、この幼虫も、蛾のようですが、貴重な昆虫だったりして? まさか? 蝶? 昆虫も少なくなり、
毒蛾のみが、忘れず、山茶花の葉裏に卵を産みつけ、幼虫が美しく、規則正しく、びっしり並んでいたり??
うっかり触っては、かぶれて大変! そっと葉ごと取って、焼いてしまうのがベストの駆除。
9月19日(月)2016年
9月に入り、半月余り。猛暑もさすがに穏やかになってきて、暑さに弱い私はほっとしています。
ただ、猛暑の名残で、毎年この時期は、体調がもうひとつすぐれないのです。 10日過ぎて来ると、ほっと、体のエネルギーが戻ってくるような感じになります。
この嬉しい秋の到来なのですが、年々、さびしい思いをさせられています。まず、あんなにうるさかった蝉の鳴き声が、今夏は極端に少なくなってきていること。
蝉の種類も数も、全く少なくなっている。庭に空いた蝉の穴の数の少ないこと、また鳴き声でも、種類と数が分かりますね。
さらに、秋の始まりを知らせ、以前は、あんなにうるさく、聞こえてきた「虫の声」が、種類と共に、年々すっかり少なく、本当にさびしくなっていること。蝶やとんぼの姿、種類がすっかり減っていること。先日、ギンヤンマを2匹見かけました。
嬉しかったですね。唱歌の「虫の声」の歌は、遥か夢の中の様子のようになっています。
空の色、草もみじや木々の葉の移ろい、うるさく羽根をこすり、震わせ、生きている証を精一杯主張する虫の声を聴き、季節の移ろいを実感してきた世代も、もうすっかり後期高齢者になっています。
「スマホ」で、≪ポケモンゴー≫を追って、町中を歩き回る世代にとすっかり変わっています。でも、どうでしょう? この美しい地球の上に生活していた、その美しさ、なんとも不思議で、素晴らしい地球の深遠に見向きもしないで、「スマホ」を覗き込んでいる、しかも、少なくとも、世界中の文明国の人々が、同じような服装で、「スマホ」片手に、電車に乗っても、夜寝る時間になっても?
私は、このごろ、そもそも、ネット社会を生み出したジョブズさんや、ビル ゲイツさんは、なんてことをしてくれたのか?、
さらに、現代のインターネット関連業者は、何をやっているのか?と、普及を喜び、面白がっている場合ではないでしょうと、怒りを覚えるほどなのですが・・
でも、そういう私も、全く及ばずながら、今書いていますように、原稿書き、ポスターつくりなどなど、PCを大変便利に使い、ネットで、最新の知識を手に入れ、
この素晴らしい有用さ、便利さに、すっかり感謝してもいるのです。これ無しには、日常生活が成り立たず、さらに社会全体が全く機能しなくなるのも、良く良く理解しています。
ですが、やはり、この地球は、美しい、楽しい!! 特に、日本は、春夏秋冬、様々に変化します。この自然の移ろいの素晴らしさに、時には関心を持ち、もっともっと目を注ぎたいですね。
さらに、何とか、農薬の無い農業生産が行えないものかと切望しています。
わが家の周りは、2方が畑に囲まれていますが、キャベツ、ブロッコリー、きゅうり、トマト、枝豆、サトイモなどなど、それは熱心に、収穫すると、まもなく、また次、又次と、栽培されています。短期間に目まぐるしく、次々と栽培されるサイクル、農家さんの勤勉さに心から感心します。
でも、キャベツにあおむしは居ず、蝶も飛ばず、以前は良く見かけたモグラのトンネル、蛇、蛙など、全く見かけなくなり、
ごく稀に、ヤモリの死骸に驚いたり、とてもとても綺麗な野菜畑にため息しながら、眺めています。
近隣の農家の方々は、朝は、5時過ぎ、夜明けと共に、それはそれは熱心に畑で働いていらっしゃって、本当に素晴らしいのですが・・・?
そのうちに、人間も、蝶や蛙、こうろぎのように、いつの間にか淘汰される?かも。
人間社会が、無機質な世界にならないよう切望しています。もっと、美しい、いきいきと呼吸している周りの世の様を見つめ、大切にしようと思ってくれる方が増えますよう願っています。
電車で、ゲームに夢中になったり?隣に立つ友人とスマホで会話したりしないで!!・・・・と。
口があるでしょう? 素敵な言葉があるでしょう? 文字での会話ではなく・・・・・
8月29日(月)2016年
今年も、広島と長崎への原子爆弾投下の日が巡って来て、続いて、71年目の第二次世界大戦(太平洋戦争)終結記念日、終戦記念日が巡って来ました。半世紀を
、とっくに過ぎて、71年目です。当時、取り敢えず、もろもろの状況を可なりはっきり記憶に残せる年齢の小学生で
、終戦の詔勅を、雑音の中、辛うじて聴いた年代も、もう80の大台に近づいている時代になっています。「終戦の詔勅」?
内容について、言葉遣いについても、小学3年の私には全く分かりませんでした。その後、何度か、マスコミを通して聴いた経験もありますが、71年前、正に、全天雲ひとつ無い、
真っ青の日本晴れの空が広がる真夏の昼、うるさい騒音に消される中、ラジオから聞こえる、辛うじて聴かれたその声の印象は、
今もって、ピーピーガーガーの騒音と共に、記憶の底に張り付いている感じです。夏休みの暑い日、早朝から、いつもどおり、子供達もそれぞれ、食糧増産の農作業に出掛け、昼に家族全員(当時、3家族くらい、田舎の叔父の家に疎開して、世話になっていました)が、
必ず聴くようにとの通達により、茶の間のラジオの周りに集まり、真剣に聴きました。この日、昼食を摂ったかどうか?夕食も?? 大人たちにも、内容は良く分からない様子でしたが、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、〜〜〜?」と。「どうやら、日本が負けて、戦争が終わったらしい???」と、放送が終わってしばらく、大人たち全員放心状態の中、漸くつぶやく叔父の言葉と共に、一様に、大人達に、気の抜けた安堵感が広がり、子供の私達も時代の大変革を認識させられていました。
それぞれ、座敷で、ごろごろ昼寝しながら、夕方になっても、誰も殆ど口をきかず、大人たちの気の抜けた様子、言い様の無いむなしさと安堵感、今後についての不安感が、子供にも、鮮明に記憶され、脳裏に焼きついた当日の全天真っ青な空と共に、命が尽きるまで、忘れ得ない(忘れてはならない)出来事でした。
我が家は、父親が、民間人として赴任していた中支(南京市)から、終戦翌年5月に、無事帰ってきてくれました。母を初め、まだ幼かった子供達、私の姉弟達も本当に天にも昇る?忘れ得ない安堵感と喜びを味わえました。
ただ、数限りない母子家庭が存在し、身近なクラスメイトには、放課後母親と共に働く方も全く珍しくなく、東京を初め、大阪、神戸など都会では、戦災孤児が溢れ、夕方に流れるラジオからは、ラジオドラマ「鐘が鳴る丘」(主題歌の名前は、「とんがり帽子」だったそうですが)という、
長野県に実際にあった戦災孤児たちの施設を舞台したラジオドラマが、そのテーマ曲と共に、大変人気を集めていました。
また、戦災孤児たちの養護施設も各地にありました。多くは、私と大体同じ年代と考えられますが、成長と共に、どのような人生を歩まれ、
現在どのように暮らしていらっしゃいますか、ご無事で、お幸せな人生でいらっしゃっることを祈りながらも、ずぅ〜と気になっています。
ネットでは、手記やさまざまな経験談など、かいま見聞きすることが出来ます。しかし、いろいろなTV番組でも、戦災孤児についての番組は、殆ど観られない様に思えます。
書物や映画などでは、「ガラスのウサギ」「火垂るの墓」など、さまざまにありますが、実際のごく普通に存在し、生き抜いたはずの子供達についての具体的な消息は、身近な友人以外全く分からず、年齢を重ねると共に、あの悲惨な状況をどのように生き抜かれたのでしょうかと、またその後、それぞれにお幸せな人生でありますよう、心から祈る気持ちが強くなっています。終戦直後からは想像も出来ない、このあらゆることに恵まれ、豊かな、また戦火に遭うことも無い、世界一安全で平和な国と考えられる、現在の日本でも、血縁関係のある無しに拘らず、子供を、大切に育て、また擁護するのは、なかなか十分でなく、親、大人の手前勝手な生活を優先するため、特に縁の薄い子供の養育は、敬遠される様子に見聞きされます。
残念ですが、それが実態なのでしょう。現在の、ますます、少子化の時代、「子供は宝物」の認識を、強く、広く、しっかり根付かせたく、心から熱望しています。
8月 2日(火)2016年
今年の関東地方は、雨が余り降らないにも拘わらず、なかなか梅雨明けにならず、漸く先月末になって梅雨明けの様子でした。割合、涼しく助かりますが、水源地では、水不足の様子? 天の神様頼みですから、何とも致し方ないです
。東京は、参議院選挙が終わった途端に、都知事選挙でした。
男性知事が、二人続けて、不祥事で中途退任した為か、女性知事が圧勝で当選しました。実は、私は、以前より、あまり好きではない方です。仕方ありません。東京が、日本が心地よく発展していきますよう、祈るばかりです。続けざまの選挙といっても、広報が配布されるくらいで、
町の中では、全く静かで
した。TVでは、当然ながら、あれこれかまびすしく、予想されているようでしたが。
私には、どなたが良いのか、いつもながら、全く分かりません。でも、もろもろの選挙は、毎回、棄権せず、仕方なく、取り敢えず、投票しています。
正に、取り敢えずです。遭ったことも無く、見たこともなく、まして、話したことなど一度もありませんので、分かるわけないのです。すべての選挙は、同様です。まあ、私なりに考えて、まずまずかもと、投票してきています。民意と言われましても??? ただ、国民
、都民全員それぞれの意思確認は、こういう方法しかないのも当然です。さらに、世界では、痛ましい犠牲があちこちで、頻発しています。世界中、どこにも、本当に驚愕するような
場所、国々、いたるところ、どこででも、男性女性それぞれ日本人が、現地の方々と交わって、共に生活し、手助けし、それぞれの国の発展に尽力し続けている様子です。ですが、必ずしも、良かれと行動していても、それが裏目になって、恨みを駆っているらしいことを最近知り、門外漢ながら、その難しさ、複雑さを知らされる思いです。
しばらく前には、バングラデシュのダッカでの、日本人やイタリア人をターゲットにしたテロ行為は、犯人達に、高学歴の若者が多く、大学の先生も関係し
ていたとのニュースには、全く理解不能でした。が、TVなどの解説を聴くと、バングラデシュは、世界の衣料品の工場といわれている様子で、低賃金労働者の働き場は、多いのですが、高学歴の若者の働き場が非常に少なく、高学歴の失業者が大変多い現状とか?
全く知りませんでした。中でも、イタリアや日本の衣料関係の企業の進出が多いとか?
ですから、イタリア人や日本人は、大変恨まれているとか?
事実、イタリア人と日本人に犠牲者が集中した様子です。日本人で、犠牲になられた方々の多くは、JICAの方々のようで、良かれとの強い考えで、バングラデシュのために、心血を注いでおられた様子に伺って、私ならずとも、多くの方々が、心から強く残念に思われていることと考えます。
ただ、不思議なのは、良く知らずにいい加減なことはいえませんが、[made in Bangladesh]と書かれている衣類を、私は買った記憶がないのです。
衣類に限らず、[made in china] [made in Korea] [made in Vietnam] [made in Philippines] [made in Indonesia]などは、いろいろな物でしばしば見るのですが・・
私は内心、[made in china] が多すぎると思っていて、「日本製」と書かれていれば、そちらを買うようにしています。頻発する[IS] ? 関係のテロ事件のみならず、日本でも数日前に、テロとは全く関係ないながら、残虐な殺傷事件があり、驚愕しながらも、大げさなようですが、世界中に不穏な動きが頻発して、またか!と些か慣れる様なことが無いよう、大変危惧します。折角、この世で授かった互いの命、精一杯、有意義に活用し、世の人々のために活用してほしいと祈るばかりです。
6月30日(木)2016年
関東地方は、目下、梅雨の真っ最中のはずです。でも、少々の降り方で、たまに、ざぁ〜と、夜降っているくらいの様子で、水位の下がった水源地では、取水制限中とか?
水は、天からの授かりものですので、人間の力では、何とも、し難く、正に、神頼みです。人工衛星が地球から飛び出し、インターネットの電波が、瞬時に、地球上を飛び回る時代になっていても、天の神様の思し召しを、人間が思い通りに支配することは、永遠に不可能と考えます。ただ、ただ、出来るだけ節約するのみです。
しかし、日ごろ、日本国中の蛇口から、思い通りに、綺麗な水が出て、思う存分、口に入れて飲め、利用できる事に慣れています(世界の中でも、
日本は、水道の蛇口から、いつでも自由に、水の飲める数少ない国土です。文明国フランスなどでも、うっかり水道の水は飲めません?)。ただ、台風、地震などで、ひとたび、断水にでもなると、たちまち生命の危険を感じることになります。まして、猛暑が続く夏場は、本当に豊富な、綺麗な飲める水資源に恵まれている日本の国土に感謝です。
何とか、日本中、どこにも、大きな天変地変が起こりませんように、祈っています。ところで、梅雨時の花は、アジサイです。我が家のまわりのお宅でも、とても綺麗に咲いています。私の悩み?願いは、我が家のアジサイ(あまり見かけない、普通のアジサイよりほぼ1,5倍ほど大きく、
直径25センチほどに大きく開く青い額あじさいです)が、何とかお隣のように、又ご近所のように、これでもかというほど、溢れんばかりに花を付けてくれないかしらと願っています。私は、我が家のアジサイが大好きです。私の父親が
、40数年前に、実家の庭から切り取って持ってきて、挿し木してくれたものです(アジサイは、挿し木で簡単に増やせます)。大体毎年、大輪を咲かせてくれるのですが、花の数がとても少ないのです。株そのものは、可なり大きく、枝も沢山張ってくれるのですが、
例年花つきが大変少なく、それでも、今年はいつになく多くて、8輪大きな花を、自信満々の様相に、美しく咲かせてくれ、とても嬉しかったです。ご近所に咲く
ほとんどのアジサイは、盛り上がり、重なり合い溢れる様に、咲き競っています。色とりどり、花の形状もさまざまに、本当に美しく、時には、貴婦人の様相です。この数年、多少のアドバイスを参考に、花が終わると、思い切って、根元近くまで短く切ってしまうことにしています。
その為か、1輪も咲かない年もあった以前よりは、花つきが良くなっているように思います。良いアドバイスを頂けますと大変嬉しいのですが。
6月13日(月)2016年
このところ、3週間ばかり前、パソコンに、突然windows10がインストールされてしまい、びっくり! どうしてよいか分からず、使いなれたPCも、ずいぶん古いので、新しい機種で、以前どおり、「7(セブン)」を入れたのに、買い換えました。ところが、ここへきて、たまたま見ていましテレビで、PCの画面に、以前より頻繁に、自動的に現れていたwindows10のインストールを勧める画面が、2回繰り返し現れるらしいのを、カットしないでうっかりしていると自動的にインストールされてしまうとか知り、漸く納得しました。気がつく度に、何度もカットしていたのですが、ある時、つけっ放しで放っておいたのが失敗でした。突然で、よく分からず、ちょうど内蔵バッテリーも交換時期だったり、ハードディスクも古くなっていましたので、新し
いPCを買うことにしました。まもなく点検していただいていた古い方が、漸く、手元に、戻ってき
ました。ただ、windows10になってしまったものもそれほど変わりなく、まずまずの使い勝手なことに気づきました。びっくりしましたが、まあいいか!というところです。もう、あまり必要はないのですが、目下,PCが、2台となっています。私には、いささか、異例です?? ところで、パソコンにかまけています内に、6月も半ば近く、日本が、ホスト役の7ケ国サミット会議は、すっかり、過去のことになっています。ですが、壊れる前の書きかけを続けることにします。5月末アップする予定だった原稿です。
『最近
(5月半ば)のビッグニュースは、アメリカ大統領オバマ氏(バラク・フセイン・オバマ2世)が、日本でのサミット出席の際、世界初の原爆投下の大惨事を被った
広島市を、アメリカ大統領として、初めて訪れるということです。余りに遅すぎると思いますが、アメリカの立場、また国民感情を考慮すると大英断ということになるのでしょう。
本当は、アメリカ代表として、謝罪して頂きたいと強く願っています。また、長崎へも、訪問して頂きたい気持ちが大変強いのですが
? 何しろ、アメリカを代表する方ですから、アメリカ国民の感情も考慮すると、広島のみで、また謝罪までは、無理なのでしょうか?
世界に核廃絶を発信して、強く主張なさっている方ですので、その方向で、行動なさるようです。やむをえない
のか?と思いますが。それにしても、原子爆弾は、第二次世界大戦を終結させる決定打として、投下されたということですが、数十万人もの人々が生活する大きな都市の真ん中に投下するとは、非人道的行為として、歴史上最大の非難を浴びて、天を支配する神の大罰を受けて、当然と、私は、投下のニュースを
、初めて聴いて以来、70年以上も思い続けています。当時まだ、私は、小学校3年で、戦争を避けるため、兵庫県の山間地、正に中国山地の
東方の続き、山の中で、 僅かに配られたお米と野草を食べながら、暮らしていました(勿論、日本中、同じような様子たっだはずです。)大人たちが、届けられた新聞を見て、広島に新型爆弾が落とされたようだと話しているのを、はっきり覚えています。
長崎投下についても、大人達は、また落とされ、今までにない大変強力な大型爆弾のようだと不安そうな様子に思えました。ただ、二度目なためか、広島市の時ほど
強く騒がれなかったよう??に
記憶しています。それにしても、数10万人という多くの無力な、全く罪の無い善良な大人・子供の市民が住む都市の真ん中に落とすとは、
あまりに、無慈悲で、キリスト教を信じる人々の、手前勝手な残酷さを思い知らされたと、以来、ず〜っと考え、思っています。第二次世界大戦を一刻も早く終結させるため、ベストの手段だったとの主張が、アメリカでは専らのようですが、正に詭弁で、原子爆弾の威力で、日本を即刻降伏させようとのもくろみであっても、多くの人々の住むその町の真ん中に、しかも、2度も、同じ状態に投下するとは、絶対に許されることではありません。広島にも、長崎にも、海があり、軍港もあり、爆弾の強力な威力を見せ付けるのに、
多くの人が暮らす市中で無くても、たとえば、海の中など、少しは被害が少なく、十分に威嚇し、多大な恐怖を抱かせることは、十分に出来たと、私は、ず〜っと思い続けています
(ほとんど言われない、聴かれない意見ですが)。そうすれば、犠牲者が、ずっと少なくなったのではないかと、あれ以来、ず〜
っと、その極悪非道な行為を実行したアメリカを、私は許していません。
全く手前勝手な、非人道的なイラク戦争を始めた時も、当時の大統領は、聖書に手を乗せ、宣戦布告をしたのを、テレビで見ました。正に、偽善者で、偽キリスト教信者と、私には思えます。私は、長く合唱指導を続けていまして、キリスト教の、カトリック、プロテスタント、いずれの合唱曲も、とても沢山演奏してきました。それは、宗教上の意味合いで演奏したのでは全くなく、専ら音楽上、それぞれの曲の構成、音の流れ
・使われ方、それらの作曲技術の素晴らしい価値を表現したく、また理解したく、興味が尽きないので、ということになります。至る所に建てられ、
幼児洗礼を受け、生まれた時から慣れ親しんでいるあの石造りの高く見上げるアーチ状の天井?、更に、広がりの構造を持ち、限りなく豊かな倍音を聴かせてくれる教会が、豊かなハーモニーを育て、作曲技術を育て、数々の教会音楽を生み出したということで、その響きを聴き、体で感じるために、ヨーロッパには行きますし、行きたいと願っています。日本では、まず味わえない、奥行きのある深い響きです。
第一次、更に第二次世界大戦で戦場になり、想像を遥かに越える甚大な被害を受けたヨーロッパですが、歴史、文化を大切にし、当然のこととして、自分たちの育んで来た文化を長く引き継いで行こうと、年数をかけ、多大な費用を寄付などでもまかない、古い教会を、
昔のように、素晴らしく修復し、オルガンを整備し
ています。勿論、全く同じではないのですが、昔を偲ぶのに十分すぎるくらいの構造の響きを体感し、学びに、又観光に行きます。
が、私には、音楽上、アメリカに学びにいく必要を考えない事もあって、今までも、これからも、アメリカには行きませんし、素晴らしい大国と承知していますが、
決して、アメリカを許すことは出来ません。正に、ほんのささやかな私なりの信念です。
さらに、しばしば、真珠湾奇襲攻撃が、引き合いに出されますが、確かに、卑劣な戦闘行為だったでしょうが、原爆投下、しかも2回も投下した卑劣な非人道行為とは比べるべくもなく、
二回もの原爆投下は、たとえようもなく、遥かに重罪と私は考えています。』
4月27日(水) 2016年
桜の季節も
とっくに終わり、街路に並ぶ、ピンクや白のひらひらと花びらのような「がく」が可愛らしいはなみずきも、すっかり緑の葉が茂ってきています。大通りの今は、
歩道に沿って、さつきやおおむらさきが、赤や、赤紫に、白にと彩り、どうして?と思うほどぎっしり群がって咲き競っています。
ここ東京調布は、こんなにのどかで美しいのに、九州熊本では、何とも残念な地震による災害に見舞われています。
震度7とか6とかが、何度も繰り返されては、何とか持ちこたえていた大きな建物も耐え切れなくなってしまいます。
たまたま昨年秋訪れた熊本のシンボル熊本城のしゃちほこや屋根瓦、石垣が大きく崩れ、水前寺公園の池の水が干上がっているとか?
あちこちの山は崩れ、橋が落ち、大きな素敵な家屋が見る影も無く崩れている様子は、残念で、心から、深くお見舞い申し上げたく思います。
日本は、やはり地震列島、災害大国であることを、また改めて思い知らされています。
我が家も一応、せめてものと、家具は倒れにくく、ガラスは割れにくくいよう、建物も「震度7」に耐えられる?よう、水も食料も多少保存しています。
この際、もっと常備して、改めて対策を見直す必要があるかもと考えています。
しかしどうでしょう? 震度7や6が、熊本のように繰り返し起こっては、多少の備えがあっても、とても耐えられないのでは?と心細く、不安感がつのります。
ただ、絶対大丈夫な対策は、まったく無い?ことにも、残念ながら気づかされています。
今のところ、無事でいられることに感謝し、予測が出ている富士山などの噴火も起こらないよう、強く祈っているのですが・・
昔の人々は、今より遥かに、祈るしか対策が無かったのでしょうと想像されます。 実は、我が家の下には、縄文時代か、弥生時代かの竪穴住居の跡が、いくつかあることが分かっています。
地面を1mほど?掘ると、円形に1段と低く掘られ、真ん中に黒ずんだ火を燃やした跡があります。今も地中に眠っています。
多分、魚など採れる多摩川に近く、「はけ」と呼ばれる崖線(がいせん)の上に位置する高い土地ですので、昔の人は、より安全なところと考えたのでしょう?
でも、富士山の噴火による噴出物なども堆積している様子です。この辺りの畑のふかふかした黒土は、実は、そのおかげとか?
そのお蔭で、我が家の近辺では、畑作が大変盛んに、手際よく行われ、蔬菜栽培が、素晴らしく上手で、1年中、キャベツ、ブロッコリ、レタス、エダマメ、ネギ、ほうれん草、小松菜、ピーマン、茄子、サトイモ、ジャガイモ、変わった葉物など、さらに、ビニールハウスで、キュウリ、トマト、イチゴなど、様々な野菜が素晴らしく美しい姿で栽培されていて、更に季節季節に、いろいろな花々までもが美しく、びっくり、大変感心して眺めています。この平和が、つつがなく、続きますよう、心から願っています。
3月24日(木) 2016年
今年も、早や、3月も終わりに近づいています。つい先日?、満開の梅の便りが聞かれたと思っていましたら、もう桜の開花宣言です。
寒桜などは別として、春は、まず、伊豆の河津桜の満開
に始まり、様々な桜が、つぎつぎと咲き競ってきます。
我が家にも、伸ばさない様に、背丈ほどに剪定している彼岸桜が、今年は特に沢山の蕾を膨らませ
、丁度お彼岸に合わせるように満開になり、今は、はらはらと散り始めています。少し前3月1日に、伊豆の河津桜を見に行ってきました。
まだまだ見ごろと思っていましたが、今年は暖かいのか、木によっては満開を過ぎた感じで、、葉が随分で出て来ていました。濃いピンクの花がこれでもかと固まって咲き、川沿いの道に連なる並木は、本当に美しかったです。
それに、花見客の多いこと。でも、どこかで、昼食をと思いましたが、屋台はそれなりに並んでいるのですが、レストランなど殆ど見当たらず、
たまに看板やのぼりを見かけても、最盛期のはずなのにお休みだったり? たまに、あった!と近づいていくと、順番待ちの人の多いこと? ただ、年間通して、こんなに人が集まるのは、
この最盛期の、1〜2ヶ月ほどでしょうから、地方の町の活性化の難しさを感じました。ところで、最近、特に、嬉しいチャンスに恵まれ、以前より大変興味を持っていましたパイプオルガン、ポルタティー
フオルガンなどについて、
思いがけず、とても丁寧に、話を聴かせて頂ける機会に巡り合いました。目下、ある教会で一段鍵盤の小さなパイプオルガンを製作中の方にです。遠くの学校まで、下駄箱などの古材を自ら車で貰い受けに行き、それを、必要なパーツに切ったり、サンドペーパーで磨いたり、大変根気強く、些か気が遠くなるような作業をもう長く続け、まだまだかかりそうながら、全体の形が出来上がってきていて、心が弾む様子です。それぞれのパーツや製作過程などを見せていただき、不躾な質問にも、丁寧な説明を聴かせていただき、大変嬉しい経験をしています。
仕事としては、全く、音楽に関係なく、本来の趣味が高じたという全くのアマチュアの方ですが、オルガン製作にかける素晴らしく、素敵な情熱には、本当にびっくり、
大変感心しています。
合唱指導を、ぐっと縮小しまして、出来てきました余裕と時間のお蔭で、オルガンを演奏するなども、
今まで学びたかったさまざまなことを経験する時間と余裕が出来、思いの他、忙しく過ごしています。
神様が私を後どのくらい生きさせて下さるか分かりませんが、元気で動けるうちに、精一杯、やりたいことを、あれこれ、楽しく実行して行こうと願っています。
合唱を歌いに行けるのも嬉しいかなとも??? 些か、体力との勝負の感がありますが? すべては、やはり体力ですね。
2月 4日(木) 2016年
2016年、平成28年が始まりました。もう、1ヶ月が過ぎ、今日は立春です。
21世紀になって、早や16年? それに、平成という聞き慣れない年号になって、もう30年近く経っている?
平成生まれの方が、社会人になって、立派に働いておられる・・ それに、テレビなどでは、この頃、意外にしばしば、「
古い昭和のかおりがして、懐かしい・・・」「レトロな昭和の道具類?」などと聞かれる様になっています。私の感覚では、なんか?
明治、大正時代の話をしているように思えます。正に、昭和2桁、それもその初め生まれの私はこういわれると、自分が、
何か、年とって古ぼけてきているように思えるのは、僻みなのでしょうか?
そのように語っている方々も、うっかりすると、私とそう違わないかも?の方だったり?
でも、以前は、絶対に見られなかった形の電化製品が、我が家にも、多々あって、さらに、電話の変わり様、インターネットは必需品?
私は、今のところ? スマートホンは、持っていません。でも、ガラ系ながら、一応、携帯電話を、携帯しています。
というのも、気が付けば、公衆電話が、なかなか見当たらない? 大変不便です! が、SNSなど、全く分かりません。
PCで、インターネットを毎日見たり、メールは勿論、文章を書くなど便利に使っていますので、外出中まで
、液晶画面を見なくてもと考えます。
ただ、文章を書くのに、手書きすることが、本当に少なく、漢字が書けない事、情けないほど・・ これは、昭和時代より、むしろ、退化しているのでは?
さらに、退化しているのは、ちかちか動く液晶画面を見続けて、目を悪くしている方が、絶対に多くなっていると思えること・・
お洒落なメガネも多々あり、コンタクトレンズも、カラー付きなど様々あっても、やはり、自分の肉眼に、勝るものはありません。
まず、無駄な出費がありません。 ゆれる電車やバスの中でも、目を酷使して、全く気にしていない様子ながら、私は、やはり、注意してあげたい気分になります。
特に、まだ、小さい小学生?、10代の若者達。将来のお年寄りの視力は、どうなるのでしょう?
私は、昔々、大学に、都電で40分ほど揺られて通い始めて、数ヶ月で、2,0だった視力が、0,7くらいの近視になって、びっくりしたことがあります。
その頃、読みたい本を、夢中で、がたがた上下左右に大きく、激しく揺れる車内も構わず、読み続けていたのです。
昔ほど、揺れる乗り物はありませんが、でも、液晶の、めまぐるしく動く画面を見続けるのは、絶対に、禁止したほうが良いと考えます。
おばあさんは、横で、懸命にゲームに熱中しているお子様や、若者達に、私の失敗を教えてあげたい衝動を抑えています。
ただ、私は、あれ以後、バスなど、大きい揺れが気になる乗り物では、絶対に、読書などしません。その
お蔭でか?今もって、近眼は進まず、老眼にもならず? 眼鏡は持たず、針の糸通し、縫い物、読書、さらに、仕事である楽譜を見るのにも眼鏡要らずです。
何より、無駄な出費がありませんし、煩わしがありません。やはり、目は、大切です。
12月 27日(日) 2015年
今年も、あれ!あと4日・・ ところで、今年のクリスマスの夜は、38年ぶりに満月が観られる夜だったそうです。全く知らず、気が付きもしませんでした。その代わり? 昨日
26日、夕方北東の空に、天辺がかすかににじんで欠けかけている様子の十六夜の大きな月を観ました。さらに、こういうチャンスは、大変珍しく、次回は、なんと2034年だそうです。
私など深く考えもしない様々なことに、関心をもち、研究している方が、本当に沢山いるんだなあと感心します。今は、これらのことを、ネットでちょっと調べれば、大抵の事は、一応即座に知ることが出来、有り難く重宝に利用しつつ、
また感心しています。先日12月22日は、今年の冬至でした。
1年で、最も昼間の時間が短い、つまり夜が最も長い日です。私は、この日が、毎年待ち遠しいです。
なぜかですって? なぜなら、この日の後は、日一日と、ほんの少しづつながら、昼間の時間が長くなるのです。つまり明るくなってくるのです。
秋のお彼岸が過ぎますと、日の暮れが少しずつ早くなり、木々の葉は色づき、美しく夕日に映えるのですが、散り急ぎ、寂しさが心と体を吹き抜けていく感じがします。
でも、冬至を過ぎると、昼間の長さが、少しずつ延びると共に、春の芽吹きが待たれ、新年が明けるとまもなく、蝋梅や梅の花がほころび始め、
地面には、福寿草が、更に、スイセンが芽を出して、自然の勤勉さの素晴らしさを、毎年、実感させられます。
辺りの様子は、冬真っ盛りになり、雪が降ったり、気温も0度近くになる日もあるにも関わらず、私には、「春遠からじ」の気分になるのです。
さらに、少し経つと、ふきのとうが出始めます。山の方に行って、道端などには生えているのを摘んでこられると良いのですが、思うだけです。
なかなか手に入り難いのですが、たまに頂いたり、スーパーマーケットなどで、珍しく並んでいますと、新しければ、早速買い、”てんぷら”にします。
これが、本当に美味しいのです。ところで、毎年、この年末の時期は、年賀状書きです。
一人ひとりを思い出し、喪中のお知らせには、寂しさをつのらせつつ、子供の頃遊んだり、一緒に宿題をした思い出など、懐かしく思い出しながら、
少しずつ書いて行きます。一年に一回の音信の方も多く、この機会を大切にしたいと考えています。
更に、一年一回のチャンスですから、まことに拙い筆遣いながら、筆ペンを愛用しています。
11月 24日(火) 201
5年
いつの間にか、11月も終わりに近づいています。可なり寒くなってきたような、そうでも無いような?
庭では、今秋買った白や濃いピンクなど、ミニシクラメンが綺麗に咲いています。更に、昨年購入して、プランターに移し変えていた
薄ピンクのシクラメンが、すっかり枯れて消えた様子だったのが、季節が移り変わると、芽が出、株が昨年より大きくなって、葉が茂り、
なんと花のつぼみが立ち上がってきて、次々咲いてくれ、そのたくましさに、すっかり嬉しくなっています。
いつもながら、お米の磨ぎ汁以外は、肥料も撒かず、殆ど世話をしないのに、時期が来ると、狭い庭に 他にも、ヒヤシンス、彼岸桜、スミレ、はなもも、ばら、紫陽花、木犀、
ほととぎす草、菊、忘れた頃に、もっこうバラ、更に、むらさきしきぶ、などなど、
時期になれば、どなたも? 忘れずに芽を出し、葉を伸ばし、花を咲かせてくれます(時には、申し訳なく残念ながら、私の世話をしない無常さのためか、そのまま、消えてしまうことも間々あるのですが・・)。自然は、
本当に勤勉です。
勤勉といえば、世の人間も同じです。この頃特に、テレビを見ていて、つくづく感心すること。
ドラマやドキュメンタリー、CMなど、その他すべての様々の番組のバックに流れている
数限りない音楽の素晴らしさです。つまり、BGMです。私の好みはともかく、それらを作る方々のセンスの良さに、びっくり、とても感心しています。
番組の内容と、
全く関係ない感じの曲だったりするのに、妙に、とてもよくマッチしていたりです。昔は、何かの曲を使っていたことも多かった?ように思えます
(今も無いことは無いのかも?)。
例えば、時代劇の立ち回りの場面に、バッハのカンタータのコラールのアンサンブル部分、
ピアノピースなどで「主よ、人の望みの喜びよ」と題されている曲がアップテンポで、
又たまたま見た映画「細雪」のバックに、ヘンデルのオペラ「リナルド」のアリア「私を、泣かせてください」がしっとり流れていたり。
それらも、妙にマッチしていて、笑ってしまったり、感心したりでした。ところが、この頃、私の見る限りのTVの映画や様々な番組のBGMは、
作曲者名があったりなかったりながら、オリジナル曲が多い様子で、内容に応じて、アップテンポで面白く、リズミカルだったり、
時にしっとりと流れ、いつの頃からかCMソングやCMメロディーも数限り無くて、
その良し悪しはともかく、「良く作るなあ!」とつくづく感心しながら、聴いています。
一方、日本人の作曲者名入りのテーマ曲で、数十年間も毎週、同じテーマの番組を続けている私の好きな長寿番組もあります。
先日、たまたま聞いたのですが、映像製作などを学ぶ私立大学にも、TVのみならず、映画などのBGMの作り方などを教える専門学科もあるとのこと(
私の知識の無さなのですが?)。 それぞれ、あらゆる内容に応じて、実に、よく作られていて、また番組に合った曲を選んで、流されているBGMに、すごいなあ〜と、
楽しみつつ感心しています。一方、大河ドラマの音楽なども、音大卒でなく、作曲法など専門に学んだことの無い方が、
独学で、さまざまに試行錯誤して、作曲しているとか? そういう方に、1年を通して、
放映される大きな番組の音楽の作曲を依頼する担当者の心意気?とセンスの良さに、又、それを引き受ける作曲家の心意気に感心させられます。つまりは、抜群のセンスの良さと、努力でしょうか? 才能も勿論ですが、やはり、勤勉さでしょう? 一生懸命に努力し、やってみること。
そこに、花が咲くということでしょうね。(などと、自分で納得しています。)
10月 5日(月) 201
5年
爽やかな秋晴れがこの数日続いています。お布団を十分に日に当てられ、ふかふかになり、私は何より嬉しい気分です。
うるさかった油蝉の声も遥かに遠のき、たまに聞かれたひぐらしも余り存在感無く遠のき、秋の虫は?と期待しますが、
今のところ、余り聞かれない様子で、すこし寂しい感じです。そして先日、確か、9月28日(月)でしたか?
「スーパームーン」が、大変珍しく見られるとか? つまり「super moon ] ?
改めて、辞書を引きますと「極上の」、それから、「特大の」という意味もあります。 極上の、特大の月? どういうことかしら?
この夜は、幸いにも、雲が少なく、お月様は、宵から、一晩中、よく見られました。
(私は、月や星を見るのが昔から大好きです。もっともただ見るだけですが)
ちょっと見には、??そういえば、大きいかな?という感じでしたが、間を空けて、夜中まで何度も見るうちに、
「うん、やはり大きいようだ?」と思っていました。よりはっきりするのは、翌日です。やはり、月は、よく見えました。
「え? 昨日に比べて小さい?(ように感じられる?) ということは、
やはり、昨夜は大きかった?」 目での観察ですので、何ともあやふやです。でも、この夜も、満月?(少し小さくかけ始めていたかも?)は、明け方近くになっても、西の空に輝いていました。兎に角、
9月28日は、大きな月を堪能するほど見られました。
それにしても、一晩だけ? 何でも、地球の周りを回る月の軌道が楕円形だそうで、最も、地球との距離が近くなる時に、
当然ながら、大きく見えるということで、普段?より30%大きいのだそうです。
更に、最接近のタイミングが、満月となって見られることが条件です。ところが、これが、年により、何回もより大きく見えることがあったり、1回しかなかったり、全く見られない年があったりだそうで、複雑です。来年2016年は、11月14日だそうで
、更に大きく見られるそうです。今年のように、雲が少なく、空が晴れ渡る?ことを願っています。何気なく見ているいつもの満月も、日により、時間により、少しずつ大きさが変化しているということです。
全く気にとめていませんでした。さらに、ということは、宇宙規模では、太陽も星も同じです。
そういえばもっと身近で、富士山など遠くの山々も、妙に近く大きく見えたり?
そのときの光や空気の加減かも?
(私も、す〜っともう少し背が高く、格好良く見ていただけるようになるにはどうすれば? いまさら???)
9月 4日(金) 201
5年
もう秋です。35度を越える猛暑が続いていた真夏が一転、10度近くも気温が下がって涼しく、雨もよいの陽気が続き、9月にはいると、又日差しの強い残暑が
、少し戻ってきています。
とはいえ、雨も多く、気温もほぼ30度を越えない範囲で、まずまずの陽気です。せみの声が遠のき、秋の虫達の賑わいが始まる様子です。
この夏、20年ほど前から、願っていたフランス南西部ピレネー山脈に近い、ロカマドールという聖母マリアの聖地を訪れる計画を実行することにしました。
ただ、ここを訪れたいと思いつつ、時期や日数、ルートなど、なかなか望みどおりのツァーが見つからず、延び延びになっていました。特に、旅をする時期
をいつにするかです。
なるべく、合唱団に迷惑をかけずに、行きたく、長年思案していました
。漸く、混声も女声も解散し、唯一、続けているのが、合唱団「コール・まどか」のみになり、不在で、練習を休むなど、合唱団に迷惑をかける機会がぐっと減っています。
更に、この合唱団も、9回目の定期演奏会を、7月に大変好評に終えられ、丁度今の時期が、チャンスと考え、8月半ばに出かけました。
今回は、誰も仲間がいません。ちょっと寂しい感じですが、一人も、とても気楽でした。ユーラシア旅行会社のツァーです。
この会社は、ちょっとマニヤックな企画を組んでくれる会社で、大変丁寧に解説してくれ、翌日には、前日訪れたところなど記録して配布してくれるという、私には嬉しい旅行会社です。
といっても、この20年余りの長い間に、3回ほどしか利用していません。
まず、「時期が、私の希望になかなか合わない」、「極く、まれに、漸く時期が希望に合って申し込んでも、人数不足で、ツァーが成立せず」などで、実現していませんでした。
その間に、私は、合唱団の仲間で企画して、オーストリアのウィーンやザルツブルクなど、モーツァルトゆかりの土地や教会を、また、
アイゼナッハやライプツィヒ初め、バッハゆかりの土地や教会を一通り訪ね、地元との共演や自前の演奏会を行ってきました。
さらに、オルガンツァーと称するセミナーに参加して、北東ドイツのバッハゆかりの教会を24ヶ所ほど巡って、実際にバッハが演奏していたオルガンを観たり、
演奏を聴いたり、触らせていただいたりの企画や、モーツァルトの没後200年記念の演奏会のリハーサルを、聴かせて頂く企画に参加したりでした。今回は、仲間を募るのは、無理ですので、私一人での参加です。
ちょっと寂しいですが、気楽な旅でした。
この南西フランスには、黒い体のキリストを抱く聖母像を祭る教会が多くあり、それぞれ祝日の祭礼が大変盛大に行われているそうです。では、なぜ、ロカマドール?
ここは、20世紀前半、フランスの作曲家F.プーランクが、女声合唱曲「黒い聖母のための連祷」という、複雑な和音構成ながら、大変澄んだ響きをかもし出すとても素敵な曲を作曲しようと、
触発された聖地といわれていて、一度、是非訪ねたいと、長年願っていました。ただ、訪れた日が、丁度、聖母マリアの被昇天の祝日に近い8月半ばだったためか、また聖地スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路が、山越えで続くピレネー山脈に近い聖母マリアの聖地の多い地域とあって、
それら聖母マリアゆかりの教会を訪れる人の波に、改めてびっくりでした。
特に、マリア信仰の特別の聖地らしいルルドでは、それはそれは多くの人に加えて、前から引っ張られ、後ろから押され、2人がかりで進む車椅子の行列が、えんえんと続
き、びっくりしました。
ロカマドールでも、乳母車の赤ちゃんから、子供、若者、年齢を問わず、沢山の人人・・
プーランクが、訪れたと思われる約80年ほど前は(この「黒い聖母のための連祷」は、1936年作曲となっています)、どのようだったのでしょうかと思い巡らしました。
聖地ながら、あまりの人の多さ・ざわつきに、神聖な静けさとは、残念ながら、無縁な様子でした。
ただ、反面、心の底に浸透していて、特に強く意識しない様子のカトリック信仰が、子供から大人まで、自然に、静かに、強く行き渡っている様子を垣間見る思いでした。
やはり、この辺りは、カトリック信仰が自然な形で根付いているんだと思われました。ロカマドールでは、8月15日聖母マリアの祝日の前夜、宿泊した小さなホテルの前の道を、まだ明るさの残る夜9時
ごろから、
歌いながら進むローソク行列が通り過ぎていきました。皆、普段の服装で、乳母車から、お年寄りまで、火のともるローソクを手に、静かに何か歌いながら、ゆっくり進んでいきました。
いたって、気楽な雰囲気で、丁度1階だった宿泊した部屋の窓を開けて、眺めている私に気づいて、手を上げて、呼びかけたり、参加を促すような様子もあり、その自然さに、親しみを感じました。
これより先
、聖域を、一人でぶらぶらしていた夕刻6時に、丁度ミサが始まり、そっと参加させていただきました。重要な前夜のミサは、9時から行われる様子でしたが、慣れないところで、夜の一人参加は、危険ですので、私には、早めのミサで、貴重な経験をさせていただきました。ただ、私は、クリスチャンでは、全くありません。お邪魔でない程度にそっとミサを見学させていただくのです。どこへ行っても、機会があれば、参加させて頂いて、多くのことを学ばせていただいてきました。とくに、モーツァルトやバッハのカトリックやプロテスタントの宗教曲を中心に、合唱音楽を演奏してきましたので、知っておく必要があると私は考えています。西洋音楽、特に、合唱曲を演奏すると、それらはキリスト教の音楽に、必然的になります。そこに、
生来、キリスト教信者であるそれぞれの作曲者の作曲技術の聴かせどころ、技の見せどころ、最高の粋が込められています。ただ、今回参加させていただいたミサそのものは、早い宵ミサのためか、余り厳粛ではなく、聖歌隊の皆様も、TシャツにGパンのような服装で、参加者の方々もざわざわとした感じで、5人くらいいらっしゃった神父様たちも大変気楽な様子に、私にはお見受けしました。更に、この日は、たまたまか? 日中から、別の聖堂でも、ミサが、何度か?行われている様子でした。ガイドさんに従っていましたので、参加できませんでしたが。実は、この旅行は、私の合唱音楽研究の締めくくりのような旅でした。演奏する以上は、その作曲された状況、作曲者のおかれていた環境、それぞれ実際に仕事をしていた教会の響き、オルガンの響きなど、実体験することの必要を、私は強く考えています。そういう意味で、時代も違い、全くの実体験は、当然ながら、望むべくもありませんが、日本で、ただ、
音譜を拾って、楽譜をみるだけで演奏していては、全く、理解不十分と考えています。作曲者の仕事場である、それぞれの教会での意図した空気感を感じ取り、
その響きを多少なりとも体感しながら、演奏したいと願っています。このような意味で、今回の旅は、合唱音楽
の演奏に長く関わってきた私の締めくくりの旅でした。時代は、何十年、何百年か経っていても、石造りの教会は、ほぼ昔のまま、現代も息づいています。モーツァルトや、バッハが仕事をしていた、また、プーランクが訪ねて聴いたであろう響きを、及ばずながら、私達も
、一応実体験できるということです。
7月 18日(土) 201
5年
今日は、7月18日(土)です。
前回、この日記様を書いてから、なんと、もう3ヶ月半? あっという間です。
合唱団「コール・まどか」の第9回演奏会も、とっくに終わりました。7月1日(水)午後1時半からでした。
雨が降りましたが、午後には、小降りになり、やがて夕方にはほぼ止んだ様子でした。
少々案じましたが、お客様も、可なりお越し下さって、「とても楽しかったあ!」と口をそろえて、言ってくださって、まずは、大成功と安心しました。
この合唱団の演奏会は、なんと言っても、「楽しい! 楽しめる!!」が、最大の目標で、
歌う団員達と共に、お越しくださった皆様も共に、まず楽しんでいただける、そして、それなりに、難しい素敵な歌の数々に浸って、
有意義なひと時を過ごしていただける、また共に声をあわせて、気持ちを明るくして頂くことを目標にしています。
何とか目標達成か! と感謝しています。60歳代、70歳そこそこの方々もそれなりにいますが、80歳代後半も可なりい
るにも関わらず、全員に用意した椅子に、全く腰掛けることなく、15分ほどではあっても、立ったままで、演奏し通しました。
決して、無理の無いようにと繰り返し伝え、時には、失礼ながら、用足しにステージを、ひと時下がっても、全く遠慮要らないとまで、伝えたのですが、
ふと後で気が付いたら、一人も座らずに歌い続けていました。ピアノ独奏・休憩・ソプラノとテノールのステージのあと、
最後の第4ステージは、団員の出番でした。このステージは、自分達の曲は、約15分ほどですが、
その後、挨拶や全員歌唱などあり、少なくとも30分近くかかったと思います。
会場の皆様と歌いながらではありますが、この間も、ず〜と立っていたことになります。
後で聞くと、中には、座りたい気持ちだったけれど、だれも座らないので、我慢して立っていたとのこと。
翌週水曜日、早速練習日でしたが、どなたも、見かけたところ、平気な顔で参加していました。
くたびれたに違いないのですが、仲間の皆様の、心の持ちようの素晴らしさを感じました。
私は、実は、今回は、費用節約のため、チラシやプログラムの原稿製作はいつものことながら、用紙なども過不足無いよう加減を見ながら、
何度か購入しに行き、当日の演奏会場の看板製作もすべてを、自分のパソコンとプリンターで、印刷・製作しました。
さらに、これはいつもですが、自分に課す全曲暗譜の課題もあり、可なり疲れました。
そろそろ、わが歳のせいかとも思いつつ。 一番気を使うのは、何と言っても、団員が少なくなり、逼迫している合唱団の会計から支出する演奏会費用を、如何に抑えるかです?
前回の半額以下、ゲストにはそれなりにお礼するのは当然として、切れるところは極力切ってしまい?
まあ、何とか目標達成で、やれば出来るじゃあ〜ん!と。 又、次へ向かって、踏み出しています。
本当に休み無く、毎週水曜日午前の練習に、1時間以上もかけて参加してくれる方もいる仲間の為にも、様々な名曲を探し
選んで、気持ちも、新たに、思いっきり楽しんで行きます。
4月 2日(木) 201
5年
今日は、4月2日(木)です。昨日は、4月1日で、世の中では、エイプリル フールの日とも言われ、何かと楽しいだましがあったりします。
が、これはだましでも何でもなく本当のうっかりぼけでした。なにかと言いますと、昨日4月1日は、水曜日で、指導を続けています合唱団「コール・まどか」
の定期練習日でした。いつもは、水曜日午前中の練習なのですが、この日に限って、午前中の練習会場が皆無で、やむなく、午後の空いているところを抑えていました。
ところが、そもそも予約は、4ヶ月ほど前に予約しますので、すっかり忘れて、日程表を作成してしまっていました。
ところが、午前と午後の間違いは、大変なのです。団員達は、午前だと思って集まりますので、まず、午後では、心積もりが全く違います。
仕方ありませんので、会館内の空いているフリースペースで、ミーティングとしました。
丁度、年度替りである上、7月1日に、第9回目の定期演奏会を予定していますので、その相談もすることにしました。
今回の定期演奏会は、余りにも、予算不足で、今までの半分以下、その昔に比べると三分の一、なんと30万円くらいで、
すべてを、まかなう必要があります。
これでは、定期演奏会といえる演奏会は無理・・? そこを何とか充実した演奏会にしようというのが、アイディアの出しどころです。絶対省けない、ホール使用料や付帯設備の使用料だけでも、可なりになります。
私達は、活動拠点の文化会館ホールを使用するので、ホール代は半額になりますが、設備使用料は、そういうわけには参りません。
更に、もう3年前になる前回までの様に、合唱を、3ステージ組み入れるプログラム構成にするのは、
年齢が上がってきている団員達には、年齢的に負担が多く無理ですので、今回は、前回まで1つだったゲストステージを2つにして、合唱ステージは、3つから2つに
減らし、全体としては、
まあいつもどおり、4ステージで構成することにしました。ただ、
ゲストステージが増えることは、つまり、支出費用も増えるということです。しかし、
これは、最低限、必要なことです。
若い意欲的な演奏家達の善意溢れる心意気におんぶすることにしています。感謝です。まあ、まがいなりにも、活動の場を作ってあげるという有意義な機会でもあります。そして、合唱ステージが少ない分、その代わりに、
演奏会の最後に、ご来場くださったお客様と一緒に歌うお楽しみの曲を、前回までより増やして、十分楽しめる構成を考えています。
今回お願いするゲストさん達は、若いながら、なかなか優秀な方々で、日ごろの練習時にも、時々来て、若い声を響かせ、全体を活気付けてくれています。
彼らにお願いしてオペラのアリアなど、更に、いつも伴奏を受け持っていますピアニストさんにも、ソロステージを受け持っていただいて、
いわば、内輪で、プログラムを構成することにしました。
このゲストステージは、些か年配の団員達の合唱だけでは恐縮ですので、折角お越し下しましたお客様へのせめてもプレゼントとして、第1回の演奏会から、素晴らしい演奏家達をお招きして続けているゲストステージです。ただ、
今回は、申し訳なく思いますが、お礼を節約させていただくようお願いし、
何とか予算内に収めたいと願っています。更に、私も、思案して、チラシ、プログラムをすべて、自前で製作するよう決めています。
今までは、チラシもプログラムも、原稿は、勿論、私が
、書いて仕上げていましたが、やはり、紙質や色合いデザインなどそれなりの仕上がりを願って、特に、チラシの印刷は、すべて外注していました。しかし、今回は、すべて
、我が家のPCとプリンターで済まそうと考えています。
ということで、今週は、デザイン・構成など原稿書きに可なり没頭していました。
漸く、チラシもプログラムも、なんとか、Aサイズに収められることになり、まずまずというところです。
これで、今回は、すべて、我が家で、印刷することが出来そうです。でも、中身の濃い、本当に素敵なコンサートになります。
そろそろ?の年齢になる私より、さらに年配の方々が大変多く、活動暦28年目の合唱団の、びっくりするほど上手な演奏を、(本当に!)
是非、是非、ご期待下さいまして、お聴きくださいますよう、お願いしまして、お待ちしています。
2014年 12月 7日(日) 201
4年
今日は、12月7日(日)です。私の母の誕生日でもあります。 と言っても、母は、遥かかなたに、50年も前に行ってしまいましたが・・
そして、明日12月8日太平洋戦争の始まり、真珠湾攻撃の日です。
それにそれに、11月29日(土)午後4時半開演、府中の森芸術劇場ウィーンホールでの私達の最後の定期演奏会第9回が終わって、
もう1週間経っています。
どんどん、日は過ぎていきますね。そう、私達の最後の定期演奏会です。建物の外では、雨が降ったり、晴れ上がったり、忙しい一日だったようです。
でも、お客様は、思いがけず、大勢、お越しくださいました。係りの試算では、8割5分くらいお入りくださった様子です。
ざっと見て、空き席を見つけるのに苦労する様子でした。
11月 15日(土) 201
4年
いつの間にか? 秋が深まってきて、木々は色づき、落ち葉が舞う季節になってきています。
我が家のリフォームも、随分遅れていましたが、漸く何とか住める様になり、9月末に戻ってきて、1ヶ月半ほど経ちます。
としていますと、11月末29日(土)の定演本番が、目の前に近づいて来ています。
片付けは後回しにして、まずは、「ロ短調」ミサ曲です。団員達は、今回特に、新しく参加してくださった方々も、
前からの団員も、年齢と共に、経験豊かになり、自信も増幅され、知識も豊富になったとの意識が強くなり、
以前に倍加して、一ヶ言、二ヶ言と、意見が飛び交います。 前回までは、殆ど聞かれなかったことです。
素晴らしいのですが、それぞれに、経験から来る独自の考えで、しっかりした知識に裏打ちされているわけではない分、
多少、困惑することも多々あります。私の場合は、どんどん、考えの主張が出て来ても、構わないと考えますが、
それぞれが、自分が、一番正しいと、こうやるべきだと、どんどん勝手に得意げに歌い続けすぎるのは、考えものと思います。
私は、多くの指導者達と違って、折角一生懸命に歌っているのですから、十分に認めてあげたいと考えるようにしているのですが、
余り、主張の強い時には、なるべく、きちんと説明して、意見の偏りを、是正します。曲をまとめるためには必須の対策です。
他にも、特に主張が強くは無い方も、年齢もあるのか、何度も、十分に説明しているつもりでも、
「どこ吹く風」の方も多く、その分? 長期間の練習にも関わらず、思いのほか、仕上がりがよく無い様子で、実は、困っています。
どなたも、自信満々で、実に良く歌ってくれます。ではありますが、私が考えている曲作りには、思いのほか、遠い様子です。
年齢を重ねると歌声に味わいが出てきて、音に深みも増し、素晴らしいのですが、一方で、声の晴朗性や曲の流れ、
曲全体のまとまりに欠けてくると実感してきています。
もっと曲の流れ、音の動き、言葉の乗せ方・流れ、発音、何より声を音に上乗せして、少しでも透明感を増すようにするなどに、
神経を集中して歌ってほしいと願っています。
それぞれ、些か、自信がありすぎる様子? 素晴らしいのですが・・ 後、半月 で、このあたりを、何とか、対策を考えなければと、日々、思案しています。
それにしても、練習すればするほど、難しい曲と実感します。 今回、特に素晴らしいのは、ミサ曲でもありますので、ソリストの方々にも、合唱に参加していただきます。
皆様、快く承諾してくださって、ご一緒して下さることになっています。 トップクラスのソリストが合唱に参加して下さるというのは、私達にとっては、前回の「ロ短調」ミサ曲でも、同様でしたが、
何気ないようでも、実は大変珍しく、感謝しています。 ところで、他合唱団では、このような難曲で、素晴らしく奥深い曲を、1年くらいで、どんどん演奏会に乗せて行く様子ですが、
どうしてそんなに急ぐのでしょうか? 経済的な事情などもあるのでしょうが、勿体無い!!
東洋の端の日本という国で、没後250年以上も経って、こんなに多くの合唱団が、好んで、大曲を飽きずに、演奏しているとは、
バッハさんには、想像を遥かに越え、もし、お知りになったら、晴天のへきれきと、びっくりでしょう。 ただ、”そのように歌うのではないよ、又そんな声で歌わないでほしい。もっと楽譜をしっかり見て!
私が書いた原譜をよく見て、じっくり分析して演奏してくれ〜!! 今は、私の書いた自筆譜もネットでいくらでも見られるんだよ。
曲作りに気持ちを込めて!!”などと、 叫んでいらっしゃるかも・・・・・
兎に角、私達は、精一杯、心を込めて、練習を続け、本番に臨むのみです。 今回の演奏会に向けては、団員達が、お互いに分担し、、YouTubeなどで、素晴らしい映像やニュースを繰り返し発信したり、それはそれは一生懸命に準備しています。チラシやプログラムの製作・編集にも、様々なセンス溢れる素敵な良い知恵が込められていて、本当に素晴らしく、心から嬉しくなります。
この曲を演奏できるのは、とても幸せです。このように、奥の深い名曲を完成させながらも、自分では、演奏を成し得るなかったバッハさんに感謝です。
8月 16日(土) 201
4年
地方のお盆が、終わります。今回のお盆は、地域によっては、台風の襲来で、空は勿論、電車も道路も、交通機関が大変乱れ、
希望通りには行動できず、残念でした。天を相手では勝てません。
東京はといいますと、雨は少なく、幸いにも、このところ、半月前までの、あのからから、かんかんの暑さが和らいで、しのぎ易くなっています。
私など、夏に弱い者には本当に嬉しいです。私は、ず〜っとただ在宅です。お墓は近くですから、早々に、家族でお参りしました。
この八月、私の指導する合唱団は、なんと、週1の練習を全く休みません。休みましょうかと問いましても、[NO]でした。
ただ、気が付きました。団員達は、都合に合わせて、適当に休んでいます。休めないのは、私だけです。
とはいえ、全く休まず、毎回しっかり参加してくれる仲間も少なくないのです。やはり、私も頑張らねば・・
7月 17日(金) 201
4年
そろそろ梅雨明けのはずです。でも、東京はまだのようです。毎日暑くて暑くてですが、
夏は暑いものと思いつつも、やはりつらいですね。梅雨とはいえ、しとしと、じめじめの様子は全くありません。
とてもドライな梅雨で、たまに、あきれるほどの降り方で、時には雹(ひょう)まで・・
目下、マンションに仮住まい中。 4階です。丁度真下に、東京都の認可保育所があります。
毎朝、お母さんやお父さんが可愛いお子様を連れて来て、夕方迎えに来ている様子です。
お父さんの姿を見ることも多く、昔、私の年代では、ほとんど見られなかった光景で、ほほえましく、とてもいいなあと見ています。
子供の数が少なくなっている時代、何とか子育てがやり易く、余り費用がかからず、少しでも子供が増えて行きますよう、
心から願っています。 早急に保育士さんを増やすことも必要なのでしょう?
若年人口が少なくなっている時代、資格のある年配者の活動も大切でしょうと思います。
5月 30日(金) 201
4年
桜の季節は、とっくに過ぎ、さつきやツツジが押し合いひしめく様に咲き、紅白のはなみずきが可憐に咲いて、今は、もう新緑の頃です。
5月から、6月はあやめ、かきつばた、そうそう、バラがなんとも華やかに、大輪から可憐な花びらまで咲き競っています。
更に、そろそろ、庭の隅などで余り目立たないアジサイが色とりどりにやはり競うように存在を現わしてきます。
と、なんて日本の季節の移ろいは素敵なんでしょうと感動していると、そろそろ梅雨入りです。
じめじめ、蒸し暑く、と思いますが、 新緑、濃い緑の木々の葉のほこりを洗って、したたり落ちる雨も嬉しく思われます。
今年の梅雨は如何でしょう? 豪雨などありませぬよう願っています。
3月 6日(木) 201
4年
新しい2014年が明けまして、早や、2ヶ月が過ぎています。
この2月には、連続して、週末に雪が降り、東京には珍しく、可なり積もりました。
久しぶりの積雪に私など、何となく心が嬉しく和む思いで、夜中に窓を開けて、眺めていました。
特に、2回目の2月14,15日辺りは、北風に乗って、さらさらと斜めに、しかもこれでもかこれでもかと次々降り行き、
あたり一面、屋根も木々もこんもりと雪を被って、雪国のような風情に、感動して見入っていました。
私は余り経験したことが無い真夜中のことでした。
ところが、私がそんなのんきに楽しんでいる頃に、あちこちで、大変なことが起こっていました。
自動車が雪にうずまり、建物やビニールハウスが押しつぶされ、家が雪に閉じ込められ、外出不可能になっていたり、
さらに、もっと悲しいことが起こっていたりでした。
雪に慣れていない地域とは言え、自然の二面性を思い知らされる経験をしました。
あれから、2週間余り、雪が融け去った庭では、黄梅が黄色い花びらを開き、水仙の蕾が日に日に膨らんで、
彼岸桜が、濃いピンクの蕾を沢山付けて、これもまた、よく晴れた日ざしを受けて、ふっくらと膨らんでいます。
雑草もあちこちに伸び始めています。これらも、すべて自然の威力ですね。
10月も中旬になっても、なんとも暑い真夏日
があったり、先週は、台風26号です。東京直撃とか予報では伝えていましたので、
我が家も雨戸をガムテープで固定したり(古くガタガタうるさく飛ばされる危険を感じる?)、
ガラス窓にも飛び散らないようにテープを貼って、準備万端?整えました。
我が家の2階は、晴天では日当たりがよく、富士山もよく見え、素晴らしい眺めなのですが、
それだけに、台風などには吹きさらしになることがあります。まあ、我が家は何事もなかったのですが、
伊豆大島では、本当に予想を遥かに越える災害が起こり、
毎年、日本のどこかで繰り返される大災害に人間の想像力の乏しさと無力を思い知らされます。
日本列島は細長く北と南とでは、気象が随分違うと思ってはいま
すが、
更に、海に囲まれていて、南の気流、更に西からの気流と、そして、南の暑い気流に熱せられた海流の上昇気流と本当に、
年中周りからの影響を限りなく、受け続けることが今年も特に実感させられました。 日本では起こらないように聞いていた思いですが、
TVの映像だけでも、恐怖を感じるほどの想像以上の巨大な竜巻も起こりうることに、改めて、自然の威力を見せ付けられた思いです。
その一方で、心が膨らむ実りの秋は確実にやって来ています。桃、梨が並び始め、様々なぶどうにりんご、
何より、ほんの短い時期のみ目にするイチジクがあります。
それに早やみかんが山になって並んでいます。新米の呼び声も聞かれ、香りと共に、心が豊かになります。
今年の梅雨明けは、とても早く、7月早々、確か10日になるかならない頃でした。そのあとが大変でした。
猛暑に続く、猛暑で、8月下旬になっても、30度を越え、35度に迫る陽気が続いています。
私など暑さに抵抗力の無い者は、本当に困ります。
冷たいものを頂いたり、涼しい格好をしたり、エアコンを調節したり、あれこれ工夫しているのですが、
どうも疲れが溜まってくる様子になんとも致し方ない有様です。
それでも、さすがに、秋の気配が少しずつ忍び寄って来る感じで、心が安らいできます。
先日の朝は、珍しく、爽やかに晴れ渡り、夏には珍しく、青空のかなたに、富士の山がすっきり見え、空気が澄んで来ている様子でした。
ギンヤンマに続いて? アキアカネが飛び、蝉の声が、じ〜じ〜から、すっかりミ〜ンミ〜ンに変わり、
さらに、数日前1度ですが、ツクツクホ〜シとヒグラシを聞きました。
夜には、虫の声が聞かれるようになって来ています。
7月の国政選挙結果、中国や韓国との解決の難しい軋轢などなど、
人間社会はなんとも難しく、私などどうするのがベストなのか、全くわかりかねる日本や世界情勢が続いています。8月は、毎年ながら、特に、68回目の原爆投下日や終戦記念日など続きま
した。
改めて、戦争を経験なさった方々には記憶を呼び起こして頂き、
すでに70歳近くになりつつある、全く戦争を、戦後の悲惨な混乱の記憶が無い方々も、
私達の日本の為に、命をかけて、頑張って下さった数限りない方々に思いを馳せ、難しい日本の現状があるものの、好戦的にならず、
日本の将来を真剣に考えなければならない時でしょうと強く考えます。
6月 がお終いになります。梅雨が続いていますが、余り降っているというほどは降っていない様子ですので、
水源地での水のたまり具合が気になります。
私はといいますと、このところ、家の片付けにまぎれています。
まず、古着の処分です。古着といっても、特に、古ぼけているわけでもなく、傷んでいるわけでもなく、デザインもまずまず?
着ようと思えば着られるしっかりした生地の洋服類です。これがとても厄介です。
思いの他、沢山あって、全く思案してしまいます。それぞれに思い出もあり、愛着もあって、本当に捨てるには、勇気が要ります。
リサイクル店で引き取っていただこうかと考えましたが、なかなか、難しいと思えます。
これはと、思える夏のドレスを試しに持っていったところ、10分?くらい、査定をするとかで、待った結果、100円で引き取ってくれました。
ロングの可愛いひらひら水玉模様のブラウン系の今風のドレスでしたが、それでも、「(100円で)良かったわよ」という方もいて、
そんなものかと思いました。そこで、漸く、思い切って、古着のごみとして、市の回収に、すべてを出す決心をしました。
出来れば、困っている国の方々へでも届けられるといいなあ?と願っているのですが、そのルートを知りません。
市役所に伺いましたが、全く駄目でした? 切り刻んで、機械の掃除などに使われる以外、使い道がないとのコメントでした。
日本の古着が外国で、喜ばれているというニュースを見聞きした記憶があるのですが、どうすれば有効に使えるのでしょう?
時々、リサイクル店を開く予定などで、古着を集めていると訪問希望の電話が掛かってきます。
しかし、それは、口実で、金製品など口先上手に、安く、無理やり買い集めたりするので、かかわりを持たないようにとのニュースが聞かれます。
つい乗せられてしまうのでしょう。
リサイクル店では、ビンテージ(vintage) とか、ブランド品とかながら、見た目に可なり擦り切れてくたびれた衣類や
色のはげかけたバッグ類などが、
びっくりするような高額の値がついていて、そういうものこそが良いというのでしょう、価値観の違いですね。
4月も半ばになっていますが、思いの外、空気がひんやりとして、気温も、特に朝など10℃くらいが続いています。
寒がりの私などは、今日は何を着ようかしらと思案します。
それでも、自然は本当に素晴らしく、ささやかな我が家の庭では、折れて皮一枚でしかつながっていない花桃が、
今年も鮮やかな、本当に鮮やかな濃いピンクの八重の花をこれでもかというほどに沢山付け、咲き誇ってくれました。
青空に映えて、ただただ見とれるばかりでした。他にも、ミニ花の黄水仙が、フリージヤが、オダマキが、
更に、なんと昨年買ってきたすっかり枯れた風情でしたガーベラが赤い花を次々咲かせくれています。
枯れてしまったかと諦めていたのですが・・?
いずれの花木も毎日お米のとぎ汁を撒く以外、全く肥料もやらず、枯れた葉などをたまに除く以外、世話をしてあげていないのにと、
自然の素晴らしさ、力強さを、折々に思い知らされています。
今日は、 珍しい気象現象がありました。午後2時半過ぎ頃、窓の外を見て、びっくり、茶色の砂ぼこりのようなものが空に立ち込め、
視界が極端に悪く、急に何か、息苦しさを感じるほどになってきました。といっても、今日午後の練習時の時に団員が教えてくれて、気が付いたのです。
練習会場の9階から外を眺めての状況です。いつも見える遠景が全く見えず、中国からの黄砂がいきなり押し寄せたような様子でした。
団員が、「煙霧」と言うですよと教えてくれました。わたしの記憶では、初めての経験のように思いましたが、
今までにも、たまに、起こっている現象だそうです。午前中から昼にかけ、温度が急上昇して、暑いくらいでした。
ところが、夕方4時半ごろ、練習を終えて、外へ出ると風向きがすっかり変わり、 北風が強く、気温が10℃ほども下がったのではと思える陽気の急変でした。
今日は、明日11日(月)が「建国記念の日」ということで、3連休の中日になっています。
節分に、立春も過ぎ、2月も半ばになって来まして、今日は澄み渡った青空が広がり、風も穏やかで、本当に嬉しい陽気です。
今日は、リフォームを検討している家の内装の見本を見るため
、立川の展示場に行って来ました。材質が丈夫で、汚れにくく、燃えにくく、汚れが簡単に取れやすく、見た目も楽しく綺麗な製品が並んでいました。
ただ、どこが違うのかなと思えるものながら、それなりの理由で、価格に可なりの差があるようで、
なるべく安く、少しいい物をと欲を出して選ぶのも、楽しいような残念なようなと思案しながらでした。
床暖房やお風呂のスチーム仕様なども見られました。いろいろあるなあ?と、
でも維持費など上限はキリが無いなあ?と、まあ、ほどほどにつつましくと思いながら、楽しく見て来ました。
2013年が明けて、早や、1ヶ月が経とうとしています。平和に明けた2013年の今月16日に、言葉に出来ないほどの大変痛ましい事件のニュースが世界中
を、特に日本中を震撼させました。日本から途中給油しながら17時間もかかるという、アフリカ北部のアルジェリア、東南中部の砂漠の中、イナメナスという町で、多くの方々が人質にされ、
日本人も10人もの方が亡くなられました。それぞれに、日本の素晴らしい技術を展開して、天然ガス関連のプラント施設建設に、懸命にいそしんでいらっしゃった方
々
だそうです。犠牲者には、他の国籍の方々も多く、
私ならずとも世界中の方々が残念な思いを深くしていると思います。存じ上げている方はいらっしゃいませんが、残念で残念で、涙が出てきます。
心から深く、深くご冥福をお祈りしています。人命を第一に考える過去の日本的な対応が、身代金目当てのテロ行為のターゲットにされ、
それらを助長したとも考えられるようです。
テロ行為に対する、欧米初め、世界の国々の想像をはるかに越える容赦しない対応の是非を、改めて強く認識し、考えさせられる事件です。世界でも稀な、平和な日本で、ノー天気に暮らしている私
(もちろん私なりに悩みも苦労も多々あることはあるのですが、それはささやかに思われます)には、ニュースで見聞きする世界中で起こっている痛ましい争いが、
急に身近に感じられてきました。リビアやチュニジアを初め、エジプト、アフガニスタンは勿論、目下は、シリアの内戦など、可愛い多くの子供達を含む罪のない人々が、
毎日果てしなく、多く亡くなられているという現実が、一層身近に、心にずしんと響いてきます。
私には、安泰を願い、祈るしか方法がありませんが、せめて、心から深く祈りたいと考えています。
今日は、12月8日、歴史的な日です。真珠湾攻撃。それ何?とおっしゃる方もいらっしゃるかも。
そう、1941年12月8日未明(日本時間)、日本が太平洋戦争の引き金を引いて第2次世界大戦にエスカレートさせた攻撃です。
そう言う私ももうひとつ良くは分かりません。幾らでも著作があり、繰り返し語られて来たことですから、学ぶ方法・機会は数限りなくあります。
でも殆ど学んでいません。が、忘れてはいけない日と私は思っています。
その理由の第一は、これをきっかけに、才能豊な無数(言葉・文字では言い尽くせない多く)の若者達、更に大切な大切なお父さん達までが戦場に駆り出され、
命を奪われた戦争勃発の機会ですから(今もって、様々な形で聴く機会の度にその人材の損失の多さ・すごさを想像し、私でも大変無念な思いがしています)。
さらに、想像を越える無数の国民が亡くなり、路頭に迷う事態になりました戦争です。
これに心底懲りまして、その後の日本は、平和憲法に守られ?、何とか世界でも稀なくらい平和で美しく、
素敵な国を続けています(私は自負しています)。
とは言え、目下の日本は、難問続出です。
国を率いて、国民の上に立つ方々は本当にしっかりとよく考えの至る方になって頂きたいと心から切に祈ります。
今日は、7月28日です。ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685〜1750)の命日です。何回目でしょう?
え〜と1750年に亡くなられていますので〜?
今年が、2012年、という事は、250年+12年=262年(目)ということですね。
日本で言えば、江戸時代中期、元禄時代(大体1688〜17041頃)ということです。
ドイツでは、長く続いた旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)が激しく争った宗教戦争(ドイツ30年戦争とも、1618〜48)
が漸く終ったものの疲れ果てている上、全体的には、大変な貧しさが続いていた頃のようです。
今月は、可なり演奏会に足を運びました。先ず2日に高橋節子さんのソプラノリサイタル(白寿ホール)、17日に渡辺順生さんの「聖母マリアのための夕べの祈り」(モンテヴェルディー サントリーホール大)、20日にBCJのバッハ「結婚カンタータ」など(オペラシティー大)、24日フォンテヴェルデ&メディオ・レジストロ(風のホール 三鷹)などです。高橋さんのリサイタルは、伴奏者が小林道夫さんでしたので、是非にと行きました。曲目は、殆ど馴染みのない曲ばかりでした。熱演でしたが、音の掴み方、声のコントロールなど私にはもう一つの感じで、残念でした。小林先生の伴奏は、とても丁寧でした。20歳代の頃からの絶妙の演奏を聴いてきた者には、少しお年かな?とも思いました。渡辺順生さんの「ヴェスプロ」は名演でした。合唱員に、今第一線で活躍中の古楽のプロ歌手たちを揃え、オケは、若手の古楽器奏者中心の編成でした。勿論渡辺さんが、チェンバロを演奏しつつの指揮でした。演奏はとても良かったという事になると思います。さすがに、代わり合って、ソロも、合唱も歌う歌手達が、全体を圧倒していて、オケが少し控えめだった様子です。BCJの世俗カンタータは、互いに動きながらの演奏など楽しめました。が、プログラムの対訳が
読み難い上に、大変早い台詞回しに、速い動きで、一生懸命の熱演に、面白い感じでしたが、本当のところは、良く判らずに終わりました。「ブラボー!」など随分声が上がっていました・・
私自身は早めに行って、プログラムを読んではいたのですが。今週、何年ぶりかで出かけました風のホールでの共演は、とても面白く、楽しめました。ヨーロッパで、16,17世紀前半ころなどに、当時大変流行した世俗歌の多くは、リコーダーなど当時の器楽曲に、様々に編曲されて、好まれて演奏し楽しまれていたそうです。今谷和徳さんの解説に続いて、元の曲をフォンテヴェルデが声のアンサンブルを聴かせ、そのアレンジ曲を、メディオ・レジストロが、大小のリコーダー、オルガン、チェロなどで演奏するという趣向で、随分違ったアレンジなどいろいろあって、とても楽しめました。
早や7月に入り、もう10日になっています。前回書きましてから、うっかり随分空いていました。
今はまだ、梅雨の最中ながら、昨日、今日と真夏のような素晴らしい晴天でした。 自転車で走り回り、用を済ませました。 早や6月も終りになっています。前回書きましてから、うっかり随分空いていました。
今は梅雨の最中ながら、昨日はしばらくぶりに素晴らしい晴天でした。 意外に爽やかで、女声合唱団「花紬」の練習が仙川の東部公民館でしたので、
しばらくぶりに自転車で行きましたが、さほど汗もかかず、気持ちが良かったです。
ただ、此処、調布市国領町品川通りからですと実は東方へ国分寺崖線に向かって、約25分ほどひたすら上りです。
歩道が割合、良く作られていますのでまずまず安全なのは嬉しいことなのですが。 その代わり、帰りは反対にひたすら下りで、すいすいととても持ちよく走れます。
前回書きました庭の花々が、更に咲き競い、彼岸桜は満開を過ぎて、葉を沢山出し始めています。
紫のフリージャはもう暫くです。固いながらつぼみを付け始めています。
ヒヤシンスが、小さく可憐に咲いています。買ってきたピンク・赤・黄色のラナンキュラスが、大きく花開いて、艶然
と華やかに咲いています。
今日は、「春分の日」祝日休日です。良いお天気でした。
可なり寒いながら、爽やかに晴れ渡り、気持ちの良い一日でした。
お布団カバーなど良く乾き、さっぱりしました。
手入れを殆どしない庭では、彼岸桜が、濃いピンクのつぼみをほころばせ始めています。
この彼岸桜は、花屋さんで、3年ほど前に買ってきて、大きな花瓶に差しておいたところ、
根を出していたので、そのまま、庭の土にただ挿しておいただけでした。
ところが、翌春、10輪ほど花を咲かせてくれました。
今年は1m2,30cmになり、沢山つぼみをつけてくれています。
25,6年前に買った黄梅が背丈5〜60cmですのに、黄色い花を今年も一杯咲かせてくれています。
ミニ水仙も鉢一杯に球根を増やし、3つの鉢で可愛い黄色の花が所狭しと咲き始めてくれています。
薔薇が今春も元気に芽を出してくれています。
もう少しすると珍しい?紫色のフリージャが咲いてくれるはずです。今は、葉だけを伸ばしています。
「オダマキ」も葉を茂らせ始めています。「もっこうバラ」の勢いの良いこと。
お行儀悪く、やたらに枝を伸ばし、可愛い花を所狭しと咲かせてくれるはずです。種がこぼれ落ちるままにした
風船かずらが、そろそろ芽を出すはずです。
ごくたまにしか撒かず、植えず、手入れをせず、時々邪魔に伸びた枝を切り、
たまに、草を抜くだけの狭い庭ですが、自然はどうしてこの様に忘れずに巡ってくれるのでしょう?
そうそういつ植えたか忘れたヒヤシンスが、今春も葉を伸ばし、小さなつぼみを覗かせてくれています。
ご老体で半分折れかかっている花桃もつぼみを膨らませ始めています。素晴らしい自然の勤勉さです。
前回書きましてより、早や4ヶ月になっています。その間に、冬が来て、そろそろ春、早春の陽気になっています。
この間にお正月があり、お年賀状を注文・送付がありました。何より、私達の第8回目になる定期演奏会がありました。
演奏時間3時間になる長大なJ.S.バッハ作曲「マタイ受難曲」を2月5日(日)に、無事に行いました。
この4ヶ月は、そのための準備と完成・終了です。
先ずは、「マタイ受難曲」定演の追い込み練習があり、定演でお配りするプログラム作成、全曲の対訳作成と本当に大忙しの連続です。
結局、原稿の量が多く、2冊に分けることになりました。
団員達の知恵が集まり、今まで以上に、素晴らしいプログラムが出来ました。
団員全員が、文字通り、一丸となって、それはそれは、一生懸命に準備しました。
必要な仕事をしっかり把握し、それぞれの担当を率先して、全員に割り振ってくれた団員がいてくれました。
又全員が、忙しい本職の合間に、少しでも参加したいとチームワーク大変素晴らしく、準備しました。
何しろ、少人数の合唱団である私達にとっては、曲が2重合唱に2重オーケストラという長大な「マタイ受難曲」で、
しかも会場が、慣れない、初めての第一生命ホールでした。
このホールについて、団員は、当初、時期が寒いであろう2月初めになってしまったこと、
私達の調布という生活圏から多少遠いということなどで不安な思いも少なくなかった様子でした。
(前回までは、隣の市、府中のウィーンホールでした。)今回は、ウィーンホールが抽選に外れ続け、
さらに、ステージが狭いことに思い至り、張り出しステージに出来る第一生命ホールに決めました。これは、大成功でした。
ただ、客席数が、ウィーンホールより200席ほど多く、700席余りですので、
団員一同、思い切って今までに無く、チケットの配布・販売に頑張りました。
ところが、年明け、本番が近づくにつれ、チケットがどんどん出て行き、座席数を越えそうになって来ました。
そこで、率先して手を挙げてくれた団員が、販売済みのチケット枚数を確認することになりました。
これが、とても大変で、本当にご苦労さまでした。読みの難しさです。
1月半ば過ぎになりますと、電話やメールでの折角の購入注文をお断りする事態になりました。
ホール側から、当初より、座席数を決して越えない様にと言われていましたので。
本番の蓋を開けてみますと、可なり空席がありました。
ただ、私達として最多、座席の8割くらいの大変多くのお客様がお越しくださいました。
教訓としましたは、アマチュアである自分達の実力を考え、
遠慮して、無料で配布する方が可なりいたためでした。
ただ、どこの合唱団も同様ではと思われます。合唱団は、どこもアマチュアの集団ですので。
本当は、私達の定演は特に、毎回も同様ですが、合唱員はアマチュアでも、
ソリストは全員、バッハ演奏の現在日本でのトップクラス、
オーケストラもコンサートミストレス初め、古楽演奏のトップクラスが揃っていて、
本当にこれ以上ない、素晴らしい陣容です。
この方々の演奏を聴けるという大変価値のある機会ですから、堂々と販売してよいのですが、
謙虚な団員達は、中々割り切れず、悩むことになります。
ただ、来て下さった方々も必ず何か持参なさいますので、
いくらかででも販売した方が双方にとって良いと考えますが、本当に難しく悩ましい点です。
結果として、配布・販売チケット枚数の確認が難しくなります。
しかし、全て、止むを得ないとの結論に
なります。どなたも、心優しく、勤勉なことが良く判っていますので。
十月も20日そろそろ寒さを感じる陽気になっています。
毎年、そこここからほのかに、しかし思いのほか強い香を放って、存在を知らせ、
秋の到来を気づかせてくれる木犀(もくせい)の色鮮やかな花も散り急ぎ、落ち葉が舞い始めています。
庭の隅に立つ柿の木では、柿が日に照らされて美しく色づいてきています。
この柿は、植えて、もう35年ほど、以前は、生り年、不作の年ときちんと1年おきでしたのに、
近年は、感覚がすっかり狂った様子で、この数年、毎年春の終わりごろに、正にこれでもかと鈴なり様に実をつけ、
夏の到来と共に、雨につけ、風につけ、これでもかと落果し、
先月の台風ではすっかり落ちてしまったのではと思えるほど、落果しました。
ところが、日に日に色づき始めると存在を現わし、まだまだ可なり沢山枝に留まっていることに気づかされています。
これはどうしたことかと不思議な気がしています。
そろそろご老体になり、感覚が狂ってきているなのかどうか?それとも陽気のためか?
いずれにしても、既に食する人がすっかり少なくなっている我が家なので、
まだまだ沢山生っている美しい実を見上げながら、どなたか食してくださらないでしょうかと願っています。
もっとも真っ先においしそうなのから目ざとく食してくださるのは、小鳥さんたちです。
ところが、小鳥さんたち、人間のように最後まで、すっかり食べて下されば有難いのですが、
つまみ食いが多く、それがぽたぽたと落果して、無残な姿で地面にたたきつけられ、
始末するのは私です・・・?
「マタイ受難曲」の練習は、また、最初から始めています。
10月になりましたので、第1グループと第2グループに分けました。
一応、希望を聞き、出来るだけ希望に添うよう?にと考えました。意外にまずまずだったと思っています。
合唱を2つに分け、左右からの掛け合いやユニゾンによる、
そのステレオ効果を狙った構成に今更のように感心しながら、練習を進めています。
つまりは、宗教オペラですから、聴く方々に、解かり易く演奏したいと考えています。
これから、十分に考えを深めて行きます。
19日(水)東京文化会館小ホールで、ロバート・レヴィン(ピアノ)とチャールズ・ナイデック(クラリネット)のデュオ・リサイタルを聴きました。ブラームス作曲「クラリネット・ソナタ」第1番と第2番、シューマン作曲「幻想小曲集」(オリジナル版)、珍しかったのは、クララ・シューマン作曲
「中秋の名月」は、今週の月曜日12日でした。空が良く晴れ、久しぶりに、皓々と輝く素晴らしい月を眺めました。
それにしても、残暑の厳しいこと。
今日も日中は、32,3度くらいでしたでしょうか?日傘を差していても大変な暑さでした。
日が暮れ始めると涼しい風が吹き初め、虫の音と共に、秋を感じ
るようになりますが。
ところで、肝心の「マタイ受難曲」の練習です。
本番まで、いよいよ5ヶ月足らず。のんびりしているわけには行きません。
コラール以外の合唱部分をまた集中して、深く練習します。演奏会の準備にもかかる必要があります。
役割分担を決めて、取り掛かります。
一昨日6月22日は夏至でした。ここ数日、30度を越す暑さが続いています。 梅雨の最中のはずですが、今日は夏空が広がり強い風にあおられました。
前回4月11日に書きましてより、早や2ヶ月半ほどになっています。 この間にも、世の中の動きも含めて、いろいろありました。
まず、4月初めの予定をやむなく延期していた女声合唱団「花紬」の定演を、漸く、5月27日(金)に行いました。
お客様も多くお越しいただき、大変好評をいただき、ほっとして、大変嬉しかったです。 会場は、新大久保のルーテル教会の礼拝堂で、団員数が13名に、
助っ人のお嬢様達を入れても、18名という小人数の合唱には、丁度良い広さだったようです。 パイプオルガンとの共演も実現出来、初めての教会での演奏会は、
天井の高さも丁度良く、美しく共鳴して、響いてくれたようで、大成功でした。
これより以前、5月の連休中のことです。 連日TVで、東北地方の観光客が激減して、旅館やホテルが困っていると報道していました。
特に、弘前城の桜祭りが、桜の開花も遅れていて、淋しい限りとか? 4月29日には、東北・秋田新幹線が運転再開されるとのこと。
長年の念願てあったお花見が出来るベストチャンスと、急遽、ホテルを予約しました。
今年は、何と連休中でも予約できました。5月5日〜7日に、角館から弘前へと出かけました。
以前、春先に行って、紐がぶら下がっているようでした角館の枝垂桜が、武家屋敷の塀の上、空高くから、
それは見事に咲き誇り、降り注いでいまして、堪能させられました。白い枝垂桜があることを知りました。
私は、桜の中でも枝垂桜が大好きです。(実は、滅多に見られませんが、みどりの花びらの桜が、特に一番好きです。)
6日に、秋田内陸縦貫鉄道という廃止のうわさもあるローカル線で、沿線の山すそや道路などにまだ雪が残っている様を見ながら、
鷹ノ巣へ行き、奥羽本線で弘前まで行きました。山々の頂きには残雪が美しく、空に映えていました。 弘前では、勿論、弘前城のお花見です。
天守閣は、3層ながら、何ともこじんまりと可愛らしく、広大なお城に不似合いな感じがしました。
江戸時代のなるべく控えめにせざるを得なかった様子が伺えます。
それは、兎も角、お城の上は勿論、お堀周りも、桜の木のものすごいとしか言いようの無い数の多さです。
更に、広いこと! 四方を囲む外堀の1辺の長いこと! 初めて見る、あまりの広さと桜の種類と数の多さでした。
そして、何とも堂々とした幹周り何メートと記されるほどの古木の多さ。一生分のお花見をした気分でした。
ソメイヨシノは、少し満開を過ぎた様子のもありましたが、お堀端に、ずらりとはるか遠くまで並んで、何とも素晴らしく、
お城の上では、微妙に濃淡のある、種類のいろいろな枝垂桜が今を盛りに咲き誇っていました。
丁度お天気も良く、太陽の光に映え、下から見上げますと青空に映えて、忘れられない美しさでした。
6日には、東半分を見て回り、7日午前中は、南側の追手門から入って西半分を見て回りました。
ヴォランティア ガイドさんに出会い、説明しながら案内していただき、 お城の外、江戸時代の武家屋敷や商家も見せていただきました。
ところで、肝心の「マタイ受難曲」の練習です。目下、コラールを集中して、練習しています。
全部で、13曲ありますので、曲順に、音の確認は勿論ですが、先ずは、言葉の発音の確認です。
何と言っても、言葉や文章の流れ・内容が大切です。しっかり憶えたいです。
これが、簡単そうで、中々難しいのです。何度も繰り返し読んで慣れることでしょうと考えています。
コラールは、同じ音符が並んだり、音が可なり跳躍したりしても、それによって言葉がぎくしゃく刻まれたりせず、
先ず文の流れを大切に、自然な単語や文章の流れが聴かれるように、上手に音を乗せて歌いたいと練習に励んでいます。
イエスの残酷な処刑に到る様子を語っていく受難曲ですから、コラールはほっとする部分です。 イエスの信奉者達が、自分達の多くの罪の償いのために、
甘んじて十字架刑を受けるイエスに対して、心からの感謝と信頼、さらに、愛する心情を歌うのが、コラールです。
陰惨な話の流れのなかに、挟まれるソロの美しさも素晴らしいのですが、
やはり、コラールをしっかり、丁寧に、印象深く歌いたいと考えて、練習を重ねています。
3月11日午後2時46分、東北地方の太平洋沿岸、何と南北500kmに渡る巨大地震が起こりました。1000年ぶりとかの大地震です。
まさかと思うような大変な被害に何とも言葉がありません。私は、在宅中で、何度も大きな横揺れが長く続く様子に、震源はどこかと大変心配になりました。
出入り口を確保するなどし、外の様子など伺っていましたら、
2時間近くでしょうか、漸く一先ず治まった様子でした。
首都圏では、多くの帰宅難民が出、私の家族も翌朝帰宅する事態になりました。
我が家は、何も壊れず、倒れずに済みました。この東北地方に発生した巨大地震は、想定をはるかに超える巨大津波を派生させ、計り知れずの多くの人々を飲み込んでしまいました。
幼い子供も多く、残念で残念で仕方ありません。更に、何と福島原発事故という人災まで発生し、
その上、放射能漏れによって、栽培野菜や海の魚まで汚染され、
販売禁止措置されるに到っては、気の毒で、どうすればと思案します。
私など、同じ種類の野菜を食べ続ける事は殆どありませんので、
又、年齢から考えても、これから育つ子供達と違いますから食べても良いと考えます。
出荷停止措置などされているようですが、栽培農家の皆様には、正に人災が追い討ちをかけている様で、
何とか協力してあげたい気持ちです。福島原発のある双葉郡広野町に住んでいる知人は、 避難先の埼玉の知人宅と心配な自宅を行ったり来たり
の落ち着かない生活が続いているようです。 避難勧告など出ていても、多くの方々は、一旦避難しても、落ち着かず、可なりの方々は戻っている様子だそうです。
この予断を許さない原発事故が何とか早く落ち着いて、どなたも自宅で生活できますよう、心から祈っています。 昨日11日から昨夜にかけて、東京では珍しく降り続く雪景色が見られました。
1日中、粉雪のような、さらさらとした雪が降り続き、道路上は濡れているだけですが、
人家の屋根や木々の雪化粧に風情があり、豪雪の便りが聞かれる地方の方々には申し訳ない思いですが、
久しぶりの光景に、少々嬉しいような懐かしいような気持ちがしました。
先週以来罹っていた、私には珍しくひどい風邪もどうやら今日あたりは治まり、
今日土曜日は、外出もせず、暫くぶりに一日のんびりしました。のんびりついでに、
本当に何年ぶりかで、ドーナツを作りました。皆育って、食べてくれる人もすっかり少なくなり、
私が食べたのではカロリーが気になり、思案するところですが、卵を入れないドーナツを作ろうというもくろみです。
先ず、外では、買えません。ミスター・ドーナツの店先に、強烈に香る?バニラの香り、
趣向が凝らされた様々なドーナツを時々目にして、簡単なものなら、私にも何とか作れそうと思いながら数十年?
どういう風の吹きまわしか、突然、思いついたのです。
まあ、丁度余った牛乳があって、どうしようかと考えていたのですが。
兎に角、大小10個くらい作りました。丁度連休中のことで、息子がやってきて、1個食べてくれました。
勿論私も食べました。でも2個が限度です。まあ、ゆっくり消化しましょう。
ところで、なぜ、卵抜きのおいしそうでもないドーナツをとお思いでしょうか?
そう、私は卵がだめで、カステラ、ケーキ、お正月の伊達巻、かまぼこ、なるとなどなど、一切頂きません。
ということで、大変久しぶりに、卵抜きのドーナツ、おいしかったです。
子育て時期は、私の作るケーキもドーナツも、すべて卵入りでした。
子供達が、皆卵アレルギーでなく、神に感謝です。私が味見することは?・・・それくらいでしたら大丈夫なのです。
ところで、「マタイ受難曲」の練習は、2回目の通し練習が
半ばを過ぎ、全体の3分の2あたりです。ペトゥルスが、イエスの弟子だろうとしつこく追及され、身の危険を思って、
強く否定し、3度目に否定すると直ちに雄鶏が鳴くのが聞こえ、漸くイエスの預言を思い出すところです。
大急ぎで、外へ逃れ出て、激しく慟哭する部分の対訳を読み、改めて、学びました。
更に、No.39アルトのアリアの対訳を読み、No.40のコラールを歌い、ペトゥルスの苦しく、後悔し、
イエスを慕う心情を感じ取ります。続いて、イエスは、祭司長達によって、死罪と決められ、いよいよ(漸く?)、
ローマ帝国エルサレム総督ピラトの元に連れて行かれるところになります。
しかし、ここで、その様子を、裏切り者のユダが見ています。]
まさかイエスが死罪の刑になるとは思っていなかった様子で、
すっかり後悔したユダは、売り渡した代価として受け取った銀貨30枚を、祭司長達に投げ返し、首をつって自殺するところです。
(どうして、ユダはそのような裏切り行為をしてしまったのでしょうか?
なぜ、十二使徒の中でユダがその役回りになっているのでしょうか?)
お金を返したのだから、イエスを返して欲しいと願い、祈るバスのソロを、
さらに、銀貨を投げ返された、ユダヤ教の祭司長たちは、これは、死罪にしたいイエスに支払われた「血の対価(代価)」だから、
ユダヤ教神殿のために使用するわけにはいかないので、代わりに、エルサレムへやって来て行き倒れる巡礼者のための墓地を作ろうと
陶器職人の畑を買うことにする部分、そうして漸く、ピラトの前に引き出されたイエスが、ピラトから訊問を受け始めるところになります。
これら語りの部分の対訳を読んで解釈しました。(現在のエルサレムの地図に、「血の畑」と記されています。)
次は、No.44のコラールです。このコラールは、マタイ受難曲に、5回にわたって出てくる馴染んだメロディーです。
勿論、言葉の内容は違います。と、この当たりまで、進んでいます。全体の話のながれ、多くの登場人物の心の動き、
ユダヤ教信者である民衆の心情、イエスを慕う人々の心情など、それぞれのつながりを整理して、
良く理解して歌いつないでいくことがとても大切です。
長い曲ですから、イエスが十字架にかけられるに到る話の進行を良く読んで、覚える必要があります。
このところ、BCJの演奏会を続けて聴く機会がありました。
BCJの創立者であり、音楽監督でいらっしゃる鈴木雅明先生が、ここ調布に、もう30年来、お住まいということもあって、
調布市文化・コミュニティ振興財団とBCJが協定して、これから定期的?に、演奏会を行うことになり、その第1回目がありました。
1月27日に、「バッハ名曲コンサートin調布」として、調布市文化会館「たづくり」くすのきホールでありました。
曲は、コミカルな「コーヒー・カンタータ」、片手に持って、自在に演奏される、
単なる管のみで作られたナチュラル・トランペットの演奏を含む宗教カンタータBWV51などでした。
トランペットのピッチの難しさを少し感じましたが、素晴らしい、珍しい演奏でした。
また、コーヒー・カンタータも楽しめました。何より、この演奏会は、その演奏者達の面々の素晴らしさです。
第1回目ということもあってか、鈴木先生の意気込み・心意気を感じさせられ、
コンサートマスター初め、BCJの重要メンバーが揃っての出演でした。
さらに、2月4日には、2月定演の公開リハーサルを、やはり「くすのきホール」で聴きました。
1時間でしたが、次週、本番の定演を聴く予定でしたから、とてもよい経験になりました。
そして、2月10日(木)に、オペラシティー大ホールで、定演本番を聴きました。宗教カンタータ4曲です。
珍しくアルト・ソロのカンタータBWV170が楽しめました。
BCJおなじみであるイギリスのカウンターテナー ロビン・ブレイスのソロ演奏でした。
大変安定した声と歌い方で、素晴らしかったです。
ただ、何年か前、まだ随分若く、初めて聴いた時の軽い澄んだカウンターテナーの声に、驚き、感動した印象が強いので、
ちょっと年齢かな?を感じました。最後は前週リハーサルを聴いたBWV149のカンタータでした。
この曲最後のコラールの前曲、アルトとテノールのデュエットでは、ファゴットソロが伴います。
リハーサルの時にも、感じたのですが、デュエットの互いのハーモニーが、またファゴットのリズムが今ひとつ、しっくりせず、
リハーサルの時よりは、本番は良いと感じましたが、私には、居心地の悪い思いをしました。
この様に、2週間の間に、BCJを3回聴く機会があり、有意義で、とても楽しめました。
余談ですが、調布での公開リハーサルで(定演で再度)
聴きました2曲のカンタータBWV174とBWV149の終曲のコラールは、ヨハネ受難曲の終曲のコラールと全く同じで、
特にBWV149の方は、言葉も、ヨハネ受難曲と全く同じです。
しかし、これらのカンタータは、いずれもお祝いの曲で、コルノ(ホルン)やトランペットが高らかに奏でられます。
受難曲は、正にイエスが十字架にかけられ、お亡くなりになる、いわばお葬式の曲です???
この全く、反対の目的のために、言葉まで同じ曲を、楽器編成を違えて、バッハは使っています。
大変大忙しだった様子のバッハはこの様に、しばしば使いまわししています。
ということは、受難曲そのものは、普通は、復活祭までの四旬節期間に演奏するのですが、
コラールだけなら、年間いつでも良いとなります。バッハもそのように考えていたということになります。
気が付けば、今年もあと半月ほど、毎年ながら、え!? という思いはありますが、
この様にして、年を重ねて来たのだなあと思い返しています。今日は朝から雨模様ですが、
東京は通常、晴ればれとする青空に恵まれた晴天が続きます。
日本海側から東京に来た方々は、この青空を見て、不思議な思いもなさるとか?
日本海側は、冬は、雪模様の曇天続きのようですから。その代わり?雪に包まれる暖かさを経験できるようです。
私は、生まれてこの方、住んでいた、また住んでいる所が余り雪景色に恵まれていず、折角秋田や弘前に2月、3月に出かけても
、積もっている雪は見られますが、どういうわけか、空が珍しく、晴れ渡っていて、雪がきらきらと美しく、
目がまぶしい景色ばかりです。しばれる猛吹雪とはどんな感じかと期待して、3回ほど出かけましたが、いずれも残念でした。
もっとも土地の方はご苦労なさっているでしょうから、物見遊山では申し訳ないのでしょうが。最近は、雪が少ないとか?
ところで、「マタイ受難曲」の練習は、2回目
の通し練習が進んでいます。昨日12日は、第1部の終り、イエスが、捕縛されるところの第27曲で、
ソプラノとアルトの2重唱に、相対する合唱部分とそのあとの合唱を練習しました。
これは、中々難しく、何度も繰り返して練習する必要があります。
イエスを信奉する人たちの激しい怒りの心情を理解して、速いテンポで激しく厳しく歌います。
28曲目では、イエスの弟子が、イエスを捉えに来た輩の一人の耳を切り落とす場面を、対訳を見ながら、訳しました。
イエスが、「剣を手にする者は、剣で滅びる」と言って、剣を鞘に納めるよう諭す場面です。
次回は、27曲目の練習に加えて、第1部の終曲、第29曲を練習予定です。
勿論、目下、2回目の通し練習中ですが、可なり忘れていて、一から練習する気持ちです。 この秋も、様々な演奏会を多く聴きに行きました。軽いものものから、宗教曲の大曲などまでです。
中で、目からうろこ状態に感心しましたのは、国立音大のサクソホーン専攻科の発表会です。
その演奏会を聴きに行くというより、丁度次回定演のホールを思案中でしたので、
改めて、府中ウィーンホールの広さや響き具合を確認したくて、 丁度都合が良かったので出かけました。ところが、びっくり、4重奏が多かったのですが、
いずれのステージも、シャープで複雑なリズムと、微妙な音が重なり、スピード感溢れる大変速い曲のながれが、
とても素晴らしく、互いの呼吸がぴったり良く合っていて、何とも心地良く聴くことが出来ました。
サックスってこんな感じだったかしらと、すっかり見直す思いでした。
さらに、アメリカから、2週間の予定で、国立音大にいらっしゃっているというサクソホーン演奏家の大学教授のゲストソロ演奏がとても柔らく澄んだ音色で、
今でも、耳に残る素晴らしさでした。
昨日23日(木)は、秋のお彼岸のお中日で休日でした。三日前の21日(火)、1昨日の22日(水)は2日続きの大変素晴らしい晴天で、
30度を越す暑さでしたが、昨日は雷を伴う激しい雨に断続的に見舞われ、何と10度近く気温が下がりました。
夜になるにしたがって、些か寒い感じになってしまいました。夜分には、しっかり布団を被って休むほどになりました。
今日24日もセーターを着込むほどの涼しさで、現在午後4時の気温は21度ほどです。
昨夜、兵庫県の丹波篠山の知人に、用事で電話しまして、ついでに中国山地の端に位置する盆地ですから、
東京よりは少し涼しいのではと尋ねましたら、東京と同様、猛暑の後、1日で10度も下がったとのことでした。
更に今夏の酷暑、又残暑の厳しさに、体調の管理が大変でと、このところ大変な暑さ続きでしたことを話し合いました。
ただ、黒豆の生育は順調のようです。人口の減少を食い止めようと街を挙げて、いろいろ工夫をしているのですが、
功を奏するといいなあと願っています。全体がこじんまりとした城下町で、お城の石垣とそれを取り囲む内堀、外堀、
更に馬出しが綺麗に残っていて、城下町の基本構造を一目で知る事の出来る大変良い見本のような佇まいです。
メイン通りの重要な街角々を中々立派なお寺がしっかり守っているのも、昔を忍ばせます。
両親の郷里なのですが、是非訪れてみてください。
春のお堀端の見事な桜並木、秋の王地山(街の東端)のもみじ、さらに春日神社の秋祭りには、大きな5基の山車が街を練り回ります。
また能舞台での能の奉納などもあります。夏のデカンショまつり、その他にも、たいこみこし祭などもあるようです。
(実は、これ以上詳しくは、そんなに知りませんが、落ち着いたほっとする街である事は確かです。
ネットでいろいろ詳しく宣伝されているはずです。)
まだ、梅雨が明けないようです。全国的に、あちこちでゲリラ豪雨と言わる土砂降りの雨が降っているようです。
ここ調布でも、この頃は夕方が多いのですが、激しい降りが起きています。ただ、時間が短く、昨日も今日も日中はとてもからりと晴天です。
今朝は、うっすらと富士山が見えていたほどです。ところで、先週半ばに、奈良へ行って来ました。
急に思い立って、一人暮らしの姉の気晴らしになればという願いもあってでした。
今年2010年は、奈良遷都1300年とかで、街を挙げての観光宣伝の様子です。
梅雨の最中もなんのその、晴天に恵まれたのは嬉しかったのですが、大変な暑さに些かうんざりでした。
週中にも拘らず、お客様の多いのにもびっくり。中学生くらいの修学旅行生が多いのは当然として、年配の方々が大変多く、
しかもどなたも忙しげに精力的に歩き回っているのに、とても驚き、感心しました。
是非行きたいと願っていた平城京跡では、熱中症にご注意のアナウンスを頻繁に、流していました。
可なり広い跡地と考えられる敷地に、5,6年前に建てられた朱雀門、南北に相対してずっと離れて、
赤い塀で四角く囲まれた可なり広い敷地の北方境界際正面に昨年完成した大極殿が建っているだけでしたが、
塀の外に、一面に茂る夏草の、草息れの香を嗅ぎながら、何となく1300年
前の様子を思い巡らしました。面白いのは、この敷地の中を近鉄電車が頻繁に走り、その度に狭い踏切が開閉していたことです。
大仏様を拝観するのも35年ぶりくらいでした。午後2時には、殆どの店で、ランチタイムが終り、お昼を食べそびれたり、
意外に各名所が離れている上に、閉 門の早いこと、午後3時のところもあり、夏の最中で日が高いのにとびっくりです。
殆ど人通りのない山道?を歩く羽目になったりでしたが、循環バスやシャトルバスが可なり頻繁に走っていて、
観光案内図も充実し、街の人々の応対も大変親切で、結果的には大変素晴らしい経験でした。ホテルの食事もとてもおいしく、
近鉄奈良駅周辺には店も多く、賑やかで、丁度見つけた素敵な玄米食の店も清潔でおいしく、価格も手ごろで、万々歳でした。
お気が向きましたら、是非お出かけ下さい???
今日は関東地方が梅雨入りのようです。一日中雨降りです。多少うっとうしい気持ちがしますが、私は、雨は好きです。
傘をさして街を歩くのも意外に楽しいですし、雨降りの日にじっと家の中にこもっているのも心が落ち着いていい感じです。
何より、この季節、新緑がみずみずしくて、色濃く美しいです。
更に、紫陽花を初め、花々も色鮮やかになります。勿論晴れの日も爽やかな青空を仰いでいい気
分です。天気に関係なく、毎朝窓を開けて、先ず空を見るのが日課です。運がよければ富士山が見えます。
見えた日は何となく幸せな気持ちがして、1日中嬉しい気分です。
4月になり、1昨日4日は、復活祭でした。その前週は、4旬節の最後になる受難週で、「受難曲」が幾度かあちこちで演奏されました。
毎年この時期には、良く演奏されるのですが、私達も、昨年、定演で「ヨハネ受難曲」を演奏したのに続いて、
今年は、「マタイ受難曲」に取り組んでいますので、特に集中して聴きたく、「マタイ受難曲」ばかりを、1週間の間に3回聴きました。
特に、先週末、聖金曜日には、BCJの演奏をオペラシィティー・コンサートホールで聴き、
翌日は、彩の国さいたま芸術劇場コンサートホールで、同じBCJを聴きました。続けて、同じ演奏を聴いたということです。
ホールの広さが、「さいたま」の方は、オペラシィティーに比べると約2分の1ほどでしょうか?
当然ですが、ステージが近く感じられるとともに、響きが違って、細かいところが、共鳴しすぎず、良く聴こえました。
リピエーノを女性のアルトとカウンターテナーに歌わせていました。オペラシィティーでは、響き過ぎたためか、残念ながら、
ソロなのに余り浮き上がってきませんでした。「さいたま」の方が、まだ良かったです。
ただ、私の個人的な感想では、「ソプラノ リピエーノ」と指示されていますので、
やはりソプラノの方が、折角のコラールの旋律線が合唱の上に乗ってくるのではと、それを聴きたかったと思っています。
バッハも、聖歌隊のボーイソプラノをイメージしていたでしょうと思いますので。
アルトにしてもカウンターテナーにしても、とてもよい声で、上手だったのですが、私には、声質に違和感を感じました。
演奏については、以前と違って、次はわが身と思って聴きましたので、いろいろな点で、大変良い勉強になりました。
最後の「モテット」が、心地良く素晴らしかったです。
両ホールとも、団員達も何人か聴きに行きましたが、この「モテット」については、素晴らしかったと一致しました。この
「モテット」は、聖金曜日の教会での「受難曲」の演奏終了後に演奏されることになっている曲だそうです。更に、3月下旬には、カザルスホールに行き、オルガンの演奏を聴きました。
改めて、あのオルガンの響きのすばらしさ、心地良さにびっくりしました。
3月末で閉鎖されたのですが、何とかどこかが引き続いて経営し、あのオルガンを大切にしていただきたいと強く願っています。
もう少し、私もせっせと聴きに行けばよかったかしらと全く後知恵ですが、思っています。勿論及ばずですが。
春3月も半ばになっています。昨年、早春に求め、大きな花瓶に挿しておいた彼岸桜の可憐なつぼみが、
1ヶ月ほどに次々開き、最後の一輪まで咲き切って、大変嬉しく、楽しみました。
それも散って、さて、捨てようかと良く見ると水につかった枝の節から、しっかり根が出てきていることに気が付きました。
そこで、試しに、そのまま、庭の土に挿しておいたのですが、それが、丁度1年ほど経って、また庭の土の上で、つぼみをつけてくれています。
日に日に膨らんできて、間もなく咲き始めそうです。自然の生命力を見せてくれます。
うっかり折ってしまったバラの枝も土に挿しておくと根付いて、花を咲かせてくれます。
ろくに手入れをせず、肥料もやらない植木鉢やプランターの花々が、季節をきちんと感じて、律儀に芽を出し、春の到来を教えてくれます。
そうそう、今年は、1ヶ月ほど前から、黄梅が咲き誇ってくれ、春蘭も可憐なつぼみを土の上に頭を出しています。間もなくみどりの花を見せてくれます。
ヒヤシンスが咲き始め、クリスマスローズが今年は随分花を付けてくれています。狭い庭で、 毎年、春夏秋冬、それぞれ自分の季節をしっかり分って
、芽を出し、花を付けてくれることに、本当に本当に感心します。
2010年が明けました。21世紀になって、早や10年目ということです。
年が明けると毎年、今年はどんな年になるかなあ?と何となく心が膨らみます。
昨年は、私の指導しています他の合唱団の定演や大曲「ヨハネ受難曲」の演奏も行い、
その他小さい演奏会など意外にいろいろありました。
それぞれ無事好評に終り、本当に良かったです。他方で、私の身辺では、幸不幸もあり、心淋しい思いをしたり、
喜んだりと様々でした。
またまた大変日が経って、3ヶ月も空いてしまいました。この間、大忙しの日々でした。
7月は、第7回定演、「J.S.バッハ:ヨハネ受難曲」のちらし作りです。
遅れているので大変焦っていました。写真の取り込みや文字サイズ・色合い・透かしの割合などとても時間がかかり、
どうやら気に入ったのが作れたら、今度はプログラム原稿書きです。
特に対訳原稿に時間を取られ、またまた焦っていました。曲が長い分、言葉が大変多く、なかなか理解しがたいところも多く、
先に団員達に配布した対訳を作っているのですが、改めて6回くらい訳し直しました。
なかなか内容をすっと理解できるように訳すのに手間取りました。その他方で、字幕を使うかどうか迷いに迷い、
字幕原稿も3分2ほど書いてみました。こちらは、対訳に比べ、簡略しますので、以外にすいすい書けて、楽しい思いをしました。
しかし、字幕原稿を全てこちらで用意し、Q出しもこちらで担当しても、可なりの出費になることが分り、
さらに、字幕原稿は結局可なり簡略されますので、ヨハネ受難曲の内容を理解するには、中途半端になると思いつき、
よくよく考えた結果、止めることにしました。その代わり、対訳に、より神経を注ぎ、字を大きく、読みやすいフォントにして、
会場の照明を工夫し、読みながら聴いていただける様に、初めのアナウンスで言い添えるようにしました。
めくるノイズが心配ですが、気にしないことにしました。その結果、多くの方が読みながら聴いて下さっていました。
確かに一斉にめくる音がしましたが、読んで下さっていることを感じることが出来ました。
実際に、終演後の感想でも、大変好評で、受難の展開が良く理解でき、最後まで全く眠くならなかったと言ってくださる方が多く、本当に良かったです。
このプログラムを永久保存にすると言って下さった方もいらっしゃったとか。曲解説・対訳は勿論、楽器編成・聖書との関連(これはページ数制限で充分は入れられませんでした)その他考えられる要素を精一杯書き込み、苦労した甲斐がありました。
また、演奏自体も大変好評で、あちこち心配な部分もありましたが、団員一同、心を合わせて懸命に演奏した結果で、
本当に嬉しいです。更に、今正に実力を伸ばしてきている若いソリストの皆様が、体調もベストの様子で、殊に大好評でした。
気合の入った本番の演奏を大変嬉しく聴きながら、指揮していました。
気が付いたら、前回からまたまた随分空いていました。この間に、私は随分いろいろありました。
恩師のご逝去、同級生・友人の逝去と思いがけず、何とも心淋しいことが続いてしまいました。
人は皆、いつかはお別れと、よく分っていることではありますが、やはり心にぽっかり穴が空きますね。
身内ではありませんし、それほど日頃親しくお付き合いしている方々では無いのですが、
折に触れ、毎年集まり、他愛無く楽しんでいた方々との別れ、つい数ヶ月前元気に会ったのに、
あぁ、もう会えないのか・・・ととても残念な寂しさがつのります。
気が付いたら、前回から2ヶ月以上空いていました。月日が経つのは早いですねと昔の人が良く言った?ようなことを言いたくなります。
この2ヶ月、私なりに忙しく、私が他に指導しています「コール・まどか」の第7回演奏会を5月5日に控えて、
ちらし作り・プログラム作りなどに以外に日数がかかりました。団員達で作ってくれますと本当は嬉しいのですが。平均年齢多分70?才かものシルバーコーラスグループながら、分担する役員の仕事は年齢にかかわらず、本当にどなたも良くやってくれています。
ただ、ちらしなどの製作までは中々出来かねる様子です。
それでも、少しずつ増えてくる男声団員により、今回はちらしやプログラムの表紙を、今までのイメージをがらりと変えるとても爽やかなデザインに模様替え出来ました。
団員達も気持ちを一新させられ、本番に向け、意欲的に盛り上がって、気持ちを合わせて練習に励んでいます。(ご都合を合わせてお聴き下さいますと嬉しいです。
5月5日(火・祝)調布市文化会館「たづくり」午後2時開演。全席ご招待でつまり無料です。そなたでも是非に)
今日は水曜日ですが、「建国記念の日」の休日で固定された祝日だそうです。
うっかり者の私は、祝日はすべて土日に続けて3連休になるのかと思っていました。
近年月曜に休日が多いように思っていましたので。カレンダーを見ますとなるほど、そうでは無いことを改めて知りました。
むしろ土日に付けられる流動的な祝日は少なく、「成人の日」「体育の日」、更に「敬老の日」が全く従来とは違って、
「秋分の日」に近づき、今年は9月20日(日)につづいて21日(月)になっているくらいです。
更に、秋分の日が23日(水)ですが、その間の22日(火)も休日で、又なんと「国民の休日」などと書かれています。
「みどりの日」もいつの間にか4月29日から5月4日になり、5月3日と5日の間になっています。
あと、どうも「海の日」が7月に20日頃の月曜日になるようです。今年はたまたま20日が月曜日になっていますが。
ということで、土日に付けられる月曜日の祝日は多くなく、定められた公の休日は、土日以外では、年間16日あることを改めて確認しました。
ではありますが、やはり土日に続く月曜日が、たまたまかどうかは別として、祝日休日になっている月が、今年は6回もあります。??
やはり月曜休日は多いということになりますでしょうか? これは、世界の国々に比べて多いのでしょうか普通なのでしょうか?などと考えています。
年が改まりまして、もう3ヶ日が過ぎました。今年は私の合唱団の2つが定演を予定しています。
一つは勿論目下10月10日(土)に向けて、「ヨハネ受難曲」を練習中の混声合唱団です。こちらは2回目の練習に入っています。
2度目の譜読み練習ですから、より深く内容を読み解きながら進めていきます。
団員がそれぞれに忙しく、なかなか出席が揃わないのが悩みですが、各自努力を重ねています。
全曲の対訳をしばらくまえに終えましたので、
今度は古楽器や曲、バッハについて解説を少しずつ配布していく予定です。
12月に入りました。明日12月8日は真珠湾攻撃の日です・・・? こんなことを書く者は珍しいかも・・ 毎年この時期になりますと、
私事ですが、もう亡くなって42年になります母の誕生日(7日)と共に、8日を思い出します。と言いましても、
当時を思いだせるわけではありませんし、詳しく知っているわけでもありませんが、
8月6日、8月9日、8月15日と共に、記憶にとどめておくべき日と考えています。
今年も11月になり、気温が下がって、些か寒さを感じる陽気になってきました。木の葉が舞い、秋が深まってきますと空が青く澄んで来ます。
3月の第6回定演、5月のザルツブルク、ヴィーンへの演奏旅行と今年は忙しい感じでしたが、
それも思い出になりつつあります。先日10月の3回連続の公開講座も、日頃の練習の中では、
ゆっくり時間の取れ難い「ヨハネ受難曲」の曲について、再演の度に変更された4つの稿、
更に唯一現存する10曲目までの自筆譜など、複雑で分り難い楽譜についての比較・解説も、
ファクシミリのコピー、CDやDVDを見聴きしつつ、一応無事終りました。
これからは落ち着いて、来年10月の第7回定演へ向け、「ヨハネ受難曲」の合唱練習に集中します。
2008年もあと2ヶ月です。間もなく一通りの練習が終り、2回目の練習に入ります。
本番前までには、少なくとも3回通り丁寧に練習します。まだ、ソリストが揃わず、思案していますが、
とてもいい方々に落ち着くはずです。折角のバッハ、しかも、「ヨハネ受難曲」、団員の希望で決まったのですが、
曲の持つ香り・空気がかもし出されるような演奏にしたく、努力を積み重ねたいと考えています。
漸く、全曲の対訳をやり終えました。練習の進み具合に合わせて、のんびり訳していましたが、
30曲目以後はソロが多いですから、最後の40曲目まで一気に訳しました。
改めて、聖書の「ヨハネによる福音書」の内容を忠実に、抒情的に流れず、
しかも大変劇的に素晴らしく表現している作曲家としてのバッハの力量を実感しています。
旧約聖書との関連も興味深く、聖書をあちこち繰りながらの対訳作業でした。
どんな曲でも、取り組んだ曲については、一語一語、言葉の意味を知り、
全体の話の流れをじっくり理解するために、必ず自分で全曲訳す事は大変重要なことと考えています。面白さも大変深まります。
夏が終り、秋です。カミナリにゲリラ豪雨と随分荒れたお天気が続きましたが、
家電製品の被害も無く、今のところは我が家は無事でほっとしています。
勿論、カミナリガードなどはつけているのですが。
ところで、「ヨハネ受難曲」の練習は順調です。ドイツ語には多少苦労するものの、
合唱部分のドイツ語はそれほど多くありませんので、あとは練習あるのみです。
今は、丁度全体の中心部分、22曲目のコラールを先日来練習していまして、昨日も練習しました。
第1回目の練習ですので、ゆっくり内容を理解しながらの練習です。
この時期が最も大切です。ただ音を拾って歌い流すのでなく、
曲の構成、言葉の内容、受難の意味などしっかり理解する貴重な練習です。
私の簡単な解説つきの対訳も随分進んできまして後10曲程になりました。
自分で1語1語しっかり訳して、全体を良く理解する必要があると考えています。
おかげで、聖書もかなり目を通すことになり、「受難」について、キリスト教について、
さらに旧約聖書時代のユダヤの人々の考え方など少しずつ理解出来てきます。
最近の練習箇所は、ピラト、イエス、ユダヤの祭司長や群集とのやり取りで、
とうとう十字架刑が決まり、イエスが赤紫の衣を着せられ、十字架を背負わされて、
ヘブライ語でゴルガタ、「されこうべの場所」と呼ばれている十字架にかけられる場所へ出向いていくところです。
「ヨハネによる福音書」のほんの数ページの受難部分を、バッハはとても丁寧に表現しています。
改めてイエスの受難の様子を知る思いです。歌う団員達もそこを踏まえて歌う必要があり、これからの練習です。
今日は、今月7月最後の練習日でした。練習は、勿論「ヨハネ受難曲」で、第16曲の中の合唱部分です。
お話は、いよいよピラトのいる総督官邸での出来事です。ユダヤ人達に連れられて来て、引き渡されたイエスを、
ピラトは、イエスが悪いことをしたとは思えず、何とか自分の手で刑を下すのを避けたいと、
連れてきたユダヤ人達に自分達で好きなようにするようにとしきりと言うのですが、
ユダヤ人達は過越祭というユダヤ教(キリスト教でも)で大変大事なお祭りの日でもあったため、
その祝いのために、自分たち自身も身を汚したくなく、何とかピラトに手を下させようとする攻防の部分です。
ニ短調とホ長調による2曲の対になったフーガが含まれています。両曲に統一されたテーマを中心に進行して行きますが、
バッハの音の流れは、予想出来るようには作られていませんので、少々音取りに気をつける必要があります。
SATBとパートが分かれていますが、上3声が実際の響きの上で、中々SATの順にならず、上下逆転して絡み合い、時にBも一緒に絡み合って、
以外に複雑な響きになり、可なり慣れる必要のあるフーガです。臨時記号により、微妙に進む流れの陰影が面白く、
これを正確に歌いたいと願っています。久しぶりにせっせとドイツ語を訳していますが、
この曲は、聖書「ヨハネによる福音書」の受難の部分に忠実に書かれていて、話の進行がとても分りやすく作られています。
また旧約聖書の様々な部分との関連も多く、思いのほか、聖書をじっくり読むことになっています。
それにしましても、聖書に書かれている神に背く者に対する所業の厳しく激しい掟の内容は、私の感覚では戸惑うほど激しく、
改めてびっくり、日本ののどかな農耕民族の考えとは随分違うように感じています。
ただ、この「神」とは?になると、立場により、随分違ってくるはずで、その判断は大変ご都合主義に陥り易く、
とても難しいことで、イエスに対するユダヤ人たちの判断も同様と思えます。
これに対して、イエスは不動の姿勢で対応する、その深い強さと温かさが今に到るまで、
世界中に広範囲に広められ、圧倒的に強い宗教に発展してきたのでしょうか?とクリスチャンではない私は思っています。
ミサ曲と違って、この受難曲は、ドイツ語に慣れることと相まって、旧約新約共に聖書のあちこちを読み、
また、バッハが4回も追加変更しているのですが、はっきりとした自筆譜が全く揃っていない大変議論の多い曲ですので、
参考資料を読み解きながらの学びは大変ですが、曲としては、ますますとても面白く感じさせられています。
今年も後半の7月に入りまして、七夕様が巡ってきています。この頃は、天の川はおろか、見える星の数が、本当に少なくなって、淋しい気持ちです。
今夜は、環境保護の目的も込めて、ライトを消そうとキャンペーンがなされているようです。
私は、どれくらい夜が暗くなるか楽しみにしています?
この調布市に住み始めた頃は、少し脇道に入ると大変暗く、空を見上げると天の川が綺麗に見え、織姫様、彦星様もきらきら輝いていました。
そのうちに、天の川がだんだん薄くなり、殆ど見えなくなり、それでも、北斗七星や北極星、カシオペア、ふたご座、スバルなどなど、
まだまだ良く見えていました。ところが現在は本当に1等星くらいしか見えず、それもともすると見えない有様になっています。
それどころか、最近とても変だなと思っていますのは、我が家の窓からは、なんと真夜中なのに、空がうっすらと青空なのです。ご存知でしょうか?
漆黒の空という言葉がありますが、そんなものは、見られないのです。余りに周りが、昼間に近く明るすぎるのではと漸く思い至っているのですが・・
先日5月2日〜9日の予定で、この合唱団初めての演奏旅行に、オーストリア、ヴィーンとザルツブルクへ出かけました。
私達の合唱団は、今年3月定演で、モーツァルトの宗教曲の主なものを、レクイエムを除いて、ほぼ演奏したことになります。
そこで、かねてからの念願は、モーツァルトが聴いたであろう響きを、是非、体で感じて、聴いてみたいということです。
些か、図々しいかと思いつつ、モーツァルトが、その教会のために、仕事として多くの宗教曲を作曲したアルプス以北のカトリックの
総本山ザルツブルクの大聖堂と、「孤児院ミサ」初演の教会であるヴィーンの孤児院教会で演奏させていただきたいという願いです。
さらに、願わくば、ザルツブルク大聖堂隣の聖ペーター教会(男子修道院付属教会)で少々。
3月22日第6回定期演奏会は何とか終り、ほっとしています。ヴェスペレは詩篇の言葉が大変多く、難しい上に、、細かい音の動きに付けられたシラブルを歌いきる口の滑らかさも必要で、一同四苦八苦するところがありましたが、何とか団員一同のここ一番の集中力で、無事?乗り切りました
。お蔭さまで大変好評をいただきました。いつもながら、終ると「あぁ もう終ったんだ。.もう楽譜を見ることも特に必要ないのかぁ」と些か淋しくなります。
散々聴いたCDも棚の奥に収まり、今度は、「ヨハネ受難曲」のCDが出番になります。 机周りに積まれる参考図書も変わります。
選手交代という感じです。 また一つ一つじっくり学び、演奏して行きます。
「ヨハネ受難曲」は何度も聴いていますが、自分がいざ演奏することになりますと全く違ってきます。どんな曲でも同様ですが、曲の隅々まで、
つぶさに検討し、分析する必要があります。またこの過程が充実していて、大変面白いのです
が。他の方の演奏をただ聴いているだけでは気が付かない、また分らないことを より理解する事になり、興味がますます深まります。辞書を引きつつ、1語1語訳していくと新しい発見も多くなります
。折々に対訳だけでなく、様々の解説を
プリントして団員に配布します
。特に次回は多くの問題点があります「ヨハネ受難曲」ですから、少しずつ読み解き、丁寧にじっくり練習していく必要があります。
桃のお節句も過ぎ、今日は9日です。昨日8日(土)は、定演の追い込み練習で、朝から全日でした。昨年秋に入団なさった方も可なりいて、
「ヴェスペレ」の言葉の難しさに、私も些か同情する思いです。でも、本当に感心するくらい一生懸命に取り組んでいます。
人間の真面目さ、素晴らしさを思う時です。本番まで、あと2週間。同情している場合ではありません。
私も一生懸命やらねばと心を引き締めているのですが、ここへ来て、私も含めて、風邪を引いている方が続出して、困っています。
考え方で、本番直前でないのが幸いと思っています。昨日は、演奏予定の3曲を全て復習しました。
細かいところがまだ正確になっていず、???と繰り返し、練習しています。中々徹底しません。
以外に難しいのですから仕方が無いかとつい甘くなりがちですが、そんなこと言って場合ではありません。なんとかしなければ・・・
あけましておめでとうございます。21世紀も、早や8年目に入りました。そしてこのページを見まして、びっくりです。
何と前回書いてから、いつの間にか4ヶ月も経っていたのです。
様々におお忙しで気ぜわしい日々にまぎれていましたが、大変うっかりしていました。
お正月ももう3日が過ぎ、4日目です。第6回定演まで3ヶ月を切り、いよいよ3回目の練習に入ります。
先ずは、やはりKV.321のヴェスペレからです。
昨秋になって急に可なりの方が入団してくださり、団員たちと喜んでいます。
ただ、彼らはまだ曲に慣れるには練習期間が短く、休まず参加して、せっせと一生懸命練習しています。
チラシもチケットも昨年暮れに出来上がり、これから配布・販売を始めます。
モーツァルトのヴェスペレを2曲とも聴けるチャンスは以外に珍しく、貴重なこの機会に是非多くの方々にお聴きいただきたいと願っています。
一昨年は、モーツァルト・イアーで、BCJや外国からの合唱団の演奏で、KV.321もKV.339も聴く機会がありましたが、
日本人の合唱団が取り上げて演奏するのは 可なり珍しいです。完成された充実感のある大変素晴らしい名曲ですから、
聴いていただく良い機会と考えています。
特にご存知の方も、また聴けば記憶に残っていると思う方もいるでしょうKV.339の5曲目[Laudate Dominum]のソプラノソロは、
音楽史上特に珠玉の曲の一つと言える美しい曲です。今回は、文屋小百合さんに歌っていただきます。
文屋さんといえば、一昨年の第5回定演で、「ハ短調大ミサ」の難曲[Etincarnatus est]の素晴らしい詠唱が鮮やかに記憶されており、
今回も団員一同と大変楽しみに期待しています。それには、団員達も先ずしっかり練習練習です。
。
8月が終ります。今月は、長期予報通り?記録的な猛暑続きでした。梅雨明けが随分遅かったですから、涼しい夏かしらと思ったのですが、
急激な気温上昇にはびっくりです。でも、エアコンの設定は、28度か、時には29度くらいにしていたのです。
それでも外気が余りに暑いせいか、意外に室内が可なり涼しく感じられることに気がつきました。
多少は、節電になったでしょうかと思っているのですが? まだ、残暑が続きますが、団員一同、元気に夏休み明けの練習に励んでいます。
今日は、「暑気払い」でした。つまり飲み会です。いつも以上に参加者が多く賑やかで楽しい会でした。たわいない話ばかりですが、
飲んで食べて笑ってしゃべって、お互いの心持ちを感じ合いながら、次への練習ステップにします。
7月もそろそろ終わりですが、梅雨がまだ明けそうにありません。割合涼しくて助かります。
気がつきましたら、今日で早や6月もお終いです。夏至ももう過ぎて、梅雨とは名ばかりの暑い陽気が続いていますね。4月の公開講座が終わりまして、見学期間も過ぎますと
思いのほか?多くの方が入団して下さいました。嬉しいことです。 4月
初めにパソコンが立ち上がり不能になり、忙しさもあって、回復作業が遅れました。漸く20日過ぎに無事回復し、ほっとしています。
パソコンは、ひとたび立ち上がらなくなりますとメールも送れず見られず、とても不便を感じることを実感しました。 3月半ばになりまして、暖冬かと思っていましたら、北国では時ならぬ?雪が降り、東京も今冬には珍しく、頬をきる冷たい風に、遅れてやってきた冬かしらとも思います。
しかも今日はニュースで東京の下町方面で観測史上、最も遅い初雪がみられたとか、TVの映像では、本当にみぞれのようです。とは申しましても、やはり春です。
先日は、友人が房総半島の花栽培家を通して、ストックと菜の花をダンボール箱一杯送ってきてくれました。
びっくりしましたが、早速菜の花はゆでて、大変おいしく、春の香りをいただき、ストックは大きな花器に生けました。まだ、楽しませていただいています。
そうそうこれは、練習日記でした。現在の練習進行状況は、大変順調です。KV.339の3曲目の言葉の読みと内容を
いつも通りにゆっくり確認しながら練習しました。この3曲目も旋律がどのパートも美しく、歌って楽しめます。
バスパートがメローディアスに歌えるなんて、楽しいのではと思っています。いつも縁の下の力持ちの役が多いのですから。
やはりモーツァルトだなアと思えます。 バスの皆様はどのように思っているのでしょう? さらに、このようにして、
ヴェスペレを321と339を続けて練習しますと、ほんの1年後の作曲ながら、321に比べ、339の方が洗練されて作曲されているのを実感できます。大変無駄が無く、すっきりと軽ろやかで、しかも洗練されて、充実した構成で作られているということです。J.S.バッハの複雑な構成とは全く違っ
て
神の申し子と言われる所以を感じさせられます。簡単な音の並びながら、どうしてこんなにも心に響くメロディーを生み出せたのでしょうかと思う時に。 年が改まり、早や1月も終りになりました。年末年始は些か落ち着かず、この日記も随分間が空いてしまいました。
ヴェスペレの練習は大変順調に進んでいます。1曲1曲言葉が違って、いずれの曲の言葉も団員にとっては
初めてですが、3曲目4曲目になりますと曲の構成は全く違っても、どこか共通した雰囲気もあって、団員達には歌い易くなっているようです。
ただ言葉の字面は分っても、その背景などの理解は、やはりなかなか難しいところがあります。旧約聖書の時代背景を知る必要があると考えますが、
宗教上の考えが強く反映されていて、簡単ではないと思えます。ヴェスペレの言葉は、
前回書きましたように最後のマニフィカット以外の5曲は、旧約聖書の詩篇に基づいていますが、
この詩篇は一貫して、この世の全てを創り、支配している神を賛美し、その神が惑える自分達人々のために
この世に遣わされる救世主の到来を強く望んでいる内容ですので、つまりはキリストの到来を強く待ち望んでいる内容になっています。
ただ、救世主をキリストと考えるのは、キリスト教の信者達のみです。
旧約聖書は、キリスト教信者達だけのものではなく、ユダヤ教の信者達のものでもありますので、彼らにとっては、
救世主は今だに1度も到来していず、現在も待ち望んでいるのだそうです。勿論このヴェスペレの言葉の解釈については、一般的には
キリスト教のカトリックの考えに基づいています。 これを書くのが、またまた1ヶ月、間が空いてしまいました。「ヴェスペレ」KV.321の練習が続いていますが、
今2曲目の言葉付けを丁寧にしています。ほどほどにして、3曲目に進もうと考えています。
このところ、団員に詩篇による言葉の逐語訳や何種類かの口語訳・解説のプリント配布が多くなっています。
「ヴェスペレ」は、旧約聖書の「詩篇」の110,111,112,113,117
(1番少なく、109からと書かれている場合もあります)
と新訳聖書の ルカによる福音書1.47〜55の詩や言葉に作曲されていまして、計6曲で構成されています。この詩篇の訳が意外に難しく、
どういうことを述べているのか解かりかねる所があります。勿論、ラテン語ですが、本来朗誦される詩として書かれていますので、
文章が完全な構成になっていず、どのように訳そうかと思案することがしばしばあります。 定演から早や3週間すぎ、あっという間に日は経ってしまうものですね。予定通りモーツァルトの「ヴェスペレ」KV.321の練習に入っています。勿論先ずは音取りからですが、
10月2回目15日(日)の練習では、1曲目[Dixit]の階名唱をしました。臨時記号が少ないですから、これはどなたでも割りに簡単に歌えます。
曲の構成を解説して、CDの演奏を聴き、全体の流れを理解しました。これらの事は今後も繰り返し行います。 定期演奏会が昨日無事終了しました。今回は最初の取り付きは良く、団員達は甘く考えた様子が些かあったのですが、
なかなかどういたしましてとモーツァルトさんは甘くありませんでした。最後の仕上げに苦労しました。
でも、思いのほか? 団員たちはとてもよく歌いました。細かいところでは気になることがあるのですが、
実際には、言うは易し行なうは難しと、理想的に歌うのはなかなか難しく、先ずは大成功と言えるのではないでしょうか?
お聴きくださいました方々の感想もお世辞があるにせよ、とてもお褒めをいただき、感謝しています。
この日記も随分間が空いてしまいました。8月は忙しかった。プログラムの原稿書きと仕上げなど・・
そうそうトロンボーンのパート譜に、ミサテキストを書き込む依頼もありました。
依頼を聞いたときは、「え!2曲とも全曲に?」と些かめまいがしそうでしたが、結局引き受けました。
より上手に共演して頂くには、ご希望に添うのが理想と思い至ったのです。
何と言っても、合唱を支えていただく楽器ですから。
7月に入って、早や月末が見えてきています。「孤児院ミサ」の練習は前回23日(日)で一先ず終えました。次回30日〈日)から、
再び、「大ミサ」が始まります。さすがに、どなたもかなり曲が体に入ってきていて、音がまとまり、ハーモニーが香り始めつつあります。
ここからが難しいです。更に一歩も二歩も進みたいです。
6月は、大変忙しく、このぺーじをお休みしてしまいました。7月に入って、練習は再び「孤児院ミサ」です。
3度目の練習ですので、どなたもかなり曲が体に入ってきていますが、一つ一つもっと丁寧に見ていきます。
社会人の集まりですので、なかなか全員揃っての練習にはなり難く、残念なところです。次回練習日9日(日)は、Gloriaの後半を練習します。
ところで、古楽器オーケストラのメンバーも丁度シーズンで忙しい弦の方々がどうやら漸く決まり、ほっとしています。
今までにもよく来てくれました素晴らしい方々で嬉しいです。今回の金管はモーツァルトが本当に書いたかどうか些かはっきりしないパートも含め、
フルスコァに一応書かれている全パートが来てくれることになっています。なんとトロンボーン3本(これは普通です)に、トランペット4本です。
これが、12歳の時に作曲した「孤児院ミサ」の編成なのです。びっくりの感じですが、カットしないことにしました。
まろやかに吹いてくださるよう願っています。 今日は、「大ミサ」最後のOsannaとSanctusの後のOsannaの練習をしました。音取りは一応出来つつありますが、
これらの8声のフーガを、速いテンポで
軽く正確に、音とリズムを刻みながら歌うのは難しく、苦労のいるところです。繰り返し繰り返し練習する必要があります。
一般的には音が取れれば歌えたような気持ちになりがちですが、
メリスマなどを本当に正確に軽やかに歌うのは相当な練習が必要です。
正確に刻まれた心地良い演奏に仕上げたいものです。
団員達はなかなか良く歌って練習に励んでいます。5月初めに聴いたミシェル・コルボさんのびっくりするほどの軽やかなOsannaが、
またペーター・ノイマンさんのきちんとした丁寧な演奏が折に触れ、今も頭の中で鳴っています。
勿論生演奏で「大ミサ」を聴いたのはもう何度目かなのですが、自分で楽譜を良く見て、実際に練習していると耳への響き方がまるで違うのですね。
前回 7日(日)の練習は、「大ミサ」の[Osanna]の練習をしました。8声で構成されていて、中々簡単ではなく、一音一音丁寧に音取りする必要がありました。
この日は出席が多く、練習も捗り、まずまずでした。次回14日(日)は、「孤児院ミサ」を1日かけて、ざっと総復習します。
一昨日23日(日)の練習は、「大ミサ」の[Qui tollis]と[Sanctus]をしました。[Qui tollis]はト短調で書かれ、8声で構成されています。
音楽学者がしばしば言っていますように長く重い曲で,[大ミサ」全体の中でも特に重要な曲です。モーツアルトの宗教心が込められているように思います。
是非、曲の流れ・構成をすっきり、歌いこなせるようにしたいです。[Sanctus]は、音に言葉と声がうまくのせられるといいですね。
今日2日〈日)は練習日でした。「大ミサ」のCredoを練習しました。「Cre]をクリアにインパクトを持たせて発音できるといいなあと
願いながらの練習でした。私達日本人には、子音の発音がなかなか思うようには出来難いのです。でも根気強く練習することによって、
少しずつ上手になってきました。また細かいリズムにすばやく複数のシラブルを歌いこむのも難しいです。舌、口が回らない?
やはり練習です。ミサ曲ですから、言葉はミサの通常文です。しかし、当然ですが、曲によって、言葉の付けられ方が違います。言葉の内容が
よく聞き取れ、理解できるように歌えるのが理想です。これがなかなか難しいのです。特に、モーツァルトは美しく歌いたいので、
やはり練習、練習です。
前回12日(日)の練習で、「孤児院ミサ」の練習を一段落させ、次回から、再び「大ミサ」に取り掛かります。
モーツァルトのミサ曲は、前回定期のバッハ作曲「ロ短調ミサ曲」に比べて、初めの取り付きは易しそうに思えるものの、
練習が進むにしたがって、言葉と音の流れ、フレーズを如何に滑らかに、しっかり音をのせて、美しく歌えるかがいよいよ難しい課題になってきました。
天上からの響きと称されるモーツァルトの曲の難しさをだんだん実感させられてきます。21日(火・祝)は、最後のオペラセリア「皇帝ティトの慈悲」の鑑賞会に変更しました。
時間は練習時間と同じく午後、会場は「たづくり」8F映像シアターでの鑑賞です。日本語字幕つきを鑑賞できる貴重なチャンスです。
今日から3月です。春先の雨に木々が潤っているようです。2月末、25,26日の両日は「大ミサ」の集中練習をしました。8声の曲がいくつかありますが、中でも
[Qui tollis]や「Osanna]は、中々の難曲です。言葉の内容・構成を踏まえて、きちんと歌えるようになりたいと 丁寧に練習しました。
特に、「Osanna]は、版により、可なりの違いがあり、どのように演奏するか思案する部分です。
今日は、「孤児院ミサ」の[Benedictus]から、最後[dona nobis pacem]まで練習しました。[Benedictus](ヘ長調)では、ソプラノソロと合唱が
交互に歌います。優しく美しいソロのフレーズに続いて合唱が4声でHosannaを歌うモーツァルトのミサ曲によくある形が4回繰り返され、
最後にソプラノソロが温かく締めくくり、リズムとテンポが急変して、再びSanctusのHosannaを繰り返す構成です。この「ソロ・合唱」の4回のフレーズの中、1回目の最初は、
いきなり
主調(へ長調)主和音の四和音で始まり、減5度を低音で響かせ、深くふくらみのあるハーモニーを響かせ、2回目は5度上の調、ハ長調の主和音で、
3回目は転調した5度下の調、変ロ長調の平行短調ト短調の主和音で始めています。更に、4回目では、1回目と同じ主調(へ長調)主和音の四和音
ながら第7音をソプラノに持ってきて減音程になることを避け、明るく響かせています。このように響きの流れに変化と深い趣きを持たせています。
このような意図的な一貫した曲構成を見ても、やはり12歳の子供の感覚かと驚かされます。
今日は、「孤児院ミサ」の[Sanctus]から、最後まで練習しました。思いのほか、練習が捗り、1月より3月くらいまでと始めた
2度目の練習ですが、取りあえず、最後[dona nobis pacem]まで進みました。勿論、繰り返し戻りながら、もう暫く練習します。
それにしても、演奏時間が40数分になるこの曲の構成を見ますと、本当に12歳の時の作曲かと長い間議論されたのを
実感させられます。増4度や減5度の跳躍や和音構成がしばしば現れます。比較的単純ながら、簡単には歌えないフーガ、
フレーズをいきなり四和音で始め、面白いハーモニーを響かせて飽きさせません。さらに、ハ短調に始まる[Crucifixus]の
弱音器つきトランペットの何とも奇妙な響き、[Agnus Dei]では、珍しいトロンボーンの甘く美しいソロにのって歌われるテノールの
ソロなど、多彩さに引き込まれます。昨年3月、J.S.バッハの「ロ短調」ミサ曲を一生懸命練習したお蔭か、団員には比較的
歌い易いようです。この様子では更にもう一つの曲「大ミサ」の練習に時間をかけられそうです。8声の中々の難曲がいくつか
ありますので、じっくり地道に練習する必要があります。 美しく演奏できるようになりたいものです。 上記文についてご質問・ご感想など、何なりとお気軽に送って下さい。 |