HOME

 

時々思いついたことを書きます。楽しんで読んで下さいますと嬉しいです。
ご意見、ご感想などを下記及び欄外のアドレス宛、お聞かせくださいますと幸いです。
 koizumi-a@muc.biglobe.ne.jp

   
 
8月 9日(日)2020  今日は、長崎に、広島に続いて世界で二番目の原子爆弾が投下された日です!! 75年目です。

  私は、アメリカを決して許しません!! この同じことを、毎年のように書いているのですが、100年経とうが、1,000年経とうが、 私は、決して、アメリカという国を決して許しません (勿論、私は存命していませんが、決して許されないのは永遠に!です。 8月6日広島原爆投下で、殆どの若い命が失われた広島1中1年生のご親族の手記「星は見ている」この気持ちは永遠です。)。大勢の人々が 懸命に暮らす都市の真ん中に、想像を絶する殺傷能力のある原子爆弾をその殺傷能力を試すために投下した。決して、 断じて許せることではありません!! 私は、全く、観光以外には、アメリカへ行く必要がありませんので、生涯にわたり、アメリカには、決して、行きません。 原爆投下後の実情の様子が十二分に予想されたにもかかわらず、原爆投下を命令した当時のアメリカ大統領トルーマンは、特別に、決して許しません!!  死刑に処せられて当然と、神の断罪が下って当然と、私は考えています。とんでもない兵器を開発した学者たちも全員、決して許されませんし、許しません。 私は、笑顔でアメリカを語ることは一生しません。私のまことに細やかな信念です。あの世界中が巻き込まれ、いつ終わるとも知れないほどの戦争で、破壊しつくされた第二次世界大戦での太平洋戦争の現状を何とか終結させたいとの思いから命令されて、やむを得なかったでしょう?と 言われてはいますが、実際に、飛行機に乗務して投下の引き金を引いた方々も決して許しません!! (むしろ、ドキュメンタリーなどでは、投下後の成果に満足した様子があり? 眼下で、一瞬にして何十万人もの人々が殺傷されている状況に、正に、悪魔の心境でしょう!) 戦後になっても、後悔や反省、謝罪の言葉など無い様子です。私が、アメリカに出かけないように心がけたところで、何の意味もないのですが、これは、私の本当に細やかな信念です。戦後、原爆による後遺症などの治療を受けるため、また戦争花嫁となってアメリカヘ渡った方、その他多くの日本人がアメリカに出かけ、留学や研究のためにも今に至るまで、能力のある方々が数限りなくアメリカヘ出かけています。やはり、なんといっても、世界をリードする大国ですから、どんどん吸収し、アメリカで多くの職業や地位を得て、しっかり、日本人としてご活躍していただけると、どんなに嬉しいかと期待しています。ただ、単なる物見遊山で出かけ、「楽しかった!!」と話す方も多く、私は、単なる物見遊山で出かけることは絶対に絶対にしません。出来ません! 今までもこれからもアメリカには決して行きません。アメリカは歴史の浅い国ですから、ジャズなどのアメリカ音楽を学び、演奏しようという方々には大変有用でしょうが、私の演奏していたヨーロッパ、特に、ドイツ、オーストリア、時に、イタリア、フランスの音楽にような歴史の長い西洋の音楽を学びたい者には、アメリカは全く興味がありません。勿論、アメリカには研究者などもいて、 素晴らしい研究書を出版されていたりで、文献として読むことは当然ありますが。ただ、すべてを語るのは、楽譜そのものですから。私は、研究者ではなく、合唱曲の演奏家ですから、特に,バッハやモーツァルトの諸作品を演奏するには出来るだけ原典版で演奏することにしていました。バッハやモーツァルトに焦点を当てて演奏し、演奏旅行も、そのゆかりあるほぼすべての教会に限って演奏させていただきました。そして、バッハが活躍していたザクセン地方の特にゆかりある教会で、私達も演奏をさせていただいたライプツィヒやドレスデン、ベルリンなどに展示されていた戦争被害写真を見ると本当に、日本の実情と同様に、戦争のむごたらしさ、虚しさに、言葉で言い得ないほどの人類の愚かさを考えさせられます。でも、今に至るまで、戦争は、果てしなく世界中で繰り返されているのですね・・  振り返って、改めて、毎年、何度も繰り返される自然災害の残酷な被害に、何とも残念な思いですが、戦後、75年経って、日本は、どことも戦争していないことに心が少し休まります。ただ、本当にしていないかというと、そうではないようです? 自衛隊の海外への派遣などもありますので・・ 定かでなく、危惧しますが、派遣された自衛隊員が戦闘に巻き込まれたなどなどあったのでしょうか? ただ、様々な地域へ派遣されている研究者や救助隊員、国際組織の派遣活動家、様々な会社員など民間人の多くの方々も、テロや戦闘に巻き込まれることが時々あり、大変大変残念に思い、悔しく嘆かれます。中でも、アフガニスタンで、言葉で表現出来ないほど素晴らし い人道的な活動家、お医者様の中村 哲先生のような方が、無知非道な輩に殺傷されるなんてことがあっていいものかと、今もって憤りが沸いてきます。考えるに、地球上ではすべての所で、古今から永遠に、争いが続き、絶える事が無いということです。そうすると、現在、私達の住む日本の平和に、改めて 、心から深く感謝です。ただ、1年中度々、日本のどこかでは、地震や台風、水害など何らかの自然災害が起こり、これも人災かと思いますが、振り返って、私の現状は大変平和でいられることに、改めて、心から感謝し、ず〜っと続きますよう願い、祈っています。どなた様にとっても、人災、自然災害などありませんように、心から祈っています。世界中にパンデミックで蔓延中の新型コロナウィルスの少しでも早い終息を、心から神に祈る日々です。

8月 6日(木)2020  今日は、広島に、世界で初めて原子爆弾が投下された日です!! 75年目です。

 長い今年の梅雨も遅がけながら、漸く明けた様子となる間もなく、新型コロナインフルエンザの蔓延のため、旅行はおろか、外出もままならない鬱陶しい猛暑の夏が続きます。世界的に、ますます猛威を振るい続けている様子で、日本でも、東京、大阪など主要都市を初め、少なかった沖縄でも米軍キャンプを初め、蔓延しつつの様子です。合唱団「コール・まどか」は、6月10日(水)から合唱練習を再開 し、5回ほど練習しました。が、またまた、7月22日(水)から少なくとも月末まで2回、更に、8月前半2回を休団にしたいとの団員達の希望となりました。団員の一人が、このところの東京都の新型コロナ罹患者数の 急速な増加ぶりに、ご家族から「電車に乗って合唱などへ出かけるなら、親子の縁を切りたい」とまで、言われ たとか? 都心に出かけるのではなく、ローカルな電車に、せいぜい20分も乗るかどうか? しかも、週1回水曜日ラッシュ後の午前中の練習ながら、やむなく、休みますとのことで、私も このところの新型コロナの罹患者増を心配していましたから、急遽、月末まで 、さらに団員たちの希望で、8月前半を休団することにしました。ただ、この様子では、一体いつまで休むのかしら?と思案します。本当にこのところの東京都の増加ぶりには大変心配です。さらに、35人くらいで一時増加がストップしたか?に見えた調布市の罹患者数も 、このところ、毎日のように増え、総数60人越えとか? とうとう100人に近づいています??? 東京都全体でも、とうとう 7月25日(土)には、1日の罹患者数が295人までになって、5日連続で、200人越えになってしまっています。そして、月末29日には、とうとう4 00人越え??? どうして、そんなに強力なウィルスが生まれ、計り知れない強力な伝播力で世界中を席巻しているのか?? 世界中の研究者が ワクチンの開発に懸命に取り組んで下さっており、医療関係者が必死で治療に対応して下さっているのに、人類は翻弄され、すっかり負け戦の様子で、本当に残念で残念でなりません。どうすれば良いのか全く分かりませんが、せいぜい、自分でやれることは、 外出時にはマスク着用を忘れずに、やむを得ない時以外は、都心の方には出向かない! 買い物にも頻繁には出かけない!  帰宅後は、しっかり手首なども指・手を良く洗う、うがいもしっかり! ことぐらいでしょうか? 自宅に籠って何をする?? 多少の体操のようなこと? 読書? 新聞、PC、ついTVに目が 行って、運動不足になります。本当に困り果てているのですが、世の中の皆様は如何なのでしょう? ただ、私のようなおばあさんは、日頃からそれほど外出もせず、まあ、 これは普段通りの生活ではあるのですが・・  ただ、学校、幼稚園なども休みが続き、育ち盛りの子供達など、夏休みになっても、どこへも遊びに連れて行ってもらえず、お友達と自由に遊べず、ついついスマホなどで遊んでいるようでは、体の成長にも体調にも精神的にも、大変悪い影響があると思います。何とも残念で可哀そうです。ただ、私が、このところ、残念なのは、全くコンサートなど無くなってしまったことです。私は、チケットを購入して聴く 側ですからまだ良いのですが、フリーの若い演奏家たちは、演奏会が全く行えないと収入の道が閉ざされ、生活に困窮します。個人の演奏家も、オーケストラのメンバーや組織を経営している団体なども。音楽に限らず、演劇など様々な舞台芸術はすべて困窮を極めています。ほか、スポーツなども観客の入場料で成り立っているものは、すべて、めちゃくちゃな有様です。 のんびりしているようにも思える美術館や博物館等々、入場料収入で経営を維持しているところ、楽器や楽譜を売る店舗など、あらゆる職種に多大な損害が出てくるはずです。さらにさらに、すべての飲食店、旅館などなど、観光業や新幹線ならず とも観光バスなど交通機関などは、まったく予想が付かず、失業者も多く出るのではと強く危惧しています。それぞれの生活の保障が大変心配されます。仕方なく、[go toキャンペーン]とかで、補助して、少しでも地方に出かけてもらえるよう対策していますが、どんどん罹患者が増加するのでは?と心配します。この新型ウイルスの伝播力の計り知れない強力さに、人間は 為すすべがない様子です。ただ、世界中の(日本でも)研究機関で、ワクチンの開発に、必死で取り組んでいる様子ですが、完成までには、まだまだ日数がかかりそうで、年内は無理でしょう? たとえ、ワクチンが首尾よく作られたとして、生産能力が十分で、万人に間に合い、さらに、どんな体質の人にも接種出来るのか? 私は大変疑問に思っています。私は、100人中2%?ほどといわれる卵アレルギー体質です。 様々のワクチンは、基本、卵白で、培養されるそうですが、卵アレルギー体質の人でも、安全に摂取できるのでしょうか? 今までのインフルエンザのワクチンも卵白で培養されているそうで、何回か病院などで安全性を確認しましたが、確かな返答がなく、どこへ聴くのが良いのか分かりかねて、私は、インフルエンザの予防注射は、一度も受けたことがありません。安全性を質問しても、頭を傾げて、「え! 卵アレルギーなどあるの?? だったら、やめといたら!」 ? せいぜいこのような反応、返答になって、今まで、一度も接種したことがありません。ただ、左上腕に種痘の跡がありますので、種痘は子供のころに受けて無事だったようです。それ以外に、80歳を越えて数年の今まで、何かのワクチンなど全く受けずに、幸い、大した病気もせず、血圧も 今だ降圧剤を飲まずに済み、まずまず健康で、元気に生きさせていただいてます。私は神に心から感謝と思っています。ただ、些か、悩ましいのは、外食が思うに任せないことです。大変多くの食品には、安価な卵が使われていて、食するには躊躇することが、大変多いことです。 ただ、この頃、大変幸いなことには、かなり多くの食事処では、メニュー に含有アレルギー物質が書き添えてあったり、一覧表なども備えられていて、尋ねると、さっと持って来てくれます。アレルギーといっても、それぞれ様々ですから、大変嬉しいです。 もう可なり以前になりますが、調布市の小学校の給食で、確か、牛乳が使われている?チジミ?という韓国料理を少しお友達から分けてもらって、うっかり食べてしまった少女が 亡くなるという、大変残念で悲しいことがあり、その責任のあり所と対処のしかたの是非が、TVや新聞で頻繁に取り上げられるなど、日本中でも大きく問題になって以来、食物アレルギーに理解が行き届くようになって 来ている様子です。ただ、卵や乳などのアレルギー物質が使われているかいないかはまずまず分かるのですが、じゃあ、含まれてない料理が増えているかというと全く変わらないのが現状です。 なんといっても、卵や乳製品は安価で、それらを使って調理した食品はいずれも美味しく、大変利用されやすい食品ですから、殆どの食品に普通に使われています。レストランなどで外食する時には、卵を使用されていない限られた メニューから 大丈夫そうなものを選ぶので(私は、乳製品は大丈夫です)、どこでも、大抵同じ様な料理を注文することになります。それでも、卵、乳、小麦、さばなど最少のアレルギー物質がメニューに書き添えてある店は本当に有難いです。 また、お弁当・おにぎり・お惣菜・パン・お菓子などに限らず、売られているすべての食品のパッケージに、その食品に使われている材料が添加物に至るまで細かく記入されているのは大変嬉しく、よく確認して購入するようにしています。ただ、アレルギー体質は年齢によって変化すると私は経験から思っています。 生涯で最も体力があったと実感できる20歳過ぎくらいから50歳くらいまでは、少々の事ではアレルギー反応は出ないようで、私も20歳代には親子どんぶりなどを食べても、大量でなく、 また、何度も続けてでなく、たまたま1度くらいなら大丈夫だったようです。もともと、20歳過ぎ の頃からなら、卵を使っていても高温で焼かれて作られたクッキーなどは大丈夫でした。少し湿っぽいカステラやケーキなども、少しなら大丈夫でした。ただ、残念ながら、50歳過ぎて、体力が下り坂になって来たらしい頃から、クッキー1枚でも 体調や気分が些か不安になる事が増えてきて、以来、一切、食べないことにしています。さらに、年齢と共に、 大丈夫だったはずの食品でアレルギー反応が出るようになり、食べられなくなる食品がどんどん増えてきて、大変残念に思っています。まず、海産物(えび、かに、うに、いくら・・)、果物( メロン、桃、柿、サクランボ、ブドウ、びわ・・)。かくて、 皆様が好む、どんなに美味しそうなものでも、私には怪しく思えるものには、絶対に近づかないようにしています。さらに、現在取り合えず大丈夫なものも、決して、 うっかり沢山食べないようにしています。うっかり少し沢山食べると、それまで大丈夫だった食品も、私の場合はアレルギー反応を起こすようになりかねないようです。 そうなると、年齢を追って食べられる食品が、些か数少なくなりつつの私には、寂しく残念になります。もっとも、基本的な主食の食材(米、小麦)は、大丈夫ですし、野菜類(人参・玉ねぎ・ジャガイモ・ほうれん草や小松菜、青ねぎ、にら、インゲン、キャベツ、大根、絹さや、枝豆、豆類ほぼすべて、エリンギ・しいたけ・えのきなどキノコ類、筍、トウガラシやピーマンの類、青じそ、みょうが 、トマト、果物はリンゴ、ミカン、バナナ、スイカ等々)、 そして、牛乳? これもアイスクリームなど時に楽しみですので、一度に沢山カップ1個すべてなど食べず少しずつ取り分けて何回かで頂くようにしています。さらに、海産物で、私にまず大丈夫なのが、海苔やわかめ、昆布などという食材もあります。 となると、よく言われる豪華な海の幸や季節を楽しむ果物は無理でも、なんと楽しい食材が沢山あることでしょう!! 一度、アレルギー反応が見られると、それ以後 は食べられなくなるので、オーバーフロー(over floor)にならない様、常に心がけています。時々、聞かれるニュースで、お米や小麦アレルギーのお子様がいるとか? お母様は本当に大変でしょうが、まずまず成長するに従って、大丈夫になっていくでしょう?と期待しますが、こればかりは、個人差があるので・・・ ただ、私のように、実は、 80才過ぎても元気で、全く心配なく育ちます? はずです? さらに、皆様のような、好きなようにご馳走を食べないからか? こんなに老齢になった現在も、血圧は、常に正常で、今も全く、降圧剤など服用の必要が無いという嬉しい体調です。速く走るのは もう無理ですが、歩くには何不自由なく早く歩けます。可なり長時間歩いても大丈夫です。勿論、階段などくたびれますが・・  私の家族、家系もこのような体質は、どうやら私だけようです。このことは残念ですが、元気に歩き、動きまわれ、今なお降圧剤も飲まずに、血圧など低め で、至って正常を保っているのは、大変幸せと神に感謝です。すっかり長話になりましたが、今はとにかく、新型コロナインフルエンザの 罹患者が少しでも少なく抑えられ、少しでも早く終息に向かう事を心から願い、祈っています。 なんといっても、ワクチンの開発が急がれます。そして、私は、電車に乗っての外出を極力控えることでしょう?  それにしても、時には電車に乗って、少し遠くへ行きたいなあ!!! 四国の祖谷渓など??? 信州の山並みも眺めたい?? 琵琶湖一周なんてことも?? 若狭湾めぐり? 昔子供のころに数年住んでいた舞鶴も懐かしい?? 真っ白に塗られたと聞く白鷺城や雲海に浮かぶ竹田城も?? 気楽にのんびり旅が出来るようになりますように!!!

6月 24日(水)2020

 漸く、先々週10日(水)から、合唱団「コール・まどか」合唱練習の再開です! ただ、まだまだ慎重な方もいて、もうしばらくは、参加見合わせたいとの団員もいます。4月 、5月の丸々2ヶ月間もの初めての長い休団でした。 世界中に蔓延してしまっている「新型コロナウィルスに拠るインフルエンザ」が、日本でも、特に、東京で増大しつつあり、練習会場の調布市文化会館が全館閉鎖になっていたため、 2ヶ月間、止む無く休団しました。この間、3月中は0人だった調布市の新型ウィルス罹患者数が35人までになり、5月25日、国が発動した「緊急事態制限」が解かれてからも、 2名の増加になっています。6月に入ってからは 37名のまま、現在のところ、増加していないので、多少 心が休まります。それにしても、その伝播力の強力さに、心から驚いています。 100年前の「スペイン風邪」をしのぐ程の伝播力で、亡くなられた方の多さやその重症度など、どうなのでしょうかと??  人類は、常に、あらゆる機会に危険にさらされていると思い知らされます。世界中の素晴らしい学者やお医者様達によって様々な研究がなされ、医学が計り知れないほど進歩している 現代のはずですが、広い広い宇宙に浮かぶ無数の星の一つとして、40億年前ほどに誕生したと想像される地球というなんとも魔訶不思議な 水の溢れる衛星に、永遠に理解不可能なありとあらゆる生物が存在し、果てしなく人間は脅かされ、おびえ続けています。 ではあるのですが、やはり、地球上のあらゆる所に侵入し、勝手放題にのさばり続けている人間ほど獰猛な動物もいないということです。 人間は、日頃、大変[ノー天気]に、大変のんびり過ごしていますが、ひとたび、極端な悪性ウィルスなどの出現に出会うと、人間の儚さ、もろさが露呈して、慌てふためく事態になります。 日本国政府が、この緊急事態に多くの今日明日の生活に切羽詰まっている多くの方々を助けるため、多少の足しにと、 全国民一人当たり10万円の給付が決められました。我が家にも「特別定額給付金」の申請の書類が届きました。 9月7日が申請期限です。忘れれずに、申請しようと考えています。年寄り夫婦の我が家には、給付金は全く無用です。 ただ、考えまして、折角の機会、どなたかに差し上げる良いチャンスと考えています。この新型コロナウィルスが蔓延する緊急事態の中、 様々な仕事が休業に追い込まれ、生活に瀕している音楽家の方々が多いはずです。ただ、私から多少援助しようかと考えましても、 ただ差し上げたのでは施しを受けるように感じられ、プライドを傷つけかねませんが、どなたも知る国からの給付金ということで、 養育費など有効に使っていただくようお願いすれば、気持ちよく受け取って 頂けて、私も嬉しく、有効な方法かと考えています。
  ところで、世界中に「コロナウイルス」で大変な迷惑をかけ続けて?来ている中国が、 その「コロナウイルス」については、国内では何とか落ち着きをもたらされつつになっている様子? (実態は、全く不明? 可なり減少しているのかも?? ただ、よく聞くように、今後、第2波、第3波は、どうでしょう?)と思われるまもなく、 挑戦するかの様子に、日本近海、尖閣列島などに戦艦や巡洋艦などの船隊を組んで、何度も接近し、島の間を太平洋の方へ通り抜けて、うろうろしている様子??  ほかに、南の方では南沙諸島やスリランカなどへも航行している様子?? 多くの国々に中国の国力を見せつけ、威嚇する様子に思えます。 自国民にも、現政府の威力を認識させたいとの意思表示と解釈されている様子です。私は、全く個人的な考えながら、 今回の「新型コロナウィルス」の文字通り世界中への蔓延の発生源として、経済的に、またあらゆる社会活動の面から、世界中に計り知れない多大な迷惑をかけ 、計り知れない多くの人々の死亡が増え続けているのですから、先ず、世界中に、何をおいても平身低頭詫びるべきで、 絶対にそのようにする必要があると強く強く思っています。 そして、当分の間は、おとなしく自国に留まっているべきで、中国の無責任さもあって、困り果てさせられている世界中の計り知れない多くの国々に、 自国の力を誇示するようなことは決して許されることではないと考えます。 このように考える人は世界中に計り知れなく多いはずと、私は考えています。 世界中の国々で、考えられないほど数限りなく多い人々が亡くなり、生活の危機に直面し、 先行きの不安に苛まれている方々が想像をはるかに超えて多い現状を真剣に思いやり、その根源である中国が世界の歴史に永遠に記録される 計り知れない多大な責任、その無責任さを、私達は今後永遠に忘れないようにしっかり心し、認識するべきと、私は強く強く主張し続けたいと考えています。 私には、このような論調は新聞初め、TVの解説などでもあまり強く聞かれない様子なのが大変残念です。 さらに、先日のWHOの総会では、議長のエチオピア人テドロス事務局長のすぐ傍らに張り付くように中国代表が座り、 目下、絶対多数の人口を擁する中国は、エチオピアはじめアフリカに膨大な援助経費をつぎ込み、いろいろな方面に大人数の中国人を送り込み、 アフリカ諸国に着々と勢力の浸透を計っている様子とか・・? 貧しさにあえぐアフリカ諸国は、やむなく?、率先して?そのひも付きの援助を受け入れている様子??  それらは、自国を中国に売るに等しいのですが? さらに、ヨーロッパ諸国の零落ぶりは目に余るほどで、アメリカも勿論対抗して、対策をとっている様子ながら、 中国ほど熱心ではない?? 日本もすっかり国力を落としていて、自らの国力回復が先決の現状では、全く心もとない??  このような世界情勢の中、中国が着々とアフリカ諸国へ進出している様子です。 中国国内で、しっかり強権もって反対派を抑え込んで、自らの勢力を誇示し続けている中国主席習近平は、その信念の一帯一路の世界制覇を目論んでいる様子です。 先ず、アメリカは些か無関心?で、トランプ大統領は、自分の再選ばかりに一生懸命で、私には大変な無責任ぶりと思えます。ヨーロッパ諸国の勢力が信じられないほど弱体化している 上、いつの間にか?ヨーロッパ諸国も貿易など中国頼みのところが強くなっていて、さらに、今日、手薄で、貧しさにあえぐ、アフリカ諸国へ、 有り余る人口の中国人の多くを送り込んで、多額の資金援助と共に、様々な援助をしつつ、しっかり様々な見返りを契約し、勢力の根を張り巡らしつつが現状の様子です。 まあ、アフリカ諸国を中国の植民地化する目論見でしょう? 日本は、ただ、手をこまねいて、見ているしかないような情けない現状の様子です??  地球の反対側? 遠い国?とのんびりしているわけには行かないはずですが・・?  日本には、残念ながら、対抗出来るほどの国力もなく、国民の意識の零落ぶりも目に余り、ただ眺めている状態???  その陰で、医療サポートなど、単身でも親身になって活躍している、素晴らしい日本人の方々もいて下さる様子なのですが・・?  日本もそれなりにサポートしつつ、 経済力でのさばるのでなく、医療面・精神面など本当に親身になって、世話をし続けている日本人の方々がいる様子ですから、 それらの方々の活動がもっと知らされ、中国の宣伝に埋没されないようにと心から願っています。 この強権を振りかざす様子にのさばり続ける中国の覇権はいつまで続くのでしょうか???  香港はもちろん、台湾も飲み込もうと目論んでいるこの中国の強権勢力はいつまで続くのでしょうか?  ただ、中国に対する、かっての思いあがった日本国の暴虐無人な大変申し訳ない振る舞いは、十二分に、日本人は、記憶を新たにするべきと、私は思っています。 決して忘れてはならないことです。1945年第2次世界大戦終結直後の中国総督(台湾総督)蒋介石氏が、 毛沢東率いる中国共産党が勢力を伸ばしてきた強大な台頭により「本国を追われ、台湾に退かざるを得ず」の当時の窮状もあったとはいえ、 「(日本国の)暴に報いるに、徳をもってなす」と言って、疲弊しきっている日本に戦後賠償を全く求めなかったことを深く感謝する気持ちを 決して忘れてはならない義務と責任と感謝が日本人にはあります。今もって、私は、台湾総督蔡英文氏初め、台湾の人々の穏やかな品格に感謝しつつ尊敬の気持ちを持ち続けています。 (また、絶対に忘れてはならないことです。)
   今回、大変残念ながら、心から強く思い知らされたことは、イタリアを初め、ヨーロッパ諸国の国力の減退、凋落の様子です。 イギリスはもちろん、期待するドイツも思いの外、弱体化しているかも?と思い知らされています。 トルコ人など難民の多くの入国を許可してきた経緯もあるかと理解しますが・・  お見かけしたところ、各国のリーダー達が、イタリア首相初め、そろそろお年かものドイツのメルケ首相、 若いはずのフランスのマクロン首相、イギリスのジョンソン首相などなど、残念ながら、中国の迫力にすっかり押され気味にお見受けします。 そこに、中国が大変傲慢に付け入って、進出していく隙が生じている様子に、私には思えます。 それらの中で、日本は、相対的に新型コロナ罹患者も多くなく、なかなかしっかり踏ん張っている様子に思え、今後いつまでも、 日本国民として覚悟してこの危機を乗り越え、今後ともしっかり国力を維持し、発展していけますよう強く心したく思っています。 私はもうすっかりおばあさんですので、専ら、次世代の方々 、まだ幼い次々世代の頑張りを心から強く深く祈るのみですが・・  ただ、年寄りなりに、余計な迷惑をかけることなく生きて行きたく思い、多少の寄付など出来ることはしっかり行っていけますよう心し、願っています。 そういえば、調布市の我が家に、5月15日金曜日に、漸く「ガーゼマスク」2枚入りセットが、ポストに届けられました???  港区の夫の職場には、可なり以前? 配布実施のニュースが流れて間もなくの頃、やはり、ガーゼマスク2枚セットがポストに入っていた様子です。 調布市に比べ、港区は感染者数がずぅ〜と多いから早々の配布かと理解していました。ただ、我が家では、 マスクは消毒・洗浄・乾燥して、繰り返し使うことにしています上、 箱入りストックが沢山見つかり、しばらくぶりに見つけたマスクですので、 すべてを消毒・洗浄・乾燥して、綺麗なティッシュで包み、綺麗な箱に詰めなおして保存しています。 かくて、目下、100枚以上のマスクを保持しています。さらに、折たたまれた不織布のマスクは、広げるとあごをすっぽり包み込み、 顔の三分の一から半分ほども包み込んでくれ、 さらに、中に、ティッシュを2枚ほど適当に挟んで口に当てて、湿ってくると取り替えて使うと、一日気持ちよく使え、 今回の新型コロナウィルス予防には、安心感を持てます。 「ガーゼマスク」は、不織布のマスクのように広げて使えず、顔の大きさによっても顎を少ししか覆えず、かさ張って暑苦しい感じで、暑い夏には全く不向きです。 その上、息による湿気で、べとべとしてきて不愉快です? 多額の費用をかけて、なぜ?ガーゼマスクなのでしょう???  安倍首相の発案のようですが、明らかに失政の1例と思います。 これらも、中国製でしょうか? マスク不足になると早速中国に発注とか? 改めて、大変多くのことが中国頼みで、国内生産でも工場では 中国人社員により、現在は多くのものが中国人頼みとか???  日本の会社名が書かれていても、実際に制作しているのは多くの場合、中国人工員達頼みの様子です。 改めて、この度、世界中?が、ヨーロッパを含めて、中国依存度の高さを思い知らされ、のんびり暮らしているうちに、 世界中がすっかり人口13億の中国に飲み込まれつつの様子です。 日本は、この狭い国土に、何とか1億2千万人余りの人口ですが、なんといっても、私のような何とか細やかに税金を納める以外、ほとんど社会に役立たず、むしろ 私のみならず年金受給者の老人の割合が多く、人口構成が逆三角形の「末すぼみ」の現状です。 私の子供時代は、反対に「末広がり」で、老人は相対的に少なく、平均寿命も短く、若年労働人口が多く、 日本は、国力回復に懸命に取り組み、国民一丸となって戦後復興の若いエネルギーに溢れ、 日本全国土がすっかり荒れ果てて萎えていた戦後日本の復興・発展のため、わが身の健康も顧みないほど、 一生懸命に、がむしゃらに働き続け、日本を世界有数の経済強国に、再生・発展・育ててきたはずです。 それらの方々の多くは亡くなられ、存命の方々も、今はすっかり老齢になり、残念ながら、社会貢献は出来にくく、年金に頼る生活になっています。 若い方々は、この際、スマホなどで遊ぶだけでなく、しっかり、日本の将来を見据えて、国力を高めるよう、様々に頑張っていただけるよう、心から強く熱望して祈っています。年寄りはせめて自分の事は自らしっかり始末しつつ、若い力が強く湧き上がってきますよう、寄付も含めて出来るだけ助けになれれば、嬉しいと願っています。

5月 30日(土)2020

 新型コロナウィルスの蔓延のため、外出もままならず、読書もそうそう続けられず、 家にこもり続けも出来難く、 たまに、友人や知人たち、合唱団の仲間との電話でささやかに気持ちを晴らしているこの2ヶ月余りの日々の様子です。 食糧の買い出しには、数日毎に出かけていますのが、私のこの頃です。漸く、東京都の罹患者数が5月連休後半より、100人を下回り続けて 、このところほぼ10人未満の一桁になり、多少の増減ながら、一桁が続いていて祈る思いで したが、大変しつっこく、再び、22人とか? 調布市でも、日により、1名ずつ位増えている様子??  罹患なさった方々は、本当にお気の毒ですし、大変残念でしょうが、一日も早いご回復を祈り、私も絶対に罹患しないよう、細心の注意を続けたいと願っています。 毎日のニュースで罹患者数や死者数が少ないと、やはり心が休まり、 とても嬉しい思いです。 何とか、「0」人になりますよう、祈り願っています。 今週月曜日5月25日に、日本政府の緊急事態宣言の解除が報道され、なんとなくほっとするような、 まだ、連日数人でも亡くなる方がいて、東京などでも死者数が0になったわけではなく、 うっかり油断して再びぶり返してきては、この数ヶ月、渾身の思いで、必死で対応して来て下さった医療関係初め、多くの方々に申し訳なく、ささやかに、 私達はせめて自重していく義務があると心しなければと考えます。この数ヶ月毎日、世界の罹患者数をテレビや新聞が報道し続けていて、その 病原ウィルスの強力な伝播力とそのしつっこさに、脅威を感じつつも、長くは家に籠り切れず、たまには、バスに乗って、近場に散歩がてらの外食です。 何とか在宅するようにとの指示が出ていますが、我が家の主は、とてもとても我慢が出来ません?? 幸い ?、多くの皆様が自重して下さっているお蔭で電車は大変空いている様子で、30分ほど、いつもよりほんの少し時間帯をずらして、気持ち少し遅くに職場へ。 一人職場ですので、到着 してしまえば広い部屋に一人で終日過ごし、夕方 いつもよりほんの少し早め?に帰宅するという日課です。お子様のいるご家庭では、家族みんなで在宅など絶対に無理でしょう?? 可哀そうです。 広大なお屋敷住まいなら、屋敷内や庭園の散歩と、例えば、皇居のような広い住まいなら出来ますでしょうが?  普通の庶民は絶対無理です。テレビでは、繰り返し在宅を続けるようにと伝えています。 どこのご家庭も極力我慢して在宅生活を自らに課しているでしょうが、2DKほどのマンションや普通にこじんまりした家、 または、1DK、ワンルームマンションなどでは、何日間もこもり続けるのは無理でしょうと、私には思えます。 かえって不健康で、体調を崩すでしょうと・・? まして、体を動かしたい子供達には、どうしてあげたら良いのでしょう? 大変な難題です???  ところで、世界中に「コロナウイルス」で大変な迷惑をかけ続けて?来ている中国が、 その「コロナウイルス」については、国内では何とか落ち着きをもたらされつつになっている様子? (実態は、全く不明? 可なり減少しているのかも?? ただ、よく聞くように、第2波、第3波は、どうでしょう?)と思われるまもなく、 挑戦するかの様子に、日本近海、尖閣列島などに戦艦や巡洋艦などの船隊を組んで、何度も接近し、島の間を太平洋の方へ通り抜けて、うろうろしている様子??  ほかに、南の方では南沙諸島やスリランカなどへも航行している様子?? 多くの国々に中国の国力を見せつけ、威嚇する様子に思えます。 自国民にも、現政府の威力を認識させたいとの意思表示と解釈されている様子です。私は、全く個人的な考えながら、 今回の「新型コロナウィルス」の文字通り世界中への蔓延の発生源として、経済的に、またあらゆる社会活動の面から、世界中に計り知れない多大な迷惑をかけ 、計り知れない多くの人々の死亡が増え続けているのですから、先ず、世界中に、何をおいても平身低頭詫びるべきで、 絶対にそのようにする必要があると強く強く思っています。 そして、当分の間は、おとなしく自国に留まっているべきで、中国の無責任さもあって、困り果てさせられている世界中の計り知れない多くの国々に、 自国の力を誇示するようなことは決して許されることではないと考えます。 このように考える人は世界中に計り知れなく多いはずと、私は考えています。 世界中の国々で、考えられないほど数限りなく多い人々が亡くなり、生活の危機に直面し、 先行きの不安に苛まれている方々が想像をはるかに超えて多い現状を真剣に思いやり、その根源である中国が世界の歴史に永遠に記録される 計り知れない多大な責任、その無責任さを、私達は今後永遠に忘れないようにしっかり心し、認識するべきと、私は強く強く主張し続けたいと考えています。 私には、このような論調は新聞初め、TVの解説などでもあまり強く聞かれない様子なのが大変残念です。 さらに、先日のWHOの総会では、議長のエチオピア人テドロス事務局長のすぐ傍らに張り付くように中国代表が座り、 目下、絶対多数の人口を擁する中国は、エチオピアはじめアフリカに膨大な援助経費をつぎ込み、いろいろな方面に大人数の中国人を送り込み、 アフリカ諸国に着々と勢力の浸透を計っている様子とか・・? 貧しさにあえぐアフリカ諸国は、やむなく?、率先して?そのひも付きの援助を受け入れている様子??  それらは、自国を中国に売るに等しいのですが? さらに、ヨーロッパ諸国の零落ぶりは目に余るほどで、アメリカも勿論対抗して、対策をとっている様子ながら、 中国ほど熱心ではない?? 日本もすっかり国力を落としていて、自らの国力回復が先決の現状では、全く心もとない??  このような世界情勢の中、中国が着々とアフリカ諸国へ進出している様子です。 中国国内で、しっかり強権で反対派を抑え込んで、自らの勢力を誇示し続けている中国主席習近平は、その信念の一帯一路の世界制覇を目論んでいる様子です。 先ず、アメリカは些か無関心?で、ヨーロッパ諸国の勢力が信じられないほど弱体化している今日、手薄で、貧しさにあえぐ、アフリカ諸国へ、 有り余る人口の中国人の多くを送り込んで、多額の資金援助と共に、様々な援助をしつつ、しっかり様々な見返りを契約し、勢力の根を張り巡らしつつが現状の様子です。 まあ、アフリカ諸国を中国の植民地化する目論見でしょう? 日本は、ただ、手をこまねいて、見ているしかないような情けない現状の様子です??  地球の反対側? 遠い国?とのんびりしているわけには行かないはずですが・・?  日本には、残念ながら、対抗出来るほどの国力もなく、国民の意識の零落ぶりも目に余り、ただ眺めている状態???  その陰で、医療サポートなど、単身でも親身になって活躍している、素晴らしい日本人の方々もいて下さる様子なのですが・・?  日本もそれなりにサポートしつつ、 経済力でのさばるのでなく、医療面・精神面など本当に親身になって、世話をし続けている日本人の方々がいる様子ですから、 それらの方々の活動がもっと知らされ、中国の宣伝に埋没されないようにと心から願っています。 この強権を振りかざす様子にのさばり続ける中国の覇権はいつまで続くのでしょうか???  香港はもちろん、台湾も飲み込もうと目論んでいるこの中国の強権勢力はいつまで続くのでしょうか?  ただ、中国に対する、かっての思いあがった日本国の暴虐無人な大変申し訳ない振る舞いは、十二分に、日本人は、記憶を新たにするべきと、私は思っています。 決して忘れてはならないことです。1945年第2次世界大戦終結直後の中国総督(台湾総督)蒋介石氏が、 毛沢東率いる中国共産党が勢力を伸ばしてきた強大な台頭により「本国を追われ、台湾に退かざるを得ず」の当時の窮状もあったとはいえ、 「(日本国の)暴に報いるに、徳をもってなす」と言って、疲弊しきっている日本に戦後賠償を全く求めなかったことを深く感謝する気持ちを 決して忘れてはならない義務と感謝が日本人にはあります。今もって、台湾総督蔡英文氏初め、台湾の人々の穏やかな品格に感謝しつつ尊敬の気持ちを持ち続けています。 (また、絶対に忘れてはならないことです。)
   今回、大変残念ながら、心から強く思い知らされたことは、イタリアを初め、ヨーロッパ諸国の国力の減退、凋落の様子です。 イギリスはもちろん、期待するドイツも思いの外、弱体化しているかも?と思い知らされています。 トルコ人など難民の多くの入国を許可してきた経緯もあるかと理解しますが・・  お見かけしたところ、各国のリーダー達が、イタリア首相初め、そろそろお年かものドイツのメルケ首相、 若いはずのフランスのマクロン首相、イギリスのジョンソン首相などなど、残念ながら、中国の迫力にすっかり押され気味にお見受けします。 そこに、中国が大変傲慢に付け入って、進出していく隙が生じている様子に、私には思えます。 それらの中で、日本は、相対的に新型コロナ罹患者も多くなく、なかなかしっかり踏ん張っている様子に思え、今後いつまでも、 日本国民として覚悟してこの危機を乗り越え、今後ともしっかり国力を維持し、発展していけますよう強く心したく思っています。 私はもうすっかりおばあさんですので、専ら、次世代の方々 、まだ幼い次々世代の頑張りを心から強く深く祈るのみですが・・  ただ、年寄りなりに、余計な迷惑をかけることなく生きて行きたく思い、多少の寄付など出来ることはしっかり行っていけますよう心し、願っています。 そういえば、調布市の我が家に、5月15日金曜日に、漸く「ガーゼマスク」2枚入りセットが、ポストに届けられました???  港区の夫の職場には、可なり以前? 配布実施のニュースが流れて間もなくの頃、やはり、ガーゼマスク2枚セットがポストに入っていた様子です。 調布市に比べ、港区は感染者数がずぅ〜と多いから早々の配布かと理解していました。ただ、我が家では、 マスクは消毒・洗浄・乾燥して、繰り返し使うことにしています上、 箱入りストックが沢山見つかり、しばらくぶりに見つけたマスクですので、 すべてを消毒・洗浄・乾燥して、綺麗なティッシュで包み、綺麗な箱に詰めなおして保存しています。 かくて、目下、100枚以上のマスクを保持しています。さらに、折たたまれた不織布のマスクは、広げるとあごをすっぽり包み込み、 顔の三分の一から半分ほども包み込んでくれ、 さらに、中に、ティッシュを2枚ほど適当に挟んで口に当てて、湿ってくると取り替えて使うと、一日気持ちよく使え、 今回の新型コロナウィルス予防には、安心感を持てます。 「ガーゼマスク」は、不織布のマスクのように広げて使えず、顔の大きさによっても顎を少ししか覆えず、かさ張って暑苦しい感じで、暑い夏には全く不向きです。 その上、息による湿気で、べとべとしてきて不愉快です? 多額の費用をかけて、なぜ?ガーゼマスクなのでしょう???  これらも、中国製でしょうか? マスク不足になると早速中国に発注とか? 改めて、大変多くのことが中国頼みで、国内生産でも工場では 中国人社員により、現在は多くのものが中国人頼みとか???  日本の会社名が書かれていても、実際に制作しているのは多くの場合、中国人達頼みの様子です。 改めて、この度、世界中?が、ヨーロッパを含めて、中国依存度の高さを思い知らされ、のんびり暮らしているうちに、 世界中がすっかり人口13億の中国に飲み込まれつつの様子です。 日本は、この狭い国土に、何とか1億2千万人余りの人口ですが、なんといっても、私のような何とか細やかに税金を納める以外、ほとんど社会に役立たず、むしろ 私のみならず年金受給者の老人の割合が多く、人口構成が逆三角形の「末すぼみ」の現状です。 私の子供時代は、反対に「末広がり」で、老人は相対的に少なく、平均寿命も短く、若年労働人口が多く、 日本は、国力回復に懸命に取り組み、国民一丸となって戦後復興の若いエネルギーに溢れ、 日本全国土がすっかり荒れ果てて萎えていた戦後日本の復興・発展のため、わが身の健康も顧みないほど、 一生懸命に、がむしゃらに働き続け、日本を世界有数の経済強国に、再生・発展・育ててきたはずです。 それらの方々の多くは亡くなられ、存命の方々も、今はすっかり老齢になり、残念ながら、社会貢献は出来にくく、年金に頼る生活になっています。 その年金を支えてくれるはずの若年層がすっかり尻すぼみで、国家予算の借金が膨れる一方の様子で、先行きの国力減退が大変心配されます。 今も、それなりに頑張ってくれている若い方々がいて下さるようですが、もっともっと多くの若者に、 日本の未来の発展のため、しっかり考えて努力していただきたいと心から強く願っているのですが・・  平和な国・時代に甘んじて、のんびり、楽しみ過ぎている様に思われるのですが、如何でしょうか??  便利とはいえ?また面白いとはいえ?その便利なスマホに興じているわけにはいかないのでは?と心配しているのですが???  むしろ、中国や韓国の若者たちは、目指すところをアメリカなど海外に向け、どんどん留学するなど、一生懸命に頑張り・努力している様子とか??  アメリカの有名大学やシリコンヴァレーなどにも、中国人が沢山入っている様子とか? 日本の若者も世界にどんどん羽ばたいて行っていただきたいと強く願っています。 もうすっかりおばあさんで、ただひたすら願うだけで何も出来ない私には、どのようにするのがベストか全く分かりません。ただ、何とか、若い方々に 頑張って、日本という国をしっかり発展させていただきたく、心から強く祈るのみです。さらに、何とか、国力の基である人口増を強く心から願っています。 今回の「新型コロナウイルス対処法」でも、日本に比べて、むしろ韓国の方が的確で進んいる様子で、死亡者が全人口に比べても大変少なく抑えられている様子で、 日本も少なく抑えられて素晴らしいと思っていますが、韓国の対処の素晴らしさを改めて知らされています。韓国の若者たちは、しっかり国外に目を向けて、 どんどん学びの世界を広げ、小さい子供の時期から積極的に家族ぐるみなどで海外へ羽ばたいている様子とか・・?  日本人は、内を向いて、いつまでもお湯につかっているわけには行きません。今回、改めて、目を覚まさせられる思いです。 これからの日本の若い世代に、日本の明日を託せられますよう、心から願い、大きく期待し、強く祈っています。
 合唱団「コール・まどか」は、目下、休団中です。練習会場が、いずれも閉鎖され、全くやむを得ません。私はもちろん、団員達も些か毎日在宅の行動制限に すっかりうんざりの様子です。ただ、私も、日ごろ、それほど活発に出歩いていることはなく、大抵は在宅がほとんどなのですが、電車にも乗りにくく、 たまの旅行も全く出来ないとなると、気持ちの上でも、急に閉じ込められ感が増し、気持ちも憂鬱になります。
  漸く 、政府の「緊急事態宣言」の解除が先日5月25日に出され、東京も解除になりました。といっても、死者も罹患者も0になったわけではなく、 油断大敵!取り合えず、一段落しそうな様子ですが、気を緩めると大変です。 一旦、罹患者が0人に近くなっても、1ヶ月後、2ヶ月後の近いうちに、第2波、第3波が続くかもだそうですし、100年前の「スペイン風邪」の例からも、 数年間隔でも、大きい第2波、第3波が来る?予想です。アメリカ、イギリス、日本など、各国の専門家たちが、ワクチン開発に最大の努力を続けている様子ですが、 なかなか急には無理でしょうから? 各人が今まで通り、十二分に「うがい」「手洗い」「やたらに出歩かない」 、互いに、「3密」を避けるなど、注意し続ける必要があります。大変強力でしっつこい「新型コロナウィルス」に、人類は打ち勝たねばなりません??!  何も出来ない私などは、手洗いうがいに精を出し、絶対に発病などしないよう体調を整え、油断しないことです、せめてもの、市民としての義務でしょう!

 

5月 6日(水)2020

 ゴールデンウイークももう終わりです。「楽しくのんびり終わり」のはずです。さあ! 風薫る5月!木々の緑も爽やかで、何か心もウキウキする陽気です。 ・・・・・?のはずです! 残念! 今年はそれどころではありません。 昭和、平成、今は令和と長く長く生きてきたおばあさんにとっても、経験のない、寂しい新緑の季節です?  世界中に、時には1国で数十万人、世界中では数百万人を超える犠牲者を出しつつ、正に、パンデミックに蔓延する「新型コロナウィルス」で、外出どころではありません!  桜のお花見もままならず、散歩も人との接触を憚って、人出のまばらなところを、様子を見ながらが現状です。 やむなく電車で出かけるのも、空いてる時間帯にとか思案します。もうこのひと月以上電車に乗らず、新宿にも出かけていません。 演奏会は、全国すべて中止です(チケットの払い戻し通知を受けても、気の毒で返金を請求できません)。日本中(いえ! 世界中???)、全ての演奏会が中止で、 完全に収入の道が閉ざされ、大変大変多くの演奏家たちの生活が窮地に陥っています。 私の知人たちはどうなさっているかと案じます。幼い3人もの子育て中の方もいて、コロナ感染の危惧と生活困窮の二重苦です。 様々なクラシック音楽の分野、すべての 音楽家達、演劇や落語・漫才などすべての芸能人達は決まった組織にきちんと所属しているような、していないようなフリーの状態で働いている方々が大変多く、 演奏会や興行で収入を得ている方々は中止の連続で、収入が全く 無くなっています。このような方たちにこそ、早めにささやかでも救済の手だてがなされるよう、心から強く願っています。 ほかに、多くの様々な商売の方々も勿論です。毎日、心が滅入る 人間社会の混乱をよそに、我が家のそばの大通りの両側では、しばらく前から街路樹の「ハナミズキ」がピンクや白と花盛りで、そろそろ終わりになりつつです。 その根元で、満開を迎える「オオムラサキ」、「コロナウイルス」など何のその、これでもかと、ぎっしり所狭しと群れ咲いています。また、ちょうど今、 あちこちのお宅の 庭でも、私の愛する「モッコウバラ」がいつもと変わらず可愛い黄色や白い花を咲かせてくれていて、そろそろ終わりつつです。 この「モッコウバラ」、我が家のは白花なのですが、実は、どうもどちらかというと「白花」は珍しい様子です。大抵は、黄色の花の様子です。 他に庭では、「日光キスゲ」「あじさい」「ばら」が、茎や枝をしっかり伸ばし、葉が茂ってきています。 すでに、枝先の葉の真ん中に花のつぼみが顔をのぞかせています。もう少しで花の季節を迎えます。 その傍らでは、プランター一杯に「水引草」が今年も所狭しと生えてきています。 秋には、ゴマ粒のような赤い花を一杯つけてくれるはずです。なぜか?私の大好きな花です。 その横で、今年も「オオムラサキ」が、今を盛りと咲いてくれています。 大通りの植栽での群れ咲く「オオムラサキ」ほど、密集して咲く状態ではなく、今年も例年通り、17,8個、華やかな濃いピンクの大輪を咲かせてくれています。 大きな株なのに、街路の植え込みのように密集して咲くには程遠く、花の数が毎年少ないので、なぜかな?と思っていましたが、漸く、合点がいきました。 すぐ傍に、もう40年ほど前でしょうか? 隣の畑の持ち主の農家さんから買受け、我が家の敷地が倍近くに広がりました。 庭もそこそこに広くなり、大好きな美味しい柿も採れると嬉しいなあ!と、 幹回り2pほど、高さ2m足らず?ほどの苗木を調布駅前広場での植木市で購入して植えました 。当時は、駅前広場で、季節毎だったでしょうか?年に何回か植木市や花の市が開かれていました。 私の知識は皆無ながら素晴らしい素質を持った苗木だったようで、ずんずん成長してびっくり、「桃栗3年、柿8年」といわれるように数年待っていると、大きな素晴らしい次郎柿が 実り始めました。甘く大変美味しい柿でした。しかも、食べ盛りの子供3人の5人家族が食べきれないほど実らせてくれました。 盛りには、毎秋800個近く実ったでしょうか? 柿は、私には忘れがたい思い出の、正に、命を支えてくれた果物です。終戦の年、昭和20年秋、私は、母と弟達2人と4人で、 田舎の父の実家にお世話になっていました。田舎ですが、分けていただくわずかな食糧だけでは全く足りず、ひもじい思いで、毎日野草摘み、特にざる一杯の「ヨモギ」摘みに出かけていました (ヨモギが、私達の命を繋いでくれました)。そのような昭和20年の秋、あちこちのどの柿の木も、青空に映える柿色で、それはそれはたわわに実ってくれ、空腹を満たしてくれた大変感謝する 忘れ難い思いの強い果物です。やがて、我が家では子供達も成人し、独立して行きました。その後も柿はどっさり生り続けてくれ、娘が採りにやってきたり送ったり、 友人達や知人に送ったり。やがて、さすがの素晴らしい柿も送るほど実らなくなって来て、自宅用程度になっていました。その頃、ちょうどそれに合わせるように、余りに食べ過ぎたためか、 あれほど好きで食べていた私が、ある日、なんと「柿アレルギー」になってしまいました (本来、アレルギー体質の私は食べ過ぎで、「オーバーフロー?」したようです)。どこかに送るほどの量でもなく、子供たちは独立し、夫はあまり好きではなく、食べるのは私くらいになっていた頃、 それでもそこそこに実ってくれていた大好きな柿を食事代わりに食べていたあるとき、アレルギー症状が現れました。心臓がどきどき、顔には赤い湿疹が現れ、体調に異変が起こって来ましたので、 すぐに 近くの大学付属病院で急患診療を受けました。お医者様も心得た様子で、すぐに、処置をして下さいまして、事なきを得、しばらく 休ませていただいて帰宅出来ました。ただ、以来、大好きな柿を食べられなくなっています。すっかり老木ながら、今も、つやつやした大きな実をひと秋に1個ほど実らせてくれています。それは、 それほど執心しない夫の口に入ります。生来のアレルギー体質で、私は、「過ぎたら、及ばざるが如し?」で、子供のころからの「卵アレルギー」に加えて、年齢とともに、食べられない食品が増えています。 「エビ・カニ」など甲殻類、「イクラ・ウニ」にも、もう数十年近寄らず。メロン、スイカなど瓜類の果物もいつの間にか要注意! こう羅列していると、ある方が言いました。 「それじゃ、食べるものないじゃない!! こんな美味しいものが何も食べられないなんて!!」と。じつは、そんなことないのです! 大事なことは、現在、食べても大丈夫な食品を多く食べ過ぎないことなのです。 ついうっかり沢山食べると、アレルギー症状を引き起こすかもしれないからです。一度、発症すると以後食べられなくなります。ある統計では、 様々な食物アレルギー体質の人は、全人口の2%ほどだそうです。それでも、100人に2人くらいということです。多いのか少ないのか?  私の家族、親姉兄弟、知人など私の周りでは、食物アレルギーの人は、実は、私だけです。 このようにたわわに実らせてくれた柿の木ですが、残念ながら、今は大きくつやつやした実を漸く1個くらいと実を付けなくなってしばらくの大きな柿の木が 生き生きと若葉を茂らせています。反対の傍らには幹に割れ目が出来て枯れかかっている?老木の月桂樹(昔、料理にと植えました)。 少し離れてお隣の庭のこちら側、フェンス際に「きんかん」の大きな木・・・   つい、柿の木の話に柿アレルギーの話しと大変長くなりましたが、このように、「オオムラサキ」の周りに大きな木が並んでいては、地中の栄養も十分には行きわたらず、懸命に頑張っても 、枝一杯の満開の花盛りには出来ないのでしょう?  それでも、毎年、華やかな濃いピンクの大輪の花を精一杯咲かせて、楽しませてくれています。 さらに、柿の木と月桂樹の木の間、隣家のフェンス際に,私の大好きな可愛い白薔薇の「モッコウバラ」が植えてあるのですが、これも少々花付きが少ないのです。 が、同じ理由と合点がいっています。でも、いずれもけなげに、時が来れば、しっかり咲いてくれ、本当に楽しませてくれ、心が和みます。 外出制限の今季はなおさら、嬉しさが増しています。今春は春一番も吹いたのか吹かなかったのか? 新型コロナ騒ぎで世界中が大騒ぎで、あまり記憶に残ら無い中、季節は 巡り、既に5月、爽やかな新緑の時期のはずです。 いえ!今、正に爽やかな新緑の季節なんです。残念ながら、この春は、桜をはじめ、様々な春の花々を十分に楽しめず、新緑の香りもどこか遠いような、本当に残念です。 目下、世界中で、[「3密」を避けましょう!]のスローガンが、叫ばれています?? 「密接、密集、密閉」でしょうか? 外出時はマスクを着用し、互いに、2mは間隔を空けて行動しましょう?  店の買い物時、レジで並ぶ時、電車やバスを待つ時、さらに電車に乗っても! 道を歩く時も?? やむなく人の集まる時は窓や扉は開け放っておく! いえいえ、今は、集まれる会場の市民会館や市福祉センターなど集会所の閉鎖が続き、集まりそのものが中止中止、全く出来ないのです。 さらに、5月末まで中止期間延長とか? 罹患者の減少傾向を見定めながら、少しずつ緩和されるような様子ですが・・? 北半球は、今は、これからもしばらく爽やかな新緑の季節です。ただ、猛暑の真夏に 、密閉できず冷房を使えなくなるかも?? 昔のように窓を開け放って、扇風機やうちわでしのぎましょうか? 行水するのもいいですね! さて、この災難は、いつまで続くのでしょう??  今、世界中で有効なワクチンを作り出そうと懸命に研究されているそうです。ただ、来年になるかもとか??  世界中の権威ある?学者の方々は、約100年前、日本では「大正時代」のこれも世界中で猛威を振るった「スペイン風邪」の例を引いて、 この騒動は3年は続くでしょうとの事???????(少しでも早い終息の願いを込めて、?の数をラッキーセブンの7個にしておきます ・・・???????)。 その以前には、ウィーンの街中の大通りに建てられたモニュメントが語る「黒死病(ペスト)」や、ジェンナー博士によるワクチンでほぼ治療法がなされている天然痘など、 実は、私の認識では、とっくに人間社会から駆逐されたかと思い込んでいたさまざまの難病が、実は、今も地球上のここかしこで散見されているようです。 ただ、有効な薬も発明され、ほぼ治療法もある様子です。ただ、私のようなアレルギー体質で、使える薬があるような無いような者には、改めて思い知る不安な気持ちが 拭い切れません。さらに、アフリカなどでのエボラ出血熱、エイズなど、目に見えない「ウィルス」と、人間との戦いは果てしがないようです。計らずも、こんどの新型 コロナウィルス流行で、 日頃、私は如何に「のほほんと、のうてんき」に齢80年を越すまで生きてきたかと、改めて認識させられています。本当に神に感謝です!!!  色々話には聞くことがあっても、身近に出会うことが無く、なんと幸せな来し方か?と思い知っています。これからも、身の回りの人々は勿論、日本人、果てはすべての人類がず ぅ〜〜〜っとつつがなくと祈り、願っています。

 

 4月23日(木)2020 

 四月です。桜が花吹雪を風に散らせながら、舞い上がり、新学期の始まりです。重たげな新しいランドセルを背負って、可愛い新入生が行き交うのを見られる素敵な嬉しい春です。 ところがところが? 登校はもちろん、入学式も十分には行えない様子とか? 今春はそれどころではなく本当に可哀そうで、なんとも残念です。 新型ウイルスによるインフルエンザの蔓延とか? 地球上の人類は、今のところ、新しい?凶悪なウイルスにやられっぱなしです。地球上の人類のその道の専門家たちがが総出で、あれこれ、必死で対策を捻出していますが、なかなか妙案が出難い様子です。 ただ、手をこまぬいているわけには行きません。人類は、なんとしてでも、この新型コロナウイルスに打ち勝たねばなりません。 私など年寄りは、より慎重に、周りに絶対にご迷惑をかけないように行動することです。 私など全くの専門外もいいとこですから、なんとも全くお手上げで、なすすべもなく、ひたすら、最小限の外出に限り、必ず、せめてものマスクを着用となります。 あとは、帰宅後の手洗い・うがいを 十二分に念入りに。この度の世界中の感染状況は、約100年ほど前のスペイン風邪、それより以前の天然痘、最悪の場合は、さらに以前の黒死病に匹敵するようになるかもとか?????  本当に空言でなく、現実的な様子になりつつで、何んとか少しでも早い終息を心から祈っています。 ウィーンなどヨーロッパの街々のメインストリートには、ところどころに、今も些か不気味なモニュメントが建っています。 中には、ネズミによってもたらされたペスト?の疫病による大量死を悼んでと言われたりしています。 中国では、野生動物を日常的に食している様子で、今回のコロナウィルスも諸説ある中、蝙蝠による伝播ではないかとか???  中国では、200種類ほどもの野生動物が、ごく普通に街で売られているそうです。南の島なども、所によっては、お猿さんも煮て食べている人々がいるとか?????  人間の雑食性は、地球上、最高に恐ろしく、人間は最も獰猛な動物ということになりますかしら?? それにしても、極端に閉鎖的な中国政府の体制固持の様子では、武漢閉鎖解除と伝えられても、大丈夫かしら?と、また、中国国内の他の地域の感染状況は全く伝えられていないので、実態には、大変な不信感と先行きの不安感を拭えません。 さらに、武漢、武漢とばかり言われますが、北京、上海、深圳など、中国全土の他の地域の感染状況など全く不明です??  そのうえ、中国は、アメリカの仕業とか吹聴しかけて、さすがに、立ち消えになった? アメリカでは、目下、全国的に大流行中で、 数10万人を越す感染者とか?? 死者もどんどん増加中?? 特に、生活状況に恵まれないヒスパニックや黒人の方々に蔓延しているとか?? 衛生状態に大変不安のある 中国のような、格段の多人数国家で、もう大丈夫などと、封鎖解除とか?? 中国の他の地域への感染についてはどうなって、どのくらいの感染者が発生しているのか、全く不明????? 更なる今後の世界への影響は大丈夫かしら?と不信感が募ります。 抱き合って喜びあっている武漢の人々の写真など報道されますが、体制派の宣伝でしょうと、どうしても安心できません。なんとしてでも、国体を堅持したい体制派の宣伝と思えます。 とはいえ、私達には、日本の現状が切実です。現状以上の広がりをなんとしてでも食い止める必要があります。さて、どうすれば・・?  各家庭でのテレワークといっても、出来る方は、結局ごく限られた人達になる様子で、本当に思案します。 このテレワークも体調維持には不安もある様子。体を動かす必要がある?? こもりっきりでは??? 一方、 一生懸命に対応して下さっている、お医者様や看護師さん達、救急隊員達、その他直接対応して下さっている方々の身の安全も緊急課題です。 しかし、私達全くの素人の出来ることは、必要以上には外出をしない。やむなく、出かけて帰宅したときは、繰り返しうがいをして喉を洗い、指先や指の間、手首までなど手洗いを念入りにすることぐらい・・?  ところで、少し気持ちが楽なのは、今回のインフルエンザは、伝播力は強力の様子ですが、重症になる方が比較的少ないとか?  だから、大丈夫では決してないのですが、少し気持ちが軽くなるような思いです。 しかし、東京でもどんどん増加傾向で、特に、ここ調布市でも、感染者がじわっと増えつつで、ついこの間、3月末頃まで、0人だったのが、この半月ほどで、いつの間にか、1人になり、4人になり5人になって 、日一日と増えて、いつの間にか30人に届きそうな様子です。何とか、増えませんよう祈っています。日本国政府による「緊急事態宣言」が、全国主な各地に、漸く発令され、それに沿って、東京都でも 、調布市でも、緊急時以外の外出禁止など 、より厳しい警告が発令されています 。ここ、調布市では、市の広報スピーカーから、日に何度か外出制限、帰宅時の手洗いなど注意事項が放送されています。ただ、この広報なのですが、風向きにより家々までの距離、窓が締まっているかなどで、なかなか聞こえづらいという難点があります。一方で、このように日本中で、力の限り懸命に対応して下さっているお医者様や看護師さん、その他医療従事者の方々の罹患が伝えられ、何とも残念で、申し訳ない気持ちにもなっています。が、 このpandemic状態の世界では、目下、感染流行中のすべての国が、この「緊急事態宣言」を発令しているかといえば、意外にそうではないようです ??  目下、かってないほど感染者が多くなっているヨーロッパ各国、フランス、ドイツ、イギリスなどは、発令していない様子です???  最大に罹患者が増大し、危機的状況のアメリカなどは、どうなのでしょう?? トランプ大統領は、「山場を越した・・」などと自身の再選も願って、自己の手腕を誇示していますが・・   私は、小池東京都知事が、随分 、国政担当者(総理大臣)に、「緊急事態宣言」の発令を急ぐよう促している様子でしたので、どこの国も同じかと思いましたが、そうではない様子です。 では、なぜ、日本で是非・・となったのか、私にはよく分かりません。 それにしても、医療体制の完備には、国により可なりの差があるようです。 感染者数の多いドイツなどでは、実際の感染者は多いのにかかわらず、死者はさほど出なく(もっとも日本よりは、よほど多いのですが)、医療体制の完備がほかの国とは格段に違って、ベッド数も大変整備されてい て、さらに1万床の余裕がある様子とか・・ 日本も一丸となって、懸命に対応して下さっている様子ですが、実際に、第一線で患者に対応して下さっている医療従事者に感染者が 可なりの様子で、私にはどうすればより安全に出来るのか??全く思いつきませんが、何とか何とか罹患されませんような体制が一刻も早く整えられ ますよう心から深く深く祈っています。そして、一刻も早く、終息に向かいますよう、素人は、ひたすら祈っています。 せめて、自分がならないように。迷惑をかけないように。さらに、最近では、様々な業種で休業宣言がなされ、どの業種も先行きの不安をどんどん募らせています。スーパーなど限られた業種以外は、ほぼすべて休業に追いやられ、収入がないのに、家賃などの支払い、ほか借入金の返済は猶予なしで、様々の業種が軒並み困惑しきっている様子です。政府の対応も、少しづつ、事態が進行してきて、国民全員に等しく一人10万円ずつ給付金を配布するよう決まった様子。どのようにして、配布されるのか?? 各自、申し込む様子 とか その手続きがまた、意外に面倒かも??  出来るだけ簡単な手続きで、本当に必要な方々に、迅速に実現させていただきたいものです。住所登録のない街のホームレスさん達はどうなるのでしょう?? ネットカフェなどが閉鎖され、温かい寝場所が無くなり、まだ寒い夜にどうしているかしら?と案じます。たまに購入しつつ立ち話する、調布駅前で「ビッグイッシュ」を販売している方。四ツ谷駅、新宿バススタなど、都内、全国あちこちで販売している方々は?? と、とても気掛かりです。また、ひっ迫していたマスク不足を解消するため、異業種の会社が急遽生産しているとか?? net販売から始まった様子に大変な争奪戦??? ところで、マスクをそんなに争奪しなくても、我が家では、しっかり洗って繰り返し使っています。ほぼ毎日、使用後は、洗面器に洗剤とハイターやブリーチなどの 消毒を兼ねた漂白液を数滴たらした水の中に、数時間から半日ほど浸してから、よくよく水ですすぎます。決して、もんだりせず、 手でピンと延ばすようにしつつ振り洗いします。綺麗な洗濯機の中に、マスクだけを一枚ずつ入れて、30秒ほど脱水し、形を整えて、埃のかからないところに干します。家の中、窓辺の日当たりの良いところなど。これで、十分ですが、時には、アイロンを当てます。ガーゼや布マスクは別で、普通のマスクの素材の不織布は熱で溶けますので、しっかり、平織の布やハンカチなどであて布をしてアイロンをかけます。これで殺菌も出来、十分に繰り返し使え、我が家ではマスク不足など全くありません。資源の無駄な消費を減らします。(なぜ、パッパと捨てるのでしょう?? 消毒液を噴霧して、袋に入れて持ち帰り、洗って繰り返し使う?? 私は、よい考えと思うのですが・・・ 勿体ない精神の世代です。)
 私事では、合唱団「コール・まどか」は、長期休団中です。練習会場の文化会館が、東京都の指示通り、5月6日(水)の連休明けまで、休館中ですので、当然ながら、 私達も休団中です。 5月6日は私達の活動曜日の水曜日ですから、もし、翌日5月7日(木)から会館が再開されたとしても、活動再開は翌週の水曜日13日からとなります。是非、この日から、再開 出来ますよう願い、祈っています。 ただ、そんなに希望通り、このコロナウィルスが、退散してくれますかどうか?? それぞれ、ご専門の医療従事者の方々が、それこそ、ご自分の命を削るように懸命に闘ってくださっていますが、 私は、なすすべもなく、ひたすら、願い祈るのみです。この春は、多くの演奏会も中止、中止で、予定されていた方々にとっては、経費の損失など大変な損害はもちろんですが、 収入も無くなった方々も多く、折角の機会が無くなり、改めて再計画?となるでしょうが、何とも気の毒で残念です。
 ところが、私など在宅が続き、些かうんざりしそうですが、大丈夫かしら?と大変気になりながら、ありがたいなあ!と心から感謝していますのが、絶対に必要で欠くことの出来ない、大切な様々な仕事に従事している多くの方々です。これらの方々は、全然休んでいられません。まず何より、救急搬送して下さる救急隊員、 最前線で危険にさらされつつも懸命に治療に対応してくださっている各病院のお医者様や看護師さん、レントゲン技師さん、薬局の薬剤師さん、その他様々に対応して下さる医療従事者などなど、さらに、消防隊員、お巡りさんたち、すべての交通機関従事者たち、(電車もバスも滞りなく動いています・・)、曜日ごとに分別して、きちんと収集して下さるごみ収集車 の方々、毎日朝夕届けて下さる新聞配達員、いつも丁寧に働いているスーパーの従業員、必要に応じて届けて下さる宅配便業者など、列挙すれば、限りがないほど私達日常生活に欠かせない大切な仕事に従事して下さっている方々に、改めて、思いが至り、どなたにも感謝しつつ、それぞれお元気でいて下さって、この日常が続きますよう、心から感謝しつつ、祈っています。なんといっても、すべての物流が、いつも通り忌憚なく行われ、捗っていきますよう、強く願っています。在宅が続いて、些かうっとうしく感じています私ですが、特に不自由なく、暮れせていることに、心から感謝しています。改めて、私は、世の中のために何もしていないなあ・・・?と。 出来ないなあ・・・?と。尤も、誰も何かしてはどうか?とこのおばあさんに期待もしないでしょうが・・ 辛うじて、私の出来ること??  まずは、病気にならないこと。それから、いろいろな機関への多少の寄付でしょうか? もし見かけたら、出来るだけ「ビッグイッシュ」を買ってあげること。寝場所は夜も温かい「ネットカフェ」と話していた販売員は、この時期、閉鎖されたらたちまち寝場所を失う??? また、仕事が無くなった方々? お客が来なくなった店舗の経営者など、収入が無くなった方々への救済措置などの緊急対策が急がれます。また、日頃、あまり気にならない人々の生活困窮の様子を知らされ、改めて、世の中の多くの人々は、その日暮らしのようながら、それぞれに必死で働いているんだなあ!!!と思いが至ります。 さて、日本国民全員に、給付金を10万円ずつ配布されるとか? 早速、5月にでも実現させるとか? どのようにして支給し配布されるのでしょう? 本当に困っている方々に行き渡るよう、ベストな方法を考えてほしいものです。申し込み制の様子ですが、ちょっと考えまして、我が家は全く必要ないですが、もし配布されるなら申し込んでみようかと。そして、もし受け取った場合は、贈り先を考えるといくつか思いついています。折角のチャンス! 有効に活用しようと少し楽しみに思っています。さて、実現するかどうか???  いつごろでしょうか??

  3月30日(月)2020

 今年に入って、早や3ヶ月が過ぎようとしています。目下、世界中が新型コロナウイルスによるインフルエンザで、戦々恐々困り切っています。 外出も侭ならず、マスク不足なども伝えられ、感染者の増大に、世界中の国々が困り果てています。元は、中国湖北省武漢市発症です。 蝙蝠、ねずみ?など、野生動物をいろいろ食する習慣がある様子で、なんと200種類くらいの野生動物が、中国では市販されているとか???  なんでも食べる、食べてしまう様子でびっくりです???  ただ、そこで思い出すのは、第2次世界大戦の末期、太平洋の島々に取り残された敗残日本兵達は、 全く、日本からの食糧補給など望むべくも無く、ネズミはおろか、ゴキブリなど何でも食べたとか??  大変大変残念で心が痛みますが、亡くなった仲間を食することもあったとか??? それぐらい、窮すれば・・となりかね無い様子だったとか??  さらに、日本では、豪華旅客船「ダイヤモンドプリンセス号」の罹患者の増加によるとはいえ、驚くべき伝播力です。 世界中から見れば、まだ、少ないとも言えますが、ちょっと、ヨーロッパ旅行から帰国しただけで、早速、感染者とか?気の毒な気がします。 仕事など、様々な用事、仕事で、やむを得ず海外に出かけたのでしょうが、早速、ウィルスを持って帰国せざるを得ず、本当に困ったものです。 いつまで続くのかと悩ましいことこの上ない日々です。調布でも、初めて、イタリア北部への新婚旅行帰りで調布市役所職員の感染が伝えられました。 調布市民の感染は、今日3月30日現在、依然と0で、この職員は、都内在住で自宅療養とか? 折角の楽しみでしたでしょうが、なんとも可哀そうで仕方ありません。 ところが、アメリカでは、信じられないほどの爆発的患者数になりつつある様子・・?
  私の合唱団でも、3月初めに、全く団員に諮ることなく、団長はじめ男性役員が、いきなり2回の休団の決めました。 私は、「え!」と思う間もなくの決定で、まあいいっか!と思っていましたが、休団をさらに続けるとの主張に、私は「待った!」をかけ、3週目から再開するよう,団員全員に電話をかけ、再開を知らせました。 「、参加自由(アマチュアの合唱団で当然のことです。合唱団始まって以来、常に参加は自由)、、必ず、マスク着用で参加すること。足りないマスクは、洗剤にハイターのような漂白剤を垂らして、 数時間浸して消毒をして、よく「しわ」を延ばし1枚ずつ脱水機にかけて干して、あて布をして、アイロンがけするとかなり繰り返し使用できる。、練習会場は、同じ階に、他に部屋が無いので、ドァーは開けっ放しにする。 、各人、1m以上ほど離れて座るなど最低の状況説明を話しました。そして、3月3週目水曜日の18日、午前10時に、取り合えず、10数人集まりました。 私は、9時過ぎに(いつもは10時ころ)到着、消毒スプレー、消毒ティッシュ、普通のティッシュボックスなど持参して、入り口のわきに自由に使用できるように用意した。 目下、団員が20人を下回り15,6人ほどと、大変少なくなっているので、不参加人数は、ほんの数人ほどで、可なりの割合の参加人数でした。1時間ほど、意見交換があって、 11時過ぎから、12時近くまで、何曲か歌って、この日は終了しました。しばらくぶりだったためか、どなたも大きな声で歌っていました。 私は、外すのを忘れ、マスク着用のまま、ピアノを弾き、歌の指導をしました。どなたもとても楽しげに歌ったように、私は聴きました。 私は、まさに、お年寄りの集まりなので、いつまでも、休団にして、自宅待機していると認知症になり易いなど、テレビでの警告も話し、 調布駅そばの練習会場なので、帰りに買い物をすれば、一石2丁? 日常の買い物は必ず必要なので、そのついでに、1週間に1回の合唱練習で、気分発散させましょうと伝えました。 男性団員の方が心配性の様子?でしたが、いざ歌いだすと、どなたも大きな声で思う存分歌っている様子でした。 次回25日 (水)も同じ様子でした。ところが、3月28日(土)、29日(日)には、東京都知事小池さんから、不要不急の外出禁止令が出ましたので、なんと練習会場の調布市市民会館が4月12日(日)まで閉館となりました。練習会場の閉館では、全く仕方がなく、私達の活動も中止です。それにしても、じわじわと日本でも増えてきて、気持ち悪く、心配になります。世界では、イタリアの死亡者が中国を上回ったとか?  先ごろからのイタリアの中国依存を証明しているような現象と私は理解しています。 それにしても、スペインも多く、他のドイツ、フランス、イギリスなどヨーロッパ各国も増加しつつで、ヨーロッパ各国の力の衰退をまざまざと思い知らされる様子です。 アメリカでは、爆発的な増加傾向で、軒並み、外国からの入国制限を強化しつつの様子です。 さらに、今年夏7月末日本で開催予定のオリンピックの1年延期など、議論が沸いている様子です。これは、大変難しく、折角、選手に選ばれた方々は、心も揺れ、本当に気の毒で可哀そうと身につまされます。 私個人は、全くどのように行われても関係ないからではありますが、アメリカのTV放映の都合で、夜中の試合や夕方からの開催となったようで、私には何とも疑問で、選手たちにも大変???に思っていました。 (もう50年以上前の東京オリンピックは、秋10月と日本のベストの時期で、本当に楽しめ、素晴らしかったのですが・・   まだ、白黒テレビの時代で、結婚間もない我が家にはまだテレビがなくーテレビのある家庭はまだまだ少なかったー、近くのお蕎麦屋さんに観に行ったりしたほどです。 唯一の思い出は、当時から在住中の調布市真ん中の甲州街道がマラソンコースになり、調布市の西部、飛田給という地点が折り返し地点になっていました。 エチオピアのアベベ選手が走るということで、新甲州街道まで、徒歩7分ほどでしたので、見物に出かけました。もうすでに、大勢の人で沿道は埋まっていましたが、 幸いにも道路沿いに出ることが出来、まもなく、大股でひょいひょいと飛ぶような走りぶりで、アベベ選手が現れ、しばらくして、頭を傾けて走る君原選手や円谷選手 ?達日本人や他に良く判らない方々は続きました。 さほど経たないうちに早々と、アベベ選手が折り返してきて、あっという間に?走り去りました。私の実際に目にした、大変珍しい、オリンピックの唯一の経験です。 もう半世紀以上も前の私には唯一のオリンピック観戦でした。あとは、専ら、新聞記事でした。)
 かくて、世界的なコロナ騒動で、コンサートは、軒並み中止で、3月と4月の予定は、全く無くなりました。 世界にも知られる日本一のモーツァルト研究者で、私も随分セミナーなどでお世話になりました海老沢敏先生の米寿のお祝いの会も中止になり、仕方ないのですが、 何か?寂しく、何とか少しでも早い終息を熱望しています。
  ただ、非常に、憤りにも似た思いは、この世界的な広がり(pandemic)を引き起こした中国政府は、自国のピークが過ぎたので、イタリアやイラン? セルビア?などに、 「ピークを越えて減少に転じさせた経験を持って、助けに向かう」とか??それも悪いわけではないのですが、まずは、「元凶となって、世界中の混乱を引き起こした重罪を自覚して、真摯に世界中に謝罪すべきではないか?」と、強く強く憤りを覚えます。世界中の方々には私と同じ思い方も多いと思っています。さらに、総罹患者数が減少に転じたとはいえ、まだまだ 世界各国に状況に比べ、また、日本の現状に比べても、はるかに大人数の患者発生状況の様子です。 さらに、本当に減少しつつあるのか?中国政府の思惑によるかも?? 中国人の計り知れない図太さを知らされる様子です。 この計り知れない強気で、世界制覇を目指している?? ドイツを初め、イギリス、フランスの弱体化は、目を覆うばかりで、大変大変残念です。 アメリカは勿論、日本も日本人も心に決して自覚し、日本の発展に努める必要が緊急課題で、のどかにのんびり過ごしている場合ではないと、 このおばあさんは、何も出来ないながら、焦る気持ちがあります?????  安易に中国を信用し、頼ることの決して無いように!!

 12月 26日(木)2019

 今年も後数日、何となく名残り惜しいような、毎年の恒例で、どうってこと無い!と。ただ、今年は5月1日をもって、年号が、「令和」と変わり、天皇様が新しくお変わりになって、即位式が行われま した。 とても感じの良いお方の様子で、そのことは納得ですが、あれから半年余りに渡って、次々と即位に伴う行事が続き、私は、いつまでやっているのかしら?と些か疑問に思っています。 とうとう神武天皇陵とやら?まで、お参りに出向かれた様子??? はっきり言って、その天皇は本当に存在なさったかどうか? その陵も本当なのかどうか???  むしろ、即位に伴う一連の行事(お務め)とはいえ、新しく即位なさった天皇様は、言われるがままに、あっち行ったり、こっち行ったりと何ともお忙しいそうで、どのように考えてなさっているのかしら?と。 勿論、仕方ないとお考えでしょうが、大変な国費を支出して、そんなにまで行うことは、本当に必要な行事なのでしょうか?と疑問に思います (現代の日本の教育を受けられたはずの若い天皇様ご本人も、???では無いでしょうか? まして、元外交官で、世界を舞台に活動もしていらっしゃっ て、急に皇室にお入りになって、あまりの激変に精神的に適応障害の様子が今も続いていらっしゃるらしい皇后様はどうかしらと??)大変な国費の浪費のように、私は思います。 20年にも渡って、変わらない総理大臣を支え続けている右翼系?の支持者達。日本は、どこに向かっているでしょうか?と心配になっています。 兎に角、これからの日本が世界に認められ、右左の主張を越えて、本当の意味で、健全に発展していくことを心から強く願っています(それが、大変 難しい・・・・・)。
 合唱団「コール・まどか」は、始まって32年目の活動を続けています。当初は、原則60歳以上のシルバーコーラスという事で始まりましたが、10年後くらいに、年齢制限?を止め、何歳でも良いことにしようとなりましたが、全体にお年寄りばかりの合唱団であったためもあってか? また、世の中のどなたもが、出来るだけ、働き続けたいという世情もあってか?40〜50歳代位のまずまず若い方々の入団が無く、 残念ながら今に至っています。 発足当初は、まだ60歳代、50歳代後半の方も多く在籍していましたが、30年を越える活動継続中の目下の現状は60歳代半ばが若い方となっています。 更に、定期練習日が、ウィークデイ半ばの水曜日午前中ということもあって、仕事を続けている方々には、参加し難いかも?と思われます。 また丁度、60歳代半ばは、定年退職の年齢でもあり、どなたも次のステップに合唱を楽しもうかな?と思って下さったということでしょう。 発足当初、世の中は、確か60歳定年だったのでは?と、又、専業主婦が多かったこともあったのではと考えます。 兎に角、発足当初から、びっくりするくらい多くの女性が集まって下さり、さらに、特に、女声合唱団としていたわけではありませんでしたので、 たまに、見学に来て下さった男性達は、女性ばかりなのにしり込みしてか?なかなか入団して下さいませんでした。 これら?のことから、団員数は、60人近いほどの多さでしたが、正に、女声合唱団の形でした。 発足して、15年ほど経った頃、80歳を越えているとおっしゃる、現役時代は社会的にご活躍なさった様子の紳士が見学に来て、入団して下さいました。 「私は、こんなに女性が一杯いる雰囲気は大好きです」とおっしゃって・・ それから、暫くして少しずつ男性も増え、メンバーの入れ替わりはありましたが、 今も男声が5名在籍しています(男性は、女性ばかりでは、余程勇気がいる様子? 女性も男性ばかり多いところには、入って行きづらい?は当然でしょうから、 最初に、こんなに女性が多くて楽しいと言って下さって入団して下さった その男性には、ずっと感謝しています。もう90代半ば過ぎかも?で、少々休みがちながら、今もなお、しっかり歩いて来場して参加して下さっています。 ただ、戦争中の男子校(中学校など)の音楽教育のあまりの不毛と高齢もあってか?、今もって上手には全く歌えませんが・・  さらに、世代の違いか?世の中の様々なことに対する感じ方・考え方などに、多少?「え!??」と思わせられることもありますが・・ 一方、 女声メンバーは増えるより年齢もあって残念ながら、減る一方で寂しく、 目下は、当初より激減して女声が15名ほどに、男声が5名と少なくなっていますが、大変声のバランスが良く、混声3部をとても上手に歌ってくれます。 特に、男声陣では、70歳半ばほどの方々(90歳代の方を除いて)が揃って、大変上手で声も良く、しっかり第3声を歌って混声3部合唱をしっかり支えて、60歳代後半から70歳代の女声の方々もとてもしっかり歌って、素敵な 混声3部合唱を聴かせてくれています。 この彼らの存在があってこそで、先月、11月29日(金)に、第11回定期演奏会を、素敵に素晴らしく、来客の感想も大変良く、大成功に行えました。 ライブ録音を聴いて、更に、「上手だったなあ!」と実感しています。 今回、私は 、日本人作曲の合唱作品中、特に大変素晴らしい名曲集と実感していて、私自身の演奏経験は4回目になるものの、 この合唱団の定演での演奏は2回目になる吉野弘作詞、高田三郎作曲、合唱組曲「心の四季」を取り上げました。この合唱団の団員は、殆んどが70歳代以上で、今後、年齢は上がる一方なので、 この曲集中で、以前の定演では割愛した、合唱もピアノ伴奏も大変な難曲「雪の日に」という10ページになる長い曲の演奏を思い切って、強行しました。 この曲を演奏してこそ、この素敵な素晴らしい合唱曲集を演奏したと公言できる名曲中の名曲と、私は思っていますので。 若くない、どなたもが、一生懸命に取り組み、拒否反応も無く、大変素晴らしく、素敵に演奏してくれまして、私は大変 大変嬉しく満足しています。 この曲集の中で他に、これは前回も演奏しました第1曲と終曲の第7曲を演奏しまして、合計3曲をしっかりまとめられました。また、この高齢者達の合唱団では、可なり以前、5〜6年前から、若い声楽家を合唱の助っ人として、月1〜2回お願いしています。彼らが、たまに若い声で、合唱をリードしてくれるのも大変嬉しく助かっていま して、高齢者の合唱全体が活性化されています。さらに、定演では、当初より毎回、第3ステージをゲストステージとして、プロの演奏家をお招きして 来ました。年齢の高い団員に、連続のステージで、疲れて無理させたくないこともあってなのですが、今回も、大変素晴らしく素敵な、トランペット奏者佐藤秀徳さんと、 正に、レジェンド(legend)というべき?ギター奏者佐藤紀雄さんというお二人をお願いしました。 互いを思いやる響きのアンサンブルも素晴らしく、とても楽しませていただきました。お二人ともプロ演奏家として良く知られている方々が、呼吸を合わせて、心の温まるアンサンブルを聴かせて頂き 、何とも素敵な響きでした。
 聴きに行く演奏会には、 何度か行き、特に、11月に、NHK交響楽団の定演を続けて聴きました。なかでも、H.ブロムシュテット指揮、W.A.モーツァルト作曲「ハ短調」大ミサKV.427が聴きたくて、暫くぶりに、ブロムシュテットさんの指揮を観、この名曲を じっくり聴きました。この時は、モーツァルト・プロで、交響曲「リンツ」と組み合わされていました。私が、以前に主宰していた混声合唱団で、この名曲 「ハ短調」大ミサを演奏してから、なんともう13年も経ってい て、懐かしい思いで聴きました。一般に、しばしば演奏される曲でもなく、むしろ聴く機会の少ない曲ですが、とても懐かしい名曲です。 未完ながら 、モーツァルトのミサ曲では、一番長い大曲で、モーツァルトが作曲した最後のミサ曲です。 続けて、12月初めに、やはり、N饗定期で珍しく鈴木優人氏指揮で、メシアン作品に、コレッリ作品、メンデルスゾーン作品という珍しい取り合わせに惹かれて、行ってみました。 意外に魅力的でなく、物足りない演奏でした。まだ若い指揮者で、これからの充実を願い、応援していきたいです。他に、相模原市民合同演奏会の「モツレク」を聴きました。初めて下車する小田急線相模大野駅より5分ほどの会場でした。大人数でしたが、とても良くまとまった合唱で、ソリストの方々も良く、特にソプラノソリストが、素敵な声で、嬉しかったです。 しばらくぶりの小田急線に、少々遠く初めて下りる駅で、何故か、遠足気分になれ、楽しかったです。「曲がレクイエムだったというのに・・??」 実は、この「死者を悼む曲 」を、教会でなく、コンサートホールで、大人数でお祭り騒ぎのように歌うのは私には抵抗があるのです。5年前まで主宰して活動していた、当初の予定通り、目標としていたJ.S.バッハ の大曲 「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ロ短調」ミサ曲、他よく知られた主なカンタータ(Kantate)と、W.A.モーツァルトの ミサ曲やヴェスペレ(Vesperae)など主な宗教曲を演奏し解散させた混声合唱団では、モーツァルトのハ短調大ミサ初め、戴冠式ミサやヴェスペレ2曲など宗教曲の殆んどを演奏したのですが、この「レクイエム」は、演奏し無いようにしようと決めていました。理由があり、知人の熱心なカトリック信者の女性が、私が混声合唱団を立ち上げて程なくの20数年ほど前のある時、問わず語りで「死者を悼む曲であるレクイエムを、お祭り騒ぎのように大人数で、コンサートホールで歌うのは許せない」と語るのを聞いた時から、私はクリスチャンではないものの、レクイエム(鎮魂曲)は教会のお御堂の中でしっとり歌われるもので、確かに大ホールで大きく響かせて歌うものでは無いのでは?と同感し、私は、そのように考える方がいる限り、演奏すべきでは無いと考えました。ただ、大変大変熱心なカトリック信者でいらっしゃると聞く 世に知られた有名な指揮者が、大きく振りながら、一生懸命に大コンサートホールで演奏なさるのを聴いた事があり、まあ、人それぞれ? ただ、何度も聴いた曲ながら、今回、改めて聴いて感じたことは、死の床に付き添っていたと言われる弟子のジュースマイヤーが未完成の部分を作曲して完成させたと知られる未完成だったこのレクイエムは、ジュースマイヤーによって、曲想も本当によく書かれていて、モーツァルトが作曲したと言っても良いような曲だなあ・・の思いを改めて強くしながら帰路についていました (このレクイエムは、何人もの作曲家によって補筆され、完成されているのですが、やはり、ジュースマイヤーさんの作品が、もっともモーツァルト作風に近いように、 今回聴いて、改めて、私には思えました。) さらに、何度も聴くうちに、やはり名曲! 教会の中でのみ、しっとり聴くより、多くの人々に聴き継がれるのも良いのではとの思いもしています。日本人の場合、歌う方もオケの方々も 、殆んどの方々はクリスチャンではないので、むしろ、ただただ、この名曲を名曲として楽しむのも素晴らしいのではと改めて思えました。
 そこで思い至ったのは、改めて、ウィーンのシュテファン大聖堂でもう一度しっかり聴いて見たい? 実は 随分前、30年ほど前、1991年12月5日W.A.モーツァルトの命日 (1791.12.5)没後200年記念に行われた、教会のいたるところ人人で埋め尽くされた、それはそれは大変盛大な鎮魂ミサで、このレクイエムを 聴きました(もっとも実際には、本番はチケットが入手困難で? 前日の本番さながらのリハーサルを聴いたのですが。それでも、大聖堂の礼拝堂を埋め尽くす人人人・・・でした。) モーツァルトが亡くなった時は、幼少の頃から素晴らしい作曲の才能に恵まれ、1,000曲以上もの名曲を生み出し、並外れた演奏を披露し続けながらも、 ザルツブルク大聖堂のヴァイオリン弾きの息子という当時は家柄の低い貧民階級の者として大変質素に教会の隅で死者の弔いミサが行われました。 シュテファン教会大聖堂の今も残る横合いの小さな出口から運び出されて、ウィーンの共同墓地(マルクト墓地)へ、妻の付き添いも無く、冬の冷たい雨の中をひっそり運ばれ、墓地の貧民階級の死者がまとめて埋められる大穴に放り込まれたため、はっきりした埋葬場所も分らず、まして墓碑も無いと伝えられている。その大聖堂で、私は 、「レクイエム」を聴きました。ウィーンのマルクト墓地に、今、存在する墓碑は、可なり後に作られたもの。従って、正確な埋葬場所は、永遠に不明。(日本でも、つい最近、半世紀ほど前まで?は、役者は、どんなに素晴らしい芸を披露していても「川原こじき (乞食)」と言われ、それぞれの村、町毎に一段低い階級と見做されていた?) たまたまのツァーに参加して、大聖堂でのG.ショルティー指揮ウィーンフィルとウィーン国立歌劇団合唱団の演奏で、命日当日は、全世界に宇宙中継された演奏でした。あの大きく広い大聖堂の中のはるかに見上げるコシック建築の上方まで、到るところが人人で埋め尽くされ 、大変大変大掛かりに、様々なコードが張り巡らされ、マイクやスピーカーが沢山沢山セッティングされ、宇宙中継の準備が、びっくりの大変多くの方々で大変念入りになされていた様子で、演奏前のリハーサルの打ち合わせ をほんの傍で見聞き出来た、それはそれは大掛かりな演奏会でした。特別の舞台は無く、 ミサ参列者席を少し変えて、合唱団やオーケストラのスペースを作り、指揮者の立ち台を作ったにわか作りのセッティングでした。 さらに、私達の席が指揮者のごく近くで、残念ながら、指揮者の立ち台が少し後方になっていたのですが、振り向きながら、本当にま近かで、ショルティーの指揮の様子をじっくり観られる初めてで ただ一度の大変貴重な経験をしました。合唱団もオーケストラも直ぐ間近でした。 ただ当時、私は、まだまだ、「レクイエム」については勿論、指揮についても、合唱についても、未熟で、折角の大変貴重な機会であったながら、十分には吸収、理解出来ていなかったと残念に思っています。 勿論今もって、充分とは言いがたいのですが・・  いつまでも、充分とはなり得ない・・ (ただ、充分とはどのように・・? 自身ではそれなりにと思ってはいるのですが・・) さらに、未熟な私の記憶ですが、余りに多くの人々の参列でざわざわしていて、厳粛なはずの鎮魂ミサも落ち着かず、「レクイエム」の演奏も、ソリストも合唱も?物足りなく感じました 。たしか、後のマスコミなどの論調では、大変褒めてあったような・・・ ただ、世界中への衛星放送の準備の様子など観察し、 目の前で、ショルティーの指揮が見られ、直ぐ傍での演奏を聴かれたのは大変素敵な経験でした。本番前日のリハーサルではあったのですが・・?  勿論、そのような歴史的行事を目の当たりに見聴き出来た事は、大変貴重な経験であり、すばらしい思い出になっています。

 11月12日(火)2019 {書き始めた日時 8月 24日(土)2019}

 随分前に書き始めてから、なんと3ヶ月になりつつ・・です??  此処からは、今年8月に書き始めた部分です。{今年(2019)も、8月6日が巡ってきました。さらに、8月9日、日本人は決して忘れてはいけない、又決して忘れられない残酷な記録の日です。私は、決してアメリカを許しません。 ささやかな抵抗ながら、私は、ただの物見遊山のアメリカ旅行には決して行きません。 私の場合、今もって、アメリカに行く必要なことは全くありませんので、アメリカには行ったことも無く、ただの旅行では今後も絶対に行きません。 ただやはり、アメリカは世界をリードし続けている国で現代において、世界の文化の様々な分野で優れています 。第2次世界大戦中から戦後にも大変多くのユダヤ系ドイツ人が移住し、今もって、アメリカ全人口では ごく少数のユダヤ人達が最上層に位置し、すべてにおいてアメリカ全体をリードし続けている??? 現在のトランプ大統領のトップブレーンにも。アメリカでは、最近、中国系や韓国系の方々も随分多くなっているとか。 いずれも並外れて優秀な能力の持ち主達の様子? 日本の若者達にも期待しているのですが? 日本の若者達は安泰な日本に浸って、余り外国、アメリカなどに行きたがらないとか・・  日本の国力を上げるには、是非とも、どんどん海外に行って、特にアメリカの最先端で研鑽を積み、活躍していただきたいのですが。この80歳を越えて、もうすっかりおばあさんの強い願いで あり、祈りです。
 ところで、話を昔に戻します。 第2次世界大戦が、三国同盟の中で、最後まで粘っていた日本の無残な敗北で漸く終わったのが、1945年8月15日です (実際には、終わっていなかった地域もあったとか? 例えば、千島列島などでも。)。 山の中を除いて日本中、「ウンカ」の大群のごとく押し寄せたアメリカ軍機によって、特に広島・長崎を初め、東京大阪神戸横浜など大都市、地方まで、都市という都市がめちゃくちゃに破壊しつくされました。 どれだけ多くの方々がお亡くなりになったでしょう? そこからの驚異的な復興です。 幸い生き残った大正の終わりから昭和1桁生まれの当時もっとも活力のあった若い方々(現在、80歳代後半から90歳代)の正に驚異的な頑張りに負うところが大変大きいと私は思っています。 続いて、1945年(昭和25年)朝鮮動乱です。いろいろ異論はあるようですが、この戦争のお陰?で、日本はかなり急速に復活することになった様子です(戦争特需景気?)。 更に今もって、朝鮮半島が南北に分裂している状態は、日本に大きく利している様子です(ごく最近、南北朝鮮は統一しなくては?といわれたりしています。政治状況が全く違うのでその実現の程は? ただ、統一されると人口も多く、国力が増すことは、確実でしょう。日本はのんびりして 居られません? 若者達の頑張りに期待します。おばあさんは、ただただ祈る思いです。)
 ところで、幸い、私は、ひどい、非道過ぎる、残酷な戦争の実際ーひどい空襲、外地における虐待や死線を彷徨うなどーは、全く経験していません。私は国民学校(小学)2年の昭和20年(1945)3月3日のひな祭りの直後、3月6日か7日頃?、当時住んでいた中国、南京市を出発し、日本国政府からのすべての日本人婦女子の帰国命令に従い、帰国することになりました。一緒に帰国できない父が 、日本(内地と言っていた)への帰国を万端手配して、大河揚子江の南京港まで見送りに来てくれました。別れ際に、父が母に日本に送ったのは大荷物8個、小荷物?と何度か念を押し 、帰国した頃には送った荷物は全て届いていると、さらに、日本の同じ方面ー兵庫県と京都府ーに帰る同行の家族が一緒なので、心強く大丈夫と、繰り返し言い伝えていました声が今も何となく耳の奥に残っています (ところが、日本では既に、荷物が届くようなのどかな時期ではなかったのです・・?)。(日本国の方針で、中学生以上の男性は後に残ることになった・・・後に残る当時 大日本南京中学校?1年?だった兄ーもう亡くなって、10年になります?ーが学校に行って留守の間の出発でした。 帰宅後、母や下の妹弟がいなくなったがらんとした広い自宅の中・・当時、3階建の大変大きな洋館に住んでいました・・、まだ幼い、中学1年生でどんなにか寂しかったでしょうと、もうあれから74年も経つ今もって可哀想に思います。・・・父は1979年,母は1965年それぞれ亡くなって、半世紀になりつつ?) 1945年(昭和20年)頃(戦争終結の年の春3月)は、北京行き鉄道に乗る場合、対岸の鉄道終着駅浦口に船で渡ってから、鉄路北京行きに乗っていました。( ここには、第2次世界大戦後4半世紀、1968年(昭和43年)に橋が架けられ、以後列車で渡れるようになっています。私は、何とか是非1度と願いつつ、今もって再訪していません。 )ただ、私達家族が、初めて中国に渡ったのが、第2次大戦中1942年(昭和17年)2月末か3月初め頃、もう戦況は翳りかけていたはずですが、新聞やラジオでは日本国民を意気軒昂に煽り立てていた様子で、日本人達は、夢を抱いて、まだまだ沢山大陸へ渡っていたようです 。特に、関東軍が守っているので絶対安全と言われた中国東北地域へは 、なんと終戦直前1945年8月になってからまで、日本での財産を処分して、夢を抱いて満州方面に渡っていった方々がいたとか?? 時の日本政府のその罪深い宣伝・行い、あきれる無責任さに、今もって憤りを覚えています。ところで、私達家族 が、父の仕事(軍属ではなく、教育関係)のため、初めて中国に行った時は、客船氷川丸で、確か神戸港から上海港へ。上海からは陸路南京へ行っています (上海市は、揚子江の河口にある町です。到着した時、船内に知らせがあり、大勢で上海港を見に甲板に出ました。眼下の海の色が、揚子江からの流れが広がるに従って、茶色の泥水から青い海の水色に変化する様を、5歳ながら珍しいと鮮やかに記憶しています。戦争中だったにもかかわらず、途中、何事も無く、大変安泰で、南京到着後は、( 南京駅のはずですが、駅の記憶が全くありません?? 汽車に乗った記憶もかすかな?ような)待っていて下さった日本人の女性(ほかにそこまで連れて行って下さった男性の存在の記憶があるような?)が大変親切に 、私が住むはずの住まいへ、 もう日が暮れて暗くなっていたよう?でしたが案内して下さいました。初めは、{とくりんそん〔村?〕}という、塀に囲まれた敷地に、日本人の住まいが、たしか4軒ほどある中の1軒 (確か2階建)に落ち着きました。確か東隣には、2〜3歳の小さな可愛い女の子がいる若いおばさんのお宅で、住んでいた期間は短かったはずですが、まだ就学前でもあって、しばしば遊びに行き、そのおばさんは明るい女性で、可愛がって下さいました。レンコンを生のままスライスして食べると体に良いとか教えていただき、食べさせていただきました。しゃきしゃきして甘味があり、まずまず美味しかったです。日本人なのですが、日本のどこの出身なのか、おじさんがいらっしゃったような?他のご家族など全く記憶にありません。 一番記憶しているのは、住み始めて、間もなく?このお宅の可愛い女の子が亡くなり、缶入りの飴?を全部食べてしまい、そのため、胃からの出血多量で、体調が悪くなり亡くなったとか? 母から、飴など甘いものをやたら食べ過ぎないようにと(胃から血が出る?? つまり胃潰瘍になって出血する??)。また、他の住まいの方々も、殆んど記憶にありません 。それから程なく、南京市の西方に位置した「漠愁路」という広い道路に沿った日本国南京高等女学校?の敷地内の校長官舎に引っ越しました。 初めは、黒い瓦屋根の(たしか?)日本風の家に住み始めました。可なり大きな家だったように記憶しています。その後、少し西方隣、垣根の向こうの敷地にあった玄関が3ヶ所ある大きな2階か3階建の洋館 (多分、西洋人家族がかって住んでいた様子)に引っ越しました。今まで住んでいた黒瓦の屋根の家には、教頭先生一家(確か?角田先生?)が日本から来られ、住まわれました。 それら女学校の敷地は、校長官舎や先生方の宿舎?学生の寮、運動場など もある、可なり広い敷地で、周囲全体が可なり高い4メートル?程のレンガ塀?に、ぐるりと囲まれていました。中には、クリークと呼ばれた可なり大きな池もあり、 大きな魚(日本で言う「いとう」に似た大型魚)が住んでいて、ある時、その一匹?を釣り上げて分配されましたが、大変泥臭くて食するには全く向いていなかったようで (日本のお堀などで捕獲される鯉なども同様のようとか?)。また 豚舎があり、飼っていた黒い豚を殺処理しようと、使用人の中国人が5〜6人で取り掛かっていたら、逃げ出して、「キーキー」と凄い声をして、敷地の周りの塀伝いに逃げ回り、 やっと取り押さえて、肉が配分され、確か、味噌鍋にしましたが、母はあの可哀想な声が耳に残り、とても食べられないと言っていました。 当時、家に来ていた中国人のメイドさんが料理してくれたような??? 私は食べたかどうか定かではありません。ただ、中国人達は平気だった風に私に は思えました。この女学校の敷地の入り口は、門になっていて、常時、中国人の中年男性の守衛さん達が門脇の部屋で5 〜6人ほどいた様子です。朝登校時・午後下校時、門を通る度に、にこにこしてくれる方と、子供にも感じられる「ふん!」という感じでにらみ返されることもありました 。何故だろうと? 多分、中国人の複雑な感情だったのでしょうと後に理解しました。毎朝、一人でこの門(女学校の校門でもあった?朝は、通学の女学生が登校してくる・・)を通り、 塀の外の中国人の家並みがごちゃごちゃと続く街を通って、通学していました。1年生の子供の足で、30分ほどだったでしょうか? 結構遠かったようです。 すごくのんびり歩いて、遅刻することも全く気にしていなかった様子でした。親も至極のんびりで、私を充分間に合うよう、家から送り出すこともしなかった様子で、遅刻して登校しても、先生にご注意を受けたり、親に連絡があった様子も 全く記憶にありませんでした? 今思うと何とも呆れるのどかさです?? 下校時帰ってきて、しばしば門を通ると、殆んどの守衛(何とか呼んでいましたが忘れました?ー男衆のこと?・・・女性の使用人は、確か「くうにゃん  クーニャン」といっていたような?)さん達がニコニコして見てくれましたが、やはり、1〜2名は怖い顔でにらむように見られていたような・・(戦争中にも拘らず、日本人の小さな子供が、 可愛い洋服など来て、いっぱし贅沢に暮らしている??複雑な心境だったのでしょう?と今になって思いを馳せます。)私は、大日本南京第三国民学校(?)に入学し、2年まで通いました。 途中、同級生のお宅で遊んで、そこのお母さんが作ってくださった「ドーナツ」を袋一杯頂いて帰り、道々可なり食べてしまい、母に注意されたり・・ (お腹をこわした記憶はありません?)やはり、帰宅途中、大通り(南北に通る中山路に面した台湾出身の餃子などを作っていた大きな店の同じクラスでした女の子とも仲良しで、帰宅途中に寄って、おやつに湯気のたつ蒸籠から、餃子?を一つ頂いて食べてとても美味しかったこと(いまだに?? 印象深く、美味しかった??「チャオズ」と呼んでいたような?? 形が、日本で作る形ではなく、確か、三角か四角のような???)更に、「コジマさん、又は、オジマさん」という同級の女の子のお宅にも、帰宅途中にしばしば寄って、遊んでから帰りました(このお宅 の台所は、当時珍しく?確か電化されていたようで、ニクロム線が渦巻く電気コンロが、現在のガス台のように、三角形か四角形に3個又は4個ほど並んでいて、大変珍しいと見ていました)。 このご家族は、私達より早く昭和19年の中に、帰国なさいました 。昭和19年頃からインドネシアなど南方方面の日本軍の緊迫してきた戦況により、南支(中国の南方面、揚子江より南)の婦女子に強制帰国命令が出され、 早々と昭和19年には、クラスの可なりが帰国した様子でした。少なくともクラスの三分の一ほど 。教室の中が、少しずつがらんと空いていく様子でした。・・・ただ、どなたも、その後の日本での消息は、全く不明のままです?? 大体どちらの方面へ帰国なさったかも全く分りません。 さて、どうなさったかしら?と、時々折に触れ、今も思い巡らします(もし、ご存命でも、私同様、すっかりおじいさんおばあさんですね・・)。(昭和19年ころから20年にかけて、ごく田舎以外、日本全土 、いたる所で、米軍の猛烈な襲撃が続いたようですので? さて・・??? )。 昭和20(1945)年3月、私達も帰国することになりました。(一体、あれから何年の年月が経って行っているでしょう?ーー今年は、2019年ーー両親は共に半世紀以上ほども前に亡くなっています!!)。 揚子江を船で対岸の浦口まで渡り、多分ここで?日本に帰国する二家族ほど?と同行することになり、列車で北京まで乗り続けました (何時間だったか、どんな旅だったか、全く記憶がありません?)。北京では、同行の いずれも子連れの主婦達と 共に、母はバケットなどのフランスパンな、これからの旅に備えての食糧を調達し(戦争中ながら、北京の町では入手出来た??)、 乗る予定の列車便を待って?数日間滞在していました(旅館でもなく?数階建ての大きな建物で、私達以外に、どなたかいたような? はっきりした宿泊所の記憶が曖昧です)。 私達が乗れる 朝鮮半島を南下する列車便を待っていたようです? 10人足らず?7,8人はいた同行家族の子供達の中で、小学2年生の私は最年長だった様子です??  買い物外出の母達の帰りを待つ間に、ノー天気な私は母が私達子供のためと持参していた可なり大きな缶入りのキャンディー(当時、日本では全く無くなっていた様子で、南京では入手出来た)を 気前良く配布してしまい、後で母に怒られました。お陰で、以後おやつ無しになりました(日本に帰国後は、戦後可なり経つまで全く見ることの無くなったキャンディーでした。 南京在住中は、とくに珍しくなかったので、私は、いつでも手に入るものと、気楽に思ってい たようです)。 多分、帰国の列車を待つ間、北京滞在中の数日間に、戦争中ながら、私達一行はのんびりのどかに故宮(紫禁城)を見物しました。大変広い敷地に、白い玉砂利が敷き詰められ、私の記憶では、その日は、全天、真っ青の空が広がる快晴の 素晴らしく良いお天気でした(北京の街は、空襲も無く、大変穏やかでした)。 赤く塗られた柱や板壁で造られた広大な美しい建物で、兵士の装束をつけた大変多くの人形や様々な武具などが沢山沢山陳列されていて、良く分からないままながら、一通り、 広い広いお城内をゆっくり巡って見学しました。戦争中にもかかわらず、故宮では、人も少なく静かで、誰もが安全にのんびり見学できる様子でした。お城の後方近くに紫禁山が聳えていました (小学2年の私には、これくらいしか記憶に残っていません。−−残念!!)。やがて、同行の3家族は列車に乗り、一路、朝鮮半島最南端の釜山を目指しました。何時間かかったかは全く記憶にありません。 途中、列車は襲撃を受けるかも知れ無いからと、光が漏れないよう窓のカーテンを開けないよう 、乗車していた車掌?軍服を着てたような?男性に厳しく?指示されました(ただ、ちょっと考えても、当時は、蒸気機関車の列車です。窓の光が漏れなくても、大音響で列車は走っていたはずで、その動きは誰もが知ったはずです??)。 何となく怖いような気持ちがあり 、声をひそめる様にしていましたが、兎も角、朝鮮半島を南下する列車で無事に釜山に到着しました。程なく、日本行きの船に乗り、下関に向かいました。 釜山港では、何となく目した記憶にあるのですが、多くの梱包された荷物は、それはそれは沢山、山積みにされていた様子です。その日は、雨模様だったような・・?  それらを目にして、誰言うことなく、日本向けの荷物だと口々に言っていたようです。私も、今もって、あの中に私達の荷物もあったに違いないと思っています(あの中に、 二度と会えず仕舞いの、届かなかったお雛様も! お正月に着た振袖の着物もこっぽり下駄も。箪笥や家財道具、衣類、家族の物すべて!)。 結局、父が、どなたか(多分同僚)?と一生懸命に荷造りしてくれた沢山の荷物は全く届きませんでした? (どうしてそんなに沢山のものを南京に持っていったのかしら? 現地の事情が分らなかった? 当時、現地で揃えるのは難しく、ある程度、持って行かざるを得なかったなどでしょうか)私達は、当時良く言われたように、正に、 身の回りのものを少しだけ手荷物で裸一貫での帰国でした。 船で対馬海峡を何事も無く 穏やかに通過して、雨にぬれる下関港に到着、以後、山陽本線を、広島(5ヶ月後の原爆投下など知る由も無く)、岡山を通り過ぎ、神戸に向かって、また何事も無く通過、福知山線に乗り換えて、父親の郷里、丹波篠山に無事たどり着きました。 途中、南京からの同行家族の方々とどこで別れたのか記憶がはっきりしませんが、確か、京都府北部の方達だったようでしたので、私達は福知山線へ乗り換える為、山陽本線尼崎駅辺りで別れたような? ただ、大人たちが互いに、「では、ご無事で・・」?のような言葉を交わしていたように記憶しています。ところで、この対馬海峡を渡っている時 (後で理解するのですが)、突然、歓声が沸き、乗客達が大変嬉しそうに「内地だ!内地だ! 」(南京在住の日本人間では、日本の国のことを「内地」と言っていました)・・・・・(反対に、日本国内では、外国のことを「外地」と言っていました。)と口々に大声で叫ぶのを聞きました (その嬉しそうな大声が、何十年も経った今も印象深く耳に残っています)。何事だろうと思って、甲板に上がると陸地が見え、「あ ぁ!日本に着いたのか」と思いましたが、やがて、その島を通り過ぎ、可なり経って、漸く下関港に着きました。後で、あれは対馬列島の傍を通ったんだと理解しました。 父の郷里、丹波篠山の父の弟次男の叔父宅にたどり着いたのは、多分、1945年3月1?日で、直前くらいの3月10日に、空前の東京大空襲があった様に、大人たちが話していました。 以後、父の帰りを待ちつつ、叔父宅の離れ2階の4畳半の座敷に、母、私、4歳下と7歳下の弟二人と4人で暮らさせていただきました。他に、父の兄弟 ー尼崎と大阪?に住んでいた3男と4男ーの2家族も疎開と称して寄宿していました。末っ子4男叔父の奥さんの姉妹家族も一緒だったような?? 当時、田舎の親類・知人を頼るのは当たり前の様子ながら、特に多かったかも?  多分総勢14,5人が世話になっていた様子です。後年になって、母が、「いろいろ苦労も多く、それはそれはつらく大変だったけれど、叔父さんは、急に押しかけた大人数を 、住まいと食料の面倒も、不足がちで少しずつではあっても世話して下さった。感謝しなければ・・」と、述懐していました。私達は、南京に送らず、叔父宅で預かって頂いていた「たんす」など僅かな家財で、何とか生活する様子でした。叔父からお米など僅かに分けていただき、私が毎日野草を摘んで夕食を作り、母は、文字通り朝から日の暮れまで汗まみれになって、叔父と共に田んぼや畑で働く毎日でした(叔父の奥さんー叔母ーはとても小柄な方でしたが、余り野良に出ていなかったように記憶しています?? ー田舎には珍しい女学校出身とか?で、農業作業に慣れていなかった?? 私の母は明治生まれで、叔母より可なり年長ですが、当時としては珍しく、女学校から上のお裁縫?の専門学校?に2年ほど通ったとか? 農業など全く経験がなかったよう?? 父の実家であっても居候させて頂いていたので、母も必死だったのでしょう・・!子供を3人も抱えて、父親が無事帰国して来るかどうか?心無いうわさも聞かれる中で、本当に可哀想だったと今思っても心が痛みます。)当時存命でした父の母親、私達の祖母は、もう60歳代半ば過ぎだったでしょうが、とても元気そうで、子供の私の目にもそれはそれは働き者でした (ただ、叔父に遠慮があったのか?同じ孫の私達には、余り、心遣いして頂けなかった??)。 祖母は、 昔は特に田舎でもあって、味噌・醤油は勿論、水あめやこんにゃく、豆腐なども自前で作っていました。畑では、綿の木を栽培し、家の中では、「お蚕さん (養蚕)ーとさん付けで呼んでいました?」を育てて、木綿糸や絹糸を紡ぎ、作業場に置かれていた「はた織機」で反物をせっせと織り、綿布や絹織物にし、 自分の着る着物など を仕立てて、全て自分でする、正に自給自足の生活でした(戦争中だったからか?使用人などは、全くいませんでした。村でも有数の財産家でしたが・・)。祖母は、もう60代(今とは寿命年齢が全く違っていました)でしたが、寝る時以外、 一日中絶えず働き続けている、思い出す度、今もって感心する、記憶に残る、頭脳明晰な大変な働き者でした。 この祖母の実家は、父の実家より、少し離れた田舎の村で、可なりの素封家(父の実家も、村で有数の素封家でした)だったようですが、女の子には学問は要らないという事で、当時は学校には 小学4年までで、それも余り通わせていただけなかった様子で、ちょっと残念そうに、自分からそのように話していました。毎日配達される新聞(神戸新聞でした 。当時の新聞は、今のようにひら仮名表記ではなく、漢字以外はカタカナ表記だった?いつ頃まででしたでしょうか?)も、カタカナしか読めないので、 漢字混じりの文章は、何が書いてあるのか全く分らないと、ある時、当時4年生の私が配達されたばかりの新聞を手にしていたら、少し残念そうに私に話していました 。 ただ、私には、それほど悔しそうでにも見えませんでした (ただ、小さい女の子が届いたばかりの新聞を、一家の主人である叔父より先に新聞を見るとは生意気??と注意されてから、以後、全く読まなくなりました???)。 祖母は、学校へ通わせてもらえなかった代わりに、自給自足出来るだけの家事を徹底的に仕込まれたとかで、当時 、まだ60歳代ながら 腰が少し曲がり、おばあさんの風情でしたが、今思っても、思い出す度に深く感心する気持ちを新たにします。本当に非常に頭の良い、田舎で育った大変有能なマルチプレイヤーのおばあさんでした。 以後、他にお目にかかった経験の無い、素晴らしく素敵な、正に凄い女性でした。私の大学2年?頃に、 一族に、「長生きやったなあ!」と感嘆されつつ、確か77歳で亡くなりました。昭和31〜2年頃でしたかしら? 学生の私は、全く余裕の無い東京在住でしたし、汽車に乗る交通費が負担になる のでと知らせは無く、夏休みで帰宅して、初めて知らされました。当時としては、大変長命と言われたようです。 私の記憶にある、このおばあさんの唯一の弱点は、お魚の「さば」(海から離れた田舎で、勿論塩漬けだったはず?)が、大変好きだったようです (関西人の多くは、「さば」好きです?)。冷蔵庫など夢の夢の時代、山の中で海の魚が手に入るのは本当に珍しく、ごく稀に行商から買うと「さば寿司」にして、食べるのが大変楽しみだったようです。 ところが、私の知る限りでも、夜中になると決まって食中毒?のような症状を訴え(さばアレルギー?だったかも??)、家族中が目覚め、大騒ぎになるのでしたー私達も、 一族全員が。 (ただ、叔父一家の他の家族も食べたはずですが、無事だった様子です? 私達はお相伴に預かることは全くありませんでしたので、勿論無事です)。 幸い、当時、直ぐ裏のお宅に疎開していた?可なり高齢の男性のお医者様がいて、直ぐ往診して下さっていました。夜中でも直ぐ来てくださって、どういう処置だったか何か注射 ?をしていただくと、しばらくして落ち着き、一同、やれやれと再び寝るということを繰り返しました。ただ、何度?でもなく、 私達が住んでいた2年ほどの間に2回?か、ほんの数回くらいだったでしょうか?のような???  冷蔵庫や冷凍技術などずっ〜と後で、当時日本海や瀬戸内海から遠い山の中で、陸路運ばれる生魚など(塩漬けだったかも??)大変珍しく、 叔父などは、「買わないように、食べないようにと忠告しているのに・・・・」とか愚痴っていた様子です。 今は、私も祖母の年齢を越えてはるか、当時の親類の皆様もとっくに亡くなり、遠い遠い思い出になっています。 ただ、殆んど、畑にも出ず、家事もどのくらい出来たか?大変なお嬢様に育てられていたと聞いた叔母(当主の叔父の奥さん)が、働き者の祖母の傍で、 人知れず苦労もあったかもながら、が、今もって、 ただ一人、もう100歳ほど?過ぎ?ながら、ご存命の様子です。正に、ひとそれぞれでしょうか? (察するに、この叔母は、女学校−多分4年?ーを卒業してー今の中卒+1年くらい?−、直ぐお輿入れだった様子??・・・昔は、その年齢での結婚はごく当たり前で全く珍しくなかった。むしろ、女性 〔昔は、[女]と言われ、[女]に学問教育は不必要、変にえらそうになって、学問は邪魔とも言われたようで、女学校卒は田舎では可なり珍しく、さらに、文明の利器ミシンをお嫁入り道具で持参されたのも、当時は珍しかったらしく、噂になったような・・? )もっとも、戦後直ぐの頃から駐留していたアメリカ政府の方針(多分?)で、義務教育年限が、小学校までではなく中学3年までとなり、全ての日本国民は男女区別無く、同じ教育を受けられるよう制度化されました。(戦前は、「男女7歳にして同席すべからず」とか?男女別学だった様子。 中学校と女学校と) もっとも東北地方では、今でも、公立高校が女子校男子校となっている??? 当時、叔父宅の畑を隔てた前方、東方の大工さん宅の末娘さんで仲の良かったお姉さんが、 ある時「これからは女の私も、いままでは、義務教育が小学校6年までだったところ、中学3年までになり、長く勉強が出来るようになる」と、 にこにこしながら、とても嬉しそうに話していたのが、何のことかな?と思いつつ、あまりに嬉しそうだったので、 面長な顔の、その表情が今も大変印象に残っています(昭和21年頃のこと?)。(とても性格の温かい、優しいお姉さんで、良く遊んでもらいましたー「ともこさん」といいました。 その名前の文字は分りません。)父が、兄と共に、昭和21年5月に、帰国してくれ、一家の暮らしは正に一変しました。帰国して、直ぐに来客があり、父に、教員の仕事の誘いがあって、就職しました。しばらくして父も落ち着いてきて、住む家も用意してくれ、昭和22年秋、一家は、山の中の村から城下町篠山町に引越しました。私も転校し、野草摘みや夕食作りから、すっかり開放されました。小学校5年の2学期でした(当時、昭和22年敗戦 の翌々年、都会は勿論、田舎も日本中、まだまだ貧しく、筆舌し難い苦労の続いていた方々が数限りなくいたはずです。)私は、もう帰ってこないだろうとの心無いうわさも聞かれながら、父と兄が無事帰国してくれたことが、筆舌に尽くしがたい、私の人生で 最高・最大の神の恵みでした・・・今に至るまで、人生で最も素晴らしい最大の恵みと神に 深く強く感謝しています。城下町篠山に居を構えてからは、家族7人、近くの借りた空き地に畑を作り、一家で、トマト、きゅうり、茄子、かぼちゃなどなど、庭先では、ほうれん草や小松菜など青菜、穴を掘ってもやし作りなど、食糧増産に励みました。といっても、私は、トマトやきゅうり、茄子などの収穫などのただの手伝いで、父親や母親が中心で励んでくれていました。兄も時々、父に言われ、父と共に、肥え桶を担いで、畑に撒きに行っていました (ただ、兄は、丁度、大学受験勉強中であり、余り負担にならないようにと家族で思いやっていました。かくて、専ら、父母の働きでした。) 私には11歳も年長の姉がいるのですが、姉は、一時街中で、出身が東京家政専門学校(戦後、女子大学になる)だったので、洋裁教室を開いたり、後に、中学校に教師として勤めていました。 それなりに、家事もやってくれていたはずです。・・・当時は、田畑の肥料は日本中、専ら、人間の糞尿でした。 畑や田んぼでは、匂うのは当たり前と思われていましたが、次第に何とかしなければとなっていきました。(駐留していた米軍に言われもしたとか?・・・・・ただ、外国もトイレ事情は余り変わりなかったのでは? 糞尿をそのまま田畑に散布するのは、外国ではどのようだったのでしょう??)私が、昭和38年(1963)、 ここ東京、調布に住むようになってからも、トイレには、糞尿を溜める便つぼがあり、定期的に、汲み出してくれる業者が回ってきてくれていて、有料でした(回数券があったような?)。 今のように、水洗になるのは、ずっとずっと後?今から3,40年前ほどから??(もう戦後は、1945〜今年2019で74年になります。戦後生まれが、70歳を越えています。) 更に、全面的に、Washletになるなどはごく最近???・・・今では、大抵の公共のトイレは、駅中もウォッシュレットWashletになり、何とも素晴らしく、大変快適で安心です。 ・・・世界でも、群を抜いて、日本のトイレ事情は清潔で素晴らしいです。私の経験では、しばらく前ですが、ベルリンやウィーンなどヨーロッパの素敵な印象の町でも、トイレ事情は 、びっくり残念な状態でした??(現在、日本ほど、大抵のところでウォッシュレットの清潔なトイレになっている国は珍しいと思います。本当に嬉しい・・  世界に自慢できます。)
  合唱団「コール・まどか」さんの11回目の演奏会が、少しずつ近づいてきます。目下、8月後半 現在、旅行に行く方などなど、のんびりで、出席もいくらか少ないのですが、今週 (8月)21日(水)など、多く無い人数で、年齢も立派なお年の方々ながら、気が付けば、とても良い声で素敵に歌ってくれ、失礼かも?ながら、「わぁ!うまい!」と、嬉しく感心しました。兎に角、先ずは楽しく!楽しく!のんびりとのどかに・・・ 結構難しい「心の四季」ながら、何事も無く、練習が進んでいます。「いいなあ!!」(・・・ネットに載せるのが、大変遅くなり、時期がずれています。9/28 2019)・・・・・更にずれて、もう11月! 「コール・まどか」さんの11回目の演奏会が月末27日に迫っています。このブログのような文章をなるべく正確にと思案しているうちに、3ヶ月ほども過ぎました・・・? 途中、天皇陛下のご即位の式典など、国内外からの大勢の賓客の来日があり、ラグビーのワールド・カップがあり、日本は初めて8強に残れました。全く、知識は無いのですが、歴史的快挙だとか!! 世の中、少しずつ変化しています。

 

 7月 27日(土)2019

 もう7月も終わりで、梅雨明け間近の陽気です(梅雨明け? 随分遅れている様子?)。 突然、突発的?に緑内障発作の危険があると言われ、びっくり仰天した昨年3月以来、大学病院など何箇所かの眼科医を訪ね、ネットでも、緑内障・白内障治療についての検索に明け暮れ、季節の変わり目を余り意識しない内に、今年は過ぎて来た様子です。気が付くと、今年ももう半ば過ぎ、7月です。勿論、「令和」になった、時代の移り変わりは、当然ながら意識していますが・・ そう、その白内障です??  昨年3月に、何となく近場で、ちょっとした目のかゆみなどで目薬を処方して頂いていた眼科医院で、いきなり緑内障の恐れを忠告され、そのリスクを避けるため、白内障の手術を是非すべきと言われ、本当に仰天して以来、その真偽の程を知りたくて、個人医院や大学病院など眼科の受診を重ねた結果、緑内障の恐れがあるのは、「本当」と結論付けられ、仕方なく、理解しました。 特に、視力の異常も不自由も無く、たまに感じるかゆみなどのため、目薬を処方して頂いていた位でしたのが、突然、緑内障発作の危険を指摘され、視力がまずまず普通にあり、特段目の異常も感じず、今まで何も忠告もされ無かったのに、何故?? 5ヶ所くらいの眼科を受診した結果、私の眼球の構造が、緑内障発作を起こしやすい構造であることを初めて指摘されました。更に、やはり加齢のためとの事??? 何箇所かの眼科を受診して1年を過ぎた今年春頃から、漸く仕方が無いと観念し、手術を受けることにしました。 そこで、今度は、どこで受けるか? 個人医院で日帰り手術も普通になされているとか???  私は、アレルギー体質で、食物や薬など、可なり多くのアレルギー反応の症状のリスクを経験しているので、しっかり対応していただけるようにと、大学病院を受診しました。 その結果、漸く、多少予約待ちもありましたが、6月に左目、先日7月半ばに右目の手術を無事?終えました。 遥か昔の出産入院以来、更に、手術などは、??十年前に虫垂炎を受けて以来、幸いなことに、入院などしたことなく、どうかしら?と思いましたが、 結果は、まあ案ずるより生むが易しの様子です。視力は、担当医の言葉通り、眼鏡は特に要らずで、視力は術前と殆んど変わりなく、裸眼で、0.5くらい からまずまず1.0くらいのようです。目を細めるともう 少し見える様子す。カルテの私の病名は、「未熟白内障」???となっていました。 初めて見る?聞く?言葉です。調べると、ごく普通の白内障のことのようです。つまりは、「お年、相応・・」ということです。全ては終わりましたので、気分が落ち着いています。 さあ!秋の合唱団「コール・まどか」さんの11回目の演奏会に向け、準備です。 私が、気持ちが落ち着かなく過ごしている間にも、ささやかな庭では、5月には、つつじの「おおむらさき」、6月には、額アジサイが素晴らしく沢山青い花を付けてくれ、 目下は、水引草や日光キスゲが次々花を咲かせてくれています。 両方とも、大変発芽率の高い花で、昨年落ちた種から、今年は沢山芽が育ち、目下、花盛りです。 さらに、昨年6月ごろ?、一枝頂いた大変珍しく、11月頃になっても花瓶の中で白い根を無数に張っていた額アジサイを、 秋深くなって、庭の植木鉢に差しておいたら、 しっかり根付いて、春に芽を出してくれました。ところが、今は、なんと、何故か昨年の青色と違って、華やかな可愛いピンクの花を咲かせてくれてい ます??????? しかも花びらは額アジサイ風ではあるのですが、そうでも無く??? 形状も違って!こんなことがあるのでしょうか??? 自然の妙です!  アジサイという花は、固体差が大変ある様子で、両隣のお宅の花と我が家の花、ご近所の花、それぞれに、全くといってよいほど花の形態が違い、色も様々で、改めてびっくりです。 全く 肥料もやらず、せいぜい水を切らさないようにくらいの手入れで、本当に楽しませてくれています。心から感謝です!! 自然の威力ですね。
  合唱団「コール・まどか」さんの第11回演奏会の準備を進めています。団員数も20数人であまり増えず、年齢も少しずつ加わる合唱団ですが、どなたも休まず、練習に励んでいます。 私は、とても素晴らしいと思っています。役員さんたちも一生懸命に努めてくれています。混声3部、3つの各パートを3人の若い助っ人達が楽しんで助けてくれています。立派にお年の方ばかりの人数も多く無い合唱団ですので、団員だけでは成り立ち難く、各パート一人ずつ 計3人ですが、若い声楽家の声は大変助かっています。 勿論、先ずは楽しんで声を出すことが第一です。 いつもいつも、私は、団員達どなたもよく歌ってくれるなあと感心しています。この合唱団の演奏会には、第1回目より今度で11回目、毎回、ゲストをお招きして、第3ステージを組んでいます。 今回も、大変素晴らしいプロ演奏家に決まりました。本当にすばらしいのです!! トランペット奏者佐藤秀徳さんと、まさにレジェンド、ギターリスト佐藤紀雄さんです。 このお二人の演奏を聴きにだけでもお運びいただいても素晴らしいと思います。とくに、お願いして、私の好きな ニニ・ロッソ作曲「夜空のトランペット」をレパートリーに入れて頂くことにしました。 勿論、合唱も楽しい、素敵な曲が並びます。 演奏会のメイン第2ステージの合唱曲「心の四季」は、この合唱団では、今回で2度目の演奏になりますが、以前の演奏会では割愛した、長く、可なり難曲の「雪の日に」に挑戦しています。 是非、多くの方に聴いて頂けますよう期待しています。作曲者高田三郎氏の作品中、もっとも素晴らしい、大変味わい深く、「こころ(心)」の深みを感じる名曲と、私は、ずっと思っています。 沢山演奏してきました多くの主な日本人作曲家の作品の中で、詩 ・ことばの内容とそれに合わせた音の動き、つまり曲に深みがあり、作曲技術の音の動きが垢抜けて、もっともおしゃれな曲と思って、大変気に入っています。長年の合唱指導の間に、演奏会でこの曲集を演奏するのが、私は今回で4回目になります。少し難曲ですが、演奏する楽しみの多い曲です。ただ、何度も演奏して来ていますが、女声版ばかりなのです。(私は、かって混声を主宰・指導していましたが、活動の目的・主旨が違い、日本人作曲家の作品は全く演奏していません。)今回も、女声3部の楽譜を、混声3部で演奏します。 勿論、女声3部、混声3部いずれでも、それぞれに楽しめ、演奏し甲斐があります。実は、この曲集には、混声版があります。 めったに、聴かれる機会が無いのですが、今度、9月16日(月・祝)に、世田谷区民合唱団が定期演奏会で演奏するそうです。私は、初めて聴 く機会になり、今から期待して、大変楽しみにしています。数ある日本人作曲家の合唱曲の中で、もっとも素敵な名曲と私は思っています。 それぞれの詩、言葉を表現する音の使い方、旋律の流れ、合唱の各パートの絡み・流れなど、なんとも 自然で、絶妙で温かみのある作られ方で、とてもよく書かれていると私は大変気に入っています。 他に、高田三郎氏の作品で、しばしば演奏され、私も演奏経験のある「水のいのち」という曲集があり、なかなかの名曲です。が、「心の四季」に比べると、曲の深みがもの足りないのですね・・ (と私は思っています)。ただ、作曲家として、1曲でも、心に響く、永遠の名曲を残せるのは、本当に素晴らしいと思います。(どれほどの方が 、この曲に同感かは分かりませんが・・・???)
  演奏会には、余り行っていません。先日、しばらくぶりに、知人のソプラノ歌手が、テノール歌手とデュエットを行うので、出かけました。小田急線和泉多摩川駅傍という、小田急線には乗るものの、一度も下車したことの無い、が、我が家からまあ、すぐと言っても良い近場での演奏会でした。とても一生懸命に活動を続けている方で、もう50歳は越えているはずながら、なかなか声量も声質も素敵で素晴らしく、聴かせていただける楽しみがある方で、今回もソロ・デュエット共に、聴き応えのある素敵な演奏会でした。100席ほどの小さなホールで、もう少し広いとさらに楽しめて良いなあと感じました。最近は、殆んど演奏会に出かけずでしたが、そろそろ出かけたいと思っています。

 5月 4日(土)2019

  2019年5月1日午前0時をもって、旧元号「平成」から新元号 「令和」になって4日目、些かお祭り騒ぎも少し静まって来た様子ですが、今日は、皇太子でいらっしゃった浩宮様が、 新しく天皇になられて4日目、朝から6回?も1時間おき?に皇居での国民の一般参賀を初めて受けられるため出たり入ったりなさる様子とか? びっくりするほど大勢の方々が集まっている様子??  テレビで観ると物珍しげな外国の方々の姿も?  私の勝手な意見では、一般参賀で忙しく出入りなさっても、身近に直接お目にかかれる訳でなく、しかも ひしめき合う大変大勢の人々に囲まれて、遥かかなたのガラス の張られたテラスのお姿を拝見出来るだけです。テレビの画面の方が、余程くっきり拝見できるのに・・・? その場の雰囲気が大切なのでしょうか?  ただ、ご夫婦共にとても感じの良い天皇様、皇后様の様子ですので、国民の一人として、末永くお健やかにと私もお祝い申し上げたいと思っています。 ただ、この素敵なご夫婦を、全く戦争を、戦中戦後の悲惨さを経験していない、一部の懐古主義?(少しずつ台頭しつつある様子)の勝手な主義主張の思想 (私に言わせると、来し方の日本の悲惨な歴史に学ばず、なんとものどかでのう天気な無知な方々)に勝手な方向に動かされることの無いよう、日本が日本国民が平和に大きく発展し、世界に公正な存在価値を強く主張し続けられる時代が続きますよう、私も心から強く強く祈っています。 日本の過去にしっかり思い至り、これからどんどん活躍して頂きたい若い方々が偏った思想に寄らない現実的な本物ー真ーの平和と発展する未来の実現をしっかり思い描いて、世界で広く活躍して下さる社会を築いていただけるよう、心から強く祈願しています。
 私は「2,26事件」の年の暮れ生まれ(ー随分な年齢ですー)、まだまだ小さい子供の時ながら世の中の偏った考えに振り回されて、凄惨な戦争を、特に私の場合は戦後の悲惨な生活を経験して育ちました 。私どころか、筆舌し難い、語ることも出来ないほどの悲しく、悲惨な凄惨な経験をした方々が無数に無数にいました(それらの方々のその後を今もって案じています。戦災孤児だった方は??)。 敗戦後は、日本中の方々が、自分達の生活を、自分達の国「日本」を何とか再建するため、筆舌に尽くし難い努力を必死で続けてきました。 想像を遥かに超える多くの若者達が「お国のために」と戦争に赴き、戦死なさったため、 辛うじて生還された方々やそれらの方々の次の世代、大正の終りから昭和初め頃(一桁)に生まれた方々の日本国再建への筆舌に尽くし難い頑張りにより、 驚異的に日本は復活成長しました(実は、アメリカ国の援助と朝鮮半島での戦争勃発の特需景気のお陰もあって・・・・・ 今もって、日本国は、アメリカの属国状態です・・・全く仕方ないかと思いつつ・・)。
私は、第二次世界大戦中、確か、昭和17年春から昭和20年3月頃まで約3年間ほど、父の仕事のため、中国南京市に住んでいました (神戸港から上海港まで確か客船氷川丸ー戦後、引き上げ船として大活躍ーで行き、陸路南京市まで行った様子?)。昭和19年頃?から、 私は、小学校2年の頃ー戦中は国民学校ー(当時、南京市には、日本人学校が小学校3校、中学校と女学校1校ずつあった様子です)、昼日中、米軍機襲来の警戒警報のサイレンが 大変騒がしく鳴ると全校生徒は直ぐに帰宅させられました(ただ、何度もは記憶に無いので昼間の襲来は少なかったかも?)。米軍機襲来の警戒警報のサイレンが騒がしく鳴る中、 私達小学1,2年生(上級生はどうだったか?)が全く付き添いも迎えも無く、三々五々勝手に、自宅まで中国人街を帰宅しました(今思えば、何とものどかで些か不思議な?)。初めは何人かの仲間と帰りながらも、自宅が少し遠かった私(多分徒歩30分くらい?)は、間もなく、一人になって、少し入り組んだ中国人街の中を帰宅しました。真っ青に澄んだ遥か上空を(今もって瞼に鮮やかに残る)銀色に光るB29の戦闘機が編隊を組んで 空高く飛ぶ様(多分5〜6機?)を仰ぎ見、帰宅後母から、低空飛行した米軍機が屋敷近くの林にバラバラ!と機銃掃射する様を仰天しながら見たと聞いた事があったものの、筆舌にし難く激しかったと聴く 当時の東京や大阪など主要都市の空襲は全く経験していません(今はもう亡き兄も、当時南京中学確か?1年で、友人と学校帰りの途中にいきなり機銃掃射の音がし、びっくり 、あわてて物陰に隠れたとか 夕食の時に話していたのを記憶しています。南京は、随分のどかだったということにもなります??) 戦後に、母は、小さい女の子(私のこと)が約30分くらいとはいえ、中国人ばかりの街中を 戦中に拘わらず、何事も無く、一人で毎日のんびり歩いて通学していたことに本当に有難かったと中国人達に心から感謝すると述懐していました (南京市西部の広い通りー莫愁路ーにあった我が家の向かいに日本軍の宿泊所があり、時々近所の子供達と遊びに行っていた。部屋には日本から送られてきた慰問の品々、妹さんのと聞いた写真なども飾られていたのを見たと記憶しています。南京で日本人の安全が保たれたのは、母は駐在している日本の兵隊さんのお陰とも話していました ーーあのお兄さんのような若い兵隊さん達は、その後、どうなさったか?と今もって思い出しています)。南京市での日本軍が犯した残虐ぶりに、報復の恐れる思いもあって、中国人達は押し黙っていたのかもしれませんが、途中の道々、非難するような目つきで見られる事(当時は、何となく変だなと気づきました)は時々あったものの、大抵の中国人は小さい女の子と見てか?とても温かく親切でした。空襲警戒警報の鳴る中ではなかったかも?ながら、 時々、竹細工の作業をしている中国人の店先でその家の2〜3歳の小さな女の子としばらく遊んでから帰宅したり (両親らしい方々が穏やかに見てくれていた様子)。そのうちに、多分昭和19年秋頃?から、南京市の東の端の日本軍の飛行場(当時住んでいた場所は、南京市の西部)で 毎晩?繰り返される空爆の度にけたたましく鳴り響く空襲警報のサイレンで夜も寝られず、中学生以上の男子は、非常時に直ぐ行動出来るよう、昼夜もゲートルという包帯のようなものを足のすねに巻き、子供も大人も胸に白布に名前や生年月日?などを書いて縫い付け(空襲などで死亡した時の身元確認のため?)、着替えもせず?、お風呂も入っていたかどうか?記憶が定かでなく、 特に危険な目には合わなかった南京での日常生活でも非常事態でした。毎夜?繰り返された南京飛行場の空襲で、遠くで照らされ交錯するサーチライトの光の線を家族みんなで住まいの2階のベランダから、 高みの見物のように見たことはあっても、当時、日本、特に、東京初め、日本の主要都市での 毎日激しく繰り返されいたと聞く空襲、目の前に焼夷弾が雨あられのごとくに降り注ぎ、虫けらのごとく大変多くの方々が亡くなったと聴く様は、幸い全く経験していません (中国人街に囲まれているので、空襲は専ら日本軍の基地である南京空港だったのでしょう?)。遥か東方遠く、町外れの南京空港で、目まぐるしく空を照らすサーチライトが沢山沢山交錯する光の線を瞼に思い描ける方は、今年2019年の現在どのくらい存命でしょうか・・? 尤も、当時の日本軍の高射砲は全く上空には届かず、遥か上空に飛来し、爆弾を落とすだけ落として飛び去った米軍機に為すすべが無かったとか?  たまたま撃墜された飛行機に乗っていた米軍兵の身に着けていた帽子や衣服などが帰宅途中に通りかかる南京市の大通りの十字路の真ん中に建つ孫文像の周りの植栽の上にー ーー当時も現在も、円形?に作られた、少し広く何か草か花木の植栽がある台座の真ん中の孫文像が立っている 。ただ、当時、あんなに高く大きく感じた立像が、Googleで観ると、周りの無数に建つ高層建築の陰でささやかにごく小さく小さく現在も立っているーーー、 見せしめのためか野ざらしで展示されているのを、ある時、恐る恐る見かけました(全く初めてにして、1度だけ目にしたことで、今も、あの米兵の家族はどのように知らせを聴いたかしら?と思いやっています)。 私は、小学校1,2年頃の事ながら、これら様々なことが瞼に焼きついています。間もなく、昭和19年頃から、中国南部の南京は戦争被害の危険があるのでと、中学生以上の男性は残留 し、婦女子は先に帰国するよう勧告があり、終戦の年昭和20年3月半ば、お節句のお雛様を飾って直後、日本に帰国しました(内地引き上げと言っていた)。(ただ帰国のため ー後から、いずれ父と兄も帰国予定の為ー日本に向けて送った家財道具や着物などの沢山の大荷物は全て届きませんでしたので、これらのお雛様もこの時が見納めになり 、記憶の底に残っています)ー3月10日東京大空襲の頃でした。 (中国北東地域満州は関東軍が駐在しているので絶対大丈夫と?実は、関東軍はさっさと移動して、為すべも無く見放された入植者達は語ることも出来ない悲惨な有様だったようでした? なんと!終戦直前昭和20年8月になって満州にたどり着いた方もいたとか?)。 戦後、私達は、父の実家である田舎の叔父の離れに住まわせて頂いていました(当時、日本中の地方には、都会からの疎開や海外からの引き上げの人々が沢山々々住んでいました)。 大きな農家の叔父からお米を分けて頂いていましたが、お米が余りに少なく、ほんの少しでしたので(いつの頃からか、今では、懐かしい?お米の配給制度が始まり、昭和40年頃?まで続きました。 年齢によって、何合何勺とか・・・何グラムでは無い)、あの頃は毎日放課後 、ザルを手に食料になる野草摘みが日課でした (毎日日暮れまで、叔父の田んぼや畑を手伝う母と弟2人との4人暮らしでしたー父と兄は終戦翌年に帰国)。 今は、ここ住まいの近くでは見かけることも少なく、どれがどれだか見分けが付きにくく、殆んど忘れていますが、当時、住んでいた田舎には食べられる野草がいろいろ生えていました。ただ、柔らかくみずみずしく美味しそうな野草はよく知る土地の人達に 、早々と採られてしまい、全く慣れない小学3年の私は、もう固くなって誰も採らなくなった食べ難い(「とう(薹)が立っている」と言われた)野草 (「のびる」「あまな」「よめな」など??・・・今では、見分けが付き難い?)や沢山沢山生えていた蓬(よもぎ)をザル一杯摘んで帰りました 。(当時は、農薬など使われず?野草はまずまず安全でした? ・・・・当時の田畑の肥料は、人や牛の糞尿でした)。田舎のあぜ道などそこら中に、ふんだんに生えていた蓬は、 かまどの焚口に溜まる灰(ガスなど無く、燃料は全てあちこちで集めてきた柴や薪で、その燃えカス)を入れた大きな鍋のお湯で柔らかくなるまで湯がき(茹で)、つるべで汲んだ井戸水 (当時、田舎には水道などありません。専ら、井戸水です)で何度か繰り返し繰り返し洗って「灰汁」を抜き、食べられるように柔らかくし、 当時配給(物の極端に無い時代、塩・砂糖・様々なものは配給制でした)で手に入った少しの煮干のような干物入りだし汁で、叔父から分けてもらっていた、ほんの少しの米粒が浮く雑炊を作って 、それが家族4人の夕食でした。(母は、毎日、朝から日暮れまで、叔父と共に経験の無い野良仕事に出ていましたので、小学校3年の私が食物調達調理係)、母や弟達と4人で食する窮乏生活 (私達は田舎の生活ながら、当時、都会では殆んど似たような生活で、全く珍しくなかった?一応、口に入れられるものを食べられただけでも良かったかも??)を1年間余り過ごした経験を、 すっかりお婆さんになった今でも可なり鮮明に記憶しています。ただ、今不思議に思うのに、朝食や昼食の記憶がありません??朝は、何か夕食の同じ雑炊だったかも?お弁当持参の記憶も、何か昼食を摂っていたの かいなかったのかの記憶も全くありません? 云うまでも無く、給食など思いつきもされていませんでした。 ただ、記憶しているのは、放課後など、お腹が空くと、春は勝手に叔父の畑に入って実っているえんどう豆を鞘ごと、ソラマメは剥いて中の豆を、当時奨励されてどの農家でも行っていた養蚕のため沢山植えられていた桑畑に実る甘い紫色の桑の実を、赤く実るちょっと甘酸っぱいグミの木の実を、更に道端に生えている「いたどり」の皮を剥いて、ちょっと見た目、蕗に似た酸っぱい中の茎を と食べられる物は、土地の子供達に習って、何でも??食べて、空腹を満たし、それほど栄養失調にもならず、成長期を無事に何とか過ごせました(成長期の極端な食糧不足のためか、皆大柄な私の家系の中で、私は、明治生まれの母より小柄?)。 更に、終戦の年昭和20年秋の田舎には、柿がびっくりするくらいたわわに実り、とても豊作で(昭和20年秋の柿の豊作は全国的?だったと後に聞く。神のご加護だったかも??随分命を救われた!)、母はほんの少しのお米の雑炊は子供達に食べさせ、当時住んていた叔父宅離れの2階の屋根にかぶさるようにたわわに実った柿を食事代わりにしていた様子でした。 (私が、毎食充分に白いご飯を食べている農家の母屋に住む叔父一家を見るにつけ、母が毎日日暮れまで、経験の全く無い野良仕事に励んでいるにも拘わらず、分けて頂くお米が余りに少なく、いくらなんでも少なすぎると言うと、母子家庭で身を寄せている境遇から、 いつも母は、「そんなこと言うたらあかん(関西弁?)こうして住まわせてもらってるだけでも感謝せんと(しなくちゃ)!」と言い続けていました。 母の実家(叔父の村から可なり離れた村)も、その土地では広大な田畑を所有する相当の財産家でしたが、既に母の両親は無く、伯母(伯父のお嫁さん)が主導権を持ち、全く援助無しでした。 ーーー身内の心無いうわさなどで不安が募り、南京に残されたままの父と兄の帰国を必死に祈っていました。 空腹が続く私達子供は、いつの間にか、土地の子供達に見習って、食べられそうなものは、山すそや道端などで何でも見つけて、お腹を満たしていました ーー野イチゴなど見つけると嬉しかったものです。その後、大変々々幸せなことに、 終戦翌年、昭和21年5月、南京に抑留されていた父親と兄が無事に帰国して来てくれ、生活が一変しました。 父親の存在の有難さを如実に強く強く実感しました(亡くなって今年暮れで40年の今もって忘れられない、その時の正に体が浮き立つような小躍りする嬉しさを思い出す度に、 更に、父の一生懸命さと家族への心配り、気配り、戦後の奮闘振りを思い出し、心から深く深く感謝しています。 余り丈夫でなかった母は、子供第一で育ててくれ、慣れない野良仕事で体を酷使したためもあってか、父より早く62歳で亡くなり、この春で54年です。いつの時代でも親は本当にすばらしい!) (ここで少々。実は、今まで全く書いていませんが、実は私達には、「きょうだい」(姉兄私弟2人の5人)の第1子である長女の姉がまずまず健在です。私より11歳も年上です。 戦中戦後、何をしていたのか?なんと戦中から戦後に東京の専門学校(現在、私立女子大学)に在学していました。1人、南京には行かず、当時在学中の女学校から進学。 戦後、一家の窮状に退学も考えたようですが、母が強く卒業することを奨めたようで、丁度父が帰国してくれた翌年?頃、無事卒業したようです。母は、 姉の私立学校の授業料をしっかり支払っていたのです。無事帰国した中学生の兄は、当然に大学進学しました。女性の私の場合は、無事帰国してくれた父のお陰で 、大学進学が出来ました。 私は、なんと幸せで、正にラッキーな人生でした(当時、戦災孤児が町々に溢れ、今もって、どのような人生を歩まれたかと気になる中、私は、神のご配慮に大々感謝です!!) 勿論、様々な苦難や悔しい思いなど一杯いっぱいあるのは人生皆同じです。私が、昭和30年春、進学のため、東京で暮らし始めた頃、東京の街中は 道路など整備されつつの状態で、JR池袋駅(当時は国鉄)周辺では、土ぼこりが舞い上がる中を都電が走り、渋谷周辺も雨が降るとあちこちぬかるみで、バスが坂を上るのに 、スリップして手こずっている有様でした。街には、まだまだ大人や子供の浮浪者がとても多く、その後、昭和30年代後半?頃でも、今の新宿[Odakyu]デパート前辺りでは、 傷痍軍人と言われた白衣の方々が、何人も物乞いしていました(もう戦後ではない!白衣でわざとらしいとか非難されることも多くなり、いつの間にか見かけなくなりましたが・・)。 また新宿西口、今の「ミロード」入り口近くでは、板戸?にバナナを積んで、バンバン板を叩きながら、バナナを掲げて大声をあげて叫ぶ、バナナの叩き売りも見られました。 つい20年程前昭和の終わり頃にも、寒い雨の日にビルの入り口や凹みなどちょっとした隙間に古ぼけた傘を外に向けて差し、その陰のコンクリート上に寝ている方をよく見かけたものです。 さらに、ほんの数年前までにも、新宿中央公園、上野公園、隅田川沿いなどあちこちで、プルーシートのテントを張って、また池袋西口近くの公園でも、野宿する方々(ホームレス)が多くいました (いつの間にか、宿泊所の世話などされ、見かけなくなっています。お幸せならいいのですが??)。 そんな中で、つい10数年前、たまたま声をかけた雑誌「ビッグイッシュ」(今でも見かけたら、必ず買うことにしています)を新宿西口京王プラザホテル前の街頭で売っていた中年男性は、「都庁の地下で野宿しているのだが、コンクリの上で寝るのは、特に冬の夜は寒くて、それはそれは体にこたえる」と。 用事で1週間に一回ほど通りかかる街角での出会いだったのですが、毎回ささやかな食物や水など飲み物を持参したりしていました。 ある時、それはそれは大変嬉しそうにニコニコして、どこか、下町の方の宿泊所に入れるようになったので、ここでの暮らしはお終いとのこと (それ以前に、そういう宿泊所があるので入りたいと言っていましたので、望みが適ったということです)。「本当に良かったね!」と私も一緒に喜びつつ、以来見かけ無くなりました。 あれからもう10年ほど、時々元気かな?と思い出しています。(確か名前は高橋さん?その方は、母親とお兄さん一家と一緒に、群馬県ー確か前橋?−で住んでいたところ、 ある日東京へ行こうとお兄さんに誘われ、新宿に来た時、5千円札を渡され、「これでこれから、東京で暮らして欲しい。実家にはもう来ないように・・」と。 以来、何とか自力で生活していると? さすがに私もびっくり!今でも、その場所を通ると思い出します。) 世の中豊かになったはずの現在でも、どういう経緯か?新宿西口[Odakyu]前の、沢山の人々がどんどん通り過ぎ、大声で何か呼びかけている団体も多い、大変混雑する 喧騒の中の道端の隅で寝ている方がいます。今も「ビッグイッシュウ」を売っている方もいます。殆んど見向きもせず、大変多くの人がどんどん通り過ぎていきます。 私は、たまに通りかかるだけですが、見かけると、その雑誌を購入したり、寝ている方には少し紙幣を渡したり、ほんの僅かながらせめてものとしています。 そんな話に、私のような行為はかえって、彼らに良くないと忠告される事もありますが、彼らも好んでやっている境遇では無いでしょうと思うことにしています 「ビッグイッシュゥ」を買って、おつりは要らないと言うと大抵大変丁寧にお礼を言われます。「あぁ いい人なんだなあ! 一生懸命に働いているんだなあ・・!」と思います。 ただ、通りがかりに、ささやかなお金を渡した時に、びっくりしながら受け取る方、小さくお礼をいう方、会釈する方、中には、黙ってひったくるように受け取る方、と様々です。 駅の通路で寝ている方などには、そっとささやかに紙幣を胸に差し込んでおいて上げます。どの方々も好き好んで過ごす生活ではないはずです。 このようなホームレスらしい方々も、この頃は随分少なくなってきた様子ですが、どなたも出来るだけ普通に暮らせる世の中になるよう、新しい令和の時代、心から切望しています。 スマホやカードでの決済が普及し、余裕のある中国人や韓国人、その他 ヨーロッパなどからの外国人観光客が増えてきている時代に、今もって、路上で寝ている方がほんの少数ですがいます。 どんな事情か分りませんが、それぞれにやむを得ない事情があるのでしょう・・?  人々の幸せはお金だけではありませんが、少なくとも夜露に当たったり、冷たい地下のコンクリート上などの路上生活はやらなくて良いような環境にして上げたいと願っています。 そうそう、数年前になりますが、用事で通りかかった地下鉄大江戸線赤羽橋駅入り口近くの歩道路上の端に、倒れている男性を見かけました。ごく普通の白いワイシャツ姿の中年男性でした。 「あれ!」と思いつつ、しばらく見ていて、声をかけてみました。「大丈夫ですか?」と。全く反応がありません。眠っているようにも???お酒臭くはないので、酔っている様子では無いようです??  どうしようかと? 私は、ここから地下鉄に乗る予定だったのですが・・・ どうしたものかと思案している間にも、夕方だったためか、老若男女大変多くの人々が次から次から、目の前の路上に人が倒れているのに、 何人かが何かあるなと思うのか、足を除けて避けて通っても、目線は見向きもせず、どんどん地下鉄の階段を下りていきます?「え!!!!!」と、私はびっくり。しばらく思案しましたが、放っておくことは絶対出来ないと、119番しました。5分も経たないうちに救急車が来てくれ、 二人の救急隊員が抱えて、無事にどこかに連れて行ってくれました。「ほっ!!!」 改めて、都会の無関心、冷酷さを思い知る場面でした。それにしても、いくら忙しくても、 目の前に倒れている人がいるのに、目もくれないとはなぜ!と。そろそろ夕方近く、大変多くの男女が、忙しげに通り過ぎて行きました。東京タワーがごく近くに 、ライトアップされて透き通るようなオレンジ色にそれは美しく輝いて聳え立ち、少し離れて増上寺の金色の屋根が輝いて見える夕刻の赤羽橋交差点でした。
 合唱団「コール・まどか」 さんは、この連休中はお休みです。尤も、今月の水曜日は5回ありますので、5月1日(水)に休んでも、4回の練習日は確保できます。長い10連休の後、改めて、練習再開です。
  演奏会は、昨日5月3日(金、憲法記念日)の午後に行きました。JR恵比寿駅徒歩15分ほどでしょうか?100席余りほどのこじんまりした代官山ヒルサイドプラザホールでのコンサートです。暖かい陽気で、のんびり聴きに行きました。中世イギリスのリュート奏者J.ダウランドの作品中心に、混声の4部や重唱をギター伴奏で聴かせ、後半では、ギター、ピアノや声楽のソロなどもあり、盛り沢山なプログラム構成で、大変楽しめました。小さなホールながら、ほぼ満席で盛況でした。もう何年か?この数年?毎年この時期に行われています。私が 主宰していました混声合唱団の仲間で、何かと大変一生懸命にやってくれた方々の自主活動コンサートです。 中でも、中心になっている方はリュートまで爪弾き、面倒なリュート譜を読む努力をし、アマチュアながら、とても素晴らしく、素敵だなあと楽しませて頂きました。 ただ、インフルエンザの後遺症で体調が優れないとか・・? 無事に全快なさっていただけますよう、心から願っています。

 4月 30日(火)2019

 実は、今日は4月の最後の日です。元号が平成から令和に変わるそうです。元号という年号を使っているのは日本だけだそうです。 世界中には、王室のある国は可なりあるようですが、元号を使うのは日本だけのようです。良し悪しについては、日本国民で意見の分かれるところでしょう??  ところで、4月になって1ヶ月、桜の開花が南から北上し、此処、東京辺りは、3月終わりから4月初め、もう1ヶ月程前に満開を迎え、 風に乗って舞う花吹雪が素晴らしく、舞い散る花びらがとても楽しめます。お隣の2階の屋根を越し、我が家の北隣のマンションの3階ほどにもなる、 高く伸びた、とても太い幹の3本の桜が今年も素晴らしく咲き誇り、我が家の庭には花吹雪が舞い踊っていました。その様子は、毎年の心和む楽しみです。 ただ、我が家からよく見えるのですが、最近通らない50mほど先の道路端に並ぶ6本の桜が何故か、いつの間にか3本になっている様子に漸く気がつき、 「あれ?」と傍まで行ってみました。ここに住み始めてそろそろ40数年。この辺りは、昔から住んでいるお宅が多く、木々も大きいのが見られるのです。 傍まで行ってみると、やはり3本切られて、切り株になっていました。 良く見ると、幹の真ん中が腐っている様子。また、大きくえぐれている様子。道端なので、倒れると危険もあり、已む無く切ったのかなあ?と想像しています。 それにしても、うっすら緑色の花、八重桜、山桜のような花、少しクリームがかった花等々、毎年、そのどれもを、とても楽しみにしていたのですが、 その少し珍しい桜がいずれも切られていて、染井吉野桜と八重桜、山桜のような桜3本だけになっています。木の寿命なのか、少し珍しい桜は多少弱い性質の木だったのか? 染井吉野桜は、それはそれは見事に素晴らしく群れ咲く様が今年も日本国中いたるところで観られますが、緑がかった、またクリーム色の花びらの桜は、 植物園など限られたところでしか見られませんので、大変残念に思って、少し寂しさを感じています。 春は、様々な桜が次々と楽しませてくれますが、それに先駆けて、お正月過ぎから、蝋梅や梅、水仙、花桃、彼岸桜など、うっかり忘れることなく、つぎつぎと花咲き、 今は、オダマキがすっと茎を伸ばし、今年は花も山ほど咲かせてくれています。 ちょっと珍しい白いモッコウばら(黄色はよく見かけますが白は珍しい?)も枝を伸ばして、蕾を開かせ、咲いてくれています。 毎年ながら、自然の勤勉さに凄いなあと教えられる思いです。他にも、水引草や日光キスゲらしい黄色のゆり科の葉が次々伸びて来つつあります。 「ドウダンツツジ」は、親木が枯れて、新たな子の木が1mほどになり、可愛い白いすすらん風の花をびっしり付けてくれています。 地上にも延びる根元には、数センチほどの小さい若芽が沢山伸びて来て、並んでいます。しっかり子孫に受け継いでいて、植物の素晴らしさ、強さを知らされます。 ただ、この頃は、年のせいもあってか?狭い庭なのに手入れが些か面倒になりつつ・・・  でも、土が乾くと私も喉が渇いたように思え、水やりは欠かせません。狭い庭に、それぞれは、ほんの少しずつしか植わっていないのですが・・・  いずれも、本当に勤勉に頃合を見計らって、芽を出し、成長し、花を咲かせてくれます。そうそう、 遥か昔私の父が実家から持ってきてくれ差し木してくれながら、花芽を余りつけてくれなかった「額アジサイ」が、例年に無く、今年は花芽が可なり観られ、開花が大変楽しみです。 大きな木なのに本当に咲いてくれない「おおむらさき」も、昨年より多く 、11ヶ所20数輪ほど咲いてくれています。兎に角、植物は呆れるほど勤勉です。 微妙な季節の変化をびっくりする敏感さで感じ取っている様子で、すごいなあ!!といつもびっくりです。手入れ方法を全く知ら ず、いい加減な世話しか出来ないのに、よく咲いてくれ、成長してくれます。本当に嬉しいです。
 合唱団「コール・まどか」さんは、チームワークよく歌って、とても楽しんでいます。全員で気持ちを合わせて、今秋11月29日の第11回定演に向け、練習を積んでいます。 私が本当に感心するほど、どなたも良く歌います。60歳代は若手で、70歳代が中心メンバー、上は90歳代も!の20数人の合唱団ですが、 目下、団員を募集しています(勿論、年中募集しているのですが、この1ヶ月ほどを、特に、募集期間にして、市報やチラシで募集しています。少しずつでも増えるといいなあと願っています。) いよいよ、高田三郎作曲「心の四季」の「雪の日に」の練習を始めています。なんということなく、どんどん歌い進めているのですが、なかなか上手に歌ってくれて、些かびっくり、大変嬉しいです。 ところで、次回の定演に向け、定演で恒例となっている、休憩の後、第3ステージの招待演奏家が決まりました。 毎回とても素敵なプロ演奏家をお願いしているのですが、今回は、トランペット・ソロでと考えていまして、何人かにお声をかけさせて頂いたところ、 3人のお子様のお父様でもあるとても素敵な素晴らしい実力ある若いトランペッター 佐藤秀徳さん(Kカンパニーのオケ等に所属)が応じて下さいました。更に、些かびっくりですが、日本でよく知られているトップクラスのギターリスト(正にレジェンド?)佐藤紀雄さんとDuoでとのご希望もあり、 びっくりしながらも、ギャラを少々心配していましたら、察して下さったようで、ホット? 今から聴かせて頂けるのを大変楽しみにしています。 折角のチャンス、出来るだけ多くの方々に、是非是非聴いて頂きたいと願っています。きっと素敵で、とても楽しいはずです。 (何しろ、入場無料です)
 演奏会には、この頃は、たまに行く様子ですが、昨日(4月29日)は、G.F.ヘンデル作曲オラトリオ「救世主」を聴きに行きました。長大曲ですが、私は演奏経験がありません。 また、全曲をじっくり聴いく機会もあまり無く、たまたま、見かけたチラシで、 指揮者やソロ出演者が、かっての私のバッハ演奏、その他に乗って下さった方々も数人書かれていましたこともあって、是非聴きたいと出かけました。 山手線駒込駅徒歩5分の聖学院大学講堂とか? 駒込駅で下車することは、何年ぶりでしょうか? 山手線の駅ですが、駅の周りは、ごちゃごちゃと全く昔と変わりない様子でした。 チラシの地図を見ながらも、ちょっと分かり難く、数人に聞いたものの直ぐ傍であったにも拘わらず、意外に知られていない私立学校の様子でした。 ただ、幼稚園から大学まであるミッション系の学校でした。判ってしまえば、なるほど徒歩5分ほどの距離でした。演奏会そのものは、とても素晴らしかったです。 プログラムを見ますと、この復活祭の4月の時期にもう10年以上も、毎年「メサイヤ」を演奏してる様子です。どうりで、大曲なのにとても上手でした。 それほど多く無い(といっても50人足らずの)合唱団のどなたもが、特にテノールとバス合わせても10数人ほどの男声陣が、声も響いてしっかり歌われているのに、楽しみつつ、感心しました。 今回は、初めて、古楽器による演奏だそうですが、コンサートミストレス初め、私の演奏会にもお願いした方々が数人いて、少人数ながら、しっかり演奏なさっていました。 更に、素晴らしかったのは、ソリストの方々でした。やはり、私もお願いした方々もいましたが、どなたも素敵にしっかり歌われていました。 ベーレンライター版によるとチラシに書かれていましたので、持参したvocal scoreをしっかり見ながら聴きました。 とても楽しく、素敵なひとときでした。演奏会では、私は大抵出来るだけ、天井桟敷に近いところで聴くことにしているのですが、今回も2階の最後尾で聴きました。 舞台は遠いですが、ホールの天井を伝わってきた音がくっきり良く聴こえて、最高の場所です。 ちょっと大振りながら一生懸命な指揮者、素晴らしい声でとても上手なソリストの皆様、いずれも素晴らしい演奏でとても楽しみました。 たが、ふと気が付くと、ほぼ満席に近かった?2階席が終了時には半分以下くらいと、いつの間にか空席が目立っていました???  私は、初めて聴くこの合唱団の演奏ですが、毎年10年以上も続いている様子ですから、義理で来たものの長丁場に飽きてお帰りなったのでしょうか??と。 いくら名曲、名演奏でも、この超大な曲を毎年は重過ぎるでしょうか? 私も、来年も聴くのは??? ミッションスクールの心意気を感じる演奏会でした。 

 3月 11日(月)2019

   新しい年が始まり、2ヶ月が過ぎ、春です。全く雨が降らず、雪も降らず、からからでしたが、2月に入って早々の水曜日(6日)に、珍しく可なりの雨になりました。 前日は寒く、でもカラカラで、この水曜日(6日)だけ(からからでしたので、)降ってくれて良かったのですが、あいにく、 この日は、「コール・まどか」の週一回の練習日でした。お年の方々のグループですから、ちょっと足元が心配で、天の配剤?に少々恨めしい思いでした。 週末9日(土)には、雪がちらつき、とても寒い1日でした。この日は、朝から夕方まで外出でしたが、予報ほどは、雪も雨も降らず、さすがにダウンコートで出かけ、丁度良かったです。 2月11日は月曜日でしたが、建国記念日とかで、結局3連休 になっていました。ここ調布はこの冬、雪も雨も殆んど降らず、良いのかどうか?  まずまずの陽気が続くこのところ、2月19日(火)は、実は今年最大のスーパームーンが観られるはずでした。残念ながら、曇り空でがっかりでした。 その数日前には、大変くっきりとまん丸に近い?月が観られていたのですが、肝心の19日 (火)は曇り空でした。もう一つ、残念な事がありました。目下、モーツァルトが「ヴェスペレ」(Vesperae)(晩課)という2曲だけ作曲した曲のCDを製作中です (多分、日本人の演奏CDリリースは初めて?)が、製作打ち合わせの製作会社の方も、楽譜コピー担当者(インフルエンザとか?)も体調を崩され、延び延びになっていることです。 漸く2月18日に打ち合わせる予定だったのですが・・? これらの曲は、丁度10年前2008年3月の混声合唱団「クール・ドゥ・シャンブル」の第6回定演曲でした。 この時、些かの風の吹き回し??のご好意で、お人柄の良いプロの録音技師が、本番録音をして下さいました。ただ、それ以来、CDに作らず、いつかリリース(市販)したいと考えていて、 合唱団も解散し、一つ続けている合唱団は、気楽で忙しく無いので、漸く、リリース準備に取り掛かり、幸いにも、とても素晴らしい録音会社が引き受けてくれることになり、 製作中になっています。 ただ、大変気楽に考えていたブックレット原稿でしたが、書き進むうちに、生涯にわたって、ザルツブルクを去ったモーツァルトの文字通り仕事として完成させた最後の宗教曲で、 その作曲家魂が凝縮されている作品だったことに、漸く気付かされ、大変長文になってしまい、何度も何度も書き直し、丸々2年ほどもかけて 、昨夏漸く、校正を済ませ、仕上げ状態にし、製作会社に原稿を送付しました。ところが、それから、既に7ヶ月を越え、8ヶ月になろうとしています。残念ながら、全く進んでいません??  編集者のご病気、入院などもあって、ますます延び延びになり、一体いつになれば出来上がるのでしょう?と、すっかり呆れる有様になっています。 ただ、日本人の演奏作品として、初めてにして、唯一のリリースでは?と、大切にしたいと考えています。編集者の早いご回復を心から願っています。 ところで、先日、3月初めに誘われて、4日間ほど台湾の台北に行ってきました。全くの観光旅行です。街を散策する以外、全く何の目的も無い旅行でした。 3日目は1日雨で、残念でした。台北は2回目になるのですが、ただ散策して街の様子を知るチャンスでした。1日だけ、一応の名所を観光バスで巡り、後は、ぶらぶら自由に歩き回りました。 街の皆様、若い方も年配の方も、好意的で、大変安全な感じでしたが、やはり外国! 充分に油断禁物と考えます。地下鉄が新しく、しっかりホームドァが完備されていて、感心しました。 滞在したホテルが、街の中心(中山駅)に位置していたためか、お年寄りの姿を殆んど見かけず、日本ほどの混雑振りでは無いながら、生き生きとした若い方々が行き交っていました。 街にたたずむ若者に声かけしてみましたが、先ず日本語は全く通じず、英語も少々の様子でした。尤も、私も複雑な英語は話せませんが、少々話しかけてみました・・?  大きな本屋さんが近くにあり、雨降りでもあって、覗いてみました。デパートの上、広い5階フロァー全部が本屋になっていました。 分野別に、大変沢山並んでいましたが、全て台湾語? 見たことも無い難しそうな漢字がぎっしり並ぶその文字の羅列にびっくり仰天しました。 こんなに沢山で、覚えるのも書くのも難しい文字の並んでいる本を小さい時から学んでいるのかとびっくりしました。 絵本も同じですので。文字の画数も多く、学ぶ方も教える方も大変だなあ?と。中で、音楽書もあり、いずれも漢字?で表記されていて、びっくりしました。 日本のカタカナ、ひらがな、ローマ字表記の有難さを実感し、台湾の子供達など慣れでしょうけれど、 びっくり感心して、学ぶ方は勿論、教える方もつくづく大変なのではと、つい同情する思いです。 丁度、日曜日でもあって、絵本売り場では、お父さんらしい男性が、5歳くらいの男の子に、難しい漢字が並んでいるその絵本を読んで聞かせていました。 どこの国でも見かけますが、ほほえましく、嬉しい光景でした。ただ、可愛い、綺麗な、分かりやすい絵が描かれている絵本なのですが、 いくら絵本でも私には全く分からない文字が並んでいるのです。別の小さい子が、一人しゃがんで一生懸命に声を出して読んでいました??  わあ!読めるんだと?と妙に感心しました。ただ、見たことの無い画数の多い、難しそうな漢字に、教育のご苦労が偲ばれる思いです。 まあ、日本も江戸時代など漢字づくしの文献が多くあり、古事記なども漢字ばかりです。すっかり特殊な本になっていて、私など読めません??  ただ、先日亡くなられたドナルト・キーンさんは、古来の奈良・平安時代などから江戸時代の文献まで読めたそうですから、日本人として、恥ずかしい思いは多少感じますが・・  私も、年取ってきて、暇が出来そうですから、一念発起、少し読めるように精進しますか・・  平安文学の「かな」の書は、何冊か割と読んだことがあるのですが、 漢字づくしは、読もうと考えもしていませんでした・・ (そうだ! いい考えかも・・・・・)
 合唱団「コール・まどか」の皆様は、大部分の方々は元気に歌ってくれています。少し、ご家族がご病気とかの方もいて、早いご回復を心から祈り、願っています。 今秋11月29日(金)午後1時半から、第11回演奏会を、調布市文化会館「たづくり」くすのきホールで行う予定になっています。 目下、演奏曲目の選択に、意見を出し合っています。ただ、今練習中の曲が可なり沢山あり、それを組み合わせれば、随分良いプログラムになるでしょうと考えられます。 ただ、ごちゃごちゃと単独の曲を並べただけでは、まとまりの無いプログラム構成になるので、 1ステージは何か曲集をと考えまして、この合唱団では2回目になりますが、高田三郎作曲「心の四季」抜粋で、1ステージ組もうかと思いついています。 中で、可なり長く、優しくない「雪の日に」という曲を今回思い切って取り上げようかと決めました。以前に、1度演奏していますが、この「雪の日に」は、可なり長い難曲ですので省きました。 その後、団員から是非やってみたいと希望があり、思案している中に何年か経ってしまい、もしやるなら、全体の年齢も考えて、 最後のチャンスかと考えました? ただ、やれるかどうか?少々心配しています・・ まあ、その時になって、やれるようにカットしたり、アレンジして楽しめば良いか?と考え至っています。 兎に角、名曲中の名曲ですから(と、私は思っている)、やってみることに意義ありです。私には、4回目になる演奏ですが、何回取り上げても、嬉しくなる演奏の楽しみがあります。
演奏会には、時々行っています。最近では、2月20日(水)東京フィルハーモニー交響楽団定演、G.マーラー作曲交響曲第9番を聴きました。好きな曲ということではありませんが、 マーラーの完成された最後の交響曲を聴いてみようということと、東フィルの弦楽器群の音、特に、ヴァイオリン群の響きがなんとも素晴らしく澄んで揃っていて、聴く楽しみがあります。 全体にどの楽器の演奏も素晴らしく、本当に聴く楽しみがありました。 今度、N饗の生演奏をじっくり聴いてみようと考えていますが、TVで聴くN饗の響きに比べても、勝るとも劣らぬ響きに思っています。 秋には、1番「巨人」をやるようですので、発売すれば購入しようと考えています。定期で聴く気はありませんが、時々、演奏曲目を見て、聴きます。更に、2月24日(日)には、知人の 世田谷区民合唱団のG.ヴェルディ「レクイエム」を聴きました。合唱団の皆様は、長い曲を辛抱強く?なかなかよく歌われていました。 ソロの部分も多く、待っている時間が意外に長い様子でしたが、よく響いて、素晴らしかったです。特に、 同じ世田谷のアマチュア管弦楽団の演奏が素晴らしく、時々聴くどこのアマチュア・オケも本当に素晴らしい音を響かせて、とても楽しませて頂けます。 勿論、この演奏会では、特に、新進らしい方々のソロが素晴らしく、最近の若い方々はすごいなあ!と、とても感心して、楽しませて頂きました。 

 1月 29日(火)2019

  新しい年が始まり、早や4週間、1月も終わりです。大寒も過ぎて?大雪の便りが毎日聞かれる冬本番の様子ですが、例年通り?東京は毎日からからの晴天続きです。 さほど寒くもなく風もあまり吹かず、外出する時に傘要らずで、とても有り難い?陽気が続いています 。実は、雪を観に行こうかと(些か不謹慎かも?)思いついています。上越新幹線で新潟まで・・  ずっと以前に、飯山線にやはり雪を観に行ったのですが、途中で、電車は動かなくなり、その先へはバスで?になり、 長野市に引き返したことがありました???運行中止になった駅の町の裏通りを、暫く?とうっかり散歩していたら、表通りを進んでいた除雪車が家並みの上を越えて、 凄い勢いで飛ばして来る雪に埋もれさせられそうになって、怖い思いで逃げ出したことがありました。確かに、夕暮れ時で、誰も歩いている様子ではありませんでした・・? うっかりすると雪に埋もれて凍死する恐れを感じました。ただ、人家が多い、街中でしたので、人は全く見かけませんでしたが、あんなに雪を飛ばしていては、人知れず雪に埋もれる場合もあって、危険なのでは?と。) 冬至が過ぎて、一ヶ月 過ぎにもなると日没や夜明けが少しずつ早くなりつつあって、心なしか気持ちは温かく膨らみます? 蝋梅が満開になり、芳香を漂わせ、梅の蕾がピンクに膨らんでいます。 いつもながら、自然は、季節の移ろいにどうしてこんなに敏感に反応し、せっせとそれぞれの営みに励めるのかと深く感心します。 我が家の彼岸桜も少しずつ蕾が膨らみ、ほんの少しピンクになりつつあります。開花までは、まだ1ヶ月はあるはずなのですが・・? 私などは、やらなきゃならないことも時々可なり面倒な気持ちになるのですが、自然の勤勉さに呆れ、つくづく感心します。 ただ、何故か折角毎年咲いていた草花が全く目を出さず消えてしまう事もあり、私の怠慢のせい?と気がかりになることもあります。 植物も生き物ですから上手に世話する必要があるのでしょうが良く分からないこともあって、なかなか充分には出来ず申し訳なく思うことがあります。 兎に角、たゆまず目を配る必要があるのですが、狭い庭にも拘わらず、意外に面倒で、さらに、この頃とても面倒に思うこともあり、 この春先になっても掃除するくらいで放っていて、どうしたものかと思案します。 勿論知識もなく、教えていただける方も皆無です(調布市にある都立神代植物公園に「みどりの相談室?」とかがあり、たまに電話で問い合わせたり出来たのですが、 いつの間にか可なり以前に無くなっています)。 我が家の玄関の下駄箱の上では、大きなガラスの花器に挿した蝋梅の一枝が儚く透き通る八重の薄い黄色がかったクリーム色の花を咲かせています。 蝋梅の「蝋(ろう)」とは素晴らしいネイミングで、本当に蝋細工のような花びらで、なんとも愛らしく大好きな花です。 丁度この時期、梅より一足先に咲き、強い芳香を漂わせます。農協ショップの店先に毎年切り枝が売られますので、一枝買って来ます。 大好きな花ではあるのですが、買ってきて1日,2日は、強い芳香を漂わせます。匂いに敏感な私には、この大好きな花ながら、なんとも恨めしい香りになるんです。 かなり大きい枝ながら1枝なのに、狭くない家中に香りが漂い、寝室まで漂って夜眠れず、気分が悪くなるほどで、なんとも悩ましくなります。 1日も経てば、香りも弱まり、日に日に薄らいでいくので、 暫くの我慢なのです。もう10日以上になるので、香りは殆んど薄らいでしまっていますが。 この花瓶には、たまに水を取り替えるだけで、なんと昨年の6月から「額(がく)アジサイ」を活けっ放しっぱなしにしています。薄むらさき色(昨年6月頃に頂いた時は 、緑色?の花びらでした)の花びらは可憐に咲いてくれています (咲いているのでしょうか? 兎に角、全く散る気配がありません?)。葉は少し茶っぽくなり、数枚散りましたが、 「額あじさい」の「額?」は、薄紫になり、しっかり付いています。いつになったら茶色になって枯れ落ちるのかしら?と見守っているのですがず〜っと変わらず、 おじいさんの髭の様に沢山出てきた白い根の勢いが少し弱まって来ているように見えます。庭に下ろすべきかと思いつつ、もう少しもう少しと引き伸ばしているうちに、真冬になっています。 さすがに、春先には、庭に植えるべきでしょうと考えています。「ロウバイ」も花が終わったら、時機を観て、庭に植えようと考えています。 上手に植えねばと思うのですが自信が無く、折角の命を無碍にしないようにと願っています。
 合唱団「コール・まどか」さんは、20数人からなかなか団員が増えず、悩ましいところですが、とても元気に、和気藹々、楽しい練習が続いています。 時々見学者が来て下さるのですが、なかなか入団とならず、残念です?? ただ、私の感じとしては、どなたでも入って下されば良いとはいえ、多少向き不向きがあるかもと思います。 年齢は圧倒的に70歳代が多く(多いらしい?)、充分高齢者となるのでしょうが、どなたも生き生きと若々しく大きな声でしっかり上手に歌っていて、とてもおじいさんおばあさんには思えない様子です(私には?)。もっともこれが現代のお年寄りということでしょうが・・  さらに、元気な方々が休まず通ってきて下さっている・・ 私も共に、元気で楽しみ続けたいと願っています。 今秋11月29日(金)の第11回演奏会に向け、演奏曲目に知恵を集めたいと思っています。更に、恒例のゲストをどなたにお願いするか? 団員数が減り気味の現状では、ゲストにお支払いできるお礼も充分ではありませんので思案するところです。過去10回、毎回、第3ステージを 、素晴らしいプロの演奏家によるゲストステージにしてきています。 約30分ほどをお願いしています。一昨年秋、前回記念の30周年第10回演奏会では、ちょっと珍しいピアノ2重奏をお願いしました。なかなか聴かれる機会の無いステージです。 丁度幸いなことに、「たづくり」には、コンサートグランド、スタインウェイ[Steinway]が2台あるということで企画しました。 そう滅多に聴かれない貴重なピアノ二重奏で、とても素晴らしかったと思っています。 今秋は、何か金管楽器で?と思案中です。私の希望としては、ニニ・ロッソ作「夜空のトランペット」を聴きたいなあと考えているのですが・・・?  ただ、あれを聴いた後は、どなたもしばし感慨にふけってしまうでしょうから、その後の第4ステージでの合唱が少々寂しく、歌いづらく聴きづらくなるかも??と思ったり・・・  ともあれ先ずは、全体の構成を組み立てる必要があります。団員に演奏希望の曲を問い合わせているのですがどうも充分には思い付かない様子で、まあ、このところ、練習している曲を適当にまとめる事になりそうです。 充分素敵な良い曲を何曲も練習していますので。更に、1ステージ、合唱組曲のステージを作ろうかと考えています。 暫く前の演奏会で、取り上げた高田三郎作曲合唱組曲「心の四季」を再度演奏しては?と思いついています。 あれから、どなたも年齢が上がっていますが、メンバーも可なり変わっていますので、改めて、演奏するのも良いのでは?と。 長くて難しいか?と演奏しなかった「雪の日に」を何とか練習してみようかと・・? 多少カットしたり変えたりしながらでも、何とか演奏できると嬉しいかと。 私の40年以上になる合唱指導歴の中で、大変多くの様々な合唱曲を演奏しましたが、日本人作曲家の作品の中で、最も素晴らしい、とても素敵な名曲と考えています。 もし、今度取り上げれば、私には4回目になり、とても楽しみです。
  演奏会には、このところ、殆んど出かけていません。 年末年初という事で、出掛けにくかったことにもよります。演奏会の知らせも殆んどありませんでした。 2月、3月になりますと可なり出かけます。合唱曲の演奏会も個人のリサイタルも。それぞれを、今からとても楽しみにしています。

12月 24日(月・休)2018

   あと1週間で、今年はお終いです。今年は、どんな一年だったでしょうかと問われても、余り記憶に残っていません???  ただ、私にとっては、猛暑の夏は、些か、命の危険を感じるほどでした。 この頃毎年、夏の暑さは尋常では無いように思います。毎日夜は、特に夏の間は、頭の後頭部を保冷材で冷やしながら、休む状態でした。 そうしないと、翌朝起きた時に頭痛がすることがあるのですね。枕の上に保冷材を2個くらいタオルで包んで乗せ、その上に頭を乗せ、頭さえ冷やして寝れば、翌朝は可なり快調 です。そんなに冷房を効かせなくても、守るのは頭です(と?私は思っていて、毎夜忘れずに実行しています。たまに忘れると、翌朝頭痛がして、失敗です。) 1昨日12月22日(土)は冬至だったようです。この日には、ゆず湯に入り、かぼちゃを食べると良いとか? ゆずの香りが心を和ませてくれ、甘く煮た(とは限りませんね? ポタージュも、てんぷらも何でも作れます)かぼちゃのビタミンCとビタミンAが冬の寒さに耐える体力の糧になるそうです。 私は、かぼちゃ大好きですので、年中食べています。年末で日暮れがどんどん早くなり、木々の葉がすっかり無くなり、何となく寂しさがつのって来ていたのですが、 冬至を越えると、毎年、私は心が嬉しくなります。なぜかって? これからは、真冬になり寒さも本番になりますが、日中の時間が少しずつ長くなり、 その分、春に近づくんだ!と思うと心が明るくなります??  冬真っ盛りでも、陽光が少しずつ明るくなって行きます。南に行っていた太陽の位置も少しずつ北に移ってきます。 我が家の窓から見える富士山の陰に沈む太陽も忙しげに行ったり来たり、丁度、山頂でのダイヤモンド富士を見られると、人生の幸せ?を感じます。 見過ごしてしまうことが多く、悔しい思いを繰り返しているのですが・・ ところで、今秋?に限らず、いつもではありますが、ちょっと珍しいことがありました。 勿論私にとって・・? ここに住んでもう50年を過ぎつつあるのですが、その間一度も花を咲かせなかった細い幹が10cmも無く、身の丈も2m程の「さざんか」の木が、 なんと、1輪咲かせたのです。 最初、幻か?と思ったほどです。しかも、淡いピンクの花を1輪だけです? 数日後、根元に花びらが散っていました。 さらに少し離れたところで、昨秋、こちらも何十年ぶりかでほんのりピンク色の白い大輪の花を10数輪咲かせてくれた少し丈の大きい、やはり「さざんか」が、 今秋は全く見られず残念に思っていましたが、ふっと気が付くと、地面に散った花びらを見つけました。良く見ると木の陰、目線の陰に咲いていたようで、気が付けず残念でした。 それにしても、なぜか、我が家の庭では花も場所を選ぶのか? 思うように咲いてくれないことが多いです。 他所では、こんなところ?と思うような、肥料も絶対やられていないような狭い隙間に生えている「さざんか」や「あじさい」がこぼれんばかりに咲き誇っているのをしばしば見かけます。 なんとも残念?
 合唱団「コール・まどか」さんは、どなたも生き生きと元気に楽しく歌ってくれています。 今の平均年齢は、70歳位でしょうか? 気が付けば、随分前から戦後生まれが中心になっています(何しろ、来年、平成も31年目でお終いになるのです。 合唱団発足当時は、なんと大正生まれの方も多くいたくらいで、長く続いた昭和生まれが遥か昔にな りつつです。今も、お元気で、数人大正末の方が休まず来ています。中心は、人数も多く、戦後20年以後生まれになって来ていますが、 どなたもお元気に休まず参加し、良い声で、しっかり歌っています。)2年毎ほどに行ってきました11回目の演奏会を、来年(2019年)秋に行おうと大変意欲的です。 ただ、いつもながら、会場(ホール)の確保が大問題で、難問なのです。当然ながら、活動拠点の調布市文化会館内の「くすのきホール」で行うこととして、 秋となると、10月11月前半は、毎年調布市の市民音楽祭が行われ るかも知れない時期(1日だけですが、半年前くらいに漸く決定? 前もって分からず重なっても近くても困る?)になり、それを避けて、 次回は、秋なら9月か、11月下旬から12月初めの土曜、日曜が狙い目になります。 ただ、どこの団体も希望は同じで、抽選に当選するのはなかなか難しく、外れた場合は、已む無くウィークデイとなります。9月から続けて抽選の申込みをしましたが、はずれ続けです。 来年最後12月の抽選通知後、「たづくり」のサイトを見ますと、唯一、12月7日第1土曜日が、空白になっていることに気が付きました。 是非、確保したいと、役員さん達と策を練りました。前もって、受付での申し込み方法・状況を聞いたところ、 第1の方法は、当日早朝7時から配布される整理券を(普段6時半頃から並ぶ方がいるとか?)「たづくり」守衛さんの窓口で貰っておいて、受付開始の9時から番号順に並んで申し込む。 会長(5時半起きで駆けつけたそうです)ともう一人の男性団員が2人で守衛さん詰め所に行くも 既に、先人(女性)がいて、彼らは3番目だったとか?、びっくり! 聞くと5時半から来ているとか・・  しかも、私達と同じ日を希望とか? 諦めて、二人で朝のコーヒータイムに移動とメールが来る?? ただ、念のため、 私は、分担を決めたネット申し込みで9時丁度にクリックする。 更に、役員の一人が、電話申し込みと、互いに決めた分担作戦?で頑張ろうとしました。 私は、前もって、PCの画面に要件を書き込み、後は申し込みクリックするまでに準備し、わが家の電波時計をにらみながら、9時ジャストにクリックしました。 9時少し前に見たときは、確かに空白だった (予約可能)ところが、9時ジャストには、既に、予約済みになっていました?????  更に、電話担当の役員さんから、暫くして、全く電話が話中ばかりで通じないとTel。かくて、敢え無く、4人掛りで対応しながら全く残念でした。 多分、5時半から並んでいた女性の申し込みを、前もって用紙書き込み済みにしておいて、受付けが9時ジャストに予約済みとクリックしたのでは?と思います。 とすると、いくら、電波時計の時報に合わせてクリックしても1秒ほども無い差で、「だめ」となります。 びっくりですが、良い経験?でした。負け惜しみではなく、12月に入ってからでは日暮れも早く、 寂しくもなるかとの思いもあり(寒い雨模様になったり?)、1週間ほどの違いですが、前もって確保していた2019年11月29日(金)に確定しました ?(もちろん、土日にしたかったのですが・・)。 相談の結果、開演を早め、金曜日ですが、午後1時半開演とし、終演を3時半としました。 4時過ぎますと日暮れになり、寒い日ではお客様にも申し訳ないとも思っての決定です。再来年の春でもと私は考えますが、大体2年毎に行ってきていますので、 これ以上間隔を空けたくないとの 団員達の結論です。次は、恒例のゲストステージをどのようにするかです? 予算がとても限られていますので、お呼び出来るゲストも大変思案するところです。前回は、若いピアニストによるピアノ2重奏と、意外に珍しく、素敵なステージを持て ました。若く、実力がありながら、出演料より出番の機会を願う方を望んでいるのですが・・
 ところで、前々から考え、予定していました「バッハの総譜 (score)を読み解く」は、11月から始めたのですが、当初よりの予想通り、全く理解されずに、電話での問い合わせも、「それは一体なんですか?どういうことをやるのですか?」、 説明しても「??? 」と。かって一緒に演奏活動して下さった仲間の連絡サイトでも反応なし?? また、チラシや市報で募集しましたが、お越し下さった方々は、年配の「良く分からないけど 、暇で都合が合うので行ってみようか」の方ばかり延べ10人ほど。中で、 若いピアニストが2人。桐朋音楽大学卒で6年間ドイツの音楽大学に留学して来たという若い女性と友人。 「バッハのカンタータの楽曲分析」が出来ると意気込んでいて下さったのですが、 参加者の様子と、私が、全く知識の無い他の年配者とのバランスをどのようにしようかと思案していたために、2回で早々に、大学の作曲科の先生に個人教授を申し込んだとやめて行かれ、ちょっとがっかり!(さもありなん・・)11月、12月と6回の講座を行い、歴史的名盤のLPレコードで、よく知られたカンタータ、BWV.147、78 、140番のかって私が演奏した曲をまず聴きました。 ただ、その解説プリントを配布するも、ほとんど反応もなく?? それでも、入れ替わりながら、 10人ほど、なかで、全出席が3人ほど? 折角お越しくださったので、質問に答えることにして、出された問題が、[何故、音取り する基準音は、まず「ラ]の音なのか?] [「♯」や「♭」は、どのようにして付けられるのか]など、楽典の基本中の基本でした(ただ、とても大事なことです・・)。更に、 唱歌・童謡「ふるさと」「赤とんぼ」について」}などでした。そこで、「音?楽譜の成り立ちとその発達」、「 音合わせの基準音「ラ」はどうして決められたのか?」、{「ド、レ、ミ・・・・」はいつ頃どのようにして始まったのか?} [楽譜を読み解くとは? ♯ や♭について] など、改めて私自身の知識の整理もしながら、私なりに詳しく説明した印刷文を7枚ほど配布し ました。一通りの解説をし、お越し下さった方々へのせめてものプレゼントのようなものとして、この12月で 、計6回の講座を終了とさせて頂きました。私のやりたい楽曲分析を共に楽しみたいと始めてはみたのですが全く出来ず、 折角お越し下さった方々へのせめてものと精一杯やらせていただきましたので、これ以上継続して行く意味も責任も無いということで・・  ただ周知の知識ながら思い出しつつ調べ直して、出来るだけ正しい知識の確認が出来、新たに知ることもあって、私にもとても良かったです。 [楽曲分析](特に、J.S.バッハの)という私のやりたい内容を楽しみたく、 講座料無料で共に楽しもうとの当初の目的は全く出来ず、さらに続ける理由も無いということです。予想通りではあるのですが・・  合唱指導を長く続けている指揮者の方々も演奏することには大変熱心でも、作曲者の自ら作曲した音・和声に対する心意気を感じ取れる楽曲分析 (私は、とても大切と考えています。作曲者の真髄そのものですから)には、大変面倒でもあり、余り関心も知識も無い方々が殆んどでしょうと思われます。 演奏は、演奏者達の曲に対する感覚の表現です。楽曲分析は、作曲者の息遣いを感じ取り、その作曲技術を知る方法なのです。 本当に曲を理解するには、やはり、丁寧な楽曲分析をやってこそ、作曲者の心意気・作曲意図・作曲技術を理解し感じ取れるのです。 老後の楽しみ?として、少しずつ自分で楽しんで行くことにしました。分かり易く 、よく知られた「カンタータ」から始めようかと考えていましたが、自分一人でするなら、是非ともやろうと考えていました「ロ短調ミサ曲」から、早速取り掛かります。 実は、とても面白いのです・・・?
  演奏会には、余り行っていません。ただ、混声合唱団を指導していました時に、 オーケストラで、しばしば共演して頂いた川原さんと田崎さんが長く続けている古典四重奏団の演奏会に行きました。 基本的に、全曲暗譜で演奏することをモットーにしているグループです。中心の田崎さんは、毎回、曲の解説を楽曲分析の方向から行っていて、私には面白く、楽しみです。 ただ、来場の聴く方々が素人でご年配ということもあってか、 ほんの少し、ポイントのみに絞られることが多く、残念ですが・・   10月には、バルトークとヤナーチェクの四重奏曲、12月初めには、モーツァルトのちょっと珍しい四重奏曲とベートーヴェンの晩年の四重奏曲でした。 私は、近年殆んど四重奏曲を聴いていませんので、解説も共に興味深く聴きました。ただの演奏会でなく、多少なりとも演奏者による解説があるのも嬉しいですね。 私自身は、もう少し深く聴きたいところですが・・  会場が、総武線の南小岩駅から5分ほどの南小岩バッハザールというこじんまりした感じのよいホールで、 個人の方が建設し経営していらっしゃるとか? スーパーマーケットの上方4階のホールで、うっかり通り過ぎそうな所でした。 総武線も、錦糸町から先へはごく稀にしか行くことがなく、ちょっと遠足気分でした。

 

12月 24日(月・休)2018

   あと1週間で、今年はお終いです。今年は、どんな一年だったでしょうかと問われても、余り記憶に残っていません???  ただ、私にとっては、猛暑の夏は、些か、命の危険を感じるほどでした。 この頃毎年、夏の暑さは尋常では無いように思います。毎日夜は、特に夏の間は、頭の後頭部を保冷材で冷やしながら、休む状態でした。そうしないと、翌朝起きた時に頭痛がすることがあるのですね。枕の上に保冷材を2個くらいタオルで包んで乗せ、その上に頭を乗せ、頭さえ冷やして寝れば、翌朝は可なり快調 です。 そんなに冷房を効かせなくても、守るのは頭です(と?私は思っていて、毎夜忘れずに実行しています。たまに忘れると、翌朝頭痛がして、失敗です。) 1昨日12月22日(土)は冬至だったようです。この日には、ゆず湯に入り、かぼちゃを食べると良いとか? ゆずの香りが心を和ませてくれ、甘く煮た(とは限りませんね? ポタージュも、てんぷらも何でも作れます)かぼちゃのビタミンCとビタミンAが冬の寒さに耐える体力の糧になるそうです。 私は、かぼちゃ大好きですので、年中食べています。年末で日暮れがどんどん早くなり、木々の葉がすっかり無くなり、何となく寂しさがつのって来ていたのですが、冬至を越えると、毎年、私は心が嬉しくなります。なぜかって? これからは、真冬になり寒さも本番になりますが、日中の時間が少しずつ長くなり、その分、春に近づくんだ!と思うと心が明るくなります??  冬真っ盛りでも、陽光が少しずつ明るくなって行きます。南に行っていた太陽の位置も少しずつ北に移ってきます。我が家の窓から見える富士山の陰に沈む太陽も忙しげに行ったり来たり、丁度、山頂でのダイヤモンド富士を見られると、人生の幸せ?を感じます。見過ごしてしまうことが多く、悔しい思いを繰り返しているのですが・・ ところで、今秋?に限らず、いつもではありますが、ちょっと珍しいことがありました。 勿論私にとって・・? ここに住んでもう50年を過ぎつつあるのですが、その間一度も花を咲かせなかった細い幹が10cmも無く、身の丈も2m程の「さざんか」の木が、なんと、1輪咲かせたのです。 最初、幻か?と思ったほどです。しかも、淡いピンクの花を1輪だけです? 数日後、根元に花びらが散っていました。 さらに少し離れたところで、昨秋、こちらも何十年ぶりかでほんのりピンク色の白い大輪の花を10数輪咲かせてくれた少し丈の大きい、やはり「さざんか」が、今秋は全く見られず残念に思っていましたが、ふっと気が付くと、地面に散った花びらを見つけました。良く見ると木の陰、目線の陰に咲いていたようで、気が付けず残念でした。それにしても、なぜか、我が家の庭では花も場所を選ぶのか? 思うように咲いてくれないことが多いです。 他所では、こんなところ?と思うような、肥料も絶対やられていないような狭い隙間に生えている「さざんか」や「あじさい」がこぼれんばかりに咲き誇っているのをしばしば見かけます。 なんとも残念?
 合唱団「コール・まどか」さんは、どなたも生き生きと元気に楽しく歌ってくれています。 今の平均年齢は、70歳位でしょうか? 気が付けば、随分前から戦後生まれが中心になっています(何しろ、来年、平成も31年目でお終いになるのです。合唱団発足当時は、なんと大正生まれの方も多くいたくらいで、長く続いた昭和生まれが遥か昔にな りつつです。今も、お元気で、数人大正末の方が休まず来ています。中心は、人数も多く、戦後20年以後生まれになって来ていますが、どなたもお元気に休まず参加し、良い声で、しっかり歌っています。)2年毎ほどに行ってきました11回目の演奏会を、来年(2019年)秋に行おうと大変意欲的です。 ただ、いつもながら、会場(ホール)の確保が大問題で、難問なのです。当然ながら、活動拠点の調布市文化会館内の「くすのきホール」で行うこととして、秋となると、10月11月前半は、毎年調布市の市民音楽祭が行われ るかも知れない時期(1日だけですが、半年前くらいに漸く決定? 前もって分からず重なっても近くても困る?)になり、それを避けて、次回は、秋なら9月か、11月下旬から12月初めの土曜、日曜が狙い目になります。 ただ、どこの団体も希望は同じで、抽選に当選するのはなかなか難しく、外れた場合は、已む無くウィークデイとなります。9月から続けて抽選の申込みをしましたが、はずれ続けです。 来年最後12月の抽選通知後、「たづくり」のサイトを見ますと、唯一、12月7日第1土曜日が、空白になっていることに気が付きました。 是非、確保したいと、役員さん達と策を練りました。前もって、受付での申し込み方法・状況を聞いたところ、 第1の方法は、当日早朝7時から配布される整理券を(普段6時半頃から並ぶ方がいるとか?)「たづくり」守衛さんの窓口で貰っておいて、受付開始の9時から番号順に並んで申し込む。 会長(5時半起きで駆けつけたそうです)ともう一人の男性団員が2人で守衛さん詰め所に行くも 既に、先人(女性)がいて、彼らは3番目だったとか?、びっくり! 聞くと5時半から来ているとか・・  しかも、私達と同じ日を希望とか? 諦めて、二人で朝のコーヒータイムに移動とメールが来る?? ただ、念のため、 私は、分担を決めたネット申し込みで9時丁度にクリックする。 更に、役員の一人が、電話申し込みと、互いに決めた分担作戦?で頑張ろうとしました。 私は、前もって、PCの画面に要件を書き込み、後は申し込みクリックするまでに準備し、わが家の電波時計をにらみながら、9時ジャストにクリックしました。9時少し前に見たときは、確かに空白だった (予約可能)ところが、9時ジャストには、既に、予約済みになっていました?????  更に、電話担当の役員さんから、暫くして、全く電話が話中ばかりで通じないとTel。かくて、敢え無く、4人掛りで対応しながら全く残念でした。 多分、5時半から並んでいた女性の申し込みを、前もって用紙書き込み済みにしておいて、受付けが9時ジャストに予約済みとクリックしたのでは?と思います。 とすると、いくら、電波時計の時報に合わせてクリックしても1秒ほども無い差で、「だめ」となります。 びっくりですが、良い経験?でした。負け惜しみではなく、12月に入ってからでは日暮れも早く、寂しくもなるかとの思いもあり(寒い雨模様になったり?)、1週間ほどの違いですが、前もって確保していた2019年11月29日(金)に確定しました ?(もちろん、土日にしたかったのですが・・)。 相談の結果、開演を早め、金曜日ですが、午後1時半開演とし、終演を3時半としました。 4時過ぎますと日暮れになり、寒い日ではお客様にも申し訳ないとも思っての決定です。再来年の春でもと私は考えますが、大体2年毎に行ってきていますので、これ以上間隔を空けたくないとの 団員達の結論です。次は、恒例のゲストステージをどのようにするかです? 予算がとても限られていますので、お呼び出来るゲストも大変思案するところです。前回は、若いピアニストによるピアノ2重奏と、意外に珍しく、素敵なステージを持て ました。若く、実力がありながら、出演料より出番の機会を願う方を望んでいるのですが・・
 ところで、前々から考え、予定していました「バッハの総譜 (score)を読み解く」は、11月から始めたのですが、当初よりの予想通り、全く理解されずに、電話での問い合わせも、「それは一体なんですか?どういうことをやるのですか?」、説明しても「??? 」と。かって一緒に演奏活動して下さった仲間の連絡サイトでも反応なし?? また、チラシや市報で募集しましたが、お越し下さった方々は、年配の「良く分からないけど 、暇で都合が合うので行ってみようか」の方ばかり延べ10人ほど。中で、若いピアニストが2人。桐朋音楽大学卒で6年間ドイツの音楽大学に留学して来たという若い女性と友人。「バッハのカンタータの楽曲分析」が出来ると意気込んでいて下さったのですが、参加者の様子と、私が、全く知識の無い他の年配者とのバランスをどのようにしようかと思案していたために、2回で早々に、大学の作曲科の先生に個人教授を申し込んだとやめて行かれ、ちょっとがっかり!(さもありなん・・)11月、12月と6回の講座を行い、歴史的名盤のLPレコードで、よく知られたカンタータ、BWV.147、78 、140番のかって私が演奏した曲をまず聴きました。 ただ、その解説プリントを配布するも、ほとんど反応もなく?? それでも、入れ替わりながら、10人ほど、なかで、全出席が3人ほど? 折角お越しくださったので、質問に答えることにして、出された問題が、[何故、音取り する基準音は、まず「ラ]の音なのか?] [「♯」や「♭」は、どのようにして付けられるのか]など、楽典の基本中の基本でした(ただ、とても大事なことです・・)。更に、 唱歌・童謡{「ふるさと」「赤とんぼ」について」}などでした。そこで、「音?楽譜の成り立ちとその発達」、「 音合わせの基準音「ラ」はどうして決められたのか?」、{「ド、レ、ミ・・・・」はいつ頃どのようにして始まったのか?} [楽譜を読み解くとは? ♯ や♭について] など、改めて私自身の知識の整理もしながら、私なりに詳しく説明した印刷文を7枚ほど配布し ました。一通りの解説をし、お越し下さった方々へのせめてものプレゼントのようなものとして、この12月で 、計6回の講座を終了とさせて頂きました。私のやりたい楽曲分析を共に楽しみたいと始めてはみたのですが全く出来ず、折角お越し下さった方々へのせめてものと精一杯やらせていただきましたので、これ以上継続して行く意味も責任も無いということで・・  ただ周知の知識ながら思い出しつつ調べ直して、出来るだけ正しい知識の確認が出来、新たに知ることもあって、私にもとても良かったです。[楽曲分析](特に、J.S.バッハの)という私のやりたい内容を楽しみたく、 講座料無料で共に楽しもうとの当初の目的は全く出来ず、さらに続ける理由も無いということです。予想通りではあるのですが・・  合唱指導を長く続けている指揮者の方々も演奏することには大変熱心でも、作曲者の自ら作曲した音・和声に対する心意気を感じ取れる楽曲分析(私は、とても大切と考えています。作曲者の真髄そのものですから)には、大変面倒でもあり、余り関心も知識も無い方々が殆んどでしょうと思われます。演奏は、演奏者達の曲に対する感覚の表現です。楽曲分析は、作曲者の息遣いを感じ取り、その作曲技術を知る方法なのです。本当に曲を理解するには、やはり、丁寧な楽曲分析をやってこそ、作曲者の心意気・作曲意図・作曲技術を理解し感じ取れるのです。老後の楽しみ?として、少しずつ自分で楽しんで行くことにしました。分かり易く 、よく知られた「カンタータ」から始めようかと考えていましたが、自分一人でするなら、是非ともやろうと考えていました「ロ短調ミサ曲」から、早速取り掛かります。 実は、とても面白いのです・・・?
  演奏会には、余り行っていません。ただ、混声合唱団を指導していました時に、オーケストラで、しばしば共演して頂いた川原さんと田崎さんが長く続けている古典四重奏団の演奏会に行きました。基本的に、全曲暗譜で演奏することをモットーにしているグループです。中心の田崎さんは、毎回、曲の解説を楽曲分析の方向から行っていて、私には面白く、楽しみです。ただ、来場の聴く方々が素人でご年配ということもあってか、 ほんの少し、ポイントのみに絞られることが多く、残念ですが・・  10月には、バルトークとヤナーチェクの四重奏曲、12月初めには、モーツァルトのちょっと珍しい四重奏曲とベートーヴェンの晩年の四重奏曲でした。私は、近年殆んど四重奏曲を聴いていませんので、解説も共に興味深く聴きました。ただの演奏会でなく、多少なりとも演奏者による解説があるのも嬉しいですね。私自身は、もう少し深く聴きたいところですが・・  会場が、総武線の南小岩駅から5分ほどの南小岩バッハザールというこじんまりした感じのよいホールで、個人の方が建設し経営していらっしゃるとか? スーパーマーケットの上方4階のホールで、うっかり通り過ぎそうな所でした。総武線も、錦糸町から先へはごく稀にしか行くことがなく、ちょっと遠足気分でした。

 

11月 26日(月)2018

   あぁ 今年も11月の終わりになってきました。日がぐっと短く、夕方5時頃には、もう日暮れの風情が漂います。 昨日、京王線調布駅前のバスロータリでバスを待っていましたら、周辺で、ご年配の女性が2人、ビニール袋を持って、はさみ?(ごみなどつまむ道具?)を持って、 ぱらぱら散っている落ち葉を一つ一つ拾って袋に詰めていました。 随分まどろっこしい作業なので、竹箒など道具があれば良いのではとその珍しい姿に感心しながら見ていました。 暫く辺りを見渡してから、再び目線の中に入ってきましたら、いつの間にか暫くの間に、袋が可なり一杯になっていました。 私は、その大変まどろっこしい作業にそんなにやる値打ちを感じていませんでしたが、辺りを見渡すと、確かに落ち葉が殆んど無くなり、 すっきり爽やかに感じられました。また、すぐパラパラと落ちるのでしょうが、ほんの暫くでも気持ちが爽やかになって、いいなあと思いつきました。 私にはやる気の出ない作業ではあるのですが・・? 最近?いつの間にか 駅前広場の大きな2本の木の下にベンチが置かれ、お年寄り達が談笑し、お昼食でしょうか?若者がサンドイッチなど口にしていたり、のどかな様子が見られます。 冬本番前の暫くの風景なのでしょう。私は、このところずっとあれこれ読書を楽しんでいます。最も嵌っている事!それは、絵本を見ること!! 絵本といっても、ただの絵本ではありません。絵本作家安野光雅さんの「旅の絵本」(福音館書店)という、世界各国の旅で目にする風景など大変細かく書き込まれています。 目下9巻まで、出版されています(次の出版を待ち望んでいますが、もう90歳を過ぎていらっしゃる様子?次は、ドイツ辺りらしいのですが?)。 説明など文字は、巻末に少し作者なりの解説が追加されているだけです。基本、各ページには文字は全くありません。 ヨーロッパの主な国については出版されているのですが、ドイツや北欧などは出版されていません。南米やオーストラリアなどもありません。 それぞれの国を馬に乗って、また船に乗って巡り、目にするものをびっくりする細かく丁寧な筆致で書かれています。 その細かい細かく書かれている形を一つ一つ見つけて、あれこれ判断するのはとても楽しく、何度見返しても見飽きないです。 顔など細かくなく(目など書かれていないのがいいですね)、簡単な筆致で書かれていながら、それぞれの特徴がしっかり書かれていて、 子供は勿論、男性か女性か、若いか年寄りかまで判断出来、それぞれの微妙な体の描写で作業・行動の内容も判断出来、 止められている自転車のスタンドまで書かれていて、感動するほどです。 時には、左右2ページ見開き一杯に100人以上ほどが表情豊かに書かれていて、画面から、様々な音、音楽、会話まで聞こえて来そう です。時間を忘れるほど、何とも見飽きない楽しい楽しい絵本です。(少しずつ買い続けて、出版されている9巻全てを買ってしまいました・・)。 もともと、グランマ モーゼや、ブリューゲルの作品のように、ちまちまと細かく日常が書かれている絵が大変気に入っているのですね。 明るさや楽しげな、何気ない日常の表現では、安野さんは、 抜群の素晴らしさと、私はとても気に入っています(喜怒哀楽の表現は全く無いのですが・・)。
 合唱団「コール・まどか」さんは、2年半から2年程の間隔で行ってきた定期演奏会の11回目を来年に予定して、役員さんたちはとても意欲的です。 一番の難問題は、演奏会ホールの確保です。毎回のことですが、順調に確保するのが大変難しく、悩むところです。 ただ、何とか確保できれば、後は、一生懸命に準備するのみです。 当然ながら、最も意欲的に取り組んでくれますのは、慣れていて体力もある60歳、70歳代の方々です。 私が若い頃は、70歳代など随分お年寄りと感じていたものです。現在でも75歳以上の方々を後期高齢者と、それ以下65歳〜75歳を前期高齢者となって 、高齢者と呼ばれているようです。確かに、私自身も充分年寄りの部類になっているのですが、団員のどなたもそれぞれに本当に美しく、若い感じで、お元気です。 2年毎ほどに演奏会を繫いて来て、11回目になっていますが、これは是非とも続けて行きたい楽しく素敵な催しと考えています。 勿論、何人かは毎年残念なのですが、80代90代の方々も数人は、お健やかに毎回ご参加下さってなんとも楽しく嬉しいコンサートになります。 会場が確保できれば、今度は、プログラム構成です。団員達の希望やアイディアを入れながら、何といっても明るく楽しくのどかな雰囲気を第一に、大切に構成していきます。 歌って楽しく、聴いて楽しいプログラムにします。 暗く、悲しい曲は、今までも今回も全く取り入れません。どんな名曲でも、名曲との評判でも、歌は、やはり、明るく楽しくが値打ちであり、命です。 来年は、平成の時代が終わるそうです。平成になる直前、昭和64年1月に発足したこの合唱団も、平成を歌い続け、新しい時代に繋がって行きます。 団員皆様それぞれの気持ちが繫げて来ました。私は、とてもとても素晴らしく、なんて素敵なことだろうと感心しています。
 演奏会は、実は、あまり聴いていません。お知らせは、可なり頂き、チケットも購入したりしましたが、何故かその日になると都合が悪くなったり、 体調に不安が出たりと行けなくなっています。ただ、中で、どうしても聴きたくて出かけた演奏会は、文屋小百合さんのリサイタルでした。 二期会主宰の連続リサイタルの中の1回で、文屋さんの一晩の演奏会でした。とてもすっきり素直な声の持ち主で、お人柄も柔らかく優しく、 歌も優しいお人柄を表わして、私の感覚にとても合っている演奏で心が満たされました。 中でも、大変珍しいA.ヴィヴァルディのオペラ・アリアを歌われ、ヴィヴァルディのアリアは初めて聴きました。 2曲でしたが、機会があれば、是非又聴きたいと思っています。さらに、アンコールの最後に、「からたちの花」を歌われました。 大変素直な優しい声で、すっきり歌われ、とても楽しめました。この曲は、日本人なら誰でも知っている曲ですが、歌うのは大変大変難しいのです。 過去聴いた中で、最も素敵な素晴らしい「からたちの花」でした。余韻に、心を温かくふくらませながら帰宅できました。 (つい最近、ヴィヴァルディについての訳本「失われた手稿譜(ヴィヴァルディをめぐる物語)」(東京創元社)という、 珍しい、ヴィヴァルディの自筆譜を巡っての18世紀の出来事に、20世紀前半における取引の過程が書かれているのですが、 記述内容に書かれた日付や時代が前後して内容のつながりを理解するのに大変苦労する最近出版された本をやっと読み終わったばかりでした。 器楽曲は時々聴きますが、オペラの作品があると知識で知っていても、聴く機会がありませんでしたので、とても良いチャンスでした。 2曲でしたので、もっと聴かれる機会が欲しいなあと思っています。)

 

10月 18日(木)2018

   猛暑の夏から漸く涼しくなって、暑さ寒さも彼岸までながら、ぶり返す暑さに体調の調整に今秋は少々困っていました。漸く、まずまずの体調になってきています。と思うと、もう10月半ば過ぎです??  夏の間、赤く(なるほど、だから火星というのか?と何となく納得していました)ずぅ〜と輝いて楽しませてくれていた火星の姿が、この秋は雨雲の広がる夜が続き、殆んど見られなくなり、寂しい感じです。 ただ、netでの知識では、11月頃まで一応見られるようだとか? ただ、だんだん輝きが薄らいでいる様子です・・?今夏は、火星のみならず、土星、金星等も見られたらしいのですが、残念ながら、私には、火星以外は、注目が遅れたためか、よく分かりません?  もう、光が薄らいできているようで、特に、あんなに赤く?また金色に輝いていた火星が、この頃の曇天のため見られず、月すらよく見えない様子で、大変寂しく、残念です。暫く前に、大変久しぶりに、うっすら輝く火星を見つけ られた様子で嬉しかったのでしたが、この何日間も全く見られません。 多分、輝きが薄らいで、もう余り観られなくなっているのでしょう と残念に思っています。特に、今夏は、赤く大きく輝いて観られる時だったようです。土星もそれらしいかな?という感じで 良く分からず 、残念です。金星は、1年の中、意外にしばしば見られますので、又の機会をと楽しみにしています。 この夏以来の数ヶ月余り、猛暑に続く、台風の連続襲来、更に地震と、日本列島は本当に大変でした。 東京、特に調布のこの辺りは、2度ほど、ものすごい雷と稲光、猛烈な驟雨を経験しましたが、さしたる被害もなく、神に感謝です。 ただ、この辺りは、畑も多く、木々も多いのですが、今夏は特に蝉が極端に鳴かず、庭の蝉の穴も1個しか見つかりませんでした。 秋が近づきましても、殆んど虫の声も聴かれません。静かなものです・・・?  周りには、広い畑が広がっていて、調布の中でも、農家さんが多い方かもと思われますが・・?  近隣は、無農薬栽培と東京都からお墨付きをもらっていると聞いているのですが・・・? そういうシールも売店販売の袋に張ってあります???  あたりに広がるキャベツ畑では、大きく丸く巻いて育っています。農家さんには、蝶々は大敵なのでしょう?? 大きく巻いているキャベツ畑で、1週間と開けず、一生懸命に農薬散布です。「え??」と見てみると、なるほど、大きく広がった外葉には虫に食われた穴が沢山見られます。なるほど、出荷して販売するには、虫との闘いですね???  ただ、 私は、どちらかというと、虫に食われた穴のあるキャベツがあれば、よほどひどく無い限り(大抵は、とても綺麗なキャベツが並んでいます)、なるべく、そちらを選んで買うようにしているのですが・・・? 秋になって、救いは、胴が水色のとんぼ(なんという名前か?)が、時々、4、5匹ほど我が家の玄関先で群れていま した。 とんぼも、余り見かけませんから、嬉しいです。この夏は、何となく、気が向きまして、意外に本を、あれこれ、時に、つい徹夜したりして、読みました。 買ったり、借りたり。そう、初めて、「ちびまるこちゃん」も、調布図書館で借りて、3冊読んで見ました。名前は聞いたことがあっても、テレビも見ず、読んだことも皆無でした。 あまりに有名ですから、少しは垣間見ようと 今更ながらですが・・ さらさらと読めるかなと思っていたのですが、小さい字でぎっしり書いてあったり?さらっとは行きませんでした。 なるほど、よく書かれているなあ!! 次に、長野県上田市にある無言館について、館長の生い立ちや美術館設立の過程など、やはり3冊ほど借りて、読んでみました。 ニュースなどでも知っていたので、以前から関心を持っていたので、様子を知り得ました。一度、訪ねたいと思っているのですが・・・  更に、アメリカ人(日本に帰化なさった?)のドナルド・キーンさんの「私の大事な場所」中央公論新社刊 も借りて読みました。 ただ、驚いたのは、日本が好きで、日本語がお得意とかだそうですが、どんなにお好きでも、日本の古典文学に時代を網羅して取り組み、造詣が大変深い様子に、本当にびっくり!! 私も、平安時代の女性作家の作品など意外にさらさら読めますので、いくらか読みましたが、それ以後の室町だの、江戸時代の様々な作品は、何となく知っているかも??位で、日本文学を専門に研究なさる学者でいらっしゃるとはいえ、素晴らしいより、すごい方に思えます。日本好きが嵩じて、現在96歳とかですが、日本に帰化なさり、日本人をお養子さんになさっているとか??? 世界は広いですから、時には、そのような方もいて下さるのも嬉しいかな?と思いつつ・・・・   今は、最近、大変評判になっている様子の[「経済学者たちの日米開戦」秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く]牧野邦昭著新潮選書を読み始めています。次々と戦後あらゆるところで活躍し、日本をリードしてきた超有名な方々の名前が沢山書かれていて、こんなに凄い方々が集まって、当時の日本の経済事情を調査・議論され、実情が知られていたにも拘わらず、後に、日本は、真珠湾攻撃に突入し、大戦に突き進んでいった事情を、多少は知り得るかと読み始めています。この秋丸機関に集められた方々は、岸信介氏初め、戦後の日本を引っ張って来た方々で、お名前くらいは、私も十分に記憶にある方々が多く、中でも、蝋山政道氏は私の大学の学長でいらっしゃった。お姿を何度か拝見しましたが、小柄なおじいさんで大変穏やかそうなご様子で、話しぶりも静かで、学生に慕われていました。ただ、戦争中から有名な学者でいらっしゃったとは何となく伺っていましたが良く調べもせず、今に至っていて、今頃、漸く少々知る事になっています。まだ、読み始めたばかりで読みやすい文章ですが、さらさら読める程でなく、ただ様々に聞いてきた日米戦争のいきさつを少しでも知り得るかと読んでいます。
 私は、11月から月2〜3回ほど、かって演奏したバッハのカンタータや「ロ短調」ミサ曲をLPレコードやCDを聴き、 オーケストラ譜(総譜score)を観つつ、のんびり遊んで楽しむ集まりを始めようと考えています。漸く、実行出来そうな時間の余裕が出来てきましたので。 長く、合唱を指導してきた者の責任ある最後の仕上げと考えています。どのくらいの方に、私の意図をご理解いただけますか??? 私には、全くの素敵な遊びなのですが??  何か難しそうとか?思われると残念です・・? 作曲者が精魂込めて書き込んだ作曲テクニックを少し垣間見るのも嬉しいかな!と。 繰り返し演奏しても、演奏するだけでは、いわゆる作曲技術、作曲者の意図するところを知るまでには、十分に至れない・・?  やはり、じっくりスコァ(総譜)を見つめ、音を聴きつつ音符の動きに触れてみるのも嬉しく、「え!知らなかった」と発見もあるかしらと?
 合唱団「コール・まどか」は、もう直ぐ、10月20日(土)秋の調布市音楽祭参加の曲を練習中です。 といっても、今回は、もう歌い慣れた曲「歌のつばさ」「オリバー」の2曲ですから、こればかり練習は出来ません。 忘れないように、時々歌っています。他は、[You raise me up] これが、世界中、125ヶ国にカバーされているらしい曲で、大変歌い易い上、 言葉の内容が勇気をもらえる、大変素敵な歌です。イギリス、アイルランド人の作詞に、ノールウェー人の作曲という曲です。大変多くの国に広まっているのが納得です。 さらに、大河ドラマ「坂の上の雲」テーマ曲、アニメのテーマなど、何でも楽しく歌います。 ただ、適当に思うままに歌っていると、ちょっと心配なことが起こります。これら、殆んどは、地声で歌って大丈夫なのです。 テレビなどでも、そのように流れていますから・・ それらを歌って、「歌のつばさ」を歌おうとすると、全く歌になら無い場合が生じるのです??  つまり、「歌のつばさ」など、いわゆるクラシックの部類を歌うときは、歌い方を少し変える必要があるのですね??  言葉に音を乗せるように歌う、音は上から、出来るだけ空から取ってくる?ように歌うと、その曲本体の雰囲気を出せます。 つまりは、ちょっと違えて、いわゆる、クラシックの歌曲を歌う、その切り替えを心がけて歌ってくれますと、ほっと!嬉しいです。 無難なのは、先ず、先に「歌のつばさ」を歌って、後、気楽に「オリバー」を歌うと、まず、大丈夫です??? 微妙な違いなのですが、とても大切なのです。歌には、それぞれ、もっとも素敵に歌える歌い方があるのです・・
 演奏会は、暑い夏が終わり、次々、知らせが来ています。かって、私の演奏会で、コンサートマスター(ミストレス)など務めて下さった、まだまだ若 く、どの方も一生懸命に活動しています。9月早々には、二期会のオペラ、プッチーニ3部作を観ました。久しぶりの文屋小百合さん(私の定演でソロを歌っていただきました)のヒロインを楽しみました。明るい演目で は無い上に、アリアらしいアリアが大変少なく、折角の素敵な声がもう一つ楽しめず残念でしたが、大変熱演で、素敵でした。ただ、場面設定が、以前に観たのと、全く違って、大変モダンな設定の上、その場その場の状況説明が全くなく、字幕も会話のみでしたので、理解し難い場面が可なりあり、残念でした。現代風ながら、面白い舞台セットでよく出来ているなあと思ったりしましたが・・ 文屋さんの声は、やはり、豊かに潤いがあり、楽しめました。又是非聴きたいです。 さらに、Viorinist桐山建志さんのオールBachプロを聴きました。無伴奏など、重音が多く、大変難しそうでしたが、そのテクニックに感心しながら、大変楽しめました。チャンバロとのアンサンブルも 、とても楽しめました。アンコールの最後に、「G線上のアリア」をしっとり聴かせて頂き、聴衆の皆様の心をほっとさせて頂きました。これからも、出来るだけ、聴かせていただこうと楽しみにしています。 更に、先日10月8日には、J.ハイドン作曲オラトリオ「四季」を全曲聴く機会に恵まれました。ハイドンらしく?穏やかな音・和音構成で心穏やかに楽しめました。以前は、そのハイドンらしい音の遣い方・響きに物足りなさを感じていて、聴きたいと余り思っていなかったのですが、初めて全曲を聴くチャンスであり、大変楽しみにしていました。ソロも多く、ソリスト、合唱団共に、一生懸命の演奏でした。私の年齢のためか、激しい響きの部分でも、和音構成が穏やかに聴かれ、こういう響きも意外にまろやかでいいなあ?!と改めて感じ、じっくり聴かれ、心が豊かになり、温かい心持で帰宅しました。

8月16日(木)2018

  連日の猛暑も台風到来で風の向きが変わって来た為か、今朝(16日)の風、空模様、空気は秋を感じさせてくれています。 毎年ながら、毎日続く猛暑があんなに辛かったはずなのに、些かほっとしながらも、少々寂しさも感じます。昨日は、8月15日終戦記念日です。 あの日をはっきり記憶している方がどんどん少なくなっています。 私は、暫く前から、たまたま新聞の書評で目にした「宝島」(HFRO’s ISLAND)真藤順丈作 講談社刊541頁1,850円を、夜中や休む前などに、もう暫く前?から、少しずつ読み進めています。 (この本の題名の意味を、作者の意図を考えています。どこにも書いてない?) 読み進めるのに、いつもの何倍か日数がかかっています。 ページ数が多いことと、出て来る言葉(沖縄言葉?)の理解に時間がかかる、すーっと入ってこない!  第二次世界大戦後、アメリカ政府統治下にあった沖縄の情勢、戦争中には日本本土の防波堤にされて、 表現の可能を遥かに越えた悲惨な事態を経た沖縄、想像を遥かに越えた当時の沖縄の人々の苦悩と奮闘が克明に (多分?)描かれています (と思います。私は実情を全く知り得ていません?)戦争直後からの沖縄の悲惨な実情を救おうと、 「戦果アギヤー」と呼ばれた、米軍施設に押し入って生活物資を略奪し、多くの沖縄人に分配して多少なりとも助けて大活躍した人達、孤児達を助けて育てた人達、 植民地にしたいアメリカ政府に猛反対して、日本復帰のため必死で戦った人達の心意気とその活動、授業中の小学校に燃えた米軍飛行機が突如墜落して、児童達が逃げ惑い、 2人ほど可愛い子供が犠牲になった事実(パイロットは無事早く逃げていた由)、 一方で、米軍と様々に関係し、人生をないがしろにされてしまって命を絶った多くの女性達やまだ幼い女の子達、必死で生きる道を探っていた男性達、 更に、その影?で米軍を利用して多額の糧を得ていた人々等など、占領後から1972年日本復帰までを3部に分けて、 克明に(知識の無い私にはそう思える)その時代を生き、呼吸していた実情を物語風に描かれています。541頁の大変読み応えのある内容です。 私には、全く知識の無い沖縄言葉や沖縄の状況、描かれている沢山の人々の様々な関わり合いなど、少々読み進めるのが大変で、少しずつ読んで、 もう読み始めて暫くになるのに読み終われて居ません。さすがに、漸く残り少なくなっていますが、なんとまだ90ページ近くもあります。 まず、沖縄言葉らしいのがすっと入ってこなくて文章の理解に手間取っています。それほど多く無い登場人物の関係、当時の沖縄の人々の感情・行動を咀嚼して理解するのに少々時間がかかる? ただ、大変良く書かれているように思います。一応、理解出来たように思えるのは、米政府・米軍が占領中(統治下)の沖縄人達の私の想像を遥かに越えた逞しさ! 沖縄人達の日本復帰への並ならぬ熱情!私の余りに浅薄な認識を思い知らされた内容で、確かに、書評にある「圧倒的な傑作で、いつまでも読まれ愛される名作」かも? ただ、日本復帰後 45年を越えても、米軍基地の存在の是非に苦しみ、日本政府も、あれこれ随分保証をしつつも、その必要性は絶対視しており、 かって、橋本大阪知事は、米軍基地を日本全土で分担すれば、沖縄の負担が減ると言いながら、大阪にはそんな土地は無い!と言い切る無責任さ! 日本中のどこも、気の毒と言いながら、全く知らん顔! 命を懸けて奮闘なさった沖縄県知事の翁長知事、支えていた県民達、一方で、日本政府からの多額の利権を当てにする県民達、 結局、アメリカ統治時代と形は変わっても、実質で殆んど変わりの無いところに、沖縄の歴史に刻まれる解決不能の苦悩の深さがある。 私は、2回ほど本島や島々を訪れ、青く明るい海と空を満喫して、のどかで親切な沖縄人(ウチナンチュ)に 出会い、親切に応対して頂きました。もっともそれが彼らの仕事です。 ハイビスカスの真っ赤な花が咲き乱れていました。他の沖縄の花も殆んど赤いようでした。様々な色合いのブーゲンビリアも咲き乱れていまして、とても美しかったです。 砂浜ではご多聞に漏れず、星砂を拾ってきました。いまレッスン室の書棚に、拾ってきた小石と共に飾ってあります。 ただ、勿論仕事として、沖縄の人々の親切に甘んじただけで、じっくり話すこともなく、沖縄の苦悩を垣間見ることは出来ませんでした?? (もちろん、沖縄は、何といっても観光で収入を得たいのですが・・) それだけに、過去から未来へ 延々と続く沖縄の人々の心の裏を慮っています(思いつきの同情は全く禁物です)
合唱団「コール・まどか」は、今週は夏休みです。もっとも、昨日8月15日(水)が休みになっただけですが・・ 来週から、秋の市民音楽祭の準備になります。曲は、決まっていて、特に練習に精を出すほどでも無いのでが、楽しくまとめて行きます。 「歌のつばさ」と「オリバー」の2曲です。 「歌のつばさ」の難しさ(この曲は大変知られていますが、美しく歌うのは大変難しい)に漸く慣れてきて上手になってきています。「オリバー」は孤児の仲間を楽しく描いたミュジカル・ナンバーです。
 演奏会には全く行っていませんが、9月に入ると、月初めに、続けて2回行きます。一人は、かって、混声合唱団の定演に2度ほど、ソロで出演していただいた文屋小百合さんという 大変澄んだ素敵な声のソプラノ歌手です。今度は、J.プッチーニの短いオペラ3部作の2作品で、ヒロインを演じます。私には、しばらくぶり?ですので、今から、楽しみにしています。 もう一人は、私の大学同級生です。彼女は、まだ一生懸命に歌っているらしく?、今度、何度目かのリサイタルをするとか? ところが、会場ホールの地理を見て、びっくり!横浜なのですが、 およそ私にご縁がない地域で、どうやって行こうかしら?と思う、「超」が付く、不便なところの小さいホールの様子です?? 年齢を考えると、よく頑張っていて?素晴らしいのですが、 まだまだ、全くどこでも行ける私でも、電車を乗り継ぎ、バスに乗換えた後、更に徒歩10分とかの行く先に、思案しています。 大変しっかり経営・活動している養護老人ホームのホールでとか? 音楽活動も熱心に続けているホームと以前から聴いていました。さて、行こうかどうしようか?こちらの方は思案中です。

 

8月6日(月)2018

  連日、東京では猛暑が続きます。先週は台風到来でしたが、東京辺りは、思いのほか、風もそれほどでなく、雨も知れていました。 ところが、神様のいたずらでしょうか、長い日本列島の西の方では、暫く前に豪雨が降り、信じられない災害に襲われたばかりですのに、 またまた、今度は台風の到来です。台風は、大変珍しく、日本海方面や東北方面へ進むいつものコースと違って、神様の気まぐれか西方に円を描くように通り過ぎ、本当に本当に残念でお気の毒に思います。 ダブルパンチ? のどかな東京にいて申し訳ない思いです。 それにしても、全国どこかしこでも、猛暑が続いています。やはり、神様の温かい思し召しを願って、なんとか穏やかに、夏が過ぎますように祈るしかないようです。 今日8月6日は、広島に原爆が投下された日です。私は、親類縁者どんな意味でも、幸せなことに全く被害など受けませんでしたが、せめて ものと、一生涯、絶対にアメリカを許さないと心に決めています(行動で示す機会にも巡り合わず、勇気も無く、心ひそかに・・) 私には観光以外に全く必要もありませんので、 一生涯、アメリカには、またハワイにも行きません。大変ささやかな、心ひそかな?決心です。もっとも行かなくても、TV、新聞、地図、net その他の刊行物により、 米国事情の可なりのことは分かります。人類史上最悪の行動で、どんな言い訳も許されない極悪非道の罪深い国です。 勿論、人道的な素晴らしい考えの方々も多く、その考えの方々のほうが多い かもと考えていますが。止めようとする方も可なり居たらしいと伝えられますが、「go!」サインを出した当時の大統領トルーマンを、絶対許しません。 私ならずとも、更に強く、強く考えている方は多いと思います。 さらに、2度も都市の真ん中に投下して、第U次大戦を終結させたんだとその功績を主張する考えもあるようですが、 一方、当時の日本の上層部には、とんでもなく無責任な「一億玉砕」との主張もあったとか?で、 それを早めに終結させて、未然に防いだとの主張もあるそうです。が、当時の日本国民は疲弊しきっていて、そんな余力などありようも無いことは、 アメリカでは、十二分承知していたはずです。なのに、大勢の無実の人々を「むしけら扱い」で町の真ん中に投下させた。(瀬戸内海の海の中でも威力を示せたはず?) しかも、2回も! 私は、当時小学3年で、田舎の親戚にお世話になっていました。あの日の翌日?の新聞の写真(あったような?)を見ながら、 大人達が、広島に、大変な「新型爆弾が落とされたらしい?」のように話していたのを記憶しています。私は、母と2人の弟達と疎開中でした。 その後間もなく、8月15日、戦争終結の玉音放送です。全天一点の雲も無い真っ青な晴天の日(全国中で同じだった様子?)で、 互いに寄宿していた大人たちも、総勢確か10数人?、当主の叔父やその家族、祖母も、すっかり気が抜けたように、 放送の後、辺りが暗くなってきても、無言でごろごろしていた光景を記憶しています。 悲しいというより、一様にほっとして安堵していた様子で、緊張して、必死で頑張ってきて溜まった疲労がいっぺんにどっと出来てきている様子だったように記憶しています。 私にとっては、むしろ、その後の方がそれは大変でしたが。
 ところで、休団中でした混声合唱団「クール・ドゥ・シャンブル」を漸く再開することにしました。といっても、合唱の演奏活動を再開することはありません。 最後の第9回定期演奏会を2014年11月に行ってより、もう3年半も過ぎています。では、何をするのでしょうか? 長く、合唱演奏活動を続けてきた指導者の最後の責任ある仕事は、希望する仲間と共に、合唱の楽譜、中でも、指揮者が使う総譜(score)を読み解く、 つまり 「楽曲分析」(Analyse)をして、作曲者の意図したところを出来るだけ楽譜からも読み解いて理解することまで経験させてあげることでしょうと ずっと考えていました。そこまで経験して、歌ってきた多くの合唱曲を多少なりともマスター出来たとなります。 あれこれ合唱して歌って、「やったぁ!」では勿体無く、不十分と私は考えます。私は年齢からもそんな無責任な行動は出来ません。それに、クリスチャンでも ありませんから曲を繰り返し演奏したい気持ちも目的も持ち合わせていません。それより何より、そもそも、どのようにしてそれらの曲を作曲したのか、総譜(Score)を分析して、 作曲者が込めたその奥義を知りたいと考えていました。それには、丁寧な楽曲分析が必要です。又、私は大変幸せなことに、遥か昔の学生時代から、 更に40年ほど前からも、大変素晴らしいその道の指導者、作曲家や古楽の研究者に恵まれ、楽曲分析などの[know-how]を学ぶ機会に恵まれて来ました。 勿論、自分から見つけて、都内は勿論、埼玉、横浜などのセミナーに参加し、権威ある学者の方々に教えを請い、時には、 お知らせいただいたメールアドレスや電話で質問させていただいたこともあって、ますますその面白さに、やる気を深めていました。 どの先生も大変親切に質問に答えて下さいまして、大変感謝しています。ただ、その多くの方が、さほどのお年でいらっしゃったわけでも無い方々まで、既に亡くなられ たり、私より可なりご年配でしたりで、あんなに楽しく学べたのに、すっかり寂しくなっています。 私も勿論良い年齢になり、残りの人生?ご希望の方々と、演奏してきたJ.S.バッハやW.A.モーツァルトの作品の楽曲分析(Analyse)を して、曲の構成の理解を共有し、楽しめたら嬉しく、又、それは私がやれる、可能な責務とず〜っと考え、私の合唱曲指導の総仕上げを漸く実現させようと考えています。 私の、長年の合唱指導のそれこそ最後の責務として、提案させていただきます。 ところで、一体何をするのか?もっと早く始めても良かったのでは? 私も演奏活動終了後 1年ほどで再開できるつもりでいたのです。が唯一、プロの録音技師がひょんなご縁で、録音して下さっていながら、CD化出来ていなかった第6回定演曲:W.A.モーツァルト作曲[Vesperae]KV.321&KV.339の2曲のCD製作を是非実現したく、私なりに精一杯頑張ってきました。ところが、本当にびっくり 、些か呆れるほど、このCDのブックレット原稿執筆に大変日数がかかり、ついつい、徹夜も厭わず、書き直しに続く書き直しで、かくて、3年半ほども経ってしまいました。 ただ、演奏時間1曲30分程で、演奏会のプログラムの曲目を考える時に、ちょっと気の利いた曲で1ステージ埋めたい時などに、どちらか1曲を、大変重宝に、何気なく演奏してしまうこれら2曲の[Vesperae]のscoreは読み解けば読み解くほど、予想を遥かに越えて複雑で難しく、 モーツァルトが書き残した作曲技術の奥の深さに頭を悩ませながらも大変素晴らしく、その面白さに心から感嘆して尊敬する その才能の豊かさに、改めて気づかされ、 「こんな曲だったんだぁ!」と、楽曲分析して大変得した気持ちで居ます (私は、あれこれ組み合わせることはせず、常に作曲者を統一し、この時は、モーツァルト・プロで演奏会を組み立てました)。 漸く、暫く前に、優秀な製作会社に一応の最終原稿を送付し、一先ずほっとしています。勿論、完成までには、暫くかかります。 かくして漸く、演奏活動を終えた後の活動として、ずっと以前より考えていました「楽曲を読み解く集まり」として、混声合唱団「クール・ドゥ・シャンブル」の活動を 再開出来る状況になっています。 一体何をどのように始めるのか? 私は20年ほど前、3年ほど学びに通っていました宗教音楽研究所の資料室の司書から、置き場所に困っているので、「引き取ってくれないかしら?」と言われ、購入したJ.S.バッハ作曲 「カンタータ全集」全37巻のLPレコードを持っています。今時LPレコード?です。ただ丁寧にscoreと 解説、対訳が大判の印刷で挿入されています。何枚かは必要に応じて見聴きしていたのですが、改めて、scoreの楽曲分析をしながら解説や対訳を読み、 出来るだけ多くの方と聴き直したいとずっと考えていました。 この全集は、古楽を提唱し、世界に広めた故N.アーノンクールが提案し、やはり古楽の大家、故G.レオンハルトと共に分担して製作されたものです。 さらに、対訳は、ドイツ語研究の大家、故杉山 好(よしむ)先生という、scoreも対訳も読み解く価値の大変大きな、大変貴重な資料です。 先ずは、「主よ、人の望みの喜びよ」で知られ、第1回定演でも演奏した「カンタータ」BWV.147等から始めてはどうでしょうかと考えています。 お集まり下さる方々のご希望次第ですが、月2〜3回くらいで、日曜日午後、調布市「たづくり」内で、会場が確保できた時に、で如何でしょうか? 資料の印刷代や受講料などは無料で、会場費やオーディオ機器使用料も、小泉持ちでも良いのですが、 これについては、小泉も含めた全員の分担というのでも如何でしょうかと考えています。 皆様のお知恵拝借で、何より「楽曲分析という貴重な経験をゆっくり楽しむ」を第1に、長く合唱(歌うこと)を積み重ねてきたキャリアの、その先に進めていけたらと 、そして長く一生懸命に経験してきた「歌うこと、合唱すること」の総仕上げを、私の責任で多少なりとも果たせると嬉しいと願っています。 お気持ちを向けて下さった方は、是非小泉にご連絡下さい。 koizumi-a@muc.biglobe.ne.jp akk-cdc@willcom.com  042-483-9105
 合唱指導を続けています合唱団「コール・まどか」は変わらず、のどかに和気藹々、楽しい曲を歌っています。 基本が、団員の希望する曲となっているのですが、少し若い?方々からの英語歌詞の曲など希望が出ますと、些かびっくりなのは、 意外に拒否反応が出る様子に思い当たっています。多少、賛美歌風だったことにもよるかも知れませんが・・?(キリスト教嫌い? 英語に拒否反応?)  ただ、とても明るく、軽やかで美しいメロディーなのですが・・ それにそれほど難しくもないのに? イタリア語のカンツォーネなど、大変気に入って、 繰り返し繰り返し歌って来たのですが・・? 珍しく選曲に気を使います。ただ、来年2019年秋ころに、第11回定演を希望している様子ですから、 団員数も共に、曲数を増やす必要があるのですね? シルバー合唱団と言っても、 60〜70歳くらいの方々と、90歳くらいの方々では、戦後生まれと、戦争を経験した女学校や中学校で学んだ方々とで、 世代の格差が大きいのをこの合唱団も、漸く実感するようになってきています。もっとも感じているのは、多分私だけくらいかもですが・・  60〜70歳代が中心になって活動を進めてくれていますが、 90歳くらいの方は、なんと言ってもこの合唱団の歴史を作ってきて下さった方々ですので、大変大切です。長老ということなのですが・・?
 演奏会は、時間も無く、余り行かれずに過ぎてきていますが、先日、二期会のオペラ:C.M.von Weber作曲「魔弾の射手」全3幕を観ました。知人が出演するとのことで、チケットを購入しました。知人の若いソプラノ歌手のソロは、とても上手でした。 コンビチュニーという斬新な演出家による舞台でした。話は、良くある民話のおどろおどろしい話を元に構成されています。 内容が、昔々ドイツの真っ暗な森の中の妖怪や魔法使いなどを主題にしているオペラを、現代風に舞台も衣装も、演出もなされて、試みとして面白いかもしれませんが、 私には、大変違和感を感じました。原作どおりの衣装と演出で行ってこそ、当時の人々が感じた、森の奥深くに、妖怪や魔物、魔法使いが住んでいて、 欲を出したり、競う人間をたぶらかすという民話の世界が実現できると、私は考えます。 舞台上の真ん中におかれたテレビの画面や、階段、エレヴェーター?などで表現されると、面白いというより、興ざめの感でした。 現代の人気演出家ではあるようですが・・

2月2日(金)2018

 2月に入り、明日3日が節分、4日が立春だそうです。豆まきも久しくやらず、煎り豆も戴かず(歯も大事?)、 子供達が小さかった時を懐かしく思い出しています。 今冬も、大雪の便りが、高い山脈に囲まれた東京など以外、九州や四国なども、日本列島を南から回ってくる、 北からの寒気のため、雪に見舞われているとか?  申し訳ないくらい、東京は、毎日晴天続きでした。ただ、実は、東京も、このところ、珍しく、雪に見舞われています。 先週1月22日(月)、23日(火)には、思いがけず、可なりの雪が降りました。 屋根から、庭にどさっとずり落ちてくる雪に、融けた後のぬかるみを思いやっていました。 さらに、昨夜2月1日(木)から、今朝にかけてのさらさら降り続いた雪。 いずれも、我が家の近辺では、TVで、何度も警告されるほど、大したことも無く、まあ、雪を楽しむ程度です。 「あぁ! しばらくぶりの雪だぁ!!」と。 もちろん、うっかり滑って転んで、捻挫や骨折など、絶対にしないよう、わが年齢を考えて、注意百倍,千倍?です。 雪かきの後が凍り付くのに、細心の注意です。 冬至が過ぎて、年が明けますと、少しずつ日が長くなり、実は陽光も心なしか明るく感じられてきます。 毎年1月の花と思っている、はかなげに透き通る蝋梅が、昨年暮れから、早々と咲き始め、梅も咲き競い、陽 の光に照らされ、 冬枯れの木々の中に、ほのかに香り、のどかに暖かく美しいです。 なのですが、実は、私には、およそ関係ないながら、このところ、とても気になっていることです。 アメリカでは、異色の大統領が、驚くような言動を繰り返し、言葉もあらわに、人種差別的発言を公言して憚らない? 様子です。 勿論、多くの方々の非難を浴びつつも、一向に改まらず、むしろ、良く言ってくれたと、アメリカの可なりの人々は、 満足気で、殆んど人気に翳りも見えず、40%ほどの支持を維持している様子とか。人種の違いの偏見の奥の深さを知らされます。 そういう、日本でも、実は、昔から、驚くような差別的行為や、発言が繰り返されてきて、村八分などということもあり、 村はずれで、先祖関連の差別された家柄とか、さしたる理由もなく、遠慮して生活していた人がいたりしていました。 今も、土地土地で、それほど公言されていない?とはいえ、残念ながら、根深く、解決が難しく、払拭しがたい問題なのです。子供のいじめも同じです。 人間社会の解決不可能な問題でしょうか? ただ、世の中全員がということは、決してなく、自分に合う世界が必ずあるので、気にしないで、 堂々と、自信を持って生きることでしょうと考えます。アメリカのように、殺傷事件に発展したり、ヨーロッパでも、 いきなり、大勢の人々を対象の殺傷事件があると、人間とは、やはり、文明が、知的なレベルが、どんなに発達しても、獰猛な動物と同様、 むしろ、この地球上で、最も始末の終えない、獰猛な動物であると、そういうものかと、妙に諦めムードになったり・・・・・   いやいや、私達は、人間である。 知的な、思考力を持った人間である。思いやりと温かい心を、育むことの出来る素敵な生き物なのだと信じて、 少しは、世の中を温かくするよう、自分なりに努力したいと思っているのですが・・  多くの天変地変の度に、多くの人々が、ボランティアとして、食料や、寝袋など、一式持参で駆けつける。 私は、ニュースで知っても、感心し、素晴らしいと思いつつも、一度も行ったことは無い。 まあ、今になると、この年齢の力足らずのおばあさんでは、かえって、足手まといでしょうと。 東日本大震災のような時は、想像を絶する事態の余りの事に、及ばずながら、私なりに思い切った寄付金を送ったり、 でも、他の災害では、やったり、やらなかったり・・ (阪神大震災の時は、勿論、個人で寄付もし、実姉が神戸在住ですので、寝袋持参で、取りあえず駆けつけ、後片付けなど、何度か通いましたが・・  あの時は、全体にまだ若かった私の合唱団でも、チャリティーコンサートを行い、低くない金額(確か、30万円足らず)の皆様の浄財を、 相談の結果、神戸の子供財団に寄付しました。・・ ただ、あの時は、係りの役員さんが、丁寧に集計して、送金してくれたのですが、ごく簡単な1枚の受け取りの領収証?のようなものが届いただけで、 「ありがとう」などお礼の言葉は、全くありませんでした。 先方にしてみれば、それはそれは大変な事態になっているので、寄付金など当たり前で、お礼の一言の必要を思いつきもしないのかもしれませんが、 領収証を送るついでに、ごく簡単に一言でも、「ありがとう」の文字があってしかるべきでは?と、むしろ、不思議に思い、記憶に残っています。 人間力の素晴らしさ?神戸は、とっくに、復興して、以前より町並みが美しくなっています。ただ、私の友人も含め、多くの犠牲者は、忘れません。 東北大震災も同じです。記憶のかなたになる第2次世界大戦 (全く知らない人々が、もう70歳を越えてきている) を戦った悲惨な日本は勿論、世界中の計り知れない犠牲者が、記憶のかなたに沈められていますが、忘れてはいけない、人種差別の最たる結果でもあるのです。今、アメリカは、ユダヤ人が、勢力を増し、かっての裏返しのような行動を広げているように思えます。 世界は、人間も、動物同様、いえいえ、動物以上に、永遠に争いを続けていくように思えるのですが、私の身の周りは、まずまず穏やかで、感謝すべきでしょうと・・・  問題山積の日本の先行きが、大変気がかりですが・・  ところで、「有難う」という言葉は、世界中に、必ずあります。どんなに大きな声で言ったとしても、全く、損はしません。 それどころか、世界中、どこの国の人々も、それぞれの土地の言葉で、「ありがとう」「thank you」というと、絶対に、笑顔が返ってきます。とても素敵な、大切な言葉で、大事にしたい、すべき言葉です。アフリカでは、小さな子供達まで、 普通に英語を話しています。日本人(私も)は、普通は、なかなか思うように、 英語も話せずにいます(日ごろ、話す機会が皆無で、全く慣れません)。 でも、せめて、(英)[Thank you],(独)[Danke schön],(仏)[Merci beaucouq],(伊)[Grazie mille],(西)[Gracias],(ポ)[Obrigado(又はda)], (韓)[カムサハムニダ],(中)[謝謝]と、覚えましょうかと、思います。 これだけで、土地土地の人々は、大人も子供も、にっこり、笑顔を返してくれる素敵な言葉です。とても 素敵な笑顔が、ニュースや、ドキュメンタリーでも見られます。トランプさんも、しっかり見ればいいのに・・・・・。 黒い子供達が、眼を輝かせて、英語を話す姿、「ありがとう」という姿、みんな人格があり、存在がある。 (ただ、外国を旅行する時は、にこにこと可愛く近づいてくる子供には、最大に要注意。可愛いけれど、十二分に要注意!!  決して近づかない! 近づけない! 遠目ににっこり・・・も、絡まれるかも??とのこと。 気が付くと、何か無くなっていたり?バッグが開けられていたり・・・ 誰がそのように仕向けたか? 残念ですが、現実です。 でも、やはり、「アリガトウ」「ありがとう」「有難う」は、本当に素晴らしく、大切な言葉です。)unicef, 国境なき医師団、青年協力隊(Jica)など、人種を超えて、今現在も、 世界中で、多くの方々が、多くの方々のために、一生懸命に活動しています。
私が、唯一継続している合唱団「コール・まどか」の、昨年9月に行いました30周年記念、第10回演奏会の演奏記録が、なんと4ヶ月ぶりに漸く出来てきました。 全く催促せず、まあいいか!と、のんびり、待っていたのですが、それにしても、ごゆっくりな仕上げだなあと思っていました。 録音・製作担当技術者の方は、のんびりではありますが、思い入れを込めて、なかなか丁寧に仕上げて下さっていて、団員一同、嬉しく、満足して、DVDを鑑賞しました。 自画自賛になりますかどうか?60歳代、70歳過ぎが、若手という、本当に素晴らしい年齢の団員一同、聴いてびっくり、 視てびっくり、と申しましょうか、半分くらいが、平土間に椅子を並べて、ずっと座っての演奏でしたが、声だけですと、とても若々しく、あれ!?? と、 思わず、DVDの画面を見直す様子です。 いわゆる、おじいさん声、おばあさん声では、余り無く、改めて、創立以来、30年、毎回、しっかり、丁寧に発声練習をしてから、 歌の練習に入っているのが良いのだなあと、思い至っています。 次回はいつか?出来るかどうか、些か??ですが、 これから、暫くは、のんびり、団員達の希望を聞きながら、楽しく歌っていきます。 まあ、若い?方々の入団が、ままならない現状では、これからどのようにしていくのかなあ ?など、少々思案しますが・・・  同時に、CDも、当然ながら、製作して頂き、両方を鑑賞しました。当然ながら、DVDの方は、画面に気を取られますので、音をシャープに聴き取るには至りませんが、 CDですと、しっかり、音を聴きますので、聴くということでは、CDの方が、細かい音のぶれ、発声の良し悪しなど、良く分かると、改めて、実感しました。 特に、団員たちは、兎も角、これから、ますます活躍して欲しい、テノールとソプラノ、それぞれ一人ずつの助っ人の若い歌手や、ピアニスト達の演奏では、 やはり、しっかり、聴き取って、精進して欲しいものと期待します。彼らには、DVDと共に、CDもプレゼントして、しっかり、自分の演奏を聴いて学んで欲しいと願っています。 おじいさん、おばあさんの集まりですが、若い演奏家達が、毎月1〜2回参加してくれるだけで、全体が活性化され、発声、更に、声質を保つにも、とても良い効果があることを、 この長い年月、つくづく実感しています。勿論、若い方々も、 しっかり、合理的な発声練習を、毎回一緒に、可なりしっかりしますので、良い練習になり、良い経験を積むことになっています。
 このところ、そんなに演奏会に何度も行っていませんが、先日、J.S.バッハ作曲「クリスマス オラトリオ」を、何年ぶりかで、聴きました。 全曲の演奏でしたので、長時間になりましたが、とても楽しく聴かれました。 合唱も、曲が進むに従った、声がまとまってきて、素晴らしく、特に、ソリストの方々が、どなたも、なかなか、素晴らしく、とても楽しめました。 受難曲などではありませんので、曲が全体に、明るく、嬉しい曲です。それに、バッハのコラール独特の旋律が、随所で聴かれ、懐かしく、楽しく聴きました。 私は、この曲集について、殆んど詳しくないのですが、めったに聴かれない曲集ですから、もっと演奏されてもいいかなあと思いました。 私も、全く、演奏経験がありません。ソロが多く、合唱がそれほどでも無いので、チャンスを作って、演奏しても良かったかなとも思いました。 ただ、演奏会場が、新宿文化センターでした。何年ぶりかで訪れる会場で、京王線新宿駅からですと、可なり遠く、少し近い駅は?と検索してみたのですが、 どこもだめで、結局、以前のルートを辿って行きました。 まあ、久しぶりの新宿の裏通りで、懐かしかったですが、急いでも、20分程?もかかり、良い運動でした。 様々な外国人が、驚くほど多く、この裏通りを、ごく気楽な格好で、慣れた様子に、三々五々歩いていて、??? びっくりしました。 更に、本当に久しぶりの新宿文化センターは、昔々新しかった記憶には、すっかり古ぼけていて、トイレも旧式で、新宿区って、財政が厳しいみたい?と思わせられました。 JRの利用人口などで、新宿駅は、世界でトップの乗降人口が話題になりますが、実は、可なり寂れつつあるのかも?  新大久保や、高田馬場など、昔々、私には地元のような感覚のあった町も、更に、四谷、牛込辺りも、すっかり様変わりの様子で、些か、寂しさを感じさせられます。 大変久しぶりの演奏会場に、すっかり、昔を思い出させられました。懐かしさと共に、辺りを見回しつつ、余り活気が無いなあと思ったりしました。 (昔もこんなものだったかしら・・・?)

1月10日(水)2018

 年が明けました。2018年だそうです。更に、もう少しで、年号も変わって、平成の時代も終わるそうです??  昭和の香りがするとか言われて、昭和生まれの私など、何かすごく古くなってしまったような気持ちにさせられていましたが、間もなく、平成の香りがするなどと言われるようになると、昭和はどういう香りになるのかしらと? もうカビが生えたような香りになるのでしょうか・・? まあ、わが年齢を考えると、そうかも?と思わないわけでもないのですが? まだ、目も、視力1,2まで見えるし、耳もとても良く聴こえるし・・・?  眼鏡要らずで、楽譜も十分読め、針穴が見えて、糸も通せ、辞書の細かい字も読めるんだけど・・・? いつまでかな??  ところが、私が、昭和生まれの証拠に、今時珍しく? 私は、繕い物が大好きなのです。 繕い物などと言っても、???の方が増えているかも? ボタン付けに始まって、ちょっとした洋服のほつれや穴あき等々。 布切れを切れ目に乗せ、アイロンを当てて、穴の補修をするという方法もあると。 それも、いいかな?と思ったのですが、ちょっとしたほつれは、やはり、糸と針で細かく補修するのも、目立たなく仕上がった出来上がりを楽しめて、嬉しいものです・・・?  実は、この繕い物の方法は、小学6年の時(はるか大昔?)、家庭科の女性の先生に教えていただき、大変面白く、実は気に入って、以来、様々に繕って楽しんできたのです。 ある時、30cm四方ほどの布を持ってくるようにと言われ、それぞれに持参すると、繕い方を教えて下さった。10箇所ほど、大小の丸い穴、かぎ裂き、生地が薄くなっている部分?など、いろいろな傷み方を作り、それぞれに当て布をしたり、糸をくぐらせながら、縦横と埋めて、ほぼ元通りに近く仕上げる方法など。 今に至るまで、自分のものは勿論、夫のコートの繕いなど。お陰で、物持ちが良すぎて、些か、どうかな?と。 第2次世界大戦直後は、食料は貧しく、まして、衣服など本当に乏しく、繕って着続けるしかなかった時代です。私は、お名前は、忘れましたが、そのお顔の様子と共に、綺麗に 繕う方法を教えて下さった貴重な経験に、今に至るまで、心温まる思いで、感謝しています。(この時以来、教えて頂く機会は、全くありませんでした。 更に、誰かに、受け継ぐこともしていません。時代が違って、感覚が違い過ぎている?? でも、ボタン付け位は、どなたでもしているはずですね?当たり前に。) ただ、今の時代、景気を支えるためには、どんどん消費することも必要なのかも? 大量生産、大量消費? 大量のごみの行き場は??? そういえば、漸く思い出しました・・? 初詣に、まだ行っていませんでした。今年は、何故か、行く気がしないのですね。 昨年暮れに、富岡八幡宮での、陰惨な事件が大きく報道され、大変な収入があり、その使い方についての信じられない争いが続いていたとか?  また、宮司の職を巡っての信じられない争いがあるとの報道に、また、多くの寺社の想像を越えた収入の多さとその使われ方が、多少知らされ、びっくり仰天、 さもありなんと、妙に納得させられ、お参りすることに大変疑問を持つようになっています。家族の安寧を祈って、お参りし、些少のお賽銭を納めてきましたが、 積もり積もれば、莫大な金額になり、それを巡って、一族で争いを続けているとは? 他の寺社も、同じようなことが、珍しく無いとか??  それぞれの寺社の修理や維持の為は当然ですが、折角の心づくしの浄財、社会のために、有効に使うのが、当然でしょうと考えるのですが、 入ってきたものは、何に使っても勝手と、豪遊などとは???
 新しい年、合唱団「コール・まどか」さんも、始まりました。ただ、昨秋、第10回、30周年記念演奏会を行いましたので、今年は、のんびり、楽しみます。 年齢制限も無いのですが、なかなか若い方が入って来て下さらず、まあ、60歳代なら若い、となっています。 30周年ともなると、90歳くらいの方もそれなりにいて、休まず参加して、しっかり、本当に素敵に、良く歌ってくれています。 長く、歌い続けているためか、お年を感じさせない声で、歌ってくれています。 宗教曲以外は、難しすぎない曲なら、適当にアレンジしつつ、まずまず、どんな曲でも、取り上げてきています。女声も男声も良く歌うなあ!と、嬉しいです。 世の中、いずれの合唱団も、相対的に、若い方が少なく、まあ、60歳代以上が、多数を占めている様子です。 ただ、特に、年齢制限をし、若い方々に限定した合唱団もあるのですが・・ 年寄りが多くては、声質など、困るから・・・?  さらに、日本の人口構成が、将来は半減?とか、尻すぼみ状態になりつつあるようで、何度かのベビーブームの人口構成のふくらみも、ぐっと高年齢層になり、 日本の将来が心配になってきます。何といっても、人口が多いのは、国力も強く保てて、心強いです。中国が、圧倒的巨大な人口で、 世界の様々なところに、進出している様子は、脅威になりつつあります。
 年明け早々、今月は、早速、何度か演奏会に行きます。いずれも、知人の演奏会ですが、それぞれに、年齢を忘れて意欲的な演奏会もあり、楽しみにしています。 先日は、若いピアニスト達の楽しいが、意欲的な演奏会を聴きました。 こじんまりした喫茶店での演奏会ですが、互いに、4手連弾、6手連弾、ソロと、仲間で趣向凝らし、なかなか難しいが、 楽しい曲を並べたプログラムで、中に、ソプラノソロのオペラ・アリアもあり、活動を発展させ、続けていくことは難しいですが、 互いに、意欲的に続けていますので、精一杯応援して行きたいなと考えています。

12月10日(日)2017

 この部分は、 ひと月ほど前、書きかけてそのままになりました。「今年も11月になって来ました。 後2ヶ月で、年が明けます。秋の長雨とは、今秋のことのようです。漸く秋晴れが見られ、何かほっとする思いです。 今秋も株が増え、沢山咲いてくれ、楽しませてくれた、温かく優しい様子の白い「秋明菊」も終わりつつ、 更に、沢山真っ赤な小さい粒々の花を付けてくれた「水引草」も終わりつつ、秋の終わりを感じさせられます。 いずれも、私の大好きな花で、心が膨らみ、満足しています。肥やしは、お米のとぎ汁程しか撒かずなのに、けなげに咲いてくれて、本当に嬉しいです。 そうそう、もう何年も花を付けていなかった「さざんか」が、今日気が付いたのですが、なんと白い花をほころばせ始めています。 突然変異の様子です? 蕾も入れて、今のところ、3輪ほどです。 更に、木の高さ 2m少々の小ぶりの「さざんか」などは、肥やしもやらず、毒蛾予防で、毎年、しっかり剪定して、花の蕾も付きづらいはずで、 昔少し咲いた記憶があるくらいで、全く何十年も花をつけなかったので、びっくりです。いじらしい感じがします (12/10 その後、気が付いたのですが、昨年秋、長年そばに立つ、全く実をつけない柿の木を高さ1m程に切ってしまったのですが、そのため、大変日当たりが良くなった為かも?  結局、次々と20輪くらい、直径7〜8cm程の大きなほんのりピンク色の素敵な花が咲いてくれ、とても幸せな気分になりました。 )
 調布市の市民音楽祭が、10月21日(土)に、楽しく和やかに無事終わりました。どの合唱団も、精一杯の演奏で、素敵でした。演奏の良し悪しより、それぞれ和やかに、一生懸命に 演奏する様子が、素晴らしいと思います。まあ、出来れば、演奏も素晴らしいと良いのですが、そうも行かないのですね? いろいろあって良いということでしょうか?  それより、やはり、残念ながら、全体に年齢が上がって、どの合唱団も、シルバーが多く、いえ! シルバーばかり?になってきていることです。 それらの各合唱団から、毎年、数人参加して、朝早くから、山台を組んだり、こまごまと準備して下さるのですが、さすがに、年齢を感じる方々ばかりで、申し訳ない気持ちになります。 力仕事の類は男性が、会場のロビーや出入口の管理や、受付などは、女性が、各合唱団から出て、こまごまと気配りして下さって感謝しています。 ただ、合唱団毎に、指揮者用の譜面台の高さや、ピアノの蓋の高さまで、気配りしていただき、高さの違う譜面台を出し入れして下さっている様子にびっくりで、それは、必要ないでしょうと思いました。 私自身は、毎回暗譜で振りますので、全く必要なく、たった2曲くらい、暗譜で振ればよいでしょうし、譜面台が必要なら、指揮者が、高さは適当に調整すれば良いでしょうと、私は思っています。 おじいさん達が、大変忙しげで、疲れが溜まるでしょうと気の毒に思えました。と同時に、年寄りばかりになってきたこの音楽祭も、いつまで続くかしらと、ふと危惧しました。 中では、私の合唱団の男性たちは、70歳過ぎくらいで、いくらか若く元気なのですが、さすがに、疲れ果てた様子で、その夜は、どなたも、「バタン!キュウ!」だった そうです。心から感謝しています。世の中全体に、若者人口が少なくなってきて、日本全体の人口構成が、だんだん下方、若年齢層が、尻すぼみになり、逆三角形になりつつあるのを、実感させられます。 日本全体の活性が、どんどん弱まってくることを危惧させられます。 少なくなって来ている若者達が、絶えずスマホに興じている様子も、ただ、年寄りの取り越し苦労とは言えないですね。 中国が、四方へどんどん勢力を伸ばし、周りを席捲する勢いが増す中、日本の将来が気になります。 尖閣列島は勿論、奄美大島、鹿児島の鼻先まで、中国領土だったと主張して憚らない中国の強引さに立ち向かうには、若者達にしっかり頑張って欲しいと心から願っています。 のんびり、スマホでゲームなどして、遊んでいる場合ではないはずです。かって、死に物狂いで、戦後ぼろぼろになっていた日本を復興させるために、頑張 ってくれた人たちも、もう80歳代、90歳を越えています。その後、日本は、??景気に浮かれているうちに、景気後退が続いています。何とかしなくてはと、全く何とも出来ない 高齢の私でも、焦りを感じるのですが、世の中の皆様は如何なのでしょうかと、特に平和な様子の若者たちはどうなのでしょうかと心配になっています。」 ここまで、 実は、11月3日に書きかけて、そのままにした部分です。
 いつの間にか?12月に入っています。 合唱指導は、変わらず、「楽しくのどかに、しっかり歌って!」を続けています。「オリバーのマーチ」などミュージカルナンバーあり、「For the beauty of the earth]イギリスの賛美歌もあり! 滝廉太郎の「月(秋の月)」など、何でも合唱にして歌います。2〜3部合唱です。 時に、アレンジしながら。今秋9月、第10回、30周年記念演奏会をしましたので、次の定演は、2年ほど先になります。今は、楽しく、のんびり、より沢山、出来るだけ明るく楽しい曲を と考えています。団員達の希望の曲は、多少悲しげでも、まあ 取り上げますが・・・
 最近演奏会にしばしば出かけています。 特筆するのは、11月9日(木)には、エディタ・グルベローバ主演のドニゼッティー作曲オペラ「ランメール・モールのルチア」、 13日(月)には、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮、ブラームス作曲「ドイツ レクイエム」、 12月1日(金)水越 啓「テノール リサイタル」など、大変心に響き、記憶に残る素晴らしい演奏会が続きました。 東京文化会館でのグルベローバのソロ「ルチア」は、お歳(70歳くらい?)にも拘わらず、ピッチがすっきり決まっていて、 音に揺らぎの無い歌声が、大変素晴らしく、その歌声は耳の奥に、心に大切に記憶しておきたい歌声でした。ただ、最後の最高音[ハイES]が、残念ながら、つぶれました。 youtubeで聴きますと、素晴らしく綺麗に上がっているのですが? 年齢のため、疲れが出たのかも? 長い一人舞台は素晴らしかったです。 さらに、90歳?とかの指揮者ブロムシュテットさんの「ドイツ・レクイエム」、50分足らずを、立ったまま、しっかり、暗譜で振られ ました。又、100人ほどものウィーン楽友協会合唱団のビックリする素晴らしい合唱。こちらも、私の生涯、記憶に残る演奏でした。 何年か前、N饗指揮者でいらっしゃった頃の大変端正な、分かりやすい指揮振りを、及ばずながら 、私の指揮の参考にさせていただいていたのですが、暫く前、TVのN饗アワー?での指揮振りが、動きの少ない、曖昧な指揮で、やはりお年かな?と思っていました 。この日のブロムシュテットさんの指揮は、昔とは違う感じでしたが、しっかり振っていらっしゃいました。勿論、演奏し慣れて、体に沁み通っている曲でしょうと思います。 年齢を考えますと、すごいなあ! 12月1日、私の混声合唱団「クール・ドゥ・シャンブル」の「ヨハネ」「マタイ」の両受難曲で、 エヴァンゲリストをしっかり努めて頂いた水越 啓さんのテノールリサイタル、W.A.モーツァルト と、F.X.モーツァルト(W.A.モーツァルトが亡くなる1791年生まれ、第6子。唯一人、音楽家になった息子)親子の作品で、大変珍しく、初めて聴く曲が多く、演奏も素晴らしく、とても楽しめました。 オペラシティー近江楽堂で、古典派時代の歌曲を取り上げて、リサイタルを重ね、今回4回目、会を重ねる毎に、声もふくよかになり、曲の解釈など演奏全体に、深みが増してきています。 他に、私の元混声合唱団の仲間が歌う合唱団の定期演奏会、仲間で、独自に活動している合唱団で、耳慣れない宗教曲を自分達で選んで、演奏しています。 今回は、ソプラノも柔らかく、アルトがしっかり響いて、合唱全体が柔らかく安定して、心地よく聴かれました。さらに、以前から、私の合唱団のソプラノ助っ人を続けて頂いている方の所属する 若い女性たちの合唱団「Regalo東京」の演奏会など。照明や音響なども、とても美しく 効果的な演出で、柔らかく澄んだハーモニーが、とても楽しめました。暮れまで、もう少し、演奏会を楽しみます。

   9月 18日(月)2017

 9月半ばになって、秋ですね。この夏はあまり暑くなく、 残暑も、さほどではなく、残暑に大変弱い私は、気持ちの上でも、助かっています。このところ、蝉の声が全く聴かれなく、これが毎年になるのでしょうか?と心配しつつ、 昨年は、どうだったかな?と思い出そうとしていたのですが、漸く、気が付けば、庭には、蝉の穴が、3つくらいあって、8月10日過ぎ?くらいから、少し聴かれ、油蝉、ミンミン蝉、ひぐらしなど一応聴かれました 。カナカナは、残念でした? ただ、やはり、いずれも少ないなあと気がかりです。 昔は、蝉の穴が、狭い庭のあちこちに、30個以上ほどは、見られていたものです。当時、空いている穴に、初め、何かしら?と思っていたものです。わが庭では、農薬は全く使わないのですが・・ いつの間にか、激減です。更に、虫の声です。我が家の植栽の中で、幾つかの虫の声が毎夕、聴かれます。 でも、嬉しくなる程度で、昔のように、うるさい感じでは、全くありません。我が家のフェンスの向こうは、農家さんの広いお屋敷の裏手になり、お忙しい様子で、 特に今夏は、背丈を越える雑草が生い茂っています。 そのお陰か、この秋は、なんと、何年ぶりかで、3,40cmほどの細い茶色のへびが我が家の庭を這っていて(多分、マムシでは無いと思います?)、見ていると、するする〜っと 、お隣の雑草の中に消えていきました。 さらに、トカゲ(かがみっちょ)も、時々我が家の庭を散歩してくれています。日本スミレの葉や、くちなしの葉は、大きな蛾の幼虫に食べられ、文字どおり、筋だけになり、可哀想ですが、 どっちを助けるかな?と、葉は、又出てきますので、虫を優先にしました。蛾の幼虫ですが、調べると害の無い蛾とか? どうやら、毎年秋の初めにやってきて、たまごを産み落としている様子です。 すっかり食べつくすとどこかへ移動するようで、姿が見えなくなります。さなぎも無いようですが?無事に蛾になるのでしょうか?  他に、この秋は、嬉しいことがあります。昨年秋、道端に生えていた水引草の種を取って、プランタに撒いておいたのが、沢山生え出て、目下小さな赤い花を咲かせています。 私は、この静かな、おとなしい花が、昔から大好きです。又、今年も、秋明菊が、幾輪もほころんで来ています。狭い庭に、所狭しとあれこれ生え、だんだん窮屈になりつつの様子です。 さらに、もう50年ほど前、私達が、ここに住み始めたころ、私の父が、可愛い花だからと、宝塚市の実家から分けて持って来て、植えてくれた「タマスダレ」、清楚な白い花が、沢山群れ咲いてくれています。 同時期に咲く彼岸花と同種であることをネットで知りました。花の形状は、全く違いますが・・  これも大好きな花です。その父は、もう30年ほど前に亡くなり、花は、生き生き咲き続けてくれています。肥料は、お米の研ぎ汁のおすそ分けだけです。 株が大きくなり、毎日このところ、40輪ほど咲いてくれています。毎日、数えながら、花殻を取るのも楽しみです。 他に、やはり、26年前に、97歳で亡くなった夫の父が、実家から持ってきて植えてくれた1メートルほどの丈だった「ドウダンツツジ」が、 幹周り15センチほど、高さも3メートルほどになり、毎年、何とも可憐が釣鐘形の花を、びっしり咲かせてくれていたのが、数年前から、花が少なくなり、枯れ枝が見られるようになり、 とうとう今年は、殆んど枯れた様子になったので、思い切って伐採していただきました。線虫が入っているとか? 大変残念ですが、広がらないうちにと切っていただきました。 ただ、しっかり1mほどの子供を残してくれています。更に、根が伸び、小さい「子生え」が幾つか出てくれています。木は、老齢になると、どうも「子生え」を生えさせるようです??  素晴らしく咲き誇ってくれた「花桃」も幹の中は空洞になり、皮だけで生き永らえている様子ですが、根元や、幹の途中に、しっかり「子生え」を育て、子孫を残してく れようとしています。 さらに、こぼれんばかりに毎年咲いてくれる「日向みずき」も、気が付けば、根元に小さな「子生え」が沢山見られます。 更に更に、香りが漂い開花を知らせてくれていた「黄木蓮」も、随分花が少なく、今年は、ほんの少しになっていますが、気が付くと、やはり根元に「子生え」が見られます。 山の木々もこのようにして、生え変わっているのですね。その一生懸命に繫いで行こうとする生命力に、私の心も励まされます。
 そう、合唱団「コール・まどか」さんの30周年記念、第10回演奏会は、一昨日9月16日(土)、無事に終了しました。 台風の到来も聞かれる中、多少の雨模様ながら、さほどではなく、いつもと同じ位200名ほど、まずまずのお客様にお越し頂き、楽しく行えました。今回は、終始座っていても良いとしまして、組んだ山台の前、平土間に椅子を並べ、座ったままで、出演団員20名ほどの中、7人くらいが演奏しました。皆様、80歳代も半ば過ぎの方々です。立ち続けて歌うのは心もとなくても、長く続けてきている為か、良い声で、良く歌います。 なにしろ、シルバーコーラスとして発足して30年の記念の演奏会です。当然高齢者が多くなっています。本当は、「30代、40代、何歳でも是非ご一緒に」と、シルバー・コーラスのタイトルをはずして、久しいのですが、一度付いたイメージはなかなか消えないためか、思うように団員が増えません。特に、若い方が全くです。やはり、60歳代が若いという様子で、???  私も、この残暑の秋口は、時期的に、体調が整わず、大変きつく、全曲暗譜が当たり前と思いつつも、慣れた曲なのに、なかなか完全とならず、一応、全曲暗譜で振ったものの、今回は、 2,3のミスもあって、完璧に出来なかったのが、残念です。ただ、大変体調不良の割には、兎も角、無事?何とか終了出来、まずまずと思っています。どなたにも歌って楽しんでいただくように、可なり難しい曲も避けずに、団員に合わせて、何とかアレンジし、楽しむことの意義を痛感しています。今回も、殆んどの曲を、私がアレンジしました。まずは、歌う方々の能力を考えつつ、助っ人の若者の助けを借りつつ、聴き栄えも狙って、アレンジします。 今回も、中間パートは、テノールの助っ人に助けてもらい、ソプラノは、現役の大学院生が可愛い澄んだ素敵な声で、オブリガートなど、最高音域のパートを華やかに受け持ってくれました。 曲全体がしまって演奏効果が上がり、嬉しい存在です。彼らも、いい経験になるはずです。
 このような夏の期間で、コンサートには、全く行っていません。youtubeで、知りたい曲を少し聴くくらい? 旅行も計画していたのですが、体調を考え、やめました。一つ、つい先日落語を聴きました。調布の大ホール、グリーンホールで、「桂文珍と、三遊亭円楽」の二人公演でした。特に、落語に興味が強いわけではないのですが、折角近くに、「文珍」が来るということで、聴いてみてもいいかなと考えました。いわゆる古典落語ではなく、少々がっかりしましたが、さすがに、程ほどに、上手でした。ただ、「桂小三治」のうまさには及ばないと思わせられ、10歳くらい年齢が違いますので、まだこれからなのかしら?と思いました。もう一人も、なかなか、名の知れた方なのですが、もう一つでした??? 本当に、素晴らしいと感動させるのは、難しいのだなあと実感しました。以前に、「桂小三治」の古典落語を聴いた時、小三治の姿が消えて、語りの時々の人物に、見えてしまうのに、特に女性を演じた時、何故か、年配の女性に見えて、びっくりしたことがあります。ただ、この小三治も、いつもではないようで、別の時は、がっかりしたこともあります。それだけ、語るというのは難しいのでしょうか? 芸術の秋、これから時間の余裕も出来、演奏会が可なり続きます。楽しみにしています。旅も予定しています。絵も好きで、時々観に行きます。特に、山種美術館に、また、都美術館他に足を運び、その筆遣いの、色合いの素晴らしさにびっくり、人の才能の果てしない素晴らしさを実感しています。ただ、意外に、私の好きな画家の作品に、あまりめぐり合わないのが残念です。作品が少ないのか、あまり人気が無いのか・・?

8月 1日(火)2017

 今年も真夏になっています。年の初めから、延々、私の勝手な原稿書きに日数をかけています内に、夏真っ盛りになっています。 で、気が付いたのですが、我が家の周りでは、8月というのに蝉が全く鳴いていません。以前、良く見かけた、蝉の抜け殻や、地上に出てきた地面に空いた穴など全く見かけなくなっています。更に、この近年、9月になっても、虫の声も聴かれません。大変静かです。とんぼは、ずっと以前から、蝶もめったに見られません。キャベツ畑は、年中?大変上手に栽培されていますが、いつの頃からか、あんなにいたモンシロチョウが飛ばなくなっています。ここの住み始めた45年ほど前には、すぐ目の前のキャベツ畑で取ってきた青虫を家の中で育て、沢山羽化させたりしていたのですが・・・ 更に、そういえば、先日、大変珍しく,黄アゲハが、庭木に止まって いるのを見かけ、嬉しくなりました。暫くして、庭に出るとまだいてくれていました。とても嬉しかったですね。更に、すずめの声も、ムクドリの姿も、さらに更に、カラスさえ姿が見えません??? 一時は、ざット数えて、30数羽いて、少し気持ち悪い思いもしましたが・・  その上、ご近所には、年寄りばかりで、子供の姿すら、ちらほらで、子供の声も聴かれません。大変静かで、結構です。でも、本当に大丈夫なのでしょうか? 近辺では、子供は居ないも同然なのですが、夏休みの昆虫採集など、この辺りではまったく出来そうにありません。 以前は、さあ?10数年前?20数年前頃には、庭に蝉の穴が沢山空いていて、うるさくみ〜んみ〜んと?  いえ? じ〜〜じ〜〜だったでしょうか多分こちらでしょう? ミンミンゼミではなく、油蝉だったようです?  近年聞かれなくなり、どっちだったたか記憶が薄れます。 8月半ば過ぎになり、夏も終わりになってきますと、「ほーしつくつく」「ほーしつくつく」と、「つくつくほうし」 少し遅れて、澄んだ響きで、「カナカナ!」と、聞かれて夏の終わりを知らされる様子でしたが、いつの頃からか、もう随分、まったく・・・  更に、9月,秋になっても、虫の声が全く聞かれません。年中、この辺りは、子供の声も聞かれず、 虫の声も聞かれず、街行く人々は、どちらかというと、年配者ばかり?? 周りの環境は、農家さんに囲まれ、 畑が多く、木が生い茂り、雑草は、呆れるほど勢いが良く、うっかり、庭に出ると、蚊の総攻撃を受ける、ある意味自然が豊かなのですが、気が付けば、 ものすごく変な自然環境にになっています。プランターの花などは、綺麗に咲いてくれる ので、それにまぎれていましたが、 蝉の声も虫の声も聞かれず、童謡の「せみ、せみ、せみせみせみみ〜、 どこにいるのか蝉〜〜」も、「あれマツムシが鳴いている〜〜」も、何年か前から、昔々の歌ということになっています?? どこか所変われば、以前同様に、聴かれるのでしょうか? 私は、無農薬栽培と聞いています近隣の農業は、本当でしょうかと・・  農薬のせいで、強い虫や雑草が生き残って、繁殖、繁茂しているように思えます・・?  我が家の塀の向こうの農家さんの庭は、お忙しいらしく 、屋敷裏でもありか、木は生い茂り、雑草はぎっしり、 雨が降ると、茂ってきている笹がお辞儀をしてきて、フェンスを越え、塀を越え、我が家の庭に垂れ下がり、どうしたものかと思案しています。勝手に切ってよいものかどうか?何より、少々気持ち悪い様子になってきています。中に、 「あやめ」や、「ゆり」の花が、たまに咲くのが嬉しいのですが、ほったらかしで、塀の向こうとはいえ、少々気になっています。一方で、様子を伺っていますと、農家さんも、本当に大変そうです。 後継者不足の様子で、成人のお子様がいても、余り畑で姿を見かけない??  親世代の方々が、腰を曲げつつ、何とか続けている様子です。 若者は、何をなさっているのか? 寂しく、心細い状態が、これからの日本の将来かもと、案じています。 テレビも携帯も、スマホも無く、電話、ラジオすら珍しい時代!日暮れと共に、蛍がふぁ〜ふぁ〜と光り、 鳴き足りないのか日が暮れてもたまに聴かれた蝉の声、「〜〜岩にしみいる蝉の声」と詠まれたのはいつのことでしょうかと、この頃、妙に懐かしく、考えさせられています。 と、ここまで書いて、考えさせられるのが、害虫はしっかり生き残っている? 蚊、毒蛾、蜂、ゴキブリ、蜘蛛、蟻、この頃は、「ひあり」「背赤蜘蛛」とか? ただ、この近所では、蟻も昔ほど居なくなっている様な?蜘蛛?も。 更に全く見かけないのは、モグラです。昔は、畑やちょっとした空き地など、モグラのトンネルが続くらしい土の盛り上がりを見かけ、我が家の庭でも時々見かけました? さらに、蛇?昔は庭の隅をそろりそろりと這っていたり、ブロック塀の上を這っているのを見かけました? また、蛙です。 今でも、見掛けのよくない私の握りこぶしほどの蛙が、我が家の庭の主のように 、ず〜と住んでいる様子です。私は、全く何もしませんが、大切に思っていて、姿を見かけると、生きていた?とほっとします。 以前、小さな雨蛙が住んでいて、雨模様になると、決まって、「けろけろ」と鳴いて、雨の到来を知らせてくれていたのですが、それもいつの間にか、随分前に聞かれなくなっています。 それでも、ごく稀に、とんぼや背黒せきれいを見かけると、嬉しく、「お大事に!」と言いたくなります。そういえば、突然?近所のお菓子やさんが閉店するらしいのです・・  お子ちゃまなど家族ずれも多く、車で来る方も多く、とてもお客が多い人気の店で、なんで?と思うのですが、10年の契約期限が来たからとか? この辺りは、古い街道沿いのためか、目の前を、幹線道路が走っていて、集客力は十分の様子です。地主の方々も、強気なのでしょうか?  この同じ道路沿いでも、様々な店が並んでいて、全く変わらず、数十年は継続して営業しているのが、殆んどなのですが?? 何故か、その場所の店は、過去にも、もっとも多く代替わりしている様子です。 お菓子屋さんは、大人のみならず、子供にも拘わりますので、地主・営業主共に、営業の利害だけでなく、お客の気持ち、必要も考えてほしいと今回は、特に思います。 近場に、気楽にちょっとケーキなどなど、無添加をうたっている類似の店が全くありませんこともあって残念な気持ちで居るのは、私のみではないと思います。 もっとも、実は、私は、それほどお菓子を買うわけではありません。アレルギーがありますので、買えるお菓子に限りがある事にもよるのですが・・  ちょっと気楽に買える店の少ない近辺、近くに、ちょっとパンやお菓子が、それに夏場、アイスなど買えるのは、何か心楽しかったのですが・・
   合唱は、合唱団「コール・まどか」さんが、チームワーク素晴らしく頑張っています。目下、9月16日(土)30周年記念第10回演奏会の準備です。 調布市文化会館「たづくり」(京王線調布駅西南方向徒歩3分調布市役所隣り)で、午後2時から行います。是非、出来るだけ多くの方々にお聴きいただけますよう願っています。人数は、ひと頃の半分以下になっていますが、70歳くらいの男性陣4人がしっかり低声部を支えてくれ、中声部、高声部は、女性達が、いい声で一生懸命です。 この中声部になかなか美声の80歳代半ばのおじいさんがいます。生き生きした声で素晴らしいのです。 ただ、今回は、少々体調を崩している様子ですが、ステージに乗れると本当に嬉しいと私は願っています。何しろ、女声は、70〜80歳代が主流ですが、いい声で歌ってくれていて、考えてみれば、すごいなあと思うのですね。今度は、30周年記念演奏会ということでもあり、いつも 入れるゲストステージを、どうしたものか?と思案していて、「ピアノ2重奏」を思いつきました。丁度、ホールには、同じ型のスタインウェイが2台あるということで、それを活躍させることにしました。専属ピアニストとその同期の仲間にお願いしています。私は、とても楽しみにしています。この合唱団は、2年〜2年半おき位に、定演を実行してきました。シルバー・コーラスとはいえ、どなたもしっかり良く歌ってくれます。 活動を、しっかり長く続けるには、定期演奏会は、不可欠です。歌っている曲も、団員からの希望で、歌い甲斐のある曲ばかりを選んでいます。今回は、まず、団員からの希望の合唱組曲で、NHK児童合唱団のために、阪田寛夫さんが作詞、山本直純さんが作曲された合唱組曲「えんそく」という曲集で、1ステージを組みます。児童合唱団 用とはいえ、可なり難しく、さらに、多人数用ですので、20数人で歌うのは無理です。ソロもあちこちに入れてあり、「コール・まどか」さん向きに、アレンジしないと演奏できません。 でも、明るく楽しい、素敵な曲です。そこで、私が、アレンジして、部分的に、お手伝いの若い歌手に、少し残したソロ部分を託し、練習中です。些か、びっくり感心しているのは、とても良い声で歌ってくれることです。女声も、男声も、年齢を感じさせない爽やかないい声で歌ってくれています。 目下、仕上げの段階です。普通、演奏会は、約2時間、4つのステージで行われます。ただ、シルバーコーラスとして発足しましたので、定演時、4ステージ全て団員に歌わせるのは、気の毒かと考え、毎回、全4ステージ中、必ず第3ステージを、ゲストステージとしてきて、団員たちも 、聴かれるのを楽しみにしてきました。定演で、その時々の会計の余裕に応じて、私の知る演奏家達にお願いしてきました。若い演奏家の3重奏、数人の声楽家によるステージ、時には、トロンボーン5重奏、フルートソロ、めずらしいのは、コンテンポラリーダンスのステージなどなど。 それなりに、団員も共に楽しんで来て、今回は、30周年記念の演奏会でもあり、この際、このちょっと貴重な機会に、素敵な企画を実現することにしました。それ が、普通の演奏会では珍しいピアノ二重奏です。若い女性ピアニスト2人によるDuoです。楽しんでお聴き 頂けることと期待しています。 この合唱団の演奏会は、先にも書きましたが、10回目になりますが、少々お年の方々の演奏会ですので、入場料は、第1回目から、無料にしています。団員一同、年齢を重ねても、皆、気持ちを合わせ、上手に歌ってくれています。是非、お聴きくださいますと大変嬉しいです。
 演奏会には、考えてみれば、全く出かけていません。それどころではなかったのですが。ただ、そういえば、1ケ月ほど前、大変珍しく、女優大地真央さんの舞台を観に、これも初めて、明治座へ行きました。どこかしらと思いましたが、ここ調布からは、大変行きやすく助かりました。舞台は、有吉佐和子原作、脚色の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」という話で、ミュジカル仕立てでした。観客の入りは、ほぼ満席でした。もともとは、原作者有吉佐和子さんが、文学座の杉本春子さんのために脚色なさったものらしいのですが、ちょっと興味を持ちましたので、それと、大地真央さんの演技を見るのも、そうあるチャンスではないと、思い切って行ってみました。ミュージカル仕立てとか? 横浜が舞台で、アメリカ人に身請けさせられる日本人遊女が、日本人の心意気?を通すため、自害し、その心意気を、同僚の芸者(大地真央さん)が、料亭?の客に、遊女の操をあれこれ脚色して語り継ぐという可なり深刻な話を、喜劇仕立てにした舞台でした。実際の文学座の舞台は知りませんが、本当は、まじめな深刻な内容なのですが、それはどこかへいって、大地真央さんの歌あり、ばたばたと演技が進み、専ら、大地真央さんをクローズアップするような演出でした。舞台栄えのする女優さんで良いのですが、女性が8割方のお客様を満足させるためか、私には、余り中身が無く、物足りなかったです。お隣の女性の親子さんは、「やっぱりきれいね〜」と満足げでした。私には、少々思い切って購入する1万円を越えるチケットを、正直に言って、余り中身の無いこの程度の舞台を観る為に、購入するなんて、世の中の方々はお金持ちなんだなあと妙に感心しました。さらに、この舞台を、如何に多くの方々が作り上げ、盛り上げているかも、見知ることになりました。まさに、大衆芸能なのでしょう。ロビーでは、それはそれは、沢山の店が並んで、幕間に一生懸命に売り込んでいましたのも、珍しく、見てまわるのも面白かったです。余り、売れている様子には見えず、私は、全く買う気にもなりませんでしたが。日本橋風情が珍しく、皆一生懸命だなあ・・と感心しました。

5月27日(土)2017年

 ゴールデンウィークは、記憶のかなたに過ぎ去り、でもまだ、一応5月ですが、陽気は、気温が30度に迫る暑さの日もあったり・・  TVでは、気象予報士さんが、次々入れ替わって出てきて、暑さ対策の警告を伝えています。 私の体感的には、それほどでもないか?と思いつつも、この先、夏に向け、暑さに弱い私は、悩ましい思いです。 まだまだ、夏最中に向け、10度ほどは、上昇の予定?・・・ 今くらいが、丁度いいのだけど・・・  日本は、春夏秋冬があって、四季折々、花々木々が変化して、何とも嬉しく、目も体もリフレッシュされます。 このところ、丁度自転車がいかにも古くなって買い替えの時期になっていましたので乗るのを止め、処分して、専ら、近場は歩くことにしています。 バスに乗って行ける所は、バスを利用しますが(何しろ、実は、私はいつの頃からか?バスは、なんと無料で乗れるのです??なんか申し訳ないような気もしないわけではないのですが、都民の権利を使わせていただいています)。バスも、丁度具合良く乗れないところは、運動もかねて歩いています。 結構速く歩けますので、全然苦にならずにいます。数日前にも、陽気もまずまず、直接行けば、15分ほどのところを回り道して、何年ぶりか、懐かしさを感じつつ、1時間ほどかけて、ゆっくり通ってみました。家並みも変わり、 戸建なのに、3階建てが可なりあるのに時の流れを感じつつ、かってはどうだったかしら?と見渡しながら、楽しみつつ歩いて行きました。 途中、道沿いの車庫の入り口で、屋敷の中ではあるのですが、「さつき」の鉢を沢山並べて、展示即売の様子を見かけました。傍で、少々お年の男性が手入れをしているのを見かけました。売っているわけでもなさそうで? 気軽な私は、声をかけましたら、大変気さくに応対して下さいました。まだまだ綺麗に花盛りの鉢の全ての枝を剪定し、土を掘り起こし、入れ替え、来年のために手入れをしているとのことで、もう40年以上も、お仲間と「さつき」の栽培を手がけているとのこと。今の時期に?といっても、そろそろ終わりのようながら、まだとても綺麗に咲いているのも多いのですが、思い切って手入れをしておかないと来年花 が咲いてくれないのだそうです。何故か、私には判りませんが、植物にはそれぞれの生態系があって、それぞれに合わせて手入れをする必要があるのですね。最近になって、漸く、知ることになり、ご近所を通りすがりに観察していますと、皆様、良くご存知のようで、それぞれに手入れがなされています。一応、花の栽培などが好きで、可なり関心がある つもりなのですが時間の余裕も無く、特に調べたり研究もせず、狭い庭で、まあ自己流に楽しんでいます。ただ、通りすがりのよそ様の庭など垣間見て、楽しみつつもうらやましい思いをしていますので、手入れの仕方などそれなりに気をつけていましたら、漸く、庭を少し華やかにすることが出来つつのこの頃です。それで、学んだのは、つつじやさつきは、花が終わりそうになると思い切って、剪定すること。私の好きな「木香茨 もっこうばら」も同様にさっさと剪定してしまうことと知り、この数年実行しています。漸く、今年は、可憐な、白い小さな花が沢山咲いてくれ、本当に楽しませてくれました。萎れ始めると、花びらが茶色になり、可哀想なので、思い切ってすっかり剪定してしまいました。剪定しないという説もあるようですが、経験上、思い切って剪定した方が、翌年の花付きがとても良い様子です。「又、来年、お願い!」と気持ちを込めたつもりです?? 同時に、今年はとても沢山花を付けてくれたつつじの仲間「おおむらさき 」も、大々的に剪定しました。庭が寂しくなっていますが、未練がましく、枯れ始めたままおいておくのはかえって可哀想な感じもあり、思い切って剪定した方が、さっぱりします。夏に向け、葉が茂るでしょうし・・ 肥料は、ほとんどやらず、どうしたものかと思案しています。 実は、お米のとぎ汁を撒くくらいで、肥料などに触りたくないという(手などににおいが付く様で)?  心得違いの気持ちもあるのですね・・? それだけに、けなげに生き続けてくれる花や木に感謝して、日々見守っています? ところで、この頃といいますか、ず〜と感心していることを少し。TVで目にするさまざまな番組のテーマソングに、BGM、大河ドラマ のバックに流れる音楽など、最近、作曲者名に、女性の名前も良くみられ、素敵だなあと、嬉しく聴いています。いろんな分野に、女性の活躍が見られ、頼もしく、 豊かな才能が認められている様子に嬉しい思いです。ず〜っと前にも少し書きましたが、場面場面のBGM、番組内容と全然関係のない曲なのに、番組の内容、雰囲気に、妙に良く合っていて 、こんなにいろいろな曲を良く選ぶことが出来るなあと、びっくりしつつ、大変感心したり、オリジナルの曲も、素敵で、良く書けているなあと感心したりです。勿論男性の作曲の作品も良く、最近では、観るともなしに朝続きで付けっぱなしになっている朝ドラのテーマ曲です。明るく楽しい雰囲気で、さらに、歌い方のうまさです。そして、ミニチュアがちまちまと動く画面の構成が、とても可愛らしく、良く観ると、毛糸やたわしなど、何気ないものをたくみに使って、街中を造形しているのですが、 今は、PCで、何でも自在に構成出来るのですね? テーマソングを歌う歌手も、ライブは聴いたことが無く、名前くらいは知っているという歌手ですが、 曲の雰囲気に良く合っていて、軽やかな歌い方に、長く活躍されているだけのことはあるなあ? それほど関心も無かったのですが、朝ドラのオープニングの曲といい、歌手といい、なんて上手なんだろう?と、聴く度に、感心して聞いています。 大河ドラマでも、女性の作曲家で、素晴らしくすてきだなあ!と、嬉しくなります。 一方で、TVで、名前が知られると、地方でもどこでも、妙に持ち上げられる?様子に、些か違和感を持ちます。テレビに出たい、有名になりたい願望? 結局は、やはり、地道にこつこつ働いている方が、世の中の発展には、何より大切で、少しでも、地方を活性化していただける方が、第一です。と願っています。 夜遅くに、若い男女で溢れかえる様子の東京の繁華街に、歩きながらまで、スマホから目が離せられない人々、ふわふわと、浮かれているわけには行かない 。東京1極集中でなく、地方の高齢化が進む日本の現状を、何とかしなくちゃ?どなたかしっかり守ってほしいと、心から、強く願っています。 ただ、私が出来ることは、せめて、折々に寄付するくらいでしょうか? 
    合唱は、とても楽しく、どなたも健やかに参加して、今秋9月の定演の準備に励んでいます。ただ、4月、5月と、長い公開練習を試みてみましたが、 見学には、可なりの方(のべ10人くらい?)が、お越しくださったのですが(まだ もう1回ありますが)、さて、入団してくださるでしょうか? このところ、調布の合唱団は、どこも団員数が少なくなり、活動中止・解散の団も出始めているとか?  日本中もですが、高齢化に加え、合唱のような趣味に時間を使おうという方が、少なくなりつつあるようです? それと、やはり、年齢格差がある様子?老若男女が交じり合って、活動できると嬉しいのですが、曜日と時間が合わないこともあってか、なかなか老若男女が一緒にとは難しい様子です。 ともあれ、現在、団員はどなたも、殆んど休まずしっかり参加して、年齢を感じさせない良い声で、ハモらせてくれています。
 演奏会には、殆んど行っていません。月初めに、イギリスのダウランドを楽しく聴いたり、「メサイア」を、気が向いて久しぶりに聴きに行ったり、大学後輩の修士演奏会を聴きに行ったりぐらいです。ダウランドは、お仲間のアンサンブルが、素敵でした。気取らずに楽しむのに向いているのですね。これから、来月の調布音楽祭や、秋の、幾つかチケットを購入済みで、楽しみにしています。

4月27日(木)2017年

 今年もゴールデンウィークがやってきます。毎年、全国で 、騒がれる桜の開花も、ここ東京では、とっくに終わり、目下は、東北?もう北海道でしょうか? この桜は、勿論、ソメイヨシノの開花のことです。 同じ「染井吉野桜」が、日本中を少しずつ北上していきます。日本は、列島と言われるだけに、季節の移ろいも、少しづつ長く楽しめます。 4月半ば頃、季節に、旅をすると、川があれば、必ず?川沿いに桜並木があり、満開の桜並木が、車窓から見られ、さらに、地方の駅を通ると、 多くの場合、殆んど必ず、桜が群れ咲いていて、日本人は、本当に桜好きなんだなあと実感します。「ソメイヨシノ」は、まず、花ビラが呆れるほど群れ咲きます。 どうして?と思うほどです。少し遅れて、咲くのが、枝垂桜です。これも、美しく、大好きな桜です。 他に、白、薄黄色、緑がかった桜などいろいろあり、これらは、「ソメイヨシノ」と違って、花と葉が同時に見られます。 葉の色もさまざまで、これはこれで、私は大好きで、本当に様々あり、何とも嬉しい花々です。更に、葉っぱを食べる、桜餅やお茶にする八重桜というのもあります。 様々な桜は、どこでも見られるわけではありません。ところが、我が家の近く、歩いて、数分の道路沿いに、大きな桜が6本ほど茂っています。 大きくなって、電線にかかり、可なり枝切りされているのが、大変残念です。1本1本、種類が違い、花の色もいろいろです。毎年、季節が巡ってくるのを、大変楽しみにしています。 調布市役所の河津桜、我が家の彼岸桜、そして、お隣の大きな3本のソメイヨシノ桜、そして、近くの6種類の桜(ソメイヨシノを最初に、少しずつ順に開花します)と、 毎年、待ち遠しく、大変嬉しい季節です。それも、そろそろ終わりで、残念ですが・・ ここ調布の今は、みずみずしく茂ってきている街路樹の青葉、ピンクや白の「はなみずき」、 そして、今を盛りに、街路を華やかに彩ってくれつつあるのが、「つつじ」や「さつき」で、濃いピンクに白と大きな花びらの「おおむらさき」でしょうか?  どうしてと思うほど、ぎっしり群れ咲いています。さらに、続いて、小さな赤い花の「さつき」が、これまた、びっくりするほど、群れ咲いてくれます。その勤勉さ?に、圧倒されそうです。 我が家の庭でも、関東ローム層のお陰か? ふかふかした黒土のお陰で、狭い庭に、しっかり季節を読み、次々ささやかな花が咲いてくれます。 目下は、スミレです。紫が濃いの、薄いの、更に白と、小さい植木鉢や小さいプランターに、狭くて気の毒なくらいです。 それに、そろそろ満開になりつつある「モッコウバラ」です。とげの無いバラで、黄色の花が多い?のですが、我が家のは、白花です。 全ての花々は、生き物です。ほんの少しながら、手入れをする必要があります。ささやかながら、世話をしていると、本当に嬉しく、答えてくれます。 うっかり忘れていると、気が付くと、消えて無くなっていたりして、詫びたくなります。 暇を見て、ほんの少し、全くの素人がする世話ですが、でも答えてくれて喜ばせてくれます。
 合唱の指導は、相変わらず、[コール・まどか]の みですが、どなたも休まず、良く歌ってくれますので、本当に嬉しいです。4、5月と公開練習にしていますが(といっても、年中公開です)、 団員が、なかなか増えそうで、増えませんのが、残念です。今秋9月16日(土)に、30周年記念第10回目の演奏会を、 練習会場でもある調布市文化会館「たづくり」のホールで予定していて、目下全員で、準備中です。全員で、過去の練習曲の中から、20曲足らず選んで、改めて練習です。 中で、1ステージだけは、全く新しい組曲を予定していて、集中的に練習しています。大体毎回ですが、これで、1ステージ組む予定です。 ちょっと団員の人数から、また高音が続いて、無理そうなところは、曲の雰囲気を残しつつ、まあまあ歌えるように、私がアレンジして、練習しています。 明るく、楽しい曲なのが気に入っています。この組曲は、団員のたっての希望組曲です。組曲は、いろいろあるようで、団員の実力との兼ね合いもあり、丁度良いのは、なかなかありません。 でも、明るく、楽しい曲であれば、多少無理やりですが、私が、歌えるようにアレンジして、楽しみます。とっても有意義と考えています。 なんと言っても、曲の持つ、音楽としての味わい、奥深さ、でしょうか? 楽譜は、数限りなく、出回っているようでも、取り上げたい曲は、残念ながら、本当に少ないものです???
 この頃は、外出することは、余りありません。それでも、大学後輩の演奏会、かっての仲間の所属している合唱団の演奏会など、なんかかんかあるものです。 いずれも特別素晴らしいわけではありません?が、よくやるなあ!と感心して聴かせて頂いています。そういえば、 目下、私を苦しめている?のは、原稿書きです。もう可なり前から書き綴っています。 さすがに、完成間近?と思いつつ、なに?と思う部分も発見して、あぁ!やっぱり書き直さなくっちゃ!と、どっと疲れが出てきたり・・  自分でやりたくて書いているのですから、どなたにも苦情はいえません。一人で、完成を楽しみにしています・・?  ところで、先日、珍しくミュジカルを観に行きました。日生劇場で、暫く前から。上演している「紳士のための愛と殺人の手引き」という題名です。どうして観に行ったか? 市村正親さんという、長く長く大活躍の様子のミュジカル俳優を、ようやく初めて観てみよう、聴いてみようと出かけました。動機は、大変単純です。今春終了した朝ドラで、大変味のある靴屋さんを演じておられ、本職を見てみたいと思いました。もう長い活躍で、可なりご年配のようですので、観るなら早くと、8変化と書かれているこのミュージカルを是非と期待して観に行きました。話そのものは、オペラ同様どうでも良い様な展開なのですが、どの役柄の方々も、どの程度、声楽を学んだのかわかりかねますが、ともかく、良く歌えること。勿論、オペラと違って、マイクを身につけていると考えますが、大きくしすぎ?で、うるさいくらいでした。全体的には、コミカルな、どたばた喜劇で、問題の市村さんは、8変化もいいのですが、じっくり、観られるような場面が殆んど無く、せわしなく出たり入ったりで、歌や演技をもっと観たいと思い、残念でした。年齢もあって、声を張り上げて歌うなど無理なのかなあ?とも思いつつ、観客の慣れているらしい方々は、市村さんが登場する直前から、拍手をし、人気の程を知らされました。主役の若い男性も、マイク付きとはいえ、良く歌っていました。この主役は、ダブルキャストですが、後の方々は、そうではない様子で、何より、同じ日に2回公演の日もあり、しかも、3週間ほど、ほぼ毎日のように続くようです。なんて、ハードなんだろう? さらに、このような公演が続くようで、そのお安くないチケットが売れ続けることに、本当に感心し、びっくりです。私は、全くたまたまの思い付きで、出かけたのですが、周りに座っている方々は、圧倒的に女性が多く、まだ若そうな方々ばかりで、私と同年輩と見える方は、ほんの少しでした。皆、お金持ちだなあ! もっと安価でも、クラシックのオペラでは、考えられない情景です。更に、ビックリなのは、私の知人など、音大を出た、相当歌える方でも、ミュージカルの世界に入って、余り活躍出来ていないことです。その他大勢役で、地方公演も多く、喉の負担が大きすぎ辞めた方も? 今回も、TVなどでよく見かける?ルックスの良い若い男性が主役でした。声楽をそれほど学んだと思えない?その方が、マイクを通してと言えど、全て会話ということもあってか、良く歌っていました。全体に、何か、オペラと違って、全てが、大変気楽な、気楽な雰囲気なのが、何より良いのでしょうか? ふと思い付くのは、モーツァルトの頃のオペラ公演もこのようだったのでは? まあ、勿論、当時は、なんと言っても、貴族の楽しみだったでしょうが・・ 普通のちょっと余裕のある方々の楽しみとか? 今は、何か「オペラを観に行く」とは、構えていくような雰囲気もあり、歌手の方々も、やはり、構えて歌っているようにも思います。勿論、マイク無しで歌える。劇場の隅々まで、弱音でも、声が通るように歌えるテクニックを持つことは、オペラ歌手の必須ですが・・ とはいえ、本当かな?とも思います・・ (どこかに、極く小さいマイクを忍ばせている? たとえば、髪の毛の中とか?) やはり、子供の時から、懸命に練習し、音大を卒業し、留学もし、実力を育てたはずの歌手達のオペラでも、安くない入場料で、3週間もの連続公演は、不可能です。しっかりチケットを扱い、販売してくれるマネージメントの引き受け手がいない?事も残念です。オーストリア、ウィーンの、「スターツオパー」と「フォルクスオパー」の違いでもないのですね・・?

 4月 1日(土)2017年

 今日から、4月です。早いような、普通のような? とうとう東京は、少々舞ったくらいで、雪が降らず仕舞いで春になってしまうようです。寂しいような、ほっとするような? 雨も 余り降りません。今のところ、少し潤い、庭の草木もほっとしている様子です。勿論、少しは水を撒いたり、水遣りをしているのですが、天から降ってくる恵みには敵いま せん。 それでも、水仙は、葉を延ばし、今春も、小さな植木鉢一杯に花を咲かせてくれました。ヒアシンスも、しっかり時節を忘れず葉をのばし、花を咲かせてくれています。 昨年沢山花を付けてくれた秋明菊も芽を出し、沢山葉を出してくれています。彼岸桜が、お彼岸の時期を違わずに、一杯花を付けてくれ、もう散り急いでいます。 昨春は、花芽の付きが少なく寂しかったのですが、今春は、華やかになり 、本当に心が温まり、嬉しいです。それがもう殆んど散り、少々残念です。 それにしても、彼岸桜とは素晴らしいネーミングと思います。本当に、ソメイヨシノなどに先駆けて、お彼岸頃にしっかり咲いてくれるのです。 植物は、ものを言うことは勿論無いのですが、その時々に、しっかりメッセージを伝えてくれます。 水をやれば、生き生きと、サボっていると人知れずしおれたり、枯れて無くなったり・・  よく気をつけていないととんでもないことになり、申し訳なく思うことがあります。 ただ、気をつけているつもりでも、いつの間にか、消えてしまっていることもあるのですね・・? 素人には難しい?  それだけに、時期が来て、芽が出て、葉を伸ばすと本当に嬉しいです。更に本当に嬉しく、毎春、桜の開花に合わせるように、我が家の庭では、彼岸桜の他に、庭の主のような木があります。「ハナモモ」です。もう40年ほどになりますでしょうか?  ある花の会?とかに、夫が仕事上已む無く入会して、購入したのが、この「花桃」の木でした。まだ、幹周り5cmほど、丈2m足らずでしたでしょうか?  以来、我が家の庭で、成長し、幹周りが、30cm近くに、丈も3mくらいでしょうか、枝も4〜5m。 しっかり成長し、一時は、花は八重で、濃いピンク色、正に濃い桃色で、これでもかというほど、盛り上がるように咲いてくれ、目を楽しませてくれていました。ただ、困ったのは、花の数だけ?実がなり、庭に落果するのですね? 全く食用にならず、狭い庭に散乱して、いやな思いをしていたのですが、慣れてきていました。 毎年素晴らしく花をつけてくれ続けるのが、とても嬉しくて。ところが、ここ何年も忙しく過ごしている内に。気がついたら、木の幹は、中が空洞になり、殆んど皮のみの状態で、 その皮も、ところどころ無くなり、すっかり老木と化し、根元も、幹も外側の皮のみ、それも大きく隙間があり、???  曲がりくねっているこの可なり大きな木がどうして立っていられるのか???  ところが、以前より数は少なくなっていますが、今年も残っている枝一杯に、八重の濃いピンクの花を沢山付けてくれています。 もし折れては心から残念と昨秋曲がりくねっている幹の下に添え木を地面から立てて差込み、つっかえ棒にしました。 多少安心ですが・・さて?
    合唱団「コール・まどか」は、つつがなく続いています。仲間が、もう少し増えると嬉しいと、4月、5月に合唱体験講座を予定しています。 なかなか入団には至らないものの、それでも、少しずつ加わって下さって、まずまず現状を維持しています。全体に年齢が上がり、已む無く減少して行くのが残念ですが・・。 秋9月に、30周年記念演奏会を予定していまして、丁度10回目という事で、温かい、楽しい演奏会をと、仲間と共に、とても楽しみにしています。 先ずは、練習です。年齢などなんのその、どなたも、本当に休まず参加して、練習しています。 目下、集中的に、練習しているのは、組曲「えんそく」坂田寛夫作詩、山本直純作曲です。団員の希望ですが、私は、児童合唱曲の知識が乏しく、知りませんでしたが、 作曲されたのは、なんと、50年ほど前、1965年とか? この曲は、NHK東京児童合唱団のために、オーケストラ共演の作品として作曲され、 その後、ピアノ伴奏など幾つかの児童合唱団でアレンジ演奏されている曲です。 6曲の組曲ですが、いずれの曲も全く優しくなく、また、合唱メンバーもそれなりに、せめて40人ほどはほしいかな?と思えるなかなか難しい、がとても楽しい名曲です。 ソロも多く、高音で歌われるオブリガートもしばしばで
(子供の声で歌われるように作曲されています)、 とても楽しい名曲ですが、楽譜どおり演奏するのは、合唱団の人数からも、年齢からも、「コール・まどか」では、到底無理ですから、 私が、まずまず歌えそうな様子にアレンジして、練習中です。 とても楽しい詩で構成されていますので、仕上がれば、どなたが聴いて下さっても楽しいはずで、とても上手に演奏できそうに練習が進んでいます。
 演奏会には、このところ、私事の執筆が忙しく、余り行っていませんが、ひとつ、2月に、私の合唱団のピアニストが主催したピアノコンサートを聴きました。小さなホールですが、新しく?綺麗でした。勿論、ピアノコンサートだったのですが、連弾とソロの構成でした。何度か聴いたメンバーだったのですが、その上達振り?にも感心しました。さらに、使用楽器のグランドピアノに、とてもびっくり!! 小さいホールに、特に大きいピアノではないのですが、そのコンサートグランドの音質と音の余韻の切れの素晴らしさに、??!! このピアノは、一体?? 終演後、近づいてみると、河合ピアノの[SHIGERU KAWAI]というピアノでした。ずっと聴いていたい、何度も聴きたいと思う、とても魅力的な、音質、音の切れが、正に、[目からうろこ!]状態の素晴らしい、素敵なピアノでした。私は、今まで、聴いた経験が無く、初めて聴くピアノの音質でした。また、是非、繰り返し聴きたいものと願っています。ただ、都内の演奏会場にあるのは、非常に少なく、どことどこ?という、目下の状況だそうです?? いつまでも、耳の奥に、余韻を残し、消えない響きです。余韻を残すといえば、私が、生涯消えないようにしっかり、大切に保ち続けたいと願っている音があります。それは、もう絶対に聴かれない指揮者ブリュッヘンの最後の日本公演の演奏です。18世紀オーケストラ、ブリュッヘン氏が自ら結成し、指揮し続けたオーケストラです。先ず、F.シューベルト作曲「未完成」交響曲でした。古楽器編成のオーケストラですのに、第1音の素晴らしく、深く澄んでいたこと! 古楽器編成のオーケストラは、多少濁っていても、それぞれの楽器の性能上、また、調律方法などでやむを得ないと、まだ(今でも)考えられていた時代でした。鈴木雅明、アーノンクールなど、素晴らしい古楽の何人かの指揮者の演奏も聴く機会が、以前は、可なりあったのですが・・  今は、ブリュッヘン以来、少々聴く気が薄れているのですが・・ 兎に角、ご病気だったのでしょうか? 最後の日本公演とのことで、とても期待して、聴きました。それはそれは、素晴らしい音、ブリュッヘンさんは、勿論ですが、演奏するメンバーの集中度の素晴らしいこと(ブリュッヘンさんは、どうもご病気とわかってたためか?)、2013年4月、あれからまだ4年ほど?ですが、遠い昔のような、そうでもないような感じです。が、その演奏は、これは、一生消えないように。大切に保って行こうと、今でも大切にしている音の記憶です。

1月 30日(月)2017年

  今年も、早や、1ヶ月が過ぎようとしています。東京辺りは、これからが、冬本番でしょうか? 例年、2月になってくると、この辺りは、漸く雪模様になって来たりの様子です。とはいえ、辺りは、やはり春近しで、近隣には、昔からの農家さんが多く、広い庭の隅で、紅梅、白梅がもう満開を過ぎようとしていて、蝋梅も香りを放って、満開です。毎年、植物の季節感、勤勉さに驚かされます。道を歩いているとどこからとも無く、ふ〜っと香りが漂い、嬉しい気分にさせてくれます。我が家の庭の植木鉢では、水仙が、葉を伸ばしてきています。日本各地からは、雪の知らせが、続きます。雪下ろしの大変さは、想像をはるかに越えている様子です。日本列島、北は勿論、西の中国地方、九州、四国まで、え!と思う地域からまで、雪の便りが聞かれます。 ですが、ここ東京では、北風が吹くことはあるのですが、毎日、遠くに真っ白な富士山を眺めながら、日本晴れの青空に太陽光線がまぶしく、何とも不思議な感じ がします。山脈に、ぐるりと囲まれ、北からの風を遮る関東地方の地形のお陰のようですが。昔は激しく吹いたと話に良く聞く空っ風も余り感じない日々が続きます。空っ風といえば、目下、アメリカから、何とも不可解な、良く分からない旋風が吹き荒れて来て、世界中?を巻き込んでいます。どなたも、疑心暗鬼、日本もこれからどうなっていくのでしょう?と、政治家の舵取りに期待したい気持ちなのです。でも、私にとって? 勿論、私だけではありませんが、このところ、ちょっといいことがありました。随分、久しぶりに漸く、日本人横綱が生まれたのです。本来。裸でぶつかる格闘技のお相撲は、私は、好きではなく、殆んど見ないのですが、近年、折角、日本人力士がいる以上は、横綱になってくれる方が出てきても良いのでは?と思うようになっていました。 最も横綱に近い実力者は、やはり「稀勢の里」かな?と。 漸く、本当に漸く、横綱昇進です。お相撲のことは全くわかりませんし、テレビでも余り見ないのですが、やはり、心から祝福したい気持ちです。 これから、ますますの精進を楽しみにしています。文字通り、実力の世界!大変でしょうが・・ 実直な、努力家のようですから、がんばってくれそうに思えます。ところで、我が家の1月は、大変珍しく、インフルエンザに、 家族が次々(といっても二人ですが・・?)、初めて見舞われ、体調を整えるのに、意外に日数がかかりました。今冬は、A型とか?私は、熱は 翌日には下がっているのに(といっても、本来発熱することがまず無い体質が、珍しく7度5分ほど。 ただ40度近くなる方もいるとか?)、いつまでも、体調がすっきりせず、食欲も出ず、どうしたものかとぐずぐずして、結局、完治するまで 、10日間くらいかかったでしょうか? 私にとって、もっとも効果的な対処療法は、熱は下がって、すでに無いので、お風呂に長めにつかって、十二分に体を温め、すぐに布団に入って、休むことでした。 この「体を冷まさないように、すぐにお布団に入ること。体を十分温かく保つこと」が、効果があったように思います。 兎に角、インフルエンザの予防注射は、体質のため出来ない(尤も、予防注射をしていても、感染するとか? ただ、高熱予防にはなるそうです?)、タミフルは勿論のこと、殆んど薬というものを飲まない、飲みたくない、アレルギーが気になり、飲めないという厄介な体質の為でもあるのですが、このような対処療法で、大抵は大丈夫ということです。ついでに、いいますと、サプリメントらしき物は、購入したことが無く、一切服用しないこと。サプリメントの代わりに、毎日野菜を、火を通した野菜のあれこれを摂る事が第一と大切にしています。これで、年齢を忘れて、血圧も 、上がらず、身長が、何故か、年々縮むのが大変残念なくらいで、まずまず、大変嬉しい毎日です。神様の思し召しまで、このようにありたいと願っています。などといいますと、どんな年寄りかと思われるでしょうか? 実は、それほどでもないのですよ??? 世の中の通例から言いましても・・?  
   今年の合唱活動は、年が改まっても、殆んど変わりありませんが、今秋9月の30周年記念演奏会に向けて、準備を始めています。なんと言っても、予算の立て方?「団員に負担を掛けずに、楽しく充実した演奏会を!」と大変欲張っています。人数も予算も十分でない中、どうしたら、団員たちも、お越しくださるお客様にも楽しんでいただける企画を立てられるか?です。初めは、なんとなく、「記憶にある歌など、気楽に声の出せる合唱団を」 との希望に添って、発足した合唱団でしたが、毎年交代しながら、団員それぞれのびっくりするほど、きちんと熱心な、責任ある合唱団運営によって、繋げられて来て、30年です。日本人の勤勉さでしょうかと思いつつ、やはり、あの想像を越える過酷な大戦をくぐり抜けた方々の、一本芯が通った生き方のお陰ではと、考えるに至っています。ただ、残念ながら、当然とはいえ、仲間が少しずつ少なくなり、思うほどには、新しい仲間が増えず、が続いています。それでも、今も、大戦を知らない世代の役員達によって、責任ある運営がきちんと続いています。更に、男声、女声ともに、年齢を感じさせない豊かな声で、歌いつないでくれています。私はというと、まずは、兎に角、素敵に楽しく、歌って得する、どなたにも満足していただけるような曲を、又アレンジをすることです。ただ、限りなくある楽譜集、曲集から、これは!という曲を見つけるのが、大変難しく、めったにありません。折角、時間を掛けて練習し、ステージに乗せるからには、それに耐えられる曲選びを願っているのですが・・?  奇をてらわず、温かく、難しすぎず、それでいて、音の流れに深みを感じさせられ、新鮮な感覚で満足させてくれる曲を!と願っていて、めったに逢えずにいます。結局、まずまずそれなりの曲を 、時にアレンジしたりですが、団員達は皆様、とても若い声で 、素敵に、本当に良く歌ってくれています。
  演奏会には、このところ、行っていません。これから、少しずつ、予定を入れています。唯一、年の初めに、ヨハン ・シュトラウス Uが、創立したといわれるウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の新春公演を聴きました。お決まりのヨハン ・シュトラウス Uの曲に、兄弟の曲などでした。たまたまの機会で、毎年?やってくる恒例の管弦楽団か?と期待しないで、出かけたのですが、どの曲も、とても楽しくリズム に乗れて、さすが?と。あれ!とびっくりの大きなお腹の指揮者の気さくなパフォーマンス、団員の方々の楽器それぞれの演奏が、いずれも大変一生懸命で好感が持て、音もリズムも、素敵に楽しく、さすが!と素晴らしい演奏で、とても満足させられました。

1月 5日(木)2017年

 新しい年が始まりました。もう何回、新しい年を迎えてきたでしょう? 忙しい年末を過ごし、年が改まりますと、何故か気分も改まる感じがします。 その忙しい年末に、急な風の吹き回しで、なんと突然思いついて、3泊4日北九州一体を巡るというツァーに出かけました。羽田発福岡空港往復、後はすべてバスで駆け巡るというツァーでした。ただ、秋から、もろもろ旅行前まで、大変忙しく、体の疲れが積もっている中での思いつき旅行でしたので、 休憩無しで、2時間、バスで、山中を走り続けるツァーは、私には大変つらい思いでした。 ただ、年末の冬枯れの九州の山々は、延々、てっぺんを尖らせて、生い茂る杉山が続き、なだらかな丘陵には、見渡す限りの枯れススキが風になびいている景色は、壮観でした。 手入れ不十分の伸び放題の杉山、杉山・・・・・杉山に、日本の林業の人手不足と、採算の難しさを見せ付けられる思いでした。 季節の良い時期には、放牧などもある様子ですが。昨年の熊本地震のこともあり、おこがましくも思いますが、少しは、旅行も良いのではなどとも思って、出かけました。 突然の地震から、半年、もうごく少しでしたが、ところどころで、青いビニールシートが屋根に被せられているのを見かけました。 別府、湯布院、高千穂峡、阿蘇、長崎、大宰府などを巡ったのですが、いずれの宿泊所でも、地震の後でもあってか、それぞれに、それはそれは一生懸命な気持ちが、 言動共に感じられ、必死で生きている様を実感しました。私など、年齢と共に、食物アレルギーが増えてきた様子で大変面倒なのですが、いずれのホテルでも、急にも拘らず、丁寧に対応していただきました。 阿蘇では、私用を用意し、一つ一つ料理の材料も説明して下さったりで、大変嬉しい思いをしました。 ただ、長崎での自由行動中、たまたま、入った高級?中華料理店では、何故か、ありふれた料理にも、すべてえびの油を、うまみ追加のためとかで使っているとのこと、 びっくり?漸く、唯一、海老の入っていないというコーンクリームスープをオーダーして、頂いたら、何か変な気分になって、良く確認すると、なんとこれには、カニのスープをベースに使っているとか? カニは、大丈夫なはずなのが、気分が悪くなり、急いで、予防の常備薬を飲んだ後、念のため、長崎市民病院へ急患で、お世話になりました。最近、リニューアルされたとかで、とても清潔な綺麗な病院でした。 行った時には、もう殆んど特別の異常がない状態だったのですが、旅先でもあり、お願いして、アレルギー対応の点滴をしていただきました。 その間、若い男性のお医者様初め、看護師さん、病院のスタッフの方々、いずれも、大変丁寧で親切で温かく、おばあさんの心も体も休まりました。 ホテルに帰って、改めて、処方内容を確認しましたら、なんと、アレルギー対応の点滴と思っていたのが、お医者の判断で、必要ないと思われてか?、点滴は、生理食塩水でした。 どうりで短時間でした? 改めて、医は人術と思い知らされ、感謝しています。疲れが溜まっていた上、長時間バスに揺られ続き、気分的にも疲れていた様子でしたが、とても良い経験をしました。 翌日最終日は、大宰府参りでした。雨が激しくなる中でのお参りでしたが、なんと中国からのツァー客で溢れかえっていました。 今は、服装も日本人と見分けがつかず、女性もとても綺麗になって、マナーも特に悪くなく、話し言葉を聞かなければ、日本人と見分けが付きません。 現在は、世界中、服装が全く同じになり、飛行機に乗る日本の空港でも、長時間乗って、飛行機から降り立つヨーロッパの空港でも、顔かたちの違いはあっても、服装は皆同じになってしまっているのが実感です。 つまり、もっとも機能性に優れているということなのでしょう。ただ、デザインも、素材も殆んど同じ様子で、些か、不思議な気がします。 たまに、おしゃれなセーターなど見かけると嬉しくなります。着物姿も本当に嬉しいです。自分では、とても着る気にもならないのですが・・  かくて、漸く、羽田に、無事帰ってきました。翌日から、早速、おせちの準備です。といっても、ほんの少しずつしか作りません。 メインは、「くわい」の煮物です。我が家では、欠かせないおせちです。それに、「栗きんとん」。それぞれ、丁寧なあく抜きから始まります。そして、2017年の新しい年が明けました。 2日は、兄弟の家族揃っての新年会でした。皆、年寄りになりながら、揃って、元気なのが、神に感謝です。私は、年初、さしあたっては、目下、仕上げるべき仕事に かかりきりになるのです。 完成すれば、ひとつ上がりとなります。
   今年の仕事始めは早く、4日からです。つまり、昨日からです。皆様、元気に参加くださって、本当に嬉しかったです。今年は、秋9月に、30周年記念、第10回演奏会を予定しています。 団員と共に、プログラム構成など相談して、決めていきます。限られた、本当に少ない予算で、有意義で、楽しい楽しいコンサートにしようと、とても欲張っています。 そもそもは、シルバーコーラスとして始めたのですが人数が少なくなり、男性の参加も歓迎して、活動をしっかり支えて、押し上げてくれています。随分以前より、年齢制限を無くし、是非若い方々の参加を願っているのですが・・  宗教曲以外は、何でも合唱にして歌う。出来るだけ、明るい、楽しい歌を、合唱にアレンジして歌っています。
 演奏会には、今年も機会がある限り、出かけるつもりです。今年は珍しく、年初恒例のウィンナワルツを聴く予定です。勿論、ウィーンフィルのTV宇宙放映も聴きましたが・・
昨年秋には、アマチュアながら、素敵に雰囲気のあるコンサートを聴きました。ギターとピアノのコラボレーションです。高校の同級生だそうですが、お互いに、音楽とは、全く違うお仕事とか? 男性の音楽趣味のコラボも珍しいのでは?と思いつつ、同期の方々の温かく、熱い応援もあって、とても楽しく、素敵なコンサートでした。アマチュアながら、人に聴いていただこうという目標を持ってのコンサート。失礼ながら?ちょっとびっくりの素晴らしいコンサートでした。次回を期待しています・・

11月 21日(月)2016年

 11月下旬になって、寒くなってきました。昨日日曜日は、調布市の市民音楽祭でした。恒例の市民文化祭期間で、今年は最終日の催しとなりました。 例年は、10月下旬か、11月初め頃なのですが・・  いつもの会場である市の大ホールが、なかなか確保できなかったとか?  でも、出演団体は多く、大盛況でした。ただ、いつもながらとはいえ、お客様が例年より少なかった様子で、少々残念でした。 出演団体の方は、私の感じたところ、皆様いずれもなかなか熱気溢れて、和気藹々、とても盛り上がっている感じでした。 演奏そのものは、演奏することに意義ありの様子もありました? 私の合唱団、合唱団「コール・まどか」も、いつも通り、出演しました。 私のアレンジですが、思いの他、難しかった様子で、なかなか仕上がらず、少しどうしたものかと思いましたが、 心配した分、団員達が張り切ってくれた様子で、いつも以上に、声も大きく良く出て、とても良い演奏でした。私同様に、若くない方々が、若々しい大きな声でしっかり前も向き(楽譜を殆んど見ず)、「メリー・ウィドゥ・ワルツ」と「芭蕉布」を本当によく 合唱してくれました。
  秋も深まってきて、紅葉が進み、専らTVで紅葉狩りといったところですが、是非どこかへ行きたいなあと思いつつの日々です。そういえば、先日、68年ぶり ?とかのスーパームーンの日が訪れました。ただ、肝心の当夜11月14日(月)は、雨模様でしたので、観られませんでしたが、前日13日(日)の夕方6時頃には、空が澄み渡り、東の中空に、大きな月がすっ きり,くっきり、爽やかに見る事ができ、やっぱりいつもより大きい!!とじっくり眺めていました。更に、 翌日15日にも最大になった1日後ですが見られました。肝心の最大は観られませんでしたが、やはりいつもより大きいなあと。 ここ何年も、我が家の近辺では、夜間も様々の明かりで照らされ、大変明るく、星が観られなくなって来ていますので、月が観察できるのは、とても楽しみです。 寝る前など、窓から今晩は月が観えるかなと空を見上げます。月は、思いの他、天空を早く移動しますし、満ち欠けも忙しげです。明るい星がお供している時は、心が嬉しいです。
 先週末、庭の大掃除をしました。花が終わったほととぎす草や芙蓉、伸びた木々の枝の剪定など。枯葉も溜まっています。かき集めて、いつもながら、燃やすのが一番と年に2回ほど覚悟を決めて、行います。何しろ、全身煙で燻されたようになりますので、今日はやろう!と覚悟しないとなかなか出来ないのです。まず、 用心のため、バケツ2つに水を用意して、傍らに置き、木の棒などで、積んで溜めてある山をばんばん叩くのです。何のために? よく生き物が居心地の良い住処としてももぐりこんでいるかもしれないのです? 前回にも、燃やし始めて、かなりたって、きーきー?と鳴きながら、這い出てくる生き物がいるので、観ると、大きな茶色の蛙でした。びっくり!! きい〜きい〜といつまでも鳴き続けながら、近くの草むらに逃げていったのですが、後日、背中にやけどのある蛙が、庭の真ん中で亡くなって見つかり、とても可哀想で、申し訳なく思い、謝りながら、土に埋めて上げました。我が家の庭には、昔ほどでは全くなくなりましたが、木や塀のそばの草むらに、大きな蛙が、主のように住みついています。 草取りをしていると、暫くたって、のっそりもそもそ出てきて、ぞっとさせられたりが時々なのです。他にも、さまざま? いろいろな毛虫も? 折角のスミレの葉や、くちなし、山茶花の葉など。一番困るのは、毒蛾です。山茶花の葉裏に、びっしりと整列しています。そっと切り取って、必ず燃やして駆除します。時期には、よくよく注意して見つける必要があります。絶対に農薬など散布したくない、出来ないので。本当にささやかな我が家の庭ですが、ささやかだから、私でも何とか管理できるのですね。 植木は、勿論年に2回ほど、剪定を、植木屋さんにお願いしています。まあ、大地のエネルギーは、すごいです。 放っておくと、瞬く間に、庭中がやぶ( になってしまいそうです。
 コンサートへは、よく行きます。多くは、どなたかからのお知らせですが。先日は、府中市民オーケストラの定演を聴きました。混声合唱団を解散しまして、日曜日の演奏会に出かけられるようになっています。昨年も聴いて、アマチュアとはいえ、素晴らしかったので、今年も楽しみに聴かせて頂きました。やはり、素晴らしかったです。たまに、??の音もないではないのですが、特に、金管、木管など。プロのオケでも、ままありますので、殆んど気になりません。曲目は、デュカス作曲交響詩「魔法使いの弟子」、ビゼー作曲「カルメン」組曲、サン=サーンス作曲交響曲第3番「オルガン付き」でした。 パイプオルガンでの演奏もあるのですが、オケのメンバーに混じっての小ぶりのオルガンも、響きも丁度良く、音が、全体に混じって、とても素晴らしく聴かれました。今後、月末、また12月にかけて、プロ、アマチュア、いろいろな演奏会を聴きます。それぞれに、楽しみにしています。

10月 20日(木)2016年

 漸く秋らしい陽気になってきた様子です。 今日は、素晴らしい秋晴れ!!  朝、7時頃、ポストに新聞を取りに外へ出ました。西の空、まだ高いところに、白月がかかって、見える全天に雲が見られず びっくり、続いて、全天が見られるところを観てまわると、東の空には太陽が輝いています。 やはり。一点の雲も無い青空! 南も、東も、北も、西も。正に、全天青空で、 月は西に、日は東に! ??どなたかの俳句の情景とは違いますが、素晴らしい空を見られました。 こんなことは、本当にひさしぶり!! お布団が干せる 最近嬉しいことが重なっています。 生まれて初めて、フジバカマ(藤袴)ー秋の七草ーを実際に見て確認したのです。 どこで? お隣の庭の片隅、正に、我が家との境のブロック塀の脇に顔を出して、紫がかった薄ピンクの細かい花が群れ咲いています。 観ると、3株くらいはあるでしょうか? 今まで、秋の七草の中で、唯一「藤袴」という花は、どんな花かな?と長年見たいものと考えていました。 藤袴という名前のためか、紫色の花とばかり思っていたのですが、 先日、テレビで、秋の七草について、写されていて、薄ピンクの花を、「藤袴」と紹介していました???  数日前、塀から伸びて咲く可愛い見慣れない花に気がつき、あ! これが藤袴! 漸く、お目にかかれました。 ネットで、間違いないことを確認しました。これで、漸く、秋の七草を、すべて知ることがで出来、とても満足。 この秋、もうひとつ、満足! この夏。庭の小さな植木鉢から、一本伸びてきた茎があり、なんだろうと見ているうちに、 1メートル越えて、私の身長に迫るほどになると、つぼみが出来、黄色のゆりの花のようなものが咲き、 次々、とうとう10輪以上も、大きく美しく咲き続けて、さらに、跡に、なんと種を実らせてくれているのです??  黒い正露丸?、のような種です。合計30個くらいは出来ましたでしょうか?  やはり、ネットで調べますと、間違いなく、キスゲの仲間のようです。 折角の種、何とか発芽させたいものと調べています。 さらに、この秋、嬉しいこと。秋明菊が大変良く咲いてくれ、3株ほどなのですが、20輪以上は、咲かせてくれ、まだつぼみがいくつかあります。 全く世話をせず、辛うじて、毎日、お米の研ぎ汁を撒き、乾燥させないよう気をつけただけなのですが・・  さらに、これまた、世話をしないのに、斑入りが珍しい? ほととぎす草が、今を盛りと咲き競っています。 狭い庭で、たまの草取り、水遣りくらいしか、しない私に、自然は素晴らしいプレゼントを、季節季節にもたらしてくれます。 悔しい思いもしています。折角、頂いた種を撒いて、沢山芽を出し、葉を茂らせてくれた、大好きな日本スミレが、 花を咲かせるまでもなく、見事に軸を残して、葉という葉をすべて食べつくされているのです。 びっくり? 離れて生えているどの株も、食べつくされているのです。 是非、根絶やしさせたいと思う、憎らしい辺りに生えている雑草には、全く触りもしていないのです。 見事に、日本スミレの葉だけです、??? どうやら、赤い胴に黒い毛が沢山生えている蛾?の幼虫の仕業のようです??  見かけたら、必ず摘まんで、殺すのですが、残念ながら、日中は、ごくたまにしか、殆ど見かけないのです。かくてやられっぱなしです。悔しい!! ただ、この幼虫も、蛾のようですが、貴重な昆虫だったりして? まさか? 蝶? 昆虫も少なくなり、 毒蛾のみが、忘れず、山茶花の葉裏に卵を産みつけ、幼虫が美しく、規則正しく、びっしり並んでいたり??  うっかり触っては、かぶれて大変! そっと葉ごと取って、焼いてしまうのがベストの駆除。
   今年の調布市の市民音楽祭は、大変遅く、11月20日です。 ず〜っと先とのんびりしていたのですが、スキャットに編曲した「メリー ウィドウ ワルツ」のソプラノが、うまく出来ないのです。 あと1ヶ月ほどなのに?? 一部分、少々高音なのと、無理やり声を出そうとすることでしょうね。 そこで、自信のある方のみ、歌うよう、厳しいですが、言いました。 また、付けた言葉、「ル」か「ラ」のみなのですが、 やはり、「ラ」は、上に載せるのが難しく、大口を開けて、歌いがちで、ピッチが決まらず、全く音になりません。 やむをえず、「ル」で歌う部分を多くし、ソプラノでも自信のある方のみに制限しました。何とか、本番に間に合わせないと!
 先週土曜日、珍しいオペラを観ました。3幕もので、「細川ガラシア」さんの生涯を辿った内容です。名前は、聞いたことがあっても、良くは知らない方の話です。3幕物で、意外に長く、充実した内容でした。出演人物が多く、字幕は出ていたり、一応、プログラムもあるのですが、次々出てくる、今舞台上の人物が誰なのか、些か分かりづらく、折角の熱演なのに、もったいないと思いました。主役のソプラノ歌手初め、どなたも、歌唱力も素晴らしく、とても楽しめました。簡単な舞台装置ながら、全員、それぞれ衣装を着けて、これだけの舞台を構成するのは、費用のことからも、素晴らしいと思いました。音楽は、全曲、ピアノ伴奏で、時 々、フルートソロが聴かれました。全体を統率すのは、客席最前列前、舞台下に立つ指揮者です。いずれも、とても良かったです。良かったのですが、ここまで、良いなら、もう一歩、日本人的な発声ではなく、若い歌手達ですので、世界 に通用する発声で、客席に響かせてほしいなと思いました。声も良く、歌唱力もあるのですが、世界で通用させるには、もっともっと体が鳴って、共鳴しているような歌い方を是非にと期待した いところです。日本人一般に言えることなのですが、どなたも、背後の響きが無いのです。前に飛ばすことに集中しがち? 腰、胃の下半分の後ろをしっかり使い、頭上高く、背後にも広がりを感じさせるよう、背後の空間、頭上の広がりをしっかり感じ、腰の筋肉を十二分に働かせるといいのだけど?・・ 体全体が響き、鳴っている感覚を是非聴いている私達にも楽しませていただきたいと願っています。世界で、素晴らしい日本人歌手達が多く活躍していただけるために。聴くことのみを楽しみにしているおばあさんは、期待しています。

9月19日(月)2016年

  9月に入り、半月余り。猛暑もさすがに穏やかになってきて、暑さに弱い私はほっとしています。 ただ、猛暑の名残で、毎年この時期は、体調がもうひとつすぐれないのです。 10日過ぎて来ると、ほっと、体のエネルギーが戻ってくるような感じになります。 この嬉しい秋の到来なのですが、年々、さびしい思いをさせられています。まず、あんなにうるさかった蝉の鳴き声が、今夏は極端に少なくなってきていること。 蝉の種類も数も、全く少なくなっている。庭に空いた蝉の穴の数の少ないこと、また鳴き声でも、種類と数が分かりますね。 さらに、秋の始まりを知らせ、以前は、あんなにうるさく、聞こえてきた「虫の声」が、種類と共に、年々すっかり少なく、本当にさびしくなっていること。蝶やとんぼの姿、種類がすっかり減っていること。先日、ギンヤンマを2匹見かけました。 嬉しかったですね。唱歌の「虫の声」の歌は、遥か夢の中の様子のようになっています。 空の色、草もみじや木々の葉の移ろい、うるさく羽根をこすり、震わせ、生きている証を精一杯主張する虫の声を聴き、季節の移ろいを実感してきた世代も、もうすっかり後期高齢者になっています。 「スマホ」で、≪ポケモンゴー≫を追って、町中を歩き回る世代にとすっかり変わっています。でも、どうでしょう? この美しい地球の上に生活していた、その美しさ、なんとも不思議で、素晴らしい地球の深遠に見向きもしないで、「スマホ」を覗き込んでいる、しかも、少なくとも、世界中の文明国の人々が、同じような服装で、「スマホ」片手に、電車に乗っても、夜寝る時間になっても? 私は、このごろ、そもそも、ネット社会を生み出したジョブズさんや、ビル ゲイツさんは、なんてことをしてくれたのか?、 さらに、現代のインターネット関連業者は、何をやっているのか?と、普及を喜び、面白がっている場合ではないでしょうと、怒りを覚えるほどなのですが・・  でも、そういう私も、全く及ばずながら、今書いていますように、原稿書き、ポスターつくりなどなど、PCを大変便利に使い、ネットで、最新の知識を手に入れ、 この素晴らしい有用さ、便利さに、すっかり感謝してもいるのです。これ無しには、日常生活が成り立たず、さらに社会全体が全く機能しなくなるのも、良く良く理解しています。 ですが、やはり、この地球は、美しい、楽しい!! 特に、日本は、春夏秋冬、様々に変化します。この自然の移ろいの素晴らしさに、時には関心を持ち、もっともっと目を注ぎたいですね。 さらに、何とか、農薬の無い農業生産が行えないものかと切望しています。 わが家の周りは、2方が畑に囲まれていますが、キャベツ、ブロッコリー、きゅうり、トマト、枝豆、サトイモなどなど、それは熱心に、収穫すると、まもなく、また次、又次と、栽培されています。短期間に目まぐるしく、次々と栽培されるサイクル、農家さんの勤勉さに心から感心します。 でも、キャベツにあおむしは居ず、蝶も飛ばず、以前は良く見かけたモグラのトンネル、蛇、蛙など、全く見かけなくなり、 ごく稀に、ヤモリの死骸に驚いたり、とてもとても綺麗な野菜畑にため息しながら、眺めています。 近隣の農家の方々は、朝は、5時過ぎ、夜明けと共に、それはそれは熱心に畑で働いていらっしゃって、本当に素晴らしいのですが・・・?  そのうちに、人間も、蝶や蛙、こうろぎのように、いつの間にか淘汰される?かも。 人間社会が、無機質な世界にならないよう切望しています。もっと、美しい、いきいきと呼吸している周りの世の様を見つめ、大切にしようと思ってくれる方が増えますよう願っています。 電車で、ゲームに夢中になったり?隣に立つ友人とスマホで会話したりしないで!!・・・・と。 口があるでしょう? 素敵な言葉があるでしょう? 文字での会話ではなく・・・・・
 他に、このごろ、特に気になること。それは、民放のコマーシャルに、栄養ドリンク、サプリメントなど、繰り返し、繰り返し、なんと多く、かまびすしく宣伝されていますことか。 ある友人など、サプリメントは、必要欠かせられないものと信じている様子? 反面、週刊誌には、頻繁に、飲んではいけない薬や、受けてはいけない手術・治療? 他に、宣伝することが無いのかしら?? 私は、体質が、いろいろな食物や薬アレルギー持ちなため、たまに、お医者様に処方していただく、薬以外、一切、服用しいない。その為か? 後期高齢者ながら、今のと ころ、長時間立ったままでも、可なり長く歩いても平気? また糸通し、文字を見るのも、楽譜を見るのも、眼鏡いらずで、可なり元気といえる様子なのですが・・? 私の元気の元? 多分?バランス良く、 必ず野菜を、しっかり食事を摂る事。 お医者に処方された限られた薬以外、余分な薬の類は一切摂らないこと。後は、良く体を動かすことでしょうか? 家中の掃除も意外に忙しい。 たまの窓拭き、カーテンの洗濯等も。思いつき体操少々。特別な運動などは一切やっていません? これからもず〜っと体が自由に動きますように!!  視力も今のままでありますように!! 外出が自由に出来ますように!! 神様に感謝しつつ・・
  そうそう、この夏は、オリンピックでした。どの競技も、信じられないほど素晴らしく、世界中のアスリートが一堂に集まって競う様を、それはそれは堪能させていただきました。 特に、パラリンピック・・・ 何らかの身体障害を持つ方々が、その障害に応じて、グループ分けされ、それぞれに、本当に本当にびっくりする能力を発揮なさる様子を観、知ることが出来、 障害に応じて、考えられたクラス分けに感動し、改めて、その意義を、強く実感させられました。一方で、費用のかからないオリンピックは、出来ないものか?  素晴らしい演出などに、感動しましたが、オリンピックの後、ブラジルの経済は、大丈夫かしら? 次回の日本は? 経済のみならず、猛暑の最中の開催予定を大変危惧しているのは、私などだけでもないよう・・?
  合唱指導は、今秋は遅い日程11月の市民音楽祭に向けて、練習中です。こつこつ丁寧にです。どの方も、感心するくらい、素敵に澄んだいい声で歌ってくれています。 ただ、悩みは、どこの合唱団でも同じですが、年齢が上がってきていることです。そして、少しずつ、やむを得ず、辞めて行かざるを得ないことです。 人数を補充したいのですが、なかなか思うように行かず、寂しくなって行きます。 易しすぎず、難しすぎず、歌って楽しく、若い方々にも、おしゃれな気分を満足させてくれる素敵な曲。〜にアレンジしたいもの!!・・・・・そこが難しい??? でも、楽しく 、や り甲斐がある。きっと歌い甲斐がある!!

 仲間で、心を合わせて楽しんでいるアマチュアの弦楽アンサンブル(男性2、女性5計7人、年齢は、50代〜30歳?位)を聴きました。上手とは言えませんが、アンサンブルを楽しむ心に溢れた、素敵なコンサートでした。2〜300席ほどのホールに、聴衆もこじんまりと、殆どお身内の様子で、30人ほど? 私のようなたまたま聴きにいった方は、皆無? こうやって仲間同士でアンサンブルを楽しみ、年に2回ほど、演奏会を持っている 様子。こういう活動をしている方々もいるんだ? 心が温まりました。

月29日(月)2016年

  今年も、広島と長崎への原子爆弾投下の日が巡って来て、続いて、71年目の第二次世界大戦(太平洋戦争)終結記念日、終戦記念日が巡って来ました。半世紀を 、とっくに過ぎて、71年目です。当時、取り敢えず、もろもろの状況を可なりはっきり記憶に残せる年齢の小学生で 、終戦の詔勅を、雑音の中、辛うじて聴いた年代も、もう80の大台に近づいている時代になっています。「終戦の詔勅」? 内容について、言葉遣いについても、小学3年の私には全く分かりませんでした。その後、何度か、マスコミを通して聴いた経験もありますが、71年前、正に、全天雲ひとつ無い、 真っ青の日本晴れの空が広がる真夏の昼、うるさい騒音に消される中、ラジオから聞こえる、辛うじて聴かれたその声の印象は、 今もって、ピーピーガーガーの騒音と共に、記憶の底に張り付いている感じです。夏休みの暑い日、早朝から、いつもどおり、子供達もそれぞれ、食糧増産の農作業に出掛け、昼に家族全員(当時、3家族くらい、田舎の叔父の家に疎開して、世話になっていました)が、 必ず聴くようにとの通達により、茶の間のラジオの周りに集まり、真剣に聴きました。この日、昼食を摂ったかどうか?夕食も?? 大人たちにも、内容は良く分からない様子でしたが、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、〜〜〜?」と。「どうやら、日本が負けて、戦争が終わったらしい???」と、放送が終わってしばらく、大人たち全員放心状態の中、漸くつぶやく叔父の言葉と共に、一様に、大人達に、気の抜けた安堵感が広がり、子供の私達も時代の大変革を認識させられていました。 それぞれ、座敷で、ごろごろ昼寝しながら、夕方になっても、誰も殆ど口をきかず、大人たちの気の抜けた様子、言い様の無いむなしさと安堵感、今後についての不安感が、子供にも、鮮明に記憶され、脳裏に焼きついた当日の全天真っ青な空と共に、命が尽きるまで、忘れ得ない(忘れてはならない)出来事でした。 我が家は、父親が、民間人として赴任していた中支(南京市)から、終戦翌年5月に、無事帰ってきてくれました。母を初め、まだ幼かった子供達、私の姉弟達も本当に天にも昇る?忘れ得ない安堵感と喜びを味わえました。 ただ、数限りない母子家庭が存在し、身近なクラスメイトには、放課後母親と共に働く方も全く珍しくなく、東京を初め、大阪、神戸など都会では、戦災孤児が溢れ、夕方に流れるラジオからは、ラジオドラマ「鐘が鳴る丘」(主題歌の名前は、「とんがり帽子」だったそうですが)という、 長野県に実際にあった戦災孤児たちの施設を舞台したラジオドラマが、そのテーマ曲と共に、大変人気を集めていました。 また、戦災孤児たちの養護施設も各地にありました。多くは、私と大体同じ年代と考えられますが、成長と共に、どのような人生を歩まれ、 現在どのように暮らしていらっしゃいますか、ご無事で、お幸せな人生でいらっしゃっることを祈りながらも、ずぅ〜と気になっています。 ネットでは、手記やさまざまな経験談など、かいま見聞きすることが出来ます。しかし、いろいろなTV番組でも、戦災孤児についての番組は、殆ど観られない様に思えます。 書物や映画などでは、「ガラスのウサギ」「火垂るの墓」など、さまざまにありますが、実際のごく普通に存在し、生き抜いたはずの子供達についての具体的な消息は、身近な友人以外全く分からず、年齢を重ねると共に、あの悲惨な状況をどのように生き抜かれたのでしょうかと、またその後、それぞれにお幸せな人生でありますよう、心から祈る気持ちが強くなっています。終戦直後からは想像も出来ない、このあらゆることに恵まれ、豊かな、また戦火に遭うことも無い、世界一安全で平和な国と考えられる、現在の日本でも、血縁関係のある無しに拘らず、子供を、大切に育て、また擁護するのは、なかなか十分でなく、親、大人の手前勝手な生活を優先するため、特に縁の薄い子供の養育は、敬遠される様子に見聞きされます。 残念ですが、それが実態なのでしょう。現在の、ますます、少子化の時代、「子供は宝物」の認識を、強く、広く、しっかり根付かせたく、心から熱望しています。
 この夏、つい先日、以前から、是非一度はと願っていました日本の最北端へ行く旅を漸く実行しました。稚内市から礼文島、利尻島を巡り、稚内市に戻って、ノシャップ岬から宗谷湾 沿いを巡って、日本最北端の宗谷岬からサハリン(樺太)を望み、稚内空港に戻って、羽田空港へという行程でした。今年は、北海道に、珍しく3回も、台風が上陸する不運に見舞われていたのですが、稚内辺りは、西北部分に位置するためか、少々雨模様で、霧なども立ち込めましたが、さしたることも無く、稚内から礼文島や利尻島への行き帰りのフェリーもさして揺れず、可なり快適に旅を楽しめました。3日目、宗谷岬へ着く頃は、良く晴れて、広々と見渡せる丘陵に、宗谷黒牛の放牧 や、風力発電の風車もあちこちに見られ、宗谷海峡が遥かに見渡せました。日本最北端の碑の立つ突端から、彼方に、サハリン(樺太)が、入道雲の下に、平らに広がって、確かに認識されました。 肉眼では見えにくかったのですが、手持ちの3倍オペラグラスで、何度も何度も確認しました。ガイドさんも、今日は珍しく良く見えますとのこと。それにしても、初めて、国境というものを目の当たりにしました。ヨーロッパなどへ行くときは、飛行機でも、遥か上空からながら、何度も国境を普通に越えていますが、この宗谷海峡の国境は、特に別です。昭和20年8月9日日本との不可侵条約を無視し、突然、侵攻してきたソ連軍の傍若無人な攻撃に逃げ惑い、8月20日には、真岡市に侵攻してきたソ連軍の卑劣な、滅茶苦茶な攻撃 ,行為を避けるため、別れの言葉を打電して、青酸カリで集団自殺した当時の真岡郵便電信局の若い女子電話交換手の皆様を偲ぶ碑など、さらに、大韓航空の墜落事件の犠牲者を悼む大きな碑など、様々な記念のものが建てられていました。 改めて、肉親が分かれ別れになり、船に押し込まれて着の身着のまま、此処、稚内に引き上げてきた多くの日本人達、激しく渦巻く様々な越し方を、長い歳月、見てきたこの国境に臨む、最北の岬の深い思いを慮りました。泳ぎの得意な方は、泳げるかも?と思えるほどに、近くに見える陸地の影? 国境の厳しさ、わびしさ、現実を見知りました。
 合唱は、来年秋の30周年第10回演奏会に向け、やはり、少しでも団員を増やしたく、再び、合唱講座を行います。今回は、9月に3回です。 4回目最終曜日は、「たづくり」が、秋の休館期間のため、やむを得ず、休みです。若い方々の来団を願っているのですが・・?
 今月も、夏、猛暑が続きましたが、誘いを受けて、演奏会をいくつか聴きました。 ひとつ、相模原市とはいえ、中央線藤野駅から、1日に数本のバスで乗ること10分足らず。 山の中の「藤野芸術の家」で行われましたアコーディオンとポルタティーフオルガンとの競演演奏会? 面白そうでしたので、出掛けました。 なかなか達者なアコーディオン奏でした。ただ、わざわざ、大変不便なところまで出掛けようと考えた根拠は、一般に、軽いポピュラーな曲を演奏するアコーディオンという楽器で、 バロックやルネッサンスの曲を演奏される古い小さなポルタティーフオルガンとのコラボレーションということで、期待して出掛けたのですが、 ありきたりの軽い音楽に、むしろ、小さなオルガンが同調した演奏でした。勿論、なかなか達者な演奏でしたし、古い小さなオルガンがリズミカルに演奏するのも面白かったのですが、ポピュラーなアコーディオンの演奏でしたら、 世の中には、遥かにすごい演奏をしばしば聴かれますが、バッハのオルガン曲など古い大きな曲とのコラボレーションを、どんな風にアンサンブルなさるのかと楽しみにしていたので、少々がっかりして、 帰りました。
 台風のお陰か、昨日あたりから涼しい陽気になっています。些かさびしい感じで、夏の終わりを実感させられます。今度の4日、日曜日は、姪の結婚式です。暗い出会いが続きがちなこの頃、しばらくぶりに、嬉しい集まりです。若い方々、是非、出会いを大切に!!と願っています。

月 2日(火)2016年

   今年の関東地方は、雨が余り降らないにも拘わらず、なかなか梅雨明けにならず、漸く先月末になって梅雨明けの様子でした。割合、涼しく助かりますが、水源地では、水不足の様子? 天の神様頼みですから、何とも致し方ないです 。東京は、参議院選挙が終わった途端に、都知事選挙でした。 男性知事が、二人続けて、不祥事で中途退任した為か、女性知事が圧勝で当選しました。実は、私は、以前より、あまり好きではない方です。仕方ありません。東京が、日本が心地よく発展していきますよう、祈るばかりです。続けざまの選挙といっても、広報が配布されるくらいで、 町の中では、全く静かで した。TVでは、当然ながら、あれこれかまびすしく、予想されているようでしたが。 私には、どなたが良いのか、いつもながら、全く分かりません。でも、もろもろの選挙は、毎回、棄権せず、仕方なく、取り敢えず、投票しています。 正に、取り敢えずです。遭ったことも無く、見たこともなく、まして、話したことなど一度もありませんので、分かるわけないのです。すべての選挙は、同様です。まあ、私なりに考えて、まずまずかもと、投票してきています。民意と言われましても??? ただ、国民 、都民全員それぞれの意思確認は、こういう方法しかないのも当然です。さらに、世界では、痛ましい犠牲があちこちで、頻発しています。世界中、どこにも、本当に驚愕するような 場所、国々、いたるところ、どこででも、男性女性それぞれ日本人が、現地の方々と交わって、共に生活し、手助けし、それぞれの国の発展に尽力し続けている様子です。ですが、必ずしも、良かれと行動していても、それが裏目になって、恨みを駆っているらしいことを最近知り、門外漢ながら、その難しさ、複雑さを知らされる思いです。 しばらく前には、バングラデシュのダッカでの、日本人やイタリア人をターゲットにしたテロ行為は、犯人達に、高学歴の若者が多く、大学の先生も関係し ていたとのニュースには、全く理解不能でした。が、TVなどの解説を聴くと、バングラデシュは、世界の衣料品の工場といわれている様子で、低賃金労働者の働き場は、多いのですが、高学歴の若者の働き場が非常に少なく、高学歴の失業者が大変多い現状とか? 全く知りませんでした。中でも、イタリアや日本の衣料関係の企業の進出が多いとか? ですから、イタリア人や日本人は、大変恨まれているとか? 事実、イタリア人と日本人に犠牲者が集中した様子です。日本人で、犠牲になられた方々の多くは、JICAの方々のようで、良かれとの強い考えで、バングラデシュのために、心血を注いでおられた様子に伺って、私ならずとも、多くの方々が、心から強く残念に思われていることと考えます。 ただ、不思議なのは、良く知らずにいい加減なことはいえませんが、[made in Bangladesh]と書かれている衣類を、私は買った記憶がないのです。 衣類に限らず、[made in china] [made in Korea] [made in Vietnam] [made in Philippines] [made in Indonesia]などは、いろいろな物でしばしば見るのですが・・  私は内心、[made in china] が多すぎると思っていて、「日本製」と書かれていれば、そちらを買うようにしています。頻発する[IS] ? 関係のテロ事件のみならず、日本でも数日前に、テロとは全く関係ないながら、残虐な殺傷事件があり、驚愕しながらも、大げさなようですが、世界中に不穏な動きが頻発して、またか!と些か慣れる様なことが無いよう、大変危惧します。折角、この世で授かった互いの命、精一杯、有意義に活用し、世の人々のために活用してほしいと祈るばかりです。
   合唱活動は、楽しく、和やかです。もう少し、メンバーが増えると大変嬉しいのですが・・・? 今年の市民音楽祭の日は、大変遅く、市民文化祭最終日11月20日(日)だそうです。 仕方ないですので、団員が決めた音楽祭用曲など複数練習中ですが、加えて、新しい曲を練習することにしました。G.ホルスト作曲管弦楽組曲「惑星」の中、[Jupiter]のメインテーマを簡単な3部合唱に編曲した曲です。今までにも、少なくとも、2人の日本人女性歌手が、ソロで歌い、多くの方々に好まれ、大変知られたメインテーマ曲です。 私は、この管弦楽組曲全曲を、まともに聴いたことが無いので、また、生で聴かれる機会も、めったに無いですので、ネットで鑑賞する事にしました。もちろん、CDなどは、いくつか販売されていることでしょうが・・  わざわざ、購入してまでは・・?と。この場合、ネット鑑賞ではありますが、複数のオーケストラの演奏、さらに、合成された演奏まで、同時に聴かれ、これはこれで、とても面白く 聴きました。ネット鑑賞とはいえ、音の鮮明さに感心し、反面、良し悪しが思いのほか、良く分かることに、改めて気づきました。
 先月7月は、月当初、日本で中心的活動を続けているチェンバリスト達のとても面白く、聴く価値のあるチェンバロ演演奏会はじめ、10日には、私には、大変当たり年?になるらしく、今年4回目のバッハ作曲「マタイ受難曲」を聴きました。今回は、アマチュア合唱団の演奏でした。この長く、重い曲を、どなたもよく歌うなあと感心しながら、聴きました。それにしても、ただ、素晴らしい作曲家バッハの曲に触れたい、難しいことに挑戦したいと、せっせと練習し、ステージに並ぶ。日本人は、向上心が強いのか、勤勉なのか ? 本来、日本人には、クリスチャンはとても少数なのに拘わらず、また、ドイツ語もキリスト教についても、あまり関心も無く、ほとんど知識のない多くの方々が 、この長く、重く、練習に勤勉さが、とても必要な大曲を・・・と感心します。他に、知人の若い演奏家達のそれぞれに工夫されたこじんまりした演奏会も4回聴きました。 東京新宿より京王線ひと駅初台、オペラシティーの近江楽堂で、客席の配置を考え、曲によって、合唱団員が移動して、立ち位置を様々に変えつつ、狭い空間に広がる音響効果を十分に考えた女声合唱演奏会は、照明の効果も相まって、小さいホールでの演奏 ならではの面白さでした。いずれの演奏会も、若い方々が、それぞれに、工夫し、一生懸命にがんばっているなあ!と応援しています。演奏家として、長く続けて活動する厳しさを、上手にクリアして 、発展して行ってほしいと願いつつ。

月30日(木)2016年

    関東地方は、目下、梅雨の真っ最中のはずです。でも、少々の降り方で、たまに、ざぁ〜と、夜降っているくらいの様子で、水位の下がった水源地では、取水制限中とか? 水は、天からの授かりものですので、人間の力では、何とも、し難く、正に、神頼みです。人工衛星が地球から飛び出し、インターネットの電波が、瞬時に、地球上を飛び回る時代になっていても、天の神様の思し召しを、人間が思い通りに支配することは、永遠に不可能と考えます。ただ、ただ、出来るだけ節約するのみです。 しかし、日ごろ、日本国中の蛇口から、思い通りに、綺麗な水が出て、思う存分、口に入れて飲め、利用できる事に慣れています(世界の中でも、 日本は、水道の蛇口から、いつでも自由に、水の飲める数少ない国土です。文明国フランスなどでも、うっかり水道の水は飲めません?)。ただ、台風、地震などで、ひとたび、断水にでもなると、たちまち生命の危険を感じることになります。まして、猛暑が続く夏場は、本当に豊富な、綺麗な飲める水資源に恵まれている日本の国土に感謝です。 何とか、日本中、どこにも、大きな天変地変が起こりませんように、祈っています。ところで、梅雨時の花は、アジサイです。我が家のまわりのお宅でも、とても綺麗に咲いています。私の悩み?願いは、我が家のアジサイ(あまり見かけない、普通のアジサイよりほぼ1,5倍ほど大きく、 直径25センチほどに大きく開く青い額あじさいです)が、何とかお隣のように、又ご近所のように、これでもかというほど、溢れんばかりに花を付けてくれないかしらと願っています。私は、我が家のアジサイが大好きです。私の父親が 、40数年前に、実家の庭から切り取って持ってきて、挿し木してくれたものです(アジサイは、挿し木で簡単に増やせます)。大体毎年、大輪を咲かせてくれるのですが、花の数がとても少ないのです。株そのものは、可なり大きく、枝も沢山張ってくれるのですが、 例年花つきが大変少なく、それでも、今年はいつになく多くて、8輪大きな花を、自信満々の様相に、美しく咲かせてくれ、とても嬉しかったです。ご近所に咲く ほとんどのアジサイは、盛り上がり、重なり合い溢れる様に、咲き競っています。色とりどり、花の形状もさまざまに、本当に美しく、時には、貴婦人の様相です。この数年、多少のアドバイスを参考に、花が終わると、思い切って、根元近くまで短く切ってしまうことにしています。 その為か、1輪も咲かない年もあった以前よりは、花つきが良くなっているように思います。良いアドバイスを頂けますと大変嬉しいのですが。
 合唱練習はのんびりです。新しく、3部にアレンジした楽しい曲を練習し始めています。もちろん、今までの曲も、継続です。 繰り返し練習していますと、体に浸透して、いつの間にか上手になっています。各パートのメロディーのからみあい、和音の響きなど、一見、簡単そうでも、十分に仕上げるのは、意外に日数がかかるものです。急ぐ必要もないので、繰り返し、あれこれ練習しているうちに、???随分上手になってきている?となるのです。 継続は、力です。プロと違うアマチュアならではのうまさ(上手さ)です。そろそろ秋の文化祭に向け、気持ちを向ける頃でしょうか?
 コンサートには、今月は、意外に行っていません。ただ、先週末には、ここ何年か継続して開かれ、ますます充実して来ている調布音楽祭が行われました。調布市あげての音楽祭で、協賛企業やボランティアの方々など、随分前から、企画準備していました。私も、モーツァルト生誕260年記念 (モーツァルトは、1756年1月27日生れ。今年は、2016年?丁度ですね)のコンサートを聴きました。若い演奏家達の素晴らしい演奏スキルを楽しみました。特に、 女性、男性、お二人の演奏家によるチェンバロの演奏が素晴らしく、チェンバロって、こんなにいい音、響きだったかしら?と思えた、嬉しい、素晴らしい演奏でした。若い方々 が、その才能を十分に発揮できる機会に、より多く恵まれ、その活躍が長く続きますよう願って、大変楽しみにしています。

月13日(月)2016年

     このところ、3週間ばかり前、パソコンに、突然windows10がインストールされてしまい、びっくり! どうしてよいか分からず、使いなれたPCも、ずいぶん古いので、新しい機種で、以前どおり、「7(セブン)」を入れたのに、買い換えました。ところが、ここへきて、たまたま見ていましテレビで、PCの画面に、以前より頻繁に、自動的に現れていたwindows10のインストールを勧める画面が、2回繰り返し現れるらしいのを、カットしないでうっかりしていると自動的にインストールされてしまうとか知り、漸く納得しました。気がつく度に、何度もカットしていたのですが、ある時、つけっ放しで放っておいたのが失敗でした。突然で、よく分からず、ちょうど内蔵バッテリーも交換時期だったり、ハードディスクも古くなっていましたので、新し いPCを買うことにしました。まもなく点検していただいていた古い方が、漸く、手元に、戻ってき ました。ただ、windows10になってしまったものもそれほど変わりなく、まずまずの使い勝手なことに気づきました。びっくりしましたが、まあいいか!というところです。もう、あまり必要はないのですが、目下,PCが、2台となっています。私には、いささか、異例です??  ところで、パソコンにかまけています内に、6月も半ば近く、日本が、ホスト役の7ケ国サミット会議は、すっかり、過去のことになっています。ですが、壊れる前の書きかけを続けることにします。5月末アップする予定だった原稿です。 『最近 (5月半ば)ビッグニュースは、アメリカ大統領オバマ氏(バラク・フセイン・オバマ2世)が、日本でのサミット出席の際、世界初の原爆投下の大惨事を被った 広島市を、アメリカ大統領として、初めてれるということです。余りに遅すぎると思いますが、アメリカの立場、また国民感情を考慮すると大英断ということになるのでしょう。 本当は、アメリカ代表として、謝罪して頂きたいと強く願っています。また、長崎へも、訪問して頂きたい気持ちが大変強いのですが ? 何しろ、アメリカを代表する方ですから、アメリカ国民の感情も考慮すると、広島のみで、また謝罪までは、無理なのでしょうか? 世界に核廃絶を発信して、強く主張なさっている方ですので、その方向で、行動なさるようです。やむをえない のか?と思いますが。それにしても、原子爆弾は、第二次世界大戦を終結させる決定打として、投下されたということですが、数十万人もの人々が生活する大きな都市の真ん中に投下するとは、非人道的行為として、歴史上最大の非難を浴びて、天を支配する神の大罰を受けて、当然と、私は、投下のニュースを 、初めて聴いて以来、70年以上も思い続けています。当時まだ、私は、小学校3年で、戦争を避けるため、兵庫県の山間地、正に中国山地の 東方の続き、山の中で、 僅かに配られたお米と野草を食べながら、暮らしていました(勿論、日本中、同じような様子たっだはずです。)大人たちが、届けられた新聞を見て、広島に新型爆弾が落とされたようだと話しているのを、はっきり覚えています。 長崎投下についても、大人達は、また落とされ、今までにない大変強力な大型爆弾のようだと不安そうな様子に思えました。ただ、二度目なためか、広島市の時ほど 強く騒がれなかったよう??に 記憶しています。それにしても、数10万人という多くの無力な、全く罪の無い善良な大人・子供の市民が住む都市の真ん中に落とすとは、 あまりに、無慈悲で、キリスト教を信じる人々の、手前勝手な残酷さを思い知らされたと、以来、ず〜っと考え、思っています。第二次世界大戦を一刻も早く終結させるため、ベストの手段だったとの主張が、アメリカでは専らのようですが、正に詭弁で、原子爆弾の威力で、日本を即刻降伏させようとのもくろみであっても、多くの人々の住むその町の真ん中に、しかも、2度も、同じ状態に投下するとは、絶対に許されることではありません。広島にも、長崎にも、海があり、軍港もあり、爆弾の強力な威力を見せ付けるのに、 多くの人が暮らす市中で無くても、たとえば、海の中など、少しは被害が少なく、十分に威嚇し、多大な恐怖を抱かせることは、十分に出来たと、私は、ず〜っと思い続けています (ほとんど言われない、聴かれない意見ですが)。そうすれば、犠牲者が、ずっと少なくなったのではないかと、あれ以来、ず〜 っと、その極悪非道な行為を実行したアメリカを、私は許していません。 全く手前勝手な、非人道的なイラク戦争を始めた時も、当時の大統領は、聖書に手を乗せ、宣戦布告をしたのを、テレビで見ました。正に、偽善者で、偽キリスト教信者と、私には思えます。私は、長く合唱指導を続けていまして、キリスト教の、カトリック、プロテスタント、いずれの合唱曲も、とても沢山演奏してきました。それは、宗教上の意味合いで演奏したのでは全くなく、専ら音楽上、それぞれの曲の構成、音の流れ ・使われ方、それらの作曲技術の素晴らしい価値を表現したく、また理解したく、興味が尽きないので、ということになります。至る所に建てられ、 幼児洗礼を受け、生まれた時から慣れ親しんでいるあの石造りの高く見上げるアーチ状の天井?、更に、広がりの構造を持ち、限りなく豊かな倍音を聴かせてくれる教会が、豊かなハーモニーを育て、作曲技術を育て、数々の教会音楽を生み出したということで、その響きを聴き、体で感じるために、ヨーロッパには行きますし、行きたいと願っています。日本では、まず味わえない、奥行きのある深い響きです。 第一次、更に第二次世界大戦で戦場になり、想像を遥かに越える甚大な被害を受けたヨーロッパですが、歴史、文化を大切にし、当然のこととして、自分たちの育んで来た文化を長く引き継いで行こうと、年数をかけ、多大な費用を寄付などでもまかない、古い教会を、 昔のように、素晴らしく修復し、オルガンを整備し ています。勿論、全く同じではないのですが、昔を偲ぶのに十分すぎるくらいの構造の響きを体感し、学びに、又観光に行きます。 が、私には、音楽上、アメリカに学びにいく必要を考えない事もあって、今までも、これからも、アメリカには行きませんし、素晴らしい大国と承知していますが、 決して、アメリカを許すことは出来ません。正に、ほんのささやかな私なりの信念です。 さらに、しばしば、真珠湾奇襲攻撃が、引き合いに出されますが、確かに、卑劣な戦闘行為だったでしょうが、原爆投下、しかも2回も投下した卑劣な非人道行為とは比べるべくもなく、 二回もの原爆投下は、たとえようもなく、遥かに重罪と私は考えています。
 合唱指導は、いつに無く、長い合唱講座を、5月一杯で終え、新しい仲間も増え、次へ向かって、心を新たに再出発です。 新しくアレンジもしながら、洋の東西を問わず、日本人の感覚を温かく、包み込むメロディーを楽しみます。 宗教曲には無い、温かく、美しい音、柔らかく、軽い響きに改めて気づかされています。
 このところのコンサートでは、 今年何度目かになる、「マタイ受難曲」を聴きました。今回は、メンデルスゾーン版とかで、短縮版でした。 それなりに良く、特に、ソリストの方々がとても良く、楽しめました。また、珍しく、Haydn兄弟のミサ曲を聴きました。 意外に聴く機会のないミサ曲で、合唱・オケ共に、演奏も良く、とても楽しめました。兄弟そろって、逆境のモーツァルトに、思いやりを持ち、 温かく、やさしく接していたとか語られもするその人柄が偲ばれる素晴らしい曲の構成の様子でした(楽譜を見ていませんが・・)。 さらに、珍しく、来日ウィーンフォルクスオパーで、レハール作曲オペレッタ「メリー・ウィドウ」を全曲観ました。 このオペレッタの名前は、大変よく耳にしますが、実際に全曲を鑑賞する機会は少なく、私は初めてでした。シュトラウスの「こうもり」は、観ることがあるのですが。 是非観たく、出掛けて、さすが、フォルクスオパー(民衆オペラ?)!!  出演者全員が、観客に向け全身で、歌、踊り、所作共に、繰り返し表現するサービス精神の素晴らしさに、心から拍手喝采で、とても楽しかったです。 随分、昔に観た、本拠地ウィーンのフォルクスオパー劇場での雰囲気のように、出演者と観客との慣れ親しんだ一体感のようなものは、 会話や歌の言葉も十分に伝わらず、鑑賞する日本人には無理でも、出演者のサービスの一生懸命さ、雰囲気は、十分に、伝わる様子で、とても楽しめました。 さらに、チケットは、天井桟敷をお勧めします。声が天井に沿って、とてもすっきり伝わり、舞台も良く見渡せ、大変楽しめました。もちろん、オペラグラスはお忘れなく。 私のお勧めです。

 4月27日(水) 2016年

  桜の季節も とっくに終わり、街路に並ぶ、ピンクや白のひらひらと花びらのような「がく」が可愛らしいはなみずきも、すっかり緑の葉が茂ってきています。大通りの今は、 歩道に沿って、さつきやおおむらさきが、赤や、赤紫に、白にと彩り、どうして?と思うほどぎっしり群がって咲き競っています。 ここ東京調布は、こんなにのどかで美しいのに、九州熊本では、何とも残念な地震による災害に見舞われています。 震度7とか6とかが、何度も繰り返されては、何とか持ちこたえていた大きな建物も耐え切れなくなってしまいます。 たまたま昨年秋訪れた熊本のシンボル熊本城のしゃちほこや屋根瓦、石垣が大きく崩れ、水前寺公園の池の水が干上がっているとか?  あちこちの山は崩れ、橋が落ち、大きな素敵な家屋が見る影も無く崩れている様子は、残念で、心から、深くお見舞い申し上げたく思います。 日本は、やはり地震列島、災害大国であることを、また改めて思い知らされています。 我が家も一応、せめてものと、家具は倒れにくく、ガラスは割れにくくいよう、建物も「震度7」に耐えられる?よう、水も食料も多少保存しています。 この際、もっと常備して、改めて対策を見直す必要があるかもと考えています。 しかしどうでしょう? 震度7や6が、熊本のように繰り返し起こっては、多少の備えがあっても、とても耐えられないのでは?と心細く、不安感がつのります。 ただ、絶対大丈夫な対策は、まったく無い?ことにも、残念ながら気づかされています。 今のところ、無事でいられることに感謝し、予測が出ている富士山などの噴火も起こらないよう、強く祈っているのですが・・   昔の人々は、今より遥かに、祈るしか対策が無かったのでしょうと想像されます。 実は、我が家の下には、縄文時代か、弥生時代かの竪穴住居の跡が、いくつかあることが分かっています。 地面を1mほど?掘ると、円形に1段と低く掘られ、真ん中に黒ずんだ火を燃やした跡があります。今も地中に眠っています。 多分、魚など採れる多摩川に近く、「はけ」と呼ばれる崖線(がいせん)の上に位置する高い土地ですので、昔の人は、より安全なところと考えたのでしょう?  でも、富士山の噴火による噴出物なども堆積している様子です。この辺りの畑のふかふかした黒土は、実は、そのおかげとか?   そのお蔭で、我が家の近辺では、畑作が大変盛んに、手際よく行われ、蔬菜栽培が、素晴らしく上手で、1年中、キャベツ、ブロッコリ、レタス、エダマメ、ネギ、ほうれん草、小松菜、ピーマン、茄子、サトイモ、ジャガイモ、変わった葉物など、さらに、ビニールハウスで、キュウリ、トマト、イチゴなど、様々な野菜が素晴らしく美しい姿で栽培されていて、更に季節季節に、いろいろな花々までもが美しく、びっくり、大変感心して眺めています。この平和が、つつがなく、続きますよう、心から願っています。
   合唱指導は、現在、5月末までの予定で、合唱講座を行っています。少しずつ見学にお越しくださっています。 男声女声、年齢を問わず、曲は、明るく、愉しい歌を、歌の傾向を限定せず、難易度も余り考えず、ただ、時間をかけて練習して、歌う価値のある曲を第一にして、 今までも、これからも歌い続けます。 そしていつの間にか、どなたも歌えるようになっているのです! どなたも、私って、意外に? 上手なんだと・・ どなたも素晴らしい! 世の中は、名曲 が一杯です。
  コンサートは、先日、J.S.バッハ「マタイ受難曲」のEarly Versionの楽譜を元に、独自の解釈で構成した「原マタイ受難曲」という演奏を聴きました。それなりに面白かったです。ただ、試みとして面白いということです。嬉しかったのは、オケの演奏者の皆様が、それぞれに、達人ぞろいの古楽器オーケストラだったことです。私には、久しぶり に聴く方もいて、大変楽しめました。 やはり、古楽器の木管の音は、いいなあと・・ なお、実は、今春には、今回を含めて、なんと4回も、「マタイ受難曲」を聴きました。1度も聴かない年もあるのに? おかげで、楽譜を見ながら聴きましたので、全体的に殆ど忘れ かけていたことを思い出せて、とてもよい経験でした。改めて、すごい曲だなあ!と実感しました。聴くだけでも、3時間は、いささか疲れます。 ただ、 バッハ作曲の曲で、譜面上、面白いのは、やはり、何と言っても、「ロ短調」ミサ曲です。バッハが、命の終わりを実感しながら、文字通り、心血を注いで、曲の構成に技を込め、作曲した曲ですので、 和声・対位法などの面からも様々、曲の分析に興味が尽きない、素晴らしい曲です。ところで、漸く、気がついたのは、「マタイ」を、4回も、聴いたにも拘わらず、いずれのプログラムでも、曲ごとの使用楽器の解説など 余り詳しく無かった事??でした。 全く、書かれていなかったり・・。 バッハは、曲により工夫された楽器の使用が、又その楽器の特徴を捉えたメロディー構成が大変面白いのですが・・ 。 また、それぞれ古楽器の響きを期待して聴く、大きな楽しみがあると私は思っています。

 3月24日(木) 2016年

  今年も、早や、3月も終わりに近づいています。つい先日?、満開の梅の便りが聞かれたと思っていましたら、もう桜の開花宣言です。 寒桜などは別として、春は、まず、伊豆の河津桜の満開 に始まり、様々な桜が、つぎつぎと咲き競ってきます。 我が家にも、伸ばさない様に、背丈ほどに剪定している彼岸桜が、今年は特に沢山の蕾を膨らませ 、丁度お彼岸に合わせるように満開になり、今は、はらはらと散り始めています。少し前3月1日に、伊豆の河津桜を見に行ってきました。 まだまだ見ごろと思っていましたが、今年は暖かいのか、木によっては満開を過ぎた感じで、、葉が随分で出て来ていました。濃いピンクの花がこれでもかと固まって咲き、川沿いの道に連なる並木は、本当に美しかったです。 それに、花見客の多いこと。でも、どこかで、昼食をと思いましたが、屋台はそれなりに並んでいるのですが、レストランなど殆ど見当たらず、 たまに看板やのぼりを見かけても、最盛期のはずなのにお休みだったり? たまに、あった!と近づいていくと、順番待ちの人の多いこと? ただ、年間通して、こんなに人が集まるのは、 この最盛期の、1〜2ヶ月ほどでしょうから、地方の町の活性化の難しさを感じました。ところで、最近、特に、嬉しいチャンスに恵まれ、以前より大変興味を持っていましたパイプオルガン、ポルタティー フオルガンなどについて、 思いがけず、とても丁寧に、話を聴かせて頂ける機会に巡り合いました。目下、ある教会で一段鍵盤の小さなパイプオルガンを製作中の方にです。遠くの学校まで、下駄箱などの古材を自ら車で貰い受けに行き、それを、必要なパーツに切ったり、サンドペーパーで磨いたり、大変根気強く、些か気が遠くなるような作業をもう長く続け、まだまだかかりそうながら、全体の形が出来上がってきていて、心が弾む様子です。それぞれのパーツや製作過程などを見せていただき、不躾な質問にも、丁寧な説明を聴かせていただき、大変嬉しい経験をしています。 仕事としては、全く、音楽に関係なく、本来の趣味が高じたという全くのアマチュアの方ですが、オルガン製作にかける素晴らしく、素敵な情熱には、本当にびっくり、 大変感心しています。 合唱指導を、ぐっと縮小しまして、出来てきました余裕と時間のお蔭で、オルガンを演奏するなども、 今まで学びたかったさまざまなことを経験する時間と余裕が出来、思いの他、忙しく過ごしています。 神様が私を後どのくらい生きさせて下さるか分かりませんが、元気で動けるうちに、精一杯、やりたいことを、あれこれ、楽しく実行して行こうと願っています。 合唱を歌いに行けるのも嬉しいかなとも??? 些か、体力との勝負の感がありますが?   すべては、やはり体力ですね。
 指導を続けている合唱団は、 4月から5月の毎水曜日午前中に合唱講座を開催予定で、新しい団員が参加して下さるよう願っています。 毎年4月初めには、総会を行い、会計報告や、年間の活動内容の確認などを行っています。今年は、29年目です。来年は、30年目になりますので、30周年記念演奏会をと考えています。 発足当初より、長年一貫して、団員同士で、自主的に、しっかり活動を支えてくれています。 取り上げる曲は、大きな宗教曲以外のすべての曲です。 オペラやオペレッタのアリヤやデュエット曲、日本歌曲など、どんな曲も団員達の声を考えながら、アレンジしています。 男声も女声も、とても爽やかな良い声で、のびのび楽しんでいます。
この頃は、演奏会に、よく出かけています。ここ近年、私にとって、珍しいのは、オペラ観賞です。チケットを買うのも稀で、あまり関心が無いのですが、先日、演奏会方式ながら、 サーンサーンス作曲「サムソンとデリラ」を見ました。主役サムソンや、ヒロイン「デリラ」は、外国人でしたが、その他は、日本人で、合唱や小さい役どころは、私には殆ど初めて聴くと考えます武蔵野音大の若い方々でした。彼らの若い声のみずみずしい合唱が、本当に素晴らし く、とても心地よく、楽しめました。主役サムソンの歌唱や演技も、重厚なテノールで、役柄に合っていて、素晴らしかったです。また、他の日本人の男性ソリスト達もそれぞれに素晴らしく、しばらくぶりに、とても満足できる公演でした。 東京芸術劇場の大ホールで、オペラはどのようにやるのかしらと思っていましたが、オケが全員、ステージ上に並び、後方の階段に合唱隊が並ぶ、普通の第九の演奏会のようでしたが、 ソリスト達は、舞台前面、オケの前に立って、普通の演奏会用の服装で多少の演技をしながら、歌い、後方上のパイプオルガンのあるバルコニーに上がっても演技して、場面展開として上手に使いながら、また音響と照明も、大変上手に駆使し、とてもよい演出で、こういうやり方でも、十分に楽しめるなあと感心しました。唯一つ、肝心のヒロイン「デリラ」が、何とも残念でした。大柄のなかなか美しい女性で、声もメゾソプラノの良い声の持ち主に思えましたが、デリラとしての迫力ある 演技と歌唱力に欠けること、折角の 良く知られたアリアもそのメロディーラインが、浮き出てこなくて、全体として、デリラの存在が良く分からない様子になり、全く失望しました。すべての曲について、メロディーラインがクリアーに聴こえる事を特に願っていたのですが。その点では、男性ソリスト達は、しっかり歌っていて、とても楽しめました。 他に、今年の四旬節には、ドイツ、ライプツィヒから来ました聖トーマス教会聖歌隊のJ.S.バッハ作曲「マタイ受難曲」を、やはり東京芸術劇場で聴きました。可愛い子供達の聖歌隊の演奏でしたが、 重要なソリストは、大人でした。 バッハは、聖歌隊の人数について、少なくとも最低、各パート3人は必要と言っていた様子です。そういえば、ソリストはどうしていたのでしょうか? 今回は、何しろ、演奏時間が、3時間の大曲「マタイ受難曲」で、 8声の2重合唱ですから、各パート、約6〜7人の構成のようでした。それなりに、良い演奏でしたが、私には、彼らは、いずれも歌い慣れしているからか、あまり感動を覚えない、むしろあっさりした演奏に思いました。実は、「マタイ受難曲」は、 作曲者バッハの大変思い入れのこもった長大な宗教音楽劇と私は思っているのですが、イエスが亡くなる時、神殿の幕が裂け、人々が、イエスの神聖性に感動、畏敬の念を持って叫ぶところなど、さまざま な場面で、いずれもあっさりと進んでいき、「安らかにお休みください」と祈る終曲もあっさり進んでいきました。3時間に及ぶ演奏が終わった後に、終わったという感動を覚えませんでした。?? この聖歌隊は、今回の日本公演でも、この大曲を、4回も、立て続けに公演するようです。その為かと、私は思いますが、演奏慣れし過ぎているのではと。本場の「マタイ受難曲」を是非と期待していたのですが、些か残念でした。ただ、やはり、3時間 に及ぶ演奏、しかも楽しくない内容の演奏は、聴く方も疲れます。が、これを、300年近くも前に、作曲していたことに、改めて、心から感動し、 素晴らしいは当然として、すごい曲を作っていたんだなとつくづく実感します。 さらに、今春の四旬節には、なんと、聖金曜日を含め、マタイ受難曲を3回、さらに、ヨハネ受難曲を1回と、4回も、バッハの受難曲を聴く機会があり、受難曲づいています。どうして、こんなに?とも思いますが、聴かれる機会の多さに、思いがけないながら、今ある時間の余裕の有り難さを感じます。それにしても、日本人に占めるクリスチャンの構成は、大変少ないのに・・?  私も全くその気も無いのですが、やはり、250年以上も前の作品ながら、宗教心に関わらず、その曲の持つ深み、作曲構成の素晴らしさが、今も多くの人を引き付けるのでしょうか? それとも、日本人の知識欲、勤勉さのためでしょうか? まあ、両方でしょうね・・   

 2月 4日(木) 2016年

  2016年、平成28年が始まりました。もう、1ヶ月が過ぎ、今日は立春です。  21世紀になって、早や16年? それに、平成という聞き慣れない年号になって、もう30年近く経っている?  平成生まれの方が、社会人になって、立派に働いておられる・・ それに、テレビなどでは、この頃、意外にしばしば、「 古い昭和のかおりがして、懐かしい・・・」「レトロな昭和の道具類?」などと聞かれる様になっています。私の感覚では、なんか?  明治、大正時代の話をしているように思えます。正に、昭和2桁、それもその初め生まれの私はこういわれると、自分が、 何か、年とって古ぼけてきているように思えるのは、僻みなのでしょうか?  そのように語っている方々も、うっかりすると、私とそう違わないかも?の方だったり?  でも、以前は、絶対に見られなかった形の電化製品が、我が家にも、多々あって、さらに、電話の変わり様、インターネットは必需品?  私は、今のところ? スマートホンは、持っていません。でも、ガラ系ながら、一応、携帯電話を、携帯しています。 というのも、気が付けば、公衆電話が、なかなか見当たらない? 大変不便です! が、SNSなど、全く分かりません。  PCで、インターネットを毎日見たり、メールは勿論、文章を書くなど便利に使っていますので、外出中まで 、液晶画面を見なくてもと考えます。 ただ、文章を書くのに、手書きすることが、本当に少なく、漢字が書けない事、情けないほど・・  これは、昭和時代より、むしろ、退化しているのでは?  さらに、退化しているのは、ちかちか動く液晶画面を見続けて、目を悪くしている方が、絶対に多くなっていると思えること・・  お洒落なメガネも多々あり、コンタクトレンズも、カラー付きなど様々あっても、やはり、自分の肉眼に、勝るものはありません。 まず、無駄な出費がありません。 ゆれる電車やバスの中でも、目を酷使して、全く気にしていない様子ながら、私は、やはり、注意してあげたい気分になります。 特に、まだ、小さい小学生?、10代の若者達。将来のお年寄りの視力は、どうなるのでしょう?  私は、昔々、大学に、都電で40分ほど揺られて通い始めて、数ヶ月で、2,0だった視力が、0,7くらいの近視になって、びっくりしたことがあります。 その頃、読みたい本を、夢中で、がたがた上下左右に大きく、激しく揺れる車内も構わず、読み続けていたのです。 昔ほど、揺れる乗り物はありませんが、でも、液晶の、めまぐるしく動く画面を見続けるのは、絶対に、禁止したほうが良いと考えます。 おばあさんは、横で、懸命にゲームに熱中しているお子様や、若者達に、私の失敗を教えてあげたい衝動を抑えています。 ただ、私は、あれ以後、バスなど、大きい揺れが気になる乗り物では、絶対に、読書などしません。その お蔭でか?今もって、近眼は進まず、老眼にもならず? 眼鏡は持たず、針の糸通し、縫い物、読書、さらに、仕事である楽譜を見るのにも眼鏡要らずです。 何より、無駄な出費がありませんし、煩わしがありません。やはり、目は、大切です。
 合唱指導の方は、当分、定演もなく、文化祭も、ずっと先、秋ですので、団員達の希望の曲優先です。 いつも、勿論、団員の希望優先なのですが、ここ当分は、演奏会など、ステージに乗せる事を考えないで歌える曲もという意味です。 やはり、ステージに乗せて演奏する曲と、ただ、歌って楽しむ曲は自ずと違ってきます。勿論いずれも、歌って楽しい曲を選ぶのですが・・   でも、時には、全く楽しくない曲でも、取り上げることもあるのです。実は、 この1月に、そういう曲を、さぁっとながら、歌ってみました。その曲は、山本和夫作詞、岩河三郎作曲「親知らず子知らず」という曲です。 地図にも、旧跡として書かれています。日本海のかなたを見つめるお地蔵さんが、死者を慰め悼んで、今も佇んでいらっしゃるとか?  可なり長く、難しい曲です。20年程前?、中学の音楽で、大変良く歌われ、お年寄りから大人の方々の合唱団でも可なり歌われているようです。 私は、全く、知りませんでした。団員からの希望曲です。 歌詞の内容は、北アルプスの断崖が、日本海に落ち込んでいる道なき海辺の難所で、やむを得ず、先を急いで、越後に向かって渡ろうとした母子が、 その荒れ狂う日本海の打ち寄せる荒波に、次々と、飲み込まれてしまったという悲劇の伝説?に基づく詞に、曲が付けられています。真に迫る涙ながらの歌詞が付いています。歌ってみたいという団員の希望で、取り合えず、混声3部を、2部に 編曲して、楽譜を印刷、製本し、配布しました。そして、取り合えず、一応、歌ってみました。 私は、今日一回で、終わりにしたいと伝えました。 なかなかの名曲に作られていますが、このような悲劇の内容の曲を、何度も、指導して、絶叫するように悲しみを表現させる気には全くなりません。 私は、やはり、歌は、絶対に楽しくと思うのです。  演歌などは、顔をゆがませ、泣き叫ぶように絶叫しながら、歌っている様子が見られますが、まあ、あれは演歌だからと・・  続いて先日、配布した曲は、これも団員の希望曲で、「えんそく」という児童合唱用曲集から、山に登って、太平洋を望んで、「やっほー」と声をかけ 、帰ってくるやまびこを楽しむなど、とても爽やかな曲です。 児童合唱とはいえ、4声、3声、ソロ、オブリガートありと複雑で、これを何とか2声にアレンジして、製本しての配布です。 心が爽やかになるとても楽しい曲です。次に配布する予定の曲は、オペレッタから、「メリー ・ ウイドウ」のワルツを、何とか2部にアレンジしてと。 何と言っても、軽やかで楽しく、どなたも耳に馴染んでいるメロディーです。ところが、手元にある楽譜の日本語歌詞が、団員達皆 、声を揃えて歌うには、面映い言葉なのです・・・? 素敵な愛の2重唱なのですが、この辺が、なかなか難しいです。 どうしたものか? 原語で歌えば、 何を言っているのか分からないという方法がありますが、この合唱団には無理です・・? そこで、スキャットにしようかと? 思案中です。 なぜ、いつも2部に編曲するのか?ですって・・ この合唱団は、男声女声混合で、少しお年の方が多く、団員も25名ほどですので、今のところは、2部が無難です。 時には、部分3部にもしますが。 昔、団員数が倍くらいの頃は、年齢も若く、3部合唱で、かなり難しい曲を、とても沢山歌いました。活動暦29年目です。
 ところで、昨年秋以来、私とは似て非なる 練習のやり方など、大変悩ましく、困り果てていた新しく発足した混声合唱団が、再三の変更の申し入れに、漸く、全く新しい名前に変わりました。 多分、気分も新たに、練習を継続していらっしゃることと思います。
 演奏会を、このところ何度か聴かせて頂きました。 若いピアニスト達や、若いオペラ歌手達、それぞれのジョイント・コンサートです。 生き生きと若々しく、一生懸命な演奏で、楽しめました。ただ、本物になるには、いつもながら、前途多難を感じさせられます。 あと、大所帯の「レクイエム」の演奏です。「レクイエム」は、本来、鎮魂曲と訳されるように、「死者の霊魂を悼み、鎮める」曲です。 演奏会用に作曲されたとか解説されていましたが、1500席を越える演奏会用大ホールで、合唱団員は、総勢110名ほどの大所帯、 さらに、しばしば、金管楽器が大音響で、合唱を覆うように鳴り響き、弦楽器はじめ、オケ全体も精一杯の音量で演奏し、 指揮者も、腕は勿論、体全体を大きく使っての演奏に、私は、びっくりしました。お客様も大変多く、演奏会としては、大成功でした。 演奏そのものも、可なり良かったと思います。特に、オーケストラは、プロながら、私は余り聴くことの無い団でしたが、 音も良く、機会を見て、また聴きたいと感じさせられました。

 12月 27日(日) 2015年

 今年も、あれ!あと4日・・ ところで、今年のクリスマスの夜は、38年ぶりに満月が観られる夜だったそうです。全く知らず、気が付きもしませんでした。その代わり? 昨日 26日、夕方北東の空に、天辺がかすかににじんで欠けかけている様子の十六夜の大きな月を観ました。さらに、こういうチャンスは、大変珍しく、次回は、なんと2034年だそうです。 私など深く考えもしない様々なことに、関心をもち、研究している方が、本当に沢山いるんだなあと感心します。今は、これらのことを、ネットでちょっと調べれば、大抵の事は、一応即座に知ることが出来、有り難く重宝に利用しつつ、 また感心しています。先日12月22日は、今年の冬至でした。 1年で、最も昼間の時間が短い、つまり夜が最も長い日です。私は、この日が、毎年待ち遠しいです。 なぜかですって? なぜなら、この日の後は、日一日と、ほんの少しづつながら、昼間の時間が長くなるのです。つまり明るくなってくるのです。 秋のお彼岸が過ぎますと、日の暮れが少しずつ早くなり、木々の葉は色づき、美しく夕日に映えるのですが、散り急ぎ、寂しさが心と体を吹き抜けていく感じがします。 でも、冬至を過ぎると、昼間の長さが、少しずつ延びると共に、春の芽吹きが待たれ、新年が明けるとまもなく、蝋梅や梅の花がほころび始め、 地面には、福寿草が、更に、スイセンが芽を出して、自然の勤勉さの素晴らしさを、毎年、実感させられます。 辺りの様子は、冬真っ盛りになり、雪が降ったり、気温も0度近くになる日もあるにも関わらず、私には、「春遠からじ」の気分になるのです。 さらに、少し経つと、ふきのとうが出始めます。山の方に行って、道端などには生えているのを摘んでこられると良いのですが、思うだけです。 なかなか手に入り難いのですが、たまに頂いたり、スーパーマーケットなどで、珍しく並んでいますと、新しければ、早速買い、”てんぷら”にします。 これが、本当に美味しいのです。ところで、毎年、この年末の時期は、年賀状書きです。 一人ひとりを思い出し、喪中のお知らせには、寂しさをつのらせつつ、子供の頃遊んだり、一緒に宿題をした思い出など、懐かしく思い出しながら、 少しずつ書いて行きます。一年に一回の音信の方も多く、この機会を大切にしたいと考えています。 更に、一年一回のチャンスですから、まことに拙い筆遣いながら、筆ペンを愛用しています。
 この秋、私にとって、前代未聞の思案にくれ、大変不愉快な気持ちの悪い思いをすることが持ち上がりました。私が、文字通りゼロから立ち上げ、 混声合唱団「クール・ドゥ・シャンブル」と名づけて、古楽の考えでの演奏を出来るだけ実現する活動を、約20年間、続けてきました。 昨年11月末、文字通り 活動の最後とするJ.S.バッハ作曲「ロ短調」ミサ曲の再演演奏会を、大変高評を頂き、行いました。 それはそれは一生懸命に心配りをし、準備をしてくれました実行委員の方々初め、団員一同、心をしっかり合わせ、一丸となって、 素晴らしく大成功させた素敵な思い出を最後に、完全に停止しました。ところが、この合唱団を、再活動させたいとの希望が、何の前触れも相談も無く、いきなり降って沸きました。私としては、合唱団の継続や、まして後継者などの希望は、微塵も無く、勿論、そのような希望を、一度もどなたにも言ったことがありません。 私が続けてきたような曲の分析・解釈をしながら、出来るだけ古楽に基づかせた合唱指導やフル編成の古楽器オーケストラの指揮などを誰かに続けて頂きたいなど 、とても簡単ではないので、夢にも考えていません。また、私が名づけた合唱団の名前を誰かに引き継いで頂きたいなど、これも夢にも考えていませんでした。 ところが、何かバッハについての勉強会など、月1〜2回ほどやってほしい?など、希望を伝えていた元団員
から、 前もっての相談も全く無く、いきなりご指導下さる方が見つかりました??? あまりに急な話で大変びっくりしましたが、 私が宝物のように思っている元団員(歌ってくれる団員達は、皆、宝物です) からの強い希望の様子に、応援してあげようかと見守っていました。ただ、元の団名で継続するなら、これから合唱指導者として育っていってほしいその若い指導者中心に、その方の方針で、活動を進めるのがベストとはっきり伝えました。ところが、 安価なキーボードを購入、新しい若い指導者に指示して、私の指導のまねごとのような練習をリードし始める様子を聞き、 正に晴天の霹靂(へきれき)で、前代未聞の大変気持ち悪い思いをさせられています。自分は凄い事をやってきたんだから??とつぶやき(実は、この方の歌唱力は?)何故か、大変自信満々の様子 に、団名を変更するよう伝えましたが、全く反応がなく、以前同様の団名で、以前同様の会場での活動継続を望み、勝手に活動再開 している様子に、大変気持ちの悪い思いをしています。 そこで、全くやむを得ず、合唱団当初より練習の拠点にしていたその公共施設で、私の決めた団名での活動を完全に停止すべく、会場使用管理担当課で、使用登録一切の抹消を、決定しました。 わが年齢を自覚し、オーケストラの指揮など、体調をしっかり整える必要のある演奏会は自重すべきと決心していました。ところが、 勉強会の希望が強い様子に、体調を気にすることなく、それぐらいならと、様子を見るため、使用登録取り消しをせずにいました。思いがけず、寝耳に水のような、全く思いがけない 方向に 向かい、大変気持ち悪く、また、仲間と共に励んだ、とても素敵な、素晴らしい思い出を、こころから大事にしていただけに、何とも大変残念な思いをしています。 正に、世の中いろいろ、人は見かけによらず、社会勉強になります・・ この年齢になっても・・?
 ところで、唯一、指導を継続している合唱団「コール・まどか」は、目下、「芭蕉布」という沖縄出身の作詞家と作曲家による、私の大好きな曲を、 私が手を入れ、高音を加え、多少複雑にした2部合唱を練習中です。「わしたしま うちな」(私の島、沖縄」と締めくくる、正に、沖縄の方々の心の歌のような素敵な曲です。 他に、団員の希望曲など年明けには楽譜の配布を予定しています。 ただ、 団員達の好みに合い、レベルもあう曲で、見易く、歌いやすい都合の良い楽譜は、めったにありません。そこで、楽譜を見やすく、歌いやすく、切り張りしたり、アレンジしたり するのが、意外に面倒なのですが、また、腕の見せ所でもあります。さらに、団員達が、楽しんで歌ってくれ、曲が仕上がっていくのは、とても楽しみです。
 このところ、何かと忙しくあり、コンサートには、殆ど行っていません。12月初めに、古楽器との共演によるバロックダンスというのを見に行きました。豪華な当時を思わせる衣装をまとい、ゆっくりと、優雅なしぐさで、ルイ14世が、大変好まれ、良く踊られたダンスとか? 同じしぐさが多く、見慣れてくると、現代人には、些か、退屈な感じに思われました。年明け、春には、元混声合唱団員達の移籍先の合唱団の演奏会がいくつかあり、今から、楽しみにしています。

 11月 24日(火) 201 5年   

 いつの間にか、11月も終わりに近づいています。可なり寒くなってきたような、そうでも無いような?  庭では、今秋買った白や濃いピンクなど、ミニシクラメンが綺麗に咲いています。更に、昨年購入して、プランターに移し変えていた 薄ピンクのシクラメンが、すっかり枯れて消えた様子だったのが、季節が移り変わると、芽が出、株が昨年より大きくなって、葉が茂り、 なんと花のつぼみが立ち上がってきて、次々咲いてくれ、そのたくましさに、すっかり嬉しくなっています。 いつもながら、お米の磨ぎ汁以外は、肥料も撒かず、殆ど世話をしないのに、時期が来ると、狭い庭に 他にも、ヒヤシンス、彼岸桜、スミレ、はなもも、ばら、紫陽花、木犀、 ほととぎす草、菊、忘れた頃に、もっこうバラ、更に、むらさきしきぶ、などなど、 時期になれば、どなたも? 忘れずに芽を出し、葉を伸ばし、花を咲かせてくれます(時には、申し訳なく残念ながら、私の世話をしない無常さのためか、そのまま、消えてしまうことも間々あるのですが・・)。自然は、 本当に勤勉です。 勤勉といえば、世の人間も同じです。この頃特に、テレビを見ていて、つくづく感心すること。 ドラマやドキュメンタリー、CMなど、その他すべての様々の番組のバックに流れている 数限りない音楽の素晴らしさです。つまり、BGMです。私の好みはともかく、それらを作る方々のセンスの良さに、びっくり、とても感心しています。 番組の内容と、 全く関係ない感じの曲だったりするのに、妙に、とてもよくマッチしていたりです。昔は、何かの曲を使っていたことも多かった?ように思えます (今も無いことは無いのかも?)。 例えば、時代劇の立ち回りの場面に、バッハのカンタータのコラールのアンサンブル部分、 ピアノピースなどで「主よ、人の望みの喜びよ」と題されている曲がアップテンポで、 又たまたま見た映画「細雪」のバックに、ヘンデルのオペラ「リナルド」のアリア「私を、泣かせてください」がしっとり流れていたり。 それらも、妙にマッチしていて、笑ってしまったり、感心したりでした。ところが、この頃、私の見る限りのTVの映画や様々な番組のBGMは、 作曲者名があったりなかったりながら、オリジナル曲が多い様子で、内容に応じて、アップテンポで面白く、リズミカルだったり、 時にしっとりと流れ、いつの頃からかCMソングやCMメロディーも数限り無くて、 その良し悪しはともかく、「良く作るなあ!」とつくづく感心しながら、聴いています。 一方、日本人の作曲者名入りのテーマ曲で、数十年間も毎週、同じテーマの番組を続けている私の好きな長寿番組もあります。 先日、たまたま聞いたのですが、映像製作などを学ぶ私立大学にも、TVのみならず、映画などのBGMの作り方などを教える専門学科もあるとのこと( 私の知識の無さなのですが?)。 それぞれ、あらゆる内容に応じて、実に、よく作られていて、また番組に合った曲を選んで、流されているBGMに、すごいなあ〜と、 楽しみつつ感心しています。一方、大河ドラマの音楽なども、音大卒でなく、作曲法など専門に学んだことの無い方が、 独学で、さまざまに試行錯誤して、作曲しているとか? そういう方に、1年を通して、 放映される大きな番組の音楽の作曲を依頼する担当者の心意気?とセンスの良さに、又、それを引き受ける作曲家の心意気に感心させられます。つまりは、抜群のセンスの良さと、努力でしょうか?  才能も勿論ですが、やはり、勤勉さでしょう? 一生懸命に努力し、やってみること。 そこに、花が咲くということでしょうね。(などと、自分で納得しています。)
   ところで、現在、一つだけ指導を続けている合唱団「コール・まどか」のこの頃です。60代、70歳過ぎの男性陣が若く、大きく、しっかり良い声で、 低音パートを支えてくれ、また同様に、60代、70歳そこそこの女性達も、高音をとてもしっかり素敵に歌って、全体をしっかり支えてくれています。 このグループは、男声も女声もいますが、いわゆる混声合唱では無く、どなたも好きなパートで歌うとなっています。年齢も全く制限無く、どなたでもとしていますので、高音パートにも男性がいて、 高齢ながら、澄んだ良い声で、とてもしっかり歌ってくれる方もいます。今年も 、50,60代の方が、少し入団して下さっていますが、来年は、更に若い方々の参加を心待ちにしています。誰でも知っていそうな曲から、 少し難しい曲も、素敵に、美しい発声で、歌って楽しむ・・が目標です。このようなのですが、特に嬉しいのは、発足当初よりだったり、在団暦の長い80歳半ば、また後半の方々も、本当に休まずに通い、時に自ら暗譜して、しっかり歌ってくれています。体調を崩して、入院したなどもありながら、治ればまたと、互いに、顔を合わせて、本当に嬉しく挨拶します。練習している曲も、目下は、 市民音楽祭の後ですから、気楽に、「芭蕉布」「クラリネットをこわしちゃった」の2曲です。いずれも、少々複雑にアレンジして、??と思わせながら、丁寧に、繰り返し練習中です。童謡も、ちょっと手を加えれば、楽しく、歌う手ごたえのある曲になります。次は、何とかオペラのデュエット曲をと考えています。ところが、問題は、楽譜です。アレンジするのは、 楽しく簡単なのですが、音を書き加えたり、多少変更したりしても、余り見難くならない間隔の広い楽譜を見つけるのが難しく、苦労するところです。全体を手書きにすると、手間もかかりますし、大変見難い楽譜になりかねないからです。でも、折角、日数をかけて、練習するからには、練習し甲斐のある曲、長く歌い継がれてきて、「深み」のある ( 味わい深く「こく」のあるような)、易し過ぎず、誰にでも好まれる曲を選びたいと考えて 、アレンジしながら、見易いように、切り張りして、楽譜全体を作り変えることもあります。
   このところ、11月になって、所用で、関西に行って来たりで、コンサートには、それほど、行っていません。ただ、久しぶりに、モツレクとミサソレと通称される曲を聴く機会がありました。いずれも、知人の演奏会でした。「モツレク」は小さい会場で、お客様も2、300人ほどでしたでしょうか。 モーツァルト・プロで、前半は、オペラ「魔笛」のアリアと重唱部分の抜粋、後半に、同じ、モーツァルト作曲「レクイエム」全曲演奏でした。ソロも合唱も全員、音大出の方々で、総勢40人ほどでした。全曲ピアノ伴奏でした。ソロもそれぞれにまずまず良かったのですが、合唱がなかなか良く、特に、女声パートが、リズム感がとても良く、ピッチもすっきりと揃って、欲を言えば、東京芸大卒と聞く男声も、もっと声が良く、全体に、もっと揃っていると気持ちよく聴かれるところでした。ただ、全体に、指揮者の曲の解釈、曲の構成の分析、全体のまとめ方、指揮の仕方などあいまいで、とても物足りなく感じました。「ミサソレ」の方は、ベートーヴェン作曲「ミサ ソレムニス」(荘厳ミサ曲)です。ソリスト以外は、オケ員も合唱団員もアマチュアの方々でした。前半に、ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、後半に、混声合唱曲「ミサ ソレムニス」全曲演奏でした。 合唱団の構成は、40人ほどで、SATBの人数バランスが取れていて、ソプラノなど、高音が続くところを頑張って、良く歌っていて、感心して聴きました。男声もなかなかしっかり歌っていて、多少の不安定さや、出だしや 、途中、音のずれなどありながらも、アマチュアの方々が、難曲をよく頑張っているなあと聴かせて頂きました。ただ、基本として、合唱団員は、そんなにお年では無い方も多いように見受けましたので、発声をもっと丁寧に練習し、すべての音をしっかり、目指すピッチ上に載せ、高音・中音なども下から押し上げた音取りではない歌い方になれば 、すっきり聴かせていただけるのになあと願いました。(またこの名曲の理解を深めて、それを感じさせる演奏を期待したいです。)更に、私なりの感想では、まず、オケです。アマチュアではありますが、楽器それぞれ、随所で、音が外れます。出だしの音も、殆ど揃っていません。とても不消化の様子に聴きました。どなたも、真剣に、演奏している姿に感心しながらも、練習不足かしら?と。さらに、指揮者の曲全体の構成・解釈の考え方やまとめ方、さらに指揮そのものも、めりはりが無くとても大雑把に感じました。とてもお忙しい方の様子だからでしょうか? 演奏者がアマチュアの方々ですから、折角の大曲(名曲)、もっともっと緻密に煮詰めて、練習期間も長く取り、十分準備して、納得いくよう演奏されても良いのでは・・?と(勝手な私の感想?)。今後の予定のお知らせでは、指揮者もメンバーも、次々演奏会を予定している様子。それぞれの考え方で、大雑把でも、あれこれ出来るだけ多くの曲を経験したいからかも?(それなりに、多額な経費もかかり、勿体無いような?) 長い[Dona nobis pacem]を聴かせて頂いた後にも、すべてが終わった後にも、合唱団がそれなりにがんばっていたなあ という以外、全く感動が残りませんでした。大曲の演奏を聴いた後でしたが、聴衆の拍手も、儀礼的なものでした。ソリストの方々は、プロで、そこそこでした。500席くらいの中ホールでしたので、もっと声が通って、言葉もすっきり聴こえると嬉しかったのですが・・ 私の座席は、左寄り、真ん中後方でした。ソロの場合も、曲の構成の理解、言葉の響かせ方、曲の解釈の深さなど、もっともっと期待したく思いました。

 10月 5日(月) 201 5年   

  爽やかな秋晴れがこの数日続いています。お布団を十分に日に当てられ、ふかふかになり、私は何より嬉しい気分です。 うるさかった油蝉の声も遥かに遠のき、たまに聞かれたひぐらしも余り存在感無く遠のき、秋の虫は?と期待しますが、 今のところ、余り聞かれない様子で、すこし寂しい感じです。そして先日、確か、9月28日(月)でしたか?  「スーパームーン」が、大変珍しく見られるとか? つまり「super moon ] ?  改めて、辞書を引きますと「極上の」、それから、「特大の」という意味もあります。 極上の、特大の月? どういうことかしら?  この夜は、幸いにも、雲が少なく、お月様は、宵から、一晩中、よく見られました。 (私は、月や星を見るのが昔から大好きです。もっともただ見るだけですが)   ちょっと見には、??そういえば、大きいかな?という感じでしたが、間を空けて、夜中まで何度も見るうちに、 「うん、やはり大きいようだ?」と思っていました。よりはっきりするのは、翌日です。やはり、月は、よく見えました。 「え? 昨日に比べて小さい?(ように感じられる?) ということは、 やはり、昨夜は大きかった?」 目での観察ですので、何ともあやふやです。でも、この夜も、満月?(少し小さくかけ始めていたかも?)は、明け方近くになっても、西の空に輝いていました。兎に角、 9月28日は、大きな月を堪能するほど見られました。 それにしても、一晩だけ? 何でも、地球の周りを回る月の軌道が楕円形だそうで、最も、地球との距離が近くなる時に、 当然ながら、大きく見えるということで、普段?より30%大きいのだそうです。 更に、最接近のタイミングが、満月となって見られることが条件です。ところが、これが、年により、何回もより大きく見えることがあったり、1回しかなかったり、全く見られない年があったりだそうで、複雑です。来年2016年は、11月14日だそうで 、更に大きく見られるそうです。今年のように、雲が少なく、空が晴れ渡る?ことを願っています。何気なく見ているいつもの満月も、日により、時間により、少しずつ大きさが変化しているということです。 全く気にとめていませんでした。さらに、ということは、宇宙規模では、太陽も星も同じです。 そういえばもっと身近で、富士山など遠くの山々も、妙に近く大きく見えたり?  そのときの光や空気の加減かも?  (私も、す〜っともう少し背が高く、格好良く見ていただけるようになるにはどうすれば? いまさら???)
    
このごろの合唱指導は、合唱団「コール・まどか」のみです。  昭和が終わる前年、昭和63年(1998年)発足より、28年目の活動を続けています。 シルバーコーラスとして始めたとはいえ、もう28年、何とか若返らせたいと考えますが、なかなか難しいです。 当然ながら、60人近くいた団員も、今は半減。 今は、年齢を限らず、50代それ以下の方々も、是非、参加していただきたく願っています。 在籍団員は、殆ど休まず、毎週ほぼ必ず参加してくれています。 最初から、ず〜っと歌ってくれている方も数人はいて、世話役から、会計、市の音楽連盟の会合、練習日の会場準備など、始まる前早くから 、本当に丁寧にしっかりやってくれていまして、感謝感謝です。 「どんな声でも、遠慮せず、のびのびと気楽に出して歌う」が、最初からの基本です。 年齢が上がって、80歳代も多いのですが、歌い続けることは、素晴らしく、 年寄りは年寄りらしく、童謡などをという意見も、世には多いかもしれない?中、 この合唱団は、日本歌曲、オペラのアリア、カンツォーネ、ミュージカルナンバーなどなど何でも歌います。 その曲によって、楽しんでいただけるように、私が、適当に合唱にアレンジします。 それに、何より、感心して嬉しいのは、どんな曲でも、とてもよく歌います。 声も、いい声がとてもよく出ます。一番のポイントは、歌いたくないときは遠慮なく歌わなくてよい?? ということです。 「カンツォーネのイタリア語なども、外国語はちょっと?と歌いたくなければ、聴いていれば良い。 歌いたくなったら、歌えばよい。」 その時々、全く自分次第です。でも、結局は、いつの間にか、上手に、一緒に歌っています。 月に4回、水曜日朝2時間の楽しみです。人との長いつながりは、本当に素敵です。
  先月も同様でしたが、今月も、演奏会の知らせが多く、同じ日に3つも重なって、いずれも聴かせて頂きたいなと思いつつ、悩ましい思いです。先月27日(日)には、調布市グリーンホールで、20歳過ぎそこそこの若い優秀なピアニストのコンチェルトを聴きました。この日は、歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲、他は、チャイコフスキー作曲のピアノ協奏曲 第1番に、交響曲第5番でした。指揮は、円光寺雅彦さん、ピアノ反田恭平さん、オケは、新日本フィルでした。近いので、気楽に、期待して聴きに行きました。ピアノは、若さを感じさせるシャープな演奏でした。年齢を重ねて、スケールの大きさ、深さが加わるlことを期待しました。オケや指揮は、ゆるい感じで、音(ピッチなども)は勿論、リズムなど、もっとシャープなメリハリを期待したくなりました。プロなのですから。さらに、10月1日(木)この日は、雨でしたが、会場のオペラシティー、近江楽堂は、120人ほどの座席が満席で埋まりました。木管奏者の江崎浩司さんのリサイタルでした。この方は、声も大変よく、人柄は面白く、どんな木管も、と言っても、少し新しく出てきたクラリネットではなく、主に、ただ穴の開いているだけの古楽器のオーボエ類、リコーダー類の達人です。これらの楽器で、呼吸と舌、唇?など自在に操作して、モダンの、リズムの複雑な曲もなんのその、軽く吹いて、ビックリさせ、思わず拍手喝采させます。この夜も、ユーモアある解説をしながら、チェンバロ、ヴィオラダ・ガンバとの共演を聴かせてくれました。曲目は、G.Ph.テレマンの「12のメトーディッシェ・ゾナーテン」より3曲
(これらは、昨年度の月刊誌「レコード芸術」に掲載され、昨年2014年世界の音楽史部門最優秀CDとして、レコード・アカデミー賞を受賞した曲集からでした。)、後半に、江崎さんの これも大変得意な軽い曲などのモダンなアレンジで、楽しませてくれました。さらに、アンコールでも、テレマンの曲集から一部を聴かせてくれました。この方は、 昨年11月の定演を最後に解散させました私の混声合唱団の定演で 、ご一緒していただいたフル編成の古楽器オーケストラメンバーの中で、第一回定演から連続して、毎回出演していただいた、唯一人のオーボエ奏者で、私は、特に感謝しています。演奏して頂いたオーボェ類の中では、バッハが、アルト・ソロなどに好んで使った「オーボェ・ダモーレ」の響きが懐かしく、私の大好きな楽器です。ただ、バッハ以外の作曲家では、まして19世紀以降では、まず使われない?楽器で、演奏会でも、殆ど聴かれる機会がなく、寂しい思いをしています。ふっくらと豊かな、正に、ダモーレ(愛の)の響きです。さらに、昨日(10月4日)は、府中の森芸術劇場どりーむホールへ、府中市民交響楽団の第72回定期演奏会を毎年お知らせを頂いていましたが、いつも混声の練習日の日曜日?と重なっていた様子で、今年、初めて聴きに行きました。アマチュアですが、ラフマニノフの交響曲第2番演奏時間1時間を越える大曲を、じっくり聴かせていただきました。アマチュアとはいえ、とてもよい演奏でした。どの楽器もそれぞれに、素晴らしく、とても楽しませて頂きました。丁度、1週間前に、チャイコフスキーを聴きましたので、同じロシアの曲を聴かせて頂き、共通する雰囲気と、可なり違う面など興味深く、聴かれて、大変嬉しい時間でした。

 9月 4日(金) 201 5年   

   もう秋です。35度を越える猛暑が続いていた真夏が一転、10度近くも気温が下がって涼しく、雨もよいの陽気が続き、9月にはいると、又日差しの強い残暑が 、少し戻ってきています。 とはいえ、雨も多く、気温もほぼ30度を越えない範囲で、まずまずの陽気です。せみの声が遠のき、秋の虫達の賑わいが始まる様子です。 この夏、20年ほど前から、願っていたフランス南西部ピレネー山脈に近い、ロカマドールという聖母マリアの聖地を訪れる計画を実行することにしました。 ただ、ここを訪れたいと思いつつ、時期や日数、ルートなど、なかなか望みどおりのツァーが見つからず、延び延びになっていました。特に、旅をする時期 をいつにするかです。 なるべく、合唱団に迷惑をかけずに、行きたく、長年思案していました 。漸く、混声も女声も解散し、唯一、続けているのが、合唱団「コール・まどか」のみになり、不在で、練習を休むなど、合唱団に迷惑をかける機会がぐっと減っています。 更に、この合唱団も、9回目の定期演奏会を、7月に大変好評に終えられ、丁度今の時期が、チャンスと考え、8月半ばに出かけました。 今回は、誰も仲間がいません。ちょっと寂しい感じですが、一人も、とても気楽でした。ユーラシア旅行会社のツァーです。 この会社は、ちょっとマニヤックな企画を組んでくれる会社で、大変丁寧に解説してくれ、翌日には、前日訪れたところなど記録して配布してくれるという、私には嬉しい旅行会社です。 といっても、この20年余りの長い間に、3回ほどしか利用していません。 まず、「時期が、私の希望になかなか合わない」、「極く、まれに、漸く時期が希望に合って申し込んでも、人数不足で、ツァーが成立せず」などで、実現していませんでした。 その間に、私は、合唱団の仲間で企画して、オーストリアのウィーンやザルツブルクなど、モーツァルトゆかりの土地や教会を、また、 アイゼナッハやライプツィヒ初め、バッハゆかりの土地や教会を一通り訪ね、地元との共演や自前の演奏会を行ってきました。 さらに、オルガンツァーと称するセミナーに参加して、北東ドイツのバッハゆかりの教会を24ヶ所ほど巡って、実際にバッハが演奏していたオルガンを観たり、 演奏を聴いたり、触らせていただいたりの企画や、モーツァルトの没後200年記念の演奏会のリハーサルを、聴かせて頂く企画に参加したりでした。今回は、仲間を募るのは、無理ですので、私一人での参加です。 ちょっと寂しいですが、気楽な旅でした。 この南西フランスには、黒い体のキリストを抱く聖母像を祭る教会が多くあり、それぞれ祝日の祭礼が大変盛大に行われているそうです。では、なぜ、ロカマドール?  ここは、20世紀前半、フランスの作曲家F.プーランクが、女声合唱曲「黒い聖母のための連祷」という、複雑な和音構成ながら、大変澄んだ響きをかもし出すとても素敵な曲を作曲しようと、 触発された聖地といわれていて、一度、是非訪ねたいと、長年願っていました。ただ、訪れた日が、丁度、聖母マリアの被昇天の祝日に近い8月半ばだったためか、また聖地スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路が、山越えで続くピレネー山脈に近い聖母マリアの聖地の多い地域とあって、 それら聖母マリアゆかりの教会を訪れる人の波に、改めてびっくりでした。 特に、マリア信仰の特別の聖地らしいルルドでは、それはそれは多くの人に加えて、前から引っ張られ、後ろから押され、2人がかりで進む車椅子の行列が、えんえんと続 き、びっくりしました。 ロカマドールでも、乳母車の赤ちゃんから、子供、若者、年齢を問わず、沢山の人人・・  プーランクが、訪れたと思われる約80年ほど前は(この「黒い聖母のための連祷」は、1936年作曲となっています)、どのようだったのでしょうかと思い巡らしました。 聖地ながら、あまりの人の多さ・ざわつきに、神聖な静けさとは、残念ながら、無縁な様子でした。 ただ、反面、心の底に浸透していて、特に強く意識しない様子のカトリック信仰が、子供から大人まで、自然に、静かに、強く行き渡っている様子を垣間見る思いでした。 やはり、この辺りは、カトリック信仰が自然な形で根付いているんだと思われました。ロカマドールでは、8月15日聖母マリアの祝日の前夜、宿泊した小さなホテルの前の道を、まだ明るさの残る夜9時 ごろから、 歌いながら進むローソク行列が通り過ぎていきました。皆、普段の服装で、乳母車から、お年寄りまで、火のともるローソクを手に、静かに何か歌いながら、ゆっくり進んでいきました。 いたって、気楽な雰囲気で、丁度1階だった宿泊した部屋の窓を開けて、眺めている私に気づいて、手を上げて、呼びかけたり、参加を促すような様子もあり、その自然さに、親しみを感じました。 これより先 、聖域を、一人でぶらぶらしていた夕刻6時に、丁度ミサが始まり、そっと参加させていただきました。重要な前夜のミサは、9時から行われる様子でしたが、慣れないところで、夜の一人参加は、危険ですので、私には、早めのミサで、貴重な経験をさせていただきました。ただ、私は、クリスチャンでは、全くありません。お邪魔でない程度にそっとミサを見学させていただくのです。どこへ行っても、機会があれば、参加させて頂いて、多くのことを学ばせていただいてきました。とくに、モーツァルトやバッハのカトリックやプロテスタントの宗教曲を中心に、合唱音楽を演奏してきましたので、知っておく必要があると私は考えています。西洋音楽、特に、合唱曲を演奏すると、それらはキリスト教の音楽に、必然的になります。そこに、 生来、キリスト教信者であるそれぞれの作曲者の作曲技術の聴かせどころ、技の見せどころ、最高の粋が込められています。ただ、今回参加させていただいたミサそのものは、早い宵ミサのためか、余り厳粛ではなく、聖歌隊の皆様も、TシャツにGパンのような服装で、参加者の方々もざわざわとした感じで、5人くらいいらっしゃった神父様たちも大変気楽な様子に、私にはお見受けしました。更に、この日は、たまたまか? 日中から、別の聖堂でも、ミサが、何度か?行われている様子でした。ガイドさんに従っていましたので、参加できませんでしたが。実は、この旅行は、私の合唱音楽研究の締めくくりのような旅でした。演奏する以上は、その作曲された状況、作曲者のおかれていた環境、それぞれ実際に仕事をしていた教会の響き、オルガンの響きなど、実体験することの必要を、私は強く考えています。そういう意味で、時代も違い、全くの実体験は、当然ながら、望むべくもありませんが、日本で、ただ、 音譜を拾って、楽譜をみるだけで演奏していては、全く、理解不十分と考えています。作曲者の仕事場である、それぞれの教会での意図した空気感を感じ取り、 その響きを多少なりとも体感しながら、演奏したいと願っています。このような意味で、今回の旅は、合唱音楽 の演奏に長く関わってきた私の締めくくりの旅でした。時代は、何十年、何百年か経っていても、石造りの教会は、ほぼ昔のまま、現代も息づいています。モーツァルトや、バッハが仕事をしていた、また、プーランクが訪ねて聴いたであろう響きを、及ばずながら、私達も 、一応実体験できるということです。
  演奏会には、9月に入り、いくつか誘われるままに、出掛ける予定です 。秋は、演奏会シーズン・・ 早速、いくつもの案内があり、出来るだけ聴かせて頂こうと楽しみにしています。 合唱団を減らして、出来た予備の時間で、今まで、オーケストラなどでも共演をお願いした方々の演奏会に、出来るだけ出かけたいと考えています。早速、今度の日曜日 6日は、合唱に加わっていただいた若い歌手達の演奏会です。彼らの活躍が、広がることを、心から願っています。

 7月 18日(土) 201 5年   

  今日は、7月18日(土)です。 前回、この日記様を書いてから、なんと、もう3ヶ月半? あっという間です。 合唱団「コール・まどか」の第9回演奏会も、とっくに終わりました。7月1日(水)午後1時半からでした。 雨が降りましたが、午後には、小降りになり、やがて夕方にはほぼ止んだ様子でした。 少々案じましたが、お客様も、可なりお越し下さって、「とても楽しかったあ!」と口をそろえて、言ってくださって、まずは、大成功と安心しました。 この合唱団の演奏会は、なんと言っても、「楽しい! 楽しめる!!」が、最大の目標で、 歌う団員達と共に、お越しくださった皆様も共に、まず楽しんでいただける、そして、それなりに、難しい素敵な歌の数々に浸って、 有意義なひと時を過ごしていただける、また共に声をあわせて、気持ちを明るくして頂くことを目標にしています。 何とか目標達成か! と感謝しています。60歳代、70歳そこそこの方々もそれなりにいますが、80歳代後半も可なりい るにも関わらず、全員に用意した椅子に、全く腰掛けることなく、15分ほどではあっても、立ったままで、演奏し通しました。 決して、無理の無いようにと繰り返し伝え、時には、失礼ながら、用足しにステージを、ひと時下がっても、全く遠慮要らないとまで、伝えたのですが、 ふと後で気が付いたら、一人も座らずに歌い続けていました。ピアノ独奏・休憩・ソプラノとテノールのステージのあと、 最後の第4ステージは、団員の出番でした。このステージは、自分達の曲は、約15分ほどですが、 その後、挨拶や全員歌唱などあり、少なくとも30分近くかかったと思います。 会場の皆様と歌いながらではありますが、この間も、ず〜と立っていたことになります。 後で聞くと、中には、座りたい気持ちだったけれど、だれも座らないので、我慢して立っていたとのこと。 翌週水曜日、早速練習日でしたが、どなたも、見かけたところ、平気な顔で参加していました。 くたびれたに違いないのですが、仲間の皆様の、心の持ちようの素晴らしさを感じました。 私は、実は、今回は、費用節約のため、チラシやプログラムの原稿製作はいつものことながら、用紙なども過不足無いよう加減を見ながら、 何度か購入しに行き、当日の演奏会場の看板製作もすべてを、自分のパソコンとプリンターで、印刷・製作しました。 さらに、これはいつもですが、自分に課す全曲暗譜の課題もあり、可なり疲れました。 そろそろ、わが歳のせいかとも思いつつ。 一番気を使うのは、何と言っても、団員が少なくなり、逼迫している合唱団の会計から支出する演奏会費用を、如何に抑えるかです?  前回の半額以下、ゲストにはそれなりにお礼するのは当然として、切れるところは極力切ってしまい?  まあ、何とか目標達成で、やれば出来るじゃあ〜ん!と。 又、次へ向かって、踏み出しています。 本当に休み無く、毎週水曜日午前の練習に、1時間以上もかけて参加してくれる方もいる仲間の為にも、様々な名曲を探し 選んで、気持ちも、新たに、思いっきり楽しんで行きます。
  ところで、この合唱団「コール・まどか」の演奏会の前後にも、個人的に、是非、聴きたい演奏会がいくつかあって、かなり忙しかったのですが、 中でも、直前、6月末、恒例になってきた調布音楽祭。 今年も構成が素晴らしく、中でも、初めてという外国のオーケストラの招待演奏会が、聴いて、とても得したなとしばらくぶりに思えました。 ロシア・ナショナル管弦楽団で、モーツァルトのピアノコンチェルト24番とチャイコフスキーの交響曲5番でした。 ピアノ独奏は、指揮者ミハエル・プレトニョフさんご自身で、大変繊細なタッチで、しっかりと素晴らしかったです。 交響曲のほうも、出だしも素晴らしく、全体に、金管など管楽器、それぞれ、どの楽器も、音がまとまって素晴らしく、 中でも特に、ヴァイオリン初め、弦楽器群の音が、豊かに澄んで、素敵に揃っているのに、感心して、とても楽しめました。 指揮者は、ピアノソロは勿論、オーケストラの指揮も、すべて暗譜でした。 また、チャンスがあれば、この管弦楽団の演奏を、是非聴きたいと思いました。
   更に、演奏会が終わったらと予定していた、春からの課題が、私にはありました。それは、私が昨年まで指導していた混声合唱団で長年歌ってくれていた仲間を見舞う事です。私も、40年近く合唱指導を続けて来ますと、大変多くの仲間に恵まれ、支えられてきています。ただ、私も共に、歳を取り、いつの間にか、何人もの方々がみまかり、中には臥せっている方もいます。どなたにも、感謝の気持ちと共に、残念な思いも深くしています。その中のお一人、女性で、まだそれほどの年齢ではないのですが、 まったくお身内が無く、お一人になられて、体の自由も利かず? 茨城県石岡市で入所していらっしゃる方を見舞いました。誰でも知っている歌を歌ったりのひと時の後、お暇しました。次は、神戸で一人暮らしのわが姉 を訪ねることです。可なり年齢が離れ 、そろそろ90歳になる姉がひとり暮らしで、最近、多少体調を崩しているとか? 気になっていたので、訪ねることにしました。思いの外、元気そうで、まずほっとしました。ただ、気が付いたのですが、神戸の介護制度が、可なり細やかなのです。以前よりの月一回の病院通いに加え、近くの内科医院がホームドクターになって下さり、必要なら夜間往診もして下さるとか? 更に、ほぼ毎日、午前午後と、ヘルパーさんが来宅して、掃除と夕食の準備をして下さるとか? 更に、週一回、看護師さんが来宅して下さり、自宅で、血圧、体温、脈拍、体重など一通り調べてくださっています。連絡ノートがあり、互いに書き込んで、連絡を取り合ってくださっているとか。ところで、私は詳しくないのですが、姉の介護度は、「要介護1」だそうです。実際の姉の現状は、多少、???のことはありますが、まずまず話も良くでき、記憶もまあまあの様子で、自分のiこともまずまず出来るようです。何とか、まあ大丈夫そうで、少し安心して帰宅しました。ところで、ふ〜と考えたのは、今のようなケアが受けられるのは、今後5年間くらいなのでは? 後10年もすれば、まずヘルパーさん達も皆、年取って、無理なのでは?  ということは、自分のことは、一生涯、自分で出来るように心がけること? と気持ちを新たにしました。 それにしても、あぁ!! 疲れました。 しばらく静かに〜〜〜 体力回復を・・・  で時々、コンサートに・・

 4月 2日(木) 201 5年   

  今日は、4月2日(木)です。昨日は、4月1日で、世の中では、エイプリル フールの日とも言われ、何かと楽しいだましがあったりします。 が、これはだましでも何でもなく本当のうっかりぼけでした。なにかと言いますと、昨日4月1日は、水曜日で、指導を続けています合唱団「コール・まどか」 の定期練習日でした。いつもは、水曜日午前中の練習なのですが、この日に限って、午前中の練習会場が皆無で、やむなく、午後の空いているところを抑えていました。 ところが、そもそも予約は、4ヶ月ほど前に予約しますので、すっかり忘れて、日程表を作成してしまっていました。 ところが、午前と午後の間違いは、大変なのです。団員達は、午前だと思って集まりますので、まず、午後では、心積もりが全く違います。 仕方ありませんので、会館内の空いているフリースペースで、ミーティングとしました。 丁度、年度替りである上、7月1日に、第9回目の定期演奏会を予定していますので、その相談もすることにしました。 今回の定期演奏会は、余りにも、予算不足で、今までの半分以下、その昔に比べると三分の一、なんと30万円くらいで、 すべてを、まかなう必要があります。  これでは、定期演奏会といえる演奏会は無理・・? そこを何とか充実した演奏会にしようというのが、アイディアの出しどころです。絶対省けない、ホール使用料や付帯設備の使用料だけでも、可なりになります。 私達は、活動拠点の文化会館ホールを使用するので、ホール代は半額になりますが、設備使用料は、そういうわけには参りません。 更に、もう3年前になる前回までの様に、合唱を、3ステージ組み入れるプログラム構成にするのは、 年齢が上がってきている団員達には、年齢的に負担が多く無理ですので、今回は、前回まで1つだったゲストステージを2つにして、合唱ステージは、3つから2つに 減らし、全体としては、 まあいつもどおり、4ステージで構成することにしました。ただ、 ゲストステージが増えることは、つまり、支出費用も増えるということです。しかし、 これは、最低限、必要なことです。 若い意欲的な演奏家達の善意溢れる心意気におんぶすることにしています。感謝です。まあ、まがいなりにも、活動の場を作ってあげるという有意義な機会でもあります。そして、合唱ステージが少ない分、その代わりに、 演奏会の最後に、ご来場くださったお客様と一緒に歌うお楽しみの曲を、前回までより増やして、十分楽しめる構成を考えています。 今回お願いするゲストさん達は、若いながら、なかなか優秀な方々で、日ごろの練習時にも、時々来て、若い声を響かせ、全体を活気付けてくれています。 彼らにお願いしてオペラのアリアなど、更に、いつも伴奏を受け持っていますピアニストさんにも、ソロステージを受け持っていただいて、 いわば、内輪で、プログラムを構成することにしました。 このゲストステージは、些か年配の団員達の合唱だけでは恐縮ですので、折角お越し下しましたお客様へのせめてもプレゼントとして、第1回の演奏会から、素晴らしい演奏家達をお招きして続けているゲストステージです。ただ、 今回は、申し訳なく思いますが、お礼を節約させていただくようお願いし、 何とか予算内に収めたいと願っています。更に、私も、思案して、チラシ、プログラムをすべて、自前で製作するよう決めています。 今までは、チラシもプログラムも、原稿は、勿論、私が 、書いて仕上げていましたが、やはり、紙質や色合いデザインなどそれなりの仕上がりを願って、特に、チラシの印刷は、すべて外注していました。しかし、今回は、すべて 、我が家のPCとプリンターで済まそうと考えています。 ということで、今週は、デザイン・構成など原稿書きに可なり没頭していました。 漸く、チラシもプログラムも、なんとか、Aサイズに収められることになり、まずまずというところです。 これで、今回は、すべて、我が家で、印刷することが出来そうです。でも、中身の濃い、本当に素敵なコンサートになります。 そろそろ?の年齢になる私より、さらに年配の方々が大変多く、活動暦28年目の合唱団の、びっくりするほど上手な演奏を、(本当に!)  是非、是非、ご期待下さいまして、お聴きくださいますよう、お願いしまして、お待ちしています。
   ところで、最近は、何かと忙しく、余り演奏会に行けずにいますが、3月15日(日)に、調布市音楽連盟の記念演奏会があり、カール・オルフ作曲「カルミナ・ブラーナ」が、調布市のグリーンホールで演奏されました。以前に、聴いた経験では、やたらに大声で歌いまくる様子の演奏で、オーケストラの大音響も相まって、二度と聴きたくない気持ちでいましたが、今回は、音楽連盟に参加している合唱団には、チケットノルマがあるとのことで、役員さんが困っていましたので、私もささやかに協力することにしました。そこで、しばらくぶりに聴くことになったのですが、少々気分が乗りませんでした。 ところが、いよいよ本番になりますと、まず、大オーケストラはすべて、桐朋学園 大学音楽専攻の学生達、さらに、合唱団の最前列部分には、まず女声パートに、やはり桐朋学園の女子学生が40人ほど、男声パートにも、男子学生が、10数人、その後ろに、調布市のいろいろな合唱団の有志の方々という合唱メンバー構成でした。かって聴いた、気分を害された 騒音に近い大音響の演奏にならないよう祈るような気持ちで、演奏を待ちました。すると、それなりに大きな音ながら、澄んだ素敵な演奏が始まり、合唱も、メリハリのきいたとても良い演奏でした。特に、PやPPにしたいところは、学生達に歌わせ、全員に大きく歌わせるところや、学生のバックで静かにハモらせるところなどで、市民の合唱メンバーに歌わせるという演奏スタイルでした。従って、全体を通して、若い声が響き、とても気持ちよく聴く事が出来、聴きたくない思いでいた「カルミナ・ブラーナ」の認識が変わりました。ソリストの方々も熱演で、特に、まだ、 専攻科?1年というソプラノソリストの素敵な声で上手なことに嬉しく聴きました。その発声の良さに、将来が楽しみな方と思いました。全体に、調布市市民の記念合同演奏というより、合唱指揮者はじめ、ソリスト、オーケストラ、合唱メンバーなど、いわば、桐朋学園大学の 若い学生達の演奏の様相でした。どこでも市民の合唱団では、文字通り、おじいさんおばあさんの集まりになっていますので、若い方々の助けが、必須と、つくづく実感しました。 合唱のみならず、将来の日本の活性を保つためにも、若年人口の増加を、心から強く願わずにはいられません。

2014年 12月 7日(日) 201 4年 

 今日は、12月7日(日)です。私の母の誕生日でもあります。 と言っても、母は、遥かかなたに、50年も前に行ってしまいましたが・・  そして、明日12月8日太平洋戦争の始まり、真珠湾攻撃の日です。 それにそれに、11月29日(土)午後4時半開演、府中の森芸術劇場ウィーンホールでの私達の最後の定期演奏会第9回が終わって、 もう1週間経っています。 どんどん、日は過ぎていきますね。そう、私達の最後の定期演奏会です。建物の外では、雨が降ったり、晴れ上がったり、忙しい一日だったようです。 でも、お客様は、思いがけず、大勢、お越しくださいました。係りの試算では、8割5分くらいお入りくださった様子です。 ざっと見て、空き席を見つけるのに苦労する様子でした。
   最初、舞台袖のモニターで何気なく目にしていた客席の様子に比べて、ステージに出て行きますと、 お客様が、客席最前列まで、お座りになっている様子に、些か戸惑いつつの、演奏開始でした。 始まってしまえば、団員一同、オーケストラの皆様共に、もう、素晴らしく集中して、一生懸命に熱気溢れる演奏でした。 休憩を挟んで、約2時間半、もう夢中の演奏でした。「ロ短調」ミサ曲という難曲もなんのその、全員が一丸となって、演奏し終えました。 私には、いくつか多少の反省点はありますが、兎に角、皆様の集中力の素晴らしさです。 終わりましたら、満場の拍手で、なかなか止まず、ソリストさん達は、3回もステージに呼び戻され、 オケの方々も3回も立ったり座ったり、私も、舞台の端から端へと、団員達全体を2回ねぎらったりと、客席と舞台が一つになって、 本当に感動的な終わりを経験させていただきました。 おしまいには、コンサートミストレスの川原さんと、「このへんにしましょうね」とささやき合い、 退場していただき、漸く、終了とさせていただきました。 最後の定期演奏会に相応しいフィナーレを迎えさせていただき、心から感謝しています。
 前回の第8回定演「マタイ受難曲」を最後に、混声合唱団「クール・ドゥ・シャンブル」の私の指導を終わりにしたいと団員達に宣言して、 2012年2月5日に、2重編成の大きな規模のため、第一生命ホールといういつものウィーンホールより、 広いホールで、これも大好評に終了させていただいて、約2年と10ヶ月足らず、9年前の1回目から、今回、2回目の「ロ短調」ミサ曲でした。 強い団員達の希望に、ネットで知って、新しく加わってくださった方々が、遠くは2時間もかけて、 練習に通っていただいての、今回の演奏会でした 。本当に本当に感謝です。団員達の中には、些か、食傷気味に思われた様子の細かく厳しかったらしい説明と音取り、練習の連続。 私にとっても、今後2度ない指導の機会。とはいえ、可なり、気を使いながらの指導のつもりだったのですが、 さらに、全体に年齢のネックを感じつつの練習でした。 しかし、本番は、本当に、ただただ一生懸命に、心を一つにして、素晴らしい演奏でした。素敵な素敵な空間を共有しました。 どなたも、素晴らしく、すごいなあ!というのが、私の素直な感想です。
 さらに、今回は、団員のお友達が、全面的に、録音・録画を一手に引き受けてくださいました。 日ごろの練習中にも、下見にお越しくだり、オケ合わせの練習の度に、マイクの位置など、様々に、試行錯誤の工夫を試みて頂きました。 年明けには、私も共に、編集作業を行います。 私は、過ぎてしまった演奏をただ聴くことは、めったにしませんが、編集にお付き合いするのは、 様々な機械の面白さを見せていただけることもあり、楽しみにしています。
 新しい年、気持ちを新たに、私なりの、長年の希望を叶えるよう、少しずつ、計画・実行していくつもりです。 まずは、リフォーム後、まだ手付かずの我が家の整理です。沢山の楽譜や本が、まだ、ダンボール箱の中です。 以前は、きちんと分類して、収まっていたのですが・・? さて、今度は、どのように整理しようかな?  考えているだけでは仕方ありません。カセットやビデオテープも随分処分しました。楽譜も。 でもまだまだあります。思いのほか、億劫な気持ちで、思案しつつの整理になります。 いろいろ、懐かしい思い出に浸りながら。そして、心新しく、踏み出します。

 11月 15日(土) 201 4年   

 いつの間にか? 秋が深まってきて、木々は色づき、落ち葉が舞う季節になってきています。 我が家のリフォームも、随分遅れていましたが、漸く何とか住める様になり、9月末に戻ってきて、1ヶ月半ほど経ちます。 としていますと、11月末29日(土)の定演本番が、目の前に近づいて来ています。 片付けは後回しにして、まずは、「ロ短調」ミサ曲です。団員達は、今回特に、新しく参加してくださった方々も、 前からの団員も、年齢と共に、経験豊かになり、自信も増幅され、知識も豊富になったとの意識が強くなり、 以前に倍加して、一ヶ言、二ヶ言と、意見が飛び交います。 前回までは、殆ど聞かれなかったことです。 素晴らしいのですが、それぞれに、経験から来る独自の考えで、しっかりした知識に裏打ちされているわけではない分、 多少、困惑することも多々あります。私の場合は、どんどん、考えの主張が出て来ても、構わないと考えますが、 それぞれが、自分が、一番正しいと、こうやるべきだと、どんどん勝手に得意げに歌い続けすぎるのは、考えものと思います。 私は、多くの指導者達と違って、折角一生懸命に歌っているのですから、十分に認めてあげたいと考えるようにしているのですが、 余り、主張の強い時には、なるべく、きちんと説明して、意見の偏りを、是正します。曲をまとめるためには必須の対策です。 他にも、特に主張が強くは無い方も、年齢もあるのか、何度も、十分に説明しているつもりでも、 「どこ吹く風」の方も多く、その分? 長期間の練習にも関わらず、思いのほか、仕上がりがよく無い様子で、実は、困っています。 どなたも、自信満々で、実に良く歌ってくれます。ではありますが、私が考えている曲作りには、思いのほか、遠い様子です。 年齢を重ねると歌声に味わいが出てきて、音に深みも増し、素晴らしいのですが、一方で、声の晴朗性や曲の流れ、 曲全体のまとまりに欠けてくると実感してきています。 もっと曲の流れ、音の動き、言葉の乗せ方・流れ、発音、何より声を音に上乗せして、少しでも透明感を増すようにするなどに、 神経を集中して歌ってほしいと願っています。 それぞれ、些か、自信がありすぎる様子?  素晴らしいのですが・・ 後、半月 で、このあたりを、何とか、対策を考えなければと、日々、思案しています。  それにしても、練習すればするほど、難しい曲と実感します。 今回、特に素晴らしいのは、ミサ曲でもありますので、ソリストの方々にも、合唱に参加していただきます。 皆様、快く承諾してくださって、ご一緒して下さることになっています。 トップクラスのソリストが合唱に参加して下さるというのは、私達にとっては、前回の「ロ短調」ミサ曲でも、同様でしたが、 何気ないようでも、実は大変珍しく、感謝しています。 ところで、他合唱団では、このような難曲で、素晴らしく奥深い曲を、1年くらいで、どんどん演奏会に乗せて行く様子ですが、 どうしてそんなに急ぐのでしょうか? 経済的な事情などもあるのでしょうが、勿体無い!!  東洋の端の日本という国で、没後250年以上も経って、こんなに多くの合唱団が、好んで、大曲を飽きずに、演奏しているとは、 バッハさんには、想像を遥かに越え、もし、お知りになったら、晴天のへきれきと、びっくりでしょう。 ただ、”そのように歌うのではないよ、又そんな声で歌わないでほしい。もっと楽譜をしっかり見て! 私が書いた原譜をよく見て、じっくり分析して演奏してくれ〜!!  今は、私の書いた自筆譜もネットでいくらでも見られるんだよ。 曲作りに気持ちを込めて!!”などと、 叫んでいらっしゃるかも・・・・・   兎に角、私達は、精一杯、心を込めて、練習を続け、本番に臨むのみです。 今回の演奏会に向けては、団員達が、お互いに分担し、、YouTubeなどで、素晴らしい映像やニュースを繰り返し発信したり、それはそれは一生懸命に準備しています。チラシやプログラムの製作・編集にも、様々なセンス溢れる素敵な良い知恵が込められていて、本当に素晴らしく、心から嬉しくなります。 この曲を演奏できるのは、とても幸せです。このように、奥の深い名曲を完成させながらも、自分では、演奏を成し得るなかったバッハさんに感謝です。
   このところ、リフォームや引越しなど、とても疲れることが多いため、演奏会を聴きに余り行っていません。 ただ、先日6日に、オペラシティーリサイタルホールでのフルートの演奏会に出かけました。今年 2014年は、J.S.バッハの次男C.P.E.バッハの生誕300年に当たるということで、2月から行われた4回シリーズの最終回でした。 フルート(フラウトトラヴェルソ)奏者の中村忠さんという方が主宰者で、古楽器の演奏家集団のお仲間との共演の演奏会シリーズでした。 最終回の今回は、フルートは、協奏曲の1ステージだけで、あとは、弦楽合奏のステージでした。 フルートの演奏も、勿論、素晴らしく楽しめましたし、弦楽のためのシンフォニアが、 素晴らしく息のあった演奏で、久しぶりに、満足させられる演奏を堪能しました。 お互いに、長く演奏活動を支えあってきた仲間同士ということでしょうが、 それにしても、指揮者はいないのですが、V1の川原さんの呼吸に合わせて、 テンポ・リズムは勿論、音質・音量すべてに素晴らしく、いい仲間だなあと嬉しくなりました。 この仲間の内の、可なりの方々に、私の定演を支えてきていただきました。月末の第9回定演『ロ短調』ミサ曲も、ご一緒していただきます。 大変楽しみにして、期待しています。

 8月 16日(土) 201 4年   

  地方のお盆が、終わります。今回のお盆は、地域によっては、台風の襲来で、空は勿論、電車も道路も、交通機関が大変乱れ、 希望通りには行動できず、残念でした。天を相手では勝てません。 東京はといいますと、雨は少なく、幸いにも、このところ、半月前までの、あのからから、かんかんの暑さが和らいで、しのぎ易くなっています。 私など、夏に弱い者には本当に嬉しいです。私は、ず〜っとただ在宅です。お墓は近くですから、早々に、家族でお参りしました。 この八月、私の指導する合唱団は、なんと、週1の練習を全く休みません。休みましょうかと問いましても、[NO]でした。 ただ、気が付きました。団員達は、都合に合わせて、適当に休んでいます。休めないのは、私だけです。 とはいえ、全く休まず、毎回しっかり参加してくれる仲間も少なくないのです。やはり、私も頑張らねば・・
    「ロ短調」の練習は、[Credo]に入っています。 バッハが、このプロテスタントでは、ミサ曲に含められず、普通は歌われない部分を、 あえて、自筆譜に [Symbolum Nicenum}{ニカイア(ニケア)信条}と書いて作曲しています。 [Credo(使徒信条)]とは書いていません、 一般的に、合唱で使われるvocal scoreには、(Credo)とわざわざ追記してあります。 この部分は、Bachの思いを込めた部分と私は考えます。 使徒信条については、カトリックとプロテスタントでは、考え方が微妙に違うようで、 互いの気持ちを大切に、余り踏み込んではいけないように、信者ではない私は感じています。 この[Symbolum Nicenum]も長い部分で、 曲は内容的にも大変充実した、グレゴリオ聖歌から引用した旋律を元に、素晴らしいフーガを構成しています。 それをしっかり踏まえて演奏したいと考えているのですが、難しい曲の連続ですから、歌うことに一生懸命の様子になっています。 何とかもう少し慣れて、本番に向け、曲を味わい、曲の構成を意識しつつ、歌えるようになりたいと願っています。
このところ、余り演奏会に行っていませんが、今夕は出かけます。 音楽大学の院生で、今秋、ミラノに留学予定のソプラノ歌手です。 若く、澄んだ、魅力的な声の持ち主で、容姿も、背が高く、可愛く、魅力的で、私は、とても期待しています。 ただ、私の知る限りでも、多くの若い素敵な歌手達の多くが、ミラノに留学したがり、出かけています。 しかし、どういうわけか、その後の活躍がいつの間にかよくわからない状態になり、勿体無く、残念に思い続けています。 行く前に教えを乞うている日本での先生の、しっかりした道を付けてあげるアドバイスが、とても不十分に思います。 折角の才能が、いつの間にか花咲かず、しぼんでいってしまっているのは、大変残念です。 私は、外国に行き急ぐように思います。 まず、日本で、しっかり、よく実力をつけ、外国も、どこの国のどこへ行くのが、 最も良いか、自分に合う先生や学べる環境を調べ、感覚を研ぎ澄ませて、実力を貯えてから 、自分に合う、自分をしっかり伸ばしていただける指導者を見定めて、出かけるようにしてほしいと強く願っています。 今夜のみずみずしい若さ溢れる歌手の卵に、期待を込めて、活躍を期待しています。  同時に、ご指導くださる方々に期待しています。

 7月 17日(金) 201 4年   

  そろそろ梅雨明けのはずです。でも、東京はまだのようです。毎日暑くて暑くてですが、 夏は暑いものと思いつつも、やはりつらいですね。梅雨とはいえ、しとしと、じめじめの様子は全くありません。 とてもドライな梅雨で、たまに、あきれるほどの降り方で、時には雹(ひょう)まで・・   目下、マンションに仮住まい中。 4階です。丁度真下に、東京都の認可保育所があります。 毎朝、お母さんやお父さんが可愛いお子様を連れて来て、夕方迎えに来ている様子です。 お父さんの姿を見ることも多く、昔、私の年代では、ほとんど見られなかった光景で、ほほえましく、とてもいいなあと見ています。 子供の数が少なくなっている時代、何とか子育てがやり易く、余り費用がかからず、少しでも子供が増えて行きますよう、 心から願っています。 早急に保育士さんを増やすことも必要なのでしょう?  若年人口が少なくなっている時代、資格のある年配者の活動も大切でしょうと思います。
   ところで、「ロ短調」の練習です。丁寧に楽譜を見ていく3回目の練習で、目下、[Gloria]に入っています。 もう随分、どなたも音取りが上手に、更に、声もとても豊かになっていて嬉しいです。 ただ反面どんどん歌いすぎる感じになって来ています。 一つ一つの言葉の意味、特に、センテンスの繋がりに気を配って歌ってほしいと願っています。 「ロ短調」は、フーガの構成が、特に素晴らしく、大変面白く作られていますので、 それぞれ自分のパートのながれをしっかり認識して歌ってほしいと繰り返し話していますが、 歌い始めるとなかなか気が回らない様子です。 バッハは、特に、増4度の響きをしばしば効果的に挿入していますので、 それらも感じとりつつ歌えると嬉しいなあと願っています。 さらに、今回は、3回目になりますので、合唱の部分のみを練習するのではなく、 全曲の中には、ソロで歌われる部分も多いので、ソロの楽譜にも少し目を通すのも良いと考え、CDで聴くことにしました。それぞれ楽器によるオブリガートで共演さ れたりもしますので、 本番直前になって、ソリストが参加して、初めて聴くのではなく、合唱練習の合間にソロも聴きながら、 全体の流れに慣れて行く事は良いと考え、行っています。 改めて、同じ曲であり、名だたる指揮者による古楽器オーケストラの演奏ながら、 その演奏の様々、良し悪しに気づかされ、良い経験になっています。 オケは良いけれど、ソロは?? 、オブリガートも、ソロも良いけれど、合唱の言葉の乗せ方がどうも??  そんな風には絶対に歌ってほしくない?とか このような声では、歌ってほしくないなあとか。 「ロ短調」のCDは、幾種類も出ていますので、この際に聴き比べるのは、大変良いことと改めて気づかされています。 と思いつつ、改めてこの素晴らしい、内容の詰まった曲を残してくれたバッハに感謝の気持ちがしています。
 今月7月第1週目週末3日間、調布音楽祭が、調布市の市営ホールで行われました。リニューアルされて、 昨年に続いて、2回目になります。 私も、3日とも、1日に1回ずつ、リサイタル2回、 最後、3日目には私の好きな、様々な楽器の組み合わせの演奏が聴かれるブランデンブルク協奏曲を聴きました。 いずれも大変素晴らしく、楽しめました。さらに、私の場合、歩いて10分くらいのところで、こんな素敵な演奏が聴かれるなんて、 幸せ!と思いました。いつもなら、長いと1時間くらい、往復2時間かけて聴きに行くのですから。 その上、どの演奏も、それぞれ奏者たちの、とても息の合った熱意が伝わってきて、また、来年が楽しみと期待しています。

 5月 30日(金) 201 4年   

  桜の季節は、とっくに過ぎ、さつきやツツジが押し合いひしめく様に咲き、紅白のはなみずきが可憐に咲いて、今は、もう新緑の頃です。 5月から、6月はあやめ、かきつばた、そうそう、バラがなんとも華やかに、大輪から可憐な花びらまで咲き競っています。 更に、そろそろ、庭の隅などで余り目立たないアジサイが色とりどりにやはり競うように存在を現わしてきます。 と、なんて日本の季節の移ろいは素敵なんでしょうと感動していると、そろそろ梅雨入りです。 じめじめ、蒸し暑く、と思いますが、 新緑、濃い緑の木々の葉のほこりを洗って、したたり落ちる雨も嬉しく思われます。 今年の梅雨は如何でしょう? 豪雨などありませぬよう願っています。
    さて、「ロ短調」の練習は、とても丁寧にさらった通し練習の2回目が終わり、3回目に入ります。 折角の3回目ですので、今度は、合唱部分のみでなく、ソロの部分を聴きながら、練習しようとなっています。 合唱員の数も、可なり増えて来まして、合唱に厚みが増し、嬉しいです。特に、男声です。 バスは勿論ですが、いつも少ないテノールがなかなかしっかり歌ってくれていまして、本当に嬉しく、本番が楽しみです。 といいましても、やはり、「ロ短調」は難しく、何とか、素晴らしく演奏できますよう願っています。 なんとなく、慣れて、もう分かっているという歌い方にならないように、十分に留意したいです。 難しいといえば、女声がなかなか大変です。団員数は、可なりいますが、 やはり、易しくなく、高音をすっきり乗せて歌ってくれますよう、些か、厳しく、気の毒かなと思いつつも、要求しています。 音をすっきり的確なピッチで歌えるということは、本当に難しく、きちんと歌える方は、プロの歌手達でも数少ないのですが、 年齢もあって、難問です。 なんども挑戦出来ない大曲、歌えるチャンスに恵まれるだけでも、嬉しいのですが・・    合唱団としては、2回目の演奏機会ですが、フル編成の古楽器オーケストラとの共演を十二分に楽しみたいと期待しています。
  コンサートには、このところ、あまり聴きに行っていません。と言いますのも、来週6月6日には、やはり、私が指導しています女声合唱団「花紬」の第8回定期演奏会を予定していて、気持ちを散らしたくないと願っています。この合唱団は、平成1年発足、26年目の活動中です。演奏曲目は、まず、日本語の合唱組曲「光る砂漠」より、5曲。これは、矢澤宰という21歳で夭折した若者が、幼少より、病弱で、入院が日常の中、詩作に楽しみを見出して、若さあふれる繊細な感性の詩を沢山残しています。その詩に、萩原英彦さんが、♯や♭を多用して、繊細な感性を浮き立たせる微妙なメロディー構成で作曲しています。合唱の難しさは勿論ですが、伴奏が素晴らしく、ピアニストのテクニックの冴えを楽しんでいただけます。さらに、イタリア、18世紀初頭の作曲家G.B.ペルゴレージ作曲[Stabat mater]を古楽器による弦楽4重奏と共演します。何しろ、かっての面影はなく、目下、団員は12名です。ただ、どなたも、長年、私と付き合って下さったためもあって、なかなか上手です。そこで、経費も考えて、ソロを団員で手分けして、歌おうとなりました。きっとお客さまに楽しんでいただけます。この曲名の曲は、西洋音楽史上、[Ave  Maria]などと同じく、多くの作曲家が作っています。 それらの作曲家に、同名の作曲のお手本と見なされ、もっとも、参考にされている曲です。同時代に活動したJ.S.バッハも、写譜をして、 「ロ短調」ミサ曲の作曲の参考にしたと考えられています。  「ロ短調」ミサ曲は、バッハが、持てる作曲技術を結集して、生涯最後に完成させた曲です。  バッハは、生涯にわたり、多くの作曲家の作品を写譜して、自分の作曲技術をみがいていました。 このペルゴレージの「スタバトゥ マーテル」も2声ながら、その重なりは、大変巧みに作られています。 もちろん、「ロ短調」のフーガは、大変多い声部で、複雑に絡み合う構成になっています。

月 6日(木) 201 4年   

  新しい2014年が明けまして、早や、2ヶ月が過ぎています。 この2月には、連続して、週末に雪が降り、東京には珍しく、可なり積もりました。 久しぶりの積雪に私など、何となく心が嬉しく和む思いで、夜中に窓を開けて、眺めていました。 特に、2回目の2月14,15日辺りは、北風に乗って、さらさらと斜めに、しかもこれでもかこれでもかと次々降り行き、 あたり一面、屋根も木々もこんもりと雪を被って、雪国のような風情に、感動して見入っていました。 私は余り経験したことが無い真夜中のことでした。 ところが、私がそんなのんきに楽しんでいる頃に、あちこちで、大変なことが起こっていました。 自動車が雪にうずまり、建物やビニールハウスが押しつぶされ、家が雪に閉じ込められ、外出不可能になっていたり、 さらに、もっと悲しいことが起こっていたりでした。 雪に慣れていない地域とは言え、自然の二面性を思い知らされる経験をしました。 あれから、2週間余り、雪が融け去った庭では、黄梅が黄色い花びらを開き、水仙の蕾が日に日に膨らんで、 彼岸桜が、濃いピンクの蕾を沢山付けて、これもまた、よく晴れた日ざしを受けて、ふっくらと膨らんでいます。 雑草もあちこちに伸び始めています。これらも、すべて自然の威力ですね。
     そうそう、珍しく積雪に悩まされるニュースが毎日流れる日々でしたが、「ロ短調 」の練習は、まずまず順調です。テノールが増え、ソプラノも少しずつ増えて、嬉しいことです。 アルトの仲間にも是非お入りいただけたら嬉しいと願っています。更に、バスにも。勿論、全パートに、是非。 練習の甲斐あって、声もハーモニーも揃ってきて、メロディーラインがすっきり聴こえるようになりつつあります。 さらに、言葉をすっきり聴こえるように練習を積みたいと考えています。 音の高低や流れの中での位置によって響きが変わらず、各パートやそれぞれの旋律線が複雑に絡む場合でも、 曲の構成が、聴く方々にすっきり聴こえて、楽しめるように合唱できるよう願っています。
  この頃は、演奏会に可なり頻繁に出かけています。いろいろな方々からのお知らせや、外国のオーケストラなどです。 なかでも、ドイツのフライブルク・バロック・オーケストラが、J.S.バッハの「ブランデンブルク協奏曲」を全曲演奏するのを聴きに行きました。 1曲1曲特徴があり、面白く、私は好きな曲集ですので、期待して行きました。出演者の方々は、どなたも、人柄がよい感じで、和気藹々と楽しそうな演奏でした。 古楽器のオーケストラということで、それも楽しみに行きました。  ただ、なんとも残念でしたのは、各演奏者のピッチがすっきり合っていませんでしたので、 全体にガチャガチャとした響きで、最後の方になるにつれ、少しずつ改善された様子でしたが、 奏者の皆様の楽しげな笑顔と丁寧な挨拶などとは裏腹に、私は、正直言いまして、がっかりしました。 いくら古楽器でも、もっともっとすっきり音が合わせられるはずと考えています。 折角、楽しみに出かけたのですが、それぞれの曲の特徴がすっきり感じられず、とても残念でした。 それにしても、同じ古楽器オーケストラながら、ブリュッヘン指揮の18世紀オーケストラのピッチの揃った素晴らしい響きが耳の奥で、ず〜っと鳴っています。 一生、大事に保っていたい思いの素晴らしい響きでした。他に、つい先日には、今度は、BCJの、やはり、バッハのミサ曲シリーズの2回目を聴きました。 もう5ヶ月も前になります1回目も聴きましたが、 1回目は、合唱のハーモニーがすっきりせず、ラテン語の発音もばらつきがあって、少々がっかりしていたのですが、 この2回目は、合唱が、それぞれに声が伸びていて、すっきりとハーモニーを聴かせてくれ、言葉の発音もほどほどで、まずまず楽しめました。 オーケストラも中々良く響いて、特に、外国の方々による2本のホルンが良く合っていて、素敵に素晴らしかったです。 他に、J.S.バッハの次男C.F.E.バッハの演奏会を聴きました。 フラウト・トラベルソ、オーボエ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、チェンバロなどの楽器で曲により組み合わせが変わりました。 聴く機会の無い珍しい曲集で、今回は、中でも、楽しげな曲想の曲の特集でした。4回シリーズの1回目でした。 名曲という様子ではありませんでしたが、明るく、お父さんの曲想とは、違って (当たり前でしょうか?時代の変遷もあって)、軽やかな曲の数々でした。次回も聴くつもりでいます。

10月21日(月) 201 3年   

 10月も中旬になっても、なんとも暑い真夏日 があったり、先週は、台風26号です。東京直撃とか予報では伝えていましたので、 我が家も雨戸をガムテープで固定したり(古くガタガタうるさく飛ばされる危険を感じる?)、 ガラス窓にも飛び散らないようにテープを貼って、準備万端?整えました。 我が家の2階は、晴天では日当たりがよく、富士山もよく見え、素晴らしい眺めなのですが、 それだけに、台風などには吹きさらしになることがあります。まあ、我が家は何事もなかったのですが、 伊豆大島では、本当に予想を遥かに越える災害が起こり、 毎年、日本のどこかで繰り返される大災害に人間の想像力の乏しさと無力を思い知らされます。 日本列島は細長く北と南とでは、気象が随分違うと思ってはいま すが、 更に、海に囲まれていて、南の気流、更に西からの気流と、そして、南の暑い気流に熱せられた海流の上昇気流と本当に、 年中周りからの影響を限りなく、受け続けることが今年も特に実感させられました。 日本では起こらないように聞いていた思いですが、 TVの映像だけでも、恐怖を感じるほどの想像以上の巨大な竜巻も起こりうることに、改めて、自然の威力を見せ付けられた思いです。 その一方で、心が膨らむ実りの秋は確実にやって来ています。桃、梨が並び始め、様々なぶどうにりんご、 何より、ほんの短い時期のみ目にするイチジクがあります。 それに早やみかんが山になって並んでいます。新米の呼び声も聞かれ、香りと共に、心が豊かになります。
  「ロ短調」ミサ曲の練習は、皆、楽しみながら、ゆっくり、一つ一つ丁寧に、熱心に取り組んでいます。 本番まで、1年ほどありますが、まだ先と思わず、歌い込みたいと願っています。 見学の方も数人お越し下さって、11月には、公開講座も予定しています。 何より、よく共鳴した、潤いのある良い声に、年齢に関係なく、揃ってきて、私は嬉しいです。 発声練習から始めて、丁寧に、曲の構成を理解し、しっかり充実させた内容の練習をすることの大切さを実感しつつ、 素晴らしいなあと感心もしています。
   演奏会には、余り行かれません。9月23日に、BCJのルター派ミサ曲を聴きました。 系統立てて、聞かれる貴重なチャンスですので、出かけました。 演奏は、それぞれにソリストが揃っての合唱団ですので、それなりにまとまっていたと思います。 ただ、その分? 何故か、塊となって共鳴するハーモニーが聴かれません。 合唱は、やはり融けあうハーモニーでしょうと、私は特に楽しみにしているのですが・・   BCJの演奏会では、特にプログラムの解説が大変楽しみです。 とても丁寧に、詳しく書かれていて、とても良い勉強になり、貴重な資料になります。 曲目は、まず、J.S.バッハ作曲「ミサ曲」ト長調BWV236(自作のカンタータからのパロディー) に始まり、バッハとほぼ同時代のイタリア、ナポリの作曲家フランチェスコ・ドゥランテの曲を混ぜながら、 [Sanctus]を2曲 BWV240とBWV241、そして、もう1曲、J.S.バッハ作曲「ミサ曲」ト短調BWV235でした。 ミサ曲と言っても、ルター派プロテスタントのミサ曲ですので、[Gloria]までです。余り、聴く 機会の少ない曲ですので、とても良い機会でした。

月 1日(日) 201 3年   

 今年の梅雨明けは、とても早く、7月早々、確か10日になるかならない頃でした。そのあとが大変でした。 猛暑に続く、猛暑で、8月下旬になっても、30度を越え、35度に迫る陽気が続いています。 私など暑さに抵抗力の無い者は、本当に困ります。 冷たいものを頂いたり、涼しい格好をしたり、エアコンを調節したり、あれこれ工夫しているのですが、 どうも疲れが溜まってくる様子になんとも致し方ない有様です。 それでも、さすがに、秋の気配が少しずつ忍び寄って来る感じで、心が安らいできます。 先日の朝は、珍しく、爽やかに晴れ渡り、夏には珍しく、青空のかなたに、富士の山がすっきり見え、空気が澄んで来ている様子でした。 ギンヤンマに続いて? アキアカネが飛び、蝉の声が、じ〜じ〜から、すっかりミ〜ンミ〜ンに変わり、 さらに、数日前1度ですが、ツクツクホ〜シとヒグラシを聞きました。 夜には、虫の声が聞かれるようになって来ています。 7月の国政選挙結果、中国や韓国との解決の難しい軋轢などなど、 人間社会はなんとも難しく、私などどうするのがベストなのか、全くわかりかねる日本や世界情勢が続いています。8月は、毎年ながら、特に、68回目の原爆投下日や終戦記念日など続きま した。 改めて、戦争を経験なさった方々には記憶を呼び起こして頂き、 すでに70歳近くになりつつある、全く戦争を、戦後の悲惨な混乱の記憶が無い方々も、 私達の日本の為に、命をかけて、頑張って下さった数限りない方々に思いを馳せ、難しい日本の現状があるものの、好戦的にならず、 日本の将来を真剣に考えなければならない時でしょうと強く考えます。
   さて、「 ロ短調」の練習は、漸く、1回目を何とか終り、最初に戻って、改めて、練習開始です。ところが、最初の[Kyrie}の発音の難しいこと。「キリエ」でもなく、まして「キュリエ」でもなく、しかし、[Kyrie}の最初の文字 [K} を、鮮明に発音して欲しいのです。 大変判りやすく構成されているフーガの構成を合唱員達がよく理解して歌ってくれますよう願っています。フーガの構成をよりくっきりと聴き取れるように、爽やかに、各パートが心地よく進行するように歌いたいのです。これから、さらに真剣に、貴重な演奏チャンスをものにするよう、練習に励んで行きます。この 「ロ短調ミサ曲」という、いろいろな意味でとても珍しい名曲を、改めて、十二分に理解し、歌いこなせるように、練習方法を工夫して行こうと考えています。本番が、来年2014年11月29日(土)に本決まりになりました。まだ,1年以上あります。「ヨハネ受難曲」や「マタイ受難曲」を経験してきた団員達の歌唱力は素晴らしく、音取りもうまく、なかなかよく歌ってくれつつあります。それだけに、出来ているような、判ったような気にならずに、この1年余りの練習期間を、十分に活用して、素晴らしい演奏を実現できるよう、様々に工夫して行こうと考えています。折角の機会、改めて、「ロ短調ミサ曲」についての参考資料をしっかり読み解き、興味の有る無しに拘わらず、理解を深めて、演奏出来るように願って、 資料を少しずつ配布しています。目下、100年ほど前の出版とはいえ、 大変な名著であるA.シュバイツァー著作による「バッハ」上・中・下の3冊から、「ロ短調ミサ曲」に関する部分の抜書きに、 私なりの解説やコメントを入れて、配布しています。14ページくらいになっています。続いて、ほかの参考書にも取り掛かっていきます。 これは、勿論、私自身のためでもあります。前回「ロ短調ミサ曲」を演奏して以来、もう8年半近くたっていますので、 忘れていることや気が付かなかった?事など、読み解くに従って、記憶を新たにし、理解が深まって、とても楽しいです。 何より、バッハが自身の作曲技術の粋をこれでもかと盛り込んだ曲の分析は、興味が尽きません。 再び、この曲に取り組める幸せを感謝しています。
 このところ、余り演奏会に出かけていません。可なり前になりますが、7月初めに、ある合唱団の「ロ短調ミサ曲」を聴きました。
大変自信のある合唱団のようでした。ソリストも、歌い慣れた方々でした。ただ、大変期待して行ったのですが、もうひとつ、満足させていただけず残念でした。第一生命ホールが、普段入れないと聞いているバルコニーにまで、入れざるを得ないほど満杯状態でした。カウンターテノール上杉清仁さんのソロ[Agnus Dei]は、殆ど暗譜で、素晴らしかったです。この1曲で、全体が締まり、聴いている私の心もまずまず満たされました。

6月28日(金) 201 3年   

 6月 がお終いになります。梅雨が続いていますが、余り降っているというほどは降っていない様子ですので、 水源地での水のたまり具合が気になります。 私はといいますと、このところ、家の片付けにまぎれています。 まず、古着の処分です。古着といっても、特に、古ぼけているわけでもなく、傷んでいるわけでもなく、デザインもまずまず?  着ようと思えば着られるしっかりした生地の洋服類です。これがとても厄介です。 思いの他、沢山あって、全く思案してしまいます。それぞれに思い出もあり、愛着もあって、本当に捨てるには、勇気が要ります。 リサイクル店で引き取っていただこうかと考えましたが、なかなか、難しいと思えます。 これはと、思える夏のドレスを試しに持っていったところ、10分?くらい、査定をするとかで、待った結果、100円で引き取ってくれました。 ロングの可愛いひらひら水玉模様のブラウン系の今風のドレスでしたが、それでも、「(100円で)良かったわよ」という方もいて、 そんなものかと思いました。そこで、漸く、思い切って、古着のごみとして、市の回収に、すべてを出す決心をしました。 出来れば、困っている国の方々へでも届けられるといいなあ?と願っているのですが、そのルートを知りません。 市役所に伺いましたが、全く駄目でした? 切り刻んで、機械の掃除などに使われる以外、使い道がないとのコメントでした。 日本の古着が外国で、喜ばれているというニュースを見聞きした記憶があるのですが、どうすれば有効に使えるのでしょう?  時々、リサイクル店を開く予定などで、古着を集めていると訪問希望の電話が掛かってきます。 しかし、それは、口実で、金製品など口先上手に、安く、無理やり買い集めたりするので、かかわりを持たないようにとのニュースが聞かれます。 つい乗せられてしまうのでしょう。 リサイクル店では、ビンテージ(vintage) とか、ブランド品とかながら、見た目に可なり擦り切れてくたびれた衣類や 色のはげかけたバッグ類などが、 びっくりするような高額の値がついていて、そういうものこそが良いというのでしょう、価値観の違いですね。
  「 ロ短調」の練習は、目下、[Symbolum Nicenum]の終曲 [Confiteor](自らの罪を認め、洗礼を受けることを承認しますと)、 受洗の宣誓の部分です。長い曲の上、フーガが思いの他、難しく、少々皆様、しんどい思いをしています。 もうそろそろ終りにして、次の[Sanctus]に入りたいと願っています。  ミサ曲「ロ短調」についての参考図書は、一昨年、礒山先生が、ズバリ、「ロ短調ミサ曲」と題する訳本を出版していらっしゃいます。 漸くの感じです。思いの他、「ロ短調」ミサ曲についての参考文や図書は少なく、どこかに少し書いてある程度が今まででした。 ただ、このバッハ研究の世界的権威 クリストフ・ヴォルフ著、礒山 雅訳の「バッハ ロ短調ミサ曲」という本は、 普通に読んでは、殆どよく分かりません? 詳しすぎるというか、細かすぎるというか?  もう少し、誰が読んでも読みやすく、理解しやすい、訳し方書き方、内容ですとお勧めしたいと考えますが、 とても残念に私には思えます。わが団員も、何人か購入した様子ですが、どなたも何が書いてあるか分からないと言っています。 とても残念で、大変勿体無いです。とても丁寧に詳しく良く書かれていますが、実は、私も、読み進めるのに些か時間がかかり、疲れます。 曲の分析など、私は、とても好きなのですが・・ それと細かいところで、書いておいて欲しいと思えることが、無かったりして、 ??と思うところもあります。  そこで、これから、あちこちに、少しずつ書いてある貴重な資料を、分かりやすく抜き書きしようともくろんでいます。
  先週、6月11日(土)夜、6月21日(金)夜、22日(土)1日中と、調布音楽祭が開かれました。 今年から、すっかり模様替えして、正に、盛りだくさんな音楽演奏の有意義なお祭りでした。 調布在住の古楽、特にバッハ演奏の世界的権威でいらっしゃる鈴木雅明先生監修、息子さんの鈴木優人さんが、 全体のプロデュースという企画でした。私は、そのうちの3つの演奏会を聴きました。 中でも、この音楽祭の最後を締めくくるバッハ・コレギウム・ジャパンのバッハ作曲管弦楽組曲全曲の演奏が、 22日夕刻調布グリーンホールで行われました。合唱メンバーのいないオーケストラメンバーのみの演奏で、皆様、気持ちを合わせて、 大変集中した演奏で、とても気持ちよく聴かせて頂き、心が膨らみ、満足しました。 他に、市内にある桐朋学園大学音楽学部の若い演奏家達の若さ溢れる演奏が調布市民会館「たづくり」内で、 また、グリーンホール小ホールなどで、1日中行われるなど、とても良い企画の音楽祭でしたと思い、私は、嬉しかったです。  来年を期待したいですね。身近で気軽に良い音楽が、楽しく聴かれるのは素晴らしいです。

月13日(土) 201 3年   

  4月も半ばになっていますが、思いの外、空気がひんやりとして、気温も、特に朝など10℃くらいが続いています。 寒がりの私などは、今日は何を着ようかしらと思案します。 それでも、自然は本当に素晴らしく、ささやかな我が家の庭では、折れて皮一枚でしかつながっていない花桃が、 今年も鮮やかな、本当に鮮やかな濃いピンクの八重の花をこれでもかというほどに沢山付け、咲き誇ってくれました。 青空に映えて、ただただ見とれるばかりでした。他にも、ミニ花の黄水仙が、フリージヤが、オダマキが、 更に、なんと昨年買ってきたすっかり枯れた風情でしたガーベラが赤い花を次々咲かせくれています。 枯れてしまったかと諦めていたのですが・・? いずれの花木も毎日お米のとぎ汁を撒く以外、全く肥料もやらず、枯れた葉などをたまに除く以外、世話をしてあげていないのにと、 自然の素晴らしさ、力強さを、折々に思い知らされています。
  ロ短調の練習は、まずまずの進み具合ですが、もう少し、捗っても良いのではと反省しています。先ずは、私から。
バッハの作品、特に楽譜についての世界的に知られた研究者でいらっしゃった小林義武先生が1月末に、お亡くなりになっていらっしゃった事を先月末、2ヶ月も経って漸く知りました。びっくりもしましたが、何より大変々々残念な気持ちです。ドイツのゲッティンゲン・バッハ研究所で、バッハの楽譜について、紙質・透かし・筆跡(バッハ自身のものか、コピストによるのか)など根気強く 、1974年から、あしかけ17年にわたって、研究・考察をされ、作曲年など解き明かして下さった、素晴らしいバッハ研究者でした。 私事ですが、何年かまえに、バッハについてのセミナーを聴かせて頂き、漸くこの先生のことを知りました。 その後、どうしても伺いたい事があり、全く面識の無いながら、電話をさせて頂きましたところ、ご親切にお考えを聞かせてくださり、 更に、メールアドレスを教えて下さいまして、聴きたい時はどうぞとおっしゃってくださいました。その後、2度ほど教えを請う事がありましたが、 いずれも丁寧にお返事下さいました。 直接お会いすることはありませんでしたが、深く感謝しています。心からご冥福をお祈り申し上げています。
    次に、私にとって、嬉しい経験を書きます。 先週、4月5日(金)すみだトリフォニー大ホールで、ブリュッヘンと18世紀オーケストラの演奏を聴きました。 曲は、シューベルトの「未完成」とメンデルスゾーンの「スコットランド」でした。何をおいても、オケの音の、響きの素晴らしさです。 一生忘れたくない、何時までも何時までもしっかり、耳の奥に響かせておきたい、なんとも澄んだ、素晴らしい響きでした。 音の調整が難しいはずの古楽器による編成です。BCJのオケも素晴らしいのですが、これほどまでの澄んだ音は聴かせて頂けません。 指揮者ブリュッヘンさんは、初めて、実際の姿を拝見しましたが、ご自分で歩けず、車椅子でのステージ登場でした。 立つのも掴まってやっとの様子でした。が、オケの方々との気持ちの通い合い、統一された様子はそれはそれは感動的でした。 今までに、CDは、聴いていますが、生は、初めてで、オーケストラのみの演奏も、CDでも聴いていませんでした。 さらに、今日13日(土)は、新日本フィルの公開リハーサルを約2時間聴きました。明後日15日本番チケット購入者へのおまけでした。 これもとても素晴らしい経験になりました。前から6列目の右方向の座席で、聴きました。 ブリュッヘンさんの右手の動きが大変良く見られ、曲作りを興味深く見せていただきました。 ただ、新日本フィルは、モダン楽器編成ですから、演奏は、指揮に良く応えて、なかなか素晴らしかったのですが、 当然ながら、どうしても、モダンピッチのため、とても騒がしい響きに終始します。 しかし、素晴らしく整えられた18世紀オーケストラとの違いもよく分かり、 私には、本当に良い、貴重な経験をさせていただきました。ブリュッヘンさん、最後の日本公演の機会でした。

3月10日(日) 201 3年   

  今日は、 珍しい気象現象がありました。午後2時半過ぎ頃、窓の外を見て、びっくり、茶色の砂ぼこりのようなものが空に立ち込め、 視界が極端に悪く、急に何か、息苦しさを感じるほどになってきました。といっても、今日午後の練習時の時に団員が教えてくれて、気が付いたのです。 練習会場の9階から外を眺めての状況です。いつも見える遠景が全く見えず、中国からの黄砂がいきなり押し寄せたような様子でした。 団員が、「煙霧」と言うですよと教えてくれました。わたしの記憶では、初めての経験のように思いましたが、 今までにも、たまに、起こっている現象だそうです。午前中から昼にかけ、温度が急上昇して、暑いくらいでした。 ところが、夕方4時半ごろ、練習を終えて、外へ出ると風向きがすっかり変わり、 北風が強く、気温が10℃ほども下がったのではと思える陽気の急変でした。
  3月に入り、お雛祭りが過ぎ、漸く、陽気が春らしくなってくると、風向きによって、気温の変化が激しいのですが、 我が家のささやかな庭では、着々と勤勉に花が咲いてくれています。今年ももう樹暦?20年以上になる黄梅が可憐な黄色い花を開かせてくれ、 水仙が蕾を沢山つけて、咲き初め、彼岸桜が勤勉に可憐な花を沢山花開いてくれつついます。 バラも新芽を随分沢山出してくれています。
   混声の練習は、[Credo]に入りました。しかし、バッハは、単に、[Credo]と書かずに、[Symbolum Nicenum]と書いています。 そこに、バッハの思い入れがあると考えますので、これを、簡単に、[Credo]と置き換えて書くようなことはすべきでないと考えます。
 3月2日(土)すみだトリフォニー大ホールへ、東京J.S.バッハ合唱団の「ロ短調」ミサ曲を聴きに行きました。 この合唱団では、この曲は、6回目になるそうです。 毎年ある定演ながら、なかなか都合が合わなくて、久しぶりに聴きましたのが、「ロ短調」ミサ曲でした。 この難しいミサ曲をさすがに素敵で、素晴らしく慣れた演奏と聴かせていただきました。 ソプラノは、高音が上がりきらない時があるものの声が良く揃って、素晴らしく、 また、男声も可なりのご年配風ながら、良く揃って力強く、古様式のテーマも聴き取りやすく、本当に素晴らしかったです。 特に、1曲目の[Kyrie]は、言葉の最初[Ky]に、大変集中して発音されていて、長く難しいフーガの構成が聴き取り易く、素晴らしいと思いました。 それと同じく、他の曲も同様に、テーマの言葉の最初を更にクリアーに歌ってくださると、 同じように曲構成が聴き取りやすく、楽しめるのになあと思いました。 ほかに、この合唱団は、演奏会前に、曲の解説のようなことが、毎回行われるようですが、今回も神父様?がお話になりました。 丁寧に静かな語りでした。ただ、宗教には、全くの門外漢の私が言いにくいのですが、 わたしの感じ方としまして、この「ロ短調」ミサ曲は、確かに、ミサ曲ではありますが、 あくまでも、ルター派のプロテスタント信者であるバッハの作品ですから、 ミサ曲と言っても、カトリック的な解釈とは、少し違うはずと考えます。そこを踏まえて、解釈も演奏もしたいと願っています。

2月10日(日) 201 3年   

  今日は、明日11日(月)が「建国記念の日」ということで、3連休の中日になっています。 節分に、立春も過ぎ、2月も半ばになって来まして、今日は澄み渡った青空が広がり、風も穏やかで、本当に嬉しい陽気です。 今日は、リフォームを検討している家の内装の見本を見るため 、立川の展示場に行って来ました。材質が丈夫で、汚れにくく、燃えにくく、汚れが簡単に取れやすく、見た目も楽しく綺麗な製品が並んでいました。 ただ、どこが違うのかなと思えるものながら、それなりの理由で、価格に可なりの差があるようで、 なるべく安く、少しいい物をと欲を出して選ぶのも、楽しいような残念なようなと思案しながらでした。 床暖房やお風呂のスチーム仕様なども見られました。いろいろあるなあ?と、 でも維持費など上限はキリが無いなあ?と、まあ、ほどほどにつつましくと思いながら、楽しく見て来ました。
  昨日の合唱練習は、1月27日に続いての2回目の公開講座でした。 それなりにお越しくださいましたが、少しでも多くの方が入団していただけると大変嬉しいと期待しています。 簡単な曲はありませんので、中でなるべく分かりやすい、歌い易い曲からと練習しましたが、どうだったでしょう?  合唱団の練習の進み具合としては、目下、[Gioria]の最後、[Cum Sancto Spiritu]に漸く言葉が付き始めたところです。 ついつい、調子よくスピードを上げて歌ってしまいがちで、何となく上手に歌っている良い気分になってしまう様子です。 が、どんなに面倒な気分になっても、一つ一つの音を丁寧に言葉に乗せて歌えるようにしていきたいと考えています。 結局、仕上がりが良くなります。それにしても、バッハがザクセン選定侯に宮廷音楽家の称号を頂きたくもくろんで、 献呈したミサ曲(キリエとグローリアのみを、ルター派プロテスタントではミサ曲として認めていました)で、 この[Cum Sancto Spiritu]は、そのミサ曲の終曲ということで、長く、随分力を入れて作曲したことが分かる、華やかで素晴らしく、感動的な名曲となっています。 歌う人たちもとても気持ちよく歌い上げることが出来る様子に作られています。それだけに、急ぎすぎず、すっきりと歌い上げたいです。
   最近の演奏会では、先日2月3日(日)に、カウターテナー上杉清仁(すみひと)さんのリサイタルを聴きました。私達の団員達は結局8人くらいと大勢行きました。 リニューアルされた石橋メモリアルホールで行われました。 何年ぶりかに行ったホールですが、入り口が東の車道側に変わり、全体にすっかり変わっていて、どこが入り口か分かりにくく、少し戸惑いました。 が、以前に比べ、座席の配置、新たに設置されたバルコニーの具合、天井に至る壁面の角度など、格段に心地良いホールになり、 パイプオルガンの設置具合も良い感じで、コンパクトな素敵なホールに変身していました。客席に座ると心地よさを感じられるホールになっていました。
上杉さんの初リサイタルは、満杯のお客様で、大成功と言って良いでしょうと思います。聖母マリアを主題にした曲を並べ、中でも、[Stabat Mater(悲しみの聖母・・・一般的な訳では。ただ、直訳すれば、たたずむ聖母マリア)]を中心にしたプログラム構成でした。共演者が本当に素晴らしく、ヴァイオリンの若松夏美さん初め、チェロの鈴木秀美さん、オルガンの上尾直毅さん、リュートの金子浩さん、ヴィオラ ダ ガンバの櫻井茂さん、ヴァイオリンの竹嶋祐子さん、ヴィオラの成田寛さんと、バッハ コレギウム ジャパンの面々で、素敵な方々がそれぞれに、素晴らしい演奏を聴かせて頂き、とても楽しかったです。肝心の上杉さんの演奏は、勿論なかなか良かったです。ただ、私には、大変素晴らしかったとまでは思えませんでした。理由は、発声でしょうか? 音の高低のあるメロディーラインの持って行き方、声を音に乗せる、その乗せ方が私には物足り無く感じました。もっと滑らかに、まろやかに動かしてもらいたいものと度々感じました。体を、特に、体の背面を十分に使いながら、声を動かしていくと、高音など、より軽く、力まない跳躍が出来、滑らかなメロディーラインが構成されるはずと思いつつ聴きました。確か、2年ほど前のバロック・オペラ「ラ カリスト」に出演なさったときは、体全体が楽器になっていて、非常によく共鳴し、高音低音すべてが滑らかに動き、私には、大変記憶に残る名演でしたので、この日の演奏は、少々物足りなかったです。折角の貴重で、有望なカウターテナーの、さらに飛躍して輝いて下さることを心から願っています。

月27日(日) 201 3年   

  2013年が明けて、早や、1ヶ月が経とうとしています。平和に明けた2013年の今月16日に、言葉に出来ないほどの大変痛ましい事件のニュースが世界中 を、特に日本中を震撼させました。日本から途中給油しながら17時間もかかるという、アフリカ北部のアルジェリア、東南中部の砂漠の中、イナメナスという町で、多くの方々が人質にされ、 日本人も10人もの方が亡くなられました。それぞれに、日本の素晴らしい技術を展開して、天然ガス関連のプラント施設建設に、懸命にいそしんでいらっしゃった方 々 だそうです。犠牲者には、他の国籍の方々も多く、 私ならずとも世界中の方々が残念な思いを深くしていると思います。存じ上げている方はいらっしゃいませんが、残念で残念で、涙が出てきます。 心から深く、深くご冥福をお祈りしています。人命を第一に考える過去の日本的な対応が、身代金目当てのテロ行為のターゲットにされ、 それらを助長したとも考えられるようです。 テロ行為に対する、欧米初め、世界の国々の想像をはるかに越える容赦しない対応の是非を、改めて強く認識し、考えさせられる事件です。世界でも稀な、平和な日本で、ノー天気に暮らしている私 (もちろん私なりに悩みも苦労も多々あることはあるのですが、それはささやかに思われます)には、ニュースで見聞きする世界中で起こっている痛ましい争いが、 急に身近に感じられてきました。リビアやチュニジアを初め、エジプト、アフガニスタンは勿論、目下は、シリアの内戦など、可愛い多くの子供達を含む罪のない人々が、 毎日果てしなく、多く亡くなられているという現実が、一層身近に、心にずしんと響いてきます。 私には、安泰を願い、祈るしか方法がありませんが、せめて、心から深く祈りたいと考えています。
   新生、混声合唱団「クール・ドゥ・シャンブル」の「ロ短調」ミサ曲の練習は、まずまず順調です。 ゆっくりの練習で漸く半分、[Gloria]の終りになっています。まだまだ、もう少し練習をしてから、[Credo]に入ろうかと考えています。ただ、vocal scoreのページ数では、取り合えず漸く半分ですが、これからの後半の練習がハードになります。声部も増えるので、合唱員の増えることを願っています。 その為もありまして、今日27日に、初めて公開講座を開きました。男性の参加が思いの外多く、嬉しいことでした。第7曲[Gratias agimus tibi]と 第9曲[Qui tollis peccata mundi]いずれも4声の2曲を練習しました。 割りにスムーズに進み、次回2月9日には何をやろうかと思案するほどでした。同じ曲をしつっこく繰り返えし練習するのは得策では ないのではと考えつつ、やはりもう一度、反復練習も大切かと逡巡しています。次回はまた別の曲を少し用意しようかとも考えています。 ただ、今日既に、vocal scoreを購入して下さった方も数人いて、楽譜の印刷が必要か、どうしようかな?とか。
   今月は、余り演奏会に行っていません。あれこれとても忙しく、さらに、女声合唱団「花紬」が目下取り組んでいる[Srabat mater]のラテン語訳に少々手間取り(古い時代の詩のためか、綺麗に韻を踏んでいる詩の、その韻の為か、思いのほか、 訳が面倒で、辞書は勿論、文法書を何度も繰りながら、たった3行ずつなのに手間取っています)、夜中までかかっていたり、睡眠不足が重なって、 体調が不安定になったりで、演奏会にも行かれずになっています。
明日29日(火)夕には、高田あずみさんと妹のはるみさんの[Duo Recital]に行きます。 会場は、京王線初台、オペラシティー3F、近江楽堂です。姉妹とはいえ、とても素晴らしく息の合った演奏を堪能できるはずです。楽しみにしています。

12月 8日(日) 2012年   

 今日は、12月8日、歴史的な日です。真珠湾攻撃。それ何?とおっしゃる方もいらっしゃるかも。 そう、1941年12月8日未明(日本時間)、日本が太平洋戦争の引き金を引いて第2次世界大戦にエスカレートさせた攻撃です。 そう言う私ももうひとつ良くは分かりません。幾らでも著作があり、繰り返し語られて来たことですから、学ぶ方法・機会は数限りなくあります。 でも殆ど学んでいません。が、忘れてはいけない日と私は思っています。 その理由の第一は、これをきっかけに、才能豊な無数(言葉・文字では言い尽くせない多く)の若者達、更に大切な大切なお父さん達までが戦場に駆り出され、 命を奪われた戦争勃発の機会ですから(今もって、様々な形で聴く機会の度にその人材の損失の多さ・すごさを想像し、私でも大変無念な思いがしています)。 さらに、想像を越える無数の国民が亡くなり、路頭に迷う事態になりました戦争です。 これに心底懲りまして、その後の日本は、平和憲法に守られ?、何とか世界でも稀なくらい平和で美しく、 素敵な国を続けています(私は自負しています)。 とは言え、目下の日本は、難問続出です。 国を率いて、国民の上に立つ方々は本当にしっかりとよく考えの至る方になって頂きたいと心から切に祈ります。
 ところで、明日9日(日)は、「ロ短調」ミサ曲の練習日です。 この頃は、練習日が月3回で、少なめですから、充実した練習にしたいと考えています。でも、特に、がつがつやるわけではありません。 まあ、のどかな練習でしょうか?  要所をしっかり押さえた・・  目下練習中は、第9曲([Gloria]の6曲目)[qui tollis peccata mundi]です。 これは、調性が次々変化し、歌いにくく、音を捕まえるのがなかなか難しいですが、その分、響きに変化があり、 歌い慣れてくると現代風な響きで興味が沸いてきます。 この後、第10曲、第11曲([Gloria]の7,8曲目)は、アルトソロ、バスソロと続き、 いよいよ、壮大な[Gloria]の終曲フーガ[cum Sancto Spiritu]に続きます。 現在、ここの練習も始めています。テンポが速く、長い曲で、なかなかの難曲ですが、調子がよく、どなたも気持ちよく乗って歌えそうです。 ただ、合唱人数が十分ではありませんので、ソプラノが2声になったりするとちょっと気の毒です。 また、テノールの絶対人数が足りませんので、本当に頭が下がります活躍ぶりですが、是非是非メンバーが増えることとを願っています。 この[cum Sancto Spiritu]で、一旦、ミサ曲は閉じられます。バッハもこれを終曲にと考えていたでしょうと思われます。 そこで、このような素晴らしい、長大な曲をここに据えることにしたのでしょうと考えられています。 それは、「Gloria]の最後に、Fineと記されていることからも分かります。 一般に、プロテスタントでは、ミサ曲は、[Kyrie]と[Gloria]までと考える習慣がありました。 次の使徒信条(「Credo])については、一部の考え方に異論があり、カットされた様子です。 晩年のバッハは、それでも生涯の終りになって、どうしてもミサ曲を最後まで完成させたくて、 しかも、ラテン語で、長年作ってきた自らの多くの曲を利用・取り入れ、新たに追加しながら、ミサ曲の最後[Agnus Dei][Dona nobis pacem]まで、作りました。 この貴重な1曲1曲の練習を積み重ねていく、心の充実が、本当に嬉しいです。
 11月は、いつに無く、演奏会に行きました。11月5日(月)代々木上原[Musi casa]での、川原千真さんの「ヴァイオリン・リサイタル」崎川晶子さんフォルテピアノ。 ベートーヴェン「ヴァイオリン ソナタ」集、特に「クロイツェル ソナタ」は、息の合った二人の丁々発止の演奏が心地よく、 緊張させられましたが、とても充実した満足感で帰路に着きました。 11月22日(木)には、紀尾井ホールにて、藤村美穂子メゾソプラノ・リサイタルです。 シューベルト歌曲に始まり、シューマン、ヴォルフ、R.シュトラウスと大変充実したプログラム構成で、 大変しっかりした、素晴らしい歌唱力に、 はるか以前に啓示を受けたグンドラ・ヤノヴィッツのリサイタル以来と思える満足感と素晴らしい歌唱技術を学んだ気がし、 この夜も心温まって、嬉しく帰りました。 翌日23日(勤労感謝の日 祝日)には、北とぴあ大ホールで、 シャルパンティエのバロックオペラ(私的には、ミュージカル?)「病は気から」を観ました。十分な解説が不足していると私には感じられました。 話の展開が分かりにくく、場面展開ももたついて、解説やプログラムを可なり読んでいたにも拘らず、 私には飲み込みづらく、ただのドタバタ喜劇に思われました。もっと場面のつながりを分かりやすくして、 独断的な展開にならないように、工夫されるともっともっと楽しめるはずと、冷静に判断して鑑賞しました。 後日、新聞には、絶賛されて、評が書かれていました・・?  これらの外、11月18日(日)午後には、慶応大学OBOGの混声合唱で、ブラームス「ドイツレクイエム」を、 お互いに気の置けないお仲間同士の温かさを感じる演奏でした。 指揮をなさった方々はほぼ暗譜で素晴らしかったです。 また、この日は、コンサートのはしごをして、夜に、横浜みなとみらい小ホールでのジョイント・コンサートに足を延ばしました。 アカペラで、ハーモニーを聴かせる演奏会とかで、面白そうでしたので、出かけました。 20歳代の若い音大卒・音大生の方々や小田原少年少女合唱団と、フランスから来日中のやはり若い方々の合唱団とのジョイントでした。 時々、大変耳慣れた「もみじ」「ふるさと」「枯葉」などの端々が聴かれるものの、一貫してハーモニーを聴かせるように、 極端にアレンジされた演奏でした。様子を聞いていましたので、了解して、出かけました。 ハーモニーの様々な響かせ方を、いろいろと感じられ、とてもよい経験になりました。若い方々の今後の成長が楽しみな演奏会でした。

7月28日(月) 2012年   

  今日は、7月28日です。ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685〜1750)の命日です。何回目でしょう?  え〜と1750年に亡くなられていますので〜?  今年が、2012年、という事は、250年+12年=262年(目)ということですね。  日本で言えば、江戸時代中期、元禄時代(大体1688〜17041頃)ということです。 ドイツでは、長く続いた旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)が激しく争った宗教戦争(ドイツ30年戦争とも、1618〜48) が漸く終ったものの疲れ果てている上、全体的には、大変な貧しさが続いていた頃のようです。
 このところの猛暑に、ふっと思ったのですが、バッハの時代には、ヨーロッパでは、女性は長い髪を優雅に結い、男性も、正式の場では、かつらなど被っていたようですし、 日本でも、男女共に、長い髪でそれぞれ結っていたようです。 今夏も続く、連日の暑さを思うにつけ、今は、毎朝でも洗髪やシャワーを浴び、何とかさっぱりすることが出来ますが、 当時は、お風呂も十分でなく、どうだったのでしょう? でもずっと涼しかったはずですね。 判りませんが・・・   私は、この夏、少々暑さに負けそうです。そこで、大体毎年やっていることですが、実行してることがあります。
私の対策 1・・・冷蔵庫に(この文明の利器が無ければ私はどうなることか?)、常に大きいガラスコップ2個に、梅干を1個入れた冷水を用意しておきます。 梅干は入れっぱなしで、水だけ取り替えます。 夜、就寝前に梅干も食べます。大体1日に1個くらいにしています。塩分の取りすぎになるかと心配して・・
私の対策2・・・タオルに小ぶりの保冷剤を2個くらい並べて包み、丁度、首の後ろに当たるように位置して撒きます。 就寝時には必ず行います。(新たに今風の保冷マフラ?など買わずに。安あがり!)
エアコンは、日中少し使う程度です。これで今夏も何とか乗り切るつもりです。お試し下さい!!
   ところで、団員達の強い希望で、新生「クール・ドゥ・シャンブル」として、混声合唱が、今月7月から再開し始めました。 曲は、バッハの「ロ短調」ミサ曲をとの希望です。 私達としては、2回目になりますが、いつの間にか、団員が随分入れ替わりましたので、初めてという方も意外に多いです。 折角のチャンスですから、解説や曲の分析もふくめて、丁寧に練習していく予定です。すべて、団員の自主運営で活動継続の予定です。 そこで、団員が更に増えることを願った団員募集のためもありまして、バス団員の広報担当が、この1ヶ月くらいの短期間に、Youtube上に、 今年2月最後の定演「マタイ受難曲」の映像を、昨夏のバッハゆかりの教会 (結局、1曲歌わせていただいた教会も含めて、6ヶ所の教会の響きを体感できたのですが) を巡る演奏旅行の映像と共に、なんと10本もアップしてくれています。 身内の自慢のようですが、本当に素晴らしい、素敵な、また充実した内容で、私は、びっくりしつつ、心から感心しています。
    
http://youtu.be/nh3×GJf0Qok
    http://www.youtube.com/user/ChoeurdeChambre1

  今月は、可なり演奏会に足を運びました。先ず2日に高橋節子さんのソプラノリサイタル(白寿ホール)、17日に渡辺順生さんの「聖母マリアのための夕べの祈り」(モンテヴェルディー サントリーホール大)、20日にBCJのバッハ「結婚カンタータ」など(オペラシティー大)、24日フォンテヴェルデ&メディオ・レジストロ(風のホール 三鷹)などです。高橋さんのリサイタルは、伴奏者が小林道夫さんでしたので、是非にと行きました。曲目は、殆ど馴染みのない曲ばかりでした。熱演でしたが、音の掴み方、声のコントロールなど私にはもう一つの感じで、残念でした。小林先生の伴奏は、とても丁寧でした。20歳代の頃からの絶妙の演奏を聴いてきた者には、少しお年かな?とも思いました。渡辺順生さんの「ヴェスプロ」は名演でした。合唱員に、今第一線で活躍中の古楽のプロ歌手たちを揃え、オケは、若手の古楽器奏者中心の編成でした。勿論渡辺さんが、チェンバロを演奏しつつの指揮でした。演奏はとても良かったという事になると思います。さすがに、代わり合って、ソロも、合唱も歌う歌手達が、全体を圧倒していて、オケが少し控えめだった様子です。BCJの世俗カンタータは、互いに動きながらの演奏など楽しめました。が、プログラムの対訳が 読み難い上に、大変早い台詞回しに、速い動きで、一生懸命の熱演に、面白い感じでしたが、本当のところは、良く判らずに終わりました。「ブラボー!」など随分声が上がっていました・・   私自身は早めに行って、プログラムを読んではいたのですが。今週、何年ぶりかで出かけました風のホールでの共演は、とても面白く、楽しめました。ヨーロッパで、16,17世紀前半ころなどに、当時大変流行した世俗歌の多くは、リコーダーなど当時の器楽曲に、様々に編曲されて、好まれて演奏し楽しまれていたそうです。今谷和徳さんの解説に続いて、元の曲をフォンテヴェルデが声のアンサンブルを聴かせ、そのアレンジ曲を、メディオ・レジストロが、大小のリコーダー、オルガン、チェロなどで演奏するという趣向で、随分違ったアレンジなどいろいろあって、とても楽しめました。

7月10日(火) 2012年   

 早や7月に入り、もう10日になっています。前回書きましてから、うっかり随分空いていました。 今はまだ、梅雨の最中ながら、昨日、今日と真夏のような素晴らしい晴天でした。 自転車で走り回り、用を済ませました。
  ところで、この3ヶ月余り、いろいろありました。 5月には、珍しくひどい風邪を引き、困りましたが、それも漸く治り、 6月13日(水)には、私が指導する合唱団「コール・まどか」の第8回演奏会を行いました。 活動歴25年目のグループですので、平均年齢も随分高く、上は90歳を越え、80歳代が増えてきています。 団員数が以前より減り気味で、37名ほどの合唱団です。練習も捗るような捗らないような?有様ですが、兎に角練習には殆ど休まず参加してくれます。 世の中の同年齢の方々に比べて、驚くほどしっかり、はっきりとしていて、良い声で歌ってくれますので、私は素晴らしいと思っています。 本番でも、椅子を並べて、座って歌って良いのですよと繰り返し勧めましたが、とうとう90歳前後の方々まで、 全員終始立ったままで歌ってくれました。 しかも翌週の練習日には、揃って参加してくれまして、本当に感心し、私もしっかりしなければと思いました。 お客様の感想は、絶賛に近く、大変好評でした。合唱が特に上手というより、年齢に比べて大変元気に、生き生きと上手に歌っていると感じて下さったようで、 また演奏曲目が気取らない曲ばかりで馴染みやすいということのようです。 演奏会では毎回第3ステージをゲスト・ステージにし、何人かのゲストをお願いするのですが、 今回は、若いテノール歌手2人とピアニストにそれぞれソロをお願いしました。 これが大好評で、各自が話してくれました曲の解説の軽妙さ・楽しさも大変喜ばれました。
 このような訳で、このところ、演奏会に行かれないままです。 そういえば、6月23日土曜日に、お茶の水女子大大学院音楽専攻修了の仲間3人ソプラノ歌手とピアニストの演奏会を 聴きに行きました。それぞれに、中々良く演奏出来、とても楽しめました。 横浜のイタリアンリストランテでのとてもおいしいお食事をいただきながらでした。 たまには、いいかなと思いました。私の食物アレルギーにも、店主がとても心配りして下さり、嬉しかったです。
 また、7月1日(日)には、東京バロック・スコラーズの「マタイ受難曲」をすみだトリフォニー 大ホールで聴きました。暫くぶりのこの大ホールに広いなあと思いつつ、聴きました。お客様の入りも8割 強で、定演直後にオーディションを行う、自信たっぷりの合唱団らしいと思いました。指揮者三澤先生のプレトークに始まり、3時間にわたる演奏開始でした。演奏は、モダン形 式でした。三澤先生は、チェンバロを弾きながらの指揮で、お忙しそうでした。モダン楽器によるオーケストラは、中々良かったです。エヴァンゲリストは、ベテランの畑儀文さん、イエスは、同じくベテランの浦野智行さんで、それぞれに良い演奏でした
(私はもう少し期待していたのですが)。合唱は、72名ほどで、2グループに別れ、 ステージの左右に、客席から見て、左からSATB、BTASと普通に行われる形態で並んでいました。女声は50名でしたが、  中央に位置する男声が22名で、少し淋しそうで、響きももう一つでした。合唱は、40番のコラールあたりからぐっと良くなり、特に、百人隊長達が、「本当に、イエスは神の御子だったんだ」と叫ぶ、63曲bは、とても素晴らしく、嬉しい気分になりました。この部分は、中々難しく、良い演奏を聴かれる事は少ないのですが、この部分が全体のクライマックスですから、上手ですと心が満たされます。また、これより前、ピラトが群集に、イエスとバラバのいずれの釈放を希望するかと問う場面での「バラバ!」の不協和音による8声の一言は、難しい和音がとてもよく揃っていて、さすがと大変心地良く聴きました。他に、全体的には、リピエーノを歌う子供達の人数 が50人と多すぎて、私は違和感を抱きました。20人くらいの方がすっきり響くはずです。 また、バッハが、「マタイによる福音書」の内容を、忠実に2重構造の構成で表現している素晴らしい曲ですのに、 その二重構造を楽しむことが全く出来ませんでした。 少し例を挙げますと、第2コーラスだけが歌う部分を第1コーラスも歌っているとか、 ソリストは、第1の曲でも第2の曲でも全く同じ立ち位置で歌っており、 また、イエスとエヴァンゲリストが中央に並んでいることも、私には違和感を憶えました。 エヴァンゲリストは、語りで、進行係で、いわばイエスと何の関係もない立場です。 合唱も中々上手でしただけに、従来、モダンの演奏ではよく行われるごく一般的な演奏形態で、残念な思いでした。 三澤先生のプレトークの意気込みから期待していましたが・・?  又折角の字幕も今誰が語っているのか判りにくく、話の流れを掴みかねる様子で、3割強〜4割の方々が、お休みの様子でした。 「マタイ」は、物語の進行が細かく複雑ですから、 余程、聴き慣れている方々でないと、何を語り、どのように進行しているのか、全く判らないのではと私は心もとなく思いました。 プログラムの対訳は文字が小さく、薄暗がりでは、読み取り不可能でした。 隣の女性2人連れは、プログラムをぱらぱら音を立てながら、 「どこかしら?」と進行状況が全く判ら無かった様子で、やがてお休みでした。 私も薄暗がりでは、どこに何番が書かれているのか全く判りませんので、気になりましたが、教えられませんでした。

6月27日(水) 2012年   

 早や6月も終りになっています。前回書きましてから、うっかり随分空いていました。 今は梅雨の最中ながら、昨日はしばらくぶりに素晴らしい晴天でした。 意外に爽やかで、女声合唱団「花紬」の練習が仙川の東部公民館でしたので、 しばらくぶりに自転車で行きましたが、さほど汗もかかず、気持ちが良かったです。 ただ、此処、調布市国領町品川通りからですと実は東方へ国分寺崖線に向かって、約25分ほどひたすら上りです。 歩道が割合、良く作られていますのでまずまず安全なのは嬉しいことなのですが。 その代わり、帰りは反対にひたすら下りで、すいすいととても持ちよく走れます。
  ところで、この2ヶ月余り、いろいろありました。 5月には、珍しくひどい風邪を引き、困りましたが、それも漸く治り、 6月13日(水)には、合唱団「コール・まどか」の第8回目の演奏会を行いました。 活動歴25年目のグループですので、平均年齢も随分高く、80歳代が増えてきています。 団員数が以前より減り気味で、37名ほどの合唱団です。練習も捗るような捗らないような?有様ですが、兎に角練習には殆ど休まず参加してくれます。 世の同年齢の方々に比べて、驚くほどしっかり、はっきりとしていて、私は素晴らしいと思っています。 本番でも、椅子を並べて、座って歌って良いのですよと繰り返し勧めましたが、とうとう90歳前後の方々まで、 全員終始立ったままで歌ってくれました。 しかも翌週の練習日には、揃って参加してくれまして、本当に感心し、私もしっかりしなければと思いました。 お客様の感想は、絶賛に近く、大変好評でした。合唱が特に上手というより、年齢に比べて大変元気に、 思いのほか生き生きと上手に歌っていると感じて下さったようで、 また演奏曲目が気取らない曲ばかりで馴染みやすいということのようです。 演奏会では毎回第3ステージをゲスト・ステージにし、何人かのゲストをお願いするのですが、 今回は、若いテノール歌手2人とピアニストにそれぞれソロをお願いしました。 これが大好評で、各自が話してくれました曲の解説の軽妙さ・楽しさも大変喜ばれました。
 このような訳で、このところ、演奏会に行かれないままです。そういえば、先週土曜日に、お茶の水女子大大学院音楽専攻修了の仲間3人ソプラノ歌手とピアニストの演奏会を聴きに行きました。それぞれに、中々良く演奏出来、とても楽しめました。横浜のイタリアンリストランテでのとてもおいしいお食事をいただきながらでした。たまには、いいかなと思いました。

4月2日(月) 2012年   

  前回書きました庭の花々が、更に咲き競い、彼岸桜は満開を過ぎて、葉を沢山出し始めています。 紫のフリージャはもう暫くです。固いながらつぼみを付け始めています。 ヒヤシンスが、小さく可憐に咲いています。買ってきたピンク・赤・黄色のラナンキュラスが、大きく花開いて、艶然 と華やかに咲いています。
  一昨日の31日土曜日は、東京地方はすごい嵐でした。風速24,5mとか、それ以上とか? 私宅近辺は、調布市の中でも、畑が多く、 この春先、キャベツなど冬野菜の収穫が終ったところでしたから、たまりません。 よこなぐりの春の砂嵐(土嵐)です。ちょっと庭に出ようとしても、全く出られませんでした。 でも午後になって、漸く雨が降り始め、少しずつ静まってきました。 ほっとして、家中の掃除です。掃除機で吸って雑巾がけです。1時間ほどで終り、取りあえず、なんとか落ち着きました。
 夕方、朝日ホールへ、BWV2001の演奏会に出かけました。11回目の定演です。 素晴らしい実力を備えた方々の集まりです。古楽器奏者が7名、合唱員8名で、曲により、 賛助出演者が加わります。先ず、最初は、G.F.ヘンデルの合奏協奏曲作品3の4です。 指揮者のいないグループですので、互いの呼吸を感じ取りながらの演奏です。 よく合っていて楽しめました。何より、古楽器から奏でられる音の色です。 ちょっと古さを感じさせる豊かな響きに、当時もこんな響きだったかもと嬉しくなりました。 後のプログラムは、J.S.バッハのカンタータ2曲と短いミサ曲でした。 これらの合唱は、これも実力十分のベテランソリスト8人の合唱グループによります。 まず、「目覚めよ!祈れ!祈れ!目覚めよ!」BWV70。 合唱が始まって、びっくり。ばらばらでした。それぞれが素晴らしいソリスト。 個性豊かな声質で、ハーモニーが全く合いません。あれ!と少々びっくり。 でも、素晴らしいのは、それからです。だんだん合ってきました。 特に、休憩後の後半に入りますと、4声2人ずつの個性豊かなソリスト達が、 互いに声質をぴたっと合わせてきたのです。それも魅力的な響きに。 ただ、聴いているだけの私は、とても嬉しくなり、十分楽しませていただきました。 バスの1人が、2月初めの、私の定演「マタイ受難曲」で、イエスを歌っていただいた小原浄二さんでした。 やはり、豊かな声質で素敵でした。
 昨日4月1日には、音大声楽科卒の若いお嬢様2人の演奏会を聴きました。 まだまだこれからの方々ですが、お客をそらせない楽しい演出やお話も上手で、笑いに包まれながら、楽しみました。 曲目も、さまざま取り混ぜて、とても楽しく聴かせていただきました。 これからの成長を願っています。いい方向に育つといいなあ!!

月20日(火・祝) 20 12年   

 今日は、「春分の日」祝日休日です。良いお天気でした。 可なり寒いながら、爽やかに晴れ渡り、気持ちの良い一日でした。 お布団カバーなど良く乾き、さっぱりしました。 手入れを殆どしない庭では、彼岸桜が、濃いピンクのつぼみをほころばせ始めています。 この彼岸桜は、花屋さんで、3年ほど前に買ってきて、大きな花瓶に差しておいたところ、 根を出していたので、そのまま、庭の土にただ挿しておいただけでした。 ところが、翌春、10輪ほど花を咲かせてくれました。 今年は1m2,30cmになり、沢山つぼみをつけてくれています。 25,6年前に買った黄梅が背丈5〜60cmですのに、黄色い花を今年も一杯咲かせてくれています。 ミニ水仙も鉢一杯に球根を増やし、3つの鉢で可愛い黄色の花が所狭しと咲き始めてくれています。 薔薇が今春も元気に芽を出してくれています。 もう少しすると珍しい?紫色のフリージャが咲いてくれるはずです。今は、葉だけを伸ばしています。 「オダマキ」も葉を茂らせ始めています。「もっこうバラ」の勢いの良いこと。 お行儀悪く、やたらに枝を伸ばし、可愛い花を所狭しと咲かせてくれるはずです。種がこぼれ落ちるままにした 風船かずらが、そろそろ芽を出すはずです。 ごくたまにしか撒かず、植えず、手入れをせず、時々邪魔に伸びた枝を切り、 たまに、草を抜くだけの狭い庭ですが、自然はどうしてこの様に忘れずに巡ってくれるのでしょう?  そうそういつ植えたか忘れたヒヤシンスが、今春も葉を伸ばし、小さなつぼみを覗かせてくれています。 ご老体で半分折れかかっている花桃もつぼみを膨らませ始めています。素晴らしい自然の勤勉さです。
  ところで、先月末と今月初めに、バッハの「マタイ受難曲」を2回聴きました。1回は、ライプツィヒの聖トーマス教会聖歌隊の演奏です。期待しましたが、とても慣れた気楽な演奏でした。「マタイによる福音書」に基づく物語の展開が良くわからない演奏でした。字幕は、丁寧に挿入されていました。「クール・ドゥ・シャンブル」が昨年8月に、演奏させていただいたあのトーマス教会で、毎年聖金曜日に受難曲を演奏しているはずだと、 礼拝堂の響きを思い出しながら、聴きました。少しチケットが 高かったためか、可なり空席が目立つ演奏会でした。もう一回は、アマチュアの合唱団でした。 こちらは、「初期稿」版でした。どなたも一生懸命の演奏でした。こちらも、福音書の受難の展開がわかりにくい演奏でした。 第1曲のコラールは、フルートでの演奏でした。ソリストさん達は、役柄、内容に、メリハリと説得力を持たせて演奏してくださると嬉しかったのですが。 休憩が10分で、余りに短いかなと、ホール使用時間が5時までとして、開演を1時半とし、3時間に及ぶ演奏時間をこなすアマチュア合唱団には、苦肉の策ということでしょうと思いました。

月26日(日) 20 12年   

 前回書きましてより、早や4ヶ月になっています。その間に、冬が来て、そろそろ春、早春の陽気になっています。 この間にお正月があり、お年賀状を注文・送付がありました。何より、私達の第8回目になる定期演奏会がありました。 演奏時間3時間になる長大なJ.S.バッハ作曲「マタイ受難曲」を2月5日(日)に、無事に行いました。 この4ヶ月は、そのための準備と完成・終了です。 先ずは、「マタイ受難曲」定演の追い込み練習があり、定演でお配りするプログラム作成、全曲の対訳作成と本当に大忙しの連続です。 結局、原稿の量が多く、2冊に分けることになりました。 団員達の知恵が集まり、今まで以上に、素晴らしいプログラムが出来ました。 団員全員が、文字通り、一丸となって、それはそれは、一生懸命に準備しました。 必要な仕事をしっかり把握し、それぞれの担当を率先して、全員に割り振ってくれた団員がいてくれました。 又全員が、忙しい本職の合間に、少しでも参加したいとチームワーク大変素晴らしく、準備しました。 何しろ、少人数の合唱団である私達にとっては、曲が2重合唱に2重オーケストラという長大な「マタイ受難曲」で、 しかも会場が、慣れない、初めての第一生命ホールでした。 このホールについて、団員は、当初、時期が寒いであろう2月初めになってしまったこと、 私達の調布という生活圏から多少遠いということなどで不安な思いも少なくなかった様子でした。 (前回までは、隣の市、府中のウィーンホールでした。)今回は、ウィーンホールが抽選に外れ続け、 さらに、ステージが狭いことに思い至り、張り出しステージに出来る第一生命ホールに決めました。これは、大成功でした。 ただ、客席数が、ウィーンホールより200席ほど多く、700席余りですので、 団員一同、思い切って今までに無く、チケットの配布・販売に頑張りました。 ところが、年明け、本番が近づくにつれ、チケットがどんどん出て行き、座席数を越えそうになって来ました。 そこで、率先して手を挙げてくれた団員が、販売済みのチケット枚数を確認することになりました。 これが、とても大変で、本当にご苦労さまでした。読みの難しさです。 1月半ば過ぎになりますと、電話やメールでの折角の購入注文をお断りする事態になりました。 ホール側から、当初より、座席数を決して越えない様にと言われていましたので。 本番の蓋を開けてみますと、可なり空席がありました。 ただ、私達として最多、座席の8割くらいの大変多くのお客様がお越しくださいました。 教訓としましたは、アマチュアである自分達の実力を考え、 遠慮して、無料で配布する方が可なりいたためでした。 ただ、どこの合唱団も同様ではと思われます。合唱団は、どこもアマチュアの集団ですので。 本当は、私達の定演は特に、毎回も同様ですが、合唱員はアマチュアでも、 ソリストは全員、バッハ演奏の現在日本でのトップクラス、 オーケストラもコンサートミストレス初め、古楽演奏のトップクラスが揃っていて、 本当にこれ以上ない、素晴らしい陣容です。 この方々の演奏を聴けるという大変価値のある機会ですから、堂々と販売してよいのですが、 謙虚な団員達は、中々割り切れず、悩むことになります。 ただ、来て下さった方々も必ず何か持参なさいますので、 いくらかででも販売した方が双方にとって良いと考えますが、本当に難しく悩ましい点です。 結果として、配布・販売チケット枚数の確認が難しくなります。 しかし、全て、止むを得ないとの結論に なります。どなたも、心優しく、勤勉なことが良く判っていますので。
 ところで、演奏そのものについてです。私としては、もっと完璧にと願っていたわりには、 何故か神経が集中し続けられず(全体の演奏時間が長く、体を動かさずにずっと立ったままで、 指揮せず聴いている時間が長く、 また指揮していても繰り返しの多い長いソロが続いたためかも)、少し満ち足りない演奏でした。 が、大切なのは、お客様の感想です。大変高評でした。絶賛して下さる方も多く、 合唱は勿論、エヴァンゲリストの暗譜に近い熱演、イエスの堂々と格調ある熱演、 その他ソリストの皆様共に、本当に素晴らしいとの感想でした。 私も、このような大変多くの好意的な感想をいただき、大変嬉しく、 素晴らしい経験を積むことが出来ました。 団員と共に、非常に得がたい貴重な充実したひとときでした。
 「マタイ受難曲」の演奏会は、毎年いろいろな合唱団が行っていますが、 今年は、何故か、特に多いように思えます。 今月末の聖トーマス教会聖歌隊を初め、BCJも、4月の聖金曜日に演奏します。 他にも、早速3月や7月などにも演奏されます。 日本人のクリスチャン人口は、決して多くなく、むしろ少なく、私も信者ではありません。 ですが、バッハの曲に魅せられている人口は多いように思います。 ただ、同じ方々が、あちこちの合唱団にその時だけ参加して、 歌い、また何度も聴きにいくという状況も考えられます。 私も、今年も何度か聴かせていただくつもりでいます。 実は、私に近い身の回りでは、全く無関心な人々が多いのですが・・  私が16年半もバッハとモーツァルトを集中的に演奏して来ているにも関わらず??
 前にも、書きましたが、日本人のバッハ研究学者でも、特に著名な磯山先生初め、 バッハの作品の全訳で権威のある杉山好先生、 モーツァルト研究学者の権威で、著名な海老澤敏先生なども、クリスチャンではありません。 音楽そのもに魅せられて、研究を続け、素晴らしい業績を多く、積み重ねていらっしゃるということです。 でも、宗教についての知識として造詣も必然的に深いはずです。 私も、全く及ばずながら、多くのことを可なり深く、学ぶことが出来ており、 いろいろ考えさせられています。 中東地域での紛争を見ていても、イエスの生涯を垣間見ても、何千年の長いときを経ても、 なお、宗教とは?の疑問は解けません。私は、気楽に、あれこれ何でも演奏できる、この日本で、 又日本人で本当に良かったとますます実感しています。   (今日は、随分長くなってしまいました。お読みくださる方に心から御礼申し上げます。)

10月20日(木) 2011年   

 十月も20日そろそろ寒さを感じる陽気になっています。 毎年、そこここからほのかに、しかし思いのほか強い香を放って、存在を知らせ、 秋の到来を気づかせてくれる木犀(もくせい)の色鮮やかな花も散り急ぎ、落ち葉が舞い始めています。 庭の隅に立つ柿の木では、柿が日に照らされて美しく色づいてきています。 この柿は、植えて、もう35年ほど、以前は、生り年、不作の年ときちんと1年おきでしたのに、 近年は、感覚がすっかり狂った様子で、この数年、毎年春の終わりごろに、正にこれでもかと鈴なり様に実をつけ、 夏の到来と共に、雨につけ、風につけ、これでもかと落果し、 先月の台風ではすっかり落ちてしまったのではと思えるほど、落果しました。 ところが、日に日に色づき始めると存在を現わし、まだまだ可なり沢山枝に留まっていることに気づかされています。 これはどうしたことかと不思議な気がしています。 そろそろご老体になり、感覚が狂ってきているなのかどうか?それとも陽気のためか?  いずれにしても、既に食する人がすっかり少なくなっている我が家なので、 まだまだ沢山生っている美しい実を見上げながら、どなたか食してくださらないでしょうかと願っています。 もっとも真っ先においしそうなのから目ざとく食してくださるのは、小鳥さんたちです。 ところが、小鳥さんたち、人間のように最後まで、すっかり食べて下されば有難いのですが、 つまみ食いが多く、それがぽたぽたと落果して、無残な姿で地面にたたきつけられ、 始末するのは私です・・・?

 「マタイ受難曲」の練習は、また、最初から始めています。 10月になりましたので、第1グループと第2グループに分けました。 一応、希望を聞き、出来るだけ希望に添うよう?にと考えました。意外にまずまずだったと思っています。 合唱を2つに分け、左右からの掛け合いやユニゾンによる、 そのステレオ効果を狙った構成に今更のように感心しながら、練習を進めています。 つまりは、宗教オペラですから、聴く方々に、解かり易く演奏したいと考えています。 これから、十分に考えを深めて行きます。

 19日(水)東京文化会館小ホールで、ロバート・レヴィン(ピアノ)とチャールズ・ナイデック(クラリネット)のデュオ・リサイタルを聴きました。ブラームス作曲「クラリネット・ソナタ」第1番と第2番、シューマン作曲「幻想小曲集」(オリジナル版)、珍しかったのは、クララ・シューマン作曲
「3つのロマンス」 というプログラムでした。 珍しかったのは、使われた楽器です。作曲された当時の楽器ということでした。 ピアノは日本人の所有だそうですが、実際に、ブラームスが弾いていたというとても風情のある形状で、 シュトライヒャー作だそうで、音がとてもまろやかで柔らかく、私にはとても心地良い響きでした。 反面、現代のコンサートグランドピアノのようなきらきらした響きはありません。 又、クラリネットの方もオッテンシュタイナー作で、 この音を聴いたブラームスが、作曲心を強く刺激されて、 これら「クラリネット・ソナタ」を2曲作曲したという楽器を使用しての演奏でした。 こちらも、とてもまろやかで美しく、演奏者の技術の素晴らしさもあって、 終始耳の底にいつまでも記憶される暖かい響きでした。

月14日(水) 201 1年   

  「中秋の名月」は、今週の月曜日12日でした。空が良く晴れ、久しぶりに、皓々と輝く素晴らしい月を眺めました。 それにしても、残暑の厳しいこと。 今日も日中は、32,3度くらいでしたでしょうか?日傘を差していても大変な暑さでした。 日が暮れ始めると涼しい風が吹き初め、虫の音と共に、秋を感じ るようになりますが。
 ところで、 8月22日から29日の予定で、 バッハの足跡を訪ね、ゆかりの教会の礼拝堂の響きを体感するドイツ北東部演奏旅行を行いました。 もともと少人数の合唱団ですから、都合を合わせて、旅行参加できる人数も限られます。 漸く20名の参加で、4パートで歌うのに丁度良い人数でした。私を入れると21名です。 この人数で、4声で歌える曲ということで、現在練習中の「マタイ受難曲」のコラール全曲と「ヨハネ受難曲」終曲のコラールを持っていきました。 約30分の演奏時間です。先ず訪れたのは、生誕地アイゼナッハです。 8月23日に、幼児洗礼を受けた聖ゲオルク教会で、カントル シュテッツナーさんにパイプオルガン伴奏をお願いし、 聖歌隊席で演奏させていただく、貴重な経験をしました。これに先立って、近くの元修道院の地下で、約1時間練習もさせていただきました。 ところが、私は初めて知ったのですが、なんと! この教会では、毎年クリスマスの時に、 「マタイ受難曲」を演奏することになっているということです。イエスがお生まれになるお祝いの日に??と思いますが、 受難は、再生の始まりと言う考えがあるようで、私ははっと思い至りました。 普通、受難曲は、信者達が、十字架刑に処せられるイエスを思って喪に服する2月頃から始まる復活祭へ向けての四旬節に演奏されるものと 思っていましたので、その柔軟さに、驚き、感心しました。 若いガイドさんは、聖歌隊の1員で、もう、「マタイ受難曲」のソプラノを18回も歌っていると話していました。ところで、 私達の演奏時間は短いので、本番が早く終り、この後は、町外れの小高い丘の上のヴァルトブルク城へ行きました。 16世紀前半、追われる身で、匿われていた宗教改革者マルティン・ルターが、新訳聖書のドイツ語訳を完成させた場所で、 築城は800年前という大変古いお城です。 私は、2回目なのですが、その後、世界遺産に登録された為か、とても綺麗に整備され、 ]日本語の解説テープも聞かれて素晴らしく、訪れる観光客の多さにびっくりでしたが、 15年ほど前に訪れた時のまだ整備されず、崩れかけて壊れているような所もあった素朴な風情の様子が懐かしく思い出されました。 翌日24日もまた、爽やかな晴天に恵まれ、バッハが18歳で、正式のオルガニストとして、 初めて就職できた新教会(現バッハ教会)のあるアルンシュタットを訪ねました。 ここでも、許可を得て、祭壇の前で、アカペラで歌わせていただきました。 続いて、1度目の結婚式を挙げたドルンハイムのバルトロメウス教会を訪れました。 大変好意的に接していただき、パイプオルガンを弾かせて頂きました。 オルガンにより違いますので、勝手にいじっては失礼ですから、ストップの使い方を伺い、 私が伴奏をして、参列者席を見下ろせる2Fのオルガンのそばで歌わせていただきました。 こじんまりとしたとても可愛らしく素敵な教会で、横浜のグループの浄財により、修復されたと伺い、私達もそのお蔭を受け、感謝しました。 次に、ヴァイマールを見物しました。ゲーテやシラーなど多くの作家や音楽家ゆかりの街で、バッハは、宮廷音楽家として働いていました。 夕方、いよいよ、バッハ終焉の地ライプツィヒに着きました。翌25日は、聖トーマス教会での演奏です。 朝9時より、契約の予定より大幅に越え、40分ほど練習させていただきました。 本番は、午後2時からで、礼拝堂正面、バッハのお墓の前、つまり祭壇に上がる階段に並んで、歌わせていただきました。 ここでは、全曲アカペラで演奏しました。演奏後、外へ出ますと、入り口の階段やその近くに、 スペインからのシルバー旅行団体がたむろっていました。 30人くらいでしたでしょうか。 その一人、男性が、先程私達が歌ったコラールを口ずさみ、指揮をする様に手を振りつつ、一緒に歌いたい様子で声をかけて来ました。 そこで、わが団員達も喜んで、彼の指揮で、2曲一緒に歌いましたら、 近くのバッハ像の立つ木立の中や広場の周りにいた可なり多くの方々からも拍手され、とても和やかな交流が出来ました。 私の想像通り、コラールは、プロテスタントの信者の方々には、心の歌であり、とても親しみを持っている様子で、 リハーサル中にも、ガイドさん達も、口ずさんでいました。この後、ヨーロッパの夏の日は長く、夕方まで時間があります。 自由時間ですので、ライプツィヒは3度目の私もまだ訪れたことがなく是非にと思い、仲間の半数ほどで、1CEで1時間ほどのケーテンに行きました。 ケーテン駅はれっきとしたドイツの国営鉄道の駅ながら、本当に素朴な淋しい風情で、駅前は整備され、花や案内板も一応あって、小奇麗でしたが、 がらんとしてローカルな佇まいでした。 バッハが、ライプツヒに就職する直前まで、華やかに働いていた宮廷のあった街です。 お城がどこにあるのか、とても静かな街で、道行く人も少なく、お年寄りならと尋ねても分らず、困りましたが、漸く訪ね当てました。 近づいた頃、お城の中から、教会の鐘が少し重いながら、街中に良く響き渡って鳴り続けていました。 西日の日差しが照り映える、確か、夕方の6時だったでしょうか?  漸く辿り着いた、些か放置されて古ぼけてはいるものの、堀に架けられた道路のような橋を渡って、 5階建てほどの大きな建物の下に門のような通路があり、くぐると中庭に通じている城の佇まいに、 在りし日の雅な繁栄を思いやり、一同感慨もひとしおでした。 また壁面に掲げられている四方を堀に囲まれた立派な城の当時の図を見て、往時を偲びました。 更に、団員が調べていて、存在するはずと言いながら、どこにあるか分り難かった、ケーテンでの在職を記念するバッハの胸像にも、 丁度犬の散歩中の親切な女性の案内で、無事訪れる事が出来、大満足で、ライプツィヒに戻りました。 いずれの団員も歩き回り、可なり疲れていました。 が、次の日26日は、バッハが、トーマス教会と共に、最も重要な仕事として受け持っていた聖ニコライ教会での演奏です。 こちらでは、若いオルガニストが伴奏して下さる事になっていて、 夕方5時からの本番は勿論、午前中12時ごろまで2時間近くのリハーサルにも、大変にこやかに快くお付き合いして下さいました。 オルガン側から参列者席へ向けて、また礼拝堂全体に響く、その共鳴する響きの確認を繰り返し試させていただきました。 「マタイ受難曲」第1部終曲のコラールの全く高音でない主旋律を、どうすれば、音高としては上に被ってくる下声部に消されずに、 響かせられるのかを何度も試して実感できました。とても素晴らしい収穫でした。 何といっても、本来、聖歌隊は少年達で、透き通った少年の声で歌われます。しかし、わがメンバーは、可なりの年配です。 しかしながら、すっきり些か鋭く高めに発音することにより、良く透る響きになります。 夕方の本番演奏後、ドイツ国内からのご夫婦旅行者から、とても良かったと声をかけられ、録音が欲しいとご住所まで教えて下さいました。 また、夕食のレストラン「アウエルバッハス ケラー」の前でも、やはりドイツ人ご夫婦から演奏を聴いてくださったようで、良かったと、 ニコニコして声をかけられました。予定の演奏はこの日で終わりです。 翌日27日は、ドレスデンへ、やはり1CEで出かけました。 この日は、些か寒く、雨模様でした。旧市街を一巡り、マイセンタイルで埋め尽くされている「君主の行進(行列)」を見、 ツヴィンガー宮殿の美術館で、フェルメールなど観賞し、エルベ川を見渡し、外に入場待ちの行列が出来ていた再建されたきらびやかな聖母教会を見、 近くの聖十字架教会では祭壇の前で、急遽、アカペラで歌わせていただきました。 聖母教会と正反対に大変さっぱりすっきり装飾の何もない礼拝堂の響きの素晴らしかったこと。 耳の奥に残って忘れがたく、今回の演奏旅行中、随一の素晴らしく共鳴した響きを体感できました。 後で、もう一度寄ると、土曜日午後のためか、少年達の聖歌隊が練習していました。ガラス越しでしたが、 やはり素晴らしい響きが聴こえてきて、このような環境で練習できる子供達の貴重な幸せを思いました(余りに良すぎるのも?と頭をよぎりましたが 。余計ながら、昨年12月に聴いた聖十字架教会聖歌隊の「マタイ受難曲」を思い出しながら)。 ということで、今回の「バッハゆかりーーバッハが聴いていたであろう・・・まずまずーーの教会の響きを体感する演奏旅行」は、 訪れた教会全て、つまり6ヶ所の礼拝堂全ての「ひびき」を体感することが出来ました。 最後の日28日は、ベルリン テーゲル国際空港から帰国です。 ところが飛行機が不調で飛ばず、結局、夕方の便で、ヘルシンキへ行き、1泊することになりました(利用航空会社が、フィンランド航空でしたので)。 翌29日夕方、ヘルシンキ ヴァンタ空港発の便で、日本時間30日朝丁度1日遅れで成田着、全員元気に無事帰国しました。 おかげで、3〜4時間、思いがけず、ヘルシンキ市内を、大きな階段上に立つ大聖堂を、さらに港近く塔の林立する東方教会を訪ねたり、 2隻も客船の停泊していた港に行ったり、散策しました。ムーミングッズに夢中の方もいました。 今回のドイツ旅行で、珍しい光景と思ったことは、風力発電の風車が、はるかかなたまで見渡せる、なだらかな起伏の中、あちらこちらに林立していました。 更に、ドイツは灯りがどこも日本より可なり暗い様子で、当たり前に思っている日本の余りに明るい様子を思い、 日本は電気を使い過ぎているとつくづく実感しました。 そんなに明るくしなくても良いと、又そのほうが神経に刺激が少なくて、気持ちが休まると思った旅でした。 また、ドイツ人女性のガイドさん2人にお世話になりましたが、2人とも、大変豊富な知識を持った、優秀で、とても人柄の良い方々でした。 ガイドとして、依頼人気の高い方々だったようです。 今回は、お世話になったどのドイツの方々、どなたも大変好意的に接してくださいました。とてもラッキー!デシタ。
 この合唱団では 、演奏旅行は2回目でした。前回は、3年前で、バッハの作品とともに、練習する曲の中心に据えているモーツァルトにゆかりある教会の響きを、 やはり体感する演奏旅行でした。 モーツァルトが生まれ、働いていたザルツブルク大聖堂で、先方のオーケストラとソリスト、更に合唱員10名くらいの助演をお願いして、 ミサの中での演奏を受け持たせていただきました。正に、貴重な経験でした。曲は、孤児院ミサとヴェスペレでした。 さらに次は、同じ曲で、正に、そのために作曲依頼されたウィーンのゆかりの教会、孤児院教会でも、オーケストラ、ソリスト、聖歌隊10数人お願いして、 演奏会を行いました。この時も、私達には、日頃練習し、演奏会を行っている曲の、最もゆかりの深い場所での演奏を体感した演奏旅行でした。 これで、私達の合唱団が、長年取り組んでいるバッハとモーツァルトの作曲当時の響きを、バッハやモーツァルトが当時聴いていたでしょう、 その響きを、200数十年後(250年を越えて)ながら、体感させていただいた演奏旅行を行った事になります。 皮膚感覚で体験出来たことになり、合唱演奏を深めたい者には、大変幸せな経験です。

  ところで、肝心の「マタイ受難曲」の練習です。 本番まで、いよいよ5ヶ月足らず。のんびりしているわけには行きません。 コラール以外の合唱部分をまた集中して、深く練習します。演奏会の準備にもかかる必要があります。 役割分担を決めて、取り掛かります。

6月24日(金) 201 1年   

 一昨日6月22日は夏至でした。ここ数日、30度を越す暑さが続いています。 梅雨の最中のはずですが、今日は夏空が広がり強い風にあおられました。 前回4月11日に書きましてより、早や2ヶ月半ほどになっています。 この間にも、世の中の動きも含めて、いろいろありました。 まず、4月初めの予定をやむなく延期していた女声合唱団「花紬」の定演を、漸く、5月27日(金)に行いました。 お客様も多くお越しいただき、大変好評をいただき、ほっとして、大変嬉しかったです。 会場は、新大久保のルーテル教会の礼拝堂で、団員数が13名に、 助っ人のお嬢様達を入れても、18名という小人数の合唱には、丁度良い広さだったようです。 パイプオルガンとの共演も実現出来、初めての教会での演奏会は、 天井の高さも丁度良く、美しく共鳴して、響いてくれたようで、大成功でした。

 これより以前、5月の連休中のことです。 連日TVで、東北地方の観光客が激減して、旅館やホテルが困っていると報道していました。 特に、弘前城の桜祭りが、桜の開花も遅れていて、淋しい限りとか?  4月29日には、東北・秋田新幹線が運転再開されるとのこと。 長年の念願てあったお花見が出来るベストチャンスと、急遽、ホテルを予約しました。 今年は、何と連休中でも予約できました。5月5日〜7日に、角館から弘前へと出かけました。 以前、春先に行って、紐がぶら下がっているようでした角館の枝垂桜が、武家屋敷の塀の上、空高くから、 それは見事に咲き誇り、降り注いでいまして、堪能させられました。白い枝垂桜があることを知りました。 私は、桜の中でも枝垂桜が大好きです。(実は、滅多に見られませんが、みどりの花びらの桜が、特に一番好きです。)  6日に、秋田内陸縦貫鉄道という廃止のうわさもあるローカル線で、沿線の山すそや道路などにまだ雪が残っている様を見ながら、 鷹ノ巣へ行き、奥羽本線で弘前まで行きました。山々の頂きには残雪が美しく、空に映えていました。 弘前では、勿論、弘前城のお花見です。 天守閣は、3層ながら、何ともこじんまりと可愛らしく、広大なお城に不似合いな感じがしました。 江戸時代のなるべく控えめにせざるを得なかった様子が伺えます。 それは、兎も角、お城の上は勿論、お堀周りも、桜の木のものすごいとしか言いようの無い数の多さです。 更に、広いこと! 四方を囲む外堀の1辺の長いこと! 初めて見る、あまりの広さと桜の種類と数の多さでした。 そして、何とも堂々とした幹周り何メートと記されるほどの古木の多さ。一生分のお花見をした気分でした。 ソメイヨシノは、少し満開を過ぎた様子のもありましたが、お堀端に、ずらりとはるか遠くまで並んで、何とも素晴らしく、 お城の上では、微妙に濃淡のある、種類のいろいろな枝垂桜が今を盛りに咲き誇っていました。 丁度お天気も良く、太陽の光に映え、下から見上げますと青空に映えて、忘れられない美しさでした。 6日には、東半分を見て回り、7日午前中は、南側の追手門から入って西半分を見て回りました。 ヴォランティア ガイドさんに出会い、説明しながら案内していただき、 お城の外、江戸時代の武家屋敷や商家も見せていただきました。

   ところで、肝心の「マタイ受難曲」の練習です。目下、コラールを集中して、練習しています。 全部で、13曲ありますので、曲順に、音の確認は勿論ですが、先ずは、言葉の発音の確認です。 何と言っても、言葉や文章の流れ・内容が大切です。しっかり憶えたいです。 これが、簡単そうで、中々難しいのです。何度も繰り返し読んで慣れることでしょうと考えています。 コラールは、同じ音符が並んだり、音が可なり跳躍したりしても、それによって言葉がぎくしゃく刻まれたりせず、 先ず文の流れを大切に、自然な単語や文章の流れが聴かれるように、上手に音を乗せて歌いたいと練習に励んでいます。 イエスの残酷な処刑に到る様子を語っていく受難曲ですから、コラールはほっとする部分です。 イエスの信奉者達が、自分達の多くの罪の償いのために、 甘んじて十字架刑を受けるイエスに対して、心からの感謝と信頼、さらに、愛する心情を歌うのが、コラールです。 陰惨な話の流れのなかに、挟まれるソロの美しさも素晴らしいのですが、 やはり、コラールをしっかり、丁寧に、印象深く歌いたいと考えて、練習を重ねています。

月11日(月) 201 1年   

  3月11日午後2時46分、東北地方の太平洋沿岸、何と南北500kmに渡る巨大地震が起こりました。1000年ぶりとかの大地震です。 まさかと思うような大変な被害に何とも言葉がありません。私は、在宅中で、何度も大きな横揺れが長く続く様子に、震源はどこかと大変心配になりました。 出入り口を確保するなどし、外の様子など伺っていましたら、 2時間近くでしょうか、漸く一先ず治まった様子でした。 首都圏では、多くの帰宅難民が出、私の家族も翌朝帰宅する事態になりました。 我が家は、何も壊れず、倒れずに済みました。この東北地方に発生した巨大地震は、想定をはるかに超える巨大津波を派生させ、計り知れずの多くの人々を飲み込んでしまいました。 幼い子供も多く、残念で残念で仕方ありません。更に、何と福島原発事故という人災まで発生し、 その上、放射能漏れによって、栽培野菜や海の魚まで汚染され、 販売禁止措置されるに到っては、気の毒で、どうすればと思案します。 私など、同じ種類の野菜を食べ続ける事は殆どありませんので、 又、年齢から考えても、これから育つ子供達と違いますから食べても良いと考えます。 出荷停止措置などされているようですが、栽培農家の皆様には、正に人災が追い討ちをかけている様で、 何とか協力してあげたい気持ちです。福島原発のある双葉郡広野町に住んでいる知人は、 避難先の埼玉の知人宅と心配な自宅を行ったり来たり の落ち着かない生活が続いているようです。 避難勧告など出ていても、多くの方々は、一旦避難しても、落ち着かず、可なりの方々は戻っている様子だそうです。 この予断を許さない原発事故が何とか早く落ち着いて、どなたも自宅で生活できますよう、心から祈っています。
 ところで、特に地震被害の無かった我が家への最大の影響は、計画停電です。ここ東京、調布市でも行われました。 ただ、実際には、日中の3時間停電が4回、夕方からの停電が1回 (これは結局午後6時半から7時45分ころまでで、予定の3時間より随分短く終わりました)の計5回のみでした。 配電の事情によるそうですが、結局、調布市内で停電になったのは、何と3分の1程度のエリアのみだったようです。 一先ず、夏頃までは、停電は行われない 様子です。つかの間のローソクの火は、思いのほか明るく、心温まる灯りでした。
   ところが、大変困ったのは、私の合唱団が練習や演奏会で利用する公共施設 (調布市「たづくり」、府中市「ウィーンホール」、京王相模原線終点駅「杜のホールはしもと」)が揃って、我が家と同じ、計画停電の第2グループであることでした。 いずれの会場も殆ど使用不能状態に陥ってしまったのです。 最大の被害は、女声合唱団「花紬」です。 何度目かの抽選で確保した府中ウィーンホールでの定演予定の4月2日(土)が、3月20日ごろになっても、 殆ど使用不能状態の様子で、 結局中止の決心をしました。 しかし、折角準備している団員達が余りに可哀そうで、何とか実施してあげたく、懸命に会場探しをし、 漸く、5月27日(金)新大久保のルーテル東京教会での延期演奏会を決定しました。 それから、定演通知していた多くの知人達へ延期通知を大急ぎで発送しました。 勿論、府中ウィーンホールの広報には、中止と延期の情報も掲載していただきました。小さい掲示で見落とされがちの様子でしたが。危惧したように、当日それらに気付かれずにホールにお出かけくださった方がいました。 チケットセンターでお求め下さった方々でした。 この方々には、私達からはお知らせの方法がなく、ただ、ご連絡いただいて知り、ひたすら謝罪するしかありません。 チケット代金をお返しし、延期演奏会にご招待することにしました。 私は、この見知らぬ、チケットをお買い求め下さった方々に心から感謝しています。

   ところで、「マタイ受難曲」の練習は、2回目の通し練習が漸く終りに近づいています。 「ヨハネ受難曲」には書かれていず、この「マタイ」に書かれていますイエスの最後の叫び、「エリ、エリ、ラマ、ラマ アザブタニ」のところです。更に、もう一度、大声で叫ばれて、息を引き取られたと書かれている最後の瞬間の様子です。見守る群衆が「預言者エリアを呼んでいるんだ。エリアが助けに来るかも知れない! 見ていよう」と叫びます。そして、62番最後のコラール、この主旋律は、これで、5度目の使用です。その時々により、バッハは、調性を変え、Sは言葉による変化くらいですが、A,T,Bは全く旋律を変えて、ハーモニーの深みを変えています。次の第63曲では、通奏低音が32分音符を騒がしく響かせます。 この大量に続く32分音符の数を地震を語る数編の詩篇に関連づけるバッハ研究者もいます(試しに数えてみては如何でしょう?)。この通奏低音の激しい響きに乗って、イエスの死の瞬間に、神の怒りか、ユダヤ教神殿の幕が真っ二つに裂け、大地が揺れ、墓石が割れて多くの聖人達が蘇る様が語られます。これらの様子を見ていた、イエスを十字架に架けたローマ傭兵隊長達は、大変驚いて、「この方は、本当に神の御子なんだ」と言います。そして、たった2小節と1拍ながら、大変重要な群集の叫び、「この方は、本当に本当に神の御子だったんだ」と全員合唱で歌われます。この部分の 素晴らしい(すごい!と感じさせられる)作曲テクニックは、やはりバッハならではと思います。続いて、エヴァンゲリスタが、イエスを、慕い見守る人たちを語り、バスソロが、イエスの死後の静けさを語り、イエスの遺骸を受け容れたい信者の心情を、大変美しい変ロ長調の旋律で、12/8の揺れるリズムにのって歌います。この曲想も、バッハ のさまざまの曲で聴かれる雰囲気で、私の大変好きな響きなのですが、オーボエ ダ カッチャの2重奏にのって、何とも心休まる旋律が歌われ流れます。そして、いよいよ最後に到ります。この後 に3回目の通し練習? いえ、実は、コラールをしっかり練習し て、暗譜します。更に、集中練習の必要な合唱曲を取り上げて、練習します。その後に、3回目の通し練習に入ります。何とのんびりでかったるいとお思いの方も? 演奏時間が3時間にもなる「マタイ受難曲」です。演奏会にかける経費も多く、毎回府中ウィーンホールという破格に易いながら、歌いやすく、大変響きの良い公共ホールを利用していた私達、少人数の合唱団としては、次回の演奏会場第一生命ホールは、破格の費用がかかります。しっかり準備して、本番を迎えたいと望んでいます。

月12日(土) 201 1年   

 昨日11日から昨夜にかけて、東京では珍しく降り続く雪景色が見られました。 1日中、粉雪のような、さらさらとした雪が降り続き、道路上は濡れているだけですが、 人家の屋根や木々の雪化粧に風情があり、豪雪の便りが聞かれる地方の方々には申し訳ない思いですが、 久しぶりの光景に、少々嬉しいような懐かしいような気持ちがしました。 先週以来罹っていた、私には珍しくひどい風邪もどうやら今日あたりは治まり、 今日土曜日は、外出もせず、暫くぶりに一日のんびりしました。のんびりついでに、 本当に何年ぶりかで、ドーナツを作りました。皆育って、食べてくれる人もすっかり少なくなり、 私が食べたのではカロリーが気になり、思案するところですが、卵を入れないドーナツを作ろうというもくろみです。 先ず、外では、買えません。ミスター・ドーナツの店先に、強烈に香る?バニラの香り、 趣向が凝らされた様々なドーナツを時々目にして、簡単なものなら、私にも何とか作れそうと思いながら数十年?  どういう風の吹きまわしか、突然、思いついたのです。 まあ、丁度余った牛乳があって、どうしようかと考えていたのですが。 兎に角、大小10個くらい作りました。丁度連休中のことで、息子がやってきて、1個食べてくれました。 勿論私も食べました。でも2個が限度です。まあ、ゆっくり消化しましょう。 ところで、なぜ、卵抜きのおいしそうでもないドーナツをとお思いでしょうか?  そう、私は卵がだめで、カステラ、ケーキ、お正月の伊達巻、かまぼこ、なるとなどなど、一切頂きません。 ということで、大変久しぶりに、卵抜きのドーナツ、おいしかったです。 子育て時期は、私の作るケーキもドーナツも、すべて卵入りでした。 子供達が、皆卵アレルギーでなく、神に感謝です。私が味見することは?・・・それくらいでしたら大丈夫なのです。

  ところで、「マタイ受難曲」の練習は、2回目の通し練習が 半ばを過ぎ、全体の3分の2あたりです。ペトゥルスが、イエスの弟子だろうとしつこく追及され、身の危険を思って、 強く否定し、3度目に否定すると直ちに雄鶏が鳴くのが聞こえ、漸くイエスの預言を思い出すところです。 大急ぎで、外へ逃れ出て、激しく慟哭する部分の対訳を読み、改めて、学びました。 更に、No.39アルトのアリアの対訳を読み、No.40のコラールを歌い、ペトゥルスの苦しく、後悔し、 イエスを慕う心情を感じ取ります。続いて、イエスは、祭司長達によって、死罪と決められ、いよいよ(漸く?)、 ローマ帝国エルサレム総督ピラトの元に連れて行かれるところになります。 しかし、ここで、その様子を、裏切り者のユダが見ています。] まさかイエスが死罪の刑になるとは思っていなかった様子で、 すっかり後悔したユダは、売り渡した代価として受け取った銀貨30枚を、祭司長達に投げ返し、首をつって自殺するところです。 (どうして、ユダはそのような裏切り行為をしてしまったのでしょうか?  なぜ、十二使徒の中でユダがその役回りになっているのでしょうか?)  お金を返したのだから、イエスを返して欲しいと願い、祈るバスのソロを、 さらに、銀貨を投げ返された、ユダヤ教の祭司長たちは、これは、死罪にしたいイエスに支払われた「血の対価(代価)」だから、 ユダヤ教神殿のために使用するわけにはいかないので、代わりに、エルサレムへやって来て行き倒れる巡礼者のための墓地を作ろうと 陶器職人の畑を買うことにする部分、そうして漸く、ピラトの前に引き出されたイエスが、ピラトから訊問を受け始めるところになります。 これら語りの部分の対訳を読んで解釈しました。(現在のエルサレムの地図に、「血の畑」と記されています。)  次は、No.44のコラールです。このコラールは、マタイ受難曲に、5回にわたって出てくる馴染んだメロディーです。 勿論、言葉の内容は違います。と、この当たりまで、進んでいます。全体の話のながれ、多くの登場人物の心の動き、 ユダヤ教信者である民衆の心情、イエスを慕う人々の心情など、それぞれのつながりを整理して、 良く理解して歌いつないでいくことがとても大切です。 長い曲ですから、イエスが十字架にかけられるに到る話の進行を良く読んで、覚える必要があります。

 このところ、BCJの演奏会を続けて聴く機会がありました。 BCJの創立者であり、音楽監督でいらっしゃる鈴木雅明先生が、ここ調布に、もう30年来、お住まいということもあって、 調布市文化・コミュニティ振興財団とBCJが協定して、これから定期的?に、演奏会を行うことになり、その第1回目がありました。 1月27日に、「バッハ名曲コンサートin調布」として、調布市文化会館「たづくり」くすのきホールでありました。 曲は、コミカルな「コーヒー・カンタータ」、片手に持って、自在に演奏される、 単なる管のみで作られたナチュラル・トランペットの演奏を含む宗教カンタータBWV51などでした。 トランペットのピッチの難しさを少し感じましたが、素晴らしい、珍しい演奏でした。 また、コーヒー・カンタータも楽しめました。何より、この演奏会は、その演奏者達の面々の素晴らしさです。 第1回目ということもあってか、鈴木先生の意気込み・心意気を感じさせられ、 コンサートマスター初め、BCJの重要メンバーが揃っての出演でした。 さらに、2月4日には、2月定演の公開リハーサルを、やはり「くすのきホール」で聴きました。 1時間でしたが、次週、本番の定演を聴く予定でしたから、とてもよい経験になりました。 そして、2月10日(木)に、オペラシティー大ホールで、定演本番を聴きました。宗教カンタータ4曲です。 珍しくアルト・ソロのカンタータBWV170が楽しめました。 BCJおなじみであるイギリスのカウンターテナー ロビン・ブレイスのソロ演奏でした。 大変安定した声と歌い方で、素晴らしかったです。 ただ、何年か前、まだ随分若く、初めて聴いた時の軽い澄んだカウンターテナーの声に、驚き、感動した印象が強いので、 ちょっと年齢かな?を感じました。最後は前週リハーサルを聴いたBWV149のカンタータでした。 この曲最後のコラールの前曲、アルトとテノールのデュエットでは、ファゴットソロが伴います。 リハーサルの時にも、感じたのですが、デュエットの互いのハーモニーが、またファゴットのリズムが今ひとつ、しっくりせず、 リハーサルの時よりは、本番は良いと感じましたが、私には、居心地の悪い思いをしました。 この様に、2週間の間に、BCJを3回聴く機会があり、有意義で、とても楽しめました。

   余談ですが、調布での公開リハーサルで(定演で再度) 聴きました2曲のカンタータBWV174とBWV149の終曲のコラールは、ヨハネ受難曲の終曲のコラールと全く同じで、 特にBWV149の方は、言葉も、ヨハネ受難曲と全く同じです。 しかし、これらのカンタータは、いずれもお祝いの曲で、コルノ(ホルン)やトランペットが高らかに奏でられます。 受難曲は、正にイエスが十字架にかけられ、お亡くなりになる、いわばお葬式の曲です???  この全く、反対の目的のために、言葉まで同じ曲を、楽器編成を違えて、バッハは使っています。 大変大忙しだった様子のバッハはこの様に、しばしば使いまわししています。 ということは、受難曲そのものは、普通は、復活祭までの四旬節期間に演奏するのですが、 コラールだけなら、年間いつでも良いとなります。バッハもそのように考えていたということになります。

12月13日(月) 2010年   

  気が付けば、今年もあと半月ほど、毎年ながら、え!? という思いはありますが、 この様にして、年を重ねて来たのだなあと思い返しています。今日は朝から雨模様ですが、 東京は通常、晴ればれとする青空に恵まれた晴天が続きます。 日本海側から東京に来た方々は、この青空を見て、不思議な思いもなさるとか?  日本海側は、冬は、雪模様の曇天続きのようですから。その代わり?雪に包まれる暖かさを経験できるようです。 私は、生まれてこの方、住んでいた、また住んでいる所が余り雪景色に恵まれていず、折角秋田や弘前に2月、3月に出かけても 、積もっている雪は見られますが、どういうわけか、空が珍しく、晴れ渡っていて、雪がきらきらと美しく、 目がまぶしい景色ばかりです。しばれる猛吹雪とはどんな感じかと期待して、3回ほど出かけましたが、いずれも残念でした。 もっとも土地の方はご苦労なさっているでしょうから、物見遊山では申し訳ないのでしょうが。最近は、雪が少ないとか?

  ところで、「マタイ受難曲」の練習は、2回目 の通し練習が進んでいます。昨日12日は、第1部の終り、イエスが、捕縛されるところの第27曲で、 ソプラノとアルトの2重唱に、相対する合唱部分とそのあとの合唱を練習しました。 これは、中々難しく、何度も繰り返して練習する必要があります。 イエスを信奉する人たちの激しい怒りの心情を理解して、速いテンポで激しく厳しく歌います。 28曲目では、イエスの弟子が、イエスを捉えに来た輩の一人の耳を切り落とす場面を、対訳を見ながら、訳しました。 イエスが、「剣を手にする者は、剣で滅びる」と言って、剣を鞘に納めるよう諭す場面です。 次回は、27曲目の練習に加えて、第1部の終曲、第29曲を練習予定です。 勿論、目下、2回目の通し練習中ですが、可なり忘れていて、一から練習する気持ちです。

 この秋も、様々な演奏会を多く聴きに行きました。軽いものものから、宗教曲の大曲などまでです。 中で、目からうろこ状態に感心しましたのは、国立音大のサクソホーン専攻科の発表会です。 その演奏会を聴きに行くというより、丁度次回定演のホールを思案中でしたので、 改めて、府中ウィーンホールの広さや響き具合を確認したくて、 丁度都合が良かったので出かけました。ところが、びっくり、4重奏が多かったのですが、 いずれのステージも、シャープで複雑なリズムと、微妙な音が重なり、スピード感溢れる大変速い曲のながれが、 とても素晴らしく、互いの呼吸がぴったり良く合っていて、何とも心地良く聴くことが出来ました。 サックスってこんな感じだったかしらと、すっかり見直す思いでした。 さらに、アメリカから、2週間の予定で、国立音大にいらっしゃっているというサクソホーン演奏家の大学教授のゲストソロ演奏がとても柔らく澄んだ音色で、 今でも、耳に残る素晴らしさでした。
  もう一つ、これも大変素晴らしい演奏をつい先日聴きました。 渋谷駅の南方、徒歩5分ほどに、最近杮落としをした渋谷区文化総合センター大和田内 さくらホールでありましたバロックオペラです。 17世紀イタリアで熱狂的に好まれていたらしいオペラ作曲家フランチェスコ・カヴァッリの作品で、オペラ「カリスト」(ヒロインの名前)です。 このオペラは、今回日本初演でしたが、当時も、そんなに繰り返し演奏されたのではないようです。 話の内容は、ギリシャ神話の神々と絡めての愛の展開で、オペラ一般にあるように、さほど意味深いものではなく、 最後は、先ずはめでたしになります。ただ、すっかり魅せられたのは、出演者の演奏の素晴らしさです。 私は、ダブルキャストの2日目、12月5日(日)のステージを観たのですが、 出演者全員が、声も演技もそれぞれの役柄にぴったり合っていて、大変良い演奏でした。 何より、どの方も、良く響いて張りのある、澄んだ声で、それぞれの音を、気持ちよく、しっかり乗せて歌われていて、 新しいホールに良く響き、最後まで、大変満足して聴かれました。役柄と歌手の声質が大変良く合っていて、 企画・演出なさった方々の力量の深く高いことに改めて感心しました。
  更に、12月3日(金)夜、サントリーホールで、ドレスデン聖十字架教会聖歌隊のJ.S.バッハ「マタイ受難曲」を期待して、聴きに行きました。 可愛い少年達の聖歌隊がオーケストラの後方に、左右に分かれずに 、ずらりと並んていました。管楽器は、聖歌隊の前、中央にオーボエ類2+2の4本、 その少し前左右にフルート2本ずつ、真ん中の向かって左に、ポジティフオルガン、右にチェンバロの配置で、ソロによって、使い分けていました。 ヴィオラ・ダ・ガンバは、指揮者の正面です。オーケストラは、第1と第2の2重編成で、左右に位置していました。 さて、演奏です。大変慣れた、非常に気楽な雰囲気の演奏でした。 何と言っても、バッハの時代、ドレスデンは、プロテスタントの中心、ザクセン選帝侯のお膝元の都市です。 演奏も、自分達の曲を体の中から演奏しているという感じで、肩の力がぬけた雰囲気で、なるほどと知らされる感じでした。 バッハは、聖トーマス教会の聖歌隊を使って、演奏していたはずですが、実際にどんな響きを聴いていたのかと考えさせられました。 こういう可愛い子供の声を聴きながらだったのだろうかとか。 さらに、少なくとも、今日私達が手にする楽譜は、2重合唱の効果を意図しているように受け取れます。 しかし、先日のドレスデンの演奏は、余り明確な2重合唱の効果を聴き取れませんでした。あんなのでいいのかな?  曲のよって重合唱に分けて書かれている 部分でも、TもUも余り明確に分かれず、あの程度で良いなら、気が楽だなあとも感じました。 冒頭曲のリピエーノは、さほどクリアーに聴こえず、又、第一合唱群と第2合唱群の掛け合いも、 明瞭でなく、更に、どちらかが歌うはずのところも、全員一緒に歌っていて、2重合唱に書かれている効果が、大変曖昧になっていました。 確かに、第1合唱群が歌う時は、第1のオケが、第2合唱群が歌う部分では、第2のオケが演奏していたのですが、 良く慣れていないお客様たちには、通常解説されているイエスに対する立場の違う合唱の掛け合いが明確には分らなかったのではと思いました。 私達の本番で、どのようにするのがベストか、良く考えていきたいと考えさせられる演奏を聴きました。

9月24日(金) 2010年   

   昨日23日(木)は、秋のお彼岸のお中日で休日でした。三日前の21日(火)、1昨日の22日(水)は2日続きの大変素晴らしい晴天で、 30度を越す暑さでしたが、昨日は雷を伴う激しい雨に断続的に見舞われ、何と10度近く気温が下がりました。 夜になるにしたがって、些か寒い感じになってしまいました。夜分には、しっかり布団を被って休むほどになりました。 今日24日もセーターを着込むほどの涼しさで、現在午後4時の気温は21度ほどです。  昨夜、兵庫県の丹波篠山の知人に、用事で電話しまして、ついでに中国山地の端に位置する盆地ですから、 東京よりは少し涼しいのではと尋ねましたら、東京と同様、猛暑の後、1日で10度も下がったとのことでした。 更に今夏の酷暑、又残暑の厳しさに、体調の管理が大変でと、このところ大変な暑さ続きでしたことを話し合いました。 ただ、黒豆の生育は順調のようです。人口の減少を食い止めようと街を挙げて、いろいろ工夫をしているのですが、 功を奏するといいなあと願っています。全体がこじんまりとした城下町で、お城の石垣とそれを取り囲む内堀、外堀、 更に馬出しが綺麗に残っていて、城下町の基本構造を一目で知る事の出来る大変良い見本のような佇まいです。 メイン通りの重要な街角々を中々立派なお寺がしっかり守っているのも、昔を忍ばせます。 両親の郷里なのですが、是非訪れてみてください。 春のお堀端の見事な桜並木、秋の王地山(街の東端)のもみじ、さらに春日神社の秋祭りには、大きな5基の山車が街を練り回ります。 また能舞台での能の奉納などもあります。夏のデカンショまつり、その他にも、たいこみこし祭などもあるようです。 (実は、これ以上詳しくは、そんなに知りませんが、落ち着いたほっとする街である事は確かです。 ネットでいろいろ詳しく宣伝されているはずです。)
   ところで、「マタイ受難曲」の練習は、9月に入って、漸く2回目に入っています。また改めて一からじっくり進めています。 第1曲目は、第1合唱群(シオンの娘)と第2合唱群(信ずる者達)が掛け合いで歌い、その上にかぶさって、 ソプラノリピエーノがコラールの旋律を歌います。この互いの関係が分るようで、以外に理解し難いのですね。 お互いの存在を主張しながら、充実した演奏が出来るようにまとめて行きたいものです。 さらっと歌ってしまわないで、歌うメンバー達がお互いの関係を感じ合い、理解出来て歌えるようになりたいのですが・・  バッハに関する幾つかの本や「マタイ受難曲」に関する本を参考にしても、この「シオンの娘」と「信ずる者達」について、 私に良く理解できるようには、なかなか書かれていません? 大体そうなのかなという程度です。 その程度でも仕方が無いのでしょうかと思っていますがもう少し分りたいと思えるのです。 自由詩を実際に書いたCh.F.ヘンリーツィ・ピカンダーの考えだそうですから、 また、バッハもそれに従って曲を書いているということです。 この両者の対話とコラールの重なりが、特に冒頭の第1曲では、大変効果的な構成を形づくっています。

月10日(土) 2010年   

   まだ、梅雨が明けないようです。全国的に、あちこちでゲリラ豪雨と言わる土砂降りの雨が降っているようです。 ここ調布でも、この頃は夕方が多いのですが、激しい降りが起きています。ただ、時間が短く、昨日も今日も日中はとてもからりと晴天です。 今朝は、うっすらと富士山が見えていたほどです。ところで、先週半ばに、奈良へ行って来ました。 急に思い立って、一人暮らしの姉の気晴らしになればという願いもあってでした。 今年2010年は、奈良遷都1300年とかで、街を挙げての観光宣伝の様子です。 梅雨の最中もなんのその、晴天に恵まれたのは嬉しかったのですが、大変な暑さに些かうんざりでした。 週中にも拘らず、お客様の多いのにもびっくり。中学生くらいの修学旅行生が多いのは当然として、年配の方々が大変多く、 しかもどなたも忙しげに精力的に歩き回っているのに、とても驚き、感心しました。 是非行きたいと願っていた平城京跡では、熱中症にご注意のアナウンスを頻繁に、流していました。 可なり広い跡地と考えられる敷地に、5,6年前に建てられた朱雀門、南北に相対してずっと離れて、 赤い塀で四角く囲まれた可なり広い敷地の北方境界際正面に昨年完成した大極殿が建っているだけでしたが、 塀の外に、一面に茂る夏草の、草息れの香を嗅ぎながら、何となく1300年 前の様子を思い巡らしました。面白いのは、この敷地の中を近鉄電車が頻繁に走り、その度に狭い踏切が開閉していたことです。 大仏様を拝観するのも35年ぶりくらいでした。午後2時には、殆どの店で、ランチタイムが終り、お昼を食べそびれたり、 意外に各名所が離れている上に、閉 門の早いこと、午後3時のところもあり、夏の最中で日が高いのにとびっくりです。 殆ど人通りのない山道?を歩く羽目になったりでしたが、循環バスやシャトルバスが可なり頻繁に走っていて、 観光案内図も充実し、街の人々の応対も大変親切で、結果的には大変素晴らしい経験でした。ホテルの食事もとてもおいしく、 近鉄奈良駅周辺には店も多く、賑やかで、丁度見つけた素敵な玄米食の店も清潔でおいしく、価格も手ごろで、万々歳でした。 お気が向きましたら、是非お出かけ下さい???  
   さて、「マタイ受難曲」の練習はまずまず進んでいます。 ただ、もうそろそろ1回目の練習を終らせたい気持ちがしています。ただ、受難曲は、特にこの「マタイ」 は演奏時間が3時間になるだけあって、語りの部分が大変詳しく、その長い話の進行をよく理解しながら、 合唱部分を練習する必要がありますので、慌てても仕方ません。ここが肝心です。 いよいよイエスが 十字架に架けられ、亡くなる場面を過ぎようとしています。 改めて思うのですが、これは歴史上の事実なんです。日本では、まだ弥生式土器の時代でしょうか? この「マタイ受難曲」や「ヨハネ受難曲」、その他の受難曲が、ギリシャ語で書かれたのは、平城京遷都の600年以上まえです。 (とはいえ、奈良時代や平安時代の貴族達の衣裳のカラフルできらびやかなこと、日本文化も中国に倣って、急速に発達したということでしょうか?)  今回は、練習状況・方針については前回に書いたことと同様で、新しいことはとくにありません。 ただ、少しずつ新しい仲間が増えてきて、改めてじっくり丁寧に繰り返しつつ、練習を進めています。 何しろ、この曲は、バッハ自身が朱で言葉(歌詞)を書き入れ、丁寧に浄書した自筆譜が残されている思い入れのこもった傑作ですので。

6月14日(月) 2010年   

  今日は関東地方が梅雨入りのようです。一日中雨降りです。多少うっとうしい気持ちがしますが、私は、雨は好きです。 傘をさして街を歩くのも意外に楽しいですし、雨降りの日にじっと家の中にこもっているのも心が落ち着いていい感じです。 何より、この季節、新緑がみずみずしくて、色濃く美しいです。 更に、紫陽花を初め、花々も色鮮やかになります。勿論晴れの日も爽やかな青空を仰いでいい気 分です。天気に関係なく、毎朝窓を開けて、先ず空を見るのが日課です。運がよければ富士山が見えます。 見えた日は何となく幸せな気持ちがして、1日中嬉しい気分です。
   さて、「マタイ受難曲」の練習は進んでいます。もう少し先に進めたい気持ちもしていますが、 話の進行を理解しながら練習する必要がありますので、慌てても仕方ません。いよいよイエスが 十字架に架けられ、亡くなる場面にさしかかってきました。 クリスチャンでなくても、何とも理不尽な思いになりますが、これは歴史上の事実です。 この事実があってこそ、2000年を越える今日に到るまで、世界最強の宗教 として広がり、限りなく多くの人々を惹き付けています(個人的には不思議な気持ちもしていますが)。 昨年の定演で演奏しました「ヨハネ受難曲」に比べて、十字架刑に処せられる前までが大変詳しく、ゆっくり移行していき、 亡くなる場面は割合あっさり表現されています。どちらが良いかは、それぞれ各自の考えであり、感じ方でしょうが、 「ヨハネ受難曲」の方が、しっとりと別れの場面が表現されています。 また、合唱部分も、「マタイ受難曲」は全体が3時間に及ぶ長大な曲にしては少なく、 各曲もさほど長くなく、二重合唱ではあっても、どれも比較的あっさりと書かれていることに改めて気が付きます。 コラールは心安らぐ曲ですのでその深さを十分に、二重合唱は内容を充分に表現できるよう練習を重ねる必要があります。 対訳については、しばらくまえに全曲を一応終えていますが、幾つか疑問点もあり、 改めて見直し良く検討する必要があると考えています。 特に、日本語で表現するのは大変難しく、訳す時は本当に思案します。 また、参考にする幾つかの対訳についても、意外に様々で、首をかしげる対訳も少なくないことに気付かされます。 ゆっくり練習を進めながら、4つの福音書についても、それぞれの時代背景、違いなども印刷して配布し、学んでいます。 これからも、その他、幅広く様々な角度で、楽譜面だけでなく、受難、聖書、当時の時代背景 、更にエルサレムの地図なども学びつつ、じっくり練習を深めて行きます。
 先日、国立劇場の小劇場で、今回で4回目の「人間国宝の会」という千代田区主催の公演を聴きに行きました。 邦楽は知人が太棹三味線の演奏家ということもありまして、時々聴きに行きます。 今回は、三味線の細棹、中棹、太棹とそれぞれの曲が次々演奏され、形の違いと共に、 響きの違い、語られる演目の内容や、演目によって合わせられる楽器の編成が、それぞれの三味線に加え、 小鼓
(こつづみ)、 大鼓(おおつづみ、又はおおかわ)、 さらに琵琶や琴までなどになっていて、大変面白く聴きました。 ]邦楽の場合は語りの台本はありますが、三味線など楽器奏者達は、殆どの場合いわゆる楽譜を見ながらの演奏ではなく、 互いの呼吸の合わせ方による間合いの取り方一つで、語りが進んで行きます。 西洋音楽のオーケストラと違って、邦楽器によるオーケストラは楽譜が無いためもあってか、互いに気持ちを研ぎ澄まして、 一糸乱れぬ緊張感が漂う演奏でした。聴かせて頂いた私の心も大変充実した思いで膨らみました。 素晴らしい人間国宝の方々は勿論、多くの若い方々も懸命に演奏していて、ますますの繁栄を祈りたい思いがしました。

4月6日(土) 2010年   

  4月になり、1昨日4日は、復活祭でした。その前週は、4旬節の最後になる受難週で、「受難曲」が幾度かあちこちで演奏されました。 毎年この時期には、良く演奏されるのですが、私達も、昨年、定演で「ヨハネ受難曲」を演奏したのに続いて、 今年は、「マタイ受難曲」に取り組んでいますので、特に集中して聴きたく、「マタイ受難曲」ばかりを、1週間の間に3回聴きました。 特に、先週末、聖金曜日には、BCJの演奏をオペラシィティー・コンサートホールで聴き、 翌日は、彩の国さいたま芸術劇場コンサートホールで、同じBCJを聴きました。続けて、同じ演奏を聴いたということです。 ホールの広さが、「さいたま」の方は、オペラシィティーに比べると約2分の1ほどでしょうか?  当然ですが、ステージが近く感じられるとともに、響きが違って、細かいところが、共鳴しすぎず、良く聴こえました。  リピエーノを女性のアルトとカウンターテナーに歌わせていました。オペラシィティーでは、響き過ぎたためか、残念ながら、 ソロなのに余り浮き上がってきませんでした。「さいたま」の方が、まだ良かったです。 ただ、私の個人的な感想では、「ソプラノ リピエーノ」と指示されていますので、 やはりソプラノの方が、折角のコラールの旋律線が合唱の上に乗ってくるのではと、それを聴きたかったと思っています。 バッハも、聖歌隊のボーイソプラノをイメージしていたでしょうと思いますので。 アルトにしてもカウンターテナーにしても、とてもよい声で、上手だったのですが、私には、声質に違和感を感じました。 演奏については、以前と違って、次はわが身と思って聴きましたので、いろいろな点で、大変良い勉強になりました。 最後の「モテット」が、心地良く素晴らしかったです。 両ホールとも、団員達も何人か聴きに行きましたが、この「モテット」については、素晴らしかったと一致しました。この 「モテット」は、聖金曜日の教会での「受難曲」の演奏終了後に演奏されることになっている曲だそうです。更に、3月下旬には、カザルスホールに行き、オルガンの演奏を聴きました。 改めて、あのオルガンの響きのすばらしさ、心地良さにびっくりしました。 3月末で閉鎖されたのですが、何とかどこかが引き続いて経営し、あのオルガンを大切にしていただきたいと強く願っています。 もう少し、私もせっせと聴きに行けばよかったかしらと全く後知恵ですが、思っています。勿論及ばずですが。
  ところで、私達の「マタイ受難曲」練習状況ですが、いよいよ第2部に入っています。この第2部の冒頭の曲、つまり、第30曲目ですが、アルトのソロに、第2群の合唱が4声で重なる構成になっています。第1部が、イエスが捕らえられ、弟子達が全員逃げてしまうところで終った後、実際の礼拝では説教が1時間ほどなされるそうですが、演奏会では、休憩になります。再び、演奏が始まる冒頭の曲ですが、旧約聖書の「雅歌」を元に言葉が書かれていると言われています。普通に読めば、些かなまめかしい詩で、「ソロモンの恋歌」とも考えられていますが、謎の多い詩で、現在では、イエス キリストへの信奉者達の信仰と思慕を表現していると考えるのが一般的になっているようです。ただ、読んでも中々分り難い言葉や地名、植物の名前が多く、目下調べています。折角の機会、出来るだけ読み解こうということです。第2部に入りまして、いよいよ、イエスの裁判が始まり、何とか陥れて、十字架刑にしたいというユダヤ教の祭司や律法学者、長老たちの思惑が、「ヨハネ受難曲」に比べると、随分丁寧に展開されます。この辺も、当時の社会情勢など多少は理解しながら、練習を進めていく予定です。

3月15日(土) 2010年   

  春3月も半ばになっています。昨年、早春に求め、大きな花瓶に挿しておいた彼岸桜の可憐なつぼみが、 1ヶ月ほどに次々開き、最後の一輪まで咲き切って、大変嬉しく、楽しみました。 それも散って、さて、捨てようかと良く見ると水につかった枝の節から、しっかり根が出てきていることに気が付きました。 そこで、試しに、そのまま、庭の土に挿しておいたのですが、それが、丁度1年ほど経って、また庭の土の上で、つぼみをつけてくれています。 日に日に膨らんできて、間もなく咲き始めそうです。自然の生命力を見せてくれます。 うっかり折ってしまったバラの枝も土に挿しておくと根付いて、花を咲かせてくれます。 ろくに手入れをせず、肥料もやらない植木鉢やプランターの花々が、季節をきちんと感じて、律儀に芽を出し、春の到来を教えてくれます。 そうそう、今年は、1ヶ月ほど前から、黄梅が咲き誇ってくれ、春蘭も可憐なつぼみを土の上に頭を出しています。間もなくみどりの花を見せてくれます。 ヒヤシンスが咲き始め、クリスマスローズが今年は随分花を付けてくれています。狭い庭で、 毎年、春夏秋冬、それぞれ自分の季節をしっかり分って 、芽を出し、花を付けてくれることに、本当に本当に感心します。
 ところで、「マタイ受難曲」の練習は、まずまず順調です。昨日(14日)は、第27曲を言葉を付けて丁寧に練習しました。勿論何度目かの練習です。2重合唱ですので、第1と第2を別々に言葉を付けて、通し練習しました。思いのほか、簡単ではありませんが、皆慣れてきて、なかなか上手に歌ってくれました。第2部に入って、先週は30曲目を自主練習してくれまして、昨日は32曲目のコラールもさらっと歌いました。次回の練習では、第29曲や第2部第30曲、32曲の練習を予定しています。のんびり訳している対訳も、50曲目まで配布しました。先ずは自分のために訳しています。一語一語の意味、読み、一連の文章の解釈、訳を書いていきます。私は、面倒でも、自分できちんと訳す事は、絶対に必要と考えています。文体は、バッハの頃のものですから、多少古く、また、詞ですから、文体も普通文とは違い、雅語も多く、戸惑うこともあって、時間がかかることもありますが、辞書や文法書で確認しながらの作業も良いものと思っています。幾つかの対訳も参考にさせていただきながらの対訳書きです。登場人物も、「ヨハネ受難曲」に比べて多く、十字架刑へ到る経過もゆっくり詳しく描写されていて、反面、流れる旋律の意外に美しいことに、読み解く私には、複雑な思いが膨らんできます。安らぐ気持ちもあるのですが。出来るだけ早く完訳したいと考えています。この後には、それぞれの曲の解説や関連する事柄について書き、配布つもりです。何度も聴いた曲ですが、当然ながら、自分で解釈を深めて、演奏すると全く別の曲になります。

月2日(土) 2010年   

 2010年が明けました。21世紀になって、早や10年目ということです。 年が明けると毎年、今年はどんな年になるかなあ?と何となく心が膨らみます。 昨年は、私の指導しています他の合唱団の定演や大曲「ヨハネ受難曲」の演奏も行い、 その他小さい演奏会など意外にいろいろありました。 それぞれ無事好評に終り、本当に良かったです。他方で、私の身辺では、幸不幸もあり、心淋しい思いをしたり、 喜んだりと様々でした。
 今年は、私にとって、大きな演奏会の予定の無い年で、じっくり実力を貯め、 来年の本番に備える年になります。特に、 この混声合唱団「クール・ドゥ・シャンブル」は、 目下バッハの「マタイ受難曲」に取り掛かっています。3時間に渡る大曲です。 さっと練習して歌ってしまっては、大変勿体無い曲です。1曲1曲を丁寧に味わい、物語の進行を良く理解しながら、 また様々の研究なども紐解き参考にしながら、じっくり時間をかけて学びつつ、練習を進めていきます。 私と共に、団員達の体のすみずみにも少しずつ染み渡って、曲の理解が期せずして、 知らず知らずに深まるようにしていきたいと考えています。 昨年は、「ヨハネ受難曲」を演奏し、団員それぞれに声の響きが大変充実して来ていて、次回の演奏も楽しみにしていますが、 もう少し団員が増えると嬉しいかなと考え、目下全パートを募集中です。 バッハの頃にならって、出来るだけ少人数で演奏したいと願っていますが、 「マタイ受難曲」は、2重合唱で、それぞれ違う立場で歌い、 立位置も離れることになりますので、是非増えることを期待しています。 折角のチャンス、じっくり、学び理解を深めようと願う方は是非見学にお越しください。 このHPの団員募集のぺージもお読み下さい。
 やはり、受難曲を演奏するには、勿論この曲を構成している物語の出典を良く知ることです。 例えば、「マタイ受難曲」ですと、「マタイによる福音書」の26章と27章の話を忠実に物語っている事は、 「ヨハネ受難曲」と同じやり方ですが、その部分を読むだけでは、不十分でしょうと考えます。 先ずは、この福音書を改めて初めから良く読み直してみようということです。 又、ついでに、マルコやルカ、さらには、ヨハネとそれぞれの福音書をやはり改めて読み直してみようということです。 勿論、前にも読んでいるのですが、読む側から忘れるのも早く、困ったものと思っています。 また、文字面では一応分っても、何を語りたいのか良く分らないところもあり、 イエスさんも意外に残酷なことをおっしゃっていたようだとその真意を理解するのがなかなか難しいのです。 それよりなにより、そもそもこの受難ということをどのように理解すれば良いのかも分りかねているのです。 でも、「ヨハネ受難曲」を演奏したときも同じような思いをしましたが、 いろいろ読み、考え、感じていることが、団員達と共に知らず知らず深まれば、十分に理解できなくても、 演奏の深みが増すものと、「ヨハネ」の演奏録音を聴いて、少々ほっとしました。 そこで、今回の「マタイ」のためにも、更に、出来るだけ繰り返して、聖書を幅広く良く読んでみようと考えています。 理解出来る出来ないに余りとらわれずに。

10月20日(火) 2009年   

  またまた大変日が経って、3ヶ月も空いてしまいました。この間、大忙しの日々でした。 7月は、第7回定演、「J.S.バッハ:ヨハネ受難曲」のちらし作りです。 遅れているので大変焦っていました。写真の取り込みや文字サイズ・色合い・透かしの割合などとても時間がかかり、 どうやら気に入ったのが作れたら、今度はプログラム原稿書きです。 特に対訳原稿に時間を取られ、またまた焦っていました。曲が長い分、言葉が大変多く、なかなか理解しがたいところも多く、 先に団員達に配布した対訳を作っているのですが、改めて6回くらい訳し直しました。 なかなか内容をすっと理解できるように訳すのに手間取りました。その他方で、字幕を使うかどうか迷いに迷い、 字幕原稿も3分2ほど書いてみました。こちらは、対訳に比べ、簡略しますので、以外にすいすい書けて、楽しい思いをしました。 しかし、字幕原稿を全てこちらで用意し、Q出しもこちらで担当しても、可なりの出費になることが分り、 さらに、字幕原稿は結局可なり簡略されますので、ヨハネ受難曲の内容を理解するには、中途半端になると思いつき、 よくよく考えた結果、止めることにしました。その代わり、対訳に、より神経を注ぎ、字を大きく、読みやすいフォントにして、 会場の照明を工夫し、読みながら聴いていただける様に、初めのアナウンスで言い添えるようにしました。 めくるノイズが心配ですが、気にしないことにしました。その結果、多くの方が読みながら聴いて下さっていました。 確かに一斉にめくる音がしましたが、読んで下さっていることを感じることが出来ました。 実際に、終演後の感想でも、大変好評で、受難の展開が良く理解でき、最後まで全く眠くならなかったと言ってくださる方が多く、本当に良かったです。 このプログラムを永久保存にすると言って下さった方もいらっしゃったとか。曲解説・対訳は勿論、楽器編成・聖書との関連(これはページ数制限で充分は入れられませんでした)その他考えられる要素を精一杯書き込み、苦労した甲斐がありました。 また、演奏自体も大変好評で、あちこち心配な部分もありましたが、団員一同、心を合わせて懸命に演奏した結果で、 本当に嬉しいです。更に、今正に実力を伸ばしてきている若いソリストの皆様が、体調もベストの様子で、殊に大好評でした。 気合の入った本番の演奏を大変嬉しく聴きながら、指揮していました。
  ところで、「ヨハネ受難曲」は、日本では大変好まれている曲で、今年も多くの合唱団が演奏しています。、 しかし、つくづく大変難しい曲 と分ってきました。受難曲は、エヴァンゲリスト(福音史家)が、会衆に向かって語りかけ、福音を伝える宗教劇(宗教オペラ)です。それぞれの楽器の演奏の仕方、ソリスト達の立位置・演奏の仕方、合唱の演奏の仕方など 内容を充分に表現し、演奏する者達や聴いて下さる方々共に、十分理解し、楽しめるために、 もっとも効果的に演奏するにはどうすれば良いかなど考える余地が多いと考えます。 演奏する立場の方々は、合唱員も含めて、内容を完全に理解し、演奏出来ることが肝心です。 これが、意外に思うようにいかないのです。繰り返し繰り返し読んで、歌って、前後の関係、 なぜここに合唱が、コラールが、またアリアが挿入されているのかしっかり理解して、頭に入れる必要があるのですが、 曲が長く、要素が多く、なかなか難しいのです。さらに、何度も演奏してきた方々は演奏慣れしていて、一過言あり、従来通りの平板な演奏を固執しがちの様です。しかし、それだけにやりがいのある素晴らしい曲です。 私は、「レクイエム」や「受難曲」はミサ曲と違って葬送の曲であり、教会でなく、コンサートホールで普通の合唱曲のように、大声で演奏するのに抵抗があり、、あまり演奏しようと思う気持ちでは無かったのですが、団員の希望で取り上げました。初めは、気乗りがしませんでしたが、実際に演奏してみて、音楽的にも、心的にも、とてもよい経験を積めたと強く思っています。ドイツ語訳の経験も積むことが出来kました。 すべての曲の言葉は、常に、自分で訳すことが何より重要です。
 

月10日(金) 2009年   

  気が付いたら、前回からまたまた随分空いていました。この間に、私は随分いろいろありました。 恩師のご逝去、同級生・友人の逝去と思いがけず、何とも心淋しいことが続いてしまいました。 人は皆、いつかはお別れと、よく分っていることではありますが、やはり心にぽっかり穴が空きますね。 身内ではありませんし、それほど日頃親しくお付き合いしている方々では無いのですが、 折に触れ、毎年集まり、他愛無く楽しんでいた方々との別れ、つい数ヶ月前元気に会ったのに、 あぁ、もう会えないのか・・・ととても残念な寂しさがつのります。
 勿論、いいことも沢山ありました。5月5日には、「コール・まどか」の7回目の演奏会を行い、いつにもまして、 大変好評で、多くの方々から絶賛に近い感想をいただきました。このグループはシルバーコーラスですので、毎回入場料は無料にしています。 より多くの方々に気軽にお越しいただいて、耳慣れた懐かしく優しい曲を口ずさみつつ楽しんでいただきたいと願っています。 今回初めて聴いてくださった女性のグループの方々が、「あれだけ聴けて、無料は勿体無い。 せめて、福祉への寄付募金でもしてよいのじゃないかしら?」と提案がありました。 私も、それはとても良いアイディアと、次回は是非団員達と相談しようと思っています。
 ところで、「ヨハネ」の練習です。 だんだん本番が近づいてきます。のんびりしている暇はありません。団員達もそろそろ本気になって来てくれている様子です。 私達の混声合唱団は、定演の間隔が1年半と空いていますので、心に余裕を持って、練習できるはずなのですが、 社会人達ですので、暇な方はいません。うっかりするとどんどん月日が経っていきます。 さらに、音が取れ、何とか言葉も読めればよいのでは無く、今回の「ヨハネ受難曲」は特にイエスの受難を中心テーマとする宗教劇です。 登場人物の互いの関係を良く認識して、合唱も歌う必要があります。 曲によって、合唱隊も役柄が違い、また、旧約聖書や新約聖書のさまざまなところから引いてきた内容が盛り込まれています。 この曲を演奏するには、それぞれの曲を良く理解して歌う必要があり、さらっと簡単に歌うわけには行きません。 どれくらい歌えるか、大変楽しみでもあり、心配でもあります。更に、テンポの速い曲も多く、言葉がしっかり音に乗り難く、 苦労するところです。やはり、練習練習です。
 この2ヶ月、バッハの宗教曲の演奏会、そのレクチャー、さらにヴァイオリン演奏会、オペラ、ジャズなどなど可なり聴きました。 中でも、磯山 雅先生による構成で、アメリカのバッハ研究学者リフキン先生を迎えての、「マタイ受難曲」は大変良い勉強になりました。アメリカと日本の若い演奏家達による演奏でした。2重編成の曲ですが、ごく小規模で、爽やかにすっきりと聴かせて頂きました。楽器の編成など大変学ぶことが多く、私には、鬱陶しく感じられていました子供の合唱も無く、ソプラノソロで爽やかに聴かせて頂きました。また、BCJによる演奏会は、やはりバッハの、こちらはモッテト集で、滅多に聴く機会のない曲集ですので、これも2重合唱ですが大変興味深い演奏でした。それにしても、どの演奏会もお客様が多く、日本人の音楽への関心度の高さ、レベルの高さに、少々びっくり、感心すると共に、嬉しい気持ちもしました。

月19日(日) 2009年   

  気が付いたら、前回から2ヶ月以上空いていました。月日が経つのは早いですねと昔の人が良く言った?ようなことを言いたくなります。 この2ヶ月、私なりに忙しく、私が他に指導しています「コール・まどか」の第7回演奏会を5月5日に控えて、 ちらし作り・プログラム作りなどに以外に日数がかかりました。団員達で作ってくれますと本当は嬉しいのですが。平均年齢多分70?才かものシルバーコーラスグループながら、分担する役員の仕事は年齢にかかわらず、本当にどなたも良くやってくれています。 ただ、ちらしなどの製作までは中々出来かねる様子です。 それでも、少しずつ増えてくる男声団員により、今回はちらしやプログラムの表紙を、今までのイメージをがらりと変えるとても爽やかなデザインに模様替え出来ました。 団員達も気持ちを一新させられ、本番に向け、意欲的に盛り上がって、気持ちを合わせて練習に励んでいます。(ご都合を合わせてお聴き下さいますと嬉しいです。 5月5日(火・祝)調布市文化会館「たづくり」午後2時開演。全席ご招待でつまり無料です。そなたでも是非に)
 ところで、「ヨハネ」の練習です。 まずまず順調に進んでいます。今月末には、2回目の全体通し練習を終える予定です。 音取りからの練習を繰り返しつつの可なりゆっくりしたペースの練習ながら、曲が体にしっかり沁み込むにはやはり時間がかかります。 それでも、受難に到る話の進行には、だんだん理解が深まり、旧約聖書や新約聖書について、ユダヤ教とキリスト教の考え方、 なぜキリストは十字架に架けられなければならなかったかなど、大体は知っているつもりでいたことがより深く納得できて理解されてきます。 とは言え、今に到るまで、世界中で争われていることを見聞きしますにつけ、宗教とはとても理解し難いもののように私には思えます。それぞれの心の問題でもあるでしょうから。 宗教からは少し距離をおいて、バッハの音楽を味わうことにします。 ピラトやイエス、ユダヤ教の祭司長達や群集の残酷な会話・叫びの後に来る、イエスに心酔し感謝する人々の心の祈りを歌うコラールの何とも心安らぐ響き・流れに、 バッハの作曲技術と音感覚の素晴らしさを改めて実感させられます。コラールは主旋律に基本的には同じものを何曲かずつに使って、 統一を図り、調性や下に重なる下声部を変化させて、響きに変化を持たせて、その場その場の雰囲気を効果的に盛り上げています。 そのそれぞれのコラールが要所要所に入っていることにより、全体の構成がしっかりまとまる感じを強めています。 マタイ受難曲とは、またぜんぜん違う雰囲気で、より厳しい深みを感じさせられます。
  先日4月10日の金曜日は、聖金曜日でした。BCJの「マタイ受難曲」を聴きました。1841年 (メンデルスゾーンによる蘇演は1829年。バッハによる初演は1727年)のメンデルスゾーンの再演楽譜による演奏でした。 可なり短縮されていて、私には少々物足りない思いをしました。演奏そのものは、エヴァンゲリスト初め、ソリストも皆よく、合唱もなかなか良く、充実して聴かせて頂きました。ただ、一昨日17日(金)に、磯山雅先生の「マタイ受難曲」についてのレクチャーを聴きましたが、その際、第1コーラスと第2コーラスではイエスの受難への拘わり方が全く違うので、ソリストは同じ方が両方歌わず、それぞれ2人にして分けた方が話の進行、場面転換など、聴いている者達にとって、よりはっきりと理解できるとおっしゃっていました。なるほどと私には大変納得できる講義でした。

月11日(水・祝) 2009年   

  今日は水曜日ですが、「建国記念の日」の休日で固定された祝日だそうです。 うっかり者の私は、祝日はすべて土日に続けて3連休になるのかと思っていました。 近年月曜に休日が多いように思っていましたので。カレンダーを見ますとなるほど、そうでは無いことを改めて知りました。 むしろ土日に付けられる流動的な祝日は少なく、「成人の日」「体育の日」、更に「敬老の日」が全く従来とは違って、 「秋分の日」に近づき、今年は9月20日(日)につづいて21日(月)になっているくらいです。 更に、秋分の日が23日(水)ですが、その間の22日(火)も休日で、又なんと「国民の休日」などと書かれています。 「みどりの日」もいつの間にか4月29日から5月4日になり、5月3日と5日の間になっています。 あと、どうも「海の日」が7月に20日頃の月曜日になるようです。今年はたまたま20日が月曜日になっていますが。 ということで、土日に付けられる月曜日の祝日は多くなく、定められた公の休日は、土日以外では、年間16日あることを改めて確認しました。 ではありますが、やはり土日に続く月曜日が、たまたまかどうかは別として、祝日休日になっている月が、今年は6回もあります。??  やはり月曜休日は多いということになりますでしょうか? これは、世界の国々に比べて多いのでしょうか普通なのでしょうか?などと考えています。
  ところで、今日も練習日でした。「ヨハネ受難曲」の16〜21曲目の合唱部分を練習しました。重要なソロを含む部分で、内容も重要なところです。祭司長達やユダヤの民衆達により、「イエス」がいよいよ十字架刑に処せられるに至る部分です。イエスを尋問しても、イエスに何の罪も見出せないローマ人のエルサレム総督ピラトは、過ぎ越しの祭りの前日、囚人を一人釈放することになっていたので、イエスをそのまま釈放したく考えていますが、祭司長達や彼らに従うユダヤ人達はイエスではなく、殺人を犯したバラバの釈放を希望し、強く、イエスを十字架にかけるよう希望します。といってもこれは人々の罪を贖うために神によりこの世に遣わされたイエスの受けるべき運命として預言されていることが順次成し遂げられていくということになっているのですが。19曲目、20曲目は、バスとテノールのソロになっていまして、最後の1749年の再演時には、大幅に言葉を入れ替えて歌われています。今回の私達が使用しているヴォーカル・スコァーは最初の言葉で歌います。一説では、イエスが茨の冠をかぶせられ、血が出ている様の表現が悪趣味な内容になっているので、市の当局からの要求により変更されたらしいと言われています。この部分の合唱も、クリスチャンならずとも些か歌うのがつらい内容になっています。合唱する団員達もコラールでは敬虔なイエスの信奉者になったり、合唱の部分ではイエスの迫害を願うユダヤ人達になったりと心の切り替えが必要です。合唱も中々難しく、音取りは勿論、音に言葉をしっかり乗せて、はっきり聴き取れる様に歌わねばなりません。言葉をすっきり聴かせられるように歌うには可なり練習が必要です。何とかすっきりはっきり聴き取れる様に歌えるようになりたいと願っています。私達日本人にはと考えますが、子音の発音が特に難しく、練習を積み重ねる必要があります。ドイツ語独特のウムラウトもなかなか難物です。さらに、言葉の内容をしっかり理解しながら、また「ヨハネによる福音書」の内容に忠実な物語の進行をよく理解しながら、歌っていくことも大変大切と考えています。

1月4日(日) 2009年   

  年が改まりまして、もう3ヶ日が過ぎました。今年は私の合唱団の2つが定演を予定しています。 一つは勿論目下10月10日(土)に向けて、「ヨハネ受難曲」を練習中の混声合唱団です。こちらは2回目の練習に入っています。 2度目の譜読み練習ですから、より深く内容を読み解きながら進めていきます。 団員がそれぞれに忙しく、なかなか出席が揃わないのが悩みですが、各自努力を重ねています。 全曲の対訳をしばらくまえに終えましたので、 今度は古楽器や曲、バッハについて解説を少しずつ配布していく予定です。
 もう1つは、名前を「コール・まどか」と言います。55歳以上の男性女性を対象のシルバーコーラスで、発足22年目になる合唱団です。 こちらも今回第7回の演奏会で、5月5日(火・祝日午後2時開演入場無料)に、 調布市文化会館「たづくり」くすのきホール(京王線調布駅徒歩3分)で行います。 団員は50人ほどで、大体3部合唱ですが、混声合唱のようでなく、男女の区別無しに、各自好きなパートで歌います。 「楽しく、のんびりと」をモットーに活動を続けています。愛唱歌の類を希望を出し合いながら、思う存分歌います。 日本の抒情歌あり、外国の抒情歌ありとさまざまです。発足当時はまともに音高(ピッチ)がとれず、びっくりしましたが、 数年も経つととても上手になり、2部や3部の合唱を楽しんでいます。 合唱になっていない曲は私がアレンジし、伴奏を付け、幾つかのカンツォーネも1曲だけはイタリア語で、 「野ばら」はせめて1番だけでもドイツ語でと、あまり抵抗を感じず楽しく歌える様にしています。 80歳過ぎての入団者で、当初は全く歌えていない方も臆せず1〜2年歌っているうちにとても上手になり、私もびっくり、とても嬉しくなります。 「反復と継続は力なり」でしょうか・・  このグループは大変出席率の良いことが年齢に拘わらず上手になれるのでしょうと思っています。 定期演奏会では、これら愛唱歌以外に、必ず合唱組曲を1ステージ歌う事にしています。今回も岩河三郎作曲「花と海のバラード」という曲集から 4曲(演奏時間約15分)を選び、歌います。とても明るく、素敵に作曲されていて、少々難しいですが、一同大変気に入って練習に励んでいます。 宮田滋子さんの詩も心温まる内容です。さらに、毎回必ずプロの演奏家を2組ほど招いて、1ステージ演奏していただき、 お越しくださいましたお客様に素敵なお土産を差し上げることにしています。今回は二期会のソプラノ歌手達と トロンボーン・クインテットの2組です。間違いなく楽しんでいただける演奏会をと準備します。 今日は、私が指導しています別の合唱団の様子をお話させていただきました。

12月7日(日) 2008年   

 12月に入りました。明日12月8日は真珠湾攻撃の日です・・・? こんなことを書く者は珍しいかも・・ 毎年この時期になりますと、 私事ですが、もう亡くなって42年になります母の誕生日(7日)と共に、8日を思い出します。と言いましても、 当時を思いだせるわけではありませんし、詳しく知っているわけでもありませんが、 8月6日、8月9日、8月15日と共に、記憶にとどめておくべき日と考えています。
  ところで、「ヨハネ受難曲」の練習は順調です。12月に入って、昨日6日が12月1回目の練習でしたが、 この日から、第2回目の練習が始まり、先ず第1曲目を練習しました。 この1曲目は、長く中々難しいのですが、さすがに2度目はそこそこに進められました。今月はこの曲をじっくり練習します。 叫ばず、爽やかに声をのせて、ピッチを正しく歌いたいです。いろいろの有名な演奏団体のCDを聴いても、この点がとても難しいようです。 丁寧に練習を重ねるしかありません。
  今日は、オペラシティーのコンサートホールで、G.F.ヘンデル「ユダス マカベウス」を聴きました。 初めて聴くオラトリオです。来年(2009)が、ヘンデル(1685〜1759)の没後250年記念の年ということで、 昨年より来年にかけて、BCJはオラトリオを演奏するプロジェクトを組んでおり、昨年は「エジプトのイスラエル人」を演奏しました。 今日の曲は、先ず聴くことの無い曲ですが、唯一、最後のほうの「見よ、勝利の英雄が還る」の曲だけは、さまざまな運動の勝者を表彰し、 讃えるときなどにしばしば演奏されるおなじみの曲で良く知られています。今日の演奏は、私にはとてもよかったと聴きました。 特にソリストがどなたも声もピッチもすっきり爽やかに響いて良く、とても楽しく聴きました。オペラも良く歌う方々のようですが、 ビブラートも無く、すっきりと響き、英語も聴き取りやすく、艶っぽさの無い分、バロック時代でも明るく軽い曲風の、 それでいてしっかり作られているヘンデルに向いていると思いました。 また、合唱も定演の時より可なり良く、充実した気持ちで嬉しく聴きました。 合唱は、各パート4人ずつ計16人の編成でしたが、声が良く揃って、定演よりハーモニーがずっと楽しめました。 ソリスト揃いの合唱団で、時にはばらばらの響きのこともあって、残念に思うこともありますが、今日は楽しく聴けました。 合唱は、やはりハーモニーを香るように、また醸し出すように響かせて、聴かせていただきたいのです。 

11月3日(土) 2008年 

今年も11月になり、気温が下がって、些か寒さを感じる陽気になってきました。木の葉が舞い、秋が深まってきますと空が青く澄んで来ます。 3月の第6回定演、5月のザルツブルク、ヴィーンへの演奏旅行と今年は忙しい感じでしたが、 それも思い出になりつつあります。先日10月の3回連続の公開講座も、日頃の練習の中では、 ゆっくり時間の取れ難い「ヨハネ受難曲」の曲について、再演の度に変更された4つの稿、 更に唯一現存する10曲目までの自筆譜など、複雑で分り難い楽譜についての比較・解説も、 ファクシミリのコピー、CDやDVDを見聴きしつつ、一応無事終りました。 これからは落ち着いて、来年10月の第7回定演へ向け、「ヨハネ受難曲」の合唱練習に集中します。 2008年もあと2ヶ月です。間もなく一通りの練習が終り、2回目の練習に入ります。 本番前までには、少なくとも3回通り丁寧に練習します。まだ、ソリストが揃わず、思案していますが、 とてもいい方々に落ち着くはずです。折角のバッハ、しかも、「ヨハネ受難曲」、団員の希望で決まったのですが、 曲の持つ香り・空気がかもし出されるような演奏にしたく、努力を積み重ねたいと考えています。 漸く、全曲の対訳をやり終えました。練習の進み具合に合わせて、のんびり訳していましたが、 30曲目以後はソロが多いですから、最後の40曲目まで一気に訳しました。 改めて、聖書の「ヨハネによる福音書」の内容を忠実に、抒情的に流れず、 しかも大変劇的に素晴らしく表現している作曲家としてのバッハの力量を実感しています。 旧約聖書との関連も興味深く、聖書をあちこち繰りながらの対訳作業でした。 どんな曲でも、取り組んだ曲については、一語一語、言葉の意味を知り、 全体の話の流れをじっくり理解するために、必ず自分で全曲訳す事は大変重要なことと考えています。面白さも大変深まります。
 先日、第一生命ホールでの古典四重奏団「ベートーベン・ツィクルス」を2回分聴きました。 私はベートーベンをそれほど好んで聴く事が無く、良く知っているとは言いがたいのですが、とても面白く聴きました。 いつもながらの、毎回全曲暗譜の演奏もびっくりですが、演奏者達の一生懸命さが気持ちよく、 曲により、それぞれのフレーズにより、表現豊かで、又ベートーベンを聴きなおして見たいなと思いました。
 また、つい先日、秋吉敏子さんのジャズリサイタルを聴きました。私は初めてでした。もう80歳になられるようですが、なかなかの演奏で、楽しめました。お若いときの演奏を、しかもジャズオーケストラとの演奏を是非生で聴きたかったととても残念に思いました。会場で、秋吉敏子さん作曲・演奏のCD[Hiroshima Rising From The Abyss]ジャズオーケストラ版(「深い淵から立ち上がる広島」と訳しましょうか)を購入しました。演奏会の最後には、必ず戦争の無いこと、原爆反対を願った自作の曲を演奏なさることにしていらっしゃるそうです。私は、本当に大切なことと心から嬉しく素晴らしく思い、世の人々に大変良く知られた秋吉さんにこそ何時までもやっていただきたいと願っています。

9月16日(火) 2008年 

 夏が終り、秋です。カミナリにゲリラ豪雨と随分荒れたお天気が続きましたが、 家電製品の被害も無く、今のところは我が家は無事でほっとしています。 勿論、カミナリガードなどはつけているのですが。 ところで、「ヨハネ受難曲」の練習は順調です。ドイツ語には多少苦労するものの、 合唱部分のドイツ語はそれほど多くありませんので、あとは練習あるのみです。 今は、丁度全体の中心部分、22曲目のコラールを先日来練習していまして、昨日も練習しました。 第1回目の練習ですので、ゆっくり内容を理解しながらの練習です。 この時期が最も大切です。ただ音を拾って歌い流すのでなく、 曲の構成、言葉の内容、受難の意味などしっかり理解する貴重な練習です。 私の簡単な解説つきの対訳も随分進んできまして後10曲程になりました。 自分で1語1語しっかり訳して、全体を良く理解する必要があると考えています。 おかげで、聖書もかなり目を通すことになり、「受難」について、キリスト教について、 さらに旧約聖書時代のユダヤの人々の考え方など少しずつ理解出来てきます。 最近の練習箇所は、ピラト、イエス、ユダヤの祭司長や群集とのやり取りで、 とうとう十字架刑が決まり、イエスが赤紫の衣を着せられ、十字架を背負わされて、 ヘブライ語でゴルガタ、「されこうべの場所」と呼ばれている十字架にかけられる場所へ出向いていくところです。 「ヨハネによる福音書」のほんの数ページの受難部分を、バッハはとても丁寧に表現しています。 改めてイエスの受難の様子を知る思いです。歌う団員達もそこを踏まえて歌う必要があり、これからの練習です。
   さらに、「ヨハネ受難曲」は、楽譜がしっかり現存していないため、懸命に研究している学者の皆様でも、 結局確かな事は分りかねるという 複雑さです。市販されていますCDの演奏も曲・言葉などに違いがあり、演奏形態もそれぞれで良く聴く必要があり、 また注意して聴きますと面白いのです。そもそもスコァーには、5通りあるようです。 バッハは再演する度に手を入れ、変更しています上、唯一現存しているスコァーは10曲目までのみです。 出版されていますスコァーは、1)初稿らしきもの、2)2稿、3)10曲目までの自筆譜ファクシミリ、 4)4稿、5)最も妥当と考えられる実用版と言えるものとなるようです。 これらを取り寄せ、それぞれを1曲ずつ丁寧に見比べますと微妙に細かく違っていて、本当に複雑極まりない事を実感します。 しかし、兎に角これらの楽譜をしっかり見比べることにより、 その複雑さ、その違いが良く分り、J.S.バッハの「ヨハネ受難曲」とは?の理解が深まりました。 面倒に思う気持ちの反面、さらに、興味が増します。
 今日は、「火垂るの墓」を岩波ホールで見てきました。 第2次世界大戦末期の神戸での戦災孤児兄妹の大変悲惨な生活、余裕のない周りの大人の非情さが内容でした。 これは正に現実で、決して珍しいことではなく、現在でも、同じような立場になれば同じようなことが 繰り返されると考えさせられる内容でした。いざとなれば、人間の非情さ、余裕の無さ、他人への思いやりの無さなどです。 どのような時にも、助け合いの温かい心を保っていけたらと願っています。とても難しいことと思いますが? (どうしてもわが身大事ですので)

7月27日(日) 2008年 

 今日は、今月7月最後の練習日でした。練習は、勿論「ヨハネ受難曲」で、第16曲の中の合唱部分です。 お話は、いよいよピラトのいる総督官邸での出来事です。ユダヤ人達に連れられて来て、引き渡されたイエスを、 ピラトは、イエスが悪いことをしたとは思えず、何とか自分の手で刑を下すのを避けたいと、 連れてきたユダヤ人達に自分達で好きなようにするようにとしきりと言うのですが、 ユダヤ人達は過越祭というユダヤ教(キリスト教でも)で大変大事なお祭りの日でもあったため、 その祝いのために、自分たち自身も身を汚したくなく、何とかピラトに手を下させようとする攻防の部分です。 ニ短調とホ長調による2曲の対になったフーガが含まれています。両曲に統一されたテーマを中心に進行して行きますが、 バッハの音の流れは、予想出来るようには作られていませんので、少々音取りに気をつける必要があります。 SATBとパートが分かれていますが、上3声が実際の響きの上で、中々SATの順にならず、上下逆転して絡み合い、時にBも一緒に絡み合って、 以外に複雑な響きになり、可なり慣れる必要のあるフーガです。臨時記号により、微妙に進む流れの陰影が面白く、 これを正確に歌いたいと願っています。久しぶりにせっせとドイツ語を訳していますが、 この曲は、聖書「ヨハネによる福音書」の受難の部分に忠実に書かれていて、話の進行がとても分りやすく作られています。 また旧約聖書の様々な部分との関連も多く、思いのほか、聖書をじっくり読むことになっています。 それにしましても、聖書に書かれている神に背く者に対する所業の厳しく激しい掟の内容は、私の感覚では戸惑うほど激しく、 改めてびっくり、日本ののどかな農耕民族の考えとは随分違うように感じています。 ただ、この「神」とは?になると、立場により、随分違ってくるはずで、その判断は大変ご都合主義に陥り易く、 とても難しいことで、イエスに対するユダヤ人たちの判断も同様と思えます。 これに対して、イエスは不動の姿勢で対応する、その深い強さと温かさが今に到るまで、 世界中に広範囲に広められ、圧倒的に強い宗教に発展してきたのでしょうか?とクリスチャンではない私は思っています。 ミサ曲と違って、この受難曲は、ドイツ語に慣れることと相まって、旧約新約共に聖書のあちこちを読み、 また、バッハが4回も追加変更しているのですが、はっきりとした自筆譜が全く揃っていない大変議論の多い曲ですので、 参考資料を読み解きながらの学びは大変ですが、曲としては、ますますとても面白く感じさせられています。
 ところで、がらりと変わりまして、先日、アメリカン・バレエ・シアターの「白鳥の湖」を観てきました。バレエは全くの門外漢で、白紙の状態ながら、大変楽しめました。主役、準主役の登場、素晴らしいテクニックの瞬間に沸く拍手に、漸くそれと気付く有様の鑑賞ですが、その私にも良く分るとても洗練された素晴らしい舞台でした。勿論、無言で進む話の進行も、演出が良くてとても分りやすく、踊りも大変素晴らしく、出演者達皆様の感心させられるほど整った姿の美しさに、うらやましいを越えて、ただ素晴らしいでした。舞台装置、衣裳共に、とても豪華で、全ての点で楽しめました。バレエは、日頃観ることはないのですが、今度は日本人のステージを観たいなと思っています。

7月7日(月) 2008年 

  今年も後半の7月に入りまして、七夕様が巡ってきています。この頃は、天の川はおろか、見える星の数が、本当に少なくなって、淋しい気持ちです。 今夜は、環境保護の目的も込めて、ライトを消そうとキャンペーンがなされているようです。 私は、どれくらい夜が暗くなるか楽しみにしています? この調布市に住み始めた頃は、少し脇道に入ると大変暗く、空を見上げると天の川が綺麗に見え、織姫様、彦星様もきらきら輝いていました。 そのうちに、天の川がだんだん薄くなり、殆ど見えなくなり、それでも、北斗七星や北極星、カシオペア、ふたご座、スバルなどなど、 まだまだ良く見えていました。ところが現在は本当に1等星くらいしか見えず、それもともすると見えない有様になっています。 それどころか、最近とても変だなと思っていますのは、我が家の窓からは、なんと真夜中なのに、空がうっすらと青空なのです。ご存知でしょうか?  漆黒の空という言葉がありますが、そんなものは、見られないのです。余りに周りが、昼間に近く明るすぎるのではと漸く思い至っているのですが・・
 ところで、「ヨハネ受難曲」の練習が始まって、そろそろ3ヶ月、演奏旅行などで練習がお休みになったりしましたので、 まあ、2ヶ月少々というところでしょうか。進み具合はとても?順調です。勿論音取りの段階ですが、 何より先ず、ドイツ語に馴染み、慣れる事が大切ですので、繰り返し繰り返し読んで、出来るだけ丁寧に正確に口に馴染ませる必要があります。 バッハの時代のドイツ語はどのように発音したかなどは、だれも現代の人々は聴いたことはありませんので、厳密な意味では、どなたも分りません。 しかし、現代ドイツ語のようなRを余りまかない発音ではなかったと考えられます。 出来るだけ、今風に平たく発音しないで、深みのある、子音を丁寧に発音することを実行して行きたいと考えています。 昨日の練習で、第1部を一応終りましたが、言葉になれるためには、先に進みつつも、戻ってゆっくり読み歌うことを繰り返す予定です。
 この頃は、演奏会に余り行っていませんが、先日、モーツァルトの「ハ短調大ミサ」を暫くぶりに聴きました。 大曲ですが、未完成ですので、約1時間足らずの曲です。この日は、他に短い曲を3曲ほどで、休憩なしで、約1時間半足らずのプログラムでした。 私には、[Sancta Maria, Mater Dei]KV.273を聴くのを楽しみにしていましたので、聴かれて嬉しかったのですが、 全体として、些かメリハリが無く、充実感に乏しい帰り道でした。折角優秀な古楽器奏者を揃えての演奏だったのですが。 また、入場料が可なりしていますのに、招待が多かったようなのも腑に落ちない感じでした。{私は勿論購入しました・・)

5月25日(日) 2008年 

先日5月2日〜9日の予定で、この合唱団初めての演奏旅行に、オーストリア、ヴィーンとザルツブルクへ出かけました。 私達の合唱団は、今年3月定演で、モーツァルトの宗教曲の主なものを、レクイエムを除いて、ほぼ演奏したことになります。 そこで、かねてからの念願は、モーツァルトが聴いたであろう響きを、是非、体で感じて、聴いてみたいということです。 些か、図々しいかと思いつつ、モーツァルトが、その教会のために、仕事として多くの宗教曲を作曲したアルプス以北のカトリックの 総本山ザルツブルクの大聖堂と、「孤児院ミサ」初演の教会であるヴィーンの孤児院教会で演奏させていただきたいという願いです。 さらに、願わくば、ザルツブルク大聖堂隣の聖ペーター教会(男子修道院付属教会)で少々。
  幾つかの旅行会社に問い合わせていましたところ、ラテーザという演奏旅行企画会社の社長が詳細を聴きたいと電話してきてくれました。
大変行動的な素晴らしい方で、私の身勝手な希望を丁寧に聞いて、早速ザルツブルクに飛び、直接、交渉を開始してくれました。 すると、大聖堂のカペルマイスターさんが意外にあっさりと、こちらのもろもろの要求を承知して下さいまして、びっくりですが、 大変嬉しい思いをしました。 ヴィーンの方も現地の方に交渉していただき、OKを頂きました。
 ただ、年が2008年に改まりましても、掲載されると聞いていました大聖堂のHPになかなかのらず、演奏曲目についても、多少思惑違いがあるようで、 やきもきしました。そこで、合唱団名が正確に伝わっていないのではと思い、両方の教会の音楽監督に当てて、3月に、 ご挨拶とお願いの手紙や、定演ライブ録音CD−Rを、直接、送り、些か馴染めない合唱団の名前をはっきり文字でお知らせしました。 漸く、4月に入って、大聖堂のHPに、私達の合唱団名や指揮者名が掲載され、ほっとしましたが、 更にどのように演奏させていただけるのか不安に思いつつ出かけました。
 2日夕ザルツブルク到着、翌3日午後先方との合同リハーサル、 4日(日)午前ミサで共演と予定通りで、とても温かく接してくださり、本番は日曜ミサ形式で、大変貴重な経験をさせていただきました。 大聖堂はモーツァルテウムの方々の活動場所ですので、年齢も若く、どなたも中々優秀な感じで、きびきびと演奏させていただけ、 心地良かったです。ミサが10時から始められ、演奏は、まず大パイプオルガン(大聖堂には、他に小さいパイプオルガンが4つありました) による奏楽で、直後に、「ヴェスペレ」KV.339の1曲目[Dixit]、神父様のお話の合間に、「孤児院ミサ」KV.139の[Kyrie]から順番に、 挿入していき、 [Credo]の後、再び、「ヴェスペレ」の6曲目[Magnificat]を演奏し、また、合間に、「孤児院ミサ」の [Sanctus]他全曲を演奏してミサを終了しました。約1時間半でした。  ミサの最初と最後に、神父様?かどなたかが、「今日は、日本からの客?が来ていて、歌ってくださっています」とドイツ語で、紹介して下さいました。 演奏した位置は、大聖堂の後方2階、大パイプオルガンの前でした。 (後日11日に、たまたま再度行きましたら、厳重に立ち入り禁止になっていました。) 
 ソリストは、大変優秀とカペルマイスターが言われていたモーツァルテウムの日本人留学生で、Sを橋本明希さん、Tを辻まさしさん、更に、 Aは、モーツァルテウムの先生、Bもあちらの男性、さらに、もうひとり、Tに私がお願いした龍澤経一さんが歌ってくれました。 いずれも、大変優秀で、美しい声で、懸命に良く歌ってくれました。 指揮は、カペルマイスターのチフラさんがミサ曲を、私が、ヴェスペレを振りました。終了後も、練習室に戻り、お名残惜しく、お話が付きませんでした。 カペルマイスターが言ってくださったことで、「良く準備して来て下さって、ありがとうございました」との言葉には、面映い気持ちでしたが、 ほっとして、とても嬉しい気持ちでした。( なお、聖ペーター教会でも、前日3日午前、ザルツブルク市内観光の最後に訪れ、 この教会で初演の曲「ドミニクス ミサ」の[Gloria]冒頭曲と[Sanctus]を、参列者席で歌わせていただきました。 )
 この日午後には、専用バスで、ザルツカンマーグートを巡り、モーツァルトの母の生家なども訪ねました。大変素晴らしい晴天でしたので、澄んだ空に山々や湖が美しく、 お伽の国のような美しい家々と、正に、絵の様な景色を堪能しました。
 翌5日に、ヴィーンに移動し、6日午後が、孤児院教会でのリハーサルでした。こちらでも、音楽監督のフラヴァティーさんが、待っていて下さいまして、 伝統ある教会の中を説明しながら、裏の方まで案内してくださいました。その後でリハーサルをし、この日は夕刻から教会のレクチャーなど 1時間刻みで予定が組まれているということで、私達は、午後4時から5時の予定で、演奏会形式で、演奏させていただきました。 曲は、ザルツブルクと同じです。やはり、聖堂後方2階のパイプオルガンのそばでの演奏でした。共演しました聖歌隊やオーケストラの方々は、オルガニスト初め、些かお歳の方もいらっしゃいましたが、 どなたも素朴な、大変人の良い方々ばかりで、本当に一生懸命演奏して下さいまして、心が一つになり、私達一同、すっかり感激、感動しました。 終了後は、どなたも親しく、私達それぞれに声をかけてくださり、更に、まさかとびっくり感激しましたが、 何と真っ赤な薔薇の花束を下さいまして、団員1人1人にも1本ずつ下さいました。
終了後には、どなたか男性の声で、私達のことを、紹介して下さいました。「日本の東京から来た「クール・ドゥ・シャンブル」の皆様が歌いました」というような内容でした。 階下でお聴きくださいました参列者席の方々も拍手して下さいまして、 また感激しました。サインを求められたり、名残を惜しんで、オケの若い方々も可なり長く、話しかけて下さいました。AとBの若く優秀なソリスト達は、 今年11月?にオペラで、日本に行きますと言って、何度か日本には行っているとの事でした。オケにも、ウィーンフィルのメンバーがコンサートマスタとV2で 二人参加してくれていました。ただ、オケは、可なり不ぞろいで、全曲を振った私には、かえって、気が楽でした??
 7日も素晴らしい晴天の中、シェーンブルン宮殿、モーツァルトの記念墓地などのある聖マルクト墓地など巡り、珍しく、ベルヴェデーレ上宮では、 画家クリムトとエゴン・シーレの貴重な多くの絵を鑑賞できました。
 8日は、午後のオーストリア航空で、団員達は帰りました。何人かは、後に残り、自由行動に移りました。私も4日ほど残り、ヴィーンとザルツブルクをゆっくり、 一人で見てまわりました。11日(日)には、再度、ザルツブルクに行き、モーツァルトが初演した形態で演奏するとHPに書いてありました「戴冠式ミサ」 を、大聖堂の、今度は、参列者席で、ゆっくり堪能して、聴かせていただきました。終了後、再び、カペルマイスターのチフラさんを訪ね、ご家族など 紹介していただきながら、お茶をご馳走になりました。後ぶらぶらして、「今日は、聖霊降臨祭の祝日で、6時まで開いているので、是非見ておくと良い」と 大聖堂や練習室の裏方?の優しいマリアさんが教えてくれました大聖堂ミュージィアムヘ、6時近くに行き、貴重な歴代の大司教の肖像画や美術品などを見ました。ここでも、 再び、マリアさんに会い、閉館の時間ですのに、慌てないで、あちらも見なさいとか、大変親切にしていただき、恐縮しました。
 ところで、それぞれの教会での響きの体感は、期待したほど、倍音が高くまで聴こえるという事は私には実感できませんでした。 勿論、天井が高い事もあって、余韻は大らかに膨らみ、心地良く、教会を訪れる信者さんたちには荘厳に温かく聴かれ、信仰が深まることでしょうと思いました。 モーツァルトは、あのような響きを聴きながら、あんなに多くのミサ曲初め、珠玉の宗教曲を作曲したのかしらと、 また、今に到るまで、世界中で愛されている大変多くの器楽曲、オペラなどを作曲したモーツァルトの頭の中に響いていた音の世界は どのようだったのでしょうと思いをめぐらしました。 ただ、孤児院教会では、説明で伺いましたように、聖堂の響きを、音楽的に美しく響かせるよう考慮して、内装が木で作られており、その上に、一見、石 にみえるような塗料が塗ってあるとの事でしたが、余韻は、ふっくらと温かく、優しく、とても心地良く、聴かれました。真っ白と金箔?の大変美しい聖堂でした。
 今回の旅は、演奏が最大の目的で、しかも先方との共演ということで、先方の方々との可なり密なお付き合いがあった為、観光旅行では経験できない、 外国の方々の気心をじかに感じることが出来、言葉は充分にはとても通じないながらも、お互いの気持ちが随分良く、通じ合うものなのだと、 長期間、外国に住んだことの無い私には、嬉しく実感できました。 さらに、お互いに同じ楽譜を見て演奏する音楽という共同作業には、多くの言葉は要らず、互いに音の流れの感じを歌ってみる、リズムをきざんでみるだけで、充分分かり合える充実した嬉しさを改めて実感しました。

3月31日(月) 2008年 

  3月22日第6回定期演奏会は何とか終り、ほっとしています。ヴェスペレは詩篇の言葉が大変多く、難しい上に、、細かい音の動きに付けられたシラブルを歌いきる口の滑らかさも必要で、一同四苦八苦するところがありましたが、何とか団員一同のここ一番の集中力で、無事?乗り切りました 。お蔭さまで大変好評をいただきました。いつもながら、終ると「あぁ もう終ったんだ。.もう楽譜を見ることも特に必要ないのかぁ」と些か淋しくなります。 散々聴いたCDも棚の奥に収まり、今度は、「ヨハネ受難曲」のCDが出番になります。 机周りに積まれる参考図書も変わります。 選手交代という感じです。 また一つ一つじっくり学び、演奏して行きます。 「ヨハネ受難曲」は何度も聴いていますが、自分がいざ演奏することになりますと全く違ってきます。どんな曲でも同様ですが、曲の隅々まで、 つぶさに検討し、分析する必要があります。またこの過程が充実していて、大変面白いのです が。他の方の演奏をただ聴いているだけでは気が付かない、また分らないことを より理解する事になり、興味がますます深まります。辞書を引きつつ、1語1語訳していくと新しい発見も多くなります 。折々に対訳だけでなく、様々の解説を プリントして団員に配布します 。特に次回は多くの問題点があります「ヨハネ受難曲」ですから、少しずつ読み解き、丁寧にじっくり練習していく必要があります。
 ところで、2月終わりから、3月初めに「ヨハネ受難曲」を2回聴きました。 1つは、2月25日オランダの合唱団でした。大変ユニークな演奏で、私には新しい経験で、大変面白かったです。 もう一つは、3月2日イギリスの合唱団でした。両方ともソリストが合唱も歌う構成で、オーケストラの編成も小さく、 びっくりするくらいのこじんまりした編成でした。
  オランダの方は、話の内容に従って?、とても表現豊かでした。私がクリスチャンでもない日本人の為か、可なりユニークな演奏に思えました。ただ、大変面白く、是非参考にして,自分達の演奏も言葉の内容を良く考えて、練習して行きたいと思いました。
 また、イギリスの方は、休憩なして、第1部第2部を通しで演奏しました。2時間余りの連続演奏です。 しかも指揮者なしのオーケストラで編成も少なく、ソリストが合唱も歌い、エヴァンゲリストがテノールのソロも合唱も全て歌うという エネルギッシュな演奏でした。ただ、見る限りでは何事も無く、当たり前のような風情で、 エヴァンゲリストのマーク・パドゥモアさんは、声の疲れを全く見せず素晴らしい演奏でした。 演奏自体は、先のオランダ・バッハ協会の演奏より、私に馴染みのある演奏でした。 さらに休憩無しは疲れるのではと思いましたが、素晴らしい演奏でした事もあり、 また休憩で話のイメージが途切れないためか、とても面白く充実して、長さを苦にせず、聴き終えられました。 日本のアマチュア合唱団の演奏会では無理かとも考えますが、休憩無しの演奏もいいのではと思えました。

3月9日(日) 2008年 

 桃のお節句も過ぎ、今日は9日です。昨日8日(土)は、定演の追い込み練習で、朝から全日でした。昨年秋に入団なさった方も可なりいて、 「ヴェスペレ」の言葉の難しさに、私も些か同情する思いです。でも、本当に感心するくらい一生懸命に取り組んでいます。 人間の真面目さ、素晴らしさを思う時です。本番まで、あと2週間。同情している場合ではありません。 私も一生懸命やらねばと心を引き締めているのですが、ここへ来て、私も含めて、風邪を引いている方が続出して、困っています。 考え方で、本番直前でないのが幸いと思っています。昨日は、演奏予定の3曲を全て復習しました。 細かいところがまだ正確になっていず、???と繰り返し、練習しています。中々徹底しません。 以外に難しいのですから仕方が無いかとつい甘くなりがちですが、そんなこと言って場合ではありません。なんとかしなければ・・・
  でも、今回、「ヴェスペレ」を思い切って、2曲とも取り上げて、本当に良かったと思っています。 2曲を比べつつ、練習できることによって、ザルツブルクを飛び出す直前、1779,1780年の僅か1年の違いながら、 20歳代前半のモーツァルトの作曲技法の成長を、 また同じ詩篇によるこれら「ヴェスペレ」の作曲法、言葉の内容の捉え方など、どちらか1曲では、なかなか分り得ない内容を知ることが出来ます。 以前の定演で、丁度これらの「ヴェスペレ」それぞれに先だって作曲しましたミサ曲「戴冠式ミサ」と「ミサ ソレムニス」を演奏しましたが、 これら4曲を演奏する事は、モ−ツァルトの完成された宗教曲の最後を確認出来たことになります。 これらの作曲はヴィーンへ飛び出してからのモーツァルトの大きな素晴らしい飛躍の足がかりとなったと私は考えます。 更に今回もう1曲「ドミニクス ミサ」を練習することにより、前回定演の「孤児院ミサ」につづく、13歳での宗教曲で、 その後の多くのミサ曲作曲の始まりを確認出来ます。 全体に、「孤児院ミサ」とよく似た作曲技法で、易しくないこのミサ曲も私達には、ミサ曲の作曲法について大変良い経験を積ませてくれます。
 ところで、先日3日(日)に、国立音楽大学イリス合唱団の演奏会をたまたま気が付きまして聴きました。 学生達13名の大変こじんまりとした合唱団でした。当日のお客様は100名ほどでしたでしょうか?府中ウイーンホールには些か淋しい数でした。 演奏曲がルネッサンス時代の曲と聞いて、久しぶりに聴いてみようと思いました。 以前に私の合唱団もこの時代の世俗曲を多く練習し、第3回定演までは、最初のステージでこれらの曲をア カペッラで、 またリュートやガンバ、リコーダーなど共に楽しんで演奏していました。プログラムを見ますと、私達も演奏した曲が可なり並んでいて、大変懐かしく、 とても楽しく聴かせていただきました。どなたも澄んだ軽い発声で、心地良く楽しく聴かれ、私にはもう少し聴きたい思いのひと時でした。
 さらに、このところ、復活祭前の四旬節ですので、受難曲の演奏会が多いのですが、オランダとイギリスの合唱団の「ヨハネ受難曲」を聴きました。 両方とも、合唱員もオーケストラも大変こじんまりとしたグループでした。演奏形態は、両方ともソリスト達も合唱・ソロ全てを歌うという形でした。 ただ、イギリスのOAG(Orchestra of the Age of Enlightenment)は、指揮者無しでの演奏で、大役のエヴァンゲリストも全ての合唱を歌うという 私にはとてもハードでは?と思える演奏でした。そのエバンゲリスト マーク・パドモアさんは最後まで、疲れを感じさせない素晴らしい演奏で、 しかも休憩無しの3時間近い通し演奏でしたので本当に感心しました。全体の演奏も私にはとても納得できる演奏で充実した時間を過ごせました。 一方、オランダ・バッハ協会合唱団は、可なりユニークな演奏でした。大変表現豊かな、クリスチャンでない私には、 なかなか表現できないかもと思える演奏で、こちらも私には大変学ぶことの多い演奏でした。帰りにCDを求めました。 時間を見て、改めてじっくり聴きなおしてみようと考えています。 一方、先のOAGのCDは、マーク・パドモアさんのエヴァンゲリストの版を以前から持っています。 

1月4日(金) 2008年 

 あけましておめでとうございます。21世紀も、早や8年目に入りました。そしてこのページを見まして、びっくりです。 何と前回書いてから、いつの間にか4ヶ月も経っていたのです。 様々におお忙しで気ぜわしい日々にまぎれていましたが、大変うっかりしていました。 お正月ももう3日が過ぎ、4日目です。第6回定演まで3ヶ月を切り、いよいよ3回目の練習に入ります。 先ずは、やはりKV.321のヴェスペレからです。 昨秋になって急に可なりの方が入団してくださり、団員たちと喜んでいます。 ただ、彼らはまだ曲に慣れるには練習期間が短く、休まず参加して、せっせと一生懸命練習しています。 チラシもチケットも昨年暮れに出来上がり、これから配布・販売を始めます。 モーツァルトのヴェスペレを2曲とも聴けるチャンスは以外に珍しく、貴重なこの機会に是非多くの方々にお聴きいただきたいと願っています。 一昨年は、モーツァルト・イアーで、BCJや外国からの合唱団の演奏で、KV.321もKV.339も聴く機会がありましたが、 日本人の合唱団が取り上げて演奏するのは 可なり珍しいです。完成された充実感のある大変素晴らしい名曲ですから、 聴いていただく良い機会と考えています。 特にご存知の方も、また聴けば記憶に残っていると思う方もいるでしょうKV.339の5曲目[Laudate Dominum]のソプラノソロは、 音楽史上特に珠玉の曲の一つと言える美しい曲です。今回は、文屋小百合さんに歌っていただきます。 文屋さんといえば、一昨年の第5回定演で、「ハ短調大ミサ」の難曲[Etincarnatus est]の素晴らしい詠唱が鮮やかに記憶されており、 今回も団員一同と大変楽しみに期待しています。それには、団員達も先ずしっかり練習練習です。
 昨年11月と12月にBCJの演奏で、ヘンデルのオラトリオを2曲聴きました。 「エジプトのイスラエル人」と「メサイア」です。とても丁寧な演奏で、合唱も各パートのバランスがよく、心地良くハーモニーを楽しむことが出来ました。「メサイア」は、勿論何度目かですが、「エジプトのイスラエル人」は、初めてで 、大変興味深く、楽しめました。丁度ヴェスペレと同じく旧約聖書からの出典で、ただこちらは詩篇ではなく、 「出エジプト記」からで、あのよく話される海が割れて、モーゼがユダヤの民達を無事にエジプトから脱出させるというお話です。 来年2009年は、ヘンデルの没後250年ということで、早々と一昨年頃からヘンデルの珍しい作品なども可なり演奏され始めています。 余り聴ける機会のない曲が、記念の年には多く聴かれるのは大変興味深く、嬉しいことです。 ヘンデルの作品を深く理解するとてもよい機会ですので、楽しみにしています。

8月26日(日) 2007年 

。  8月が終ります。今月は、長期予報通り?記録的な猛暑続きでした。梅雨明けが随分遅かったですから、涼しい夏かしらと思ったのですが、 急激な気温上昇にはびっくりです。でも、エアコンの設定は、28度か、時には29度くらいにしていたのです。 それでも外気が余りに暑いせいか、意外に室内が可なり涼しく感じられることに気がつきました。 多少は、節電になったでしょうかと思っているのですが? まだ、残暑が続きますが、団員一同、元気に夏休み明けの練習に励んでいます。 今日は、「暑気払い」でした。つまり飲み会です。いつも以上に参加者が多く賑やかで楽しい会でした。たわいない話ばかりですが、 飲んで食べて笑ってしゃべって、お互いの心持ちを感じ合いながら、次への練習ステップにします。
 ところで、今日の練習は、KV.321の4曲目[Laudate pueri]と6曲目[Magnificat]でした。 各パート共に、特にソプラノやテノールは、比較的高音域ですのでなかなか難しいのですが、メロディーのそれぞれの音にラテン語の言葉、特に子音を きちんとのせられるように練習したいと思いました。口先で発音せず、音の高さを認識して、子音をしっかり瞬間に発音しながら、 音にのせていく練習を、丁寧に繰り返しする必要があると思いました。
 昨日25日(土)夜 池袋の東京芸術劇場での演奏会に行きました。日伊声楽コンコルソの受賞者のお披露目コンサートです。 今年は、1,2,3位とも女性でした。次回定演で、「ドミニクス ミサ」のソプラノソロ予定の平川千志保さんが 2位になり出演なさるので是非にと行きました。平川さんは、難曲のベッリーニ「夢遊病の娘」より「気も晴ればれと」を大変心地良く、正確に 音をのせて、非常に爽やかに上手に歌いました。ひときわ拍手が多かったように思います。この様に、正確に音取りしながら、気持ちよく聴かせて歌える方は、日本人歌手 の中でとても貴重な存在の一人と私は思っています。ご自分も勿論ですが、 私達も大切にしてあげたいなと強く思っています。まだ、日本では、言葉の子音や音の高さの正確さに、可なり無頓着な歌い方、聴き方 が一般的なようで、むしろオペラでは、 音や言葉のすっきり聴き取りやすい発音などより、 内容の表現や醸し出す雰囲気等に重点が置かれているように思います。勿論これは当然ですが、歌詞の意味が充分聴き取れな いまでも、語頭の子音の発音が曖昧では、 ますます何を歌っているのか,雰囲気ばかりでは大変居心地の悪い思いをします。 更に、音の高さも大体その辺りという歌い方では、私には楽しく聴かれません。実は、この日の演奏会のゲストの男性歌手が正にそのような方でした。 男声の魅力が分らないわけではありませんが、各曲のオペラでの役柄の表現も曖昧で、結局何を聴いたのか分らず終いでした。 でも、1曲歌われる度に、派手に大きな拍手や口笛が響き、私には???と感じました。ここ数十年のヨーロッパのオペラ歌手の方々の多くは、 男声女声を問わず、非常に正確に発音し、音も正確に刻んで、細かく長いメリスマなどのパッセージも思わず拍手したいほど正確に分り易く歌っています。 ただ大きな声を出して、声自慢だけでは・・・?となってきていると思います。日本の聴衆も、ただ大きな声で派手に歌うだけで、 言葉も音の高さも、歌の内容も曖昧な歌い方に拍手喝采しないよう、耳を切り替えていくようになるといいなあと思いました。 オペラは勿論ですが、宗教曲も歌曲もきちんと歌える歌手が増え、聴衆もしっかり聴き分けられるようになりたいものです。

7月23日(月) 2007年 

 7月もそろそろ終わりですが、梅雨がまだ明けそうにありません。割合涼しくて助かります。
  ヴェスペレKV.321の2回目の練習は、まずまず順調です。 このところ、嬉しいことに新しい方々の入団が続き、それにしたがって、 音取り・言葉の読み及び解説などゆっくり丁寧にする必要がありますので、その分進行がゆっくりになります。 昨日の練習では、2曲目[Confitebor]と3曲目[Beatus vir]を練習しました。 慣れない方の発声に難点がありますが、なかなか皆様堂々とよくハモらせて歌って、すばらしかったです。 定演を重ねるにしたがって、私の発声法にも慣れ、とてもよくハモれるようになってきています。 来年の定演に向けて、練習を積み重ねて行くのがとても楽しみです。次回29日(日)は、3曲目と4曲目を練習します。 このKV.321の2度目練習は、8月一杯で終了し、9月からは、KV.339の2回目練習に入ります。
 ところで、大変嬉しいニュースです。私達の定演で何度かソロや合唱を歌っていただき、来年の次回定演でも、「ドミニクス ミサ」の ソプラノソロをお願いしています平川千志保さんが念願の日伊コンコルソ2位入賞を果たしました。 大学生の頃から、大変素晴らしい美声で将来を期待していただけに、私まで大変嬉しく、幸せな気分にさせていただいています。 ますますのご活躍を期待し、心から願っています。
 次ぎに、先週、土曜日21日に、私がオーケストラ指揮法を文字通りみっちりご指導いただいた久山恵子先生の演奏会を 久しぶりに聴きました。今回は、アマチュア弦楽アンサンブル「アンサンブル多摩」第10回定演でした。 たまたま公演のニュースを見つけ、大変久しぶりにいろいろと学ばせていただきたくもあって、出かけました。 J.S.バッハ「ブランデンブルク協奏曲」3番、 W.A.モーツァルト「協奏交響曲」K.364、 A.ドヴォルジャーク「弦楽セレナーデ」の3ステージでした。この10年の活動の成果が現れて、ステージが進むごとにまとまってきて、 最後のドヴォルジャークのセレナーデは、とても楽しめました。団員の方々は、可なりのご年配の方も多いように見受けられ、 特に大きなコントラバスを白髪に近い?ご婦人が演奏していらっしゃるのにびっくりしました。チェロでも大きいのにと 感心しました。好きこそのご精進の賜物と拝見・拝聴していました。 それにしても久山先生は、70代後半のはずですが、以前と全くお変わりなく、しっかりとお健やかでした。 お久しぶりにお目にかかりましたが、お話ぶりもお変わりなく、こちらの気持ちも引き締まる思いでした。 なお、久山恵子先生は、音楽大学卒業などの経歴ではなく、自ら積極的に学び、斉藤秀雄氏や、留学されてジョージ・セル、レオポルド・ストコフスキー各氏 に師事され、国内外のオーケストラを指揮なさった日本の女性オーケストラ指揮者の草分け的存在でいらっしゃいます。

6月30日(土) 2007年 

 気がつきましたら、今日で早や6月もお終いです。夏至ももう過ぎて、梅雨とは名ばかりの暑い陽気が続いていますね。4月の公開講座が終わりまして、見学期間も過ぎますと 思いのほか?多くの方が入団して下さいました。嬉しいことです。
 練習はまずまず順調です。「ドミニクス ミサ」の一通りの練習が終り、ヴェスペレKV.321の2回目の練習に入りました。2度目ですから、 しばらくぶりの練習ですが、言葉にも可なり慣れ、どなたも中々上手に歌ってくれます。初めての方々の様子を見ながら、練習を進めて行きます。 ただ、余りゆっくりしているわけにも行かないのですが。
 そういえば、先日お越しくださいました見学の方が、「何とかったるい練習をしていることか」とおっしゃいました。見学にお越しくださった方には、 経験豊かな方も多いので、たまにそのようにおっしゃる方がいます。勿論団員達もなかなかのスキルの持ち主が揃っているのですが。ただ、この合唱団では、1音1音パート別に音取りをし、パートもS&A,T&B、S&T、A&B他など時々に応じて2パートずつの練習、さらに言葉の意味を解説し、読みを1語ずつ、声をはっきり出して読む練習を、新しい曲に取りかかった時に は、1度は必ずしています。また、音取りは、練習の度に様子を見ながら、丁寧に入れて行きます。どんなに経験豊富な方々も本当に正しく歌えるには、練習曲が 変る度に相当の練習が必要です。中には経験の浅い方もいますので、本番で全員が心を合わせて、すっきりとハモれるようにするには、この地道な練習が、結局は「急がばまわれ」で早道です。 この合唱団は、モーツァルトの時代には、この位だったはず?と考えられる程度の比較的少ない団員数ですが、定演本番では、経験差を乗り越えて、本当に素敵に良く歌います。 このところの定演では、毎回中々の難曲の大曲が続いているのですが、お聴きくださったお客様に大好評を頂いています。
 最近は、余りコンサートには頻繁に行ってなく、今月は2回くらいでした。その代わり「女義太夫」を聴きました。太棹のお三味線に合わせて、「葛の葉子別れ の段」の語りでした。 義太夫の事は私は全く分りませんが、日本の伝統音楽です。私の 知人は、(うわさによりますと?)今をときめく人気NO.1の太棹三味線弾きとか、 お誘いを頂くので、たまに聴きます。耳が慣れてくると話しの内容が聞き取れ、面白さを感じられてきます。彼女は、大学生の時に、たまたま聴いた義太夫に 魅せられ、40代に到る今日まで精進を続けています。今も日々精進の連続ながら、毎月のように公演をこなし、自主公演も行っています。さらに、より多くの方々に興味を持っていただくため、 80代などご高齢の先輩から様々な年代の先輩・同年輩の方々と共に講師として指導もする忙しい日々のようです。感心なことに、毎月のように公演を行っているのに、私がたまに行きますと、毎回ほぼ満席です。 そのうえ、むしろ若いお嬢さん達、若い男性達の多いこと、びっくりです。私も全くの門外漢で役立たずながら、心から応援しています。
 今度は本来の合唱の演奏会について。今月は、とてもよい経験をしました。6月13日にBCJの定演を聴きました。 J.S.バッハの「教会カンタータ」4曲でした。合唱は、それほどではありませんでしたが、外国人のバスソロが素晴らしかったです。 しばしばソロを歌っている方ですが、いつになく、今回は特に、声もすっきりと良く通り、何よりドイツ語が大変よく聴き取れ、私にはとてもよい勉強になりました。 どこの言葉でも、はっきり聴き取れるように歌うのは、とても難しいものです。(実は、日本語がとても難しいのですが。) 私は、 声の乗りをよく、ピッチを正確に、言葉の内容を踏まえて、1語1語すっきり発音し 、それでいてリズム正しく、音の流れ(メロディー)にのって滑らかに、すっきり文章が聞き取れるように歌うにはどうすればいいかといつも考えています。 これは難しいことですが、上手に行くと心が満たされます。

5月7日(月) 2007年 

 4月 初めにパソコンが立ち上がり不能になり、忙しさもあって、回復作業が遅れました。漸く20日過ぎに無事回復し、ほっとしています。 パソコンは、ひとたび立ち上がらなくなりますとメールも送れず見られず、とても不便を感じることを実感しました。
  3年ぶりくらいの4月の公開講座は、急に計画した割には多くの方々がご参加下さいました。 私達の合唱団を知って下さるだけでも嬉しく、望ましいのは入団して下さることですがそれはこれからお考え頂くことです。 練習の進行状況は、順調です。KV.339のマニフィカトの練習に続いて、「ドミニクス ミサ」に入っています。Kyrie, Gloriaの1曲目まで進んでいます。 「ドミニクス ミサ」は、まだ入ったばかりですが、言葉に慣れていますので、歌いやすいようです。丁寧に練習を進めて行きたいです。
  次回定演は、3月22日(土)に決まっていますが、なんと来年の受難週が異例に早いことを4月になってから漸く気がつきました。前日21日が聖金曜日 になっているとは? 会場を予約する時から、念頭に入れておく事ですが、そんなに早いとは、本当にうかつでした。そこで、急遽、新たなコンサートマスターをお願いすることしました。 以前より是非ご都合が合いましたら、ご一緒していただきたいと願っていました素晴らしいヴァイオン奏者川原千真さんがお引き受け下さいまして、本当にほっと感謝しています。 更に、オーケストラのメンバーもたちまちの内にお願いしてくださいまして、地方へもご活躍などお忙しい日程に中、大変嬉しく感謝しています (私は楽をさせていただきました)。 次回の定演が今までにも増して、大変楽しみになっています。
 4月初め、3日連続で「ヨハネ受難曲」の解説と演奏を聴きました。2日かけて、バッハ資料の研究家や受難曲の言葉の研究家の解説を聴き、 3日目に全曲生演奏を聴くという企画でした。以前にも、「ヨハネ受難曲」の改稿についてはレクチャーを受けたり、勿論演奏もCDも何度か聴いていますが、 今回はより理解を深めることが出来、有意義でした。 なのですが、望ましいのはもっと実際に楽譜を詳しく検討し、じっくり曲を聴くことの必要性(ここまでは自分で も一応出来ます)、 さらに望ましいのは長くドイツで研究を重ねてきた講師によるもっと詳細な長期の講義を企画していただきたい望みが強くなっています。 でも実現はむずかしいでしょうね?  関心の強い方々がどのくらいいらっしゃるかにも拠りますし。

3月16日(金) 2007年 

 3月半ばになりまして、暖冬かと思っていましたら、北国では時ならぬ?雪が降り、東京も今冬には珍しく、頬をきる冷たい風に、遅れてやってきた冬かしらとも思います。 しかも今日はニュースで東京の下町方面で観測史上、最も遅い初雪がみられたとか、TVの映像では、本当にみぞれのようです。とは申しましても、やはり春です。 先日は、友人が房総半島の花栽培家を通して、ストックと菜の花をダンボール箱一杯送ってきてくれました。 びっくりしましたが、早速菜の花はゆでて、大変おいしく、春の香りをいただき、ストックは大きな花器に生けました。まだ、楽しませていただいています。 そうそうこれは、練習日記でした。現在の練習進行状況は、大変順調です。KV.339の3曲目の言葉の読みと内容を いつも通りにゆっくり確認しながら練習しました。この3曲目も旋律がどのパートも美しく、歌って楽しめます。 バスパートがメローディアスに歌えるなんて、楽しいのではと思っています。いつも縁の下の力持ちの役が多いのですから。 やはりモーツァルトだなアと思えます。 バスの皆様はどのように思っているのでしょう? さらに、このようにして、 ヴェスペレを321と339を続けて練習しますと、ほんの1年後の作曲ながら、321に比べ、339の方が洗練されて作曲されているのを実感できます。大変無駄が無く、すっきりと軽ろやかで、しかも洗練されて、充実した構成で作られているということです。J.S.バッハの複雑な構成とは全く違っ て 神の申し子と言われる所以を感じさせられます。簡単な音の並びながら、どうしてこんなにも心に響くメロディーを生み出せたのでしょうかと思う時に。
  練習会場が、このところ、思うように取れていませんので些か困っていますが、4月は割合良く取れました。 そこで、急遽公開講座を行うことにしました。本当に久しぶりですが、少し活動をPRしたいことと、出来ましたら仲間も増やしたいということです。 日頃の練習通りにやります。つまり呼吸・発声法を基本から少しずつ(毎回の練習初めにやっていることです)、 更に曲は今練習中のヴェスペレKV.339とドミニクス ミサKV.66で練習の進度に添ってやります。 それぞれのラテン語や曲の解説、勿論合唱も歌って楽しみます。 日程は、4月 8日(日)、22日(日)、30日〈日)これらの日は1:10〜4:20p.m.、さらに夕刻になりますが、 27日〈金)6:45〜9:15p.m.の4回を予定しました。費用は、楽譜など資料代として500円です。
 ところで、暫く前になりますが、3月3日に若い演奏家達ばかりのジョイントコンサートを聴きました。それぞれ15分〜20分くらいの演奏でしたが、 中々優秀な方も多く、これからの活躍を願う思いでした。その中で、昨年秋にイタリアでの留学を一先ず終えて帰国し、これから国内でも活動を広げて行きたいと 願っている平川千志保さんが歌いました。G.ロシーニのオペラ「ヴェネチァの競艇」から3曲ほかの演奏でした。 とてもきらきらと澄んだ声で素晴らしく、高いところも丁寧に音をのせて、素敵に歌いました。なかなか高音をきちんとのせて。 1音1音丁寧に歌える歌手は以外に少ないので、大変貴重な存在と私は期待しています。 実は、この方には、次回来年3月の定演で、ドミニクス ミサのソプラノソロを受け持っていただくことになっています。大変楽しみに期待しています。

1月29日(月) 2007年 

 年が改まり、早や1月も終りになりました。年末年始は些か落ち着かず、この日記も随分間が空いてしまいました。 ヴェスペレの練習は大変順調に進んでいます。1曲1曲言葉が違って、いずれの曲の言葉も団員にとっては 初めてですが、3曲目4曲目になりますと曲の構成は全く違っても、どこか共通した雰囲気もあって、団員達には歌い易くなっているようです。 ただ言葉の字面は分っても、その背景などの理解は、やはりなかなか難しいところがあります。旧約聖書の時代背景を知る必要があると考えますが、 宗教上の考えが強く反映されていて、簡単ではないと思えます。ヴェスペレの言葉は、 前回書きましたように最後のマニフィカット以外の5曲は、旧約聖書の詩篇に基づいていますが、 この詩篇は一貫して、この世の全てを創り、支配している神を賛美し、その神が惑える自分達人々のために この世に遣わされる救世主の到来を強く望んでいる内容ですので、つまりはキリストの到来を強く待ち望んでいる内容になっています。 ただ、救世主をキリストと考えるのは、キリスト教の信者達のみです。 旧約聖書は、キリスト教信者達だけのものではなく、ユダヤ教の信者達のものでもありますので、彼らにとっては、 救世主は今だに1度も到来していず、現在も待ち望んでいるのだそうです。勿論このヴェスペレの言葉の解釈については、一般的には キリスト教のカトリックの考えに基づいています。
 1語1語こつこつと品詞・格など語尾変化による解釈を確認しながらのヴェスペレの対訳も、最後のマニフィカットまで全て終えました。 昨日28日の練習で、一応KV.321の最後まで言葉付けをしました。最後のマニフィカットは、マリアが受胎告知に感激し、神に捧げる感謝の言葉です。 次回にもう一度、全曲のざっとした復習をして、次々回2月11日の練習から、もう1曲のヴェスペレKV.339の練習に取りかかります。 ミサ曲と全く違う言葉に団員一同、最初はとまどいもありましたが、練習が進むに従って、曲の構成にもなれ、その深さ・美しさも感じる余裕も出てきて、 練習は順調です。
 ところで、昨年の暮れのことで、随分経ちますが、BCJのモ−ツァルトを聴きました。レクイエムとヴェスペレKV.339でした。 指揮者鈴木雅明先生の気持ちが集中された素晴らしいレクイエムでした。レクイエムですから、楽しいという曲ではありませんが、 とてもよく完成された演奏に心が大変満たされました。   

11月26日(日) 2006年 

 これを書くのが、またまた1ヶ月、間が空いてしまいました。「ヴェスペレ」KV.321の練習が続いていますが、 今2曲目の言葉付けを丁寧にしています。ほどほどにして、3曲目に進もうと考えています。  このところ、団員に詩篇による言葉の逐語訳や何種類かの口語訳・解説のプリント配布が多くなっています。  「ヴェスペレ」は、旧約聖書の「詩篇」の110,111,112,113,117  (1番少なく、109からと書かれている場合もあります) と新訳聖書の ルカによる福音書1.47〜55の詩や言葉に作曲されていまして、計6曲で構成されています。この詩篇の訳が意外に難しく、 どういうことを述べているのか解かりかねる所があります。勿論、ラテン語ですが、本来朗誦される詩として書かれていますので、 文章が完全な構成になっていず、どのように訳そうかと思案することがしばしばあります。
 いくつかの口語訳や解説を見ても、一様にその解釈の難しさを述べています。 いずれの訳者も、紀元前数百年前から書かれたヘブライ語による旧約聖書の原典を元に、 また古来のさまざまな解釈を参考に訳しています。今から2000数百年以前に書かれた物ですから、 部分によっては判読不明のところがあって、多くの学者が研究を重ねて来ています。 そうして訳された文章を読みますとそれぞれ解釈に様々な違いのあることに気付きます。 訳の労苦を理解しつつ、参考にさせていただいています。
 私も一つ一つの単語を丹念に調べ、その格変化を理解しつつ、逐語訳をしていきます。 そうすることで、訳されたものを、ただ読んでいたのでは十分理解できないところが、可なり納得できるようになります。 こうして、文章全体は勿論、単語一つ一つを一応理解しながら、歌い進めていくことが曲を自分のものにする上で必要と考えています。 言葉を読んで、音が取れれば、取りあえず歌えます。また歌った気持ちになれます。でも、 面倒でも一つ一つの言葉を良く調べ、曲の音楽面での構成は勿論、言葉の内容についても出来るだけより深く理解して合唱したいと考えます。 歌う団員も聴いて下さる方々も共に、充実した本当の満足感を味わえます。
 さらに、これら詩篇を読み、訳していますと次々に疑問が沸いてきます。詩篇は旧約聖書に含まれていて、 つまり当時のユダヤ人の考え、真情を述べていますので、その背景の深さ広さを知らされます。 及ばずながら改めて時代背景、当時の勢力分布など学ぶ必要を考えています。
 次回の定演では、今練習していますKV.321に続いて、KV.339のヴェスペレ、更に「ドミニクス・ミサ」KV.66を演奏する予定にしています。 それにしてもモーツァルトは、どのように考えながら、これらの2曲のヴェスペレを作曲したのでしょうか?と思いめぐらします。 ザルツブルク時代最後の2年間に戴冠式ミサKV.317、ミサソレムニスKV.337 の 重要なミサ曲にそれぞれ続いて作曲しています。 ヴェスペレは、6曲からなる組曲ですが、当時としても6曲揃えて作曲される事は多くなかったようですので、 2曲のヴェスペレともに、きちんと6曲揃えて作曲したモーツァルトの意気込みを感じます。 これら ザルツブルク時代最後の4曲の宗教曲は、生涯を通しても珠玉の作品であり、 特に6曲揃えて作曲したヴェスペレは生涯にこの2曲のみで、宗教音楽史上においても貴重な名曲と考えられています。 ウィーンへ脱出してからも、これらの曲は機会を捉えて、何とか演奏したいと意欲を持っていたようです。 今回、思い切ってこれら素晴らしいヴェスペレを2曲揃えて、学べるのは楽しく貴重なチャンスです。

10月23日(月) 2006年 

定演から早や3週間すぎ、あっという間に日は経ってしまうものですね。予定通りモーツァルトの「ヴェスペレ」KV.321の練習に入っています。勿論先ずは音取りからですが、 10月2回目15日(日)の練習では、1曲目[Dixit]の階名唱をしました。臨時記号が少ないですから、これはどなたでも割りに簡単に歌えます。 曲の構成を解説して、CDの演奏を聴き、全体の流れを理解しました。これらの事は今後も繰り返し行います。
 言葉がミサ曲とは全く違いますから、少し大変です。この「夕べの祈り」の言葉は、旧約聖書の中に書かれています詩篇から引いてきています。 古いラテン語ですので、多少気をつける必要があります。日本聖書協会の日本語訳は逐語訳ではありませんので、 単語を一語ずつ一通り確認しながら練習します。
 前回20日(金)の練習日には、先ずは1曲目の言葉一語ずつにその意味と文章全体の逐語訳を書いたプリントに、 さらに詩篇の中で該当する箇所の日本聖書協会による2通りの口語訳をプリントして配布しました。全く初めての言葉ですから、 改めてよく見て、繰り返し読む必要があります。2通りの口語訳もそれぞれに意外に言葉の使い方が違っていて、多少理解し難い思いをしますが、 繰り返し読むとクリスチャンではないまでも一応理解できます。面倒でも、一語一語の言葉を理解し、繰り返し練習していくことによって、 曲の感覚が体に沁み込んで理解が深まり、本番の演奏が深みを増します。楽譜を一通り覚えただけでは、十分な演奏にはなり得ないのです。
 ところで、先週土曜日21日に、オーケストラ・リベラ・クラシカの演奏を聴きました。モーツァルトの交響曲33番KV.319に、ピアノコンチェルト20番KV.466, それにハイドンの交響曲73番Hob.1:73「狩」というプログラムでした。全て古楽器による演奏で、ピアノもフォルテピアノによる演奏でした。 特にこのフォルテピアノの響きが穏やかで優しく、ピアノの製作が発達しつつあった当時、この新しい楽器をモーツァルトが大変好んでいて、 次々と曲を作り、自ら演奏し,即興演奏で聴衆を魅了したと伝えられている音はこれに近かったはずと想像しつつ、心豊かに楽しみました。 現代のピアノに比べ、音がか細く、ともするとオーケストラの音に消されかねないながら、澄んだ味わい深い音が心地良かったです。    

10月 1日(日) 2006年 

定期演奏会が昨日無事終了しました。今回は最初の取り付きは良く、団員達は甘く考えた様子が些かあったのですが、 なかなかどういたしましてとモーツァルトさんは甘くありませんでした。最後の仕上げに苦労しました。 でも、思いのほか? 団員たちはとてもよく歌いました。細かいところでは気になることがあるのですが、 実際には、言うは易し行なうは難しと、理想的に歌うのはなかなか難しく、先ずは大成功と言えるのではないでしょうか?  お聴きくださいました方々の感想もお世辞があるにせよ、とてもお褒めをいただき、感謝しています。
 「大ミサ」の中心 花!! [Et incarnatus est]は大成功でした。柔らかく素敵な声でのびのびと歌っていただき、この大曲を聴かせて頂きました。 やはり、若いって 声も若く、本当に素敵です。ほかのソリストの皆様もとても素晴らしかったです。ありがとうございました。
 古楽器オーケストラの方々も、多くの方々がいずれの曲も初めてという状態で、1回目のオケ合わせの時にはまとまらず、???でしたが、 3日連続のオケ合わせが進むと、目覚しく改善され、さすがトッププロ? 本番では見事なアンサンブルを聴かせてくださいました。 有難うございます。
 今回何より心配していました金管楽器(トロンボーン3本、トランペット4本・・・2本はクラリーノと書かれていますので、どんな形態かと 大変楽しみにしていましたが、普通のナチュラルトランペットに大きさも形も殆ど同じでした。現在では余り良く分らず、やむをえずトランペットと同じになるそうです。 楽譜に書かれた音は十分演奏できるそうです。)が、とても柔らかく、余り自己主張しないで、素敵に演奏していただき、 ほ!っととても嬉しくなりました。
 さてまた次に向けて始まります。モーツァルトさんが続きます。今度はヴェスペレ(夕べの祈り)[Vesperae]。又じっくり仕上げて行きます。 次回もソリスト、特にソプラノはどうしましょうか? よくよく考えてお願いすることにします。
 モーツァルトは、ザルツブルク時代最後に仕事として、2曲のヴェスペレを書いています。これら2曲を演奏しようかということです。 可なりマニヤックな企画ですね。でもこの2曲だけでは1回の演奏会には時間が足りません。2曲あわせても、1時間ほどですので。  さて?
 これらヴェスペレの歌い方にもよりますが・・・例えば、グレゴリオ聖歌を添えるとか? それでもまだ足りない・・ ?
 とにかく大変美しい曲です。これらが演奏できる幸せを感じつつ、練習に励みます。

9月15日(金) 2006年 

この日記も随分間が空いてしまいました。8月は忙しかった。プログラムの原稿書きと仕上げなど・・   そうそうトロンボーンのパート譜に、ミサテキストを書き込む依頼もありました。 依頼を聞いたときは、「え!2曲とも全曲に?」と些かめまいがしそうでしたが、結局引き受けました。 より上手に共演して頂くには、ご希望に添うのが理想と思い至ったのです。 何と言っても、合唱を支えていただく楽器ですから。
 さて今日はもう9月半ば、以前ですと「敬老の日」という事です。 定演まで半月です。些かの焦りもありますが焦っても仕方がない? 合唱の進み具合はまずまずです。 勿論最後の仕上げです。 団員たちも真剣になってきました。普段も真面目にきちんとですが、本番前はさらにです。
 ところで、曲の分析を進めるに従って、これが12歳の子供の作曲でしょうかと感心する事しきりです。 立派な大人でもなかなか。勿論父親のアドバイスや先輩作曲家の作品を参考にしてと言われていますが、十二分に理解し吸収して作り上げる。やはり天才ですね。さらに、この曲を皇太后陛下、皇族貴族など高貴な?方々列席の前で、自ら指揮をし、 まことに素晴らしかったと宮廷儀礼記録に書かれる演奏をしたようです。やっぱり天才とはこのような事なのでしょう。 もっとも研究者の中には今に至るまで名を残している作曲家にはそれほど珍しいことではないと書く方もいますが。
 対して、「大ミサ」これは作曲の能力も自信もがますます増し、生涯で最も充実し、ウィーンという新天地で希望に燃えていた時の作品です。以前にも増して熱心に学んでいたフーガの技法を十分に駆使している正に大曲です。 モーツァルトは、おしゃべりしながら、むしろおしゃべりしていた方が筆が進むとか言い、どんどん作曲し、 溢れ出るメロディーに思わず筆がすべったなどと言われることもあります。 が、大変よく計算された?和声・対位法の技術が読み取れ、 増音程や減音程を多く含む不協和音の響きの魅力・面白さ、さらにそれぞれのミサの言葉の内容を とてもよく踏まえていることに気付かされるのです。  さらに、この曲には、なんとも絶妙な素敵なソプラノソロが多く書かれていて、故郷の人々、時に父親や姉の前で、妻コンスタンツェに歌わせ、その魅力を精一杯披露したかったモーツァルトの愛情深い心根が痛く偲ばれるのですね。こんなに望んでいたのに、お姉さんは コンスタンツェを義妹として十分?には納得してくれなかったようです。 以後、モーツァルトが亡くなるまで、この姉弟は、2度と会っていないのです。 お姉さんは長生きしたのですが・・
 

7月26日(水) 2006年 

  7月に入って、早や月末が見えてきています。「孤児院ミサ」の練習は前回23日(日)で一先ず終えました。次回30日〈日)から、 再び、「大ミサ」が始まります。さすがに、どなたもかなり曲が体に入ってきていて、音がまとまり、ハーモニーが香り始めつつあります。 ここからが難しいです。更に一歩も二歩も進みたいです。
  今回は「孤児院ミサ」の興味深いところを書いてみます。12歳の時の作曲ながら、 堂々としたミサソレムニスの構成を形作っていて、大小?4本のトランペットが使われています。 この曲は、マリア テレジァの命により、充実を図られていた孤児院に新しく建設された教会の献堂式のために依頼されて作曲し、多くの皇族、貴族達の臨席の下、指揮し演奏しました。当然ながら大変お目出度いお祝いが目的 のためもあってか、華やかにトランペットやトロンボーン、更にオーボェなど管楽器が多く使われています。受難の部分では、冒頭より弱音器を付けたトランペットとティンパニーが、 ハ短調の主音を重く響かせ、増減音程が続きますが、特別変わった和音構成ではないのに、トロンボーンと共に、 大変効果的に受難の苦悩を心に響かせてくれます。更にアニュス デイでは、魅力的なトロンボーンのソロまで書かれている という珍しい部分もあって、キリエの冒頭での効果的な使い方も含め、これら管楽器が大変効果的に使われているのが 非常に珍しく、まだほんの少年の作曲なのにと驚かされます。 勿論、当時の先輩作曲家や父親レオポルトに範を得、またその父の良い指導による作曲であったと想像されますが、 曲の深みと長さには本当に感心させられます。更にモーツァルトのミサ曲では、当時の習慣で、 トロンボーンは合唱のアルト、テノール、バスをなぞって、補強するように書かれていて、 ともするとad libitum(随意に)と書かれていることも多いのですが、この曲においては、カットするわけにはいかないばかりか、 演奏するそれぞれの部分は長くないながら、大変効果的で重要な楽器として使われています。
 

7月 7日(金) 2006年 

  6月は、大変忙しく、このぺーじをお休みしてしまいました。7月に入って、練習は再び「孤児院ミサ」です。 3度目の練習ですので、どなたもかなり曲が体に入ってきていますが、一つ一つもっと丁寧に見ていきます。 社会人の集まりですので、なかなか全員揃っての練習にはなり難く、残念なところです。次回練習日9日(日)は、Gloriaの後半を練習します。 ところで、古楽器オーケストラのメンバーも丁度シーズンで忙しい弦の方々がどうやら漸く決まり、ほっとしています。 今までにもよく来てくれました素晴らしい方々で嬉しいです。今回の金管はモーツァルトが本当に書いたかどうか些かはっきりしないパートも含め、 フルスコァに一応書かれている全パートが来てくれることになっています。なんとトロンボーン3本(これは普通です)に、トランペット4本です。 これが、12歳の時に作曲した「孤児院ミサ」の編成なのです。びっくりの感じですが、カットしないことにしました。 まろやかに吹いてくださるよう願っています。
 6月もいくつか演奏会に行きました。イイノホールでの二期会の若い方々の演奏会は華やかで、それぞれのオペラのアリアを楽しみました。若い方々の今後の成長を 願っています。他の演奏会では、可なり前になりますが先々月の5月31日第一生命ホールで聴いた2回に分けたメンデルスゾーンのクワルテット全曲演奏の 2回目の演奏会が心地良く大変素晴らしい演奏でした。以前に1回目も聴いたのですが、この日は特に各楽器の響きのバランスが大変素晴らしく、 何とも楽しく聴かれました。客席で聴いていますと、どうしても楽器の並び方による各楽器の響きのバランスが気になります。 特にクワルテットのように4人のみで演奏する場合、奥に位置するV2やVaが物足りなく残念なときがあります。 演奏している方々にも分かり難いところで、大変難しいのではと思います。 その意味で、この日の演奏はとてもよく響いて心地良く、演奏者達の呼吸もぴったりで大変素晴らしく帰路の心が温かかったです。

5月28日(日) 2006年 

 今日は、「大ミサ」最後のOsannaとSanctusの後のOsannaの練習をしました。音取りは一応出来つつありますが、 これらの8声のフーガを、速いテンポで  軽く正確に、音とリズムを刻みながら歌うのは難しく、苦労のいるところです。繰り返し繰り返し練習する必要があります。 一般的には音が取れれば歌えたような気持ちになりがちですが、 メリスマなどを本当に正確に軽やかに歌うのは相当な練習が必要です。 正確に刻まれた心地良い演奏に仕上げたいものです。 団員達はなかなか良く歌って練習に励んでいます。5月初めに聴いたミシェル・コルボさんのびっくりするほどの軽やかなOsannaが、 またペーター・ノイマンさんのきちんとした丁寧な演奏が折に触れ、今も頭の中で鳴っています。 勿論生演奏で「大ミサ」を聴いたのはもう何度目かなのですが、自分で楽譜を良く見て、実際に練習していると耳への響き方がまるで違うのですね。
この一週間、気温の上下も大きく、天候が不順です。先週20日の土曜日は夏日でした。余りの暑さに軽やかな薄着で出かけました。 銀座の王子ホールでのソプラノリサイタルです。オールモーツァルトプロの演奏会は、よく練習を積んでいることが感じられ、 丁寧な歌いぶりに心が満足していて、歩行者天国で賑やかな、暫くぶりの銀座を爽やかな風に吹かれて心地良く歩いて帰宅しました。 ところが、翌日から日を追って、のどが痛くなり、声がハスキーになり出しにくく、とうとう木曜日には耳鼻科に行く事になってしまいました。 漸く今日は大分戻ってきていますが、この季節はまだまだ、薄着は禁物と反省しました。どなたもお気をつけ下さい。のど風邪がはやっているかもとか?   

5月11日(水) 2006年 

 前回 7日(日)の練習は、「大ミサ」の[Osanna]の練習をしました。8声で構成されていて、中々簡単ではなく、一音一音丁寧に音取りする必要がありました。 この日は出席が多く、練習も捗り、まずまずでした。次回14日(日)は、「孤児院ミサ」を1日かけて、ざっと総復習します。
 ところで、先週は長いゴールデンウィークでした。私は、30日(日)に、私の別の合唱団の演奏会を無事好評に終え,5月に入って早々に私事で忙しなく、ほっと一息つく間もなく、 4日から 国際フォーラムでの音楽祭に3日連続で出掛けました。チケットは売り切れが多く、大ホールでの演奏のみを購入することができただけでしたが、十分に有意義な演奏を堪能できました。 先ず、ミシェル・コルボとペーター・ノイマンのW.A.モーツァルト「大ミサ」KV.427を聴きました。先に聴いたコルボはモダン楽器オーケストラで、ノイマンは古楽器での演奏でした。 コルボの時は余りの大ホールで初めて聴く演奏に音が遠く、大変違和感がありましたが、それなりに楽しめて聴かれました。少し耳が慣れたのか、次のノイマンはとてもよく聴こえ、大変素晴らしい演奏で 、この様に演奏すべきとお手本のように思えました。部分的には私なりの要望を感じましたが。先ず何よりうわさに聞いていた韓国の歌手(一般的に韓国の方々は近年大変優秀とか?)の ソプラノソロは、十分満足して聴きました。あの長く難しいソロをしっかりした音取りでのびのびと歌って聴衆を魅了していました。いくつかの細部には更にもう一歩の望みも抱きましたが、今まで、 このソロの生演奏で満足する演奏を聴いた経験が殆ど無いだけに、大いに心地良く聴けました。さらに、最終日夕刻には、モーツァルトの「晩祷」KV.339を聴きました。 他にオッフェルトリウムKV.277とレジナ・チェリKV.276を聴きました。ノイマンの指揮で、そこそこに楽しく聴きました。しかしもう少し狭いホールで聴きたかった との思いです。9:45p.m.からの最終プログラムは、モーツァルとの「レクイエム」をRIAS室内合唱団とベルリン古楽アカデミーで聴きました。 とても期待したのですが、メリハリがもう一つで、響きもすっきりとは言えず些か残念でした。 レクイエムは、声を張り上げて、華やかに歌うのは大変考えもので否定したいのが私の考えです。そこで、おまけ?で歌ってくれた2曲は、 ソプラノも爽やかに、すっきりした響きで楽しめましたので、むしろ「レクイエム」はあのように演奏するものとドイツでは考えられているのでしょうか??とも思ったりしています。
 更に大変面白く楽しめたのは、丁度同じ時期に丸ビル7Fで開催されていた「〜モーツァルトの旅、モーツァルトへの旅〜」展でした。 こちらへも連日足を運び、繰り返しよく見ました。モーツァルト研究学者海老沢敏先生のコレクションからの展示で、 大変貴重な多くの伝記やケッヒェルの全作品年代順主題目録などの初版本・自筆譜・筆写譜・書簡 ・父レオポルドや息子モ−ツァルト自身が書いていた作品目録の自筆などのファクシミリ版など何度見ても見飽きないものばかりでした。多くの書物に書かれている いくつかのモーツァルト伝記も、 没後間もなくのF.von シュリヒテグロルの執筆本から、妻コンスタンツェの要望で書いて、没後2年の1828年に出版されたG.N.von ニッセンの 「モーツァルト伝」の初版本、さらにコンスタンツェや姉ナンネルに直接会って、聞いた資料に基づいて書いたといわれている ノベッロ夫妻の「モーツァルト巡礼」などそのほかいずれもびっくりするような貴重な物を日本で目の当たりに見られた大変嬉しい経験でした。 なお展示写真にありましたモーツァルトのものと言われた頭骸骨も、一時話題になりましたが、今では全く否定されていると の海老沢先生ご自身の解説でした。 そのほか、当時の親交のあった人々の肖像画写真や自筆署名・書簡も多く展示されたいました。羊皮紙に書かれたマリア・テレジアのサイン、サリエリの書簡など。
 更に今日はもう一つ、実はモーツァルトより100年早く、今年が生誕350年記念になるフランスの作曲家がいます。マラン・マレといって、生存当時はヴィオル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)の大変な名手であり、多くの曲を作曲した方だそうです。この方を記念して、5月末、主に27日(土),28日(日)に一日かけて、レクチャー・展示・コンサートが企画されています。浜離宮朝日ホールを中心に開催されます。ご興味のある方は、アレグロムージック03−5216−7131にお問い合わせ下さい。現在日本の優秀なヴィオラ・ダ・ガンバ奏者が多く出演します。

4月25日(火) 2006年 

 一昨日23日(日)の練習は、「大ミサ」の[Qui tollis]と[Sanctus]をしました。[Qui tollis]はト短調で書かれ、8声で構成されています。 音楽学者がしばしば言っていますように長く重い曲で,[大ミサ」全体の中でも特に重要な曲です。モーツアルトの宗教心が込められているように思います。 是非、曲の流れ・構成をすっきり、歌いこなせるようにしたいです。[Sanctus]は、音に言葉と声がうまくのせられるといいですね。
 今月20日過ぎに、新国立劇場で、モーツァルトの最後のオペラセリア「皇帝ティトの慈悲」が二期会により、4回公演されました。 私はよく考えた末、見に行きませんでした。見に行った方から聞いた2通りの感想を書きます。両方とも私には予想が出来て、理解できるものでした。
  一人の方(音楽学者)は、「余りに斬新過ぎて、あれでは、モーツァルトが可哀相だ。古代ローマの悲劇の解釈が全く無視されている。 なのに、開幕前の緞帳にドイツ語で、「私達はローマに立っている」と書かれていた。大変違和感を覚えた。現在のドイツでは、このような演出が好まれているようだが、私は大変疑問に思う。余りに露骨過ぎて、かえって不愉快な思いをさせられた。主役2人の心情を吐露する アリアのオブリガート奏者の演出(死神装束でそばに立っての演奏)も不愉快だった。 あそこまでやる必要はないと考える。このオペラの台本に、モーツァルトが意図した考え・思いが無視されていた。」
 もう一人の方(音楽愛好家)は、「期待通り、大変面白かった。普通の演出よりずっと解かり易く、納得させられた。初心者には向いていて、多分オペラファンの 裾野を広げる意図があるのでしょう。主役2人の心情を吐露するアリアのオブリガート奏者の演出も大変面白く、 心情を良く表現していて,分りやすかった。やはり評判通り、コンビチュニーは素晴らしい。」  さて、多くの観客の皆様はどうだったのでしょうか???

4月 2日(日) 2006年 

 今日2日〈日)は練習日でした。「大ミサ」のCredoを練習しました。「Cre]をクリアにインパクトを持たせて発音できるといいなあと 願いながらの練習でした。私達日本人には、子音の発音がなかなか思うようには出来難いのです。でも根気強く練習することによって、 少しずつ上手になってきました。また細かいリズムにすばやく複数のシラブルを歌いこむのも難しいです。舌、口が回らない? やはり練習です。ミサ曲ですから、言葉はミサの通常文です。しかし、当然ですが、曲によって、言葉の付けられ方が違います。言葉の内容が よく聞き取れ、理解できるように歌えるのが理想です。これがなかなか難しいのです。特に、モーツァルトは美しく歌いたいので、 やはり練習、練習です。
 このところ、モーツァルトについての本をよく読んでいます。改めて気がついたのですが、モーツァルト研究学者というより、 愛好家と自称している数限りなく?というほどの多くの方が、様々な観点から、よく研究し、大変面白く書いていて、いずれも読みたくなり、些か困るほどです。 ただ、もっと困るのは、思い入れ?が深く、どこまで本当かと判断に迷うこともあることです。このような事は、モーツァルトさんがお亡くなりになった直後から、 続いていることようで、時代時代によっても諸説様々だったようです。しかし、世界中の学者の方々が、より多くの資料を慎重に研究し、先ず間違いないと 学会で判断された事柄をしっかり見極めつつ、読むよう気をつけたいものです。ただ、又いつの日か正しいといわれた説が変わる事もあり???です。 何しろ、215年前(1791年に亡くなっています)の事ですので。自筆譜の信憑性も大変難しい事で、根気強く研究を続けている学者の努力に、 今更ながら感心しています。さらに、当時の社会情勢・人々の考え方・生活様式・街の様子・服装・交通機関など全てを考えながら、 モーツァルトさんの生涯を理解する必要があります。日本では、江戸中期という頃ですので。ただ、モーツァルトについては、 他の多くの作曲家に比べて、格段に多くの資料が残されています。まず、父親レオポルトの記録、妻コンスタンツェが二度目の夫ニッセンに書かせた伝記、大変多くの書簡、姉ナンネルの日記、教会などに残されている記録などにより、 その生涯について、よく知ることが出来ます。しかし、残念ながら全く分らないこともあります。 それだけに、もっと知りたいと願って、想像や思い入れも多くなるのかもしれません。  

3月16日(木) 2006年 

 前回12日(日)の練習で、「孤児院ミサ」の練習を一段落させ、次回から、再び「大ミサ」に取り掛かります。 モーツァルトのミサ曲は、前回定期のバッハ作曲「ロ短調ミサ曲」に比べて、初めの取り付きは易しそうに思えるものの、 練習が進むにしたがって、言葉と音の流れ、フレーズを如何に滑らかに、しっかり音をのせて、美しく歌えるかがいよいよ難しい課題になってきました。 天上からの響きと称されるモーツァルトの曲の難しさをだんだん実感させられてきます。21日(火・祝)は、最後のオペラセリア「皇帝ティトの慈悲」の鑑賞会に変更しました。 時間は練習時間と同じく午後、会場は「たづくり」8F映像シアターでの鑑賞です。日本語字幕つきを鑑賞できる貴重なチャンスです。
  先週土曜日11日に、海老沢敏先生のモーツァルトについてのレクチャーを聴きました。今回の曲は「皇帝ティトの慈悲」でした。 余り上演されないオペラですが、大変価値のある素晴らしいオペラですとは、海老沢先生のご意見です。 この曲は、レオポルド2世のボヘミヤ王戴冠式祝賀用オペラだったのですが、初演された1791年9月6日当時は、王妃の侮蔑した評の反面、高い評価も多く、賛否両論だったようです 。しかし、初演地プラハのみならず、ヨーロッパ各地の人々には人気があり、 1830年ごろまでは可なり上演されたようです。ところが、19世紀半ばのグランドオペラや楽劇の登場と共に、以後20世紀も1969年くらいまでは全く忘れ去られていたとのこと。 この曲は、亡くなる数ヶ月前、「魔笛」と「レクイエム」の作曲と同時期 の依頼でした。当時は、歌手たちの声に合わせて作曲されるものであったのですが、まだ未定の上、注文されて2ヶ月足らずで上演という 大変ハードな日程でした。そのため、体調を悪くし、死を早めたのではとも考えます。 しかし、歌われるいずれのアリアも、長く、大変綿密に深く作られていて、若く35歳の生涯ながら、晩年の作曲技術の集大成を聴く、思いです。 モーツァルト自身は、自ら記録していた「全自作品目録」に、原作を台本作家により「真のオペラ」に改編して作曲したと記入しています。

3月1日(火) 2006年 

 今日から3月です。春先の雨に木々が潤っているようです。2月末、25,26日の両日は「大ミサ」の集中練習をしました。8声の曲がいくつかありますが、中でも [Qui tollis]や「Osanna]は、中々の難曲です。言葉の内容・構成を踏まえて、きちんと歌えるようになりたいと 丁寧に練習しました。 特に、「Osanna]は、版により、可なりの違いがあり、どのように演奏するか思案する部分です。
 2月27日(月)夕刻、めぐろパーシモンホール小ホールに、モーツァルトの「コシ ファン トゥッテ」を見に出かけました。 まだ、20代の若者達の研究会のような団体「ピッコロ団」の公演でした。ピアノ伴奏による演奏(とても慣れて上手な演奏)でしたが、 舞台設定も簡単ながらよく考えられており、なかなか本格的なオペラに、 思いがけず?大変楽しめました。 大変丁寧な演出・演奏で、全体の構成もきちんとしていて、分りやすく納得させられる舞台でした。中でも、私が嬉しかったのは、 重唱がとても気持ちよく聴けたことです。実は、私は心地良くハモっている重唱を聴くのが大好きなのです。 世に知られた歌手たちのオペラを聴きに行っても、美しい重唱を聴ける事はとても少ないと思っています。 素晴らしい声のソロを聴く事は多いのですが、オペラでは、重唱を余り重要視しないのでしょうかと思うことも多いので、この夜の丁寧に歌われる 重唱はとても嬉しく聴けました。ソロも一生懸命でよかったのですが、むしろそれぞれ相手が代わる二重唱、出演男性3人の三重唱、 出演者全員による6重唱などの中、多くの曲が私にはとても嬉しく聴けました。中でも女性2人の二重唱、男性3人の三重唱に本当に素晴らしい 演奏がありました。ソロについては、音程が少々不安定な時もありましたが、全体として、大変丁寧に一生懸命練習したことが伺え、 若い方々の努力に精一杯拍手を送り、やはり一緒に合わせる練習の大切さを思いつつ、今後の活躍を願いながら、心温かく家路に着きました。    

2月19日(日) 2006年 

 今日は、「孤児院ミサ」の[Benedictus]から、最後[dona nobis pacem]まで練習しました。[Benedictus](ヘ長調)では、ソプラノソロと合唱が 交互に歌います。優しく美しいソロのフレーズに続いて合唱が4声でHosannaを歌うモーツァルトのミサ曲によくある形が4回繰り返され、 最後にソプラノソロが温かく締めくくり、リズムとテンポが急変して、再びSanctusのHosannaを繰り返す構成です。この「ソロ・合唱」の4回のフレーズの中、1回目の最初は、 いきなり 主調(へ長調)主和音の四和音で始まり、減5度を低音で響かせ、深くふくらみのあるハーモニーを響かせ、2回目は5度上の調、ハ長調の主和音で、 3回目は転調した5度下の調、変ロ長調の平行短調ト短調の主和音で始めています。更に、4回目では、1回目と同じ主調(へ長調)主和音の四和音 ながら第7音をソプラノに持ってきて減音程になることを避け、明るく響かせています。このように響きの流れに変化と深い趣きを持たせています。 このような意図的な一貫した曲構成を見ても、やはり12歳の子供の感覚かと驚かされます。
  余談をお話します。今年1月27日は、モ−ツァルトの250回目のお誕生日でした。故郷ザルツブルクでお祝いの式典が モーツァルテウムの大ホールで開かれました。ザルツブルク市長初め、州知事、大統領などオーストリア、EUの主だった方々が参加され、 日本からも海老沢敏先生がご多忙の中、ご参加なさったそうです。午前10時から始まり、式典の前にまず「ト短調四重奏曲」(KV.478)が演奏され、 式典が行なわれ ました。続いてニコラウス・アーノンクールが、三大交響曲についての短いトークの後、「ト短調交響曲」(KV.550)〈40番)の前ニ楽章を 指揮されたそうです。その演奏は、細かく神経の行き届いた大変緊張に満ちた強烈な表現だったそうです。その後、長いトークがあり、 続いて後半の二楽章を指揮し、烈しく盛り上げた演奏だったそうです。そこでの主張は、お祝いの演奏になぜ短調の曲かということです。 この「ト短調交響曲」では、モーツァルトは、私達を深淵に連れ去ると。更に作曲当時、ト短調は、死の調であり、悲しみの調であったと。 アーノンクールは、モーツァルトの短調の響きをひびかせながら、モーツァルトが私達に遺した問いかけを全く意識の外に、 昨今世界中に広がり、浮かれつつあるモーツァルト・ビジネス(あやかり出版物から様々な薬に至る商品など)を厳しく弾劾することで、 彼独特の誕生祝いをモーツァルトに捧げたということだそうです。(海老沢敏先生の講座でのお話より)
 これは今に起こったことではなく、程度はともかく、ずうっと続いていることではと考えます。 亡くなった直後から、モーツァルトはもてはやされ、いまに至るまで、様々の形で、 多くの方が、モーツァルトのおかげで多額の収入を得てきています。 改めて、モーツァルトの響きを自分なりに聴きなおして行きたいと考えています。皆様はどのようにお考えでしょうか?   

2月12日(日) 2006年 

 今日は、「孤児院ミサ」の[Sanctus]から、最後まで練習しました。思いのほか、練習が捗り、1月より3月くらいまでと始めた 2度目の練習ですが、取りあえず、最後[dona nobis pacem]まで進みました。勿論、繰り返し戻りながら、もう暫く練習します。 それにしても、演奏時間が40数分になるこの曲の構成を見ますと、本当に12歳の時の作曲かと長い間議論されたのを 実感させられます。増4度や減5度の跳躍や和音構成がしばしば現れます。比較的単純ながら、簡単には歌えないフーガ、 フレーズをいきなり四和音で始め、面白いハーモニーを響かせて飽きさせません。さらに、ハ短調に始まる[Crucifixus]の 弱音器つきトランペットの何とも奇妙な響き、[Agnus Dei]では、珍しいトロンボーンの甘く美しいソロにのって歌われるテノールの ソロなど、多彩さに引き込まれます。昨年3月、J.S.バッハの「ロ短調」ミサ曲を一生懸命練習したお蔭か、団員には比較的 歌い易いようです。この様子では更にもう一つの曲「大ミサ」の練習に時間をかけられそうです。8声の中々の難曲がいくつか ありますので、じっくり地道に練習する必要があります。 美しく演奏できるようになりたいものです。
 ところで、団員が珍しい本を持ってきてくれました。モーツァルト没後200年になる1991年の数年前1987年に催された サントリー音楽文化展のカタログです。ちょうど大変評判になっていた映画「アマデウス」にからめながらの解説が、また色も美しい 写真が満載です。余り知られていないサリエリについての認識も改められ、とても興味深い内容です。モーツァルトについても、 サリエリについても、音楽学者、音楽家、音楽愛好家それぞれに思い入れが深く、どの考えも正しいということになるのでしょうか?


上記文についてご質問・ご感想など、何なりとお気軽に送って下さい。
ただ、恐縮ですが、件名・お名前・どの日付文をお読みくださいましたかを
はっきりお書き下さいますようお願い申し上げます。

koizumi-a@muc.biglobe.ne.jp