Top 書庫 ついんLEAVES 目次
前ページ 最上段 次ページ

ついんLEAVES

第二回 1



「・・・・以上三つの大陸プレートの、いわば交差点にある日本は、どうしても周期的な震災から逃れられないというわけだ」



 しゅんしゅんしゅんしゅん・・・・

 セントラルヒーティングの稼動音以外、ことりともしない。



「阪神大震災は皆も知っているが、比較的に大地震の少ないとされる畿内周辺でも、阪神大震災の43年前に吉野地震、その16年前に河内大和地震、さらに20年前にも大きな地震が発生している」



 静まりかえった教室を、地学の角川の細々とした声が通り抜けていく。

 そう、文字通り「通り抜ける」だけ。

 教室が静かなのは俺達が熱心に拝聴してるからじゃない。ほとんどの連中が省電力モードに入ってるせいだ。

 一握りの異端者を除けば、起きてる連中も何かしら副業に精を出している。



「日本書紀にも大地震の話が出ているし、我々と地震の付き合いの長さは・・・・・これは試験に出さないから書かなくていいぞ」



 授業内容を残らず筆記しようとする変人の労を、親切にも角川は省いてやった。



「話を戻すが、日本書紀に書いてある地震は允恭五年というから、日本人は記録に残ってるだけで1600年も昔から何度も大きな天災に−」

「うああああああああああん!!!!!」


「!!!!」

「ゲホッ!」



 いきなり大音響が教室に充満してガラスを震わせた。

 早弁してた奴がのどを詰まらせて箸を取り落とす。

 爆睡してた奴がビクリと跳ね起きた。



「なんだぁ!?」



「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!!!


 おにいちゃあ〜〜〜〜〜ん!!!!」



 その言葉で、全ての視線が一点に集中した。

 つまり、俺に。



 騒音の発生源など考えるまでもない。



「・・・・・・・・・・・・・すんません」

 俺が顔をしかめながら手を挙げると、角川は無言で頷いた。



「このように災厄はいつ襲ってくるかわからないわけだが・・・・」

 地学教師の笑えない冗談を背に、廊下へ出る。

 短く溜息を吐いて、俺は今年最初の校内ダッシュをスタートした。



「うああああああああああああああん!!!!!」


「わかったわかった。いま行くって!」




 「廊下を走るな」という張り紙の横を全力で駆け抜け、下駄箱で上履きを脱ぎ捨てシューズを地に落とす。

 屋外に出ると、飛ぶ鳥も落とすような盛大な泣き声が響き渡っていた。

「今日はどこだ!?」

 舌打ちして、俺はとりあえず女子中等部の校舎に向かった。





 女子中等部の玄関に近付くと、いつもの職員が待っている。

 女子部では明らかに異分子の俺だけど、今さら咎められることはない。

「4階の調理実習室よ!」

「あいよ!」

 火を使う調理実習室はここから一番遠い。最上階の端っこだ。

 廊下に足をかけた時、後ろから職員の独り言が聞こえた。

「3分57秒フラット・・・・・記録更新ならずね」



 あのなあ。



 そこらのスリッパを投げつけてやろうかと思ったが、また「おにいちゃぁ〜〜ん!!」と呼ばれてしまったので諦めた。帰りにしよう。

 二段飛ばしで階段を駆け上がる。

 リノリウムの床をペタペタ鳴らして調理実習室に近付くと、あいつのクラスメートが廊下に避難していた。

「あ、お兄さん来たっ」

「遅い遅い〜」

「勝手ぬかすな!」

 女子の間をすり抜け、防火扉を兼ねた厚手の入り口を開け放つ。

 100デシベルにも達しようという泣き声に負けじと、俺は腹の底から怒鳴った。

 

「つーばーさーっ!!!!!!」




 ・・・・・・・ぴたっ。




 騒音が瞬時に止む。と同時に、俺の懐に小動物が飛びついた。いや、小動物じゃなくてつばさが。



「あう〜・・・お兄ちゃ〜ん」

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしやにしたつばさが、俺のYシャツに顔を擦りつける。

 勘弁してくれ・・・・・・



 頭をぐりぐり押し付けてくるつばさに閉口してると、背後から溜息とも賛嘆ともつかぬ声が聞こえた。

「一声で止まっちゃった・・・・すごいねー」

「やっぱお兄さんじゃなきゃ駄目だわ」

「愛の力よねえ?」

 勘弁してくれ。



「つばさ、どうした・・・・?」

 努めて落ち着いた声を出しながら、俺はつばさの両肩に手を置いた。

 なるべく穏便につばさを引き剥がそうとしたのだが、離れてくれない。

 あー、つばさくん?

 ここは学校で、今は授業中で、君のクラスメート全員が見てる。

 それに何より、俺のYシャツはハンカチじゃないんだけどな・・・・・・



「つばさー」

 えぐえぐ泣いてるつばさに呼びかけると、駄目押しに俺のYシャツで顔を拭って(泣)、つばさは面(おもて)を上げた。



「あのね、お野菜きってて、指もきっちゃったの」



「お前が?」



 珍しい。

 つばさは美乃里さんの仕込を受けてるから、包丁使いは馴れたものなのに。

 て、そうじゃないだろ俺。



「大丈夫か!?」

「痛いの・・・・・」

 まなじりに涙を浮かべて、つばさがちっちゃな左手を持ち上げる。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ドコ、切ったって?」



「ここ」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 よぉ〜〜〜〜〜〜〜〜く見つめると、たしかに、中指の関節あたりに切り傷があった。

 5ミリくらいの切り傷が。




 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おい。




「・・・・・・・・・・・・・・・・・つばさ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 猛烈な疲労感が俺の全身を包んだ。

 周囲の視線も、好奇から同情に変わった気がする。

「そんなに痛いか」

「うん」

 つばさが顔をしかめる。その表情のまま、おずおずと俺の口元に左手を差し出した。

 じいっと何かを待っている。



「あー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



「・・・・・・・・・・・・・やんなきゃだめか?」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・(コクン)」




 ・・・・・・・・・・・・・・・しょうがねえなぁ。




 俺はつばさの手を取り、血の滲んだ箇所を口に含んだ。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!?」

 声にならない叫びが背後から発せられた。



 みんな頼むから、今だけ何も言わないでくれよ・・・・

 こっちだってはずかしーんだ。



 全員の視線に晒されながら、俺はつばさの細い指を二、三度舐めた。

「もう大丈夫だ」

「うん!」

 つばさがにへら〜と笑う。

「ちゃんと消毒して、バンソーコー貼っとけ」

「はあい」



 振り向くと、生活科の先生と目が合う。

 他の女子学生と同様、いわく言い難い面持ちだ。

「先生、バンソーコーありますよね」

「え・・・・・・・・・ええ」

 たしか調理実習室は救急セットが常備してあるはずだ。

「すんませんけど、つばさに貼ってやって下さい」

「わかっ・・・たわ」

 まだ気が抜けてるような先生に軽く頭を下げて、出口へと向かう。

 女子は俺に熱のこもった視線を浴びせながら、海が割れるように通り道を開いた。

「お兄ちゃん、もー行っちゃうの?」

「授業中だろが」

「そっか・・・・ありがとねっ」

 後ろ向きのまま右手を挙げて応え、実習室の扉を引く。


 ぶ厚い扉が閉まる寸前、実習室内で一斉に黄色い声が跳ね上がった。






Top 書庫 ついんLEAVES 目次
前ページ 最上段 次ページ