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 艶のある金糸の髪が音もなく揺れた。

 絞ったような呟きが、艶のある紅唇から漏れる。


「・・・・・・・・・」


「ほう・・・我が言霊(ことだま)に抵抗するとは、衰えたりとはいえ流石(さすが)オオカミ」


「・・・・レ・・・・・・」


「無駄なことだ、美守。妖気を抑える事に慣れきった身では、我が妖力を防ぐ壁など紡げまい」


 大上女史の華奢な拳が、小刻みに震える。

 妖犬は余裕の笑みを浮かべ、銀色の瞳を輝かせた。

 

「・・・・・ガ・・・・・」


 妖気の濃度がさらに上がった。今もし人間が誤ってこの空間に入り込んだら、息をすることも出来ないだろう。


「我に従え、大上美守」


 男は妖気に言霊を乗せ、近い将来に自分の従属物となる存在へぶつける。

 女の細い肩がぶるっと揺れた。

 男の下卑た笑みが深くなる。


「お前は、我が物ぞ」


「ダ・・・・・・・・・・」



 きゅぅっ。



 喉が詰まるほど濃密な空間で、ふと、きしむ異音が響いた。

 ひくりと鼻を動かす、送り犬。

 辺りの気配を探るが、特に変わった様子はない・・・と思った。

 彼女の手元を見るまでは。


「・・・・レ・・・・・ガ・・・・・」


 かちん。


 澄んだ音を立てて、銀のフォークが皿と衝突した。

 犬童追那が視界の隅で、皿の中に零れたフォークを捉える。

 それが不自然に短いと気付いて、フォークの残りの部分を探す。



 ・・・・・あった。



 俯いた女の指の間に。



 かちん。


 再び食器が音を鳴らす。

 こんど皿に落ちたのは、ナイフの先端だった。柄に続いているはずの部分が、引き千切られた餅のように平べったく潰れている。


「だれ・・・・・・・・・・・・・・・」


 肉皿の中に転がる、二つの銀食器。

 泣き別れとなった残りの部分は、未だ女の掌中にある。


 わずか二本の指で、金属製のナイフとフォークを剪(はさ)み切った。


 馬鹿な。


 その事実を送り犬が理解し、顔を上げた瞬間。

 女教師の双眸が、目も眩む光を放つ。






「誰が小猿ですってえぇぇぇぇ!?」







 空間が弾けた。

































『次は新宿で発生した爆破事件の続報です』


 新聞をめくると乾いた音がして、紙面を埋める新都心のビルの姿が目に飛び込んだ。


『昨夕7時38分頃、新宿ロイヤルガーデン・ホテルの48階で発生した爆破事件ですが・・・・

 今朝未明に救助活動が終了し、東京消防庁が死者0名、重軽傷者67名と発表しました』


 どこかから、重〜い溜め息が聞こえる。


『ただいま警視庁の科学捜査班を含む警察官が、100人体制で現場検証と警備に当たっています。

 現時点で原因は不明ですが、被害者の中に著名な財界人がいたことから、警察では左翼過激派による経済テロの可能性も考えて調査を進めています』


「・・・・・・・・・・だって」


「ご苦労さまね」


 あまりにも軽い女性の口調に、傍らの少年が瞬きをした。


「そんな、他人事みたいに・・・・美守さん」


「知ったことじゃないわ」


 大上美守は興味なさそうに、全段ぶち抜きの事件詳報に埋められた紙面をめくる。地方欄に目を留めると、地元情報を読み始めた。

 どうやらこの狼女にとって、高層ホテルの最上階が粉砕される大事件より、特産品即売会で売り出される燻製肉セットのほうが気になるらしい。

 ・・・・自分が起こした事件にも関わらず。

 人が良さそうという以外に長所のなさそうな少年は、眉をひそめながら、家族とテレビを交互に見た。

 向かいに座っていた少女が喉を鳴らした。ニンマリと笑ってテレビへ向かって顎をしゃくる。

 どこにでも見かける、活発そうな外見の女子高校生だが、彼女もまた人間ではない。


「もったいないなー、美守。玉の輿だったんだろ?」


「全然。あんな身の程知らずの小者」


「そんな事言っちゃって〜。金持ちだしイイ男っぽいじゃん。少しは惜しいと思ってない?」


 目を細めた猫又が、年上の送り狼に意地悪そうな笑いを向ける。


「しつこいわよ、玉緒・・・・そんな気になるなら貴女を紹介すれば良かった」


「パスパス。ボク、バタくさい顔は好みじゃないもん。それに今はリョー一筋だしぃ」


「私だってそうよ。あ、メアリー、お茶をもう一杯お願いできるかしら」


「かしこまりました。ご主人様も如何ですか?」


「僕はまだいいよ。ありがとう、メアリー」


 断っても”ありがとう”と言うのは、英語の”No,thank you”と同じだ。メアリーは英国出身のモノノケのため、慣習も向こうに倣うことが多い。


『なお、この事件で重傷を負ったケンドー・ホールディングスの犬童追那副社長は、K大病院に運ばれましたが、意識不明の状態が続いています』


 ニュースを耳にして、少年が心配気に口元を引き締めた。


「美守さん、いくらなんでもこれは・・・」


「死にはしないわよ。あのヒトデナシなら」


  ヒトデナシ・・・というか、人外だし。


「いや、でもさ」


 テレビ画面と美守の間で視線を左右させる少年に、美貌の女教師は不機嫌さを露にして首を振った。


「いいこと、りょーちゃん? あの犬畜生は、許せないことをしたの。

 だから怪我したのも相応の報いだし、そんな奴をトップに頂いてる連中がとばっちりを喰うのも、止むを得ないと思って」


「えっ。許せないって・・・・・・・まさか?」


 少年の顔が曇り、瞳が揺らいだ。

 ホテルで許せない事をする、その意味がわからないほど、少年はコドモではない。

 そんな少年の心の移り変わりを的確に感知して、お姉さんを演じる送り狼は、たちまち本題を忘れて口元を緩めた。


「くすっ・・・・・・心配してくれてありがと♪」


「美守さん・・・・」


「大丈夫よ。わたしの体はね、髪一本、爪の先までぜーんぶ、りょーちゃんのものなの。あんな下衆に許したりするもんですか」


 どこか妖艶さの漂う微笑を浮かべ、大上美守は魅惑的な肢体を少年に寄せた。

 間近に迫った”お姉さん”の笑顔に、少年の顔が自然と熱くなる。


「美守さん、えっと、あの・・・?」


 ちょっと近付きすぎじゃないか、という言葉は、美女の潤んだ瞳と出会ったことで喉に吸い込まれた。


「くすっ、可愛い子・・・・・・」


 今すぐにでもむしゃぶりつきたい、と言わんばかりの送り狼。

「み・・・・・お姉ちゃん・・・?」


 もとより乏しい理性の軛(くびき)が、あっさりと解かれ、舌なめずりする雌狼が哀れな獲物の至近に迫る。


「んふっ・・・・んふふふふふふふ」


「あうあうあうあう」


 ゼロ距離まであと数センチ。

 と、彼女の首が細い指に摘まれた。


「美守さん、朝食の場でふしだらな言動はお控えください・・・ご主人様も」


 いつの間にあらわれたのか、エメラルドグリーンのワンピースドレスが二人の背後に侍立していた。ブルネットの若い女性が、無表情に少年達を見下ろしている。


「・・・・・・・・・・ぶぅ〜」


「ごめん、メアリー」


 しぶしぶと大上女史が少年から身を離す。

 少年はほっとして、メアリーに目で感謝の意を伝えた。

 ハウスキーパーは表情を緩めると、彼女のご主人様に柔らかく一礼する。


「で、で、美守。許せないことって何さ?」


 会話に入り込む余地を見つけた猫娘が、すかさず姉貴分に詰め寄った。詳しく話を聞こうと、今までじりじりしていたらしい。


「玉緒ったら・・・・・・・」


 好奇心に瞳を輝かせる妹分を見て、教えないと引っ込みそうにないと悟り、大上美守は顔をしかめた。

 すぐ横の少年にちらりと目を送り、肩をすくめる。

 彼女は抑えた声量で、空気を吐くように言葉を紡いだ。


「・・・・・・・・・・・・・・・・ったのよ」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・・・・はい?


 少年に聞き取れないほどの小声だったが、モノノケ達の動きを停止させるには十分だったらしい。

 数秒後、座敷童が両手で持ち上げていた湯呑を茶托に戻した。

 猫又がテーブルに乗り出していた身を、とすんと席に戻す。

 ハウスキーパーは絹ずれだけを残して幽霊のように去る。

 ダイニングの空気が重くなる。

 話の見えない少年だけが、唐突な変化に戸惑う。

 首を傾げて美守の顔を覗き込んだ。


「えっと・・・美守さん、今なんて?」


「だからね・・・・・・・・・あの犬コロは」


 両の目を閉じて、大上美守は愁眉を寄せる。そして憤懣やる方ないという風情で口を尖らし、繰り返した。


私のりょーちゃんを・・・・小猿”呼ばわりしたのよ・・・!」


「うにゃーっ!」


 いきなり玉緒が、耳障りな音をたてて席を蹴った。


「玉緒!? いきなりどうしたのさ」


「どうした、じゃないだろ! 猿だぞ、猿。お前、自分が猿呼ばわりされて、腹立たないのか?」


「え、だって、いきなり会ったこともない人の話をされても・・・」


「ふざけんな。男だったらプライドってもんを持ちやが・・・・めありー?」


 猫又の語尾が不自然に途切れた。頬のあたりに緊張の色を浮かべ、少年の頭上に目を遣ったまま黙り込む。

 少年と大上が猫又の視線を辿って振り向く。すると、いつのまに戻ったのか、真後ろにハウスキーパーが佇んでいた。

 だが・・・・様子がおかしい。

 何やら黒い煙のようなものが、彼女の背中に燻って見える。そして彼女の手には愛用のクッキングナイフがしっかと握られていた。


「・・・ご主人様」


「メ、メアリーどうしたの?」


 ただならない雰囲気の彼女に、少年の背中に嫌な汗が浮き出る。


「急な外出の用が生じました。申し訳ございませんが本日の給仕はお休みさせていただきたく」


 そう告げたブルネットは、垂れた前髪が両の眼を覆って感情が伺えない。


「きゅ、急用ってドコ? 何のために?」


「K大病院へ・・・・そのケンドーという殿方と私の間に存在する、'ご主人様に関する見解の相違'という問題を、早急に解決する必要があると判断いたしました」


 ぼそりと説明するメアリーの足元は、すぐにでも出発したそうに落ち着かない。

 少年の本能が警報を鳴らした。


「ちょっ! ちょっと待ったメアリー! よくわかんないけど、ダメだよ!?

 つか、その包丁は何!?」


「先方がお休み中だった場合、お目覚めいただくために必要かと」


 鈍い輝きを放つ包丁を顔の前に掲げ、ハウスキーパーが氷点下の笑みを浮かべる。

 少年の顔が引き攣った。


「だ、ダメだって! お休み中も何も意識不明だし! 永眠しちゃうから!」


私のご主人様を侮辱した大罪と比べれば、些細な問題です」


「些細じゃないよ! 大問題だよー!」


 抜き身の包丁をぶら下げたメイドが大学病院に乗り込んだりしたら、騒ぎになるのは目に見えてる。ましてや相手はテロの被害者とされているのだ。

 真っ青になった少年へ、さらに追い討ちがかかる。


「メアリー、ボクも付き合う」


「喜んで。玉緒さん」


「って、玉緒も何言ってんの!? メアリーを止めてよ!」


「やだ。その犬野郎にナシ(話)つけなきゃ。ボクのリョーを馬鹿にされて黙ってらんないもん」


 両の拳を固める少女は凛々しかったが、スカートから二本の尻尾がピンと飛び出ているのがニンゲンとして違和感丸出しだった。

 こんなのを表に出したら只じゃ済まない。色々と。


「あーっ! もう、誰か二人を止めてーっ」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん」


 そこで、テレビに移る病院の姿を見ていた座敷童が動いた。

 もみじのような手を上げ、ちょうど写しだされた”被害者”の顔写真を指す。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・呪う?



「いいわよ」

「やっちゃえ」

「お願いします」






「シャレになってないからーっ!!」


















 それからしばらく五洋学園は、立ち消えになってしまった美人教師の結婚話でもちきりだった。

 生徒や職員はそれぞれ、惜しんだり喜んだりしたが、当事者の大上教諭は何ら意に介していないようである。

 そして、噂の犬童追那氏はと言うと・・・・・

 奇跡的な回復を見せて早期退院したものの、二度と五洋学園を訪れることはなかった。

 氏の所属するケンドーグループは一時期、経営が危険水準まで傾いたが、その後なんとか持ち直したという。

 これは、影の支配者の不在が招いた危機であったと考えられている・・・・・・という事にしておく。






 そして−









「もーっ、りょーちゃんたら、なんて可愛いんでしょう!」



 すりすり。



「ふえ〜っ!? は、恥ずかしいよ美守さん! お願いだから放してっ」   



「んふふふふふふ・・・やーだ♪」



 すりすりすりすり。



「あうあうあうあう」



「大上先生! 学校内で破廉恥行為はやめて下さい!」



「ハレンチなんかじゃありませ〜ん。姉弟の大切なコミュニケーションです♪」



 むぎゅっ。



「もうっ、先生ーっ!」



「美守さぁ〜ん・・・」



「うふっ、うふふふふふふふふ」





 五洋学園一の美人教師、大上美守−




 今日も彼女は”ブラコン教師”の旗を掲げて、堂々と校内を闊歩している。











「愛してるわ、りょーちゃん♪」












(おわり)

















(後書き)



 はい、おしまい!

 久しぶりのすうぃーてぃー、如何だったでしょうか。

 なお、文章が粗いのは、勢いだけで書いちゃったせいです。乱文ご容赦を。

 またネタが生まれたら書く機会があるかもなので、よろしければご覧下さいませ。


 御一読ありがとうございましたーっ。








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