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 五洋学園には、伝説の女教師がいる。



 といっても、教え上手とか研究業績などで名が高いわけではない。



 常識人なら嫌がる類(たぐい)だ。



 彼女は・・・・・伝説の”ブラコン教師”なのである。





 その名を、大上 美守(おおがみ みもり)という−











Pounding ★ Sweetie 番外篇

摩天楼の夜















 美人教師の同伴出勤は、学園のみならず近隣の誰もが知る日常風景となっている。

 人が良さそうという以外に長所の見えない男子学生に、溜め息の出るほど美しい女性教師がべったりと貼り付いて登校する姿は、どうみても不釣合いだ。

 職員会議やら校長の苦言やら、生徒(主に男子)の嘆願やら、「やめろ」の合唱はそこら中から聞こえてくるものの、彼女にそんな気は微塵も無い。

 同伴出勤こそが彼女の本能を満たしてくれる至福のひと時なのであるから。

 最近は彼女の一番大切な家族に”余計なコブ”が付いてしまったが、そのコブですらも同伴出勤を止めさせることはできなかった。


 何者も、彼女を止めることはできないのである。











「大上先生、また来てますよ」


「・・・・・・・・・・・・そう」


 事務のネームプレートを着けた女性が告げると、美貌の女性教師は前髪をかきあげた。それだけの仕草が、職員室中の視線を惹きつける。もっとも彼女は気にしないが。視線など、一々気にしていたらキリがない。

 女教師は憂鬱そうな眼差しを、窓外の校門へ向けた。

 夕日を浴びる生徒たちが、一人で、あるいは連れ立って帰宅していく。どこにでも見られる下校風景だ。

 少し違うのは、彼らが一様に目を向けるもの。

 それは校門の前に立つ人物と、一台の自動車だった。

 身なりの良い青年と、夕日に負けない力強い輝きを放つシャインレッドの左ハンドル車のワンセット。平凡な高校の門前より、都心の一等商業地のほうが似合うはずで、周囲に強烈な場違い感をかもし出している。

 ウェーブのかかった髪をわずかに揺らして、大上教諭は溜め息を漏らした。

 そのアンニュイな仕草に、周囲が揃って息を呑む。本当に、何をしても絵になるのだ、この女性は。


「ケンドーグループの御曹司だそうですね?」


「・・・どこで聞いたのかしら、そんなこと」


 力の抜けた声で質す大上先師に、事務員は目を輝かせて言い寄った。


「生徒達が噂をしてますよ。この一週間、大上先生を目当てに通い詰めてるって」


 窓の外を見入っていた同僚の女性教師も、興奮して話に加わる。


「ケンドー財閥って、日本有数のお金持ちじゃないですか。青年実業家って感じです? 大上先生、ものすごい玉の輿ですよっ」


「あの財閥って、買えないものも売れないものも無いっていう商社グループでしょ?」


「ちょっと成り上がりっぽいけど」


「商才に長けてるから会社が成長したんでしょう。古ぼけたジジ臭い会社よりいいじゃない」


「ケンドーグループは、どこもアフターサービスの良さが売りよね。あの御曹司も、その血を引いてるなら期待できるかもですよ?」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 傍らで勝手にはしゃぐ同僚達。

 しかし肝心の女は、わずらわしそうに眉を顰めるだけだった。


「・・・・・・・すいません、お先に失礼します」


「がんばってくださいねー」


「目指せ豪邸、シロガネーゼな有閑マダムですよっ」


「それで、できたらあの人の親戚を私達に紹介してくださーい」


 手を打ち鳴らして応援(?)する女性陣と、金持ちのボンボンに”五洋のビーナス”を盗られるんじゃないかと心配そうな男性陣。双方の視線を背に受けて、大上先生は職員室から出て行く。

 やがて大上教師が校庭に姿を現す。

 周囲が水をうったように静まり返った。

 職員室の者達はもちろん、校門前の青年が気になっていた生徒達も、窓に鈴なりとなって、噂の二人の接触を見守る。



「・・・・・」



「・・・・・・・・・」



「・・・・・」



「・・・・・・・・・」



 当事者にしかわからない会話の後、見目麗しい青年実業家が車の右側に回る。真紅のドアがキラリと光ると、本皮張りの助手席が西日に照らし出された。

 大上教師が青年の案内に従ってドアの中へ滑り込む。特に抵抗する様子もなく。

 その姿に全員が声を上げる。声の内容は感嘆や羨望、嘆きと様々だったが。

 すぐに、外車のエンジンが唸りを上げる。国産車とは比較にならない排気量を示す重低音が轟いた。同時に立ち上る、有り余るパワーを示すタイヤの黒煙と泣き声。

 紅い車は鮮やかに加速し、夕刻の町並みに消えていった。

「ばんざいーい! ばんざーい!」

「大上さん、いいなあ〜」

「これで私もいつかは・・・」

「ばかな・・・あんな若造に我らの大上さんが・・・」

「金か!? 結局は全てが金の世の中なのかっ!?」

「俺達の教えていることって何なんだろうな・・・」

 悲喜こもごもの声を五洋学園に残し、二人を乗せた外車はどこへともなく走り去る。
















「嬉しいですよ。お誘いに応じていただけて」


 かすかに流れる新古典のピアノ協奏曲に載せて、細長い指がハンドルにリズムを打ち付ける。

 車外を眺める女性は、煩わしそうにその指を見た。


「貴方がしつこいからよ。業務に支障が出てるから、仕方なく」


「それは失礼。しかし努力の甲斐がありました」


「ただ立っていただけでしょうに」


「ははは」


 青年の運転技術は確からしく、大型の車両は国道をスムーズに流れていく。タイヤをきしませたり、アクセルを吹かしすぎたりもしない。どうやら先ほどの派手な発進は、凱歌とも言えるパフォーマンスだったようだ。


「それで、どこへ行くの?」


「御安心ください。そう遠い所ではありません。今日は無事にお返ししますよ」


 ”今日は”の部分を強調しつつ、低く笑う青年。

 美人教師は運転者の顔をじっと見つめると、無言で車窓に視線を戻した。















 陽が沈み、街のネオンが存在感を発揮する頃、二人が到着したのは有名な高級ホテルの駐車場だった。


「上層のレストランを予約してあるんです。御存知ですか? 近江牛のステーキで有名な”たすく”という店です」


「名前だけ」


「さすが大上さんです」


 無愛想な応(いら)えにも満面の笑みで返すのは、青年の自信の表れだろうか。


「今どきの女がステーキなんかで釣れると思ってるなら、貴方も大した人物じゃないけど」


「もちろんです。しかし貴女には、これ以上の御馳走はないはず」


 ピクリと動いた美女の眉間を、青年は見逃さなかった。しかし何も気付いてませんよと言いたげに、猛り狂う牝牛も落ち着かせるような、完璧な微笑を浮かべる。

 エレベーターへ連れ立って歩む男女は、女性の地味な職業服(さっきまで学校で授業を行っていたのだ)にも関わらず、相貌の秀麗さで他を圧倒していた。

 青年が和風の外装を備えたレストランに近付くと、立て襟のアテンダント(接客係)がどこからともなく現れた。

 目を伏せたまま、店内へと五指の揃った掌を差し伸べる。


「お待ちしておりました。こちらです」


 名前を尋ねもしないあたりが、青年の身分と店の格を示している。

 雑音を抑える程度の楽曲(琴の音色だった)に迎えられ、青々とした笹の並ぶ通路を進む。

 二人が案内されたのは、完全に遮断されてはいないが話し声は漏れない程度の、二人がけのテーブル席だった。青年のエスコートで、大上先生が椅子に落ち着く。

 眩しいほどに磨きぬかれたテーブルに、特異な形状の桃色の花が挿してあった。細身の玉ねぎを一皮だけ剥いたような、と言えばいいだろうか。

 一輪挿しへ向けられた美女の視線を敏感に察して、青年は嬉しそうに微笑んだ。微笑だけで100人中100人が陥落しそうな、魅惑の笑みだ。


「釣浮草(つりうきそう)です。興味深い形でしょう」


「季節じゃないはずだけど」


「そこまで御存知とは。確かに、入手するまでいささか苦労しましたが、貴女をお誘いする事とは比較になりません」


「お金で解決できるものね」


「仰る通り」


 皮肉をすんなりと受け流し、微笑を微塵も崩さない青年。ただの成り上がりや金持ちにない自信に満ち溢れている。


「それで、話は何かしら」


「それは後ほど。まずは運命の二人が会食できた幸福に浸ろうじゃありませんか」


「片方だけのね」


「そのお言葉に”今は”と付け加えさせていただきます」


 言葉の応酬を続ける美男美女の間に、前菜が運ばれてきた。













「アルコールは如何ですか、ここには素晴らしい日本酒が揃ってますよ」


「いらないわ」


「隣からワイン、カクテルなども取り寄せられますが」


「いらない、と言ったの」


「そうですか。残念です」


「残念ね。だから客室の予約も取り消したほうがいいわよ」


「おや、お察しでしたか」


「貴方みたいな手合いはね、ウンザリするほど見てきたの。だからスイートかスーパースイートか知らないけど、お金の無駄をする前にキャンセルなさいな」


「御心配ありがとうございます。大した金額ではありませんから、問題ありません」


 ちなみにスイートルームの宿泊料は、1泊23万円になる。


「・・・・そう」


 大上女史は短く応じると、見事に火の通ったレアステーキを口に運んだ。


「しかし、さすがは大上さんですね。このような所も慣れていらっしゃる」


「女には色々あるのよ」


「まことに。ただ長く生きていらしたわけではなさそうで」


 すうっ。


 と、空間が冷めた。


「礼儀に欠けるわね。妙齢の御婦人に使っていい言葉じゃないわ」


「これは失礼しました。しかし美しさの衰えを知らないとはいえ、御歳900を超えるお方ですから、あながち的外れにはあたらないかと」


「そういう貴方だって、見た目通りではないでしょう・・・・もっと毛深いんじゃなくて?」


「いやはや、お見通しでしたか。やはり噂どおりの素晴らしい女性だ、貴女は」


「どうせロクな噂じゃないでしょう」


 棘のある物言いに、青年はただニコリとした。


「それよりも、こんな所に連れて来た理由を話していただけない? 正直いって私、少し焦れてるの。”犬童 追那(けんどう ついな)”さん」


「もう少し楽しみたかったのですが・・・惜しいですね」


 青年がつるりと顔を撫でる。

 手を下ろした時、もはや先ほどまでの好青年はどこにもいなかった。

 銀色に近いライトグレーの瞳が獰猛な輝きを放ち、緩んだ口元からは、二本の鋭い犬歯が見え隠れする。


「では、本題に入ろうか」


 声色まで変わっている。蜜を含んだ甘いテノールではなく、腹に響くバスになっていた。

 そこに在るのは人間よりむしろ、野獣に近い存在。


「大上美守。この犬童追那の女になれ」


「話が早くて助かるわ。お断りよ・・・・・じゃ、ご馳走様」


 口を拭いた美女が腰を上げた。


「待て」


 大上教諭の細腕を、太く長い腕が捕らえていた。目にもとまらぬ早業だ。


「話は終わってない」


 犬歯をむき出しにして男が低く唸った。

 大上女史の腕を捉えた握力の強さは、見た目から想像もつかない。小児なら腕を握りつぶされるのではないかと思われるほどだ。


「・・・・・・・乱暴ね。ケンドーグループのプリンスが、こんな場所で騒ぎを起こしたら困るんじゃないの?」


「このホテルは我がグループの傘下だぞ。口止めなど簡単だ」


「・・・・・・・・・・そう」


 大上先生はさっと周囲に目を馳せると、上げかけた腰を落とした。


「ふん。女は素直が一番だな」


「私はいつでも素直よ。続けて頂戴」


 美女は一度置いたナイフとフォークを取り上げ、大振りの肉塊を切り分け始めた。

 犬童追那もそれを見て、ステーキの処理を再開する。


「タダで俺のモノになれとは言わん・・・・とうぜん相応の支度金を用意する。

 それに俺の女になれば、人界で望めるあらゆる贅沢も思いのままだ。金だけじゃない。世界中の美食、宝物、快楽を奉げると約束しよう・・・お前にはそれだけの価値があるからな」


「男は皆、最初だけそう言うのよね」


「我は違う。お前もケンドーグループのアフターサービスの良さは知っているだろう。釣った魚に餌をやらぬような薄情ではないぞ、我は」


「律儀さはヒトに化けても変えようがない、というところかしら」


 吐き捨てるように言うと、男が犬歯の見え隠れする口の端を歪めた。


「その通りだ、美守」


「勝手に名前で呼ばないで。それに私は貴方の物になんてならないわ」


 下唇を突き出して、拒絶の意志を露にする女性教師。

 下品なはずの仕草が、妙に格好良いのは美人の特権だろうか。


「だいいちお金持ちといっても、貴方は跡継ぎの一人にすぎないでしょう。財産だって限られてるはず」


「ふん。俺の家族を名乗る奴らなど、どいつも手駒にすぎん。俺と血の繋がりのある者はほんの一握りさ。総帥とて我が操り人形よ」


「・・・・・・・そういう支配の仕方なのね」


 見栄えのいい者、使いやすい者を表舞台に立たせ、自分は影から操る・・・それが犬童追那という人(?)物の手法らしかった。


「お前は頭がいい。我が妻に相応しいぞ、美守」


「だから名前で呼ばないで」


 苛立たしそうな彼女に、男は牙を剥いてニヤリとした。


「その気の強さよ。まこと由緒正しき日本狼の生き残りらしい。

 我の番(つがい)となれ、美守。送り犬と送り狼・・・・これ以上に似合いの夫婦(めおと)はあるまい」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 送り犬と送り狼は、どちらも日本古来のモノノケだ。どちらが元祖かは不明だが、各地に残る伝承はどれも大筋がよく似ている。

 大上先生に自信たっぷりの笑みを向けて、人の姿を借りたモノノケは、傲然と胸を張った。

 女は正体を明かした相手をジト目で見据える。


「私ね」


 彼女は軽く首を傾け、テーブに預けていた肘を上げた。


「何が嫌いって、話を聞かない相手が一番嫌いなの。それに」


 言葉を区切って、ステーキの最後の一片をフォークに刺す。

 赤身の肉の柔らかさを堪能してから、口を開いた。


「私はもう予約済みよ。他を当たって頂戴」


「ふん、例のガキか。愚かしい。お前は正気か?」


「もちろん正気だし、本気よ」


 ウェーブした髪をさらりと流して、美女が涼しい顔で言い放つ。

 呆れた様子で女を眺め、送り犬は欧米人顔負けのジェスチャーでお手上げの素振りをしてみせた。


「美守。お前は確かに頭がいい・・・しかし肝心な点がわかっておらん」


「何のことかしら?」


 口を拭う美女に、男は薄ら笑いを浮かべた。

 顔は笑っている・・・・が、目は笑っていない。


「我はな、”犬童追那の女になれ”と言ったのだ。お前の意思など関係なく、もとより拒否も許さん」


 じわり。


 人型をとった送り犬の広い肩から、形容しがたい空気というか、雰囲気が滲み出た。物を知る人々なら、それを「妖気」と呼ぶだろう。

 漂う気配に、大上美守が身じろぎするように体を震わせる。

 犬童が銀の瞳と牙を同時に剥きだしにした。


「太古の習いはあれど、既に滅びた狼の血など我は畏れん。ましてや小猿に飼われて牙の抜けた雌など、愛玩犬も同然」


「・・・・・・・・・


 半ば閉ざされた狭い空間を、送り犬の妖気が満たしていく。

 体毛が総毛立ち、息が苦しくなるほど濃厚な妖気が、女神のようなプロポーションを誇る肢体にまとわりつく。

 しかし大上女史は整った顔を硬くしたまま、指の一本すら動かさない。

 犬のモノノケは、魅力に満ちた女の体を舐めるように見回した。


「我が足元に伏せ、我が命に従え。これより犬童追那がお前の主となる」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「わかったか、美守


 送り犬の銀瞳が輝く。


「いざ、お前の主人に僕(しもべ)として拝跪せよ」


 表情を失った美女が、かくりと頭を倒した。













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