どうやってか知らないけど、気が付いたら家で寝ていた。
親が何も言わないところを見ると、誰の手を借りたでもなく、自力で帰ってきたようだ。帰巣本能ってすごいや。
ところが家に帰れたものの、頭痛と寒気が酷くて布団から出られなかった。
どうやら言い訳じゃなく、本物の風邪を引いてしまったらしい。
母さんにその事を告げると、「だから休むように言ったのに」と笑った。黙って僕を見つめる目は何かを聞きたそうだったけど、それ以上は何も言わなかった。その気遣いがありがたかった。
今はとにかく放っといて欲しくて。
放っといて、考えさせて欲しかった。
母さんが部屋から出ると、布団を引き上げた。
寝汗でじっとり湿った布団にくるまり、混乱した記憶と情報の整合を始める。
熱と困惑のせいで、思考は風船のように頼りなく浮遊した。
それでも一生懸命に考えた。
そうとも。僕たちの関係は最初から不自然だった。
いきなり全校放送で呼び出され、告白しろと腕ずくで迫られた。「好き」と言うのではなく、僕に言わせようとした。
屋上で、副会長は自分が恋人役に、と言っていた。あきらさんがその話を却下したのは、副会長では相手を騙しきれないと判断したからだ。つまり、普通のカップルでは先方が納得しない。それに彼女の父も納得しそうになかったわけだ。
そこで学校中が騒ぐような、派手な舞台を用意した。
そして僕に「愛してる」「好き」と言わせようとした。
今になってみると、あのイベントは僕と彼女の関係を確かめるより、外部に知らしめるのが目的だったとわかる。皆に、ひいては婚約関係者に「惣右衛門あきらの運命の相手は決まっている」と周知するためだったんだ。
彼女のホームグラウンドである生徒会室に呼ばれたのは・・・・・・・・・・・・
隠しマイクで録音してた、とか。
昨日までなら一笑に付したはずの想像に確信をもてるのが、我ながら嫌だった。
でも今は、やりかねない人だと納得できる。
さて次。
有象無象の恋人候補から僕をピックアップした理由。
これはクリスマス・イブの出来事で間違いないよね。いくら人心操縦が得意でも、偽物の記憶までは植え付けられないし。
とはいえ、僕のプロフィールをくまなく調べ上げてはいないはずだ。前科や悪い噂がないか、確認したくらいかな。ちゃんと調査したなら知ってたはずだもの。
僕は・・・・仁科裕は、女の子を好きになれないって。
さらに次。
「お友達として」付き合い始めてから。
あきらさんは、好んで目立とうとした。
僕を誘う時は、メールでもケータイでもなく、必ず声をかけにきた。それもクラスメートに見せ付けるように、堂々と。
出かける場所は人の多い場所ばかりだった。僕の手を取ったり腕を組もうとするのも、人目がある所だった。
そうして気が付く。
二人で行ったのは、第三者の目がある空間ばかりだ。それはブティックだったり、喫茶店だったり、CDショップだったりしたけど、必ず近くに他人がいた。例外は、あの日の生徒会室だけ。
デートコースの定番になってる河川敷公園は、一度も行ってない。どこかの公園でベンチに並んで話したりとか、こっそり隠れて密談とか、そんな経験もない。僕も助かったから気にしなかったけど・・・
過去の記憶を順番に呼び起こす。そして仮説に間違いがないことを確認する。
そうだ。
たしかに彼女は、僕と二人きりになるのを避けていた。
・・・・・・理由は明らかだ。
他人に僕たちの関係を見せつけるため。
そして何より−
好きでもない相手に迫られたら困るから。
頭の中で、事実と推測の連鎖がきれいな真円をかたち作った。
頭が冷えている。
熱はあるはずだ。体温計でちゃんと計った。38度2分あった。
なのに。
それなのに、なぜか、僕の頭はしんしんと冷えきっていた。凍り付いてると言いたいくらい。
彼女の笑顔が。
彼女の仕草が。
彼女の好意が。
全てはマヤカシだった。
その事実を理解した時、胸に虚無の口が開いた。
ぽっかりとした虚ろが、僕の熱を奪ったようだった。
僕の膝に乗って、甘い声で「お願い」と言ったのは演技だった。
恥ずかしそうに寄り添い、手を取ったのも演技だった。
僕が選んだ帽子を被って、嬉しそうに微笑んだのも演技だった。
喫茶店で真っ赤な顔で「あ〜ん」とフォークを向けてきたのも、演技だった。
屋上でポテトサラダを食べた時、感想をねだった姿も演技だった。
結婚式の日取りを決めようと楽しそうに笑った顔も、演技だった。
全て演技だった。
完璧な、演技だった。
僕は馬鹿だった。
いや、過去形じゃなく現在進行形だ。
僕は馬鹿だ。
前と同じ。
相手の想いを見切れなかった。
だから想定外の事実に面食らう。
だからみっともなく呆け顔を晒す。
鏡を見れば、(あまりの醜悪さに鏡が割れなければ)顔に「私は馬鹿でございます」と書いてあるはずだ。
・・・・・・・・・でも。
前回と違うところは、ある。
僕は相変わらず馬鹿で、
どうしようもない馬鹿で、
救いようのない馬鹿だけど。
まだ終わってない。
この前は取り返しがつかなくなってから、自分の馬鹿さ加減に気が付いた。
今回は終わってない。
全部が手遅れなわけじゃない。
そのはずだ。
そう信じたい。
僕は相変わらず馬鹿で、
どうしようもない馬鹿で、
救いようのない馬鹿だけど。
前のようにはならない。
同じ轍は踏まない。
愚かで、みっともなく、惨めな生き物で。
汚い命にしがみつく見下げ果てた存在で。
この世界で呼吸をする価値もない僕だけど。
彼女が居たから。
彼女が居たから。
彼女が居たから。
だから僕は−
事実は変わらない。
僕は馬鹿だ。
ずっと馬鹿だったし、今も馬鹿で、これからも馬鹿のままだろう。
それは変えようがない。
だけど、僕は強くなれる。
叩かれても、笑われても、蔑まれても、怨まれても、呪われてもかまわない。
そうされるに相応しい存在なのだから。
それでも。
僕は潰れない。
潰されない。
僕は強くなる。
強くなるんだ。
だから−
僕は逃げないぞ。