「教育学」を読む、学ぶ、考える (→戻る)

  部分部分ごとのコメントになります。読みこんでいきながら、途中ごとに感じたことをメモとして書いていきながら、それが最終的にどうなっていくのか、自分で確認していきたいのです。

 

(1)『いま教育を考えるための8章』(松浦良充・編著、川島書店)

 

・・・「現代教育の基礎理論」というサブタイトルがある。あとがきによれば「学閥の壁を越え」た4人(松浦、豊泉清浩、北野秋男、高橋寛人)が、大学の授業で使えるおもしろいテキストがほしいと考えて構想し、執筆・編集した本だという。その際に従来のテキストを参照しながら「残念ながら、いまの学生に本気で読ませようとしているのだろうか、と疑いたくなるような本、無味乾燥な概説書、難解な文章のならんだ論文集、など」が多かったという記述に、本書への意気込みが表れている。そのねらいは素晴らしいと思うが、同時にその意図が達成されたのか、確認することも必要であろう。もちろん同「あとがき」には「どれほど」のできになったかについては「力量不足から、不十分な点がたくさんあると思う」として、ご批判やご意見をこうとのへりくだった表現もある。しかし、版を重ねていることから考えれば、周囲の反応も読み取っているのだろうし、当然執筆陣には「他著よりすぐれている」「現代教育の基礎理論を面白く教えられるよう工夫した」という誇り・自負もあるのであろう。素直に一読者として、「現代教育の基礎理論」を読み取らせて学ばせていただきたい。

 

  「序」文とねらい

 「序」の部分では、<「教育」への関心>を読者自身で確認しておくようにと、メモ書きをさせるスペースがある。この“自分の考えを確認してフィードバックさせる”かの方法はこの本の中では他にも数カ所みられるが“考えさせる”方法とも思えて参考になった。すこし抽象的で、大きいことを訊く茫漠としがちな発問とも感じたが、その答えを予測しているように「教員になりたい意志」や被教育体験ぐらいを書かせて“学ぶ側の意識を高める”という効果をねらっているのだろう。

続いていまの時点での<「教職」への気持ち>を、「積極的な気持ち」・「消極的な気持ち」について分けて書かせるスペースがある。心理学的、カウンセリング理論などでエンカウンター方式に記述させて自覚・自己意識化させる方法はあるが、このスペースはそういうフォローはないことからあくまでも“自分の考えの確認”を主目的とするものであろう。「ねらい」という部分にもそのような「主観的な視点」からはじめて、この本で「理論的・客観的」部分を学んでほしいとの記述がある。“きっかけ”を確認して動機付けをしてモチベーションを高めるための工夫とみた。

なお、この「メモ」の他にも「特色」はある。「トピックや図表」で興味をもたせることが試みられていることや、各章ごとに<研究・学習・討論のための課題>を設けてディスカッション等に活用できるようにしたこと、さらにテーマ毎の参考文献を明記して簡単な解説も加えたことであり、かなり“ていねいさ”を感じることができる。他にも、各章に「問題提起」が心がけられていることや基礎的なことをおさえておく配慮がされたこと、歴史的背景の重視のみならず現代の教育の動向にも目を向けているということ、巻末の資料、などはごく普通のレベルのことであると考える。“考え”させ、“読み直し”させることによる学習効果を構想している点に本書の意義や特色があるとここまでで考えた。(以上、松浦氏の執筆部分)

         (・・・2001年11月11日のメモ)