何故かその日は上手くいかなかった。
 どこでぶつけたのか左手には火傷のような怪我ができ、外に出れば靴の左右を間違え靴紐も解けた。
 頼まれて、慣れ親しんだはずの弓の手入れもてこずり、早く帰るように、と注意されたのに予定を大きく超えてしまった。
「天中殺、かなぁ……」
 愚痴るように学校の廊下を歩く。
 さあ帰ろうとしたところで忘れ物に気づき、今は教室まで取りに行っている最中であった。
 そして、唐突に、
「――いいや、そんなもんじゃないさ」
 胸を抉る感触を最後に、意識を失った。






 「東方Fate」(仮)







 じりりと五月蝿い目覚ましの音で、凛は目を覚ました。
 エンジンスタート。ベッドの中で暖機を開始。
 働きの鈍い頭で昨晩のことを思い返す。
「英霊じゃないサーヴァントに、普通じゃない聖杯戦争……」
 頭が痛い話だった。夢だったらいいのに。
 二度寝して現実逃避する誘惑を振り切って、起き上がり着替える。
 落胆したぐらいで日々の生活を乱すことは出来ない。
 やや重い、ずるずるとした足取りで部屋を出る。
 居間に至ると、昨日の悲惨な光景にプラスして大量の紙が舞っていた。紙には大量の文字が書かれ、床には書き損じなのかくしゃくしゃに丸められた紙くずも多く転がっている。
「…………」
 凛はそれらを視界に入れつつ、台所へ。
 冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、そのまま二口三口飲む。
 朝食終了。暖機完了。ようやく目が覚める。
 居間に戻り、再び紙の舞う光景を目にする。そしてその原因がわかった。
 凛のことに目も暮れず、瓦礫の中から発掘したテーブルと、どこから出したのかわからない紙と羽ペンとインクで以って、昨夜呼び出されたサーヴァントが目を血走らせ、猛烈な勢いで筆記していた。
「って、こらー!?」
 寝てる間に掃除してくれる、なんて甘いことは流石に考えていなかったが、まさか輪をかけてくれるとは思わなかった。
「おお? お前さんか。何。退屈だったからな。せっかくの貴重な体験だ。魔導書にしたためてるだけだぜ」
 キリのいいところなのか、少女の姿のサーヴァントはペンを止めた。
 紙の乱舞が止まり、どういう作用なのか、舞っていた紙が少女の手に収まっていく。
 夜通し執筆された紙の束はそれなり厚みがある。少女は針を通して紐を結び、冊子にした。
「…………」
 その手際に凛は軽く見とれてしまった。
 見た目だけじゃなく、この金髪少女は魔術師なのだ、と。
「でも、床に落ちた紙くずはそのままなのね」
「おう」
 この子はわたし以上に片付けが下手だ、と凛の直感が告げた。
「片付けましょう」
 二人で紙くずを拾って、ゴミ箱へ入れていく。
 紙が無くなっていくと瓦礫の異様さが強調されるが仕様が無い。後で片付けよう。
「…………? これ、何語?」
 興味を引かれて書き損じの一枚を開いて見てみると、どこかで見たような文字が。
 日本語だぜ、と言うが、これは古文書の類だ。
 なるほど、彼女はサーヴァントなのだ、と再び実感。
 明治時代あたりの魔術師なのかもしれない。その頃に書かれた遠坂の書に良く似ていた。
 まあ、それはいいとして。凛は無事な椅子の一つに座った。少女も同じように対面する。
「本当だったら戦場視察って行きたいんだけど。今日は平日で学校があるから」
 無遅刻無欠席を途切れさせるつもりは、これっぽっちもなかった。
 サーヴァントは霊体化できるし、学校にマスターは居ないから、休む理由などない。
「学校」
 何故か嬉しそうにサーヴァントが言う。
「ついていくぜ」
「当然でしょ」
 まだ七騎揃ってない上に、異常が発生しているとはいえ、聖杯戦争が始まるのだ。身辺警護は現段階での最重要任務である。
 そりゃ、自分のサーヴァントは正規の英霊でもないし、どんな能力なのかわかったものじゃないけど――
「――あれ?」
 暖まってきた頭が、ぽっかりと空いた思考の穴を発見する。
「うわ」
 自分の失敗に、凛は頭を押さえた。
 サーヴァントだが英霊じゃない、という発言で凛は思考を停止してしまっていた。
 真名どころか、クラスすら聞いていないのだ。
 凛の様子を察した少女は、昨晩から見せていたにやにや笑いを深めていた。
 いつ気づくのか、と面白がっていたに違いない。
 苦虫を噛み潰したような表情から、凛は溜め息を吐き、
「貴方のクラスと、真名。教えてくれるかしら」
 と、己がサーヴァントに問うた。
(まあ、クラスはキャスターだろうけど)
 セイバーを引き当てようとしたのにキャスターか、と嘆息。
 とはいえ自分のサーヴァントだ。有効活用して聖杯戦争を勝ち抜かなくては。
 凛の内心の嘆きを知ってか知らずか、金髪の魔法使い少女は鷹揚に頷き、
「ライダーのサーヴァント。霧雨 魔理沙」
 己がクラスと名前を、名乗り上げた。
「そっか、ライダーかぁ」
「おう」
 …………。
「って、ライダー!?」
 予想を裏切られたのは、得なのか損なのか。
 どう見たって、彼女は魔法使い、魔術師、キャスターではないか。
 昨晩のように凛の思考が荒れ、その様子を見てライダーのサーヴァント霧雨魔理沙は意地悪く笑った。
 ……幸い登校する時刻までは若干の余裕があり、凛は落ち着きを取り戻した。



「ああ……。ようやくわかってきたわ。とんだイレギュラーね……」
 時間がなくなってきたので、登校しながらの会話となる。
 凛と同じように登校中の他生徒が居るため、呟き以外はラインを通した念話で行い、ライダーは霊体化している。霊体化したライダーの姿は見えないが、外界に対して興味が絶えない様子が感じ取れた。
 ライダーは、此処ではない何処か、幻想郷と呼ばれる世界の住人だそうだ。
 それが現実に存在するのか、それとも異世界、並行世界の類なのか、と遠坂の魔術師として凛は非常に興味を惹かれたが、それに関してライダーはわからない、と答えていた。
『私の“記憶”だとな、家で実験をしてる最中に居眠りをしたらいきなり呼び出された、ということになるんだが。“記録”だと、サーヴァントは英霊がなるものだって言うし、普通は死後呼び出されるものらしいじゃないか。私は死んだ記憶も記録もないぜ』
 ただエーテル体であるから、霧雨魔理沙本人が召喚されたわけではない、というのは確定で、聖杯戦争に参加することにも乗り気。
 サーヴァントとしての心構えも刷り込まれたものを一晩噛み砕いて納得したらしい。
 非正規のサーヴァントが召喚されるに当たっての整合非整合、と題して、ライダーは魔導書にまとめたから、後で見せてもらおう――いや、読んでもらおうと凛は思う。
『――凄いな』
 しきりに周りを見回しながら、ライダーは感嘆の声を漏らす。
 彼女の世界とこちらの世界は、全く違うのだという。
 未来へ向かう科学の発展に、過去へ向かう魔術の発展が大きく遅れを取るこの世界に対し、隔絶され、科学の発展が停滞し精神の発展が著しいのが幻想郷という世界なのだ。
 こちらでは『魔術』と呼ばれるものも、あちらでは現役で『魔法』。ライダーは、魔術師と魔法使いの区別すら知らなかった。今でも召喚時に与えられた情報としてしかその区別を捉えていない。
 凛の持つ基準でならば、ライダーの『お仲間』はほとんどがキャスターに、そしてアーチャーに該当するらしい。
 クラスごとの適正と補正がどう作用するか、が気になると、ライダーは語る。
(貴方はライダーとして、何か補正を受けてるかしら?)
 クラス別能力として対魔力と騎乗スキルを所持しているのはわかるが、それ以外は本人でしか違いはわからないだろう。
『宝具が補正を受けてるな。どの程度か試してみたいが、下手に試すわけにもいかないよなぁ』
 心の中で凛は頷き、ひとまず会話を打ち切った。
 学校、私立穂群原学園に到着したのだ。
 霊体化したライダーがはしゃぐのを脇に、凛は優等生の自分へスイッチを切り替えた。





 特出した出来事も無く、二月一日の日常は終わる。
 下校時刻を迎えた凛は、そのまま新都へ出向き、急ぎ足で街を回った。
 ライダーの希望もあり、冬木の街を見せたかったのだ。
 戦場になるのだから、と凛の注意も虚しく、ライダーは都会然とした街並みに本気で驚き、興味津々で、凛が要所要所で手綱を握らなければ、そのままどこかへ駆け出して行きそうだった。
(なんていうか、その辺は見た目通りよね……)
 遠坂の魔術師として幼少から修行してきた凛にとって、ライダーの魔法使いの姿と少女としての姿のギャップは、理解しがたい不思議だ。
 凛とて優等生の自分と魔術師の自分という二面性を演じ分けているが、ライダーのそれとは全く性質が違う。
 人間であり、魔法使い……魔術師である、ということがこれ以上なく自然なのだ。
 こちらとあちらでは常識が違うのだろう。
 幻想郷では、魔術は隠匿されるモノ、ではないのだ。
 世界そのものが秘匿されているから、それ以上隠す必要がない。
(時計塔みたいな世界なのかな……)
 凛は思い、そしてすぐに、違う、と打ち消す。
 ライダーの奔放な性格は、暗い地下に篭るような陰鬱さとは程遠く、太陽のような明るさと風のような自由を感じさせる。
 自分自身に何の違和感も覚えていない、確固たる自信。
「…………」
 なんだかそれが、酷く、羨ましいモノの様に思えて仕方が無い。



 新都散策の締め括りに、センタービルの屋上に二人はやってきた。
 既に日は暮れ、時刻は七時過ぎ。
 主だったところだけとはいえ、夕食の時間も取らず、急いで回ったため、凛は軽い空腹と疲労を感じている。
「いい眺めだ」
 輝く街灯りを眼下にした、ライダーの素直な感想。
 今日一日会話して、二人は互いの性格を把握していた。
 少年のような口調で捻くれた発言が目立つライダーが、その根っこの部分は真っ直ぐで、時折その素直さが現れ、妙に可愛らしいと凛は感じる。
 ライダーは、凛の思考力は素晴らしいと思い、迂闊さは面白いと感じている。自分と同じように自信があり、それを裏打ちする実力もある。
 ――いいコンビになれそうだ。
 両者が内に秘める思いも同じ。
「…………」
「…………」
 今はただ、この風景を楽しむ。
 ……いやまあ、戦場視察なんだけど。本当に。
「おーけい。大まかには掴めたぜ」
「それは重畳。――ま、わたしたちが本気で戦おうと思ったら、中央公園ぐらい広いところじゃないといけないけど」
 二人とも、大味で派手な魔術がメインとあって、戦うのなら細かな空間よりも広い空間が望ましい、というのがこれまで打ち合わせた結果だった。
 ラインを通じた会話は、暇があれば行い、話題も絶えなかった。
 意外なほど無駄話は少なく、単なる雑談に見えても、ライダーには重要な要素が大いに含まれていたし、凛も同様だ。
 互いの常識が違うのである。ライダーは情報として知っていても確認しておかなければ、勘違いをし意思疎通が不完全になる危険があった。
 その事を凛はあまり自覚していないが、ライダーは表には見せないものの、かなり気にしている。
 そうでなければ召喚された直後からひと時も休まず、“外の世界”を直に見る誘惑を振り切ってまで、本にまとめるはずがなかった。
 幾度も、小休止して外を見て回りたいとライダーは思ったのだ。それを我慢できたのは、凛との繋がり、与えられる魔力を感じ、サーヴァントとしての責務を優先しよう、と思ったから。
 らしくないかもしれない、と思い、複雑な責任感を抱えたライダーは笑って、
「私は普通だぜ」
 そう、一人ごちた。



「――何か言った?」
「独り言だぜ。そっちこそどうした」
 ビルから下を見ていた凛は、何かに苛立っているように見えた。
「別に。下に知り合いが居ただけ。――そろそろ帰るわよ。明日は深山町の方を回りましょう」
「そうか。……いい眺めだから、飛びたいと思ったんだが」
「飛ぶって、まさか箒で?」
「ご想像の通り。なんだ、こっちの魔法使いは飛ばないのか?」
「…………。無駄なことはしないのよ」
「そうかね? 歩くより断然早いんだが」
 半ば本気のライダーの冗談だった。彼女はこういった物言いが多い。
 凛の気が少し落ち着き、言う。
「目立ちすぎるわよ」
「そうでもないぜ。クラス補正で魔力消費も抑えられてるし、結界の一つでも張れば、ばれやしないさ――」






「いやっっっっほーーーーーー!!」
「―――――――!!」
 絶叫と絶句。
 眼下に星空、頭上に夜景。
 アクロバティックな夜間飛行。
 くるくると螺旋を描き、海へ山へと空を駆ける。
 風防と不可視の薄い結界のみで、全ての推力が箒に与えられる古典飛術。
 重力操作なぞ不要、とばかりに箒を加速させるライダーに、凛はしがみ付く。
 センタービル屋上のさらに上空、一体何メートルになるのか。
 星明りと街灯りの区別がつかない。
「――――」
 ライダーは調子を見るために箒を叩き、急上昇を掛けた。
 空飛ぶ箒は雲を軽々と超え、
(――月が、近い!)
 真っ直ぐに月を目指す。
 しかし、徐々に速度を落とす等加速度運動に切り替わり、箒は一瞬、中空に止まる。
「え、え、え!?」
 嫌な無重力感に、凛の戸惑いの声。
 ライダーの背中に抱きつく凛には、ライダーのにやりと笑った顔は見えない。
 自由落下運動。加速度をカットされた箒は重力に従い落ちる。
 結界による空気抵抗の少ない、数千メートルのフリーフォール。
 見る見るうちに街が近づいてくる。
「――――っ!!」
 辛うじて悲鳴を堪える。風除けの結界が反って恐怖をあおる。
 時速三百キロメートルを超えながら、ライダーは箒を操り、そのまま遠坂邸近くに狙いを定め――
「まもなく終点遠坂家――!」
 ギリギリまでブレーキを掛けずに、地上に突っ込んだ。







「いやぁ、爽快爽快」
 不時着直前になってから勢いを完璧に殺しきったライダーは楽しそうに、それに付き合わされた凛はふらふらと遠坂の屋敷へ入っていった。
「…………」
 あれこれと文句を言いたいが、その一方で貴重な体験をさせてもらった。
「気持ち良かったのも確かにあるし……」
 半ば無理やり前向きに捉える。
 空腹だったのがよかったのかもしれない。下手に何か口にしていたら、酷い事態になっていた。
「ああ、そうだ。夕食」
 そして家の中に入って、居間の瓦礫のことを思い出した。
「嗚呼」
 凛はライダーに瓦礫の片付けを頼もうとし、諦めた。片付けが下手そうだから。
 代わりにライダーは食事を作ると提案し、いぶかしみつつも任せてみることにした。
 凛はコンロや冷蔵庫などの台所用品の使い方を一通り教え、居間の掃除に取り掛かり、ライダーは二人分の夕食作り。
「サーヴァントに食事なんて要るの?」
 二人分というところが気になって凛が訊くと、
「気分の問題だぜ」
 とライダー。
 やれやれ、と凛は嘆息して、英霊でもない少女なのだから、と心の贅肉を認めることにした。
 ちなみにライダーの料理の腕はそこそこで、素朴ながら美味しい和風の夕食を味わえた。
「もしかしなくても、貴方って一人暮らし?」
「お前さんも一緒じゃないか」
 そりゃそうだけど、と答える凛は、やはりライダーに親近感を覚える。
 心の贅肉大安売りだなぁ、と凛は苦笑。
「明日も学校だな?」
「ええ。よろしく」
 そんな二月一日、運命の前日だった。



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