Chapter 1

 

「ふあ……」
 いつもよりも早く目が覚めた。昨日、早めに寝たせいだろう。鳴らなかった目覚ましのスイッチを押す。
 カシャッ、とカーテンを開けて伸びを一つ。
 うん、いい天気だ。
 今はまだこの北国にも雪の気配はない。名雪曰く、
「あとちょっとすれば、初雪だよ〜」
 とのことだが。
 では、件の眠り姫を起こすとしますか。
 時刻は早いが、まあ、起きなければその時だ。
(制限時間100秒。起動確率7%ってところか)
 おそらく昨日はテレビを見て、夜更かししたことだろう。現在時刻との兼ね合いから、諦める時間と、その成功する確率を予想する。
 着替えて、自室を後にした。

 

 

 〜暴走する北国〜

 

 

「任務失敗……」
 やはり定時刻前に起こそうとする方が無茶なのか、俺、相沢祐一は「第一試練 眠り姫を起こせ!」に失敗していた。
 ネーミングセンスは突っ込まないように。
 ちなみに最終試練は「リベンジ! 夜の悪戯」だ。時として第一試練に滑り込んでくるが。
「おはようございます、祐一さん」
 台所に着いたところで、家主であり叔母の秋子さんが挨拶してきた。
「おはようございます、秋子さん」
 こちらもいつも通り返す。そのまま自分の席につき、テーブルに置かれた新聞を取った。
(最近、あんま面白い番組ないな)
 まずはテレビ欄から。次は社会面の四コマ。
「トーストとコーヒーでいいですね」
 秋子さんがハムエッグとサラダを盛り付けた皿をテーブル中央に置きながら、訊いてきた。
「はい」
 と頷いて、ようやく第一面。
 国際情勢がやたらと不安定なことを除けば、あまり大したニュースはない。
 社会面、ローカル面と見ていって、最後に経済面。
「なんだよ、狂言かよ」
 ぼやく。何やらローカルネタで何かあった模様。
 ざっと目を通したところで、トーストが運ばれてくる。バターだけつけて頬張る。
「そういえば、祐一さん」
 まだあゆが起きる時間でもなく、真琴は一昨日から天野家にお泊まりだ。
 ちょうど暇になったのだろう秋子さんが、椅子に座りながら話し掛けてきた。
「……はい?」
 口の中のパンを嚥下して、顔を上げる。
「テレビは見ましたか?」
 前にもこういうことがあったな、とか思いながら首を横に振る。
 というか、今降りて来たばっかりなんですけど。
「何かあったんですか?」
 今度はコーヒーを飲みながら。甘いものは苦手なので、ブラック。
「何でも、地震が起きたらしいですよ。それも大きな」
 頬に手を当てて、微笑みながら秋子さんが言った。
「へぇ……」
 実感が湧かない。まあ、実際に体験しないとその辛さとか大変さは分からないだろう。
「それで、一時的に避難する人たちがこの町にも来るそうですよ」
「交通機関とか、大丈夫だったんですか?」
「今の所、大きな被害は無かったそうです。何でも一度だけ大きな揺れがあって、それで地盤がかなり脆くなってしまって危険、ということですから」
 一次被害はそれ程でもなかったということだろうか。
 ふーむ、と相槌を打って、ハムエッグを一口。
 秋子さんの口ぶりだと、酷いのかどうかさっぱり分からない。
「あれ? おはよう、祐一君」
 うむ、おはよう、うぐぅ。今日も子供っぽいな。
「祐一君、もしかして酷いこと考えてない?」
 あゆが二階から降りてきた。俺が早く起きていたのが意外だったようだ。
「気のせいだ」
 考えてることが顔に出るのか、それともうぐぅが鋭いのか……。
「うぐぅじゃないもんっ!」
 迂闊。聞こえないように呟いたつもりだったのに。
「それに、朝の挨拶はおはよう、だよ」
「ああ、おはよう」
 片手上げて、白々しいほどの笑顔を向けてやる。
「…………」
「…………。秋子さん、ボクもパン、お願いします」
 引きつった笑顔のまま、あゆは席についた。代わりに秋子さんが立ち上がる。
 席について落ち着いたのか、今度はあゆが新聞を読み始めた。

 

 意外だったが、あゆはニュースといったものに物凄く敏感だ。七年間の空白がそうさせているのだろう。
 時事、芸能はもちろん。政治、経済まで精通している。理解は出来なくても、知っていることは多い。
 密かに学校で「雑学博士あゆあゆ」と呼ばれていたりする。
 そういうあゆのお気に入り番組は「発掘あ○あ○大辞典」。あと、「特命リサーチ2○○X」。日曜夜は真琴とチャンネル争いを繰り広げている。
 ちなみに同じように色々と知っている天野は「みっしーの知恵袋」で、香里は「博識女王かおりん」である。
 ネーミングはもちろん俺。

 

「で、俺もさっき秋子さんから聞いたんだけど、大地震が起きたらしいぞ」
「えっ? そうなの?」
「新聞に載ってないって事は、深夜だろーな。テレビ点けるか?」
 俺が降りてきたときにはテレビは消えていた。俺はちょうど朝食食べ終える。
「うん、お願い」
 いつの間にか秋子さんが持ってきていたトーストに、マーマレードを塗りながらあゆは言った。
 リモコンのボタンを押すと、ぷちん、と音がしてテレビの電源がオンになった。

『――県三咲町を中心とした地震は、周囲の一帯の地盤にかなりの影響を与えているようです――』

 間のいい事に、ちょうどやっていた。
 大きい地震とかだと一日中ニュースということがあるから、まあ当然といえば当然か。
「ふぁー」
 口にパンを入れたまま、驚くあゆ。ぽろぽろとパンくずがこぼれている。
「おい、ちゃんと飲み込め」
「ふぇ? ふぁふぁっふぁ……」
 ごくん、と飲み込む。
「すごいねぇ。わっ、学校がぐちゃぐちゃだよっ」
 言われてテレビを見てみると、確かに上空から映している、崩壊した元学校らしき廃墟の映像が流れていた。
「学校の生徒の人たち、どうするんだろう?」
「さあな」

『――なお、危険区域に指定されている範囲に住んでいる人たちは一時的に他県へ避難してもらうと政府の発表がありました。この危険区域はかなり広く、隣の県まで広がっています。これは、地震によって地盤が不安定になっており、二次災害が予想され――』

 そこで、画面は地図に替わり、その危険区域とやらを映し出した。
「……かなり広いな」
「……そうだね」
 一地方ほとんどが危険区域に指定されている。絶対危険区域が赤で、警戒区域が黄色で表示されているのだが、黄色の範囲が半端じゃない。
「これじゃあ、大変だよね。お引越しとか」
「お引越しとかそう言うの以前の問題だと思うが……」
 あゆ、やっぱりお前、少しずれてるよなぁ……。
 俺がしみじみ噛み締めていると、目覚ましの大合奏の余波が居間まで伝わってきた。

 ――ぴぴぴぴっ! ぴろぴろりん♪ がががががっ!! どげしっ!!!!

「……起こしてくる。多分、今日はしつこそうだから」
 俺は席を立った。心境は戦地に向かう兵士である。
「がんばってね、祐一君……」
 雰囲気は駅のプラットホームで徴兵される兄を見送る妹、もしくは若夫婦。

 

 

「くっそー、俺は早起きしたのにーっ!!」
 走りながら愚痴る。雪道じゃない分、楽だがこれから冬に入ってくることを思うと憂鬱だ。
「そんなこと言ったって、昨日はねこさん可愛かったんだよー」
 反省を一っ欠片も見せずにすぐ隣を走る、眠り姫。
「二人とも、待ってよー」
 遅れてあゆが、必死について来る。
 あゆの足は決して女子一般では遅くは無いのだが、相手が悪い。
 俺は男だし、こっちに来てからの早朝ダッシュは半ば以上習慣化している。
 名雪は言うまでも無く、陸上部部長である。朝のランニングと大差ない。
 片やあゆは、病み上がりのリハビリ上がり。食い逃げで鍛えた走りも今は無い。
「予鈴が鳴るよー」
「うぐぅ〜!」
 走りながら時計を見て名雪が言った。あゆ、悲鳴のうぐぅ。

 ――きーん こーん かーん こーん

「まだだっ、まだ予鈴だっ!」
「全力疾走だよ〜」
「う、うぐぅーっ!!」
 結局、何とか遅刻は免れた。

 

 

 Chapter 2

 

「お疲れ様、相沢君。月宮さん」
 教室に着き、席に着いたところで香里が話し掛けてきた。
「ああ」
「…………」
 俺は応えられたが、あゆはダウン中だ。
「今日の原因は?」
「昨日のテレビ」
「成る程ね」
 流石香里だ。これだけで解り合えるというのも凄いと思うぞ。
「おはよ〜、香里」
「おはよ、名雪」
 ワンテンポ遅れての名雪の挨拶。これを普通に返せるのは、親友は伊達じゃない、ってところか。
「月宮さん、かなりバテてるな。相沢」
 後ろから北川が話し掛けてきた。ちなみに、あゆの席は俺の前だ。
「俺とあゆだけだったら、こんなに苦労することはないってのになぁ」
「ほっといたら、どーなんだよ?」
 確かにそういう意見は分かる。が、
「その日の夕食が、な」
 紅しょうがとか、たくあんとか。
「この間、キムチにされたばっかだ」
「ふむ」
「へぇ」
 俺が言うと、北川と香里が頷いて続きを促した。
「ご飯なしのキムチに、味噌汁代わりにキムチの汁。あとサラダとか言って、キムチの白菜だけとか食わされた」
 栞だったら死んでたな。食う俺も、俺だが。
「栞が聞いたら、どんな反応するかしらね」
「お、俺もそう思ったぞ」
「栞ちゃんって、キムチ駄目なのか?」
「辛いもの全般が駄目だと」
「タバスコは人類の敵って」
「……うー」
 話の輪に入れず無視されている名雪の唸り声が聞こえた。

 そのころ――
「くしょんっ」
「美坂さん、風邪ですか?」
「いえ、誰かが噂してたんですよ、きっと」
 というやり取りが一年生教室であったとか。

「というわけで、ホームルームが終わった」
「誰に説明してるのよ」
「突っ込みありがとう、香里」
「どういたしまして」
 このあとすぐ授業があるのだが、今日は数分の余裕がある。
「で、ホームルームの内容は聞いてたの?」
「全然」
「おいおい」
 香里とぽんぽんと言葉のキャッチボールをし、それに北川も混じる。
 名雪は諦めたのか、眠いのか――おそらく後者――すでに寝に入っている。
「どうするんだろうね?」
 と、あゆ。真面目に聞いていたらしい。
「何を?」
「うぐぅ……。祐一君、先生の話はちゃんと聞こうよ」
「いつも、大したこと言わんだろうが」
 そのくせ、出席はきちんと取るんだからな、石橋は。
「で、何なんだよ」
「被災者さんたちがここに来るんだって」
「ああ、例の地震の」
 そういえば、秋子さんが言ってたな。
「しかし何でわざわざこんな北国まで……」
「校舎が大きいからっていうのがあるわね。一クラスあたりの人数も少ないし、空き教室も多いし」
 香里が説明してくれた。
 そういえばそうだな。ここの校舎、迷うほど広いし。
「住む所とかどうするんだろうね〜」
「市営アパートを無償で貸し出すって話よ、月宮さん」
「へ〜、そうなんだ」
 人の机の上に体を乗り出すのは行儀よくないぞ、あゆ。
「あ、そういや、オレんちに知り合いが来るな」
「……女か?」
 一瞬、香里の顔が強張る。
「んなわけあるかっ」
 当然か。香里の表情が元に戻る。そして、溜め息ついでに愚痴るように言ってきた。
「はぁ……ちなみに、クラス委員は昼休みに会議よ」
「ご苦労だな、香里」
「大変だな、美坂」
「頑張ってね、香里さん」
 何の会議をするんだか。それにしても名雪、完全に忘れられてるな……。

 

 

 

 昼休み。今日はいい天気なので屋上で昼食を取ることにした。
 扉を開けるといつもの二人、倉田佐祐理こと佐祐理さんと、川澄舞こと舞がいた。
「あははーっ、こんにちは、祐一さん」
「こんにちは、佐祐理さん」
 俺に気づいて明るく挨拶してくれる佐祐理さん。
 俺の手には購買のパン。佐祐理さんのお弁当はおかずは多いが、ご飯は二人前である。
「…………」
 佐祐理さんはちゃんと挨拶してくれたが、俺に構わず黙々とおかずを口に運び続ける舞。
「…………」
 俺は近づいていって、舞の後ろに回る。そして、
「てい」
「――――」
 ――びしっ
 伝家の宝刀、舞の必殺チョップ炸裂。
「む」
「変なことしようとした」
「……別に、後ろから目隠ししようとしただけじゃないか」
 失敗したが。
「……じー」
「元はと言えば、俺を無視するお前が悪い」
「祐一だって、私には挨拶してない」
 にわかに、睨めっこ開始。
「…………」
「…………」
「あははーっ、二人とも仲いいですねー」
 ――ぴし
 今度は佐祐理さんにチョップ。ただし軽め。
「隙有りぃ」
 その隙にひょい、と舞の前の弁当箱から卵焼きを頂く。
 ――びしぃっ
「私の」
「早い物勝ちだ」
「なら私が先に食べる」
 言うやいなや、舞の箸が猛烈なスピードで、おかずを掴み始めた。
「うおぉぉっ!? 本気か!?」
「早い者勝ち」
「さ、佐祐理さん、箸!」
「はい、どうぞー」
 慌てて箸を催促して、あらかじめ準備していたらしい佐祐理さんがテンポ良く渡してくれた。
「負けない」
「少しは遠慮しろっ!」
「あははーっ」
 妙に、白熱した昼食になってしまった。

 

「今日は祐一さん一人なんですね」
 壮絶なるおかず争奪戦も一段落つき、ゆっくりと食後のお茶を飲みながら佐祐理さんが訊いてきた。
「ああ、香里が会議だからって」
 名雪と北川はそれに付き合ってか、あとから学食に行くといっていた。
 もしかしたら、栞たち一年生組と中庭で食べてるかもしれない。
「大変ですねー。例の受け入れについてでしょうか」
 多分、と頷いてお茶を一杯。今日は紅茶らしい。
「佐祐理の……」
「ん? どした、舞」
 ぼそ、とデザートのりんごを摘んでいた舞が呟いた。
「……佐祐理の家にも人が来る」
「そうなんだ?」
「あははーっ、そうなんですよー」
 まだ決まったわけじゃないんですけどね、と笑顔で付け加える佐祐理さん。
 北川の奴も、知り合いが来るって言ってたな。なるほど親戚筋とかに頼るのか。
「佐祐理さんの知り合い?」
「いえ、実際に会った事は無いですよ。決まったなら今夜にもいらっしゃられますねー」
 佐祐理さんの親父さん関連だろうか? 久瀬の例もあるし。
「久瀬さんも忙しそうにしてましたねー。そろそろ選挙も近いでしょうに」
 生徒会役員と先生は受け入れ準備とやらをしているのだろうか。
 選挙というのは、来週あるはずの生徒会役員改選の選挙だ。
 久瀬が密かに根を回して、現生徒会の保守派を一掃しようと目論んでいるらしい。

 

 最初聞いたときは耳を疑ったが、舞一連の騒動の際久瀬は舞と佐祐理さんを守る方向で行動していたらしい。
 当時はまだそれ程の権力を持たなかった久瀬は舞の処分を、甘くならず、厳しすぎないギリギリのラインの案を出し、何とか最悪の事態を免れていたと言う。
 舞踏会の時は、流石にかばいきれずに退学処分になってしまい、その後署名活動していた佐祐理さんと俺にキツイ態度を取ったのはフェイクだったそうだ。久瀬本人曰く、
「あの場で、僕が無茶苦茶な論理を振り回さないと、君たちの立場がより危うくなるからね」
 とのこと。生徒会長でもないのに妙に強気だと思ったら、これである。
 つーか、完全に頭にきてたあの時の俺はかなりやばくなかったか? 思い出してみると、かなり支離滅裂というか、常識外れのことを言っていた。向こうが言ってたこと自体は正論というか一般論だったんだけどな……。
 非日常な世界に慣れる弊害だろうか。
 あん時は、魔物との戦いとか舞の退学とかで神経高ぶってたしなぁ。

 

「で、どんな人なんです? 佐祐理さんの家に来る人って」
「遠野さんって言うんですよーっ」
 トオノ……、遠野か――

 

「飛べない翼に意味はあるんでしょうか?」
 お前じゃ無いって。
「……がっくし」
 AIRを混じらせるのは流石に辛いとか言ってたぞ。作者が。
「……残念賞、進呈」
 お米券……自分にか?
「いえ、読者の皆さんに」

 

「見てる奴いるのか? これ」
「はぇ? 何ですか? 祐一さん」
 はっ、何かチャネリングしてたぞ!? 電波か?

 

「……電波、届いた?」

 ……いい加減にしろ。大体そのゲームして無いだろーが。

 

「な、何でもないです。で、遠野さんかー、どんな人?」
 気を取り直して、佐祐理さんに訊いてみた。
 佐祐理さんのお父さんの関係なら、何かしらの大物なんだろう。
「遠野財閥の頭取ですよ。凄い方ですよねーっ」
 あははーっ、と笑って佐祐理さん。
 遠野財閥……、遠野グループか。名前は聞いた事あるなぁ。前に一度、一面に載ってたような……。
 ま、いいか。後で、天野かあゆか香里にでも聞いておこう。
「祐一さんのお家には、誰も来ないんですかー?」
「…………」
 無言で、舞が顔を上げた。ちょっと気になるらしい。
「いや、俺の家は秋子さんの家だからな。秋子さんの知り合いなら来るかもしれないけど」
 俺と名雪と秋子さんの三人じゃ、少し広かったあの家も、今はあゆと真琴が居る。
 入るとしてもせいぜい一人だな。
「あっ、そうでしたねー。祐一さん居候なんですから」
「そうそう、居候の身では肩身狭くて……」
 よよよ、と泣き真似をする。
「はぇ〜、苦労してますね〜っ」
 佐祐理さんは俺の冗談を上手く返してくれた。と言うか、ノッてくれた。
「…………」
 佐祐理さんは、俺の肩をぽんぽんと叩く。もちろん演技。
「…………」
「…………」
「…………」
 ぴたっと三人の動きが止まる。
「…………」
「…………」
「…………突っ込め、舞」
 こういうときのチョップだろうが。
「……突込みどころがわからなかった」
 むぅ、舞はもっと漫才の修行をしないとな。
 ――びしっ
「私は、漫才の修行なんかしない」
 もしかして、口に出てたのだろうか。しかし、
「……ナイス突っ込み」
「あははーっ」
「…………」
 転んでも只じゃ起きないぞ、俺は。

 

 

 

 Chapter 3

 

「祐一、お帰り〜」
「祐一君、お帰りなさい」
「……何で教室に戻ってきただけで、お帰りなさいを言われなきゃならんのだ」
 物凄く恥ずかしい。おまけにクラスの視線が、
「相沢夫妻、だな」
 そうそう、そんな風に言ってるように……、って、おい。
「で、どっちが正妻なんだ? 相沢」
「北川、口に出すな。いや、むしろ考えるな。というか、一発殴っていいか?」
 右手を握り締めながら、北川に一歩踏み込む。言っとくが、眼は笑ってない。
「お、おい、相沢……落ち着け」
 狼狽した北川が俺に呼びかける。
 いやいや、北川君。俺は冷静だ。何しろ後の方で「相沢夫妻」の呼び名で真っ赤になって悶えている名雪とあゆの様子がわかるからな。
 ――関係ないか。
「ほらほら、止めなさいよ。相沢君」
 助かったぜ、美坂。と、北川が呟く。
「北川、今回の件は、例のオゴりと相殺な」
 この間の小テストで俺と北川はどっちが勝つか勝負をし、その結果、二問差で俺は負け、北川に定食セット(大盛)を奢ると言うことになっていた。ちなみに金1200円也。学食内ではトップレベルの高価メニューである。
「げっ、横暴だぞ。オレがあのテストに掛けた努力は、どうなるんだぁー」
「知るか! 口は災いの元、って言うだろうが」
 よし、いい感じだ。このままなし崩し的に奢り解除だ。
「相沢君の言える諺じゃないわね」
「――香里、どういう意味だ、それ」
「言葉通りよ」
「…………じゃあ、とりあえず北川を殴ると言うことで」
「それで、オゴリの件は無効にはならないんだな?」
 覚えていたか。……こうなっては実力行使あるのみ。
「それはそれだ」
「……ひ、ひでぇ」
 ニヒルな悪役の笑みを浮かべ、さらに一歩北川ににじりよる。
「祐一、暴力はだめだよ」
「そうだよ、祐一君」
 ちっ、もう復活したのか、だよだよコンビ。
 しかも「相沢夫妻の呼び方気に入りました」って理由で、北川に味方してるだろう。
「はいはい、コントはもういいから」
 香里がぱんぱん、と手を叩いて間を仕切った。俺たちはそれに従って、各自席についた。
 他の生徒たちもそろそろ時間と言うこともあり、席についている。
(ん……?)
 当の香里自身は席につかずに、教卓の方へと歩いていった。男子が一人、同じように教卓に向かった。
「えー、それでは……今日の五時限目、六時限目は授業を変更してホームルームを行います」
 男子生徒、クラス委員で生徒会役員の斎藤、が言った。
 突然の授業無し宣言に、わぁっ、と湧く教室。
「で、議題はと言うと……」
 それを手で制し、宥めながら香里。喧騒が少し収まる。手馴れた感じだ。
「例の地震での他生徒受け入れについてです」
 やっぱりそうか、という空気が流れる。
 会議の後にホームルームだから、みんな予想していたのだろう。
「へぇ〜……」
「わっ、びっくり」
 若干二名ほど不意をつかれてた奴もいたが。
「皆さんが察している通り、昼休みの会議で決まったことですが……」
 香里は手元のプリントを見ながら言う。おそらく決定事項等が記されたメモなのだろう。
「有志を募り、受け入れ生徒との混成クラスを作ることになりました」
 ざわざわ、と、どよめきが広がる。俺もいまいち意味が分からない。
「つまり、各学年から何人かを引き抜き、ウチに流れて来た他校生徒たちと混ぜて、新たに学級をつくるってこと」
 何故かプリントを睨みつけながら、香里が補足する。難しい顔をしている香里をよそに、再びクラスが騒ぎ出した。
「有志を募って……か」
 ぽつり、と呟いてみる。ふと右を向いてみると、名雪が興味深げにこちらを見ていた。
「何だ?」
「祐一、どうするのかなぁって思って」
「どうするって、言われてもなぁ……」
 せっかくクラスに馴染んできた所だし、また転校時のような状況にはなりたくないしなぁ。
 いや、何気に目立っているというか浮いているのだが……。多分、名雪とかあゆとか舞とか佐祐理さんとか……女性関係&エトセトラで。
「……おや?」
 俺よりこのクラス歴が短いあゆが何だかボーっとしている。授業中はホームルームであっても真面目なあゆにしては珍しい。
「あゆ?」
「…………あ、何? 祐一君」
 試しに声を掛けてみても、反応が鈍い。ふむ。
「どうしたんだ? 何か考えてるみたいだけど」
 俺がそう訊くと、あゆはやはり珍しく難しい顔をして、
「ボク……その、希望してみようかな、と思って……」
「どうしたんだよ。俺たちと同じクラスになって喜んでたのに」
 時折あゆは酷く遠慮がちになるときがあったが、……何でこんな時に?
「何だか、みんな希望しそうに無いし……、それに――」
「――美坂さん、わたし、希望します」
 あゆが何か言いかけた時、一人の生徒が立ち上がりながら挙手して言った。一人だけ他校の、転校前の制服を着ている女生徒――七瀬留美だ。
「……七瀬さんね。ありがとうございます」
 不意をつかれ、香里もいささか驚いた様子でメモを取った。他のクラスメイトたちも彼女の行動でざわめいた。
 という俺も驚いている。誰もが敬遠している中、立候補する勇気というか度胸は素直に凄いと思う。
「あの、ボクも……!」
 七瀬の立候補の波も冷め遣らぬ内に、あゆも手を挙げた。教室が、おおっ、と二度湧く。
「月宮さんもね……。女子二人と」
 香里が書き込み、斎藤は黒板に正の字を二画目まで書き込んだ。
 他の生徒が七瀬やあゆに興味深げに話し掛けたりしている。
 七瀬はすまして軽く流しているようだが、あゆはいきなり話し掛けられて動揺している。
「はぁ……」
 何か妙に“きて”、溜め息を吐いた。教室はずっとうるさいままだ。
「――香里」
「何? 相沢君」
「希望者って、どれくらいいれば良いんだ?」
 手を挙げながら立ち上がり、訊く。
「他のクラスの数にもよるけど、大体五、六人ってところよ」
「そうか、なら俺も数に入れといてくれ」
 そう言って、俺は座った。
「ええっ!?」
「祐一!?」
「わかったわ」
 あゆと名雪が驚いていた。逆に香里は落ち着き払ってメモを取る。斎藤も黒板に「男子 一」と書いた。
「え、えっ……、祐一、別のクラスになっちゃうの? えっ……と……」
 名雪は大分混乱しているようだ。ついさっきまで半寝状態とは思えないほど慌てふためいている。
 香里はどうするの……? という風にちらちらと、教壇上の親友を窺う名雪。
「美坂、オレも」
 その隙に北川が手を挙げる。正の字の二画目が書き込まれる。
「えっ、えっ?」
 名雪の首は後ろに前にと大忙しだ。
「何だよ?」
「お前ばっかに、いいかっこさせるか」
「ばーか、俺がいつ、格好つけたんだよ」
「これだから、無自覚な奴は」
 むむぅ、何肩をすくめてやがる北川。
「う……うにゅ…………香里ぃ〜」
 名雪は追い詰められ、香里に助けを求めた。
「女子、二人追加ね」
 呆れたように溜め息を吐いて――フェイクだ――香里はそう言った。名雪の表情がぱあっと明るくなった。そして、
「私だけのけ者にしたらだめだよ〜」
 と何故か俺を非難した。

 


 

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