ブギーポップ・ウェイブ―エンブリオ共鳴―


3-2

「あれは・・・・・・」
 確信はできない。だが、見間違いかどうかを疑う余地はない。
 可能性があれば、それでよかった。その程度でいいからすがりたい。
 走り出そうとして、足が重く、転びそうになった。
「く、はっ」
 たたらを踏んで、踏ん張って、そして顔を上げたときは既に視界から外れていた。
(しまった・・・・・・っ)
 足を強く叩き気合を入れ、・・・・・・なんとか走り出した。
 頭痛はまだ残っていて、石のように重い。
 ふらふらと、常人の駆け足程度のスピードで、全力で走り出した。





 フォルテッシモの反応は早かった。
 駆け出す足音もそこそこに、滑るように走り出した。
 傍目からは追いかけているように見えない。
 走っているという印象すら与えない。川を流れる落ち葉のような自然さで、目標を追いかける。
『おいっ!? どうしたんだ!』
 やかましい。今は貴様にかまっている暇はない。
 目標は、彼の視界すれすれを移動している。フォルテッシモが追跡しようとしているのに、その距離は縮まらない。
 目標もまた、フォルテッシモと同様の移動をしているのだろう。
 走っていると思わせない、自然な高速移動。
 そして・・・・・・
(くそぉぉぉ!!)
 ―――見失った。
 理由は二つ。
 一つ、目の前で信号が赤になり、大型トラックが何台も走り抜けた。
(くそっ、くそっ、くそぉぉっ!!)
 二つ、フォルテッシモはあくまでも人間の肉体である。
『おいっ!! なんだってんだよ!?』
 フォルテッシモは確信を持てたわけじゃない。
「うるさいっ!!」
 しかし、忘れるはずもなかった。
(くそ・・・・・・貴様だよな、ユージン・・・・・・っ!!)





 前方に意識を集中しようとして、頭痛が再発した。
「痛ぅ・・・・・・」
 ずきずき、と血管が膨張したかのように、脈に合わせての頭痛。いわゆる偏頭痛。
 それでも、走るのを止めようとは思わなかった。それどころじゃなかった。
 走る。そして前を見据える。人ごみの向こうへ、視界の限界の向こうへ消えた人影を探す。
「――――」
 意志の力が、頭痛を超越した。
 幻覚だったのかもしれないが、その時確かに頭痛は消えた。
「――――」
 何処から何処へ歩いていくのか、そのごちゃごちゃした人の流れが、把握できた。
 ふらふらとすることは無くなったが、相変わらず早歩き程度の駆け足で、人の流れの隙間をそっていった。
 しかし、肝心の彼はわからない。遠すぎた。わずかな残滓を追った。





 ―――結局、フォルテッシモは見失ってしまった。

『・・・・・・何だったんだよ、追いかけてた奴は。知り合いか?』
「・・・・・・」
 未練たらしく、フォルテッシモはそれが消えていった方へ歩いていた。
 エンブリオがたまりかねたように質問を発するが、フォルテッシモは完璧に黙殺している。
 やがて思いついたのか、エンブリオは喋り始めた。
『―――ああ、ユージンってやつか? お前が最初に認めた合成人間だったか。たしかこの冬に行方不明になってるって。待機任務中にMPLSを補足し、監視中、何らかの事件に巻き込まれたのか消息を断つ。裏切りなのかそれとも敵にやられたのか微妙って言われてたな。裏切ったんならそれなりの反応があるはずだが、それがない。上のやつらも処置に困って放置してるようだし』
「・・・・・・」
 フォルテッシモは答えない。走るのはとうに止めているが、その歩みは止まらない。
『お前の攻撃を二度躱した最初の相手。単式戦闘型で階級はBの・・・・・・なんだったか。主な任務は暗殺』
 エンブリオは返答が無いのを気にしないのか、書類を読み上げるように言いつづけた。
 単に暇だったのかもしれない。フォルテッシモの反応を引き出そうとしたのかもしれない。
 両方だったかもしれないし、どちらでもなかったのかもしれない。
「・・・・・・」
 ただフォルテッシモは最後まで無言だった。
 彼の、口どころか顔全体は、凍ったように動いていなかった。
 無表情のように見えるが、うつむき気味のその顔は―――



 ―――飢えていた。

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