ブギーポップ・ウェイブ―エンブリオ共鳴―


前章

 街の通りから少し離れた路地。そこには特に用も無いただ広い空間が広がっている。
 誰も顧みないその空間で、今は文字通り空間が炸裂していた。
「・・・・・・その程度なのか?」
 そこに立っている男が呟いた。
 正直、少年と言った方がいいのかも知れないが、その人物の雰囲気が少年と呼ばせるのを躊躇わせる所があった。
「統和機構がわざわざ、俺に指令を出すほどの奴がこの程度なのか・・・・・・?」
 彼は、呆然とした調子言った。独り言だったのかもしれない。
 彼の胸元にはエジプト十字架のアクセサリーが掛かっている。
(・・・・・・統和機構め、俺が離反しそうだからといって、こんな小者しか寄越さないとはな)
 彼は苛立ちとともに、目の前の統和機構と呼ばれるシステムに敵だと判断された男を睨みつけた。
「・・・・・・」
 敵は怯えが隠し切れずに震えている。もはや彼には敵ともいえない。
 今まで、彼が満足できた相手は二人しかいない。その両方とも、現在は生死・行方不明である。
 興味を失った目で男を見据える。
「・・・・・・グッ!!」
 男が最後の悪あがきで、突撃してきた。
 びゅん、ぶん、と腕を振って攻撃を仕掛ける男だが、これまでに受けたダメージと恐怖で全くと言っていいほど効果が無かった。
「ガアァッ!!」
 それでも、攻撃を止めない。必死の形相で攻撃を続ける男。
「・・・・・・」
 対してかわし続ける彼の方は無表情だ。
 一つ大きく跳躍して間合いを離す彼。その胸の十字架が揺れる。
 彼が手を男に向かってかざす。男の表情が絶望的に引きつる。
「終わりだ」
 彼が無表情に告げた。
 彼の手が僅かに開いた。それだけで―――
「・・・・・・・・・・・・!!」
 男は塵となり、この世から跡形も無く消えた。

 

「くそっ・・・・・・!」
 路地裏の広場を離れ、大通りを目指し進んでいきながら彼は毒づいた。その胸元から声がする。
『ヒッヒッヒッ・・・・・・ご機嫌斜めだなぁ。なあ? 最強?』
「・・・・・・・・・・」
 その声を無視して歩きつづける最強と呼ばれた男。
『・・・・・無視かぁ? おい。・・・・・・ま、いいけどよぉ・・・・・・』
 少年とも見える彼は、その後も話しかける『声』を無視しつづけた。
『声』は彼の胸にある十字架から発せられているようだった。
「・・・・・・・」
 こいつの事を気にするたびに、やなやつを思い出す。
(あの嘘つき野朗・・・・・・!)
 なにが誇りだ、あの大嘘つきめ!! と、舌打ちをさらに一つ付け加える。
(おまけに、こんなものを寄越しやがって!)
 忌々しげに十字架を見る。『それ』は尚も自分に向かって話し掛けてきている。
 こいつの名は、エンブリオ。
 この間の事件で、彼が回収を命じられた物だ。
 生き物でも機械でもないこれは、幽霊みたいなもので、『殻を破りかけている者の可能性を開花させる』能力を持つ。
 元々携帯ゲームに入っていたはずのエンブリオを、今のエジプト十字架に移したのはあの大嘘つきなのだが、どう言う訳か、あいつはこちらに、いとも簡単に放り投げたのだ。
『一週間後の今日、夜明け前の時刻・・・・・・―――そこで待っているよ――――』
 奴の言っていたことを思い出した。また、胸の奥から燃えるような怒りが浮かび上がってくる。
 お陰でこれをどうすればいいのかいまだに悩んでいる。本当なら、中枢(アクシズ)に報告して、統和機構に渡さなければならないのだが、その時思わず、“元”入れ物の方を報告してしまったのだ。
「・・・・・・チッ」
 舌打ち一つ、小石を蹴飛ばす。目の前にはもう通りがあり、人も歩いていたが気にしない。
 蹴飛ばした小石は、蹴られて飛ぶ前に、粉々になって消えた。
 ―――『空間の罅割れを広げ、全ての物を引き裂く』能力
 それが、彼の持つ能力である。
 彼はリィ舞阪、もしくはあだ名であるフォルテッシモと呼ばれる。
 そして、かつての称号である『最強』とも。

 彼が負けたことを知っているものは、自分に勝った男と胸にぶら下がっている十字架以外はいない。
 その戦いのことを見逃したスワロゥバードは勝敗を知らないし、よく連絡役としてくるスクイーズは戦いがあったことすらも知らない。(中枢の方には「強力なMPLSがいる」と報告したので、どうかは知らないが)
 そのせいで、未だに最強とも言われている。  あの後、変化があったのはエンブリオのことだけではない。フォルッテシモの内面にも変化があった、ような気がする。それが単に「飽き」からの離脱なのかどうかはわからないが、なんと言うか妙に安定した感がある。それと・・・・・・
「―――あっ、すみません」
 通りを歩いていて人とぶつかった。咄嗟にという感じで走ってぶつかったガキが謝った。
 ・・・・・・以前なら、こんな風に人とぶつかることは無かった。在ったとしてもこちらもぶつかる気だったときだけだった。
「・・・・・・・・・」
 謝っているガキを見る。どうということの無い子供だ。
 急いでいるらしく、こちらが視線を逸らすと、慌てて走り出していくのが音でわかった。
(おやまぁ・・・・・・見逃すのかぁ?)
 エンブリオが話し掛けてきた。例によって無視する。
「あれ・・・・・・?」
 後ろでさっきのガキが不思議そうな声をあげた。しかし、またすぐに駆け出す。
 大して気にも止めず、フォルッテシモは近くの駅を目指して歩を進めた。

(・・・・・・・・・・・・)
「ん?」
 エンブリオが珍しく黙っているので、フォルテッシモは奇妙に思い、そこで滅多にしないことをした。
「どうかしたのか?」
 彼が訊くと、エンブリオは冷やかしもせずに、声を発した。その口調はいつもと違う。
(―――誰か・・・・・・俺の声を聞いたのかもしれないな・・・・・・)
「なに?」

 ―――エンブリオの『声』が聞こえたものは『能力』に目覚める。


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