ニューヨーク旅日記PartW

10月15日(金)
 早起きは続く。7:20集合で、部屋で朝食をとる。昨日、トライベーカリーで買ったパンを使って、カホがフレンチトーストを作ってくれた。おいし〜。おかずは、ボイルしたソーセージ。行きの機内食で持ち帰った砂糖が、フレンチトーストで役に立った。おいしくて満足。

 そして8時出発で、自由の女神へ向かう。地下鉄で終点の
South Ferry まで行った。ガイドブックによると、前から5両目までしかドアが開かないらしい。観光客が多いからか、しつこいくらい車内放送が繰り返されていた。座席で隣り合わせた日本人のおばさま3人組も、自由の女神へ行くようだ。駅に着くと、すごい人、人、人。遠くの自由の女神を見ながら、バッテリーパークの海沿いの道を歩いて、フェリー乗り場を捜す。並ぶ人の列は、すぐに見つかった。ふと見ると、さっき地下鉄で隣り合わせた3人組が、私達をサササと追い越そうとしている。なんとなく、こちらも負けてなるかと競い合うように、近くの建物で急いでチケットを買った。あまりに急いでいて気づかなかったけど、後でガイドブックを見ると、チケット売り場もクリントン砦という観光名所だった。ま、何はともあれ、朝1番のフェリーに乗ることができた。日本人も結構多い。右側に自由の女神が見えるらしいので、すぐに上の階の右側を確保した。冷えこんでいるものの、お天気が良いので気持ちいい。船が桟橋を離れていくと、後方にマンハッタンのビル群がだんだんと小さくなっていく。朝の光が反射して、きれい。マンハッタンが遠く離れたところで、今度は右側にエリス島の移民博物館が見えた。
 そして前方を見ると、もう自由の女神が。堂々とした姿だ。船は女神をゆっくりと回り込みながら、少しずつ近づいて行く。気分満天!みんな観光客なので、一生懸命、写真を撮りまくっていた。リバティ島と桟橋が近づいたところで、船の降り口へ急ぐ。

 島に着くと、早足で自由の女神の足元へ進んだ。テントの下には、延々とロープが張られているが、まだ朝早いので、人が少ない。すぐに列が進み、建物の中へ入ったところで、列が二手に分かれていた。右側は台座部分までのエレベーター、左側がクラウン部分へと続く階段だ。階段は遅々として進まない。列は延々と続いている。1歩進んでは立ち止まり…という感じ。ひたすらボーと上を見上げて待つしかない。それでも少しずつ少しずつ進み、やっとこさ、らせん階段の下まで行きついた。そこからは、とっても狭い階段をひとりずつ上がって行く。背の高い外人の人は、頭を打つんじゃないかと思うくらい狭い。上方に光が見えたと思ったら、途端に
クラウンにたどり着いた。思ったほど、しんどくなかった。それにしても、そこは狭い!クラウン部分の四角い窓がいくつか並んでいるだけで、人は6〜7人も立てば目一杯。階段で進まない理由は、ここにあったのね。みんな階段で待っているので、急いで記念写真を撮る。窓から覗くと、窓の上にクラウンのギザギザ部分(?)が手に取れるほど近くにあり、おお〜っと思った。そしてその向こうに海と町並みが見える。かなり感動。来てよかった。(窓から撮ったのが↓の写真)
 が、感動に浸っている暇はない。階段で立ち止まって待っている人々に場所を空けるために、すぐに階段を降り始めなければならない。下りは、早い早い。前が詰まらずにタッタカタッタカ進むので、本当にあっという間に台座まで下りることができた。そこから自由の女神を見上げると、形がわからなくてソフトクリームのようなムニュムニュした物にしか見えなくて、おもしろい。
(見上げて撮ったのが下の写真)

 自由の女神を出て、少し離れて振り返ると、そこには堂々とした女神の姿があり、“これぞニューヨーク”といった感がある。海沿いに行くと、海を隔てて、遠くマンハッタンのビル群が見えた。 写真を撮ろうと用意をしていると、側にいた白人の上品そうなおばさまが「日本のかたで、いらっしゃいますか?」と、話しかけてきた。
 
敬語を使った、とってもキレイな日本語にびっくり!話を聞くと、長い間、日本に住んでいたという。関東方面だったそう。そこらの日本人よりも(もちろん私よりも)美しい日本語を話す、素敵なおばさまだった。そのかたの連れの陽気な白人女性が私達4人そろっての写真を撮ってくれた。感謝! 

 10時半のフェリーに乗って、マンハッタンまで引き返す。船上では、近くに中国人らしきグループ(間違いなく観光客)がいたが、皆、めちゃくちゃテンションが高く、声高に話し続けている。船に乗っている間中、交代で記念写真を撮っている。そのポーズは、欄干に腕をかけ身体をもたせかけるという、まるで一昔前の石原裕次郎か小林旭のようだ。私達がすぐばにいるのも全くおかまいなしの写真撮影会が繰り広げられていた…。関西人もビックリの賑やかさだった。   

 バッテリーパークに着くと、花の咲く公園内を横切って、地下鉄乗り場へと向かった。マンハッタン中心部と違って、道が碁盤になってないので、ちょびっと迷いながらも駅を見つけた。が、地下鉄に乗ったら急行だったらしく、途中で慌てて降りるはめに。また地下鉄に乗りなおす。そんなこんなで回り道をしながらも、今日のランチ(飲茶)の目的地、
中華街へたどり着いた。ガイドブックでピックアップしていた数件の店を探しながら、Canal St.を歩きBowery辺りで、最初に見つけた「新銀宮(New Silver Palace)」に入った。2階に上がると、広いホールの中の席に案内された。現地の人らしき中国人夫婦と合い席だった。通りがかるワゴンを呼び止め、サーブしてもらったらレシートにはんこを押してもらう。私達が選んだのは、焼売、海老餃子、ワンタン、海老湯葉巻き、大根餅、野菜巻き(あんまり…)、肉饅、春巻、豆腐(ちょっと甘いがgood)、エッグタルト、ココナッツ団子、マンゴプリン、杏仁豆腐もどき、以上、ほんとによく食べた。ワゴンの中には、肉を煮込んだようなものや、なんだかよくわからない料理もあった。私達の知っている中華料理は、日本人の口に合う日本に入ってきている料理だけだものね。お茶もおいしい。おなかいっぱいになっても、ゆっくり休んでいる暇はない。いざ、買い物へ出発!

 地下鉄でLafayette St.から、77 th St.へ移動する。まずは、メグお勧めの
La Maison Du Chocolat へ向かった。ところが、あるはずの場所(73 rd St.)を探して往復したけれど、見つからない。ウロウロしていると、側のイタリア料理店からオジサンが出てきた。「メゾン・ド・ショコラ探してるの?前はここにあって、昭文社のガイドブックには、ここと出てるけど、引っ越したよ。ここは今は僕の店。」(訳:適当)きっと、私達と同じような日本人が多いのね。そして親切なオジサンは、「今は79th St.だよ。」と新しい場所まで教えてくれた。「ちょっとだけ僕の店を見て行かない?」とのお誘いは、時間がないので、丁重にお断りして(ゴメンね、オジサン!)いそいそと移転先へ向かった。
やっと見つけたお店に、メグは感激。小さいけれど店の雰囲気もいいし、お店のマダムも上品。う〜ん、確かに高級チョコレートというだけあって高い…。でも、めっちゃおいしそう。チョコの誘惑に負けて、つい私も買ってしまう。(後でサックスの店員さんが、私の紙袋を指差して「おいしいのよ〜。」と言っていた。NYの人にもや有名なのね。)
 そこから
5番街まで歩いて、あとはひたすらブランドショッピング!といっても、おおかたはウィンドゥショッピングだけれど…。コーチ、ティファニー、エルメス、エンポリオ・アルマーニ、プラダ、グッチ、フェンディ、それからサックスフィフスアベニュー。これだけ回って、あっという間に時間は5時半!えりさんは、お兄さんのスーツにプラダのコートと、すごい大荷物。果たしてスーツケースに入るのか…。あの有名なロックフェラーセンターを覗くと、10月だというのに、もうアイススケートリンクになっていて、気持ち良さそうに滑っている人が何人もいた。

 タクシーでホテルに戻り、着替えを済ませ、7時に再度出発。今夜は
ハーレムジャズツアー。日本出発前に、えりさんがガイドブックで予約してくれたけれど、もしかすると私が前回NYに来た時に参加したハーレムゴスペルツアーのガイドと同じ人かもしれない。同一人物?…と思いつつも、写真がないので顔の記憶が定かではない。集合場所のシェラトンホテルで待っていると、ガイドさんがニコニコ近付いてきた。名前はTさん。う〜ん、髪形は似ている気がするが、こんなに人当たり良かったっけ?同じ人かどうか、よくわからない。7時半に、もうひとりのガイドさんの車に乗って出発した。ハーレムに向かう間、台本通りのガイドをツラツラ〜と、しゃべってくれた。あまりにツラツラしゃべるので、何を言っていたのか、覚えていない。
 まずは、夕食のレストラン
「シルビア」へ。ハーレムで車を降りると、マンハッタンとは違って、人通りが少なく街灯も少ないせいか、少し暗い感じがする。「シルビア」は、前回のゴスペルツアーの昼食と同じ店だった。ということは、やはり、Tさんは前回のガイドと同一人物?くさくなってきた。店に入ってから、Tさんの車が到着するまで、長い間、待たされた。やっとTさん一行が来ると、「彼が遅刻したんですよ。普通は時間に遅れたら置いて行くんだよ。」と、Tさんは笑顔でツアー客のメガネ君を指差して責め始めた。メガネ君、恐縮しまくり。ソウルフードは、本当においしい。大皿で出てきたものを、順番に自分の皿にとっていく。私は、いちばん端に座っていたので、Tさんに「こんなふうに、とっていって。」と、ドバドバッと入れられていく。そんなに食べられへんっちゅうねん。自分で取らせてくれ〜。メニューは、高菜の煮た物、チキン、ピラフ、魚のフライ、ポテトサラダ、スペアリブ。チキンには、ピリ辛のシルビアさん特製ホットソースをかけて食べる。これは、1本$2で売っていた。食べている頃から、Tさんの独演会が始まった。
「チキンは手を使って食べてね。食べた後は、こうやって指をなめて。指をなめるのが、おいしいってことなんだよ。フォーク使ってるとね、シルビアさん来たら怒るよ。」
「シルビアさんはね、74歳なんだよ。スイカが好きなんですよ。年中食べてるんですよ。」
「黒人の人は髪にお金をかけるんですよ。オシャレでしょ。」
「こちらの人は挨拶代わりにHugするんですよ。嫌いな人とは、しないけどね。しないでしょ?」
「あそこのね、ジュークボックスの向こうにね、僕の写真があるよ。」
「日曜日はね、ゴスペルツアーやってるんですよ。ゴスペルは人気あるからね、70人ぐらい来るよ。」
もう間違いない。
この独特なしゃべり!あくの強さ!以前ハーレムに来た時と同じガイドに違いない。ハーレムに住んでる日本人といえば、やっぱりTさんだったのか。
そして、だいたい食べ終わったところで、サッサと移動が始まった。「写真があるよ。」なんて言ったわりには、そんな時間さえ与えない。そそくさとジャズクラブへ車で移動した。
 
ジャズクラブ「St. Nick's Pub」は、わりと小さな店だった。しかも、私達以外にも日本人のツアー客がいて、テーブルはいっぱい。Tさんに言わせると、
「いつもは、もっと人が多いんだけど、今日は野球があるから、みんな野球が見たいんだよ。」とのこと。確かにTさんも、お店にいる間、野球見てたよね。ここでもTさんの話は続く。自分がミュージシャンと一緒に写っている写真の載った新聞のコピーをみんなに回覧していた。見せられても、そのミュージシャンが誰かわからない私達は、きょとんなんだけど…。
 この日の出演は、本名は覚えていないけれど、ニックネームは
Big Daddyという、大きな黒人さんのサックス奏者。他にトランペット、ピアノ、ドラムの人がいた。トランペッターの頬は、近くで見ているとビックリするくらいプワァッと膨らむ。ガイドさんによると、その演奏方法はもう古いらしい。音楽のことは詳しくないので、よくわからないけど、ジャズの本場NYの雰囲気は満喫できた。私達の席がエアコンの風の直撃を受けて寒くて、メグは途中でTさんの近くの席へ避難。そして、ふと横を見ると、カホは上を向いて眠っていた…。お疲れね。途中休憩でBig DaddyのCD販売タイムと、小さなバケツが回ってきてチップ集めがあった。チップのことはTさん、最初に言っておいてほしかったよ。おけげで、用意するのにあせった。ふぅ〜…。夜も更けてきたので、お店を出る時に、白い帽子の黒人さんとスレ違った。外に出ると、またTさんの話が始まった。
「今、入ってきた白い帽子の人が、
ジミー・カーターですよ。日本にも11/3に行くよ。君達は残念だね。今から演奏するんだよ。」
そんなに言うんなら、時間延長して見せてくれよって思っちまったい。帰りは、私達がTさんの車に乗ることになった。そして、ホテルまでの車中は、またもやTさんの独演会。私達に聞かせるというよりは、ほとんど、つぶやいてるって感じ。
「ほら、あの店。僕は、あの有名な高い店の3階に住んでたんだよ。」
「明日、ゴスペルのワークショップに行くんですよ。」
「アサヤンで選ばれた女の子がアポロシアターに出てね、1ヶ月練習して出たんだけどね、優勝できなかったんだよ。うまかったけどね。」
しかし、Tさん、そろそろ眠くなってきたのか、同じ話を何度も繰り返す。
「さっき入ってきたのがジミー・カーター。11/3に日本に行くよ。君達は残念だね。」
(それ、さっきも聞いたんだけど…。)
「明日、ゴスペルのワークショップがあるんだよ。」(だから聞いたってば。) 
 そんな調子で、延々と同じつぶやきを繰り返している。かなり耳たこ状態。せっかく現地の人に聞けるからと、えりさんが翌朝の予定のために、タクシーが早朝走っているのかどうかを尋ねた。すると、
「何時?5時?全然いないよ。4時から5時っていったら、みんな寝に帰る時間だからね。」
え〜っ…と意気消沈する私達。ホテルの前で車を降りる時に、Tさんが「何時、集合?」と、もう1度聞いてくるので何か考えてくれるのかと「5時半集合なんです。」と答えると、「そう。気をつけてね。じゃあ!」と言い捨て、去って行った。聞いてみただけかいな…。
時間は、すでに12時を過ぎていた。これから交代でお風呂に入って、明日の朝食用のオニギリを用意しなきゃならない。えりさんが日本から持って来たパックのゴハンと“おむすび山”、そしてカホの持って来たラップが、めっちゃ役に立つ。あぁ、睡眠時間は、またもや2〜3時間…。