ケニア旅日記@

10月4日(土)
 16時過ぎ、エジプト航空機は、成田空港を飛び立った。長い長い空の旅が始まる。間もなく最初の機内食が出た。驚いたことに和食。エジプト航空も、なかなかやる。うなぎ、煮物(里芋、昆布巻き、かぼちゃ、絹さや)、茶そば、果物、梅ゼリー。これが心配に反して、意外とおいしい。ゆきちゃんは、隣でおもむろに紙袋から持参の赤ワインのフルボトルを取り出し、わっせわっせと開けている。エジプト航空は宗教の関係でお酒のサービスがないと聞いていたので、"ソムリエ・ユキ"は、わざわざ神戸で買ってきた。が、実はゲートでちっちゃな瓶が、もらえたらしい。

 眠る暇もあまりないまま、20時10分(日本時間22時10分)に、バンコク着。ここでトランジット。空港内を散策する。お土産調査だ。エルメスのスカーフは30,000円、口紅5本セットは10,000円と安くない。他は、妙にギラギラした置物、うさんくさい腕時計などなど。興味なし。32ゲートに行くと、グッと黒人さんの度合いが増してきた。アフリカ気分が少しだけ出てきた。現地時間22時30分にバンコクを飛び立つと、また食事タイム。魚のフライ、お芋、アスパラ、サラダと甘〜いケーキ。眠って起きると、またまた食事…。ツナサンドに甘〜いケーキ。いかにもアラブ人といった顔のスチュワードは、やたらと愛想が良かった…。

10月5日(日)
 エジプトに降り立ったのは、真夜中の2時40分頃。空港の建物に入ったところで、現地係員の巨大なお姉ちゃんが待っていた。でっ、でかい!ここで始めてツアーメンバーの皆さんに出会うこととなった。ここから、この7人での旅が始まった。 

 カイロ空港は国際空港のはずなのに、シケてるって感じだった。「TAX FREE」なんて掲げているが、まるで田舎町のよろずやさんのようだ。しかも、入国は超ラフだった。巨大なお姉さんが私たちのパスポートと入国カードを持って、どこかのカウンターに行ってビザを申請する。戻ってきたお姉さんからパスポートを返してもらって、そのビザのページを見せながら、遊園地の入り口のようなゲートをくぐる。これで入国(したらしい)。空港を出たところで、巨大なお姉さんとはお別れし、ガイドのアミル君に会う。このアミル君、中学生時代にお父様の仕事の都合で北海道に住んでいたという。おかげで、日本語はペッラペラだ。しょうもないギャグまで言う。空港からは、バスでピラミッド通りを走り、ギザにあるホテルへ直行した。エジプトでは、カイロと、ナイル川をはさんだギザが、大きな街だという。途中の車窓からは、イスラム教のモスクもいくつか見える。エジプトでは、イスラム教信者が人口の90%を占めるらしい。着いたところは、リゾートホテルらしく、思っていたよりもずっときれいだ。チェックインの時には、また名も知らぬ係の人が登場した。アミル君は、やとわれ日本語ガイドで、その人が現地のエージェントの人らしい。部屋で2時間程度の仮眠後、8時15分から朝食を摂った。朝だというのに、ガラス張りのレストランでは、窓際の席で陽射しが暑いくらいだ。ソーセージ、ハム等予想より良いビュッフェで、パンもおいしい。満足。

9時には、もう観光へ出発することになる。まずは、クフ王のピラミッドへ向かう。途中、バスにアラブの女性が乗り込んできて、何をするでもなく、ピラミッドに着いた。あの女性は何なんや…。あの女性は、このあたりの顔で、あのひとがいると、ピラミッドの駐車場にもスッスッと入れるのか…。だ。ピラミッドは、4千年前に造られた王の墓らしく、建造に30年の歳月がかけられたというが、いろいろな謎でいっぱい。ピラミッドスケールによると、ピラミッドの一辺が365.25で4辺あわせると4年ぴったりとか、ピラミッドの真ん中に野菜を置くと腐らないとか…他いろいろ。ピラミッドの作り方は、周りに泥で螺旋状にスロープを造って、石をひとつひとつ引っ張りあげたという。クフ王のピラミッドの中に入ってみると、坂がキツイ、キツイ。立つと頭を打つくらい天井は低い。わっせわっせと登って、棺のあった部屋に行く。その部屋は、ひどい猛暑!いちおう空気の通るという穴がふたつ東西に開いているが…。ピラミッドの外の部分は石灰岩だが、部屋の中は硬い花崗岩でできているという。あまりの暑さに長居できずに、ピラミッドの外に出た。

出入口は、ピラミッドの中腹にあるので、遠くまで見渡せる。ピラミッドのすぐ側まで、バスが横付けされているし、すぐそこに街が迫ってきていた。観光地の宿命か。
もともとピラミッドの外側は、きれいなスロープだったらしい。しかし、入植してきた外国人が、モスクなどを造るために外側の柔らかい石灰岩部分を崩していったようだ。ちなみに石を切る道具は、ダイヤの次に硬い玄武岩らしい。次にバスで、ギザの3大ピラミッドの見える地点へ移動した。そこは、
超アヤシいアラブ人が、てんこ盛りだった。みんな露天商のようだが、売っている物は、変なピラミッドの置物など、やはりあやしい。お目当ては、ラクダに乗っての記念写真。観光客向けの商売にのっかる完璧なおのぼりさん状態だ。ひとり3ポンド(1ドル)。乗り降りする時は、ラクダがひざを折り座ってくれるのだが、降りるためにラクダがひざを折る時、前足から折るので、グワッと前に傾いて、落っこちそうな気がした。
ラクダから降りた後、「写真を撮ってやる。」という妙なオヤジの口車にのせられ撮ってもらったら、「1ドル払え。」とぼったくられそうになるが、アミルに助けてもらう。ホッ…。エジプト、おそるべし。
そこから、またバスで移動して、カフラー王のスフィンクスを見に行った。修復中だったが、これが、結構「はぁ?」と思うほど、小さかった。 そのうえ周りでは、「ラクダ、10、千円」「12、ペン、千円」と片言の日本語の、うさんくさいこと、このうえない物売りの大群。
浪花の商人も真っ青なパワー。…が、一歩、神殿に入れば、ステキ。「河岩殿」(?)だったと思うが、遺跡の雰囲気がバッチリだった。スフィンクスが一時、砂に埋まっていたのを、夢のお告げによって掘り出したのがトトメス4世らしく、「海のオーロラ」(里中満智子)のトトメス3世の息子かしらと、ひとり思っていた。
その後、またも商魂たくましいパピルス屋を経て、昼食へ。確かパンフレットには「シーフード」と書いてあったはず。でも、出てきたものは、エビとイカの揚げ物のみが海の幸で、あとは、インドのナンや、漬物の親戚や、ナスビの何かや、茶色のライス…と、いったい何料理?って感じだった。午後の2時にはホテルへ戻り、シャワーを浴びて、ゆったりと時間を過ごす。これぞ、リゾート!夕食は、ビュッフェスタイル。オリエンタルフード・コーナーのスープが、おいしかった。まぁ、こんなものでしょう。そして、夜の10時に1泊もしないまま、ホテルを出発した。アミル君とも、しばしのお別れ。しかし、眠い。眠すぎる。飛行機が離陸する前に眠りこけてしまったらしく、気がつくと空の上。それでも、せいぜい3〜4時間の睡眠だっただろう。

10月6日(月)
 とうとう念願のケニアに到着した。朝の6時30分だ。飛行機の中からは、ご来光を拝むこともできた。ジョン・ケニヤッタ空港のDutyFreeも、やはり怪しかった。商品の回転など、ほとんどないのではないかと疑ってしまうほどだ。7人でゾロゾロとロビーに出ると、出迎えのガイドさんが待っていた。日本語を操る黒人さん…という予想は当たっていた。名前をジョンさんという。空港を出たところで換金することになったが、そのジョンさんの言うことが少し怪しい。

わたしたち「いくら両替したら、いいですか?」
ジョンさん「ひとり、ひゃくドル。」(日本円で12,000円!)
わたしたち「100ドルも何に使うんですか?」
ジョンさん「のみもの、とか。」
わたしたち「ビールは、いくらですか?」
ジョンさん「150シリング」(日本円で300円)

毎日飲んでも100ドルもいらなさそう。いったいいくら両替したらいいか悩んでしまい、結局30ドル替えた。しかし後々ジョンさんの「100ドル」が正しかったことが、わかる。ちょこちょこオミヤゲ等にシリングを使ってしまうのだ…。そこから、2台のサファリカーに分乗し、アンボセリを目指す。240kmの旅。ドライバーは、サリムさんとモイガイさん。私とユキちゃんは、敬虔なイスラム教徒のサリムさんの車に乗った。

 長い長い道のりなので、途中にトイレ休憩が入った。広い何もないところにポツンと、トイレとギフトショップが建っている。トイレは、なんと水洗。トイレを出ると、ひまそうにたむろしていた人達(実は店員)がススス〜っと寄ってくる。「見て見て。」「見るだけ。」「ノー高い。」片言の日本語で売り込んでくる。ギフトショップに入ると、電気のない薄暗い中に、マサイグッズが、たくさん置いてある。買うとも何とも言ってないのに店員がへばりついてきた。「ハガキいくら?」と聞くと、モーニング・カスタマーだから40シリングを30シリングにしてやると言う。ほんまかいな。結局買わない。ピアスコーナーも、あまりかわいくない。欲しいと言ってないのに、値段交渉されてしまった。そして、来た来た。話に聞いていたとおりの物々交換のお誘い。「ドゥユーハブ ジャパニーズ・バイロペン?チェンジかな。」日本のボールペンはノック式でペン先が引っ込むからインクが乾燥しなくて良いらしい。ケニアのは、すぐに出なくなるとか。前もって物々交換の話は聞いていたので、プレミアムのボールペンや、タバコ、を用意してきたのだが、残念なことに、この時点ではスーツケースの中。それを言うと、今度は私がかぶっているキャップ。「友達にもらったものだからダメ」と答えると、くやしそうながらも、「君へのプレゼントならば、しかたない(英語)」とあきらめたかと思うと、なんのなんの。次はスニーカー。大きな象と交換してやると言うが、どうやってここから帰れちゅうねん!「No.No」と言い続けると「ノービジネス?」。「ちょこっとビジネスしよう。」とかなんとか、しつこい。なんとか皆、逃げ延びる。

 またアンボセリへ向かう。ギフトショップ以降の道は、道なき道という言葉通りで、車は傾いたまま横転するのでは…と思うほど飛び跳ねた。窓越しには、ダチョウ、キリン、ヌー、そしてそしてキレイな配色の布をまとうマサイ族に出会った。アフリカっぽくなってきた。11:30にキリマンジャロ・バッファロー・ロッジへ到着。庭には花が咲いていて、いい風も吹き、リゾート地であるということを実感した。部屋は離れたヴィラ風というか小屋っぽい。「ま、こんなもんかな。」という感想。スーツケースを運んでくれるポーターの中にはマサイ君もいた。チップはガイドのジョンさんが払うと言ったのであげなかったが、その後マサイ君が部屋の外の庭の辺りを、ウロウロしている。窓ごしに目が合いそう。もしや、チップがないと怒っているのかと思っていたら、後で聞いたところによると、どうやらガードマンの役目で動物が入って来ないよう見張ってくれているイイ奴らしい。
 1:00からのランチ・ビュッフェも、まあまあいけてる。サフランライスや魚、肉などなど。エジプトと違ってコーヒー、紅茶もある。ケニアはいい所だと思っていたら、どちらもケニアが原産地だった。ランチ後、みんなでロッジの庭を散歩した。と、そこへマサイ君登場、先頭に立ち、案内してくれる。ヘミングウェイバーの展望台にも連れていってくれた。広々と見渡せて気持ち良かった。帰りはそれぞれの部屋の近くまで送ってくれた。"マサイ君と歩こう"というオプショナルツアーでお金をとられなくて良かった…。ホッ…。 

 3:30に初めてのサファリドライブへ出かけた。ロッジは公園の外から車で30分以上かかるところにあるので、公園のゲートまでは、あまり動物はいない。それでも初めてなので、2〜3頭のシマウマにも喜んでいた。ゲートに着く手前で、ジョンさんが「窓閉めて。」と言う。「なんでやろ?」と思いながらゲートを見ると大勢の人がいる。車が止まった途端、来た来た。車窓に群がって、窓にビーズのネックレスなどを押し付け、窓をたたき、口々に言う。「じゅうどる。」「まだ〜む、みてみて。」「パパ、パパ」(いちおう日本語)ちょっと恐いが、無視し続ける。ゲートをくぐりぬけるとホッとした。ゲートは動物のためではなく、土産物屋を閉め出すためにあるようだ。

 ゲートを一歩入ると、これぞ動物王国!!いきなりキリンが木の葉を食べているし、インパラの群れ、ヌーの群れ、シマウマの群れ、ジャッカルは孤独に歩いているし、ハイエナはけもの道をトコトコ走って車に近づくし、カバは水から顔を出す。ライオンなど最初遠くにいたのに、だんだんと近づいてきて、まるでポーズをとるかのように近くに居座る。そして圧巻は、象の群れ!逆光を背に、黒い影で草を食みながら歩いて行く姿には、大地を感じた。そんな象の後ろには、キリマンジャロも顔を出し、歓迎してくれているかのようだ。広い大地の上には、白い雲がポカリポカリと浮いていて、手を伸ばせば届きそうなほど近く感じる。遠くには竜巻が見える。またずーっと向こうに暗いところがあると、そこは雨が降っているという。とにかく広い。興奮の3時間だった。
 7:45からのディナーも、ちゃんとしたものだった。メニューは、マッシュルームソースのパイ、野菜のクリームスープ、チキンのグリルにポテト・いんげんのソテー・カリフラワーのボイル添え、ロールケーキのラズベリーソース、紅茶…と、まぁ満足のいく内容だった。

 部屋の電気は自家発電なので、日の入り後、深夜12時までの間しか使えない。夜中のためには、ちゃんとロウソクが用意されている。蚊取りマットもあれば、蚊帳もある。網戸を抜ける風は気持ちがイイ。夜は疲れきっていて、シャワーの後、10:00には寝てしまった。