漢方医学の脉診について
鍼灸医学、特に漢方はり治療で実践している脉診法につき基本的な事を説明する。
■素問、霊枢に書かれている脉診と難経流の脉診について
私達が行なっている脉診は難経流の脉診である。素問、霊枢には様々な脉診法が述べられているがその主なものは三部九候論・脉要精微論・人迎脉口診などに述べられている脉診法である。
そこで、これらの脉診法を考察し、更に難経の脉診とはどの様なものであるかを検討してみたい。1.素問、三部九候論に述べられている脉診法
身体を上部、中部、下部の三部に分けて、上部は頭に中部は手に下部は足に夫々天、人、地と三ケ所づつの脉診部を定めて九候とし三部九候としている。イ) 上部
a) 天……「両の額の脈動」「頷厭」「懸鍾」頭の気を診る。
b) 人……「耳の前の脈動」「和りょう」耳、目の気を診る。
c) 地……「両頬の脈動」「居りょう」「地倉」「大迎」口、歯の気を診る。ロ) 中部
a) 天……「手の太陰経の脈動部」「経渠」肺を診る。
b) 人……「手の少陰なり」「神門」心を診る。
c) 地……「手の陽明なり」「合谷」胸中の気を診る。ハ) 下部
a) 天……「足の厥陰なり」「五里」女子は「太衝」を取る。肝を診る。
b) 人……「足の太陰なり」「箕門」胃の気は「衝陽」で診る。脾胃の気を診る。
c) 地……「足の少陰なり」「太谿」腎を診る。素問、三部九候論は最も古い形の素朴な脉診法であり、直接経絡上の脈動部を触ることによってその流注する蔵府や組織の状態を知ろうとしたものである。しかし、この脉診法では脉診部位が離れ過ぎている為、局所的診察が主であり、全身の病理を把握することは困難であったと思われる。
2、素問、脉要精微論に述べられている脉診
脉要精微論では、現在と同じ様に手の太陰肺経の脉動部(寸口)だけで身体全体の蔵府や組織を診察する事ができる。しかし、その内容は難経の脉診法とは異なっている。次ぎに、寸口、関上、尺中という言葉を使って説明してみる。
右寸口 外―肺 内―胸中
左寸口 外―心 内―だん中
右関上 外―胃 内―膈
左関上 外―肝 内―だん中
左右尺中 外―腎 内―腹中脉要精微論の蔵府組織の配当は、解剖学的な位置関係によって定められており、経絡は配当されていないこれに対して難経では形の上ではこれを採用しているが、内容的には蔵府経絡説、陰陽五行説に基ずいて藏府経絡の配当がなされている。
3、人迎脈口診
人迎とは胃経の人迎穴の事であり、脈口とは気口とも寸口ともいって脉診している手の太陰肺経の脈動部である。
人迎と脈口を比較して、三陰三陽のどの経絡に病変があるのかを診察する。
人迎……全身の陽気、三陽経と府、外傷を診る。
脈口(気口、寸口)……全身の陰気、三陰経と臓、内傷を診る。人迎脈口診は、素問、霊枢を通じて最も秀れた脉診法といえる。難経ではこれら難経以前の脉診研究の成果を全て踏まえた上で、最も精密に最高度に完成された脉診法である。そして現在古典として残されている脈書の主流は難経の流れをくむものが主であるといえる。
■脉診の部位
手の大陰肺経「魚際」穴の後で、腕関節横紋から肘関節横紋迄を一尺とし、腕関節横紋より一分を除いた
一寸九分を寸口といって脈を診るところである。その中程に関骨(撓骨茎状突起)より腕関節に向かって九分を寸口といって陽を診るところである。関骨より肘関節に向かって一寸を尺中といって陰を診るところである。関骨のところから寸口より三分、尺中より三分を取って六分とし関上とする。故に寸口六分、関上六分、尺中七分を脉診の部位と定める。■難経の三部九候論
難経の三部九候論については、江戸時代の臨床家が書いた「杉山流三部書」を抜粋して参考にしたい。
「医学節用集」(脉のこと)抜粋
夫れ脉は古は人迎、気口を候うて内傷外感を診るなり、然るに手の三部を以て一部にて浮中沈を候い、上焦中焦下焦五臓六腑を攷へて病の軽重、大過、不及、生死を識る。三所(寸関尺)に三指を当て浮きては府の病を候い、押ては臓の病を知り、中に押しては胃の元気を診るなり、是を浮中沈と云う。寸口は上焦、陽にして天に象る、是に由て胸より頭に至るまでの病を候い、関上は中焦、半陽半陰にして人に象る、此の故に胸より臍に至るまでの病を候い、尺中は下焦、陰にして地に象る、故に臍より足に至るまでの病を候う。
寸口を陽脉とし尺中を陰脉とす、故に関上は寸口と尺中との間、陰陽の界目と云り。扨て左手の寸口の脉を心、小腸と取り、関上の脉を肝、胆と取り、尺中の脉を腎、膀胱と取るなり。
右手の寸口の脉を肺、大腸と取り、関上の脉を脾、胃と取り、尺中の脉を命門、三焦と取るなり。
左手の三部にて藏府を診むるに、指を軽く浮ては小腸、胆、膀胱の三府を候い、指を重く押しては心、肝、腎の三臓を診るなり。右の手の三部にて臓腑を診るに、指を軽く浮しては大腸、胃、三焦の三府を診る、指を重く押ては肺、脾、命門の三臓を診るなり。府は陽なるが故に軽く候い、臓は陰なるが故に重く押と知るべし、陽は外を主り、陰は内を主るが故なり。
■胃の気について
脉診の際、胃の気の有無で平脉(健康脉)、病脉、死脉を別ける。
まず胃の気について述べる。胃の気のある脉とは五臓の脉や季節の脉に和緩(潤い、和ぎ緩む)を帯た脉である。胃の気の充分にある脉は、平人(健康な人)の脉であり、たとえ病脉でも胃の気が多ければ治り易い。胃の気が全くなく純粋に臓の脉を現わすものを真蔵の脉といって死脉である。
素問、玉機真臓論に曰く「五臓は皆気を胃におく、胃は五蔵の本なり、蔵の気は自ら手の太陰に致すこと能わず。必ず胃の気に因りて、乃ち手の太陰に至るなり。」とある。
胃の気とは、胃の府の気のことである。口から入った穀物は胃の腑に入って消化され後天の原気が作られる。これが胃の気である。五臓は全て胃の気によって養われている。又、蔵の気は自分では手の太陰に行くことができない、胃の気によって寸口に至ることができる。
■五臓の脉
五臓は独自の脉状を持っている。
難経四難を参考にすると、心と肺は陽に属し、共に浮脉を現わす。心の脉は浮、大、散(洪脉)。肺の脉は浮、しょく、短(毛脉)。肝と腎は陰に属し、共に沈脉を現わす。肝の脉は沈、牢、長(弦脉)。腎の脉は沈、濡、実(石脉)。命門は腎に同じ。脾の脉は陰にも陽にも属さないので浮と沈の中間にあり緩脉を現わす。
五臓の正脉とは、健康な状態の脉であり、各臓の脉状が寸、関、尺と夫々の配当された部位に搏つのであるが、胃の気を表わす和緩の脉を帯いる為、五臓の脉状がはっきりと現われないものを良とする。
それに対して病脉は、胃の気が少ない為に脉に艶がなく硬さを増して五臓の脉状の特徴が強く現われ、又、各部位に他の臓の病状が現われたりする。尚、五臓の脉といわれているが臓だけでなく、府も同じ脉状であると思う。難経十難では、府は微、臓は甚と表現しているが、臓も腑も同じ脉状をいっている。■菽法脉診について
菽法とは豆粒の重さのことであり、脉診の時の指の押さえ方を豆粒の重さで表現したものである。
菽法脉診は、素問、霊枢にも書かれていない古い脉診法であったと思われる。一ケ所の脉を五段階の深さに分けて五臓を診たものであると思われる。しかし、難経では寸、関、尺の各部に臓腑が配当されているので次の様になる。
右寸口 肺 3菽 皮毛の深さ。
左寸口 心 6菽 血脈の深さ。
右関上 脾 9菽 肌肉の深さ。
左関上 肝 12菽 筋の深さ。
両尺中 腎 命門 15菽 骨の深さ。玉機真臓論に「蔵の気は、自ら手の太陰に至すこと能わず。必ず胃の気に因りて、乃ち手の太陰に至るなり」とある。つまり胃の気のあるところで脈をみる訳ですが、健康な人、或は治療が適切に行なわれた場合には、各臓腑の脉は菽法通りに並んでいる。
病脈或は、間違った治療を行なった場合は、菽法通りになっていない。菽法脉診は、他の脉状よりも分かり易い為、選経選穴や治療が正しく行なわれたことを確認する時に応用することができる。
■四時の旺脉
春、夏、秋、冬を四時といい、その間の土用を四季という。人間の身体は、季節の変化に順応します。その時に搏つ脈を四時の旺脉といい、左右の寸、関と尺全体に現われる。
春は肝臓が盛んに働く季節であり、肝臓の脉である弦脉を現わす。肝臓が主る筋の様な形の脉です。平脉(健康な脉)は胃の気がある為、微弦(微かな弦)となります。病脉は、気来ること実強なるを太過といい、病外にあり(外表性の病)、その気来ること虚微を不及といい、病内にあり(内傷性の病)。
死脉は、胃の気がない為肝臓の脉状そのものの、純弦の脉を現わす。新しく張り更えた弓の弦の様な脉である。
夏は心臓が盛んに働く季節であり、鈎脉を現わす。心臓の主る血脉の去来に形どる。脉、来る時疾く、去る時遅い。釣針や鈎の様な形になるので鈎脉という。平脉は胃の気がある為、微鈎となります。病脉は、実強なるを太過といい、病外にあり。虚微なるを不及といって病は内にある。死脉は、胃の気がない為、純鈎脉となる。帯鈎(おびかぎ)の様な脉である。
秋は肺臓が盛んに働く季節であり、毛脉を現わす。肺臓は皮毛を主る。毛の様な形の毛脉を現す。病脉は、実強なるを太過といい、病外にあり。虚微なるを不及といって病は内にある。死脉は、純毛の脉となる。風の毛を吹く如き脉である。
冬は腎臓が盛んに働く季節であり、石脉を現わす。腎臓の主る骨の様に硬く沈んだ脉を石脉という。平脉は胃の気がある為、微石となる。病脉は、実強なるを太過といい、病外にあり。虚微なるを不及といい、病内にある。死脉は、胃の気がない為、純石となり、来る時解索の如く去る時弾石の如くなる脉である。四季(土用、長夏)は脾臓が盛んに働く季節であり、緩脉を現わす。平脉は身体の状態のよい場合、脾の脉の搏ち方は診ることができない。他の季節の脉が現われた場合は、次の様になる。過ぎ去った季節の脉を現わす。これを虚邪という。この時は今の季節の臓とその母の臓とを補なう。又、時期が来ていないのに次に来るべき季節の脉を現わす。これを実邪という。今の季節の臓と子の臓を写す。相剋的に勝つ所の季節の脉を現わす。これを微邪という。治療なくとも治る場合と相剋なので治り難い場合とがある。相剋的に勝ざる所の季節の脉を現わす。これを財邪といって病は重く、治り難い。
四時の始まりは、立春、立夏、立秋、立冬であり最後の十八日間が土用である。
■季節の三陰三陽に旺ずる脉
難経七難には、一年を陰陽の移り変りによって三陰三陽の六気に分けて、その旺ずる脉状が説かれています。冬至の後、はじめての甲子から六十日を少陽の脉の旺ずる季節とし、その後六十日ずつを陽明、太 陽、太陰、少陰、厥陰と続きます。
少陽に旺ずる脉(二、三月頃)
乍大、乍小、乍短、乍長、陽気がだんだんと萌初めて来る時期ですが、陰気もまだ盛んで、温い日寒い日が繰返す為、陰の脉になったり、陽の脉になったりする。陽明(四、五月頃)浮、大、短。
陰気が劣えて陽気が盛んになった時期。昼は暖く浮大の脉を搏つが、夜は寒くて短の脉を搏つことがある。
太陽(六、七月頃)洪、大、長。
陰気は消滅し、陽気は最も盛んで暑い時期です。太陰(八、九月頃)緊、大、長。
陰気が萌初めて来た時期で涼しい日もあるが、まだ残暑が厳しい。少陰(十、十一月頃)緊、細、微。
陽気が劣え陰気が盛んになって来る時期。厥陰(十二、一月頃)沈、短、敦。
陽気は消滅し、陰気最も盛んになった時期。季節の三陰三陽の旺脉は、四時の旺脉を補うものであり、陰陽の移り変りによって起る気温の変化などに旺ずる脉状である。
いつから少陽が始まるかについては、色々な考え方があり、臨床的に検討する必要がある。
尚、池田太喜男先生は、該当する三陰三陽の経絡が働く時期であり、働き過ぎたり働けなくなったりして病を起す時はその経絡を治療すると講義されていますが臨床的に興味深いと思います。
■脉診の際に気を付けることイ) 脉診の際は、まず自分の呼吸を整えて心を静かにして他念なく、患者の気を鎮めさせてその呼吸の早い遅いのも考えて脈をとる。
ロ) 背の高い患者は、腕も長く、脈を診る指を拡げる。背の低い人は腕も短かく、指を狭めて脈をとる。 又、自分の指の太さも考える必要がある
ハ) 肥っている人の脈は沈んでいて、やせている人の脈は浮いている。
ニ) 男は陽であり女は陰である。男の脈は常に左が大、女の脈は常に右が大なのを順とする。男は寸脈が常に盛んであり尺脈が常に弱い。女は寸脈が常に弱く尺脈が常に盛んである。