◆研究 病理と脉証 |
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1.はじめに〈病理の重要性について〉 脉証とは、祖脉の三十脉状(『脉経』の二十四脉、『診家正眼』の二十八脉に大小二脉を加えたもの)を「浮沈・虚実・遅数・滑ホ」の八祖脉に帰類して、この組み合わせに四時・五蔵の正脉や菽法を考え合わせたものです。 漢方鍼医会ができたのは平成五年ですが、平成四年から、今は日本伝統鍼灸学会となっている日本経絡学会が「鍼灸における証について」のテーマで以後五年間にわたって討論しました。これは皆が裸になって腹蔵ない意見を交換したということで、古典鍼灸の歴史の中、また日本の鍼灸界において、まことに画期的な五年間であったと思います。また、このテーマの中に、なぜ我々漢方鍼医会が東洋はり医学会から離れてひとつの集団を作らなければならなかったかという核心があるのです。 まず脉診に関して、脉診の基本の祖脉を『類経』の六祖脉か、滑ホを加えた八祖脉とするかが統一されていないこと。
腹診法に統一を見ていないこと。 証のなかでも、病証と病症についての問題に回答が出ていない。 本と標について。そもそも本治法と標治法という言葉は古典文献には出てこない、経絡治療初期に作られた用語です。漢方鍼医会ではこの区分けは必要ないのではないかという意見も出ていますね。本会では祖脉を基本として要穴にたいする補瀉法で病症に対する、また捻挫・打撲や急性症の場合には局所の病証を捉えて適切な処置をする、それが「本」になるわけですから、元来「本」と「標」は区別する必要はないのではないか。ただ、病気の根本原因を為す「精気の虚」を補うことが本である、ということはできると思います。 さて、これらの欠陥を一言でいえば、病理の考察がないということです。経絡治療は病理と病証を軽視してきました。病症を基本とした治療体系ができていたわけです。 実際私が東洋はり医学会に在籍していた約二十年間、当時の治療は十二経病症をはじめとした「病症」に基づき、病症と経絡との相関性に重点が置かれていました。その病症論の延長に脉状診を考えていたから、脉状の理解が即、手法につながるわけです。脉状によって病理を読み解くというような思考法はそこには現れなかった。また『霊枢』九針十二原(〇一)や『難経』七十六難に書かれている手法は留置鍼ではできないとして、補瀉の手法を事細かに開発しましたが、ここにも病理の考え方はなかった。病証論や脉状診は湯液の考え方だから学ぶ必要はない、ということになっていました。 平成五年に漢方鍼医会を旗揚げ。池田政一先生の『古典の学び方』一番のカルチャーショックは気血栄衛の考え方でした。陰虚・陽虚を基本とする病理現象の把握が、それまでとはまるで違っていたからです。 陰虚の代表は腎虚ですが、『難経』の四難で腎の脉配当を見ると沈・濡・実で陽脉が一つに陰脉が二つですから、陰虚で下が虚せば、陰の力が減った分、自然現象として脉は浮く。漢方鍼医会初期の実技研修で我々はモデル患者の脉にそのことを確認しました。 2、陰虚・陽虚と寒熱について 伝統鍼灸治療の骨子は陰陽寒熱論であり、この寒熱を区分けするのが浮沈を筆頭にした脉状です。だからまず浮沈を捉え、その虚実、陰陽の部の比較、六部の比較、また身体を触ってみての手足の厥冷感・臍の冷感などの病症との比較、そういう形で脉証を診ていくことになります。 余談ですが、『脉法指南』や『脉論口訣』『脉法手引草』など、曲直瀬道三の流れから江戸期の病症学を説いている著作のほとんどは人迎気口脉診を採用していますから、本会も将来的には取り入れなければならないと思いますが、それを頭において内容を見ないと合わない所があります。 だから陰虚証の病症を現す場合には、必ず下の陰の部位が虚しています。大体において足が冷え、上の方には逆気症状で熱がこもっている。これは熱には上行性があるからで、もちろん虚熱です。三焦の原気の働きが落ちて津液の流れが停滞する、又は労働や精神的ストレスで血・津液そのものが少なくなる、いずれにしても脉が浮いて虚脉を現す。そうすると虚熱がでるから、皮膚の表面に熱が滞って枯燥し、汗が出にくい、口が渇く、記憶力の低下、五心煩熱、尿が短くて赤い、脉には?のような堅さが増す、などの病症が現れます。 この陰虚をしっかり押えておくと、裏返しで陽虚や陰実も自然にわかってくる(陽実は少し違いますが)。陰虚証には腎以外にも脾・肺・肝の陰虚があります。津液の状態から考えると、心の陰虚というのは腎と肝の陰虚になると考えられます。 陽虚証の基本脉証は沈虚遅?。病症は冷え。陽気の虚です。ただし陽虚を成すには必ず陰虚の前提がある。だから陽虚の患者に陰虚の証を立てても、気長に治療すれば治ることがあります。気血栄衛生成の土台は胃にありますから全ての病は脾胃を補うという『脾胃論』に通じる考え方ですね。また陽虚の治療を続けていて陰虚に戻ってくれば予後良です。陰虚証とはある程度、特に老人にとっては生理的なものなのです。 3. 伝統鍼灸医学の流れ 具体的には攻撃的な対症療法ですが、病因論は内因論。気の医学といわれる所以です。鍼法の基本は『霊枢』九針十二原(〇一)ですが、あの補瀉の鍼法は気の思想無しには成立しなかったでしょう。 それから脉診について。『素問』では三部九候脉診で、こめかみや頸や足首など身体のあちこちの脉の打ち方を比べて、どこの精気が虚していてどこに病症があるかを診ていました。その後研究が進んで『霊枢』では、頸と寸口部を比べる人迎脉口診、肘と寸口部を診る尺寸脉診まで出てきました。そして『難経』の第一難で、脉で生死吉凶を診るのだと、大々的に寸口脉診が打ち立てられたのです。ここに脉診学は一応の完成を見ます。 経穴の数は全身で、354穴、364穴、左右合わせて約800穴などと諸説ありますが、これを『難経』は66穴に集約しました。これも思い切った改革ですね。また、相剋的な理論が主だった内経医学から、相生理論を取り入れたのも『難経』の大きな成果のひとつです。それから三焦論、たとえば腎間の動や三焦心包の問題(「名あって形無し」)も『難経』で登場してきました。手法においては九針十二原の出内の補瀉を否定して、呼吸で補瀉はやらなくても良いと七十八難で宣言しています。このように、『難経』は色々な意味において改革の大鉈を振るったのです。 4.臨床と気血栄衛について
今回の補瀉法のレジュメは大変よくまとまっていると思います。臨床の場で気血栄衛・陰陽の気の動きを考えながら鍼を行うというのがすばらしい。観念的・短絡的に、例えば患者が息を吸ったときにぱっと鍼を抜くのが補であるなどというのではなく、病証を理解することによって、何に対して鍼を動かすか明確な目的意識をもって補瀉を考えているのです。 たとえば今、血中の陽気である栄気が虚しているとします。栄気とは血を循環させる気で、これが不足していると血や津液が循環できなくなって、津液の冷やす作用が落ちるから発熱します。この発熱の原因は栄気の虚ですから、栄気を補えばよいということになります。具体的な手法については『難経』七十六難に、皮膚よりやや進めて、衛の手法より時間を長くやや緩慢に行うようにとの記述があります。七十難には四時によっての手法が説明されていますが、これも応用できるでしょう。 医学古典の中での気の考え方は八十数種類あるといいますが、実態はひとつです。場所や働きによって呼び名が違う。その中に「気・血・栄・衛」「陰気・陽気」の考え方もあるわけです。人体の気の構造をみると、中国医学の基本的な考え方で人体を気と形(質)にわけ、気を気と血に分け、その分けた気の中に陽気と陰気、そして陽気の中に宗気と衛・陰気の中に栄という具合に細かく枝分かれしていって、一番右のところで「循環する気」と「定処の気」に大きく分けられています。 栄・衛は、どちらも経脈を循環する気です。『難経』は衛と気・栄と血を結びつけて衛気・栄血論で捉え、つまり栄は血であるとしていますが、これも思い切って単純化したものです。けれどもやはり、栄は血ではなく血を循らすものである、としないと気血栄衛の補瀉の手法につながらないと思います。
《衛の病理》 《栄の病理》 @まず中焦の胃で水穀が消化されて栄衛・いわゆる陽気が生成される。 A上焦の肺から陽経脈を通って、発散を繰り返しながら頸肩・背腰から足に循り、足の陰経脈を通って B下焦の肝から腎そして胃に戻ってくる。古典ではこれを昼二十五回夜二十五回繰り返すといいます。ちなみに、この経脈の流注を整理・確定したのも『難経』の功績です。 陽気が発散されずに停滞すると、〈資料4〉【陽気の発散・停滞】のようにその局所に痛みや熱などの病症を発することになります。
@が正常な状態で、このように陽気は皮膚・表で絶えず発散しているのが健康なのですが、
A陽気不足や外寒により発散できないと皮下に陽気が停滞して悪寒・発熱B陽気の停滞が深いと、熱が表に出られず往来寒熱になる。 《血の病理》
血とは津液に栄気が働いたもので、脈中を流注しています。全身の組織を栄養し器官を働かせて、身体の運動・頭脳の明晰といった健康な状態を保つのです。 血が不足すると、筋肉が引きつる、皮膚に艶がなくなる。藏府が栄養されず機能が低下する。血虚による不眠は全く眠れないと訴える患者に多い。また血は思考や決断といった精神活動にても消費されますから、血の過不足は精神にも影響します。その意味で、精神病症は血を眼中において治療法を組み立てていくと良いでしょう。
血の病理状態には血虚と血実があります。 《津液の病理》
津液には陰性の津液と陽性の津液があるという考え方があります。「津」が陽で「液」が陰。陰性の津液は脾と腎に多く、陽性の津液は肝と心に多い。陰性の津液には冷やす作用があるから、血中の陰性の津液が不足すると冷やし潤す作用が低下して内部に虚熱が生じる。陽性の津液が不足すると、血を温める作用が低下して冷え症状が強い。
『金匱要略』には、津液が滞った際の病症として痰飲病と水気病、この二つの違いが出ています。痰飲病とは脾胃の陽気不足によ る胃中の水滞で、嘔吐・下痢・胃のつかえというような病症を現します。同じ水滞でも水気病は肺腎の陽気不足のために、皮下の水滞・浮腫・足が重い・関節痛といった病症になります。このように、どこの陽気が不足するかによって病症の出方が異なり、証の違いにもつながってくるのです。
気血栄衛がどのような病理でどんな病症を現しているかを病体から読み取ることによって、具体的な栄・衛の補瀉の手法につなげることができる。簡単にいえばそういうことですが、今後これを臨床の現場で実行するのはなかなか大変になってくるでしょう。この論の続きは又機会があればやりたいと思います。
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