エンデバーのページ開設以来、人目の訪問者です。
ねがぽじという名前でホームページを再開するつもりです。
内容は+日記と-日記を主軸とした個人的な趣向を垂れ流すホームページです。
前よりはつまらなくなった自信がありますが、個人的なホームページですのでお許しください。
続くかどうかも分かっていないので、今のところ予定地です。
ぼーっと公園で過ごしたりしていたら、もう五月中旬になっていました。そして、まだ内定が無い。どうしようもないので、毎日説明会や面接に足を運んでみたり、教授にお願いしてみたり、訪問先で何故か弁当を食わせてもらったりと色々なことをやってます。そして、訪問先で学んだこととかESを見せて指摘してもらったことから、自分に足りないものが分かりました。
それは~~~をやりたい!という気持ちと相手に合わせたアピールをするということ。当たり前なことのようですが、これがなかなか難しいのです。本質的に働きたくないと思っている人は~~~をやりたいという気持ちがどうしても弱く見えてしまいます。また、相手の質問を額面どおり受け取って、ばか正直に答えるだけだと、それがうちの会社で何の役に立つの?ということになってしまいます。そこでどうすればよいかというと、はっきり~~~がやりたいと思うことです。そして、仕事に活かせるような趣味を言うことです。
当たり前すぎて涙が出てきそうですが、それに気付くのに時間が掛かりました。そして、気付いたときには周りは一流企業にどんどん決まっていて、自分は内定がないまま取り残されたのでした。欠けていたものに気付いて、きちんと自身をアピールできるようになったと思うので、おそらくこの先内定が出るんじゃないかとは思います。でも、こうして呆けていた間に、
まだ内定が出ていません。なんていうか、最初が順調だったため調子に乗ってしまったようです。万全を期さずここまでやってきた結果が今の状態につながってしまいました。そして、もう一つ気になるのが自分の変調です。急に働くことが怖くなってきました。働いたら負けという有名な言葉がありますが、どこかで「自分はなんとかなるだろう」っていう思いがあったような気がします。よく、週五日仕事に通うことが耐えられないという愚痴がありますが、まずそもそもこの前提が正しいとも限らないということを就職活動で知りました。たとえば、24時間サービスの仕事であれば夜勤があるし、土日の出勤もがっつりあるわけです。健康のために、朝早く起きて夜更かししないようにしよう!なんて絵空事だった。
そして、一番ヤバイのがこの怖いという思考そのものが就職の機会を奪っているということです。面接では当然、熱意を求められるわけですが、この働くのが怖いという態度が表に出てしまえば、面接が落ちてしまうのです。このスパイラルを脱しない限り、内定をもらうのはなかなか難しいのかもしれません。
何故、このように感じてしまうのか?それは大学と社会の差があまりにも大きいからなんだと思う。高校はまがりなりにも、週五日きちんと通うことが求められたが、大学はそうじゃない。週五日通わなくても卒業することは可能だ。でも、その先は夜の出勤までありえる現実・・・・・・
とりあえずの精神でやってみろっていう意見もありますが、そこで脱落したとき人はどうなるのでしょう。
就職活動の滑り出しは順調でした。エントリーシートも通るし、面接もまあ最初は通ってた。だけれど、最近面接が通らなくなってきた。それは自分の中の変化なのか、最終面接に従って厳しくなっていっているのか、あるいはその両方だと思う。最初に「やりたいことは何かを考えておけ」って言われたけども、やりたいことを考えてもそれができるなんてありえないなって思う。それでも、面接ではそのような解答を求められる。なにがなんだかよくわからない。
そうこうしているうちに、最初にマークしていた企業はどんどん落ちてきた。で、気付いたらあんまり志望順位が高くない企業が残っていた。不思議なものである。しかも、その企業は2chのブラック企業ランキングに入っている。笑うしかない。結局のところ、あまり選択権はないのかもしれないと思った。
ところで、一生の仕事ってなんだろう?職業に貴賎はないと一般的に言われている。私もこの前ニュースで出ていた別れ屋など例外はあるが、基本的に職業に貴賎はないと思っている。では、あなたはコンビニの夜勤バイトを一生の仕事にしたいだろうか?まあ、これはこれで気楽な仕事なのだが、一生続けたいと思う人は少ないだろう。では、コンビニの夜勤バイトはなくなっているのかというとそうではない。あなたではない誰かがやっていて、その仕事は存在しているのだ。
結局のところ、思い通りの仕事なんてできない。ブラック企業だろうが、内定をもらえた職業で基本的に頑張っていくしかないのかなぁと感じ始めている。こうして、社会の奴隷がまた一人できてしまうのかもしれない。
はじめての最終面接ってやつに行ってきた。なんていうか圧迫面接っていうウワサを聞いていたので、ちょっとびくびくしていたのだが、実際のところはどうだったのかというと
イメージしてた圧迫とは違う意味で鬱になった
圧迫面接といえば、一人の学生に対して五人ぐらいの面接官で囲むっていうイメージだったんだけど、今回のやつは面接官は二人なんだけどもこっちの言うことをひたすら否定してくるってやつだった。それに対して、素直にうなずいておけばいいんだ!っていうアドバイスを忘れて、普通に反論してしまったので面接が水掛け論状態になってしまった。
とりあえず終わったはいいけれども、だいぶその企業へ対する行く元気がなくなった。でも、ひたすら「その志望動機だとミスマッチだよ?」って聞いてきたので、たぶん合わない仕事をやることになるかもしれないよ?っていうアドバイスだったんだと思う。それぐらいの言葉で行く気がなくなるというのはつまりあまりやりたくないってことなのかもしれないとふと思った。
いや、でもそれだとどの仕事もやりたくないって終わっちゃうから!
まあ、もちろんあんまり仕事はしたくないけど、何も無ければないので退屈だ。日曜日のデートを休んだので、何をしようかな?と思ったけど本当にやることがない。いやまあ、研究とか就職活動とかすればいいのかもしれないけど、それは結局仕事だよね。ゲームをやろうかとも思ったけど、昨日ひたすらやったからお腹一杯だ。18切符シーズンだけど、18切符五枚分を消化できる見込みも無い。っていうか、外出にしてもかなりのパターンをやったので、もう思いつかなくなってきた。
ふと、ゴルフでもやってみたくなった。だけど、まあ一人でやってもつまらないだろう。そう考えたときに、会社とかに入っていればすぐに付き合ってくれる相手が見つかるのかなと思った。別に仲良しこよしをするために会社に行こうとは思わないけど、お金稼ぎの仲間を探すために会社に入ってみるというのも面白いかと思った。
まあ、内定がもらえないと入れないけどね!
就職活動のなかで、グループディスカッションというのがあった。まず大きなビルの中に入って、会議室で待つ。同じ企業を志望しているということで一緒になった四人組で雑談を少しした。なんていうか、リア充オーラが漂っている。しかも、今受けている企業は滑り止めという気持ちがなんとなく伝わってきて面白い、っていうか迷惑かけんじゃねーYO!
そして、別室に通されて、グループディスカッションが始まる。大きな部屋の中で、なんと四十分間も就職活動のライバルと答えの出ない討論をするのだ。議論の内容は指定されてはいたが、抽象的なもので答えなど一つに決まるものではない。そんな中でも、なんとか時間内に各人がアイディアを考える→各人が発表→アイディアをまとめる→最後に面接官に発表というプロセスを終えることが出来た。
今思うと、よく四十分間もうまく議論できたなぁと思う。しかも、恐ろしいのが面接官四人に囲まれてディスカッションをするというところだ。おそらく、一人が一人ずつを見るという仕組みなのだろうが、それにしても四十分とは狂気の沙汰じゃない。更にその後には、個人面接があった。こちらは十五分ほどだが、志望動機や仕事内容への理解について聞かれた。特に、「希望の部署になるとは限らないけどだいじょうぶ?」ってことと「第一志望ですか?」って質問に驚いた。あらかじめそれについては理解していたのできちんと問題ないです!と第一志望です!って言うことはできたけども、これは本当にそうじゃない人にとってはなかなか辛いものがあるなと思った。
つまりは、社畜になる覚悟が問われているということだ。
そんなこんなで完全にブルーになってしまったので、リフレッシュのために高尾山に行ってきた。
自然の中で生きるのは社会で生きるよりずっときついってことを思いなおした。もう一度頑張る。
まあ、なんていうか久しぶりに病院に行った。しかも、普通の開業医じゃなくて大病院ってやつだ。何故なら、夜に行くことになったからそういうところしかやってなかった。夜の病院といえば、最近は救急医が足りなくて、てんやわんやしているイメージだが今日行ったところはそうではなかった。警備員がこつこつと歩いて見回りをして、会計係が暇そうに談笑していて、奥からは宿直の看護婦の笑い声が聞こえていた。普通にそれほど順番待ちをすることもなく自分の番が回ってきたが、あっさりと終わって検査待ちの状態となった。そして、なにやら右手に点滴なるものが装着されていた。
そして、親と一緒に検査が終わるのを待つ。
・・・
・・・
・・・
・・・コツコツ・・・
・・・
言葉にできないんだけど、発狂しそうになる環境だった。いつ終わるとも知れない点滴がぽたぽたとたれていて、何も動きのない病院の椅子に座ってただじっと待つ。これがどれだけ苦痛かちょっと文章にするのは難しい。たとえるなら、・・・の部分を100回読み続けてみるような感覚だろうか。
人は退屈・・・、というよりむしろ変化のない環境に耐えられないんだなぁということを知った。そして、点滴のボトルがある限り、一回転するとかでんぐりがえしとか、まあしないけれども、動きが制限されるんだなぁってことも知った。そして、いつ終わるともしれない検査の結果をひたすら待つしかないのだ。
・・・まあ、幸いにして30分ほどで発狂して、帰らせろ!と文句を言い始めて、医者が帰ってきて、特に問題はないですよということだったので、帰ることが出来た。たいしたこともないのに大騒ぎして救急外来のお世話になってしまったが、本当に健康がなく病院に閉じ込められる生活は恐ろしいなぁってことを思い知った経験だった。
前回甘ったれた内容の日記を書いたが、このほど初面接に行ってきた。面接とは言っても、開発系の職種だからゴージャスな本社ビルの中で圧迫とかじゃなくて、閑静な住宅街の中にある開発センターで一対一というものだった。まず、最初に驚いたのが面接に来ていた人数は九人だけだったということだ。これは、エントリーシートでかなりの数が落とされていると推測できた。そして、会社説明会の時とは違って、パンフの気合の入りっぷりが違った。ちょっと、自分が必要とされているのかという気分になって嬉しいものだ。
面接の前に、適正検査があった。反義語はどれか?とか空欄に入る適切な言葉を選べとかわりかし簡単な問題だが、ここでミスをした。下線を引けと書いてあるのに、丸をつけてしまっていたのだ。そして、20問ぐらいさかのぼって修正するはめになった。確かによく読まなかった自分が悪いわけだが、時間のロスは取り返しのつかないものになってしまっただろう。
そして、面接・・・!と思ったら、なんだか順番が一番最後だった。それまで二人に社員がひとりついてくれて、いろいろ製品について話をした。ついでに言うと、一緒にまっていたのは女の子だった。機械科の女の子らしいが、機械科の女の子は超絶レアだ。きっと、研究室の華みたいな感じなのだろうと思う。そして、その社員はとても気さくな人だった。1-2で話したこともあって、これまでのどんな説明会より有益な話を聞くことが出来た。出されたお茶もおいしかった。
そんなこんなで30分ほど話をしたあとに、面接に呼ばれた。自分は会話が無ければ作れるタイプ(逆に言えば、会話があれば入れないタイプ)なので、知らない社員と30分話を続けるのは余裕だったが、これももし評価に入るのだとすれば話下手の人は本当に不利である。そして、面接だがお偉いさんが来るよと言われていたように40代ぐらいの部長さんとサシ会話だった。聞かれたことは、志望動機や大学の学科を選んだ理由、履歴書に書いた内容などだ。
そして、一通り話すと、「あなたは本当にモノ作りが好きなようだね、けれどうちはサービス業なんだよね」ということを言われた。実際、受けた会社はメーカーではなくて、サービス業の会社だったのでそう言われてしまうのは仕方なかった。それから、企業の理念などを熱く語ってくれた。別に自分も熱血派ではないが、これだけ熱く語ってくれたら少し会社に入る気分になってきた。そして、そのまま面接が終わり出口まで女性社員が見送ってくれた。将来の顧客となることを見据えてなのかもしれないが、最後まで好印象であった。
さて、終えて思ったのは面接で適切に言葉を返すのが難しいと言うけれど、それは単にスタート地点に過ぎないんだなということだ。適切に言葉を返して丁寧に応対するのは当たり前で、それをしてはじめて会社に対する適正を見られるってことだ。自らをきちんとアピールするのも難しいのに、さらにそれが会社に合うかどうかを見られる。そして、合わなかったらそれでオシマイなのだ。ところが、自らをアピールするのはそれほど難しくなかった。それは面接の人は人事の方であり、話を聞きだすのが本当にうまい。わずか15分ぐらいであったが、存分に自分のことを理解されてしまったように思う。それについて心配する必要はなさそうだった。
ねがぽじってサイトだけど、今日は特にねがてぃぶもぽじてぃぶもない。受かったか落ちたかを論ずるのは結局向こうの意志なのであるから無意味だし、面接の意義について否定する気も起きない。ただ、どこかに自分の存在を受け入れてもらえればいいなと祈るばかりである。仕事が無ければ、このホームページをアップロードするための回線や家も持つことはでないのだから。
就職活動が本格的に始まってきた。いや、既にもう始まっているとは思うのだが、今までは自らの実力を問われない説明会の時期であった。しかし、これからは企業がひとりひとりと向き合うことになる面接やグループディスカッションが始まるのである。いよいよ、単なる聴衆の一人ではなくなるというわけだ。
そして、更に一人がいくつも会社を受けるということである。それだけでなく、社会全体が色々な業界を受けて世の中を知るべし(笑)みたいな風潮になっている。もちろん、これは人員をあらゆる業界へまわすために必要なことであるが、興味のない業界に対して受験して、単に人事の手間を掛けさせるというのはムダである。
負の側面と正の側面を考えてみたが、要するに自分は面倒くさがりということが分かった。そして、就職活動というものがなかなかに忍耐を必要とする作業であることも確かだ。しかし、今日のスポーツセンターでの運動の帰りに公園で寝泊りするホームレスを見た。ネットゲームでも結局、雌雄を決するのはリアルマネーである。こんな風に家でまったりとネットをするのにも仕事が必要なのである。
あなたは東急ハンズに行った事がありますか?新宿や池袋などにある雑貨店です。雑貨店とは言っても、百貨店といって差し支えないぐらい大きさの店舗です。ビル数階分はある感じですね。その中には、ナベやコップといったキッチン用品から手品などのパーティーグッズ、時計まで色々なものが置かれています。
あるわあるわ・・・、単なるロウソクからハートの形をしたろうそくまで・・・
普段だったら、くだらないなんて割り切ってしまいそうな商品が急によく思えてきました。そこで自分が選んだのが、火をつけるとメロディが流れるというロウソクです。一本で400円ぐらいというギャグのような値段ですが、買ってみました。そして、誕生日会でロウソクから流れるハッピーバースデイの曲・・・。
もちろん普段ならつまらないグッズですが、とても素晴らしい誕生日会になりました。
モノが溢れてゴミがどんどん増えている社会ですが、一見つまらないものも楽しみ方によってはとても素晴らしいものになることがありえるということです。たとえばつまらない手品も酒が入った会社の飲み会などで使い道があるかもしれません。皆さんも何かイベントがあったときには、面白いグッズを一生懸命探してみるといいことがありますよ。
駅をふらふら歩いていると、なんだか本を売っている自動販売機を見つけました。最近、人件費削減のために人のいないAUTO KIOSKなるものがどんどん出現していますが、とうとう本まで自動販売機で売るようになったのか・・・・。そんな中で見つけたのは、こんな本でした。
なんか最近物欲にとりつかれていて、ちょっと気になったので思わず買ってしまいました。
お金を使わず知恵で生活を楽しもうという本を自動販売機で衝動買いする
という妙ですね。
でも、その本当の幸せこそもっとお金のかかることではないか?と思うのです。
たとえば、昼ごはんを著者の言うバゲット・オ・ショコラだとか手料理のお菓子にするとして、どこで調理するというのでしょう?日本は勤務地と自宅は遠いことがほとんどです。さらに言うと、自分が彼女とデートしてお菓子を作ろうと思っても二人の家なんてまだ買えるわけもありませんから、二人でキッチンを持つことなんて出来ません。キッチンそのものが日本では、贅沢品なのです。・・・いやまあ、自宅で作って来いといわれればそれまでですが。
夜ですらこの明るさで撮れるのは新しいカメラならではです。ケチったので、安かろう悪かろうのカメラではあるのですが、それでも四年前のものと比べるのもおこがましいほど進化しています。物欲を全肯定するつもりもありませんが、これだけ捨てては新しいものにしてのサイクルを通じて、モノは進化していくのだと思います。
ですから、こんな本に惑わされてフランス最高!とか騙されないようにしてくださいねというお話でした。こんな本もムダといえばムダだけれども、この本を買わなければこんなことを考えるキッカケすらなかったのです。
やっと更新することを思い出すようになってきました。なんかこう他の人に吐き出す余裕がないときに、ここで吐き出していたので吐き出す不満がないときには書かなくなるのかもしれませんね。それはさておき、前回勇んで書いた「アンケート諦めようぜメール」はあえなく撃沈してしまいました。修士論文を控えているはずの先輩方はやる気満々だったのです。他の先輩に聞いたところによると、博士に行く準備ができていてそれほど焦っている状態ではなかったみたいです。
つまり、空気を読めていなかったのは自分だけというオチでした。
深く考えるだけ無駄でぬくぬくとごまかすのが正解だったみたいです。でもまあ、後悔はしていません。思い切ってよかれと思ったことをやったとしても、それがいいとは限らないということを学べました。
なんか最近、ひとり志向が強まっています。
研究室にいると、何か独り言を言ってみたりするとわりかしすぐに反応が返ってきます。そして、それに自分も反応して・・・のループです。それによって作業が止まります。話すことは面白いし、たまに議論をすることでハッとしたことに気付けることもありますが、たいていはムダ話です。それに比べて、一人で作業をすると、もちろん自分のやる気のなさで作業が停止することはありますが、貧乏ゆすりとか伸びをするとか独り言を言うとかそういった細かい動作をしても、何も反応がないので他からの干渉による作業の停止はありません。
講義棟のあいた教室でぽちぽちと作業をすると面白い感じに進みました。
・・・だからなんだって話ですが、まあ一緒にいると楽しいことだけじゃなくて色んなことがあるけれども、一人で黙々と作業することも能率上を考えるといいかもしれないよということが書きたかったのです。
更新しないのか?って言われるたびに更新しようと思っていて、なかなか出来ないエンデバーです、こんにちは。
今日は、一コマの授業のメーリスでぶちきれた話をしようと思います。水曜の2コマ目にとある講義があるのですが、それはAチーム・Bチームに分かれて、アイディアを考えて最後に発表しよう!という講義です。大学院の講義なんて普通はそんな重くもなく、レポートと出席をなんとかすれば単位がくるものなのですが、この講義は違いました。
自分はBチームにいるのですが、Bチームの人たちの行動が本気すぎる。講義のほかに週に一回は集まって、ミーティングをしてアイディアを練っていました。そして、自分はそんなBチームのリーダーなのでした。
しかし、最初に決めたリーダーとは形ばかりで、周りの人たちの本気に圧倒されて何もしないでいました。リーダーなんだけど、何もしなくてもどんどんとアイディアが形作られていくのです。そんな中、アイディアを形作るためのアンケートを実施するという話になりました。アンケートの実施にあたっては、例によって自分は何もしませんでした。気付いたらアンケートができていて、回答を集めたいというからとりあえず自分の回答をぽちっとしただけです。そして、いつの間にか63名のアンケートが集まっていました。
そして、そのアンケートの実施スライドを見て、講師が言うのです。
「まだアピールするにはちょっと数が足りない、どうせやるなら100名以上やってみろ!」
こうして、Bチームは煽られて、二回目のアンケートを実施することになりました。
かといっても、100名以上集めようとしたら、メインストリートで街頭アンケートでもしないと集めることはできません。それにあたってはどれだけの苦労が必要なのでしょうか。まあ、今回も軽く流せばいいやと思っていたら、自分の出ていない会合でアンケート回収リーダーが自分になってました。なるほど、先輩は修士論文を書くので忙しいし、留学生はなかなか集まらない。自分に白羽の矢が立つのはすごくよく理解できます。
でもさ、100名以上のアンケートってどうやって集めるの?
ネズミ講式をまず考えました。Bチームのメンバーひとりひとりが10名ずつ集める+自分が親友に10名以上アンケートを集めるように頼むという方法がありそうです。でもさ、メンバーに協力してもらうにもこの修士論文のくそ忙しいシーズンになんでこんなことしなきゃならないわけ?自分だって就職活動があるわけですよ?
そして、俺はメーリスでぶちきれて
「もうあの講師の言いなりになる必要なんてない。忙しいからできませんって断ればいいんだ!」(誇張表現)
とぶちきれるに至ったのでした。
これまでの仕事は何もやってないのにね。
でも、なんとなく思うのです。自分がリーダーとして選ばれた理由はここにあったんだと!そう思うと、今までリーダーなのに無能だった自分の存在が肯定されるように思えてきて、やる気のないほうへ引っ張ることを誇りにする自分ってなんなんだろうと思うのでした。
まだレスが来てないので、自分の考えが班員に伝わるかどうかはワカリマセンが、やる気の無いほうへ引っ張るということでさえ、ネガティブな面とポジティブな面があるということは間違いないのです。そして、それが唯一の仕事となってしまいそうなエンデバーを笑ってくれれば幸いです。
おまけ:リンク先のヨナガヅキがバルドスカイに数ヶ月かけててびっくりした。そして、その隙に自分はしろくまベルスターズ、夏ノ雨、天神乱慢とガリガリプレイしていたことにさらにびっくりした。このリーダーの仕事が無事になくなったら、レビューを書こうと思います。