2002年6月 丹波、丹後 No1

  平成14年6月22日から23日までの2日間元伊勢ツアーに出発しました。
 その記録を写真とともにご報告します。

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  2002年6月22日(土) 
    京都府加佐郡大江町にある元伊勢(外宮、内宮、天岩戸神社)を訪れました。
    この地には、五十鈴川、宮川、真名井ノ 池、宇治橋、猿田彦神社など伊勢神宮にまつわる名称が
    数多く存在します。

    

最初は外宮です。左は鳥居ですが、皮の付いた黒木の鳥居となっています。
後で紹介する内宮も黒木の鳥居です。京都嵯峨野にある野々宮神社も黒木の鳥居です。
右は正宮になります。祭神は伊勢神宮外宮と同じく豊受大神です。

    

正宮の後ろには2本の杉の木が宮域を守るかのように天に向かって伸びています。
ただ幹の模様がねじれているのが不思議でした。龍灯の杉と言われているのが
正宮の正面に向かって左側の杉です。
伊勢神宮の外宮との共通点として、伊勢神宮外宮の別宮と同じ社があったことです。
正宮の左側に「多賀の宮」、右側に「土ノ宮」、正宮の後右角に「風宮」、正宮の
後左角に「月宮」がありました。その他たくさんの社が周りを取り巻いていますが、
一つ一つの祭神は確認しませんでした。

      

左は、正宮背後の杉の大木です。神がこれを依り代として降りてくるという気がします。
右は、外宮の港石です。何でも、外宮が川の流れによって流出しないようにこの港石に
外宮神域からの綱を繋ぐのだそうです。この石に触ると障りがあるということです。
実際の港石はこの石ではなく、わかりづらいと思いますが、この石の直ぐ右にある
平べったい小さな石が本物ということです。これは頭が出ているだけで地中に3〜4m
ぐらい埋まっているのだそうです。ただくれぐれも掘り出したりすることのない様に。
ちなみに、この港石はこれから行く内宮にもあるということです。


    

元伊勢外宮から3kmほど北に向かうと元伊勢内宮があります。
参道は結構急で息切れがしてしまいそうです。左は幹にこぶが出来た楠で
癌封じ楠木と立て札に書いてありました。右は真名井の池です。
水が染み出してきており小さい池ですが枯れることはない様です。
池の上の木の枝にはモリアオガエルの卵が産み付けられていました。

    

左は参道をほぼ登りきった左側にあったカネの鳴る石です。横に長い石がそれで
石の上には叩くためのこぶしほどの石が乗っていました。もちろん叩いて来ました。
金属音がするんです。石とは思えませんでした。叩く場所でも音が違いました。
右は、用明天皇の皇子で、聖徳太子の異母弟の麻呂子親王のお手植えの杉です。

麻呂子親王の伝説をここでご紹介します。

用明天皇の時代というから六世紀の末ごろのこと、河守荘三上ケ嶽(三上山)に英胡・軽足
・土熊
に率いられた悪鬼があつまり、人々を苦しめたので、勅命をうけた麻呂子親王が、
神仏の加護をうけ悪鬼を討ち、世は平穏にもどったというものである。 麻呂子親王伝説
の関連地は70ヵ所に及ぷといわれている。

    

元伊勢内宮の正宮です。元伊勢外宮よりは整備がされているという感じを受けました。
伊勢神宮内宮の別宮に相当する社を元伊勢外宮と同じように探しましたが
見つけられませんでした。でも、正宮両側にある社の祭神は興味深かったです。
正宮の祭神は当然、天照皇大神ですが、左殿には天手力雄命、右殿には栲機千々姫命
が祀られています。天手力雄命は天照皇大神の天の岩戸隠れの時に、天照皇大神が
岩戸を少し開けた後で、力任せに岩戸を一気に開け放った神様です。
栲機千々姫命は、高産霊神の子で、万幡豊秋津姫命とも言われ、天照皇大神の子の
天忍穂耳命と結ばれ、皇祖である邇邇芸命を生んだことになっています。

伊勢神宮内宮でも相殿神として、東に天手力男神、西に万幡豊秋津姫命の二座として
正宮内にお祭りされています。ここ元伊勢内宮では正宮の外に祭られているということです。

    

この写真は6年前のものですが、正面からの写真を撮るのを忘れていたので使用しました。
鳥居は元伊勢外宮と同じように黒木の鳥居です。正宮拝殿にかかっている垂れ幕の地がこの
時は紫色でしたが、現在は白です。何か特別な時のみ紫になるのかどうかは不明です。

    

元伊勢内宮より西に向かうとまず日室山が目に入ってきます。この山はピラミッドとも言われ
不思議な現象の目撃もあるとか。植生も貴重な場所であるため立ち入り禁止になっています。
山に向かうように遥拝所が用意されており1つだけ願いをかなえてくれるそうです。
この遥拝所からさらに道を下ると、天岩戸神社が現れます。宮川の渓谷の中にある神社で
本殿は右の写真のように急な斜面に造られています。正面に立つには、鎖を伝って登らないと
いけないようになっています。この日は雨で大変滑りやすくなっているので上には上りませんでした。

    

この写真は6年前のものです。この社殿奥の川の中には、右の写真のような大きな岩が
川幅いっぱいに立ちはだかり、イワクラのような存在感を示しています。川幅は10m弱ぐらい
ですからそのことからこの岩の大きさを推し量ってください。本当は今回も写真を撮る予定だった
のですが、川の中で滑って転んでしまいそれどころではなくなり撤退してしまいました。

    

場所は移動しまして、大江山頂上まであとわずか(1km程度)のところにある鬼嶽稲荷神社です。
雨雲の中に入っている状態に等しいので見通しは悪く、あまり遠くまではみれません。
役行者に関わるものがあるとのことでしたが見当たりませんでした。
大江山の鬼が左側の写真の山々をポンポンと越えて京の都まで悪さをしに言ったという伝説を聞くと
、あの山のあの窪んだところに左足を、次の山のあの谷に右足を、と思わず想像してしまいました。

     

雨と寒さで大変だった大江山より下り、来た道を戻り二瀬川渓流に到着。大江町のHPの説明では、
「ここは奇岩と清流、その四季折々に織りなす風景はまさに別世界。特に、紅葉の時期は素晴らしい。
一帯には鬼の足跡、頼光の腰掛け岩、鬼飛び岩など酒呑童子伝説にまつわる旧跡が散在する。」
となっています。左は二瀬川渓流に架かるつり橋です。下を見ないように渡ります。
右は頼光の腰掛け岩です。でもどこに座ったのでしょうか。
    

    

鬼の足跡です。でも山を越えていくような鬼の足にしてはちょっと小さめでした。

今日はここまで、宿泊は大江町の大江山グリ−ンロッジです。シーズンオフのためか
ゆっくり出来ました。またこの晩は元伊勢内宮そばの宮川まで蛍見物に出かけました。
ピークは過ぎているとはいえ、水面に映り2倍の光の乱舞が楽しめました。

                                              大江町ホームページ


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