鳥かご |
―――嫌だな、笑ってるみたいに見える。 ぼくは美しい宝石たちに飾られた大きな鳥かごの中から、ぼんやりと細い月を見ていた。 銀色の格子に区切られた空。だけど今夜は運がいい。 あの子はこんなぼくの面倒をよく見てくれるけど、忘れっぽいところがあるみたいだね。 部屋のカーテンを閉め忘れてしまったから、きっとまた怒られてしまうのかも知れない。 こうやって月を見る事ができたのは何年ぶりだろう?陛下は昼間なら部屋の中を歩くのを自由にさせて下さるけど、夜は必ずこの鳥かごの中にぼくを閉じこめる。 でも、仕方ないよ。ぼくは単なるおもちゃなんだもの。 逃げないように閉じこめておかなくちゃいけないよね。 ……本当はそんな事考えたくないけど、ぼくはただ珍しい見せ物にすぎないのかも知れない。 沢山の人が言う。金色の髪と瞳が珍しいって。 この世界でこんな姿をしているのはぼく一人だって。 だけど一番珍しいものはぼくの体なんだ。ぼくは生まれつき性別と言うものをもってない。 男でもないし女でもない。 一応ぼくは自分が男の子だって思ってはいるんだけどね。 もしかしたらぼくは一生このお城から出る事は出来ないかも知れないな。こうやって綺麗な服を着せられて、人形みたいにずっとこの部屋にしまわれて。 久しぶりに月を見たせいかな…嬉しいはずなのに、とてもせつない気持ちになるよ。 自由になりたいなんて思っていないけど、残された一生のうち一度でいいから、あの月をずっと近くで見てみたい。 「何だかあなたを見てると、とても可哀想に思えて来るの。」 シーリアは哀しそうにぼくをみる。その大きな茶色の瞳にぼくが映りこんでいる。 彼女はいつもの様にブラシをとると、そっと髪をすいてくれた。 「…そうかな?」 「本当は嫌でしょう?……みんなの前に出されるのは。」 彼女は優しい。いつもそうやってぼくの気持ちを解ろうとしてくれる。きっとぼくもいつも世話をしてくれる彼女にちょっとだけ心を許していたのかも知れない。 「そう言えばシーリア、少し前の夜、カーテンを閉めるの忘れてたでしょう?怒られなかった?」 ついこの間の事を聞いてみると、彼女は小さなため息をついた。 「もちろん怒られたわよ。あなたの部屋のカーテンは絶対に開けておいてはいけないって。」 「そっかぁ。でも、ぼく月を見る事ができてとても嬉しかった。…月を眺めるのって楽しい。」 「ふふ、私も月を見るのは好き。きれいだものねぇ。」 彼女はいつも心が和むような微笑みをぼくにくれる。 ぼくはこの笑顔が月を見るのと同じくらい好きなんだ。 「あ、そう言えば今日は満月ね。」 「満月…?」 「そう、月がまんまるになるの。とっても綺麗よ。あなたは見たこと無いの?」 「うん。ぼくがここに連れて来られてからはもちろん、小さい頃も見た記憶がない…。」 そうか。笑っているように見えたり、泣いているように見えたりする月は本当はまんまるだったんだ。 きっとものすごく明るいんだろうな。 「……。」 彼女が突然沈黙したので、ぼくはそっと振り返る。 「今夜また、カーテンを開けておいてあげる。」 「…え?」 「見たいでしょう?満月。」 「いいの?また怒られちゃう。」 「いいのよ。だから…ね?」 「うん!ありがとう。」 彼女は優しい。きっとぼくが暗い気持ちにならないように元気づけてくれようとしているんだ。 今夜もまた月を眺める事ができるのかと思うと、心の中にあった重いものがすっと薄らいでいくようにも思えたんだもの。 「さ、出来たわ。」 ―――陛下のもとへ行かなくては。 ぼくは素肌に純白のシルクをまとって部屋を出た。 金色の髪が、肩のあたりでふわりと風に揺らめいたのを感じる。 ―――まるで夢の中に居るみたい。 シーリアは約束をまもってくれた。 みんなずるいなぁ。こんな綺麗なものをずっと小さな頃から見る事ができたなんて。 見て!陽の光よりも優しい光がぼくを照らしてる。髪も肌も光を弾いてこんな風に見えるなんて。 それに、満月と言うものはなんて不思議なんだろう。ほんとうに良かった。ずっと近くへはいけないけれど、自由にもなれないけれど、今まで見たことのないほど今夜の月は澄んだ光をふりまいていて…。 見つめているだけで、ぼくの中からとめどもない感情があふれてくる。 …よか…った。ぼくの心はとても幸せに満たされて、これがぼくの一生ならそれでもいいとさえ思える。こんなうつくしいものを見ることができたんだもの。もう、何があっても…ここだけがぼくの世界でもいい。 ぼくは膝を抱えて、その中に顔をうずめた。ほんの少し…泣いた。 『やっと見つけた。』 「……?」 誰もいない部屋に聞き覚えのない声がした。でもきっとそれは月を見て感傷的になっているぼくの空耳なんだろう。 『ずっと探していたんだ…きみを。』 その声がまた聞こえた。ぼくはうずめた顔を上げると、…きっとここでぼくを見ていると言うのならこの満月しかないと思って…月を見た、その時…。 光が―――。一瞬にしてぼくの体に金色に輝く強い光が降り注いだ。 目が眩むほどのまばゆい光の中で、ぼくは不思議な気持ちに包まれる。なに…暖かな感触。何もかもが解き放たれるような開放感は…それにこの胸の鼓動は…? 「……っ。はあ…はぁ…。」 苦しい…何か強烈なものが逆流しているかのようで、胸が引き裂かれそうだ。ぼくの中で一体何がおこっているの?あまりの苦しさに、ぼくは光のなかでうずくまる。 『怖がることなんてない。光を受け入れるんだ。』 「……うっあぁっ…!!」 この、感覚…ぼくの中から何かが溢れ出してくる。胸が苦しいだけで痛みはないけど、一体どう言うことなの? ―――どうして…ぼくの背中に翼が…? 全身に力が入らないけれど、どうにかしてぼくは上体を起こした。さっき降り注いで来た強い光はどこにも見えない。 月はただ沈黙している。 背にあるそれは黒く、月光を浴びて濡れたように光っていた。 次にぼくは無意識のうちに翼を羽ばたかせようとしていた。するとそれは昔から背にあったかの様に何の苦もなく広がって、はばたく。翼から抜け落ちた羽は、音もなくシルクのシーツの上に舞い落ちる。 ―――その時、心の奥底から押さえきれない衝動がつきあげて来た。 空に…あの綺麗な月にもっともっと近づきたい。きっと呼んでいるのはあれに違いないんだ。衝動に駆られるままぼくの両手は銀色の格子をつかみ、押し広げていた。普段なら絶対にできるはずはないのだけれど。 「………。」 ガラス窓には頑丈な鍵と術が。でももうそんなものを見る余裕はぼくには無かった。 今までに感じたことのない渇望―――。 ぼくは窓ガラスを粉々に砕くと、ついさっき背中に生えたばかりの黒い翼を広げ、飛びたった。 高く、高く。 きっと冷静なら、下に広がる景色なんかを見たりするんだろうな。 だけど、ぼくの胸はこんなにもはやって、それどころじゃないみたいだ。 ぼくが惹かれるものは、この瞳に映っているあの満月だけなんだから。 そして―――視界いっぱいに月がひろがった次の瞬間。 「……!?」 ぼくの目の前には大きな塔が立ちふさがっていた。大きくて黒くて所々にあるガラス窓が月を映して鈍く光る。 高さは様々だけれど、そんなものがいくつもいくつもそこには建ち並んでいる。 なぜ?今ここには大きな満月があったはずなのに。ぼくはとてつもなく混乱していた。 どうやらここは、ぼくがさっきまで居た城の上の空じゃないみたいだ。それにしてもなぜ夜なのにこんなに空が明るいの? 空気も濁っていて息苦しい。 「やっと会えたね。」 呆然としているぼくの背後から声が聞こえた。聞き覚えのある声。 そう、あの声だ。ぼくを呼んでいた。 彼はひときわ高い塔のてっぺんに腰をおろしてぼくを見おろしている。さっき目の前にあったはずの月はなぜだか彼の背後にあり、逆光で顔はわからない。 「良かった。もう二度と会えないかと思っていた。」 「君、だれ…?」 「こちらへおいで。そうすれば解る。」 ぼくは彼に言われるがまま側によっていった。背あかりだと顔が見えないから、 後ろに回って彼の顔に光があたるような場所へ。 「……!!」 「そんなに驚く事ないのに。」 そう言って微笑んだ彼は……ぼくと同じ顔をしている。髪の色と瞳の色は宵闇のように深い深い色をしているけれど、顔はぼくにそっくりだった。そして背にある黒い翼も。 「ボク、金髪の方がよかったな。」 彼は身動きできないでいるぼくの髪にそっと触れて来た。さらさらと流すと、困ったように言う。 「きみは何も覚えてないんだね。仕方ないけど…。」 「覚えていないって何を…?」 「ねぇ、見てよ。ネオンがとっても綺麗だろ?こうやって覗き込んでごらん。」 彼はぼくの問いには答えてはくれなかった。ただ静かに塔の下を見つめている。 「…なに?これ…。」 下を覗きこんだぼくは今まで見たこともない光景に驚いてしまった。本当に綺麗な、その塔の上から見降ろした先には色とりどりの光が零れている。 ぼくは直感した。ここは異世界だ。ぼくの居た世界とは違う。 月に、それとも彼に誘われて…来てしまったのだろうか? 「目が眩んでしまいそうだ。何て綺麗なんだろう…。」 「ね?気に入ったろう?ボクはここから見るこの街が一番好きなんだ。さて、と。早速始めようか?」 彼はそっとぼくの手を取った。冷たくて触れているだけでも気持ちがいい。そして、無性に懐かしい。 「始めるって何を…?」 「すてきな遊び。これからボク達の手でこの世界をきれいにしてあげるんだよ。」 彼は深い藍色の瞳をとても嬉しそうに細めた。笑顔のつくり方はぼくより上手なのかも知れない。 瞳と同じ色の髪が塔の下から吹き上げる強風に激しく踊っている。ぼくは彼の言っている意味がよく解らなくて、喜びしか読みとることのできない彼の瞳をじっとみつめた。 「この世界はけがれている。君の居た世界もそうだ。」 「……。」 何も言い返す事のできないぼくはただそこに立っている事しかできない。 確かにぼくの居た世界はすさんでいた。だけどそれはぼくだけの小さな世界であって、他の人々は毎日を平穏に過ごしていたのだろう。 別段ぼくはそれに対して激しい疑問も不満も抱いてはいなかった。ただ、もう少しだけ自由になりたかっただけで。 「せっかく自由になれたんだから、好きにしていいんだよ?この世界もきみの世界も、もともとボクらに与えられたおもちゃなんだから。壊したっていいんだ。だけど、ボクはこの夜景が好きだからそれにつり合わないけがれたものだけを消す事にする。きみはどうするの?」 彼の冷たい手の感触と、瞳にうつる満月をぼくはしばらく無言で見つめた。 「ぼくの望むような形に変えることは出来るの…?」 そう言ったぼくに、彼はただ静かにうなずく。ぼくは彼の手を強く握りしめた。 −Fin−
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作者=【月夜の訪問者】主:じゅう。様..........【月夜の訪問者】紹介頁へ
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