的中率99% |
己が『鈍感』と呼ばれるシロモノらしいことを、過去に指摘された覚えがある。 らしい――と曖昧なのは如何なる根拠かと言うと、人様の仰る『鈍感』の定義が拙者の主観ではわからないからだ。 どのくらい鈍感か。 ほんの小童の頃、徒党を組んだ遊び仲間に、蚊帳の外へ押し出されていたのに気づかなかった。皆忙しいから遊ぶヒマがないのだ、と呑気に構えていたものだ。 もうひとつ。 こう見えても人並みにお年頃と思しき時代があり、事ある毎に嫌がらせをする輩がいて、しょぼぼ〜んと困っちまっていた。実は「気があるんだ」と主張するために、嫌がらせと言うか、ちょっかいをかけていたそうな。 真相は後々に、第三者が耳打ちしてくれた……。 ――おいっ! ――仲間はずれにしたかったらせえや。 ――気ぃあるんやったら気ぃあるってハッキリ言わんかい。 ――どうでもええけど、陰でこそこそ画策しとらんと堂々と面と向かって主張したらどないやねん。あほんだら! と、今更叫んでもしようがないくらい『鈍感』なのである。つまり全く、これっぱかしも、針の穴ほども気づかんかった暢気者なのだからして。 この程度の例では計り知れないほど、水面下では筋金入りの鈍感ぶりなのだが、ヘッポコ例があまりに多すぎるため割愛。鈍感らしい様子が御理解いただければ宜しい。 さて。鈍感らしさを思い切りよく発揮しているにも拘らず、ある種の気配には妙に勘が働くようだと感づいた。 ようだ――と懐疑的なのは如何なる根拠かと言えば、人様にとっては「よくある事」と一笑に付しておしまい、な状況かも知れないからだ。 いったい何ぞや、と申せば。 己の身に降りかかる災難を事前に察知できるのだ。それも悪い予感だけが異様に当たる。いわゆる虫の知らせというヤツか。 世に言う『虫の知らせ』とは、おそらく身近な周囲に起こる事件も含めてであり、必ずしも自分自身に限った場合でもないだろう。しかし拙者の虫は、どんなに近しい出来事でも己が対象でなければ使命を感じない。 年端も行かぬ小娘の頃、町の花屋に奉公に出た。旦那と番頭だけの小さな店だ。 花屋と聞いて綺麗な商売だと思ったら大間違い。肉体的にも精神的にも大労働を強いられる。たっぷり水の入った花入りバケツは米俵並みの重量、茎や葉がトゲトゲだろうが素手で捌かにゃならんし、買い物途中のオバサンたちの話し相手もせにゃ、とにかく朝から晩まで立ちっぱなし。基本的に客商売なのだから当然と言えば当然だが。 だいたい、セレブな奥様方が薔薇や蘭などの高級花を注文するような場所柄ではない。乳母車を押した皺々ババアが「仏さんの花、頂戴んかあ」と、仏壇に供える花を買いにくるのが関の山なのだ。 爺さん婆さんの相手もしつつ、肉体修行と精神修行に勤しむ最中、突如として虫が囁いた。 ――あ、アカン。そのままハサミ握ったら……切るでえ〜。 直後にザクっ、と赤い血が吹き出した。不自然な角度で構えたハサミを持ち替えようとした矢先の災難だ。 どうせなら、もう少し余裕のある虫の知らせを所望するぞ。 それから何年か後、颯爽と自転車に乗って別の奉公先に向かっていた。 行く手でダンプが信号待ちをしている。が、舗道と道路の狭い隙間なんぞ自転車ならへっちゃら。信号が変わる前に通り抜けよう、とペダルを踏み込んだとたん、またもや虫が蠢いた。 ――アカンて、もう信号変わる。ダンプにケツ……ぶつけられんでえ〜。 直後、がしょーんと音がして、視界がグルグル回転した。商店街のど真ん中で派手にやらかしたのだから、驚いて、そこら辺の店の旦那や客がわらわら集うのは当たり前。口々に、大丈夫か、大丈夫か、と言いながら助け起そうとしてくれる。ダンプ野郎だけは窓から顔まで覗かせておきながら、「けっ」と一言吐いて行っちまいやがったが。 視界を元に戻して、よくよく己を確かめると、擦り傷以外は大事無い。けれど長年大切にしてきた愛車が――ご臨終だった。 だーかーらー。もちっと余裕を持って囁けって! 返す返すも拙者の虫は怠慢が過ぎる。 のんべんだらりと生きている、ヘッポコ人間についた虫だからかも知れないが、コイツ、何年かに一度くらいしか活動しない。そもそも、己の生き様を振り返って考えれば、そうそう災難などなかったとも言えるが。 少ない虫の活動記録のうち、一番衝撃的だったのは、江戸に流れ着いてからの或る日の出来事だ。 疲れた身体を引きずりながら任務から戻ったその日、部屋の扉に手をかけた瞬間、嫌な予感がした。 「戸ぉ開けたとたん、黒い悪魔(ゴのつく害虫。とても明記はできない)が出て来よったらどないしょ〜」 徐にドアを開けると、 カサッ…… い、いやがった。本気の本気でいやがったのだ! しかもヤツは、どうやら外出時にドアと敷居の隙間に嵌り込んだと見えて、長時間身動きができなかったせいか弱っていた。それこそ虫の息で、あの世に一直線寸前の有様だったのだから笑っちまう。 余りの的中率に固まっていたが、即座に我に帰り次の行動に出た。すなわち、ヤツを玄関先からおっぽり出さねばならない。掌に乗せて、優しく「さようなら、また来てね」なんてのは以ての外だ。手には使い古しの傘――これしかない。 てなわけで、パター・ゴルフの要領で引導を渡してやった。不快指数の針が振り切れていたため、少々勢いづいてあの世まで送っちまったかも知れない。 さらに時は流れ、圧倒的な的中率を誇る予感の虫が、思い出したように囁いた。暮れも押し迫った大掃除の真っ只中で。 ワンサカ集まった不用品を袋に詰め、やれ口を縛ろうとしたが、弾力がありすぎて上手く行かない。ここはひとつ、言う事を聞かすにはゴミ袋に一撃をかましておくべきだろう。 そこで、不用品始末最終奥義=忍法圧縮技『人体落とし』を食らわせることにした。袋の口を掴んでおいて、勢いよく上に飛び乗るのである。 最初の一撃はゴミ袋の激しい抵抗に遭い、何某かのダメージを与えながらも、後ろに押し戻されて尻餅をついた。なかなか侮れんヤツ、と再びお見舞いしようとした刹那、 ――ヤバイて……コケんでえ〜。 だがしかし、既に技を発動する寸前でそんなことを仰られてもぉ……という状態だ。ゴミ袋だってヤル気満々になっている。『人体落とし』第二打は、膝一撃目がドタマに真っ向から入り、膝二撃目がヤツの熾烈な抵抗に遭った。 また尻餅か、と思いきや、ゴミ袋は相手を前方向に押し戻していた。咄嗟の受身が間に合わず、拙者は顔面――主に前歯で床に着地していたのである。 のろのろと起き上がり、床を見る。何ということだ! なんちゃってフローリングに歯型がくっきりと残っていた。いずれは引き払うであろう借り物の部屋に傷をつけちまうなんて……。 愕然と床の歯形を睨んだ直後、 ポタッ…… 生温かく赤い雫が、床に点、点、点……。 勢い込んで鏡を見たらば、今しがた血を吸ってきましたと言わんばかりの口元になっている。己の前歯が、床に攻撃を加えた反動で、ついでに下唇にも攻撃を加えていたらしい。流血事件勃発だ。 「あほんだらー。敵と味方の区別もつかんのかー」 と、悪態をつきたい気持ちを抑えつつ、口をすすいで血を洗い流し、ティッシュで押さえてみた。 出るわ出るわ、血が。何度拭っても後から後から吹き出してくる。自然治癒力が弱っているのか、単に血の気が多いだけなのか。それから数時間もの間、箱ティッシュが手放せないほど血が止まらなかった。さすがに下唇では絆創膏を貼るわけにも行かんしな。 されど、己の傷など問題ではない。 『何よりも 只ならぬのは 床の歯型よ』 そう。床の歯形のせいで、不動産屋にツッコミを入れられるのが困る! これほどまでに高確率で災難を知らせる虫に、何ゆえ100%の評価を与えないかと言うと――。 どれもこれも、事が起こる数秒前にしか気配を伝えて来なかったからだ。そんなもの、対応策が取れるほど事前でなければ『予感』などと呼べたシロモノではない。百歩譲ったとて、悪い出来事にしか食指を動かさない第六感の虫なんて、願い下げのお払い箱だ。 ――この、あほんだらなヘッポコ虫! ――どっかの山奥で修行して、俊敏さを研ぎ澄ましてから出直して来んかーい! せっかくだから、もちっと福々しい気配にも目敏くなれるよう、しかと鍛え直して参れ。 −END−
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