鉄道小噺
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 この手の話、通勤通学に鉄道をご利用になる方なら、もしかして同じような体験をなさっているのではあるまいか。
 類は友を呼ぶらしく、身の回りに面白おかしい人がワンサカといるが、中でも一・二を争うほど面白い友人がいる。キップのいいオネエサマなので「姐御」とか「姐さん」とか呼んでいるこの御方、数々の人生経験に基づく笑い話を腐るほど持っていた。それもほとんどが当事者だったりするのだ。羨ましいくらいに極楽精神が旺盛な人だなぁ。
 先ずは姐御が体験した鉄道関連面白話を紹介しよう。
 彼女は普段、混雑時には殺人電車と化す路線を使っているそうだが、仕事上、時間帯に融通が利くのでラッシュからは少し逸れた時間にコイツに乗る。が、それでもガラガラってわけには行かない。従って、その日も慎ましく座席の前に立って吊革に掴まっていた。
 この路線、普段から良く揺れるのか急カーブが多いのか定かではないが、その日予期せぬ場所で、突然、電車が大きく揺れたのだと言う。咄嗟に体が対応できなかったために、吊革に掴まったままバレリーナのようにクルリと一回転半し、そのままいい塩梅に向きが変わったところで、座席に座っていたおじ様の膝の上にちょこんと座ってしまった。姐御は顔から火が出るほど恥ずかしかったがどうすることもできず、おじ様の膝の上に座ったままニッコリと、「すみません」と謝った。
 おじ様も周りの人々も開いた口が開いたまんまだったそうだが、彼女は努めて冷静に立ち上がり、余裕の笑みをかましながら悠々とその場を立ち去った。が、車両が変わったとたんダッシュで逃げ出したことは想像に難くない。
 これは不可抗力だし、だいたいおじ様もお相撲さんに座られたわけでなく、美人でナイスバディなねーちゃんだったのだから悪い気はしなかったのではないか、と思うのは浅はかだろうか。だが、この出来事は彼女にとっては人生の汚点となったらしい……っつーか人生の勲章にしてないか?
 さて、姐御は侮れん人を通勤途中で目撃した。
 穴場な時間帯らしく座席にも余裕がある。彼女はふと、正面に座っているうら若き女性に目を奪われた。
 その女性は疲れているのかぐっすりと寝込んでいたそうな。買い物帰りらしく傍らには紙袋。中から堂々たるフランスパンが顔を覗かせていた。ドラマに出てくるようなお洒落ななが〜いフランスパンが、これまたお洒落に細い紙袋に収められ、買い物袋に突き刺さっていたのだ。
 彼女は何の気なしに眺めていたが、突如女性が目を覚まし、猛烈な勢いでフランスパンを貪り始めたため驚きの余り目が点になった。その勢いたるや半端ではない。まるで親の仇とでも言うように、これでもかこれでもか! ちぎっては投げちぎっては投げ……と口の中に放り込んでいたそうだ。
 驚愕のフランスパン女に、姐御は一つの疑惑を抱いた――何故に飲み物もなしで、喉を詰まらせたりしないのか?
 そうこうするうちに、背高フランスパンは見る見るチビになっていく。半分ほどになった頃、漸く女性は買い物袋から手を離した。とたん、
 ……寝た。……寝てしまった。信じられないが、再び深い寝息を立て始めたのだと言う。
 残念ながら目撃後、すぐ降りるべき駅に到着してしまい、乗り過ごすわけにも行かず問題の女性の行く末を見定めることはできなかったとか。今でもそれが心残りなのだそうだ。……ってか、そんなもん、こっちはもっと心残りじゃ。誰かっ、『驚愕のフランスパン貪り女』を追跡調査してくれいっっ!
 姐御はその他にも、はてな?な人々を多々目撃している。大き目のバッグに食料を満載し、立て続けにおにぎりを貪り食う『おにぎり乱れ食い女』とか、やたらと不可思議で妖怪めいた人が多いらしい。何故にそんな人たちばかりを目撃するのだ! まさか、類は友を呼んでるんじゃないだろうな?(撲殺)
 
 
 かなり古い話になるが、姐御に目撃されたら妖怪呼ばわりはともかく、確実に笑い者にはされるであろう失態を、昼日中の車内でやっちまったのだよ、実は。某メディア会社で業師をやっていた頃だ(余りにもつまんない技なので敢えて明記はするもんか)。
 技を駆使する任務の度合によるが、この商売、半端でなく時間が不規則にならざるを得なかった。つまり任務を完遂するために、朝まで缶詰なんて状態にも甘んじなければならなかったのだ。ひどい時には二日が一日になっちまったりもする。泊り込みで丸二日ってコトだな。始発で帰って定時にまたやって来る、なんてのは当たり前のようにやっていた。労働基準法? 何、ソレ? 食べられるの? などとボケてみても後の祭りだが。
 その日は相当よれよれだったのか、机に何度も額をぶっ叩かれながら任務に従事していた。様子を見かねた社長が憐れみの視線を向けてくる。
「後は他の者にやらせるから、今日は帰って寝なさい」
 さすがに昨日の延長状態になっていると知っては、社長もゴリ押しはできなかったと見える。こちらも辟易していたから当然その申し出を断るわけがない。目の下のクマも精一杯吠えていることだし、それではお疲れ様でした、と素直に帰路についた。
 朝陽に照らされ家に向かう。背中に哀愁を背負って歩く姿を想像してくれ。もう道端で寝てもいいくらい疲れていたのだが、如何せん、ホームレスの皆さまの縄張争いに巻き込まれるのも困る。てなわけで、仕方なくてくてく駅に向かって歩いたわい。
 しかし本当に憂鬱な事情はここから。何しろ家に辿り着くまで三回も乗り換えなきゃならんのだからさぁ、眩暈もするってもんだよ。江戸から横浜までは一時間半の道のりだった。ほとんど拷問だな。
 乗り換えるまでが短い路線は良かったのだが、江戸脱出用路線は物凄く長い。特にこの時は尋常でなくそう感じたね。電車の揺れってのは1/fゆらぎパワーで恐ろしいくらいに睡魔を増産しやがる。いつもは座らないのに、昼の逆方向って空いてるのねぇと、思わず座ってしまったのが大いなる敗因。折しも春先、天気も良く、窓際はポッカポカ、とっとと寝やがれってなもんだ。何だか視界が白いなぁ、とか、何だか音が遠くで聞こえるなぁ、とか思ったらもう寝ちまってるもんなんだな。頭の中を自宅のフトンでぬくぬくしている己の姿がちらりと過ぎる。
 朦朧と、まい・フトン幻想に酔いしれていた直後、
 
 ……ゴツッ
 
 何やら鈍い音がした。訝しく思い、辺りを見回してみたが、音の根源は見つからず、他の乗客も首を傾げるだけ。
 気のせいか、と、またもやフトン幻想にのめり込みかけた。
 
 ……ガツッ
 
 再び音が!
 こっ、こりはもしかして恐怖現象? いわゆるラップ音とか言うヤツぅ? そうかも知れない。いや、そうとしか思えない!
 しかし、周りの皆さまはニヤニヤ笑いで視線を漂わせている。あり? 別に恐怖関係ではないらしいのね。ま、いっか。あんまり気にしない性質なのでね、と、またまた幻想のフトンが「おいでおいで」を始めた瞬間――ガクン、と車両が揺れた。
 
 ……ガツンッ!!
 
 な、なんやーーーーーっっ! 脱線かーーーーーっっ!!
 そりゃあ、目も覚めるってもんだ、脱線ならな。脱線でなくとも、あの大音響と衝撃なら目も覚めるだろう。仰天した顔で、思わず正面の乗客と目が合っちまった。その御方、いきなりプッと息を漏らす。ちょっと待て。今、吹き出しましたね?
 もうおわかりでしょう。原因は己でした。
 うつらうつらするなら、しおらしく前に倒れりゃいいものを、窓を背景に後ろに倒れ込んだのですよ、バカ面引っ下げてね。さぞかし笑えるでしょうよ。ええ、ええ、もう思い切って笑い飛ばしちゃってください。でも、ヘンなモノでも見るように視線逸らすのは止めてくださいよ。あ、席立って何処行きやがるんだ、待て、このヤロウ。恥ずかしくて逃げ出したいのはこっちなんだぞ!
 その後は寝るどころじゃありませんぜ。世間の皆さまのちょいとクールな視線より、後頭上部の表層頭痛が眠りを妨げたのだ。触ってみると何やら変形している。厚手窓ガラスと一騎打ちした名誉の負傷、じゃなくて羞恥の負傷。脳みそがシェイクされた後遺症が今になって表れているのかも知れない。いや、言い訳はいけないな。このヘンテコ性格は持って生まれたモノだったっけ。
 さてさて、極めつけは暮れも押し迫った頃。
 やはり同じメディア会社に居座り、またもや過酷な居残り仕事で魂をすり減らした帰り道。普段より酔っ払いが多かったところから察するに、忘年会シーズンだったと記憶している。その終電間際の車内での出来事。
 満員御礼ギッチギチ状態でドアに押し付けられながら、「ようも人の神経逆撫でしてくれるもんやのぅ」と、深夜の窓に映った乗客たちを盗み見た。実は疲れていて不機嫌だったのだね、お恥ずかしい。
 前面はガラス。死神に取り憑かれたような顔が目に留まり、ギョエーとマジで驚いた。お、己の姿やんけ〜。右に視線を動かすと、眉間に皺を寄せたヤバげなおじさん。足でも踏もうものならぶっ殺されそう〜。背後は熱々ベタベタカップル。着膨れしている車内で蠢くな、息苦しい〜。左を横目で見ると、いい調子に酔っ払っているオヤジ。ドアを愛しちゃってるらしく、ベッタリへばりついて離れない〜。
 おいおい、こんな塩梅で三十分近くも我慢大会かい? オマケにこっち側のドアは途中の駅では開きゃしないのだよ。下戸には拷問な酒臭さも手伝って、ウンザリ指数が一気に急上昇中で針が振り切れんばかりになっていた。が、取り敢えず落ち着け自分と、ウォーク○ンの音楽に気を紛らわせる。
 ふと、だしぬけに酒臭さが濃厚度合を増した。ちらりと左に目ン玉を動かしてみたところ、
 あっ! この酔っ払いオヤジ! 緩んだ口元で凭れんじゃねえ! 涎がついたらどうすんだっ、てか、万が一、吐かれたらどうしよーーーーー!
 俄かに蒼ざめ、左隣の酔っ払いオヤジが肩に凭れる様を凝視する。己の死神面より遥かにオヤジの大放出の方が驚愕だ。こちとらの危惧を知ってか知らずか、背丈が同じくらいのオヤジは、酒臭い息を真っ向から顔に吹き付けやがった。瞬間、ウンザリ指数の針が振り切れると同時に、プチッと二・三本切れちまった。
 思わず心の中で叫ぶ。
 
 ……おっさん、何凭れとんのやっ!
 ……ええ加減にさらさんかいっっ!!
 
 あくまで心の中で叫んだはずなのに、オヤジってば、すぅーっと身を引いたと思ったら満員御礼の人込みの中に消えていった。
 あいや、もしかして……と後悔しても遅い。ヘッドフォンで耳を塞がれていたため、また、日頃から独り言が多くなっていたため、知らないうちに口をついて言葉が出てしまったのだな、ははは。至近距離にいたオヤジは、どうやらガラの悪い関西弁に怖れをなしてしまったらしい。
 悪気はなかったと弁解しようにも、オヤジの姿は既にない。あるのは周りの人々の、微妙に痛い視線だけ。それと、満員ギッチギチの車内の、これまた微妙な隙間。右隣のヤバげなおじさんまで怖れをなしているとでも言うのか? 振り返ると、人々は一斉に目を逸らせた。
 
 おおおぉーーーーーいぃぃ……
 
 その夜貼られたレッテルは、
『誰にも迷惑かけずに機嫌よく酔っ払う善良なお父さんを、目つき鋭く凄んで脅す凶暴で容赦のない性質の悪い女』
 ってトコだろうな。スンマセンね、凶暴で。
 正に口は禍の元。笑い者なら我慢もできるが、悪者呼ばわりは適いませんな〜。これやったらまだ妖怪呼ばわりの方がマシやないかぁ。ホンマ頼むわ、言い訳さしてんかっ。
 ――お父さ〜ん! かむばーーーーーっく!!
−END−
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