リストラ元年
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 組織なんぞに属していると、いつかはやって来るのがこれである。漠然と遠い未来の話なんだろうと思っていたら意外と早くやって来やがった。早すぎて笑い話にもならん。
 雇われ人をはじめて何年も経たないうちにそれはやって来た。
 あがり(定年)間近のおいさんの背後にいつの間にか親分が忍び寄り、満面の笑みをたたえながら、やさしく『ポン……』と肩を叩く――これが想像していたリストラというものだった。 だから自分には無縁だと思っていたのが甘かったらしい。いきなり『おいでおいで』をされてノコノコ行ってみると、『ポン……』と肩を叩かれるわけでなく『ポイッ……』と捨てられるように、
「来月から○○組に行きな」
 と言われて一巻の終わり。
 
 ……はれ、それはどゆこと? しかも来月って三日もないんですけど?
 根回しもなしにいきなりそれはないやろー!
 行きたなきゃヤメロっちゅーことかいっっ!!
 どないなっとんやーっ!!
 
 思わず机をひっくり返しそうになりながら、机の下で拳を握ってみた。想像していたリストラとはちと違う、と思いながら親分の顔を見ると、満面に笑みをたたえていた。
 
 ……あ、いっしょやん。
 
 まぁ、しょうがないと言えばしょうがない。仕事はできない要領悪いおまけにヤル気も見られない、こんな人間、雇う側もお断りだろうしな。
 なにしろムラ気なもので、気に入った仕事以外全然ヤル気が出ないのだ。おまえは職人かーっちゅーカンジだが、弁解のしようもござんせん。
 とにかく思いがけず珍しい体験ができたということで、ありがたくリストラは頂戴しておいた。モチロンもの珍しい体験を自慢するためである。
 友人知人に片っ端からこの話をすると、揃いも揃って、
「アホかおまえはっ! なんですぐ『はい』って頷くねん!」
 と合唱され、あまつさえツッコミの必殺技・手の甲返しをかまされた。しかも、どいつもこいつも手首のスナップが効いてやがるぜ。
「アホアホゆーなっ! あんな組織未練もへったくれもなかったんじゃい」
 と威勢良く言ってみたものの、突然の解雇で《生活どないしたらええんやろ?》状態が釣り天井のように頭から降って来た。
「斡旋所(職安)行って手続きだけはやっとこか」
 だが、当然扱いは《自己理由》。よっほど左前な状態ならともかく、通常組織というものは自分たちが不利になるような理由を書面に書入れたりしちゃあくれねえ。……ってこたぁ……おいおい、失業手当は三ヵ月後からかよ……急にうんざりしてめんどくさくなった。
 ここで知らない人のために便利なマメ知識。失業手当てをふんだくる場合、《自己理由》ってのは三ヶ月も保留にされちゃうのだよ。生活に困っててもね、規則だから。会社が倒産しちゃったりしたらば、《会社理由》で速攻給付なんだけどねぇ。世の中そんなに甘くないってコトだ。リストラの場合は自分が最初に拒否しなければ、やっぱ《自己理由》なんだよねぇ。面白がって辞めちゃったからなぁ(後悔)。
 さて、すぐに仕事が見つかるかっちゅーと、世の中ますます甘くない。浪花に逃げ帰るのは簡単だが、引越し代に金かかる。明日のメシ代どうしよう。それにつけても金の欲しさよ……
 あまりの暗さとわびしさに辟易するのはまだ早い。バラ色の人生はこれからなのだよ、キミぃ。
 
 
 微々たるモノだが組織から退職金が支給された。明細を見てほくそ笑む。
「これだけあれば……パソコン買えるやないかぁ♪」
 前々からパソコンが欲しいと思っていた。自己投資というより新しいおもちゃが欲しかったのだ。先のことなど全く考えず、結局次の日には江戸で一番の電気街に足は向かっていた。
 何とキラびやかな世界! 目移りするくらいどの店にも魅力的な機械がワンサカと溢れかえり、「私を買ってちょうだいませぇ〜ん♪」と囁く機械の山に埋もれ、頭を悩まし無い知恵絞り、何時間も徘徊を続けた。
「うおおぉ! どないしょー! どれもこれも欲しいぃっっ!!」
 シェークスピアのハムレットよろしく苦悩した、しまくった。生きるべきか死ぬべきか、買うべきか買わざるべきか。ちゅーか買うのは決まっとるの、買う気で来たんだからサ。それよりどいつもこいつも魅力的すぎてみんな同じに見えてきたから困っとるんだよ。
 そうこうするうちに閉店時間が迫り、これで打ち止めにしとくかぁ、と立ち寄った店には運命の出会いが待っていた。
 ずずいっっと居並ぶノート型パソコン。その中でひと際麗しく見えた《Lavie NX》。一段階型遅れだがその分安い。しかも拡張性は充分。
「これやーーーーーっっ!!」
 勢い良くビシっとそいつを指差し、迷わず、
「これください!!」
 と叫んでいた。
 ところが店員のねーちゃん、困った顔で、
「生憎とそれは只今お買い上げいただいたお客様で終了いたしました」
 
 ……ひゅ〜る〜……るる〜……
 
 へっ、世間の風が身にしみるぜ。天国から地獄に転落だ。
 明らかに変わった表情を見て、心苦しそうにねーちゃんは続ける。
「あの〜、こちらの機種はいかがでしょうか? ご指定いただいた機種の上位機種でしてスピーカー内蔵タイプとなっております」
 聞く気も無かったが形だけでも顔を向けてみる。
 すると店員さんは、ぱかぁ〜んと開いた液晶画面の裏からスルスルっと薄っぺらいモノをスライドさせて見せた。それがスピーカーらしい。確かにスピーカーだが、画面を見つめていると顔の横についている耳に見えなくもない。好奇心が刺激され、にゅるっとノドから手が出そうになった。
 
 ……あかん、あかん。足元見られる。
 
 にゅる……っと出た手をもう一度ノドの奥に突っ込み、渋々の顔でこう言った。
「しゃーけどこれ、スピーカーついてるだけでお高いんとちゃいますのん?」
「確かに少々お値段は違いますが、その分サービスさせていただきます」
 サービスやと? 聞き捨てならん。ここぞとばかりに畳み掛ける。
「ほんまはあっち買ぉてメモリ倍に増やすつもりやったんや。こっちのと何ぼも変わらへんようになるやろ? こっちのスピーカーの方にメモリ増やしたらもっと高なるやん」
 店員さんもこちらの意図するところが解ったようだ。
「でしたら、こちらのメモリをサービスと言うことでお付けいたします」
「よっしゃあー! 買いやーーーーー!!」
 もしかして、乗せられたのはこっちの方だったのかもしれん。
 だが、ノドの奥の手はもう言うことを聞かず、がっちりとパソコンの耳を引っ掴んで離さなかった。
 こうしてLavie NXスピーカータイプは我が家にやって来た。長ったらしいので今後は《ラヴィ君》と呼ぶ(呼ぶか? ふつう……)。
 リストラと引き換えにやって来たこの子は、非常に良く働く。慣れてくるとだんだんワガママを言うようになった。が、手のかかる子ほど可愛いのだよ。《ラヴィ君》については余談がワンサカとあるのだが、ここでは割愛しよう。
 
 
 自由人になってから、半年間もパソコン三昧の日々は続いた。
 別に遊んでいたわけではないのだヨ。遊びつつ、パソコンの勉強もやんわりとしていたりして。いかに呑気者といえどもそんなに貯金を食い潰すわけにはいかん。手に職つけて働き口を探さにゃあならんじゃろぉ、いい加減にな。今度こそ、目指せ職人!
 自由人の生活もそれなりに悪くはないが、半年も経つとさすがに発狂しそうになる。やはり人間は『働かざる者食うべからず』だな。弛緩したままだと脳が腐ってしまうぞ。
 ……というわけで流れ稼業の人生に足を踏み出したのだが、始めだすとなかなか足は洗えまい。半分自由人、半分雇われ人という状態がすこぶる心地が良いのだな。職種もツボに嵌っている。これもひとえに退職金とその後の半年間のおかげだろう。
 ん? ひいてはリストラに遭遇したおかげではないか。
 人生前向きに生きることしか知らないから、転んでもただでは起きない。何かを掴んで起きなければ転んだ意味などありゃしない。
 派手に転んで掴んだモノが、可愛いパソコンと流れ稼業の面白さ、果てはその後に続くめくるめく世界と来たら、もう充分元を取っている。っつーか、おつりが来るね。失ったものなど屁みたいなモンだ。
 
 転んでも、ただでは起きない、リストラ元年(字余り)
 
「ええか? どんな時でもつまずいたら、両手をパーからグーに握りしめや。わかってると思うけど、ノドから手ぇ出すの忘れんようにな!」
−END−
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