野に放たれた!
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 メトロポリタンとか言うでっかい美術館に行った。
 それは亜米利加(アメリカ)の紐育(ニューヨーク)とやらにある。
 そんなところに入ると一人でふらふら何処かに行ってしまう迷子予備軍を心配して、連れは地図に印をつけて渡し、チケットも購入してくれた(連れは英語がペラペラ。こちとら日本語専門)。
 そして無情にもこう言った。
「ええか? どうせ一人で勝手に回んねんやろ? しゃーから地図に印つけたぁるトコに三時半に集合や。ちょっとでも遅れたら置いてくからな」
「ええっっ!! ちょっと待って。一人でこんなトコまでどうやって行くのん? 迷うやんか」
 俄かに青鬼と化した相手を無視しくさって、連れは更に言う。
「心配せんでも、五番街まっすぐ歩いてちょっと右に曲がったトコにバス停あるから。遅れてもバス走っとるから一人で乗ってニュージャージーまで戻ってこれる。二ドルぐらい持っとるやろ?」
 確かに持ってはいるが……。
「ほな、死ぬほど堪能して来い。俺らは飽きたら買い物行くで。あ、言い忘れたけど、ニュージャージーの駐車場に車なかったら一人でボルチモアまで帰ってこいよ」
 
 がびーーーーーん!!
 
 おいおい、待たんかい、こら。
 当時ボルチモアに滞在していたのだが、ボルチモアっつーたらニューヨークから車で四時間。電車も走っているらしいが、地下鉄すら一人で乗れないおのぼりヤロウにどうやって乗れっちゅーのだ。
 だが、しかし。取り敢えず三時半にバス停に間に合えば良いのだ。てなわけで、あっさりと美術品にのめり込むことにした。
 
 
 素晴らしかった。
 美術品の数々は言うまでもないが、何よりも先ずその広さ! 美術館の中で遭難しそう。これを半日で回ろうと考えていた己の浅はかさに泣けてくる。国土に比例してやたらと広大だ。
 一番見たかった中世・印象派・ロマン派の絵画部屋だけでも果てしなくある。更に彫刻だの近代美術だの数え切れないほど部屋数があるのだ。おまけに何かの遺跡まで置いてある。有名らしいのだが忘れた。挙句の果てに、「おお! ここにも美術品が?」、と入ったところは土産物のレプリカ売り場だった。紛らわしいのぉ〜。
 見たいところをじっくりと堪能し、後はざーっと流してエントランスに戻ると二時四十五分。
「何や。余裕バシバシやん」
 と、安心しまくって、一路バス停目指して歩き始めた。
 五番街の道なりにセントラル・パークが広がる。そう言えば昼食も抜きだ。その辺の売店で何か買ってちょろっと休憩したいな、と思うが、如何せん英語がしゃべれない。ってんで諦めてサクサク歩く。
 が、一向に目的の番地に辿り着かない。右を見ればまだセントラル・パークが広がっている。気づいた直後、再び青鬼に変身した。
 そう。地図では随分端折って書かれてあるが、実はバス停まではべらぼうな距離だったのである。
「ちょー待って。一番歩くのに何分かかってんの? おまけにストリート毎に信号引っかかってるやん〜」
 実に焦った。既に三時を過ぎているが、なかなか目的の番地が見つからない。セントラル・パークを過ぎた辺りからは、小洒落た店が建ち並ぶので歩行者も急増。歩きにくいことこの上ない。しかも、信号が青になって歩いていたら次の信号で必ず引っかかる。
「うぬぅ……これはピンポンダッシュしかないやんか……」
 ピンポンダッシュ。すなわち人ん家をピンポンと鳴らしておいて素早く逃げるアレである。
 青になった。走り出す。次に信号で引っかかるまでひたすら走る。だが、時間は容赦なく過ぎる。遂には赤でも車を堰き止めて走り続ける(※注 車を堰き止めたのは何も拙者だけではない)。
 走った、走った、走った。心臓がバクバク言う。誰かにぶつかっても無視して(というよりコワイから)逃げるように走った。おそらく一生分走ったに違いない。
 地元の人たちはこう思ってるな。
「OH! 日本人! やっぱりマナーは最低!」
 くそーーーーー汚点だっ! それまでマナーのいい日本人だったのに。たぶん。
 兎にも角にも走り続け、漸く見つけた目的の番地。右に折れ、更に漸く見つけた目的のバス停。
 既に三時二十八分。
「やったーーー! 間に合った! 乗り場の場所は確か地下一階やから階段下りてすぐのはずやっ!」
 と勢い込んでバス・ターミナルに走り込んだはいいが、即固まった。
「うぬぅ……ここはいったい……?」
 美術館どころかバス・ターミナルまでバカでかい。バス乗り場が何百番もある。しまった。迷っちまった。おまけに迷ったせいで時間が過ぎてしまいパニくった。
「あ、あかん……もう、ニューヨークの空の下で野たれ死にや……」
 脳裏には、ニュージャージーの駐車場に連れの車がない閑散とした風景が過ぎっていた。そして、野たれ死ぬ己の屍……
 い、いかん! 次のバスが到着するまではきっと待っててくれるはず。そう信じてニュージャージー行きのバス停を探す。
 余りにうろたえていたため、この時オロカな失態をしでかしていた。目的のバス停は、一度外に出て周りをぐるっと回れば見つかったはずなのだ。要するに入るトコが違ってただけなのに〜。
 やっとこさ、バス停の番号を見つけ階段を下りると、そこには懐かしい連れの顔が。ヤツがこちらの姿に気づく。飄々と、
「やっぱりな。こうなると思てたから一本待っててん。他のは荷物いっぱいやから先に行かしたんや」
 と、言ってのけた。
 おおぅ、そう踏んでたのなら何故脅す。思わず拳を握り締めた。
 が、次の瞬間、
「次のバスまで四十分くらいあるからコーヒーでも飲もか? 昼メシもまだやろ? ケーキでも食いに行こ、おごったるわ」
 
 な、何やてえぇ〜!
 おごりっ!
 何という麗しい言葉っっ!!
 
 その時ほど連れが神々しく見えたことはない。普段はどーってこたぁないのだがね。
 かくしてこの日二度目の食事を済ませ、青鬼から元に戻り、やっと人心地がついた。
 それにしても疲れたもんだ。
 
 
 さて。何故かニューヨークでは、雨に降られたり走り続けたり宿がオーバー・ブッキングだったりと、笑い話にはなるが余り順風満帆な思い出はない。まぁ考えてみれば、運動不足を解消するかの如く体力修行ができたし、それなりに良かったと言えば良かったのかも知れん。何しろ関西人、笑い話な思い出ほど願ったり叶ったりなものはない。
 
 
 しかし、気に入らんのは美術館のあのバカでかさだ。でかけりゃいいってもんじゃないぞ。こりゃ一ヶ月は滞在しないと、全部を制覇するなど限りなく不可能に近い。と、心の中でムラムラと征服欲が燃え上がった。
 ――見とれぇ、いつか現地に滞在して全部制覇したるさかいな〜。ついでに、英語も日常会話ぐらいでけるようになって、セントラル・パークで優雅に昼メシ食ってやる。
 ……などと、今さらながらに野望を燃やす。
 なら行く前にしっかり調査しとけよ、と我ながら思うのだが、慢性的にワンテンポずれてるヘッポコヤロウに、最早つける薬なし。己の大ボケっぷりをまざまざと感じさせられた一日だった。
−END−
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