高尚な趣味 |
美術館を巡るのが好きだ。 こう書くといかにも高尚な趣味だな。満足。 二十世紀中に海外の美術館に二箇所も行けたのはラッキーだったが、国内の美術館もあながち捨てたものではない。《美術館》と名のつくものはもとより、デパートのミュージアムとか小規模な美術館も、意外と巨匠や海外の有名美術館の作品を誘致してくれる。多少値がはっても観に行く価値は充分にあるのではないか。ついでにデパ地下で晩メシも買って帰れるしね……って、しまった。「高尚」なはずなのに一気に次元が低下した。 その昔、浪花から江戸に流れきらないで横浜に引っかかっていた頃、《横浜そごうミュージアム(今はないかもしれん)》や《伊勢丹美術館》などに良く通っていた。もののはずみでチケットをもらったので安田火災内の美術館(ゴッホのひまわりがあるのだよ)にも行ったし、時々銀座の画廊などにもふらりと入ってみたりもした。銀座以外、山手線を中心にして江戸の左側がテリトリーだったのだ。 今は江戸に流れ着いている……と言うより、危うく上総の手前で流れ止ったので、どちらかと言えば右側がテリトリーになっている。必然的に上野界隈の美術館に行くことが多くなった。 上野界隈は大きな展覧会が多い。日展などがそれである。 有名な絵画を鑑賞するのもいいが、無名なアーティストの絵画にも心そそられるものがある。会場を回るのにはかなりの体力と忍耐力がいるが、その中に二、三点でも「これやー!」というものがあればまさに大収穫。来た甲斐があろうと言うもの。 それが有名な画家だった日にゃあ、あんた、「これやー!」と思ったばっかりにその場を動けなくなる金縛り現象もしばしば。魅せられたかの如く釘付けになってしまうのである。いや、魅せられたんだってば……。 何度も美術館に通ううちに、ひとつ気づいてしまった。どうやら人と違って美術館内の徘徊方法がヘンテコらしい。自分では合理的かつ自己を満足できる方法だと自負しているのだがね。 最初に入口から突進していくと、たいてい掛かっているのが「この展覧会の趣旨」なるボード。そんなデータはここで立ち止まって読んでいるヒマはない。後で何とでも手に入れられる。大人気の展覧会であればあるほど先に行ったもん勝ちだからして。だから一回目は速攻で流し見をする。「これやー!」と目を惹くものがない限り足を止める必要はない。そうしてある程度の奥まで流し見ておいて、じっくり観たいブツに目を付けて場所を覚えておくのだ。それから戻って、じっくり観たいブツをじーっくりと観る。目の前に誰かが立ちはだかっても、肩の隙間や脇の隙間から穴が開くほどに観る(さすがに股の隙間から覗かなければならないほどデカイ人はいないな)。だからと言って、この技で作品に大穴を開けるような器物破損的行為は、未だかつて経験はありゃせんが。 とりあえず十分くらい釘付けになれば一応の満足感を得られる。満足したら次のブロックに突進だ。ってんでまた同じ方法で徘徊を繰り返す。で、出口付近まで来てまたもや戻り、性懲りもなく一番気に入った絵画の前で再度金縛り攻撃を満喫するのだ。どうだ、合理的だろう? さて、何故にこんな方法か? 展覧会ってのは、大巨匠の作品だからって全部が全部満足のいくシロモノではないと思う。心の琴線に触れるのはホンの数えるくらいしかない。それは主観の相違で人それぞれだろうし、どれを取ってもいいって思えるのは、よっぽど専門家かよっぽど何でも好きか、どっちかしかないだろう。ましてや「何たら美術館展」とかになっちゃうと、それこそ嫌いなアーティストの作品だって含まれてしまうんだからね。見たくないモノは見なくてもいい。 んで、心の琴線に触れたモノを大切にするため、こんな荒技を駆使するようになった次第。これなら気に入った作品にじっくり時間をかけられるからねぇ。っつーか、やっぱりヘンテコ……? 大部分の人が、たっけえ料金の元を取るためか専門的知識を放出したいのか、一点一点堪能しまくった上にウンチクもたれまくっている。連れの人もうんうんと頷いたかと思えば反撃に出ていたりする。知識と自尊心の大安売りだ。そういう人たちは作品を理解できているのだ、羨ましいぞ。が、こちとら残念ながらシロウト。好きだから来たってそれだけのモノ。なもんで、ウンチクたれる技もなければ、全部の作品に目を通す必要もないのであ〜る。評論書くわけじゃないんだからぁ。 とまぁ、これは言い訳ですな。要するに、ひとつの作品に時間を取られるのがイヤなだけ。人気がある展覧会ってのは、どうしてもひとつひとつに死ぬほど人だかりができる。その人だかりがはけるの待ってたら閉館しちゃうよ、ってなもんなのさ。時間をはしょるためにこんな人になってしまったのだね。ゴメンよ、今まで堪能してきた世界的に有名な巨匠たち〜。全く刹那的で失礼なヤツだね(→自分)。こういう人を《せっかち》とか《いらち(関西系)》とか言ったりする。あまり嬉しくはない名称だな……。 ところで美術館に行くと必ず図録を手に入れる。貧乏のクセに何てことするんだと自分でも思うのだが、気に入った絵画があるとどうしても欲しくなるのだ。病気かもしれん。と言うより価値観の違いか。己の脳が価値観を高く見積もると、生活に対する危機中枢が働かなくなるらしい。おかげさまで今のところ本棚に図録はもう入りきらん。 好みとしてはモダンアートよりは古くさいモノが好きで、中世絵画だの印象派だのなんやかや。《ヴァン・ダイク》と聞いて首を傾げてしまっても《ルノアール》と聞いたらポンと手をたたく人は多いだろう。まぁ、その程度。知識がない分、わかりやすいブツが好きなのである。う〜ん、実に小市民的高尚な趣味〜(そろそろタイトルを忘れ去られそうなので連呼してみた)。 浪花でも横浜でも美術館には単独行動が主だった。しかし江戸に流れ着いてからは、何故か美術館向きの連れができた。その昔、共に事務所で暗躍していた人だ……と、こういう風に書くといかにも怪しげだな。元職場の後輩ってだけなんだけど。 「ちょー聞いた? 何処そこ美術館で何たら展っちゅーのやるんやって。行く?」 と声をかけると、 「はぁ〜い、行きましょお〜」 と、いつも陽気な調子で返ってくる。 いつも。何故かいつもなのだ。この人に声をかけるとよっぽど死にかけの重病でもない限り、いや、もしかしたら重病だったとしても、百パーセントヒットするのである。何でまたそんなに律儀に付き合ってくれるのか。はたまた昔馴染みの義務感からか。……などといろいろ考えてみるも未だに真相は謎のまま。要するにこの人も美術鑑賞が好きなんだろーな、という結論に無理やり達しておいて、敢えて追求はしないコトにしよーっと。数少ない美術館の友だからして……(っつーか唯一?)。 第一この人、ラク。楽なのである。あのヘンテコ美術鑑賞ぶりをこっちがフル稼働しても、あちらはあちらで実にマイ・ペースなのだ。この人は一点一点を丁寧に観て回る人で、全く正反対だからお互いに単独行動は暗黙の了解。たまに気がついて逆走すれば、何処かに必ず引っかかってるので迷子になどなるはずもない。だって出口はひとつなんだしね。 マイ・ペースだからって、別に自己主張が強いわけでもない。要するにおっとりお嬢タイプで人がいいのである。やっぱ育ちのせいか? そう。タイプに比例してこの人はお嬢だった。とは言うものの、別に大富豪のご令嬢ってコトではないよ。それなりの家ではあるらしいが詳しくは知らないし。ま、慎んでお嬢と呼ばせてもらおう。 お嬢は伝統職人の娘だ。身の上話によると、彼女の母も和菓子職人の娘らしい。ほほう、江戸の職人の娘か。ってコトは、お嬢は職人の家を継がなければならないのじゃないか? だが、そんな気はさらさらないらしい。マイ・ペースと説明した限りは、何処までもマイ・ペースな娘っ子なのだ。 このお嬢、実に多趣味多才な人で、器用貧乏とでも言うのか、何でもやってみたがるし、何でもこなせてしまう。職場に来る前は英国に留学していたって話だけあって、英語がペラペラ、原書なんて斜めに読み飛ばす凄腕ぶり(かの有名なハリー・ポッターを日本販売が待ちきれずに原書で読んだって言ってたぞ、コイツ)。しかもヴァイオリンなんぞ習ってて、ロシア人の先生の話で盛り上がっちゃったりなんかするのだ。週末はそのロシア人の先生とアンサンブルなどを披露しちゃったりもするらしい。おまけにケーキが好きで料理が得意ときた。やたらと女の子っぽいぞ。それだけじゃない。フィットネスに通ってて健康的だし、言われてみればナイスバディなエキゾチック美人だ。頭脳と容姿、天は二物を与えてやがる。 「前は毎年海外旅行してたんですけどねぇ」 と言いながら遠い目をしていたかと思うと、 「今年こそ一緒にバリへ行きましょうよお」 と訴えかけてくる。 何処から見ても完璧なお嬢ぶりじゃないか。 なのに何でまたアンタそんなに気さくなの? おっとりお嬢らしいと言えば言えるのかもしれないが、彼女は少しも気取りがない。何でかって? そりゃ、あ〜た、イイトコのお嬢さんが道端でたこ焼き食うヤツに付き合って一緒に食うか? 地元の田舎臭い花火大会に誘われて、コンビニのお茶だけで一時間も一緒に立ちっぱなしで見てくれるか? そこが大富豪のお嬢と江戸職人のお嬢の違いなんだな、きっと。何よりも、この関西人が焼いたモダン焼きを、本場の味と信じて美味しがってくれるのが嬉しい。ほんっとに、この世で一番美味いものでも食ったような笑顔を向けてくるから憎めない。ちくしょー、惚れちまうぜっ、てめえはよぉ。 てなわけで、お嬢の背後環境はまるで気にせず、彼女の性格だけでその後も付き合っている。もう事務所から遠ざかってからは先輩後輩でもないのだけどね〜。まぁ、お嬢のおかげで高尚な趣味を満喫できるからいいか(またもや忘れられそうなのでもう一度連呼しておいた)。 そうそう。あまりにコイツが多趣味なので前に聞いたことがある。 「お嬢、アンタそんな何でもやりたがるけど、一番好きなコトは何なん?」 彼女、間髪を入れずニッコリと、 「空手です」 ……って答えやがった。しかも段を取ってないからわからないだけで、稽古の相手は黒帯ばかりだと? コイツとだけは、死んでも肉弾戦になる喧嘩だけはせえへんぞ、と思った瞬間であった。 −END−
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