雪見酒
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 雪山が好きだ。
 何度か危険な目(?)にも遭ってきたが、毎年雪山に行くことだけはどうにも止められそうにない。
 なにしろ都会にあってはネコのように、コタツならず蒲団の中で丸くなり、それでも雪が降ろうものならイヌのように、庭の代わりに町中を駆け回り、雪山に至っては滑っている時はほとんどサルといっしょ、嬉々として滑り続ける。まるで一人ペットショップか一人動物園だ。冬生まれなので雪を見ると原始のDNAが刺激されるらしい。
 スノーボードをはじめた頃は物珍しさも手伝って、毎週雪山に通いつめたりもした。毎年恒例蝦夷地(北海道)旅行がはじまるまでは近場の雪山に通うのが常で、このヘッポコにスノーボードを伝授してくれた師匠である友人其の一も、当時同じ行動パターンで蠢きあっていた。
 そんな我々のホームグラウンドは、何と言っても水と酒の上手い越後の地。江戸から日帰りで行けてお気軽なところが気に入っている。
 越後といやあ、お土産モノにはやっぱり地酒じゃろうってんで、お店には各種地酒がずら〜っ。どこの店に行っても地酒がずら〜っ。これでもかーっちゅーくらい地酒がずら〜っ。
 おまけに試飲もずら〜っ。店頭では利き酒大会で各種試飲がずら〜っ。いける口じゃろうって試飲がずらずらずら〜〜〜っっっ。
 店員さんの吐く息も地酒のかほりが真っ盛り。壁面に並ぶ地酒の銘柄を読むのも一苦労。そのうち匂いだけで頭がぐらんぐらんとラリってきた。そうなると饅頭かお土産小物に避難するしかないではないか。
 実のところ、ヘッポコなのは何もスノーボードに関してだけではない。何よりもヘッポコなのは酒に対してだったのだ。
 筋金入りの下戸といたしましては、匂いなどは言語道断。売り場に近づくのも自殺行為。何てったって特技はウーロン茶で酔えること。その場の雰囲気にはめっぽう弱く早々と酔っちまう。シラフで場を盛り上げられるほど酔っぱらいになれるのは、仲間多しといえども下戸歴大ベテランの自分くらいのものだ、と豪語してやる。ああ、してやるともさっっ。
 それなのに回りはいける口のヤツばかり。夏場、『とりあえずビール〜』と言いながら上手そうに喉を鳴らすヤツが羨ましくて仕方がない。
 当然友人其の一も、いける口どころか大の地酒好きなのだ。お土産物屋の地酒コーナーを素通りすることはできまい。友人其の一は気くばりな人なので『イヤじゃあ〜』と駄々でもコネまくってみれば素通りはしてくれるだろうが、それでは余りにも義理人情を無視しとるやないかぁ。
 突然、浪花魂が火を吹いた。かくなる上はと考える。
「わしが酒飲めるようになったらええんとちゃうんかぁ」
 飲んでもいないのに据わった目で一大決心をする。
 仲間の一人が言っていた。
「酒っちゅーもんは飲んでるうちに慣れてきて、強なるもんやさかいな」
 ってなこっちゃ。
「ほな、サッソク酒かっ食ろうて強なったろやないけ!」
 既にできあがっている。
 先ずは『とりあえずビール〜』を征服だ! ってなわけで勢い良くコンビニ酒屋へ行き、ビールを少々購入。カクテル大さじ一杯、ブランデー及びリキュールと一緒にボールでこねくり回しまして、そこにシナモンを少々、あればナツメグもご使用ください。あっという間に《げろりん一直線》のできあがり。
 ……アホっ、料理教室やないっ!
 だが、《げろりん一直線》は紛れもない事実。
 忘れていた下戸の恐怖。甦る過去の失態。かなりヤバイ。
 この後、独り密かに赤鬼と青鬼を交互に繰り返し、洗面台の友と化しながら最後には蒲団の上で死亡した。
 《げろりん》に至るまでには三段階の行程がある。最初は陽気になってげらげら笑ってるだけの性質のいい酒なのだが、《げらりん》になったかと思うと一瞬意識を失い、次にお目にかかった時は《げろりん》だったというのが王道のパターンだ。一字違いで大違いだな。
「あかん。わしにはアルコールを分解する酵素はないんやった」
 と、究極の事実に気がつき、一回こっきりであっさりと酒豪になる道を捨てた。浪花魂を燃やす割には根性のないヘッポコぶりだ。
 その後、地酒購入部隊がいる時のお土産物屋の前に、寂しく佇む人影がストーカーよりも怪しい様子で中を窺っていたのを、多分誰も知らなーい。
 これがちっちゃい子供やったら「おとーちゃんとおかーちゃん待っとんのか?」って飴のひとつももらえたんやろうになぁ……って、おいっ。わしゃパチンコ屋の前で親待っとる子供かいな。
 
 
 ところで。友人其の一、言わずと知れたスノボー師匠は大変な酒豪なんではないかと思う。越後湯沢のお土産物屋で《げろりん》攻撃を繰り広げる試飲地獄は、師匠にとってはまさに天国。片っ端から試飲して回っていたのは他ならぬ師匠だったのではあるまいか。
 陽気にへらへらと笑い、赤い顔した師匠曰く、
「持って帰んのは重いっスからねぇ、とりあえず飲んどきましたぁ」
 ……と、とりあえずって、何種類くらい飲んだんや?
 しかも、帰りの新幹線の中で飲むビールはしっかり購入していたのではなかったか。それもその場にいた全員が。もしかしてこの時のメンバーは酒豪ぞろいだったのかもしれん。
 帰りの新幹線で楽しくビールで乾杯の中、笹かまぼことウーロン茶で酔っぱらいになっていたのは、もちろんこのヘッポコ関西人だけである。
 
 師匠の酒豪ぶりはこんなモノでは語りきれん。
 ある年の十二月。新幹線のどん詰まりにある雪山にやって来た日、偶然にもその年の山開きデーだった。しかも温泉開きデーでもあったのだが。
 気前のいいそのスキー場は振舞い酒なるものを用意し、手ぐすね引いて餌食となる客を待ち構えていた。担当者、満面の笑みでそれを渡す。思わず受け取り匂いにくらりとした瞬間、師匠は既に飲み干していた。物足りなげな師匠に差し出すと、
「飲まないんスか、もったいない」
 と、きゅっと一息に片付けてくれた。う〜ん、惚れ惚れする飲みっぷり。
 気合を入れたところでサッサと山に登り、サルになるべく板を装着する。天気は上々、少々雪少なし、だが滑れんこともない。我らはサクサクとリフトに乗る。
「いやあ、風が気持ちいいッスねぇ」
 はて? 師匠は寒がりではなかったか? とりわけリフトに乗っている時間が一番苦手だったはずだが……
 おっと頂上に着いた。ってんでサッソク滑り始める。
 おう、師匠も楽しんでんな。けど、なんや走り屋の師匠にしては走りにキレがないなぁ。……気のせいか?
 と、思いつつも滑りのペースはいつも通りに速い。大して時間も経っていないのにリフトに何回乗ったことか。
 このコース、滑り慣れたとはいえ一箇所だけハマリどころがある。コースのカーブを曲がり切れないとハマっちまってスノボーでは抜けられないのだ。素人に毛の生えた程度の不慣れボーダーでもそのぐらいはわかる。ので、問題の場所に差しかかった時は一気にスパートをかける体勢を心がけた。
 と、そのハマリどころでハマっちまった哀れなおバカさんがいる。しかもボーダーだ。こりゃなかなか抜けられんわと視線を貼り付けると、どうも見覚えのあるウェアではないか。まさか……まさか……まさかあぁ!! と思って見たら、
「げげっ! し、師匠やないか!!」
 師匠が仰向けにすっ転がっている! あの華麗なエッジさばきの師匠がこんな素人がハマルところにハマルなんて。しかも身動き一つしない。も、もしや足でも捻って動けないのでは……
 へろへろ滑りでそこまで行くと、
「ど、どないしたん? 足捻ったんとちゃうか?」
 と、青い顔で尋ねた(青いかどうかは当人にはわからんな)。
 師匠は天を仰ぎ一言。
「いやあ。雪って気持ちいいっスねぇ〜」
 
 ……がびーーーーーーーーーん!!
 
 こ、これは……酔っぱらいやないか……あんた酒豪とちゃうかったん?
 どうやら飲んだ直後に激しく動きまくったために、あっという間に酒が体を蝕んだらしい。師匠は、意識はあるものの体が泥酔状態だった。
 とにかくこのままでは凍え死んでしまう。ってんで、何とか師匠と麓まで滑り降りる。この時まだ午前中。午後は明らかにペースガタオチ状態だった。
 こんなになってまで、師匠は帰りの新幹線で飲むビールを買い忘れることはない。激しく動きさえしなければやっぱり堂々たる酒豪だったのだ。
 だが、もう滑る前は飲まんでくれと心で祈る思いだったが、いらぬ心配はまったくもって無用で、その後は師匠自ら『滑走前飲酒禁止令』を己に向けて発布していたようだ。……侮れんヤツ。
 
『飲んだら乗るな。乗るなら飲むな!』
 
 有名な標語を、飲みもせんのに身近な出来事として実感した貴重な体験であった。
−END−
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