海外…?
倭国見聞ロゴ
 ほんの数年前まで、海外どころか日本国の本州すら出たことがなかった。貧乏で根性なしなので面倒くさいのは性に合わないのだ。
 ある日のこと。そんなモノグサを開眼させてくれる人が現れた。
「スノーボードって楽しいっスよぉ」
 その誘惑の微笑が好奇心の虫を刺激する(モノグサだが好奇心は人一倍)。スポーツなんか億劫なくせにやってみたくなり、ド素人のくせに走り屋の友人に教えを請い、貧乏のくせに有り金はたいてボードも買っちまった。モロはまってしまったのである。
 最初は某屋内スキー場で手取り足取り教えてもらい、傾斜のほとんどないコースでも転べるという特技を身につけた。そして、
「見てーな、見てーな、立てたでぇ!!」(低次元)
 という状態になった頃、師匠である走り屋の友人が、
「じゃ、もう山に行きましょ。こんなトコじゃ練習になんないスからね」
 と一言。
 
 ……なんですと?
 
 が、山の恐怖もツユ知らず、次の週には本州某所の雪山に旅立っていた。やっぱり屋内と違って空気がいいから清々しいねぇ……なーんて思う間もなく最初の難関が待ち受けていたのだ。
 ここではリフトを尻から降りるという荒技を身につけ、あまつさえ、後頭部をリフトに打ちつける寸前に脇に這いずり込む裏技まで習得してしまった。そして、転ぶ度に懸命に二本の腕で起き上がるため二の腕がオーバーワークというおまけまでつき、ついには師匠に支え起こされたとたん、師匠をも巻き込んで危うくコースから離脱しかけるという修羅場も演じて見せた。
「かなんなぁ、大自然の脅威を甘ぅみてたわ」
 今さら遅い。
 だが、この緊張感皆無ヤロウにもっと「かなんわ」と言いたかったのは師匠の方だろう。なにしろ命の危険に晒されたのだから(ゴメンネ、師匠!)。
 そうこうするうちに命からがらの呑気スノボー旅行(日帰り)は終わりを告げ、心の奥には怪しく燻る何かが燃え残った。
「うおぉおっ! この気持ちはなんやっ! 禁断症状かっっ!」
 おお、嘆かわしいことにあまりの楽しさに雪山中毒になってしまったのだ。毎週、雪山の呼び声に苦悩し続ける生活がはじまった。
 なにしろあんた、雪山は金がかかるのだよ。ただでさえ食うに困るほどの貧乏人だったのに、毎週かかさず雪山に行ってしまったら、行き着く先は飢え死にか、借金取りとの熾烈な鬼ごっこじゃないか? そりゃもう大変。
 などと言いつつ実はしっかり毎週雪山に通い続けていた。モチロン師匠も一緒に。多分、師匠にとっては命がけだろうが。
 雪山詣でをすることワンシーズン。今度は師匠が禁断症状になった。
「もう本州の雪山はダメっす。北に行きましょう!」
 あまりの力強さに惚れ惚れしたのだが、北ってどこなん?
 どうも師匠の指差す北は日本じゃないような気がしていたら、案の定、カナダに行きたかったらしい。
「あのなー、そこまではまだ勘弁してんか」
 へろへろ滑りの新参ボーダーにはまだ遭難する勇気は持てなかった。てなわけで、師匠は不本意ながらも日本の北を目指すしかなかったのだ。
 で、白羽の矢は蝦夷の地に立った。つまりは北海道だ。
 北海道=カニ、北海道=ラベンダー。その程度の知識しかなかった大ボケ頭には、北海道には飛行機で行くものだという認識は到底なかった。
 
 飛行機に乗るぅ?
 そんでもって海を越えるぅ?
 本州出たら海外……?
 
「いやぁ、これも一種の海外旅行ちゃうん?」(冗談)
 と、独りで喜び、浮き浮きしながら支度をし、晴れて旅立つ日を迎えたその朝、窓の外を見て愕然とした。江戸のくせして一面が銀世界だったのだ。おっと、銀世界になる手前だった。が、かなりの降りにはなっていた。
 ところが、無知な頭脳はこんなところでも幅を利かせ、飛行機の運行状態などに考えは思い至らず、
「いやー、北海道いく日にこっから雪降っててええカンジやんか」
 と、ホクホク待ち合わせの場所に向かった。
 そこには、あまりの寒さに凍死しかけた師匠と友人其の二が待っていて、こちらの姿をみとめたとたん、
「電車がダメです。車で行くことにしました」
 言いながら、師匠のパパりんが運転する車に導いてくれた。
「え〜なんで〜? 地下鉄やのに動かんのォ?」
「はい。もしかしたら飛行機も飛べないかもしれません」
 
 ドゴーーーーーーーーーーン!!
 
 その瞬間、派手にバズーカ砲にはじき飛ばされた。
 ……のだが、とりあえずまだ息はあったらしい。雪は降り続き、視界はどんどん白くなっていく。不安がヒタヒタと忍び寄る足音すら聞こえるみたいだ。
 師匠パパは飛行機に間に合うようにという親心から、一心に車をかっ飛ばしてくれる。さすが走り屋の父も走り屋だ。だが、雪の降り積もりかけた道路だということを忘れてやしないだろうか……その上明らかにチェーンも履いてない裸タイヤだったはずだが……(汗)
 だが、パパりんの走りはなかなかに素晴らしく、一度も危険を感じなかった。唯一危険を感じた瞬間は、道路におまわりさんがいて車を呼び止められた時だ。
 おまわりさん曰く、
「はい止まってー。チェーンしていませんね。スタッドレスですか?」
 パパりんの答えはYESだった。
 
 ……うそぉ。普通のタイヤとちゃうかったん?
 
 こちとらの危惧をよそに既に車は走り出していた。
 ま、とりあえずバレなきゃいいんだろう。車も運転できなきゃ免許も持っていないヤツがとやかく言える問題ではない。
 そうこうするうちに車は無事に飛行場に辿り着いた。道路が閉鎖されかかっていたので、ここから帰らなくちゃならないパパりんが大層心配だと思ったが、後日談では、無事自宅にパパりんの魂が肉体ごと帰ってきたそうだ。危ない目に遭わなかったとは言い切れないが、生きて帰れてホントによかった。
 そして、師匠の言葉どおり飛行機は大幅に遅れていた。
 くら〜い顔をしていたら、師匠も友人其の二もやさしく声をかけてくれる。
「だいじょうぶですよ、良くあることですから」
 ほう。
「飛んじまえばこっちのもんですって」
 なるほど。飛行機とはそんなものだったのか。そりゃそうだ。雲の上に出ちまえば、晴れ晴れなのはあたりまえ。
 生来楽天的なもので、そう聞いてしまうと安心して急に腹が減った。そう言えば冷えきっていたのでコーヒーも飲みたいしー、そうそう飛行機の中で食べるお菓子も買わなくては……既に完璧な遠足気分である。とっくに搭乗手続きも済ませていたので多少荷物が増えてもどーってこたぁなかろうと思ったのだが、『何買ってんですか』的友人ふたりの視線が後頭部に突き刺さっていたので調子に乗って買い過ぎたのかもしれない。それほど浮かれ気分を取り戻していたのだ。
 折しも二時間ほどの遅れ程度で飛行機は飛ぶことになった。
「やったー! 生まれて初めて本州脱出や!!」
 サルのように喜ぶ姿を哀れに思ったのか、窓際の師匠が席を替わってくれ、飛行機には不慣れだろうとシートベルトの締め方まで教えてくれた。おかげで少しは人間に進化できたに違いない。
 そうして飛行機は飛び立ち、小さな窓から見下ろした景色は目に焼き付いて離れなくなった。みるみるうちに地上は遠ざかり、海を越え、北海道に近づいた瞬間、地図帳で見るような陸地の輪郭を目のあたりにして本能が高揚した(サルは高いところが好きだからね)。
 ついに本州脱出計画は成功した……残念ながら外国ではなかったけれど。
 
 
 蝦夷の地にはそれ以来毎年行く。あーんなコトやこーんなコトなど物珍しい体験が盛り沢山。ここでは到底書ききれまい。
 
 余談ではあるが、北海道の雪ってのは本当に結晶の形をしているのだよ。某スキー場で光り輝く結晶の束を目にした時、風に結晶が吹き飛ぶ様を見て、思わず「ふーっっ」と自分も風のつもりで吹いてしまった。暖かい息にも溶けずに結晶は飛んで行き、あまりの神秘的ぐあいに、ちゅるっと思う。
「なんやグラニュー糖に似てんなぁ。これコーヒーに入れたら美味いやろか? それとも定番な発想でイチゴシロップかけて氷イチゴかいなぁ?」
 アホな……コーヒーに入れたらアイスコーヒーになってまう。でも氷イチゴなら? くさるほど雪が積もり積もっているのだからいい商売になるかもしれん儲かりそうだ……と発想してしまってはたと気づく。何て商魂たくましいことを考えておるのだ。これもひとえに商売の都で生まれ育ってしまったせいかもしらん。
 だが、こんな極寒の蝦夷の地で誰がそんな寒いものを口にするのだ。全くツメが甘いのはこういうところである。ゆえ、商売人には到底なれそうもない。っつーかなる気もないけどね。
−END−
【萬語り処】 ← 感想・苦情・その他諸々、語りたい場合はこちらへどうぞ。 天の書目録へのボタン 出口へのボタン