すずにねがいを
鈴に願いを
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 幼い日、仲良しの早紀〔さき〕が知夜子〔ちやこ〕にくれた鉛筆。小さな鈴がついていて、書く度に可愛い音を立てた。
「これね、願いごとを書くとかなう魔法のエンピツなんだよ。だからね、大事にしてね。友情のア・カ・シ……えへへ」
 言われた通り、滅多なことでは使わない。もったいなくて、取って置きの願い事を書く時にしか使えない。
 最初のお願いは、
『あしたの遠足、晴れますように』
 飛び上がるほど見事に晴れた。
 目的地は動物園。知夜子は早紀と片時も離れず、何処へ行くにも手を繋いで歩いた。大好きなキリンの前でお弁当を広げ、トイレにだって二人して向かう。バスの中でも帰り道でも、ずっと一緒だった。
「あのおサルの赤ちゃん、ちーちゃんに似てたよね」
「ひどぉい」
「やーだ、カワイイって言ってるんだよ」
 と、早紀は知夜子のほっぺを突つく。
 夕焼け空の下、他愛のない時間の共有がとても心地良かった。
 
 桜の季節は不安になる。早紀と離れるのが怖くて。
『次の年も、早紀ちゃんと同じクラスになれますように』
 鈴の鉛筆の出番。効果は抜群だった。
 何しろ、クラスが同じになったばかりか、隣の席にもなれたのだ。休み時間も給食の時間も、いつも側にいられるなんて。
 知夜子は躍り上がり、羽目を外して授業中にお喋りもした。二人して叱られるのさえ小気味良い。そのうち知夜子と早紀を指して、“お雛様”とか“メガネのレンズ”とか、みんなが囃し立てるようになった。
「やぁね〜、お雛様はいいけど、メガネのレンズなんて失礼しちゃう」
「でも、メガネのレンズは二つ揃ってるのが大事でしょ?」
 早紀はちょっと知夜子を見遣り、
「そうだね、あたしもちーちゃんが大事。だって一番の友達だもん」
 と、屈託なく笑った。
 誇らしかった。
 頭が良くて、何でもできて、おまけに美人で愛らしい早紀は、知夜子にとっては全てに勝る宝――自慢の親友なのだから。
 
 早紀が中学受験をすると聞いて、知夜子はひどく焦った。
『これからも、早紀ちゃんと同じ学校に通えますように』
 鈴の音は裏切らなかった。
 知夜子は受験なんてしなかった。早紀と同じ学校を受けるには、少しばかり学力が足りなくてできなかったのだ。これでおしまいだと嘆いたけれど、入学式の日、早紀は校門で待っていた。
「受験しなかったの?」
「うん。だって、ちーちゃんがいない学校なんてつまんないもん」
 夢のよう。願い通り、早紀と離れずにいられるのだ。だけど残念ながら、今度は同じクラスになれなかった。鈴の魔力も底なしには望みを叶えてくれないらしい。
 とはいえ、今までとほとんど変わらない。授業中と自習中に共にいられなくなっただけ。クラブは同じだし、昼食と放課後と登下校はずっと一緒。二人は並んでいて当たり前で、未だに“お雛様”のままでいた。
「ちーちゃん、好きな人できた?」
 これも変わらない。幼い日々から気心の知れた仲、隠し事などする必要もなくて。
「……うん、まぁね」
「え、ほんと?! すごぉい、誰、誰?」
「えぇと、あの……二年の須藤〔すどう〕先輩……」
「わ、そうなんだぁ。先輩、カッコイイもんねえ」
「やっぱり早紀ちゃんもそう思う?」
「うん、思う思う」
 ふと、不思議な気がした。
 前にもあった、こういう場面。早紀は熱烈に励ましてくれ、自分の秘密も打ち明けてくれた。どちらからともなく微笑みを交わし、互いに協力を誓い合ったものだ。
 しかし、今は――?
「あ、いけない。あたし買い物頼まれてたんだ、スーパーに寄ってかなくちゃ。――じゃね、また明日」
 あっさりと知夜子の側を離れていく。
 夕焼け空の下、一度も振り返らない背中が、何故か眩しかった。
 
 観たい映画がある、と誘われた約束の日、早紀は風邪を引いたと断ってきた。
 知夜子は独り、街へ出る。
 ぶらぶらと、当てもなくそぞろ歩く。この次はここでお茶しよう――なんて先の計画まで立てた。独りでも淋しさに囚われないのは、いつも心に早紀がいるからだろう。
 歩き疲れた頃、お気に入りの小物屋でプレゼントを買った。どちらかと言えば、気に入っているのは早紀の方で、この店には映画の後で寄るはずだった。
(御見舞い。風邪で映画観れなかったし、かわいそうだもんね)
 温かい気分で扉を開けたとたん、見覚えのある背中が目を惹いた。
 早紀だ。風邪で寝込んでいると聞いたのに。
 それに、
(先輩?!)
 偶然出会ったという雰囲気ではない。親しげに語り合う少女と少年。早紀の手は先輩の腕に絡みついている。
 知夜子は反射的に扉を閉め、ウインドウ越しに彼らを注視した。ディスプレイ用の大きな鉢植えの陰に隠れて。
(どうして……?)
 打ち明けたのは信じていたからだ。きっと励ましながら見守っていてくれる、と。
 でも、胸の奥では薄々感づいてもいた。知夜子が早紀を慕うのと、早紀が知夜子を構うのとは、同じ気持ちの有り方ではないのかも知れないと。早紀は一度も感じさせなかったけれど、いい加減、疎ましくなっていたのではないか。知夜子の存在が。
(そんな……そんなこと、ない!)
 何かに縋りたくて、カバンの中から魔法の鉛筆を取り出した。壊れてしまったのか、小さな鈴は沈黙を守っている。早紀の本音を教えてはくれない。そう言えば、一番大切な願い事をまだ書いていなかった。
 ガラス一枚隔てた目の前の舗道を、仲睦まじく、彼らは本物の“お雛様”のように通り過ぎていった。
 ふらふらと、知夜子は店の外へ出る。
 大事だって言った。一番の友達だって言った。
 それなのに――
「……嘘つき」
 思わず鉛筆を握り締めた。折れた。
 ――ちりん。
 捨てた。
−Fin−
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