つみふかきもの
罪深きもの
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 一.君にあげたい物。
 二.僕が欲しい物。
 一を捧げれば、無条件で二が手に入ると信じていた僕。愚か者だ。
 君が側にいてくれたのは、決して僕を憐れんだわけではなく、真実、心が通い合った証なのだと信じていた。
 僕は君に唄を捧げ、悠久の時を捧げた。
 隣に並んで座る君は、いつも静かに微笑んだまま、僕の唄を、僕の囁きを、僕の独り言を聞いていた。君から話しかけてくれることはなかったけれど……。
 柔らかな陽射しにたゆたう亜麻色の巻毛、沈黙を守るブルーグレイの澄んだ瞳。余りに清らかすぎて僕は君に触れられない。激情に任せて無造作に触れれば、思いがけず、君を傷つけてしまうかも知れない――それが怖い。僕はそれだけが怖かった。失う物の大切さを考える時、誰もが皆、臆病になる。
 僕は、君が微笑んでくれるだけで満たされる、と自分に言い聞かせた。君に触れたい、君を抱き締めたい、それは邪な願望でしかないのだと。ただ君の吐息を感じていたくて、ともすれば暴れ出しそうな獣を懸命に捻じ伏せてきた。時折、どうしようもなく胸を掻き乱す、君の好きな薔薇の香りと闘いながら……。
 共にいることを望むだけなら何も壊れはしないはず。ひたすら君に愛を捧げる行いは、少しも罪悪などではないだろう? わかって欲しかった。
 それなのに。
 遂に、君は一つも与えてくれなかった。心も、言葉も。眼差しさえも。
 噛み合わない歯車、擦れ違う一刻、その全ての根源に思い至った瞬間、僕の芯が粉々に砕け散った。
 痛みが……深奥に、いる。
 確かに君は、僕を憐れんだのではなく、しかし心が通じていたわけでもない。君は僕の側にいてくれたんじゃない。いたくていたわけじゃなかったんだ。仕方がなく、ここにいた。僕の隣に。
 お笑い種だ。君は僕の存在すら認識していなかったのだ。『僕たちは同じ時を共有している』なんて、僕だけが、有りもしない絵空事に酔っていた。君が僕に与えたのは、耐え難い苦しみと焼けつくほどの痛みだけ。君は何もしていない。何もしていなかったのだけれど……否、だからこそ。
 僕を亡き者にしてしまう君の沈黙。悪意のない無関心ほど罪なことはない。
 今となっては、君に捧げるものは何もない。だけど君から取り返したいものはある。見返りを求めるのは、聖なる愛を冒涜する俗な行為に過ぎないとわかっていても。
 それでも。
 せめて返して欲しい。君にあげた数々のものを。それらは既に色褪せ、永遠に必要ではなくなったのだ。この期に及んで君のもとに置いておくなど、僕の魂が許さない。
 返してくれ。君に捧げた唄を、心を、悠久の時代〔とき〕を。
 返してくれ!
 失った僕の時間を――
 
 不意に、大広間が揺れた。
 弾みでロングケース・クロックの扉が開き、マントルピースの花瓶が倒れた。活けられた真紅の薔薇が傍らのビスクドールを引っ掛け、大時計の足元まで薙ぎ飛ばす。
 毛足の長い絨毯に、波打つ髪を広げて横たわる少女の形。麗しい蒼い瞳が虚ろに揺れ、巨大な文字盤に視線を貼りつかせている。
 カタン――
 小さな音とピンのはぜる気配。軸から解き放たれた二つの針が宙に舞う。
 鋭い刃物に身を変じ。
 真っ逆さまに。
 恋焦がれた者の姿を求めて、降り落ちる。短針は床に胴を縫い止め、長針は、華奢な首へと――。
 刹那。最後まで拒絶するかの如く、少女が愛らしい頭〔こうべ〕を背けた。
 guilty――罪深きもの。
 全ての時間を無に還すよう、厳かに、大時計は虚無の刻〔とき〕を告げる。
−Fin−
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