ゆき
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 雪子(ゆきこ)には友達がいなかった。
 それもそう。雪子は雪の精だから。
 友達を作ろうと思っても、この町にはあまり雪が降らない。冬の間、数えるくらいしか町に降りてこられないから、友達なんて到底できない。
 もうずっと前から、雪子は彼と友達になりたかった。今、低く垂れ込めた空の下を歩く彼。智也(ともや)が子供の頃から、彼をずっと見ている。
 元気が良くて明るくて、正義感の強い智也。幼なじみの麻里子(まりこ)がいじめられて泣いていると、必ず飛んで助けに来た。雪子はその様子を、空から微笑みながら眺めていたものだ。
 ケンカが強くても優しい彼。麻里子の子犬が死んだ時、夜通し側で一緒に泣いた。麻里子の気持ちを理解して、懸命に慰めようとがんばった。
 この子なら、と雪子は思う。こんなに優しい子ならきっと雪子に気づいてくれるだろうと。そして、きっと友達になってくれる。
 そう思い、何度も季節を重ねてきた。春が来る度に、次こそはと思う。空から舞い降りた瞬間に必ず彼に気づいてもらおうと。
 一度も気づいてもらえないうちに、智也はもう、中学三年生になっていた。
 もうすぐ春がやって来る。
 この冬こそ彼と友達になろうと願い続けた。だから、冬の大気がこの町に飽きてそそくさと行ってしまわないように、天の父に祈りを捧げた。
 祈りが効いたのか、この冬は長い。そのため何度も町に舞い降りることができた。けれどそんな時に限って、智也は家の中や教室にいた。幼い頃のように外に出て飛び回ったりはしない。
 雪子は焦れて、智也の部屋の窓まで舞い降り、中を覗いてみたりもしたし、風に頼んで窓を叩いてもらったりもした。彼は幼い頃ほど敏感ではなくなってしまったのだろうか。
 今もこうして機会はないかと空の上から窺っている。
 智也は麻里子と並んで歩いていた。
「智也。東京の高校に受かったんだって? おめでと!」
「おう、サンキュー。麻里子はどうすんだよ?」
「あたし? あたしは地元。この町好きだもん」
「そっか。俺もこの町好きだけど、今は広いトコに出て、いろんなことを勉強したいんだ。いつかは帰ってくるけどな」
「うん。あんた言ってたよね。将来はアメリカの大統領になるんだって。ホントおバカ!」
「うるせえな。ちっちゃい時の話だろ。今はそんなこと考えちゃいないよ」
「そりゃそうだ。今でも考えてたらホントのおバカよ。で? いつ東京に行くの?」
「ああ、卒業式の一週間後。見送りに来いよ」
「わかってるって」
「おい。お祝いに何かくれよ」
「う〜ん。考えとくわ」
「相変わらずケチだな」
「ひどぉ〜い!」
 麻里子は笑いながら智也の背中を叩いた。
 やっぱり二人は微笑ましい。雪子はそう思い、雲の中で笑った。
 けれど、すぐに空しさが込み上げてくる。
 ――智也が行ってしまう。この町を離れてしまう。
 このままでは一度も智也に気づいてもらえることもなく、忘れ去られる対象にもならない。
 もう一度、空から舞い降りたい。今度こそ智也に気づいてもらうのだ。せめてもう一度、冬の大気が力を貸してくれたなら……公園の桜にはもう、春の息吹が宿り始めていると言うのに。
 
 
 旅立ちの朝。智也は目を疑った。
 春だと言うのに、冬の名残。一面に雪が舞っている。智也は庭に出た。紛れもなく本物の雪。だが大気は何処となく、安らかで暖かい。
 駅に向かう途中の公園で、麻里子が智也を待っていた。
 公園の桜は咲いている。突然の雪に驚きながらも、懸命に花開いていた。開き始めた花だから、まだ散ることを知らない。
 桜を透かして雪は降る。それは、まるで、散ることを知らない子供の桜に散り方を教えてでもいるかのようだ。はらはらと舞い落ちる春の雪。何処までも儚くて、美しかった。
「智也! あたし決めたよ。大学は智也と一緒の大学に行くことに決めた」
「なんだよ、それだけか」
「なぁによ?」
「お・い・わ・い!」
 麻里子はくすりと笑う。そして唐突に、智也の唇にキスをした。
「夏休み、遊びに行くわ。住所教えてね」
「おう」
「手紙もちょーだいよ」
「おう」
「こっちに帰ってくる時は、ちゃんと知らせなきゃダメだからね」
「おう」
 智也は赤い顔のまま、同じ返事を繰り返した。
 あんまりにも照れ臭かったので彼は空を見上げる。
 春の雪を降らす冷たい雲。けれどどこか懐かしい空。智也は雪に手を翳す。掌に冷たい感触を覚えた。
 雪子の夢は叶えられた。
 駅に向かう智也の、頭にも肩にも、雪子は降り積もっていった。こんなにも身近に彼を感じられる。そんなことは彼が幼い頃以来だ。
 ふと、智也は掌の雪が解ける様を見て呟いた。
 今でもそれは、雪子に向かって言ったのだと信じている。智也は紛れもなく雪子の存在に気づき、懐かしい友達だと認めてくれたのだ。
「さよなら、俺の故郷。また逢う日まで……」
−Fin−
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