星糞峠(ほしくそとうげ)


 虫倉山、高松山の鞍部(標高1500m付近)にある星糞峠は、縄文時代?の黒曜石採掘遺跡として、国の史跡に指定されている。史跡公園化されるのだと思うが、現在は、林道ぞいの斜面に窪地や発掘現場が点在しているだけで、普段は人もいない場所です。夏休みの一日、希望した子達と見に行きました。以前秋に虫倉山に登りに行った時、通ったのですが、子ども達と行ってみると、星糞の語源になっている黒曜石のかけらがたくさんある事にやっと気付きました。子どもの目はいいですね。(2001,7,30)
 最近星糞峠の説明会が行われる事が新聞に出ていたので、このごろの星糞峠あたりの様子を知りたいということで、出かけてみました。ついでに虫倉山へも登ってみようと思う。
星糞峠への林道入り口のゲートに車を置いて歩き出したのは10:30頃か。すぐに峠につくと、トイレと休憩舎が新しく作られていた。横に車が一台とまっていた。(2007、9、25)

鷹山から和田トンネル料金所へ向かう道路から、林道を行きます。すぐにゲートがあるので、車を置いて歩きます。15分ほどで峠につきます。峠の東側にクレーターのような遺跡が多数あります。
峠です。 後ろ遺跡穴
窪地状の地形があります。                加工場?細かい黒曜石の破片がたくさん。シートがかけてあったり、はげていたりしていました。
                                          2007,9,25の星糞峠〜虫倉山
星糞峠には、新しい休憩舎とトイレが出来ていました。黒曜石ミュージアムから遊歩道のようになって付属施設といった感じになるのかな?
看板やコースも整備されていたので、道にしたがって登り出す。道には昔のようにそのままでなく、木屑が敷かれて黒曜石などは見当たらない。
すると、排水ポンプの音がして、作業している人が一人いた。それは明治大学黒曜石センターの研究者の方だった。色々と親切に教えていただく。鷹山に縄文人が住んでいたんですか、との質問に、鷹山からは住居跡は見つかっていないとの事。入大門あたりに住居跡があるので、そこから採りにきたのではという話。よい季節に集落の行事みたいに、大勢で出かけて掘ったのではと想像されるそうです。写真の白線の場所が当時の掘られた地面の線だそうです。この穴から3500年前(だと思った)ころの縄文時代の土器片も出てきたそうです。
 そんなお話を聞いて縄文人に思いをはせていると、黒曜石ミュージアムの有名な大竹さんもやってきて(以前長門小勤務の時、面識があった。)最近の説明会にちょっと来たかったがずくが無くてなどと話すと「今日、個人説明会みたいなもので良かったですね。」と言われる。虫倉山への登路を教えていただく。この発掘現場はちょうど埋め戻すところで運が良かったとも言われる。本当に運が良かった。
遺跡の最上部から教えていただいたように左に回りこむと、ロープがついていて直ぐに尾根に出た。八年ほど前に来たことがあるがその時は、岩場を直登してしまった記憶がある。
 尾根の踏み跡をたどると、下の鷹山地区が良く見える場所があった。正面が大笹峰で、ブランシュ鷹山スキー場である。
尾根が少し下り、ススキの原になっている。以前来た時は踏み跡があったような気がするが、今は無く、鹿の踏み跡のようなものが何となくついている程度。やぶこぎよりはましなススキこぎで登る。
山頂部は低い笹薮。三角点と、あるという石祠をめざす。
以前、両角さんから、虫倉山の事を聞かれた時、両角さんは三角点は無くて、石祠があったとの事、私が以前登った時は三角点はあったが、石祠は気がつかなかった話をしたので今日は確かめてみたいとも思った。先ほど大竹さんも石祠のことは言っていた。石祠は大分北の方にあった。北の方を向いている。三角点のある位置は石祠より少し南のような気がして探してみたが見つからなかった。家に帰って、八年ほど前の記録を見てみると、やはり三角点はあった。どうしてしまったのだろうか。三角点が見つからないと何となく登頂感がわかない。
下りは、ススキを避けて、北側のカラマツ樹林帯がわを通るように心がけて下ってくる。写真は遺跡の上部。遺跡の上部のはずれにはきれいな「タマゴタケ」がたくさん出ていた。先ほどの発掘現場ではお二人が発掘を続けていた。お礼を言って下山する。途中、新和田トンネルの料金所の湧き水の場所にはいつものように水を汲む人がいたが、そこに豆腐屋まで出来ていたのには驚いた。(2007,9,25)
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