有明山(ありあけやま)651m〜五里ケ峯(ごりがみね)1094m


 千曲市の屋代地区にある一重山から戸倉地区にある五里ケ峯までの長く連なった尾根は、一度は歩いてみたいと思っていた。一人では一気に縦走するのは、ちょっと途中で、めげてしまいそうだ。そこで2010年度、根橋さんとの登り納めということで、この長い尾根を歩いてみることにした。ネットで調べてみるとHP「もりもりキッズ」に今年の春に、この尾根を縦走した記録が出ていた。これは坂城駅から一重山、屋代駅までの北へ向かうコースをとっているが、我々は、一重山はカットして森将軍塚の付近から出発し、五里ケ峯からは戸倉の福井地区へ下りる南下(といっても標高は上がっていく)コースをとった。この方が時間的にもかなり短縮できるのでは、と思われた。
写真は、左:冠着山山頂からの有明山とそこから五里ケ峯へ続く尾根(左側写真の右中ほど右に続く尾根)5月。右:鳴海新道からの五里ケ峯(千曲川対岸の尾根一番高い所)4月。(2010、12、19)
 これは前々日、登り口確認のために森将軍塚にきた時に撮った写真。森将軍塚は県下最大の前方後円墳であり、下にある県立歴史館とともに有名な場所。中腹まで根橋さんの車で来て。路肩に駐車して少し通路を登ると古墳に着く。駐車場所から有明山に直登するコースもあるようだ。  古墳の上部から、この標識の登山道に入る。この上の道は踏み跡が何となくはっきりしなかったが見通しも利き上へ向かうと、すぐ尾根に出て駐車場所からの直登ルートと合流した。天気は快晴だがまだ朝のうちで寒い。登り口では望遠カメラで鳥か風景の撮影をしている人がいた。
 有明山には意外とすぐに着いてしまった。北へ一重山、南へ宮坂峠の標識。羽生小の標識も見えたから、遠足などで登られているのだろう。三角点もある。  松林や雑木林の尾根にしたがってどんどん歩いていく。この尾根はどんな具合だろう。ヤブこぎなどしなくてはならないだろうか、と少し不安だったが、その心配は全くなかった。道も登山道といって良いくらいのものがずっとついている。南の方遠くに、目的地の五里ケ峯らしい山が見えるが、まだまだ遠い。左手前方には鏡台山がずっと見えている。左下の森地区の奥の方から、時々、銃声が聞こえてきた。これもちょっと冬には心配な要素だが、今日のハンターの活動範囲は尾根ではなくずっと下の方であるようだった。
 二時間もかからずに宮坂峠に到着した。今年母を連れてお花見に行ってみた戸倉のキティパークからここまで舗装道路が続いているようだ。今日のコースは宮坂峠までで分割して二度に分けて登ることも可能だ。屋代〜戸倉〜坂城間のしなの鉄道を利用すれば一台の車でも色々な周回コースがとれて、いいだろうと思う。峠には先日の別所で見た、「中部北陸自然歩道」の標識があった。中部北陸自然歩道というのは、どんなものだろうか?また調べてみたい。(調べると、中部北陸自然歩道のHPがありました。長野県の部分も見ると、歩いてみたい道が多くありました。県関係のルートをもう少し詳しく知りたいものです。)
 有明山方面からの降り口のすぐ近くに、五里ケ峯への新しい標識があった。約三時間との事、まあ、それほどかかる事はないだろうなどと話しながら出発する。
 大山祇神社という標識の石祠などがあったりして、古くから歩かれている山道のような感じの場所もある。北山796mという古い標識のあるピークに着く。「もりもりキッズ」によると、この尾根のピークには大体名前がついているようだ。昔から里の人々の利用した山なのであろう。アカマツなども混じるが、落葉樹が中心の林で、尾根を歩いていても明るい雰囲気である。ちょっと休憩する。  送電線の鉄塔のある場所に着く。林が切り開かれていて冠着山が良く見える。東側の尾根が真正面だ。鳴海さんが復活させた登山道がこの尾根になる。地図で見ると鉄塔のあるピークは875mである。根橋さんと話しながら進んでいくと、トレイルランの若者三人が軽い足取りで南から走って来た。上小30山やさらしな30山でトレイルランのスタイルで走っている人を見たのは私は初めてくらいな気がする。このコースは体力のある人にとっては走りたくなるようなコースにも思えた。またトレイルランが流行ってきたこともあるかもしれない。ちなみにこの付近の山で「山ガール」スタイルはまだ見たことがない。
 商売池へ下りていく道との分岐があった。我々はそのまま尾根を南へ進む。  間もなく勘助道らしき道が現れ、標識も出てきた。この辺の事は「もりもりキッズ」に詳しく出ている。登山道は勘助道と分かれて右手に急登していく。
 最後の登りらしくなってきた。標高があがり、辺りの木々に霧氷がついていた。朝、下から見上げた時にも頂上部分が白く見えたのがこれだ。急傾斜にはトラロープが何本かついている。私は汗がだらだらで、足が重くなり疲れがかなり出てきていた。根橋さんの後ろについて話したりしながら気楽に登ってきたが、ここにきて根橋さんとの差が少しついてきた。  それでも、直ぐに山頂だったので、大した遅れも無く、山頂に到着。私はここは二回目だ。登り出したのが8:30だとすると、ここが12:00なので、約3時間半でここまで来たことになる。根橋さんの後に付いて気楽に歩いているので、山頂部の最後に近づく辺りまではそれほど疲労感は無く登ってこれた。
 北から西側から南にかけての180度以上のパノラマが広がっている。性能の良いパノラマカメラなどで写したら、本当の感じに近づけるだろう。天気も良く空気も澄んでいて朝ほどでは無いが良く見える。ここでお昼とする。私達が来る前に人声がしたが葛尾山方面に下りて行ったようだ。代わりに女性の二人組みがそちらから登ってきた。「北信、東信、日帰りの山」で見ておいた福井地区への下り道を聞いたところ山頂の南側すぐそこからありますよ、との事。  お昼のあと出発の前に、登って来た方を振り返ってみた。はるか先に尖っているあたりが有明山あたりなのだろうか?
 福井地区への道を下り始めると、登山者が二人上ってきた。「今日、初めて人に行き会いました。」と言うので、こちらからはあまり登る人がいないのかな、と思う。といってもこういった山では平日には、ほとんど人に会わないのが普通だ。今日は日曜なので多少会うのだろう。商売池というヌタ場のような場所に着く。先ほどの尾根からここに降りてくる道が合流していた。縄文人の交易場所との事、どういう事からそういったことが言えるのだろう。多分何か出土品があったのだろうか?  道は福井地区に向かって、ほぼ直に下っていく。(もちろんジグザグになってはいるが)道形がはっきりして、深くえぐれている部分があった。さすが縄文時代から歩かれている道?という感じ。葛尾山の方へ下るより大分近く下界に下りられる感じだ。
 ふもと近くにこんな表示もあった。村上氏時代の製鉄遺跡のようだ。福井地区には歴史に造詣の深い人がいるらしい。  福井地区の登山口に下山してきた。この後、福井公民館付近に駐車しておいた私の車で、森将軍塚付近に駐車した根橋さんの車まで戻った。いつも心にひっかかっていたこの尾根を歩けて満足の2010年の根橋さんとの登り納めでした。(2010、12、19)
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