冠着山(姨捨山)(かむりきやま・おばすてやま)1252m


 冠着山は私の生まれ育った千曲市の旧更埴市地区から見ると、均整のとれた富士山のような形に見えて、特別の山、という印象があった。上田の人達が烏帽子岳や独鈷山にいだくような感情を持つ山であると思う。またこの山は信州百名山でもある。この山に小学校六年の秋、遠足で登った記憶があるが、鉄道でトンネルを抜け冠着駅まで行って、そこから南側を頂上まで登り、北側を下って千曲川の土手も歩いて稲荷山の町まで帰ってきたような気がする。六歳下の弟に聞いて見ると、冠着山遠足はしなかったと言う。途中の記憶が飛んでいるのでコースは定かではないが、相当距離がある。汽車は稲荷山駅から乗ったのだろうか?下山途中、滝があってそこで休んだ記憶があった。
 大人になってから、車で山の南側の高い所まで行ってちょっと歩いただけで山頂まで登ったり、坊城平のキャンプ場の方から登ってみたりしたが、いずれも登山というほどのものでは無く、小学生の時の「滝」はどこなのだろうか?と時々思い出し、さらしな30山登山で探って見ようと思っていた。
 そんな時、地元紙(信毎)の「春の山を歩く、北信身近なコース」という欄に冠着神社一の鳥居から登るコースが紹介されていて、そこが滝のあるコースだと分かった。やはり小学生の時の滝の記憶は事実だったんだ、とうれしくなった。二万五千図を見ると滝の印もある。道の印が無かったので気づかなかった。さっそくこのコースで登ろうと出かけた。2007,5,20 (写真は、千曲市戸倉地区の千曲川土手から。2007、5,26)
 県道を姨捨駅の方へ登る道へ入り、道が大きく右手にカーブするところから農道に入る。御麓と地図にある集落あたりを上る。長野道やJR篠ノ井線がすぐ近くを走っている。トンネルの入り口付近か?道の脇に「こわ清水」という水量豊富な湧き水があり、水を軽トラに積んでいる人がいた。間もなく、林道わきに鳥居が見えた。駐車スペースは道脇に何台分もある。中高年の登山グループが二つ、登り出すところだった。  上は左の写真にある案内板。新聞に出たので、私のように登ろうと思った人がいるのだろうか。登山シーズンでもあるのでいつもこのくらいは登るのだろうか?にぎやかすぎるな、などと思いながら、軽荷にジョギングシューズなので、グループより先にぐんぐん登っていく。家から登山口まで3、40分くらい。出発は10時40分くらいか。
 沢沿いなので、ふきなど色々な植物が元気に出ていて、じっくり見ながら、採りながらいけばいいような道だった。ヤグルマソウも葉が若々しい。 すぐに久露滝(くろたき)についた。ここで休んだのだろう。はっきりした記憶は無いが、多分ここだったのだろう。昔の事だったから、滝の水も飲んだかもしれない。当時は回りがもっと木が生えていたような気がする。
 沢には橋などかけられていて、歩きやすい。しばらくいい気分で歩くがすぐに林道と交差してしまう。興ざめだが、またすぐ山道に入る。歩きやすいし、楽なので気持ちよく登れる。間伐されているせいか、杉林だが暗い印象は無い。  しばらく行くと、山頂部という感じになってくる。新緑の落葉樹林が気持ちが良い。道端にイカリソウやエンレイソウなど山の花などが咲き、写真を撮りながら楽しく登れる。とても歩きやすい道だ。これは帰りに通った坊城平側の道。ぼこだき岩の見学は時間が無いのでやめる。
 山頂の西側へトラバースしていく道に入ると、ニリンソウの群落があった。 西側の尾根に出て、南側からの道と合流、少し登るとアルプスの展望ポイントがある。以前、といっても大人になってから、車で南の尾根上まで来て秋の午後にここに来た時があったが、アルプスの展望がすばらしかった。今日は曇っていてアルプスは見えない。
 山頂に到着。大分広々とした印象。ニリンソウの小群落が所々にあり気持ちよい。南側から登ってきたらしい家族連れも登ってきた。  12時前に到着。山頂の神社にお参りして,記帳する。見るとほとんど千曲市の方だった。独鈷山のノートなど見ると割合広い範囲から来ているが、こちらは少ないようだ。三角点は三等だった。「更級や 姨捨山の月ぞこれ」という高浜虚子の句碑があったが、山頂で詠んだ句なのだろうか?姨捨駅の下にある月の名所の寺(棚田の上)あたりで詠んだものか?
 八頭山から大林山の方が南に見える。南西の四阿屋山あたりも良く見えたが。今日は上空は曇っている。小学校の遠足当時南側はカヤトか畑のようになっていて、少し下に農家の小屋のようなものがあったような気もするが記憶は定かではない。頂上直下の南斜面は現在は林となっているが、果樹のような木も生えているところを見ると、やはり昔は農地か何かだったのだろうか。  北の善光寺平側の眺望がなんといってもすばらしい。中央に千曲川が流れる。風が強く山頂は寒々しかったので、すぐに駆け下りる。30分くらいで駐車場所まで下りられた。家には一時頃到着できた。(2007,5,20)

 最近アーネスト・サトウの日本旅行記1、という本を読んだら、1879年(明治12年)12月27日、松本から善光寺にいたり、甲州にぬけた時、この冠着山に登り、北信五岳の方のスケッチを残していた。すばらしい純白の雪峰、とあり、翌年、飯縄山や妙高山に登っている。印象に残った風景だったのだろう。ウエストンの碑が保福寺峠に建っているなら、こちらにもアーネスト・サトウに敬意を表してスケッチ図の碑でもたてたらどうでしょうか。(2009,2,9)
2010年4月 戸倉のさらしな神社からの登山道が開かれた。これは累積標高差1000mくらいある本格的なものです。ブログにのせたのでご覧下さい。
 「上小30山のブログ」
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