聖山(ひじりやま)1447m


 この山の北側に住んでいた小さな子どもの頃の私にとって、この山名は奥深い山という印象だった、大きいお兄さん達がキャンプする場所?でもあった。その後開発が進み、若い頃には、山頂の北側のスキー場へ行った事もあり、また坂城町の小学校に勤務していた時には、子ども達をキャンプに引率していった事もある。北側は山頂まで車でも行けば行かれるような感じで、登山対象の山とは思っていなかった。しかし一等三角点のこの山はその横に長い山体が上小の山々からもよく見え、また筑北の山々に登ってみると、南側から見たこの山は独特の存在感を持っている事が実感された。二万五千図を見ると、南側から聖峠という所へ登る道が、かろうじて登山になりそうな道に思えた。道がかなり上まで行っているので、大して時間もかからないだろうと初春の朝出かけた。
 (写真は、三月末に登った立峠から見た聖山。南側から見ている。)
 朝8:30に家を出た。麻績まで行き、信濃33番札所1番の法善寺前を通り、坊平という地区を上がっていく。ちょっと東御市の奈良原のような感じの場所である。さらに上がると、別荘地帯に入り、しばらく行くと写真の標識があった。丁度地図の聖峠の下なので、登山道として生きている道があることが分かった。ちょっと上に車を置き出発。9:30頃。  しばらく別荘地帯のコンクリートの道だったが、登山道入り口があり、よく手入れされた山道となる。道端や斜面には福寿草がぽつぽつと咲いている所がある。きつつきのドラミングが聞こえる静かな山道だ。もっとこの雰囲気を味わっていたいなあと思って登っているうちにもう稜線が近づいて来て熊笹が出てきた。
 稜線に出るとそこが聖峠だが、そのような標識は無かった。信濃自然歩道の大きな看板が立っていて、三和峠へらしい道もよく手入れされていた。しばらく行くと、北斜面に雪が積もっていた。例年ならもっと積もっているところだろう。  快適な尾根道で、しばらく行くと山頂東のピークにつく。東屋が建っていた。気持ちよい落葉樹林帯で、カラ類などの野鳥の声も春の気配を感じさせた。さらに頂上付近で、ウグイスのホーホケキョが一回聞こえたので驚いた。頂上は目の前だが、リフトの頂上下り場がちょっと下に見えたり、アンテナ類が何本も立っていたりするのが目障りだ。(この写真は帰りに山頂側からとったものなので、左側が北になります。)
一等三角点のある聖山山頂に着く。登り口から1時間くらいか。ほぼ360度見渡せる絶好の展望台だ。やや春霞気味でそれほどクリアーには見えないが、空気が澄んでいる時など展望好きには推薦の場所だ。三角点はコンクリートで周りを保護されていた。「続々展望の山旅」の聖山のところを見ると、この一等三角点は重要な位置をしめている事が書かれていました。写真は西方、鹿島槍ヶ岳などの後立山。  左の写真には写っていないが、このように周囲に色々なアンテナ類が立っていて、また道路も北側から上がってきている。おまけに展望版に貼られた山のイラストと山名表示の物が、無残に引き破られていた。
南の方。一番上の写真を撮った場所の立峠あたりが見える。 北東の方、さらしな30山に入れてあり、これから登ろうと思っている高雄山や篠山が見える。
登り口まで下りてきて、車に乗り、坊平の方に下りずに、少し西より中腹の福満寺の方に行って見た。福満寺の解説版を読むと、聖山が山岳宗教的な寺院が盛んだった場所なのだと分かる。それで「聖山」(ひじり山)なんだ。現在のお寺やお堂の上の方の杉林あたりに寺院があったのだ。南アルプスの「聖岳」の語源が(聖)と関係ない言葉から転用されたと日本百名山にあったような気がしていたので、この山が文字通りの「聖」の山とは意識できないでいた。南側から見てだんだん「聖」的な予感がしてきたが、これで納得できた。  お堂の前あたりから見ると、二万五千図にある崖マークの崖が見え、ここに中世に栄えた修験道の寺院の立地が頷ける。
 現代、聖なる山の山頂にケータイ用だかテレビ用だかの塔たくさん建って汚され、展望版を破くような人心の荒廃が広まっているのを中世の僧たちは想像できただろうか。
 家には、12:20頃帰りつく。
(2007,4,7)
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