虚空蔵山(こくぞうさん)1139m 付・立峠、唐鳥屋城跡1079m


 虚空蔵山の台形の特徴ある姿は、四賀村(今は松本市)を通り抜けるたびに目につき、いつか登ってみようと思っていた。今日は春分の日で休日、天気も良い。こんな日登らないともったいない。10:20頃家を出て青木峠を越え、先日の大洞山の登り口だった会吉の集落を通り過ぎ、会田川の左岸に出来ている広いバイパスを下り始めると右手に虚空蔵山が見え出してきた。信州山学クラブや山岳巡礼のHPを見て事前に調べてきたので、登りやすそうな東尾根から登ることにしている。また、簡単に登れそうなので、立峠へも行って見ようと思った。バイパスから曲がり原山集落を抜けて風越峠への道に入る。
四賀有機センターの所から入って少し行った所に登り口があり、そこに車を置いて登りだす。ここまで家から一時間ほどかかった。登山道はハイキングコースのようにしっかり整備されている。枕状溶岩があったり、南側が崖になっていたりして、楽しく登れる。しばらく登ると、展望も開ける。写真は御鷹山から入山の西側がよく見える場所。左下に見えるのが有機センター(堆肥を作る所らしい)右下の方には、ここにはよく写っていないが、今話題のクラインガルテンが、団地のように見える場所もあった。
(帰宅後調べると、信州松本・四賀クラインガルテン)のHPがありました。
 快適な尾根状の部分をしばらく行くと、登山者が一人下りてくるのに出会う。登り口に駐車してあった長野ナンバーの人だろう。大きいカメラを持っていたので、写真目的かなと思われた。山頂を平らに削ったような地形の山城跡に到着。北アルプス、聖山などの展望が広がっていた。アルプスはやや雪雲がまとわりついているような感じだった。
 30分ほどであまりにもあっけなく登れてしまったので、少し物足りない感じがしたが、立峠の方も行ってみようと思っているので、そそくさと引き返す。
山頂から、いつか登ろうと思っている岩殿山の方を撮っておこうと少し望遠で撮った写真を帰ってから見てみると、この後登る「唐鳥屋城跡」がすぐ目の前に見えていたのだった。
 この時は全然気がつかなかった。左中ほどに見えるはげた場所です。
 登り口まで下りてきて、車に乗ると、立峠へ行こうと、岩井堂への道に入る。するとそこは本町、会田宿の表示があった。街道ぞいに結構整備されていて、美しい町並みで、感心する。妻籠宿のような商業的な復元ではなくて、昔の雰囲気を無理なく現在の景観に生かして暮らしているように思えた。すばらしいです。
本町を出た場所に、善光寺常夜灯があった。江戸時代、暗闇につつまれる宿場のはずれに、暗闇の中にこれがぼんやり光をはなっていたのだろうか。さらに登って岩井堂の所にとまり、岩に彫られた石仏などを見て、さらに花川原峠へ向かって行く。道は舗装されている。  虚空蔵山への登山口の表示を過ぎて、しばらく行くと、立峠への標識があった。反対側の道の脇に解説版があったので、回り込んでみると、大きい馬頭観音の石仏だった。舗装道路側からは仏像の後ろが見えてしまうので、車でサッと通り過ぎてしまうと気づかない。解説板によると善光寺街道中最大の馬頭観音とのこと。
登りだしは、単なる山道でしたが、標識はちゃんと付いていて、峠の頂上付近は古道の作りが残っていた。15分くらい?で登りつくと、そこは広場となっていて本城村教育委員会がたてた解説版によると「立峠の頂上で、聖山方面を望むと、これから進む善光寺への道も見え、「あの山を越えれば善光寺平だ、まずはここで一服」といった場所である。茶屋は「みたらしや」がいちばん大きく、ほかに三軒ほどその跡をとどめている。」とありました。本当に聖山がそんな感じに見えました。乱橋宿の方への道は林道のように車のわだちも見えました。解説版の半分には「唐鳥屋城跡」の解説もあり、尾根を東に道がついていました。そこで、すぐ行けそうなので登ることにしました。  二万五千図の1079mの標高点が唐鳥屋城跡でした。虚空蔵山山頂部が写真の様にすぐ近くに見えました。やっと腹が空いてきたので、お昼としました。出掛けにお釜の中に残っていた山菜混ぜご飯をタッパーにつめて持ってきたのを食べると意外においしい。
 「樺の株 一つありて 飯を食う」
唐鳥城跡から聖山、四阿屋山の方を見た所。筑北村のかっての街道のかわりに長野道の高速道路が走っていて、何となく車の音も聞こえるような感じでしたが、ここ立て続けに筑北地区の山々を登ってみるとこの地区のよさがだんだん分かってくるようでした。
 立峠の入り口まで戻ってきました。時間は二時半くらいだったでしょうか。馬頭観音をもう一度大きく写して来た道を戻りました。
 帰りに、バイパス道端から虚空蔵山南側正面?を見た所です。三時半頃家に到着しました。
 (2007,3,21)
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