城山(じょうやま)1022m   (麻績にある城山)


さらしな三十山を決める時、2万5千図の麻績(おみ)を見たら、城山が二つあった。そこで登山の対象になると思われる高い方のこの山を選んでみた。その後家にあった本、「山城紀行」清水長久著や「信州魅力の山と湯」丸山晴弘著 を見てみたら、両方とも有名な山城跡で、905mの方は青柳城という城で復元もされているとの事、こちらも麻績城という歴史ある山城跡ということが分かった。登山にも歴史探訪にも良いし、サッと行っても簡単に登れそうだ。というわけで晴天の日曜日、家を10時に出発、麻績には30分かからないくらいで到着した。写真の一番高い所が狼煙台(三角点1022m)中央右よりのピークが登りついた所。左側の頂上部全体、山城跡。
 山城紀行によると町の通りぞいに麻績城入口の標識がある、とあったが見落として、信濃一番札所「法善寺」へ入ってしまった。その入り口には「反古塚」というおもしろい石碑があったが何かいわれのあるもののように見えた。「魅力の山と湯」の方には法善寺の横をさらに登っていって北側から登ったようになっていたが、「山城紀行」では麻績の町の方、南側から登るようになっているので、そちらを選ぶ。
 麻績の町の通りを東に戻るが、麻績城入口の標識が分からず、ちょっと行くと、城山の方へ入っている舗装道路が見えたので、入って行く。畑ぞいにしばらく行くと舗装は無くなり、行き止まりのちょっと広い場所に軽トラが止まっていたので、その横へ駐車して山道を歩き出す。
 麻績城登山口のような標識は無く、畑になってすぐに道が無くなった。稜線もすぐ近くのようだし、下ヤブも少ないのでそこから左に直登で稜線をめざす。
 ズボン下をはいてきたら暑くてたまらない。汗だくで登って行くとガケの下に出た。ここが一番上の写真の中央右よりの岩壁のようだった。左に回りこんで、急斜面を木をつかんで登って稜線に出た。木の間に聖山の方が、大きく広がって見える。右手に登ると、ガケの上の石祠のあるピークに到着。事前に見た「山城紀行」により、南西の方に見えるのが城郭跡で、北の三角点のある高い方が狼煙台だろうと思い、三角点に向かう。。
尾根上には踏み跡があり、下から登りだしてから、40分くらいだったろうか、三角点のある1022mに到着。カラマツなどの林に囲まれて展望は無いが、北に聖山の大沢ダム、東に冠着山が木々の間から見える。動物の気配はあまりなかったが、タヌキのため糞が踏み跡上に二箇所見えた。 石祠のピークに戻り、さらに稜線を下ると、狼煙台と城郭の最低鞍部に出た。するとそこに標識と、南と北から登っている登山道が見えた。これが二冊の本にあったそれぞれの道だろう。
麻績城の案内図があり、そこから山道を登って城の方へ登る。城は943mである。
最初の郭跡には大きな松があり、その隙間から南側が見えた。四阿屋山が大きく見え、しょなら峠の向こうには子檀嶺岳の特徴ある山頂部が見えた。長野道や篠ノ井線も見える。下界の音がここまで聞こえる。 かなり細長い山頂部を西に進むと、本郭跡地に着いた。麻績城跡という麻績村教育委員会の建てた標柱があった。下っていくと分かったのだが、この標柱は、入り口からずっとここまで案内してくれるものであった。事前に読んだ本やテレビ「風林火山」のせいか、「つわものの血の浸み込んだ郭跡」と浮かんできた。
参考文献 信州「魅力の山と湯」丸山晴弘著 信濃毎日新聞社
       「山城紀行」ー千曲川周辺の山城を歩くー 清水長久著
鞍部まで戻って、道にそって南側に下ると、東屋のある登り口にすぐ出て、なあんだ、ここまで車で来ればすぐじゃないか、と分かる。写真中央部右手にとても小さく東屋が写っている。左手山頂が城跡。中央上が鞍部。ここから林道を下りると、結局町の通りまで出てしまった。そこに例の白い標柱、麻績城入口があった。街の道を長靴とナップザックスタイルでしばらく歩いて、また一つ東にある舗装道路へ入り、車まで登りなおして、一時頃車に到着。2時間の登山活動だった。ちょっとした尾根を一つ間違えて登山道より東側から登ったのだが、もし間違えないでいたらちょっと物足りない登山だっただろう。その場合、「魅力の山と湯」のように青柳城跡と組み合わせればいいのかもしれない。ちなみに青柳城址はアルプスの大展望があるそうだ。家には1時40分頃帰着した。(2007,3,4) さらしな三十山へ      TOPへ