まだまだの日本百名山(最も最近登った日本百名山の紹介)


 「深田久弥の日本百名山」は、30代後半に知って以来、完登を意識したり、意欲を失ったりしてきましたが、53才の現在、退職まで7年間、世間では色々言われていますが、山好きの体力、気力、健康管理の目標として完登を目指すことはやはり意義があるのかなあと思い出しています。江戸時代に、はやったらしい「西国、何十何番札所めぐり」みたいなものの現代版とも思えます。現在数えてみると、61座登っています。年間平均3座くらい登っている事になります。このペースで登っていくと、退職時18座残ります。退職すれば時間的には余裕が出るので、3年位で完登できるでしょう。・・・・という「獲らぬたぬきの皮算用」なんですが・・・。取りあえず最も最近登った百名山をお伝えします。といっても年間3〜4座が精一杯、しかも家の近所の長野県周辺の百名山はほとんど登っているので、その数を持続するのも難しいかな?更新は半年に一回くらいとなることでしょう。(2003,11)
 上の文を書いた時は、まだまだ時間があると思っていたらもう60才、定年退職です。日本百名山はその時とほとんど変らぬ65座のままでした。定年退職してしまったので、時間はあるが、今度は資金難で完登はどうなのかな?目標を200名山、300名山に変えて、登頂数を増やしていく、という作戦もあるかな、と思っていますが・・。(2010、4,7)


68座目  赤石岳3120m (2011,9,12、13、14)

  今年の夏山は、体調への不安などから、97座までいっている信州百名山の残り(光岳、鋸岳、赤石岳)などにも登らず、このまま行くと、今年は全然目標が進めない事になってしまう。山については、ただ空しく年をとっていくばかり。これではいけないと思った。ちょうど安定した晴天が続くようだ。はじめ光岳を考えたが、易老渡までの道が台風で崩れて通行不能になってしまった。長野県側からの赤石岳も考えたが、私には大変そうだ。静岡県側の赤石岳方面はアプローチに影響があったようだが、大丈夫そうだ。東海フォレストのHPのコースタイムを見たら、椹島(さわらじま)〜赤石小屋からの大倉尾根のピストンの赤石岳ならわりと簡単そうに思えて、そのコースで登ることにした。この辺りは悪沢岳から赤石岳と一周してくる人が多いのだと思うが、一人で山中2泊する気は起きなかった。

 私は、家の周りの低山や県内の中級山岳くらいまでは、平気で一人で歩けるが、アルプスや信州百名山の難しい山などは、弟や「山岳巡礼」の根橋さんと一緒に登っている。これは体力的にも精神的にも自信が無いからである。今までアルプスの単独行といったら仙丈岳や立山(雄山〜別山)くらい。それも日帰りであった。今回は単独で行かざるをえなくなり、いつもより不安もあり緊張していた。そんな訳で、麓で一泊した方がいいだろう、とネットで探した畑薙第一ダムの近くにある赤石温泉白樺荘に前夜泊(12日)することにした。
 12日は朝、8:30に家を出て、山梨県の国道52号線、静岡県に入り国道1号線静清バイパス、国道362号線で千頭へ、(通常使われるらしい県道27号線は台風の影響で不通)そこから井川を通り、この白樺荘へ午後3:30頃着いた。7時間かかった。
 施設は新しく、温泉もきれいだった。床が変わると良く眠れない私だが体は休めることが出来た。12日(月)夜、宿泊者は3名だった。13日朝、出発の前、山の方を見たら、特徴ある山が見えた。後でそれが「茶臼岳」だと分かる。
 白樺荘から車で5分くらいの場所にある、東海フォレストのリムジンバス乗り場と駐車場。車の数はわりと止まっていたが、今ですらこのくらいなら、夏などはすごいことだろう。こちらに来て気づいたが、井川観光協会のバスも聖岳登山口までは走っていた。帰ってからネットで調べたら、今年から運行され出したようだ。時間になり始発8:00のリムジンバスが来た。10人程度の人が乗った。登山届けは前日、この場所の下見にきた時に、ここから用紙を持ってきて宿で書いておいたのでそれを出した。
 これは、帰りに、上流の赤石ダムの付近をリムジンバスの車窓からとったものだが、道に沿った紅葉シーズンにはそういう目的でも使われているようだ。運転手が色々とガイド風でなく雑談風に説明してくれた。畑薙第一ダムから見える山は、上河内岳、茶臼岳、仁田岳、など去年の夏に弟と歩いた山々の稜線が高くに見えた。また、途中、聖岳の見える場所もあったり、赤石岳の山頂部が見える唯一の場所の道端に、「ライブカメラ」が設置されていて、静岡市のHPに赤石岳ライブカメラとして出ているそうだ。帰ってからネットを見てみると、ライブカメラの四季の良い写真なども載っていた。それは、ここの道端にあるカメラ映像という事なのだ。(なお調べてみたらこの赤石ダムは平成2年完成とあった。)
 発電所などの説明では、大井川の全水力発電の合計が70万キロワットくらいで、「浜岡原発1基分」より少ないそうです、と言っていたが、それを言うなら「火力発電所1基分」と言うべきだろう。原発がすばらしく必要と言う刷り込みは色々な所で人々の頭にされているのだろう。
 これも帰りのリムジンバスの車窓から撮ったものだが、ものすごい崩壊が色々な所で起こっている。7月の台風、先日の和歌山県などに被害を与えた台風、などでも、道端のそこらじゅうが崩れたそうだ。道路脇にその跡がたくさん残っていた。また、道路脇には「かわいい石があります。」という運転手の説明によると、20トンくらいの石が道横に置かれていて、それによると、3月の地震の時に(シーズンオフ)落ちてきたらしいとの事だった。
 とにかくヨーロッパアルプスなどと比べても、「グズグズ」の崩れやすい険しい山々なのだろう。そういった日本の激動している地質の特徴が実感される場所だった。
 なお、東海フォレスト関係の山小屋宿泊者だけバスに乗せる、という事は、儲け主義でやっているのではなく、道路が東海フォレストの物だからというわけでもなく、役所から特別の許可を得て、営業は出来ないが登山者の便宜をはかっている。道路整備も、そのために運行者がやらねばならず。(ちゃんと公共団体が管理する道にするには、予算が大変で出来ない?)お金がかかりすぎるので、登山者にも道の整備のための協力金をいただいているというような事だそうだ。(赤石小屋に説明文があった。)たしかにこんな道を登山者のために維持していくのは、儲け仕事ではないと感じた。聖岳登山口までは道の種類が違うので、今年から井川観光協会のバスが運行されだしたようだ。(山小屋の文をうろ覚えで書いているので本当に合っているか自信は無い。)
 千頭から畑薙第一ダムに来るまでも、同じような地形で、ダムなどがあり、大井川の電源開発が戦前から行われてきた様子が しのばれた。今年はウイキペディア「日本のダムの歴史」を読んでブログに書いたが、電源の歴史というのは国家も関わった巨大プロジェクトで、現在の原発にもつながっていく問題をかかえてもいるように思う。
 今回、大井川ぞいの地帯を車で走ってみて、かっての国策電力推進地帯の遺跡とも感じられる山奥の不思議な場所に感じられた。
 また、東海大地震の時、原発もそうだが、ダムなども本当に大丈夫なのだろうか?などとも感じる道路だった。
 
 ガタガタ道をゆっくり走るので、それほどの距離ではないと思うが、1時間かかって椹島に到着。
 椹島(さわらじま)は、広々とした谷あいの平地に、宿泊棟や売店、食堂、キャンプ場とそれらのための施設などある東海フォレストの施設である。会社関係の施設などもあるのだと思うが、広々とした構内といった感じで、どれがどの建物なのかは良く分からない。乗客は降りるとトイレなどに行ったり身支度を整えてそれぞれに出発していった。バスの運転手が無線で報告するのを聞いたら、赤石小屋へ向かう人は3人との事だった。
 バスの終点の売店前から、少し斜面を登り返して、道路脇の階段が登山道入り口だ。出発した時間は9:25という事か。この階段の右側に大きな案内板があり、コースタイムが記入されていた。チラッと見ると、5時間以上かかるように書いてあった。家を出る前に山渓データブックを見たらやはり4時間50分。どれも東海フォレストのHP4時間20分より長かったが気にしないでいた。きっとちょっと古い資料で、4時間20分が一番正確なのだろう。植林帯をジグザグに切った道を登りだすと、どんどんと先に登っていった人がいた。もう一人、私と同じゆっくりペースの人がいた。荷物も多そうだ。その人が休んでいたので追い越すと、「きのう車中泊したがよく眠れなくてバテそうだ。」と言う。これはよい同行者ができたとひそかに思って同じくらいなペースで登っていた。
 針葉樹の植林帯を過ぎると、尾根にのって、山地帯の広葉樹や針葉樹の混じった植生の道になってきた。帰り道に余裕もでき、林なども何となく見ながら下りてきたが、標高2300mより下は、信州百名山の大鹿村の「鬼面山」1889mの植生に良く似ているなあと感じた。今これを書きながら地図を見ると、水平距離15km離れているくらいの同じ緯度にあるので、似ている訳だ、と分かった。 
 2万5千図を見ると、登山口から標高差550mくらい登った所に、林道と交差する場所が二箇所ある。トラックでも通れるくらいのものかと思っていたら、こんな程度のもので、林道は登山道以外の場所はもう無くなってしまいそうなものだった。前半はここまでくれば、目途がつくか、などと考えていたが、ここまでもなかなか到着しなかった。アルプスの中では登りやすい道だと思うが、一人で歩く不安感もあり、余裕で登る、という感じではない。下山してくる人は全くいない。先ほど一緒のペースで歩いていた人は見えなくなり、ちょっと心配になった。だが人の事を気にしている余裕など全く無い。ゆっくり登り続ける。
 地図を見ると、林道跡と交差する所を過ぎて、標高差100m位のぼり、2027m付近で、少しゆるやかになってさらに明瞭な尾根にのるようになっている。その辺りになってくるとシラビソやコメツガなどの林になり、標高も上がってきた感じだ。下の沢の音もすでに聞こえなくなった。なだらかではあるが、急になる部分もあったり、だんだん自分が地図のどの辺を歩いているのか分からなくなってくる。こんな時に、GPSなど持っていると単独行の目安になるかも。(体力があってガンガン登れたら、そんな必要もないが)とはいえ、汗びっしょりとはいえ、夏のように汗が噴出し、たえまなく水を飲みたくなるような感じではない。やはり吹く風に涼しさがあり、林で日陰なので、夏の気温、湿度とは違っている。50分くらい歩いては5分、6分休み、くらいなペースでゆっくり登っていった。休むと疲れがとれてくる。
 登山口近くの5分の0から始まって、この標識が距離の目安になっている。ただし私にとっては、中々現れないので、よい目安にならなかった。10分の1位から始まる標識の方が登りの目安にはなる。この方が数が少なく、うるさくついていない南アルプスらしい良い標識なのかもしれない。この標識を見たときは、半分は過ぎたか、とややうれしくなった。しかし、だんだん休んでも疲れがとれないような感じになってきて焦りを感じ出した。普段のトレーニング不足であろう。上から下りてくる人には本当にたまに出会う程度だった。静かな林の中、時たまカラ類の鳴き声が聞こえたりする。
 やっと最後の標識になった。この標識が出てくるあたりから、次第に高山帯の岩稜的な部分も出てきて、小屋の手前の尾根上の2563mの三角点ピークを目指して登っている事が分かる。岩の隙間には亜高山植物の花畑があったように感じられる場所もあったが、サラシナショウマ?がポツポツ咲いている程度だ。登りきった感じのピーク状の地点にあった小屋まで30分という標識からは特にもう直ぐ、と思うせいか、まだかいな、といった感じがした。これを作りながら写真の時間を確認すると、この標識はゆっくり登った時の約1時間位の間隔を目途に作られているのだ。最初からその事をパッと分かって意識して登っていれば、標識は、まだ出てこないな、などとあせらなくてすんだのだ。やはりオレは計算が出来ない人だ。
 自炊小屋(昔皇太子が登った時に泊まった場所と小屋に書いてあった)が現れたと思ったら、直ぐに、赤石小屋に到着した。相当疲れてきたが、それでもバテ切らないうちに小屋まで到着する。休憩も入れて4時間40分くらい。ちょうど東海フォレストのHPのコースタイムくらいなわけだが、体の感じとしては、登り口の看板に書いてあった5時間以上の感じが合っている気がした。夏のこの時間帯に一人で登ったならバテていたと思う。
 小屋前で休憩している登山者のご夫婦と挨拶を交わす。受付をして中に入り、言われた場所に荷物を置いた。一つの区画の中に私一人だけだった。結局この日は、赤石小屋全体で7,8人の人が泊まっていただけである。私は、7,8月のアルプスの山小屋しか経験がない。一区画の畳一畳分に1人から2人くらいが詰め込まれ、鰯のかんずめの様になって寝る体験しかないので、本当に新鮮な感じがした。私の寝た部屋にも、もう一人後から来て、その部屋は二人だけであった。もちろん隙間は十分で伸び伸びしている。小屋にある山渓2011年版を見たら、こちら周りのコースと小屋の紹介が書いてあり、小屋の人は若夫婦らしく、アルバイトの若い男性が他に一人いるだけ、お客も私やそれ以上の高年組と学生風の若者一人くらいで、のんびり落ち着いた雰囲気で気を使ってもいただいた。9月など勤めている頃は運動会で忙しいシーズンで、登山など思いもよらない事だ。退職後仕事をしていない事に何か引け目のような物を感じる事もあるが、今回、時間の自由を得たリタイア後の幸せを本当に感じた登山でもあった。
 しばらく横になってから外に出てみる。登山口で先に登って行った人は若い人で、いったん先の小屋を目指したが、引き返してここに泊まるようにしたらしかった。登りだしで一緒のペースでいて、そのうち遅れて見えなくなって、心配した人は、途中足がつっちゃって、と言って、私より1時間半ほど遅く着いた。でも、そういう事態になっても落ち着いて何とか回復させて登ってくる精神力に感心した。私ならあきらめて下山してしまうところだろう。
 明日は、小屋から山頂まで3時間。標高差も600m位、大したことはない、と家で机上で考えていたのと違って、ここから見る山頂は、はるか彼方にそびえて気力がそがれる。しかし見たところそう感じるのは今までもアルプスで体験しているので、まあ、何とかなる、とも思っていた。若い人にコースが、ここから見える場所の、どの辺りをどう通っているのか聞いて見たりした。悪沢から回ってきた人達がポツポツと到着した。小屋に到着した時に休憩していたご夫婦は、千枚小屋、荒川小屋と泊まって、ここに泊まるようだった。聞いて見ると松本の人で、中央道周りで駐車場まで、やはり7時間かかった、と言っていた。残りは千枚小屋から回ってきた人達だった。千枚小屋から一気に回ってきた人達はさすがに疲れたような感じだった。
 地図を確認して、明日のコースを考えて見た。椹島発の最後のバスが2;00だ。それまでに椹島まで下山しなければならない。兎に角、早く出よう。しかし小屋の人に聞くと、5:30くらいにならないと明るくならない、と言っていた。夏に弟と行くときは、必ず4:00前には歩き出している。朝の気温が低いうちが、知らぬ間に距離がかせげて良い。夏山では、そんな行動をとる人もポツポツいる。でも、今は暗いし、同じような行動を取りそうな人もいないし。もし万一遅れたら椹島に泊まればいい、と思い直してあせらないようにした。天気は良さそうだ。松本の老婦人の話によると、夜、月光に富士山が浮かび上がってすばらしかった、との事。赤石岳頂上でも1時間以上いたという。そういった天気は明日も確実なのだから。
 山小屋ではいつものようによく眠れなかったが、夏の小屋のような人いきれや、寝返りも出来ないような狭さ。イビキのうるささ、などもなく、珍しく少しは眠れたような感じもあった。12時頃に外にあるトイレに行こうと外に出ると、煌々とした月明かりで、小屋の前はヘッドランプが無くても歩けるくらいだった。赤石岳のシルエットも夜空にはっきりと見える。これなら真っ暗より大分いい。夜明けが遅くても出発しようと決めた。
 3:40頃になり起きた。静かに小屋を出た。時間を見るためにカメラのシャッターを押す。これには月しかう写っていないが、山々のシルエットがくっきり浮かび上がり、周りの林は黒々とした影を浮かび上がらせている。オリオンのような明るい星が高く上がっている。だれか人と一緒なら、興奮したように「すごいな。」などと声をかけあっていただろう。ただ一人なので、風景を楽しむ余裕もなく、ヘッドランプをつけて出発した。富士見平までは樹林帯です、と言われているので、そこまでは特に心配な事もないだろう。ヘッドランプの明かりもそれほど明るくないし、最近目も悪くなってきているので、ゆっくりつまずかないように歩いた。突然、林の近くで、グギャー、というような警戒音がした。鹿かカモシカだろう。サルかな。警戒音ならすぐ止むと思ったが、けっこう鳴き続けて遠ざかっていった。ピーというような音もしたので、鹿だろうか。昨晩の白樺荘では鹿刺が夕飯に出た。
 富士見平らしい場所に着いた。ハイマツに囲まれた平らな所だ。まだ暗いので、フラッシュモードにして標識を撮った。横に遭難慰霊碑というようなものもあって、ちょっと怖い気分がしたが、帰りに見てみると戦前軍の飛行機が墜落した現場のようで、ちょっと山岳遭難とは雰囲気が違っていた。寒さも無かったので、着ていた雨具をぬいでリュックに入れる。
 富士見平からはちょっと下りになり、岩尾根っぽい場所のトラバース道となっている。これは帰りに撮ったものだが、登る時は、まだ暗いので、ヘッドランプの明かりで注意して慎重に進んだ。桟道があったり、事故も多い、などの情報が昨日見た雑誌や地図にもあったので、一人のせいもあり、緊張して進んでいった。
 5時くらいになると、大分明るさが出てきた。赤石岳に月が沈む所が面白かったので撮ったのだが、ちょうどこれが、出発時の肉眼で見た感じと同じくらいである。実際はもっとはっきりと周囲の景色が浮かび上がってきた。
 徐々に夜が開け、ヘッドランプの必要もなくなった。この岩尾根が山頂部に突き当たる所から、最後の登りが始まるのだろう。それも標高差300mくらいだから大したことはないと自分に言い聞かせる。
 振り返ると、太陽が昇ってきた。トラバースしてきた尾根の後に富士山が大きく見える。岩尾根の後が富士見平だから、まさに本当に富士見平だ。 
 尾根が山頂部に着いたあたり。山頂らしい方が朝日で赤っぽく染まっている。写真を撮るのは一瞬で、下をしっかり見て登る。山頂部の斜面に入り、斜面は高山帯の雰囲気で、右手からは水流もあった。さらに登ると赤石沢の源流のような感じの水流もあった。その脇を登山道は登っていく。さらに暑くなってきたので、上着も脱いだ。長袖の山用の下着一枚で登る。
 山頂部をジグザグに登る道は、槍沢の上部を槍ヶ岳山荘に向かって登るような感じの気持ちよい場所だ。家に帰って調べてみたらやはりこれはカール地形だった。上から下ってくるご夫婦に出会う。カールの中心に伸びている小尾根状の所に着く。ちょっと涸沢のザイテングラートに似ているような?小尾根とも言えない尾根だ。山頂の方に立っている白い標識のようなものも見えてきて、間近であることが感じられた。この尾根の上部は、霧などかかっていれば、岩のペンキを必死でみつけなければならない場所が一ヶ所あったが、こんな天気なので、全く問題なかった。
 尾根に出た。長野県側の眺望、荒川岳へ続く尾根など、良く見える。最後の山頂まで15分という所。黒部五郎岳の山頂へ向かう所を思い出していた。
 山頂に到着。ちょうどコースタイムくらいの時間だろうか。山頂には人は全くいなく、たった一人の山頂だった。兎に角、目的をはたして少しホッとした。でも、まだ2:00までに椹島まで下山しなくてはならない。
 聖岳の方向。昨年登った上河内岳の方向の稜線も見えたが、周囲の山を落ち着いて確認して楽しむ余裕はなかった。
 北の方向。小赤石の後には荒川岳、悪沢岳、その間の後は北岳や間ノ岳の方だろうか。荒川岳の後にちょっと頭が見えるのが塩見岳だろうか。荒川岳の左に見えるのが仙丈岳だとは家に帰ってきて地図で分かった。夏より秋はもっと近くに見えるのだった。
 兎に角、頂上避難小屋へ行って休む事にした。ここの雰囲気も、以前行った野口五郎岳の小屋付近に似ている。小屋に入ると中年夫婦の小屋番のようだった。、コーヒを頼んで、もって行ったアンパンを食べる。どちらから、と聞かれ、赤石小屋から、と言うと、それは大変でしたね、と言われ、ちょっと気分を良くした。ちょうどドリップコーヒーにパンの朝食という感じで疲れもとれた。トイレにも行ってこれた。帰りの水が心配で、もらえるか聞いてみたら、登ってくる途中のカールへ流れ込む沢水が飲めるとの事。そういえばいかにも美味しそうだった。ピント外れのお願いをしたものだ。小屋の前の鳥居に手を合わせて、帰るためにまた頂上へ戻った。途中2,3羽のイワヒバリが岩に止まっていた。写真に撮ろうとするが間に合わなかった。
 赤石岳の西側。長野県側の小渋川は延々と続いていて、大鹿村の大西山崩れの跡?も良く見えた。以前、鬼面山に登った時に、中央構造線博物館近くの橋のあたりから残雪のアルプスを撮った事があった。きっとこの辺が写っているのだろう。
 その写真を探してみた。2008年6月14日に撮ったものだ。あの時見ていたのが、赤石岳の山頂だったのだ。6月なので残雪がきれいだった記憶がある。右側が赤石、左側が小赤石、のようだ。長野県側にもライブカメラがあるといい。小渋川からの登山道が整備されたらいいのにと思う。
 東に目を転ずると、今朝登ってきたコースが良く分かる。富士見平の平らな感じ、そこから少し下った尾根上に赤石小屋も小さく見える。
 小屋の人以外、一人も人に会わない赤石岳山頂部だった。下り始め、ここはカール地形なのかな、と気づき撮った写真。小赤石からこちらの山頂部にかけて、かなり広いカール地形だ。でもかなり風化が進んで、すり鉢状のカーブの感じは弱い。ガイドブックなど色々なものに。こちらの赤石小屋のコースは下山道として軽く扱われているものが多かった。今回も山頂目当ての登山だったが、カールの中を突っ切っていくすばらしいコースだと分かり、思わぬもうけものをした気分だ。
 高山植物のお花畑は枯れていて、タカネマツムシソウやハハコの仲間がわずかに残っている感じだったが、夏は花も美しい場所になっているのだろう。
 登ってきた尾根の上部から流れている沢水を飲んでみた。冷たく美味しい。紅葉もちょっと始まっていたが、紅葉すればきれいな場所だろう。赤石小屋から登ってきた昨日の若者が元気にガンガンと登ってきて挨拶をした。昨日バテた、と言っていた人も全く元気そうに登ってきた。昨晩は良く眠れたのだろう。「もう、下るだけでいいですね。」と言われる。気分的にとても楽になってきた。
 富士見平近くまで下りてきて山頂の方を振り返る。付近にはナナカマドの木があり、赤い実があざやかだ。ホシガラスらしい鳥が飛び去っていった。メボソムシクイの声も、夏ほどではないが聞こえていた。
 ここからの悪沢岳や荒川岳は大きく見える。よくそちら側からの赤石岳が写真に載っているが、多分あちら側からの赤石岳の全体の姿はすばらしいのだろう。悪沢岳(と荒川岳)も千枚小屋を利用して、今回のこの赤石岳ピストンと同じ方法でも登れるな、と思った。ただ、荒川小屋付近の主稜線のお花畑などが見れないのが欠点だろう。
 富士見平から山頂方面を見る。右側のカール地形へと、沢のこちらから見て右側を登って、途中から中央の尾根状の上部に出て、稜線に出る道だった。
 山小屋まで帰り着く。荷物を少しでも軽くしようと、着替えた衣類や、余分なアメや、通じないケータイまで、袋に入れて小屋に預けていったものを出してもらう。冷たいジュースを買ってガブ飲みする。「もう山頂まで行って来たんですか?」と聞かれた。赤石岳のみのピストンなど無雪期に歩く人はあまりいないらしく、大体コースタイム通りに歩いているのだが、朝早く出ていったとは思わなかったのだろうか。「2時には全く余裕です。」と言われたが、それでもと思って用心のためすぐに出発した。
  下山は気楽になって、休憩ごとに水分をガブ飲みしたりしていたら、林道あたりになって、腹が痛くなってきた。やはり油断は禁物。でも夏山でのいつもの事だし、こんな体を酷使したので無理ないと思い直してゆっくり下り、長々休んだりして、結局、登山口の標識の場所に着いたのは、1時頃。でもやはりバスには余裕だった。
 椹島に降り立ち、登りには急いでいて見れなかった、道端にある大倉喜八郎の歌碑などを見たりしてロッジに到着。どこかに大倉喜八郎は輿に担がれて登った、と書いたあったような気がするが、88歳では、鍛えた登山家でもない実業家が自分の足で登ったのではないだろう。乗車券をもらってしばらくヘタンとなって待っていたるうちにバスがやってきて、乗った。
 帰り道、一昨日泊まった赤石温泉で風呂に入り、公衆電話から家に連絡した。(携帯はこの辺は全然使えないので)また、7時間かかって同じ道を帰った。途中、静清バイパスへ乗る手前でガソリンを満タンにしようとスタンドに入ったら、長野ナンバーを見られて、喜ばれて?カードが無くてもメンバーの値段で入れてくれたようで、親切にしてくれた。またいらっしゃいと言われ、静岡のスタンドに対するイメージが大分上がった。家に着いたのは10時半頃。慣れたせいか、夜道のせいか、行きよりも短く感じた。
 今回は一人で登ったが、南北アルプスのあまり険しくない登山道なら、一人で歩いて山小屋に泊まったりするのも、秋などならいいな、と感じた。また日本の自然のすばらしさ、いとおしさ、というようなものも改めて感じられ、こういったもの全てを一瞬のうちにだめにしてしまうような核の大爆発を絶対に起こしてはいけないという気持ちがさらに強まってもきた。(2011、9、15) 
登頂済みの68座 岩木山・八甲田山・八幡平・岩手山・鳥海山・月山・蔵王山・吾妻山・安達太良山・磐梯山・会津駒ケ岳・那須岳・巻機山・燧岳・至仏山・谷川岳・雨飾山・苗場山・妙高山・火打山・高妻山・奥白根山・武尊山・草津白根山・四阿山・浅間山・筑波山・白馬岳・五竜岳・鹿島槍岳・剣岳・立山・薬師岳・黒部五郎岳・水晶岳・鷲羽岳・槍ヶ岳・穂高岳・常念岳・笠ケ岳・焼岳・乗鞍岳・御岳・美ヶ原・霧が峰・蓼科山・八ヶ岳・両神山・雲取山・甲武信岳・金峰山・瑞牆山・大菩薩岳・丹沢山・富士山・天城山・木曽駒ケ岳・空木岳・恵那山・甲斐駒ケ岳・仙丈岳・鳳凰山・北岳・塩見岳・聖岳・九重山・開門岳・赤石岳
完登をめざす信州百名山へ