大林山、山頂への道


(写真・室賀から見た大林山)

上小30山を決める時まで、大林山へ登ろうという事は思いつかなかった。しかし意識して見ると中々よい山で、のぼり出もありそうだ。二万五千図には道が頂上まで書いてなかったが、とにかく室賀から山の正面?に向かって入っていく林道へ行ってみた。
 林道の終点から山道に入るが、沢ぞいに少し行くと道がなくなってしまっていたので、仕方なく引き返す。こうなると何とか登りたいと思った。
室賀小に以前勤めていた方に「道が無くなっているが」、とお聞きすると、「昔室賀側から登ったよ、登れるはずだがなあ。」ということ、道が荒廃して無くなってしまうことはよくある事なので、荒れてしまったのかな?と思って他の道を探す事にした。

 晩秋の土曜日、室賀峠側から尾根づたいに1081m地点まで行ったがまだまだ山頂までありそうで、踏み跡もはっきりせず、あきらめた。そこで、地図で見て、修那羅峠を越えて、坂井村側の林道を上がり終点から、尾根に出て登る事にした。
 次の日、林道終点の牧場のような所はアルプスや四阿屋山の展望がすばらしかった。そこから、尾根づたいに北へ向かい、すぐにぶつかった尾根(1300m)を東に向かいだんだん踏み跡もはっきりしてきて、頂上へ着いた。
 三角点はもちろんだが、焚き火の跡や、日清製粉山岳同好会登頂記念のクイがあった。だが、室賀側からの道は見つからなかった。北の稲倉沢の方からは道があるように見えたが。(1991年11月17日)
 その時は登頂した事に大満足で帰ったが、室賀側からの道が見当たらなかった事がどうも腑に落ちなかった。
 それから、2年ほどした時、雑誌「山と渓谷」に大林山の紀行文とガイドが出ていた。それには、室賀側の道が紹介されていた。地元の人間が東京で発刊されているガイドを見て登るのもなさけない?ことだと思いながら、さっそく当時中学生の次男と出かけてみる事にした。
出かけたのは冬休み中だった。
 車は砂防ダムの辺に止めて歩き出す。林道には雪が5,6センチ積もっていた。
 室賀小4合目の看板から少しした所、杉林の中に上に登る道があり、前はその登り口に気づかず通り過ぎてしまっていたのだった。ずっと直登して、尾根に出た。尾根手前から雪も10センチくらいになりけっこう、ツルツルして歩きつらかった。尾根上で休む。室賀小の看板は全然はずれていなかった。 尾根もけっこう急で、雪も積もって少々すべりやすく、結構苦労だった。12:00少し前、頂上の一角、坂城側の尾根へポッと出た。そこに9合目の看板もあったのに・・・、以前来た時は気が付かなかった。
 頂上は雪が積もり、焚き火の跡や木組み、記念の標識などもこの前来たときよりふえた。快晴だったが、少しもやがかかっていた。360度の展望で、後立山がはっきり見え、冠着山も間近に感じられた。
ラーメンを作ったり、パンを食べたりして休み、1:00少し前に出発した。木につかまって下ったが、登りよりは楽であった。私が生まれ育ったのは、現在の更埴市(長野市の南)だが、子どもの頃歩いた冬の裏山の積雪の感じを思い出した。車の所へついたら2:00頃だった。(1994年1月8日)(写真・頂上にあった室賀小卒業生の記念碑、と後立山の展望。中間の青い山は 麻績の聖山)
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