余里(より)の里,浅間岳(せんげんだけ)


 物見石山から東へ派生する尾根が北へ向きを変え,その尾根にはさまれた谷間に武石村余里地区があります。春には,花が咲き,桃源郷といったような場所です。物見石山からの尾根が東から北へ曲がってたどりついた末端,余里地区の中心の西に,三角点と二万五千図に山名のある浅間岳(993m)があります。武石村にこの春まで勤めていたM先生が卒業する6年生といっしょに三月に登ったという情報を得て,(詳しくはリンク集村ちゃんのページ)私も一人で登ってみました。登り口の公民館の横の田で働いていたお年よりのご夫婦に登り口を聞くと,M先生が下見に来た時,説明した方で,登り口はもちろんの事,天明頃の土砂崩れ災害の地形や浅間神社勧請の事,余里地区の事など親切に教えていただきました。地元を愛している気持ちが伝わってきました。(2002,4,20)

余里地区に入ると,右手に浅間岳が見えてきます。 余里地区は細長い谷に沿って川,家,山が美しく調和して絵に描けばいいような場所がたくさんあります。うぐいすが鳴いていました。 村ちゃんのページの情報で,余里公民館を目指しました。公民館前の停留所があり,すぐ分かりました。公民館上の鳥居と祠。 鳥居と祠の前の,コンクリートの道を,4,5m北へ行くと登り口があります。道の真中にひきがえるがおでむかえ。野鳥の声も色々していました。 公民館上の尾根を直登します。尾根は松と雑木林の境になっていて,落ち葉のたまった道というか溝のような急な場所を登ります。下に余里の谷が見えてきます。 登っていくと,こんな所にわらびが生えていて,おひたし1回分くらいの収穫がありました。
上部に近づくと傾斜が緩まります。10年ほど前山火事があったということで,こげた松の大木が立っていました。わらびがあったのも山火事の跡だからかな?やぶこぎという程ではなく快適な?登り。 上で,何か動物の気配がしました。足跡がついていました。鹿か,かもしかでしょうか。 頂上の近くに石の祠がありました。これが浅間岳神社でしょう。寛政の日付が彫ってありました。麓の鳥居のある木の祠の中にも,江戸時代の板へ書かれたお札があるのをおじいさんに見せていただき,よく腐らずあるなと感心しました。 頂上には三等三角点がありました。頂上はかなり平らな地形で,松と雑木が生えています。東の一部杉林です。展望は少しはありましたが,三月頃よりは無いようです。 また,まっすぐ下山してきて,登り口あたりから,北の方を見た所です。 公民館の少し南の道から撮ったものです。上り下りした尾根を見たところ。M先生の話では,北側の尾根を下るとなだらかでよい道で,丁度,余里入口の石碑の所に下れるよいコースがあると後で聞きました。登りもそちら側がいいかもしれないです。
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