5年がかりでWAJA達成
伝搬実験に備えて,7月29日(金)
3エリア1ポイントのアンテナをあげる
ために,JE3PZO藤原さんと千町ケ
峰へ移動しました.雷鳴のとどろく
中,11m高のタワーに11エレ×4×2
を取 り付け,一足先きに岩手県遠
野市移動のJR7JAL菊池さんとつな
がり,さらに宮城県ともコンタクトでき
ました.この時点でJE3PZO局は,
WAJA達成までに福島,沖縄の2県
とこぎつけました.
夜,千町ケ峰へ合流したJR3LPF
城下さんも念願の宮城とつながり,
WAJAへ沖縄1県となり,我々と並び
ました.好調な出足に各局はホクホ
ク顔で,城下さんは早々とジムニー
のルーフにたてた25エレ×2×2の
アンテナを撤去し,夜明けの4時に
南大東島のJR6SPI奥山さんとの
交信を成功させるため,淡路島の
洲本市へ向け,下山をしました.
残った我々はハイエースの中で
2時間ばかり仮眠してから,JR3V
GH吉田さんと藤原さんと3人で早朝
ミーティソグを開きました.「南大東
島や沖縄本島とつなぐのには,六
甲山が最高であろう」と話しがまと
まり,私とJR3VGHの2人は急拠,
千町ケ峰から神戸へと移動を開始
しました.
ジェミニのキャリアにルーフタワーと
25エレ×2×2を乗せて,中国道を
走っている時に伝搬実験が始まっ
て しまいました.
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13時過ぎに六甲山頂に到着.アン
テナの組み立てもいつになくスムー
ズに進み,アンテナ直下で測定した
SWR,パワーとも異常なしでした.
「吉田さん,今日は抜群ですよ」と
言いながら、のんびりとアンテナを
組んでいる最中に,洲本移動のJR
3LPF局が南大東島とつないだこと
など全く知りませんでした.
16時10分から,3−JR6のスケジュ
ール周波数(430.450MHz)のワ
ッチを開始しました.「JR3MIX/六
甲開局」と声をかけたとたん, 南大
東島との中継に入っているJH5 HT
E/5吉本さんから,「今からすぐに
洲本へ走ってはどうか」とアドバイス
が入り,初めてJR3LPF局が南大東
島とつながったことを知りました.
そして,ノイズの中で待機すること
20分.吉本さんから洲本の城下さん
へ「そちらではどのくらいで入っいる
?」
「RS31から41で入っている」
その直後です.
「・・・SPI・‥」 間違いなく奥山さん
の声が聞こえてきました.
「神戸入感!」
洲本から高知へ,「神戸入感」.
高知の吉本さんが「神戸入感か・・・
送れ送れ!」と緊迫した指示がとぷ.
「ピーク51,ピーク51,上がってきま
した.こちらはJR3MIX/3兵庫県神
戸,どうぞ!」
「は−い了解です.51ありがとう.こ
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ちらには52です.若干あがってきま
したね,ご苦労さん,おめでとう.
どうぞ!」
「ありがとう,59です,59です!」
奥山さんの「おめでとう」の言葉に
大きく声が震えました.つづけて送
る吉田さんの声も「59です.本当に
長い間ありがとうございました!」と
大きくはずんでいました.1000km
彼方の南大東島から太平洋上をは
るばる飛んできた信号とは思えない
くらい強カに入感してきました.
JA8VGZ藤沢さんと1979年8月12
日につながって以来,実に5年がか
りでWAJAを達成することができまし
た.あらゆる面で,日夜バックアップ
してくれた吉田さんには,御礼の言
葉もありません.また,JR6QYV仲
嶺さんやJR6YAG嘉手納ハムクラブ
のメンバーをはじめとする沖縄各局,
ならぴに南大東島の奥山さんのファ
イトには,ただただ頭が下がるばか
りです.
そして最後に,RS59+でつながる
ようなまるで神がかりのスケジュー
ルを組んでくれたJGIEKV福田さんを
はじめ伝搬実験委員会の皆様の努
力と情熱が最大の要因であったと
痛感しています.
なお,資材の提供にご協力いただ
いたJH3RVN局と沖縄に関する各
種情報を提供して下さった各局には
誌上を借りてお礼申し上げます.
(de JR3MIX)
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