人物登場
だれが430MHz帯で一定の地域の中 から47都道府県と交信できると考えて いただろうか.田路弘之(とうじ・ひろゆ き)さんは,これを7月30日の「430MHz 全国伝搬通信突験」中に沖縄県南大東島のJR6SPI奥山隆久さんと交信して, 兵庫県内から達成した. もちろん県内の高い山に登り,そこから 交信した所がほとんどだ.
移動運用を始めたのは,5年ほど前に JA3BD小野氏やJA3AX前野氏に誘わ れて,氷の山(ひょうのせん)から144 MHzを運用したのがきっかけで,すでに 昭和53年には144MHz帯で全県と交信 し,WAJA(Worked All
Japan prefecture Award)を受賞している.その後は、 1日で全国と交信するいわゆる1day WAJAを目指し,これを行うのに適当な移動地をさがすことになる. 「自宅からふもとまで車で25分で行ける 千町ケ峰に道があるのを見つけたのが昭和54年の春でした.このころはまだ2メーター中心で,430メガは名古屋ぐらいしか交信できていません」 |
この年にJR3VGH吉田利栄さんと知り合い,千町ケ峰に無線設備を常備して以来,移動運用を共にするようになった.「昭和54年8月12日に430メガで秋田と交信していたんです.この時,秋田から北海道へ電話をしてもらって,JA8VGZ 藤沢さんと交信できたんです.これから, 430メガに夢中になりました」8月14日にJIIUVPと交信し,国内の10 のエリアのQSLカードが集まって,430MHz帯のAJD(全エリア交信)No.5を獲得した.昭和56年7月25日には,コンディションにも恵まれて,FMで1日のうちに10のエリアと交信した.「WAJAには,2メーターの時と同じよ うに岩手,宮城がネックになると思いましたが,残ったのは福島と沖縄でした」福島県とは昭和56年8月16日に交信が済 み,この後は、沖縄県一本に集中する.ロ−カル局が沖縄にアンテナを送ったり,鹿児島へ中継するために出かけたりもしたが,これは実らず,今年5月にはスケジュール交信のために六甲山のホテルに泊まり込んだ. |
この時も沖縄の信号は聞えてこなかった.「沖縄本島との交信は四国山地がじゃまをして,兵庫からは無理だと思いました.その時JR6SPIと知り合い,21メガで連絡を取りはじめたんです.南大東島からですと,紀伊水道をうまく電波がぬけてくる」そして,もう一度6月5日,六甲山で沖縄からの電波を待ったが、これもダメ.ついに7月30日になる.
「これからは迷惑をかけた家族にサー ビスします.それから各エリアの皆さんの交信のお手伝いもしたいですね」と 最後に語ってくれた. 沖縄と交信できた日には,赤飯をたいて祝ってくれた奥様とお嬢さん,息子さんの4人家族.昭和16年生まれの42歳. お仕事は塾の先生.
(秋) |