医療過誤事例報告
気管切開用チューブに装着されていた人工鼻の酸素配管が外れその後酸素化低下したと思われるが酸素飽和度モニターを行っていなかったために気付かず、HR低下のアラームで訪室するとPEA状態で呼吸停止しており、その後低酸素脳症で遷延性意識障害となった事例
仙台弁護士会 弁護士 坂野智憲
仙台地裁平成27年(ワ)第600号 損害賠償請求事件
原告 ○○
被告 公益財団法人宮城厚生協会
<原告の主張>
第1 当事者
1 原告○○,医療被害を被った○○、事故発生当時75歳)の妻である。
2 被告は,坂総合病院(以下「被告病院」という)を設置・管理するものである。
第2 診療経過
1 入院までの経過
平成○年○月、○○左足第1指に壊死出現し,同年○月○日CLI(重症下肢虚血)治療のため被告病院に入院。
入院時の診断は,重症下肢虚血,慢性腎不全・透析導入後,陳旧性心筋梗塞・冠動脈二枝病変,僧帽弁閉鎖不全・うっ血性心不全,糖尿病。
2 入院後の経過
入院後,平成○年○月○日に下肢虚血に対する血管内治療及び同年○月○日に両第一趾切断術施行。
術後○月○日に敗血症性ショックを起こし、○月○日には心室細動を起こしたが蘇生処置がなされ,以後人工呼吸管理となった。
○月○日にも心室細動を起こしたことから予防薬であるアンカロンが投与されドルミカム(鎮静剤)などで厳重に鎮静。
○月○日には冠動脈狭窄に対しPOBA(バルーン血管形成術)実施。
その後も細菌感染による発熱及び炎症反応高値が続き、一時はDIC(播種性血管内凝固症候群)の状態となったが、抗生剤治療が奏効して、○月○日には覚醒し会話が成り立つようになった。
その後も肝機能値高値、炎症反応高値が持続したことから胆道系の感染が疑われ,6月10日にERCP(内視鏡的逆行性胆管膵管造影)+EST(内視鏡的乳頭括約筋切開術)実施。術後肝機能と炎症反応はピークアウト(峠を越す)。
度重なる感染は免疫力低下が根本原因と判断し腸管栄養への移行が試みられ、○月○日には腸管栄養が開始され、○月○日からはリハビリも開始された。
その後も熱発があり、○月○日に血液培養で緑膿菌陽性となるなど感染が完全に鎮静化されたわけではないものの、バイタルは安定し心室細動も出現しなくなった。
酸素化については気管切開チューブから酸素を投与している状態が継続。
3 ○○の意思疎通能力
○○は,本件事故までは,家族や医療従事者との間で,筆談・身振り・手振り・単語レベルの発語による日常会話が可能であった。
4 本件事故前日の状況
平成○年○月○日2時、spo2(酸素飽和度)88~95%、痰がらみあり、吸引にて白色痰多量に引ける、Fio2(酸素濃度)35%から40%にアップ。
2時30分spo2 90%前半で経過している、Fio245%にアップすると10ℓ酸素投与下でspo295~96%。
4時30分体温39.2度に上昇、シバリングあり、痰がらみあり、頻回に吸引実施している、spo292%。
10時30分××医師気切(気管切開)チューブ交換、カニューレに膿性痰付着多い。
12時56分の身体抑制カンファレンスでは,「過去に何度かNGチューブ自己抜去している。EDチューブやCV挿入しており、抑制は継続とする。」と記載。また看護記録には「肺うっ血によりガス交換の障害が起こる可能性がある、またはガス交換の障害がある」と記載。
13時酸素4ℓでspo296%。
18時13分体温38.6度、酸素3ℓでspo291~93%。
19時13分気管カニューレ挿入部から透明色の痰があふれ出している。気管内からも白色痰が少量吸引される。
5 本件事故当日の状況
○○は,平成○年○月○日午前2時に酸素の接続が外れている状態で発見された。発見時には自発呼吸なし、頸動脈触知不可、意識レベル300、心拍数30台、モニター波形PEA(無脈性電気活動:心停止の一種で心電図上は波形を認めるが有効な心拍動がなく脈拍を触知できない状態)の状態であった。直ちに心肺蘇生が行われたものの低酸素血症から遷延性意識障害(いわゆる植物状態)となった。
同日午前3時23分の看護記録には、「昨日朝からSATモニターは使用されていなかった模様。本日0~2時の間のどこかで気管切開用チューブに装着されていた人工鼻の酸素配管が外れた模様。その後酸素化低下したと思われるが感知できず、深夜HR低下でアラームがなり訪室するとPEA状態で呼吸停止していた」と記載されている。
6 被告病院の説明
平成26年10月21日,被告病院医師より本件事故に関し以下のとおりの説明が行われている。
「低酸素の原因は酸素配管が外れたこと,それに伴う低酸素→心機能低下→呼吸停止と考えている。酸素配管が外れた理由は,患者様の手が酸素配管に触れたこと。これまではミトンで上肢を抑制していたので酸素配管に手は届かなかったが,いつまでも拘束するのは可愛そうといった心情で拘束を解除していた。酸素配管が外れても,酸素飽和度(SAT)を連続して測定していれば酸素が外れたことを知る事ができたと考えるが,実際は心機能低下で脈が遅くなった時点で心拍異常アラームがなり,やっと事態に気付き蘇生が開始された。SATモニターを連続装着すべき病状の方であったが,モニターを頻回に外してしまう患者様であったので心情的に持続モニターを中止してしまった。1日4回の看護師巡視の際にSATを測定する状態であったので,その間に今回のようなことが生じると必然的に察知が遅れる。この点に関しては当院の管理に責任があり一定の保障をさせていただきたいと考えている。」
7 本件事故後の経過
○○は,平成27年2月7日,虚血性心筋症から血圧・心拍低下し死亡した。
第3 過失
1 身体抑制を解除した過失
(1) 酸素療法を行っている患者に対しては、気管切開用チューブに装着されている酸素配管が外れないよう厳重に管理を行うべきである。患者によっては、酸素配管を自ら接続を外してしまう事態も生じ得るが、そのような危険性のある患者に対しては、身体抑制具を用い、酸素配管が外れる事態を防止する必要がある。
(2) ○○に対する身体抑制の必要性
平成26年10月4日の身体抑制カンファレンスにおいて,「過去に何度かNGチューブ自己抜去している。EDチューブやCV挿入しており、抑制は継続とする。」と記載されていることから明らかであるが、本件事故当時,克夫が接続チューブを抜去する危険性があることが認識されている。かかる危険性に鑑み,身体抑制カンファレンスで,ミトンによる「抑制継続」とされたのである。
このことからすれば,被告病院は○○が自ら呼吸器の接続を外してしまう事態は容易に予見できた。従って,被告病院には,本件事故発生当時,○○の身体抑制を継続すべき義務があった。
(3) 身体抑制の解除
被告病院には○○の身体抑制を継続すべき義務があったにもかかわらず,本件事故発生時,○○の身体抑制は解除されていた。
○○の身体抑制を解除した理由につき,被告病院の医師は,平成26年10月21日,「これまではミトンで上肢を抑制したので酸素配管には手は届かなかったが,いつまでも拘束するのは可愛そうといった心情で拘束を解除していた。」との説明を行っている。
しかし本件事故発生当時,○○の身体抑制を継続する必要性があったことは明らかであり、看護方針として抑制継続とされているのであるから,「いつまでも拘束するのは可愛そうといった心情」は,身体抑制を解除する理由にはならない。
(4) 小括
以上のとおり,本件では○○の身体抑制を継続すべきであったにもかかわらず,被告病院はこれを怠っている。従って,被告病院の過失は明らかである。
2 酸素飽和度モニターを怠った過失
(1) 酸素飽和度モニターを実施すべき義務
低酸素状態が5分程度継続した場合,不可逆的な脳障害が生じ得る。従って,医療機関には,酸素療法を行っている患者に対し継続的な酸素飽和度モニタリング(酸素飽和度を監視し、低下した場合にアラームが鳴動するようにすること)を実施し,低酸素状態に陥った際に速やかに救命処置を施せる態勢を整えるべき義務がある。
(2) 酸素飽和度モニターの解除
平成○年○月○日午後7時31分の看護記録には「右手で前額部のSPO2モニターを外してしまうため,右手のみメガホン型の抑制帯を再装着する」との記載が存在する。すなわち,この時点では○に対する酸素飽和度モニターが実施されていた。
しかし,本件事故発生時,○○の酸素飽和度モニターは解除されていた。平成○年○月○日午前2時20分の看護記録には,「日中からSPO2のモニタリングされていなかったよう。」との記載があるから,本件事故前日から克夫の酸素飽和度モニタリングは解除されていたものと考えられる。
平成○年○月○日,被告病院医師より,「SATモニターを頻回に外してしまう患者様であったので心情的に持続モニターを中止してしまった。」との説明がされているが,かかる事情は酸素飽和度モニターを中止する理由にはならない。
(3) 小括
以上のとおり,本件では克夫の酸素飽和度モニターを継続すべきであったにもかかわらず,被告病院はこれを怠っている。従って,被告病院の過失は明らかである。
第4 因果関係
被告病院が○○の身体抑制を解除していなければ,○○の酸素接続が外れる事態は生じなかった。
また,被告病院が○○の酸素飽和度を適切にモニタリングしていれば,仮に酸素接続が外れたとしても,心肺停止前にバックアンドマスクで酸素を投与することによって,遷延性意識障害に陥ることを防止することができた。
従って,被告病院の過失と○○が遷延性意識障害となったという損害との間には因果関係が存在する。
なお,○○は平成○年○月○日に死亡しているが,被告病院の過失により○○が遷延性意識障害状態という後遺障害を負ったのであるから,本件事故後に○○が死亡したとの事情は因果関係の存否に何ら影響しない。
第5 損害 合計2400万円
1 後遺障害慰謝料 2200万円
○○は,本件事故当時75歳であった。
○○は,平成○年○月○日に被告病院に入院して以降,一時重篤な症状を発症したものの,本書面第2・3項に記載したとおり,本件事故発生当時は症状が安定し,家族や医療従事者との間で,筆談・身振り・手振り・単語レベルの発語による日常会話が可能であり,テレビの視聴もしていた。手足を動かすことも,端座位になることも,嚥下訓練も,車椅子での移動も可能であった。
しかし,本件事故により○○は遷延性意識障害となり,身体運動能力も意思能力も完全に喪失していわゆる植物状態となった。これは後遺障害等級表の「神経系統の機能に著しい障害を残し,常に介護を要するもの」に当たるので後遺障害等級第1級に該当する。
後遺障害等級第1級に該当する場合の相当慰謝料は実務上2700万円~3200万円とされている。○○には慢性腎不全・透析導入後,陳旧性心筋梗塞・冠動脈二枝病変,僧帽弁閉鎖不全・うっ血性心不全,糖尿病の既往があり,また事故当時感染が完全に鎮静化されたわけではなかった。この点を最大限斟酌しても,身体運動能力も意思能力も完全に喪失して植物状態となった○○の精神的苦痛を慰謝するには,○○がそのような状態となってただ見守ることしかできずに悲嘆に暮れた家族の精神的苦痛をも考慮すると,2200万円が相当である。
2 弁護士費用 200万円
因果関係を有する弁護士費用は,200万円が相当である。
3 原告らの相続
<争点>
1 ミトンでの上肢抑制が必要な患者であったかどうか
2 酸素療法を行っておりかつ従前ライン類抜去が頻回にあった患者に酸素飽和度モニターをする必要がっあったか。
3 その後遷延性意識障害とは無関係な病態で死亡した場合の損害をどのように考えるべきか。
<和解勧告>
本件は医師や看護師の尋問も行われることなく、争点整理後に和解勧告がなされた。裁判所は過失のあることを前提に、ただその後心疾患の悪化で死亡しているので長期生存を前提とした通常の慰謝料算定は困難との心証が示され、500万円での和解が勧告された。原告としてもその後交通事故で死亡したような偶然の死亡の場合とは異なると考えて500万円での和解に応じた。
本件で被告はカルテの客観的記載を無視して過失を争ってきた。本来であれば示談で解決できた事案であった。
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