第1 診療経過
1 原告は、平成××年××月××日、29週0日で緊急帝王切開にて分娩。
出生時体重1224グラム。アプガースコア1分後8点、5分後9点。全身状態良好。
小児科新生児室入室後チアノーゼ出現、酸素飽和度低下しRDS(呼吸窮迫症候群)と診断。挿管し人口呼吸管理。
2 平成19年1月1日抜管。抜管後無呼吸発作頻発。ドプラム(呼吸促進作用を持つ薬剤)静注、アブネカット(=テオフィリン、気管支拡張薬)内服開始。その後無呼吸発作頻度減少、酸素飽和度安定。1月3日保育器管理開始。1月4日ドプラム中止。
1月29日酸素投与中止。2月9日アブネカット中止。
3 平成18年12月29日より経管注入で哺乳開始、その後哺乳量順調に増加。
平成19年2月5日よりミルク経口摂取開始。2月7日より自力哺乳開始。
4 平成19年2月9日(35週1日)、1488グラムにて経過良好で保育器を出てコットへ。
5 平成19年2月15日眼科で眼底検査。未熟児網膜症と診断。
2月16日×××病院へ転院。未熟児網膜症で既に網膜剥離の状態で光凝固の適応はないと診断。
6 平成19年2月20日、臨床試験薬アバスチンによる治療のために××××病院へ転院。
3月1日、右眼の硝子体手術、両眼水晶体摘出手術。
3月8日、左眼硝子体手術。
3月22日、両眼手術。
7 現在の視力は右無光覚、左光覚以上で両眼失明の状態である。
第2 過失
1 未熟児網膜症の発生頻度
未熟児の場合未熟児網膜症を発症する可能性のあることは広く知られている。教科書的文献には、網膜の未熟性は一般的に出生体重、在胎期間によって決まるので出生体重1000グラム以下、在胎期間30週以下では網膜症は必発と考えてよい、1500グラムを超すと50%以下に減少するとされている。出生体重1000グラム未満の超低出生体重児では約80%に未熟児網膜症が発症し、そのうち約半数は自然治癒するが残りは凝固治療が必要となるとするものもある。
国立病院長崎医療センターのデータでは1000グラム未満の超低出生体重児では94%、極小低出生体重児(1000グラム以上1500グラム未満)では41%で未熟児網膜症が発症した、在胎週数では30週を境にして、それ未満で発症率が高かったとされる。
2 眼底検査の必要性
このような知見から出生体重1500グラム未満の低出生体重児、あるいは在胎週数30週以前の未熟児の場合には未熟児網膜症が発症しやすいので眼底検査を行うべきとされている。そして酸素投与例ではより未熟児網膜症が発症しやすいとされている。ちなみに1974年厚生省未熟児網膜症研究班の報告では在胎34週以下、体重1800グラム未満の未熟児について眼底検査が必要とされている。
3 眼底検査の実施時期
眼底検査の初回実施時期は出生後2〜3週が目安とされる。在胎週数26週未満の児ではこの時期に眼底観察困難の場合もあるがその場合でも修正在胎週数29週で行うのが妥当とされる。
我が国の多施設研究では眼底検査の開始時期は出生後3週までが73%、6週以内が99%であった。修正在胎週数では31週までが55%であった。このことから遅くても修正在胎週数29週までに検査が必要であるとされている。
眼底検査の頻度については最低でも週に1回の間隔で必要とされている。
4 過失
以上の医学的知見を本件に当てはめれば、本件は12月28日在胎29週0日での出生であり、出生時体重1224グラム、しかも酸素投与が長期間なされている。従って未熟児網膜症のハイリスク児であって、眼底検査が行われるべきである。
眼底検査を行う時期については、出生後2週から6週間以内のできるだけ早い時期に行われるべきであった。
本件ではRDS(呼吸窮迫症候群)と診断されその治療が行われている。もちろん当初はその治療を優先させるべきで、眼底検査の実施も困難であったかもしれない。しかし、治療によって患者の状態は改善し、1月29日には酸素投与を中止したのであるからその時点で眼底検査を行うべきであった。
しかるに実際に行われたのは2月15日であり過失は明白である。
第3 因果関係
1 眼底検査によって未熟児網膜症の疑いが生じた場合は短い頻度で眼底検査を繰り返し、未熟児網膜症と診断した場合にはT型3期中期となったら光凝固法による治療をすべきとされている。
2 2000年の奈良県立医科大学の菅波らの報告では、極小低出生体重児の未熟児網膜症発症率と重症瘢痕形成率について発症率は61,3%、治療率は19,2%、重症瘢痕形成率は0,3%とされている。他の報告も同様であり、発症してもT型3期中期以降に進行せず光凝固の対象にならないものも多いが、治療した場合には高い確率で重い後遺症を残さずに治癒している。
3 本件では2月15日の時点では既に光凝固法によっては治癒は困難な状態まで進行していた。しかし光凝固法の一般的な治癒率からすれば、1月29日の時点で眼底検査を行い、光凝固を行っていれば失明を免れた高度の蓋然性があるのであって因果関係も肯定される。
コメント
被告は、@2月12日頃まではRDS(呼吸窮迫症候群)の影響で、呼吸不全が残っていたので、眼底検査をすると呼吸不全悪化の可能性があったので検査できなかった、A2月15日の時点では未だ網膜剥離は起きておらず光凝固の適応があった、B2月16日の時点で網膜剥離の状態であったというのは誤診か、そうでなければ劇症型未熟児網膜症を急激に発症したもので病院に責任はない、C早期に眼底検査を行って光凝固治療をしたとしても失明を免れたかどうかは不明である、として争った。しかしいずれも不合理な弁解であり、担当医師の尋問後被告から和解の申し出があった。
眼底検査の実施時期と光凝固の有効性について教科書的文献だけではなく、統計データを提出できたのが大きかった。丹念に文献調査することの重要性を再認識させられた。