金剛山歌劇団許可取消処分の取消訴訟及び効力停止申立事件
弁護士 坂 野 智 憲
第1 経過
1 金剛山歌劇団とは在日朝鮮人・韓国人芸術家で構成される音楽舞踏団体
2 平成18年10月2日宮城県民会館の使用許可申請するも長期保留(結局平成19年4月20日不許可決定)
3 平成19年3月9日、県民会館の不許可を予想して、同年9月3日を使用日として市民会館大ホールの使用許可申請。指定管理者は、同日付けで使用許可
4 仙台市は同年6月5日、使用許可を取消(本件許可取消処分)
許可取消処分の理由は「昨年実施された公演に対する妨害行為の状況及び最近の国際政治情勢を踏まえると、公演を実施した場合、妨害行為などにより会館利用者や周辺に混乱が生ずることにより、市民会館の管理などに支障を及ぼすおそれがあると認められるため」というもの
5 同年7月2日、「許可取消処分の取消訴訟」提起、「許可取消処分の効力停止」申立て
6 同年7月24日、仙台地裁が許可取消処分の効力停止決定
同年7月27日、仙台弁護士会が仙台市長に警告
同年7月30日、仙台市が即時抗告
同年8月7日、仙台高裁が抗告棄却決定
第2 争点1「重大な損害を避けるための緊急の必要性」
1 執行停止の要件は「重大な損害を避けるための緊急の必要性」と「本案について理由がないとみえるとき」でないこと(行訴法25条)
2 申立人の主張
舞踏等の公演は文化的表現として憲法21条の表現の自由に属する。表現の自由は精神的自由権に属し、自由な思想・情報の伝達を通じて民主主義の過程を維持するために不可欠な機能を有するものとして人権体系上優越的地位にある。使用日まで2ヶ月足らずでは本案判決による救済は不可能であり、権利の性質上後日の国家賠償訴訟による金銭的補償では賄えず、処分の効力を停止する以外に損害の回復は極めて困難。
3 仙台地裁の判断
許可処分取消によって本件公演を中止するほかなくなるが、これは憲法上の保障を伴う申立人の表現の自由や集会の自由に対する制約になるから「重大な損害」に当たる。本案判決の確定を待っていたのでは損害を避けることができず緊急の必要性も認められる。
4 仙台高裁の判断
本件公演を実施し得なくなることにより、憲法上保障された集会の自由、表現の自由を侵害されることになり、これらによって生ずる損害は歌劇団の存在理由そのものを失わせるに等しいほどのものというべきであるから「重大な損害」に当たる。
第3 争点2「本案について理由がないとみえるとき」でないこと
1 普通地方公共団体の設置する公の施設については地方自治法244条がその利用について規定をおいており、各普通地方公共団体の条例はその具体化
2 公の施設の利用に関する最高裁判例(最高裁第3小法廷平成7年3月7日判決、最高裁第2小法廷平成8年3月15日判決)
最高裁判例の判断基準
@ 普通地方公共団体の設置する市民会館などは、地方自治法244条にいう公の施設に当たるから、正当な理由がない限り、住民がこれを利用することを拒んではならない。
A 地方公共団体がその利用を拒否し得るのは、施設をその集会のために利用させることによって、他の基本的人権が侵害され、公共の福祉が損なわれる危険がある場合に限られる。
B そのような場合にあたるかどうかは、基本的には、基本的人権としての集会の自由の重要性と、当該集会が開かれることによって侵害されることのある他の基本的人権の内容や侵害の発生の危険性の程度等を較量して決せられるべきもの。このような較量をするに当たっては、集会の自由の制約は、基本的人権のうち精神的自由を制約するものであるから、経済的自由の制約における以上に厳格な基準の下にされなければならない。
C その危険性の程度としては、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要
3 申立人の主張
基本的に最高裁の判断基準の正当性を主張したが、かかる取消を許せば、事実上右翼に公演の開催の許可不許可の権限を与える結果になること、行政が市民の憲法上の権利を擁護する責任を放棄することにつながることを強調。
4 仙台地裁の判断
施設などの管理上支障があると認めるときとは、そのような事態が許可権者の主観により予測されるだけでなく、客観的な事実に照らして具体的に明らかに予測される場合である。主催者が集会を平穏に行おうとしているのに、その集会を実力で阻止、妨害しようとして紛争を起こすおそれがあることを理由に公の施設の利用を拒むことができるのは、警察の警備などによってもなお混乱を防止することができないなど特別な事情がある場合に限られるが、本件ではそのような特別な事情は認められない。
5 仙台高裁の判断
基本的に地裁判断と同じだが次の趣旨を加えている。
管理者が正当な理由もなくその利用を拒否するときは憲法の保障する集会の自由、表現の自由の不当な制限につながる。
抗告人が主張する管理上支障を及ぼすおそれがある事態は、右翼団体などの抗議活動に起因するものであって歌劇団の公演そのものに起因するものではない。北朝鮮や在日朝鮮人に反発する団体などが本件公演を実力で阻止、妨害しようとすることは我が国の法秩序に照らして許されることではない。抗告人の主張する管理上の支障は本来警察当局の適切な警備によって回避が図られるべきものである。
右翼団体などの抗議活動によって、住民の平穏な生活、会館の他の施設の利用者、付近の通行などに悪影響を及ぼす可能性はあり、警察に警備などが適切であったとしてもある程度の騒音などの被害がもたらされることは避けがたいが、多少の騒音などは受忍すべきである。
第4 問題点
1 効力停止決定まで約3週間を要しており遅い。岡山地裁は同種事案で1週間で決定を出している。
2 弁護士会の警告は、裁判所の決定が出た後であり遅い。
3 本件はいったん許可した後の許可取消処分だから効力停止の申立でやれたが、県のように最初から不許可の場合は仮の義務付けの申立となり、難しかったかも。
参考
仮の義務付け(行政事件訴訟法37条の5)「義務付け訴訟が提起された場合で、一定の処分がなされないことにより生ずる償うことのできない損害を避けるため緊急の必要があり、かつ本案において理由があると見えるときその損害を避けるため他に適当な方法がないとき」
民間施設の同種事例
グランドプリンスホテル新高輪での日本教職員組合教育研究全国集会
市民の表現の自由の危機
1 市民の表現の自由が次第に狭められている。一つには公権力による規制強化である。
例えば、ビラを集合住宅の共用部分に配っただけで住居侵入で逮捕起訴される例が各地で相次いでいる。管理者がビラ配布目的での立ち入りを禁止する意思を表示している以上、その意に反する立ち入りは住居権の侵害であって住居侵入罪が成立するというのである。しかし住居の平穏を害しない態様での立ち入りであればそれが表現の自由の行使と目される限り違法性を阻却されると考えるべきであろう。
実際にはあふれかえる商業ビラが摘発された例はなく、住居侵入で摘発されるのは政治的言動を内容とするビラである。明らかに政治的意図を持った警察権行使と言うべきだろう。警察も昔はこの程度のことで逮捕することはなかった。警察権力は抑制的に行使されていたと思う。そのたががはずれたのがオウム真理教の地下鉄サリン事件以後だろう。オウムを摘発するためなら別件逮捕だろうが別件捜索差し押さえだろうが何でもやったし、そのことが社会でも支持された。社会秩序を維持するためならある程度則を超えても許されるという風潮になってしまった。
アメリカでも9.11テロ以後、テロ対策と言えば何でも許されるような傾向にある。市民の安全確保も社会秩序の維持も重要なことは当然である。しかし市民的自由を犠牲にしなければ市民の安全も社会秩序も護れないとしたら、それはむしろそのような社会自体に欠陥があると考えるべきだろう。そして市民一人一人が声を上げて初めて市民的自由は護られるのだと思う。
2 次に市民の表現の自由にとって危惧すべきは名誉毀損訴訟の濫用である。私が担当した事件でかつて東北学院大学の教授が幸福の科学から名誉毀損で訴えられたことがある。著作が幸福の科学の名誉を毀損にしているとして数千万円の多額の賠償を請求された。また東京のある弁護士が統一協会から名誉毀損で訴えられた。仙台の弁護士はある刑事事件の関係で著作が名誉毀損に当たるとして現在も訴訟が続いている。
もちろん名誉毀損事件は個別性があり訴えられても仕方がないケースもたくさんある。しかし自己あるいは自己の所属する団体に対する批判が気に入らないから、言論の自由を封殺しようとの意図で提訴が行われることが少なくないように思われる。基本的には言論には言論で立ち向かうべきで、裁判所としても表現の自由に対する萎縮効果も十分考慮した判断が求められる。その点近時は名誉毀損訴訟の賠償額が高額化し、言論の自由に萎縮効果をもたらしているのではないかと懸念される。
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