介護事故の判例
横浜地方裁判所平成17年3月22日(判例時報1895号91頁)
・・・介護老人施設でデイサービスを受けていた高齢女性が、同施設内の便所で転倒受傷した事故につき、施設職員の歩行介護に過失があるとして施設経営法人の損害賠償責任が認められた事例(一部認容1253万0719円 確定)
当事者)Xは、事故当時85歳の女性。
「本件施設」は、Y市の地域ケアプラザのひとつであって、社会福祉法人であるY協会がY市から委託を受けて運営管理する施設。
事案)
平成12年2月〜 Xは、本件施設において、週に1回の通所介護サービスの利用を開始
平成14年7月18日 X、要介護2の認定を受ける。
…介護認定のために作成された主治医による意見書には、「筋力が落ちているため、転倒に注意を!」との記載。認定調査票には「両下肢に麻痺があり、加齢による筋力低下で歩行が不安定である」、「両足での立位歩行は、支えがないとふらついてできず、杖が必要である。室内歩行時も杖を使用している。」との記載。(なお、平成13年12月ころの調査)
平成14年7月1日(事故当日)
Xは通所介護サービスを受けて帰宅するため、本件施設内で送迎車の到着を待っていた。送迎車に乗る前に、トイレに行くことを思いたってXが立ち上がったところ、これに気づいた介護担当職員Aは「ご一緒しましょう」とXに声をかける。Xは「ひとりで大丈夫」と答えたが、Aは「とりあえずトイレまでご一緒しましょう」と言ってトイレの入り口までの数メートルを歩行介助。
トイレ入り口まで到達したところ、Xは本件トイレの中に入っていった。Xはこのとき、Aに対して「自分一人で大丈夫だから」といって、内側から本件トイレの戸を完全に閉めた。Aは「どうしようかな」等と迷ったが、トイレから出てきたときに歩行介助を行おうと思い、その場を離れる。
一方、Xは本件トイレ内を便器に向かって右手で杖をつきながら歩き始めた。しかし、2、3歩歩いたところで突然杖がすべったことにより、横様に転倒し、右足の付け根付近を強く床に打ち付けた。診断名は右大腿骨頸部内側骨折。
平成15年1月24日 X、要介護4の認定を受ける。
※要介護2 「立ち上がりや歩行等が自力では困難。排泄・入浴などに一部または全介助が必要」
要介護4 「日常生活能力の低下が見られ、排泄・入浴・衣服の着脱など全般に全面的な介助が必要」
判断)
1.本件施設における通所介護契約上の安全配慮義務違反の有無
@Y協会としては、通所介護契約上、介護サービスの提供を受ける者の心身の状態を的確に把握し、施設利用に伴う転倒等の事故を防止する安全配慮義務を負うというべき
A・Xがその当時にも転倒したことがあること、転倒して左大腿部を骨折したこともあること
・下肢の状態も悪く、歩行が不安定であったこと
・主治医の意見書「介護に当たっては歩行時の転倒には注意すべき」
→Xは、本件事故当時、杖をついての歩行が可能であったとはいえ、転倒する危険が極めて高い状態であり、本件施設の職員はそれを認識し、あるいは認識しうべき。
Y協会は、通所介護契約上の安全配慮義務として、送迎時やXが本件施設内にいる間、Xが転倒することを防止するため、Xの歩行時において、安全の確保がされている場合等特段の事情のない限り、常に歩行介護をする義務を負っていた。
B・本件トイレの構造(入り口から便器までの距離、横幅、手すりがない)
→]が本件トイレの入り口から便器まで杖を使って歩行する場合、転倒する危険があることは十分予想しうるところであり、また、転倒した場合にはXの年齢や権衡状態から大きな結果が生じることも予想しうる。
Cそうであれば、Aとしては、Xが拒絶したからといって直ちにXを一人で歩かせるのではなく、Xを説得して、Xが便器まで歩くのを介護する義務があったというべきであり、これをすることなくXを一人で歩かせたことについては、安全配慮義務違反があったといわざるを得ない。
2.過失相殺:Xの過失割合は3割。
判例考察)
1.介護者の注意義務
…意思能力に問題のない要介護者による介添拒否の場合、介護義務を免れるか
「介護拒絶が示された場合であっても、介護の専門知識を有すべき介護義務者においては、要介護者に対し、介護を受けない場合と、その危険を回避するための介護の必要性とを専門的見地から意を尽くして説明し、説得すべきであり、それでもなお要介護者が真摯な介護拒絶の態度を示したというような場合でなければ、介護義務を免れることにはならないというべきである。」
→専門職としての高度な注意義務
2.過失相殺
…高齢者において、自己が介助を必要としている状態にあることを認識しておりながら助力をもとめなかった場合には過失相殺がされる?
例えば
@東京高判平成15年9月29日 判時1843号69頁(介添拒否)
→患者が付き添いを断ったことから8割の過失相殺。
A東京地判平成13年12月27日 判時1798号94頁
→著しく歩行能力が劣り、介助をうけなければ安全に通過できない可能性があることを認識しながら漫然と一人で通行を開始した点につき原告にも過失があったとして7割を過失相殺。
一方、否定例も
@福島地裁白河支部判決平成15年6月3日 判時1838号116頁
→「本件において、原告に過失相殺を認めるべき事情はない」
おわりに)
1.介護事故事案の特殊性
・「終の棲家」=「死を迎える場」との覚悟をもっての入所であることが多い
・事業者との信頼関係が強くなりやすい
・賠償額が低額となる傾向がある
・長期の裁判を行うというモチベーションに薄い
・閉鎖的な空間での出来事であることによる立証の困難性
⇒現実の事故数よりも、紛争数は少ない?
A「利用者の個人の尊厳」との関係
介護事故の防止⇔身体的虐待行為
・・・「介護事故が決してあってはならない」と考えることよりも、介護事故をできる限り予防する取り組みが大事(下記参考文献D172頁)
参考)
@判例時報 平成17年8月11日 1895号91頁
A「介護を巡る事故・紛争事例と利用者の権利擁護・権利救済」
西田和弘(鹿児島大学法文学部政策学科)
B「介護事故の損害賠償と過失相殺」大石玄(北海道大学大学院)
C医療の法律相談(有斐閣 2008)378頁〜「高齢者の転倒」畑中綾子
D高齢者の生活・福祉の法律相談(青林書院 2004)
171頁〜「福祉サービスと介護事故」平田厚
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